閉じる


1.野外ステージ

 最後に見たのは虹色に光る舞台の照明装置だった。いや、ガラス越しに見た車のヘッドランプだったかもしれない。とにかくキラキラしていた。
 そう言うと、少女は、「それ、クリスマスのイルミネーションだったんじゃないんですか」と言った。正也は少し考えてから、「そうだったかもしれない」と答えた。
 黴臭いアパートの部屋の窓から、そんな洒落たものが見えるわけはないのだけれど。
「春奈ちゃんは、何が見えたの」
「何も。空だけ」
 それから話題は一向に膨らまず、二人は、いつものように黙って舞台を眺めた。寒空の中で行われているヒーローショーは毎日同じ演目で、毎日顔を出していた二人は、そろそろヒーローの台詞を暗誦出来るほどになっていた。
 正義の味方ジゾウマンという、百歩譲れば、今流行の「キモカワイイゆるキャラ」に見えなくもない不細工なヒーローが、あつこお姉さんという遊園地のアイドルを攫った妖怪ワルイコダレダーを成敗するという、捻りのないストーリーだ。
 すでに今日のステージは終了し、「ジゾウマン、僕らのヒーロージゾウマン、行け行けGOGOジゾウマン。
 強いぞ凄いぞ負けないぞ、良い子の味方ジゾウマン」 という、一度聞いたらしばらく忘れられそうにないテーマ曲がステージから流れ続けている。
 お互い存在を認識しているものの、特に話もしなかった二人が、ほんの少し歩み寄ったのは、今日のステージがおかしな終わり方をしたせいだった。
 いつものように、クライマックスになって、ジゾウマンの必殺技を喰らって吹っ飛んだ妖怪ワルイコダレダーの首が、取れたのだ。
 ぼろ雑巾のような着ぐるみだと常々思っていたが、まさかステージ上でそんな悲惨なことが起きるとは。ワルイコダレダーの頭が吹っ飛び、中から現れたのは、アルバイトだろうか、十代後半くらいの若い男の顔だった。飛んでいった首が観客席に転がって、最前列に座っていた良い子たちの手に渡ってしまったのを見たときの、男の悲壮感漂う表情はなかなか忘れがたいものだったが、そこは毎日舞台に出ている役者ということか。
「はっはっは。ようやく正体を現したなワルイコダレダー!」
 というジゾウマンのアドリブに、素顔をさらす羽目になったワルイコダレダーは、不敵な笑みを浮かべて起き上がった。
「この姿を突き止めるとは、さすがは正義の味方ジゾウマン!覚えていろ、この借りは必ず返す!」
 と、悪役らしい台詞を述べて舞台に引っ込んでいった。
 後はいつものように、救い出されたヒロインとのやりとりがあり、いつものテーマソングが流れてきたというわけだ。思わず、常連の二人が顔を見合わせてしまったのは、自然な流れだったといえよう。
 二人が言葉を交わしたのは、この日が初めてではなかった。
 正也が初めて遊園地に迷い込み、途方に暮れていた日、少女は既に観客席に座っていた。それから毎日、まるで指定席だと言わんばかりに、少女は観客席の最後列のベンチの一番端に座っている。なにしろ観客が少ないので、お互いが「毎日ヒーローショーを見に来る変な人」という印象を抱くのは簡単なことだった。
 声をかけたのは正也からだった。
「ヒカルって女を見なかった?」
 少女は無言で首を振った。それだけだった。
 次の日は少女からだった。
「ヒカルって女の人、どんな格好してるんですか?」
 改めて問われると、これといった特徴のない女だった。髪の毛は肩より少し下くらいで、茶色に染めている。中肉中背。二十五歳。雑誌から切り取ってきたような流行のスタイルに全身を包んだ、ステレオタイプの若い女。警察官にモンタージュを作ってもらうとしたら、奥二重で垂れ目。腫れぼったい唇だということくらいは付け足すだろうか。普段のメイクが濃いので、化粧を落とすと驚くほどのっぺりして見える。十人並みの容姿。自分でも驚いたことに、最後に見た服装がどんなだったか、よく思い出せない。
 そんな状態で、少女にヒカルを探し出してもらうのは無理だろう。年と髪型と背の高さだけを伝えたが、少女は困ったように眉を寄せた。
「ここにいると思うんだ。もし、それっぽい女を見つけたら、気にしてくれると嬉しい」
 少女は正也に事情を尋ねることもなく、無言で頷いた。
 次の日は正也から声をかけた。
「ヒカルっぽい人、見つかった?」
 少女は無言で首を振った。警戒されているのか、そもそも無口なのかどちらなのかはわからない。正也に視線を合わせることなく、少女が呟く。
「ごめんなさい。わかりませんでした」
 少女が謝る必要はどこにもないが、落胆はかくせなかった。これだけ探しているのに、見つからない。ヒカルがここにはいないという可能性など考えたくもなくて、正也は再びヒカルを探しはじめた。

 そして、今日になった。
 ヒーローショーの意外な結末に思わず顔を見合わせた。あまりの馬鹿馬鹿しさに笑う気にもなれない。しかし、昨日よりは幾分雰囲気が和らいだような気がして、正也はようやく少女に名を尋ねた。
「俺、津田正也っていうんだけど」
「川村春奈です」
 少女の声は酷く聞き取りにくかった。中学生か、下手をすれば小学生にも見える。年齢差からすれば不審者になりそうなので、正也は、このあとの会話をどうつなげようか悩んだ。どうしてこんなところにいるの、などと聞いたところで、正也には連れて行くべき場所がわからない。
 そう思っていると、少女がぼそぼそと呟いた。
「どうしてヒカルさんを探しているんですか?」
「え?」
 一緒に死んだからだとは言えずに、正也は言葉を選んだ。
「死んだとき、一緒にいたから」
 ベンチに座ったままの春奈は、僅かに顔を上げた。
「死んだんですか?」
「え?いや、どうなんだろう、これ」
 首をかしげる正也を見る春奈の顔には、表情らしい表情が浮かんでいない。
「幽霊になったんじゃないかな、って思うんだけど」
 そうでなければ、このおかしな状況の説明がつかない。幽霊になったからといって説明がつく話でもないとは思うが。
「私もそう思います。でも、幽霊になると、遊園地に来るんですね。知りませんでした」
「俺も知らなかったよ、そんなこと」
「幽霊なんていないと思ってたのに」
 少女の声はあまりにも抑揚にかけている。
「俺も幽霊を信じてたわけじゃないけど、少なくとも、こんな風だとは思ってなかったな。こんな風だと思ってる奴、誰もいないんじゃないか?透けるとか、浮くとか、どうせ幽霊になるなら、そういうことやってみたかったのに」
 遊園地に迷い込んでから五日が過ぎたが、眠くもならないし腹も減らないので、少なくともまともに生きている状況ではないのは確かだ。幽霊になったか、夢の中にいるか、どちらかだろう。
「三途の川ならともかく、遊園地っていうのは……」
「どうして遊園地に来ちゃったんでしょうか」
 少女の声は相変わらず沈んでいた。正也は首を捻った。
「気がついたらここにいたんだよ。その前は……」
 その前は、日当たりの悪いヒカルのアパートにいた。狭い部屋はいつものように散らかっていて、最後だから身辺を綺麗にしようという意思もないのかこの女は、と思ったことを覚えている。薄れゆく意識の中で最後に見たのは、なにかキラキラしたものだった。
 春奈が最後に見たのが空ということが何を指すのかわからず、事態の解決にも結びつかない。
 それでもひとつだけはっきりしたことがあった。
 どうやら、この子も死に損なったようだ。
 ヒカルを探しに行かなければと断って、正也はいつものようにその場を離れた。

2.占い館

 すっかり見慣れてしまった園内地図によると、ここはサードリバーサイドパークという名称の遊園地らしい。ヒーローショーでおなじみとなっているジゾウマンの、可愛くないもイラストが地図の端に描かれている。
 昭和の時代に置き去りにされたかのような遊園地だった。園内地図に誇らしげに描かれたジェットコースターは、おもちゃのトロッコ列車のようで、レールの上をガタガタと音を立てながら走っている。人の入りはいつも疎らだった。どのアトラクションにも行列はなく、多くても五、六人が並んでいるだけだ。
 果たしてここはどこなのだろうか。
 自分の頭が生み出した妄想にしては随分と意外な風景だった。記憶にある遊園地とはあまりにも違いすぎる。遊園地の周囲は濃い霧に包まれていて、状況は窺い知れなかった。時折、霧が揺らぐ先には山が見えた。
 園内を行きかう者は人間だけではなかった。時々、幽霊のようなものが通り過ぎて行く。簡単に一筆書き出来るフォルムの中に、黒い靄がつまっているようなもので、それが音も立てずに行き来している。大きい者が、小さい者の手を引いているように見えることもあった。目鼻や口は確認できず、声どころか物音を立てているところを聞いたこともないが、列に並んでジェットコースターに乗り込んでいるのを見ることもあった。係員は、人間の客に対するのと全く同じように、黒い靄に向かって、にこやかに何かを話しかけている。
 おかしなところに迷い込んでしまったのは一目瞭然であったし、おかしなところに迷い込む理由に思い当たる節もありすぎた。
 自分の頭がおかしくなってしまって、幻覚を見ているのだとしたらそれでもいい。
 しかし、これが、仮に死後の世界のようなものであったとするならば、ヒカルを見つけないことには、どうしようもない。
 園内をもう何周したかわからない。どれだけ歩き回っていても全く疲れない。毎日の園内散策コースも決まってきている。すれ違う顔ぶれは毎日違うのに、ヒカルの姿は見当たらない。ひょっとして、黒い靄の中にヒカルがいるんじゃないかと、じっと見つめてもみたが、靄はただの靄だった。

 あてもなく遊園地をさまよい始めた正也は、観覧車の隣に黒いテントが張られているのに気がついた。
 テントの上にはクリスマスツリーの天辺に飾るような星がきらめいていて、入り口には「マドモアゼル☆由魅子のラッキー☆フォーチュン占い館」と書かれている。
 これが自分の妄想の産物だとは考えたくない。
 ヒカルが毎週雑誌の星占いを見ていたことを思い出す。これも一応まだ調べていない箇所になるのだろうか。
 足を踏み入れてみると、見た目よりは広いスペースが広がっていた。真っ暗な空間に、豆電球のような小さな明かりがいくつか灯っている。光源に顔を近づけてみたが、何が光っているのかは良くわからなかった。
「ようこそ迷える子羊たちよ。マドモアゼル由魅子が心の悩みをすっきり解決」
 前半はエコーがかかっていて雰囲気が出ていたが、後半はアイドルの挨拶のようになっていた。繰り返される音声を聞きながら、空間の先にあるカーテンにそっと手をかける。
 明るい光とともに、耳に飛び込んできたのは「だからぁ」という苛立ちのこもった声だった。
「ちょっと代わってくれって言ってるだけじゃん。焼き芋パーティーあたしも行きたいのに、なんであたしだけ仲間はずれにするわけ?」
 一息でそこまで言い切った女性と目が合った。一瞬の沈黙の後、女性は慌てて携帯電話を机の下に押し込むと、素晴らしい出来栄えの営業スマイルを浮かべた。
「よっ、ようこそマドモアゼル由魅子の占い館へ」
 声が多少裏返っていたのは致し方ないだろう。
「さぁ、心を落ち着けて、そこへ座って御覧なさい。この水晶が全てを導きます……」
 女性は両手を広げてそう言ったが、正也が動かないのを見て、がっくりとうなだれた。
「……すみません、お見苦しいところをお見せしてしまい……。あの、どうぞ、おかけください」
「いえ、占いに来たわけじゃないんで」
「いえいえ、そうおっしゃらず。この魔法の水晶が全ての真実を暴き出しますよ。さあさあ、どうぞどうぞ」
「焼き芋パーティーに行かなくていいんですか?」
 正也が冗談めかしてそういうと、由魅子は「ぎゃっ」と声を上げた。
「すいません、忘れてください。違うんです、ちゃんと、お客様がいらっしゃるとわかるようになっているんですけど、焼き芋で頭がいっぱいで。いえ、焼き芋は三十分後なんでいいんです。大丈夫です。さあさあ」
 このまま話を聞いていたら、開運の壷でも買わされそうだなと思いながら、正也は促されるままに椅子に腰を下ろした。先ほどの暗い空間は、行列のためのスペースだったのだろう。占いのためのメインスペースは狭く、用途のよくわからない機械が二台置かれている。
 由魅子が魔法の水晶と呼ぶものは、不思議な形をしていた。
 占い師が良く持っているような球体ではなく、何かを削り取った後のようないびつな形をしている。それを髑髏の形をした金メッキの燭台が支えていた。
「さあ、何を占いましょうか?」
「人を探しているんです」
「運命のお相手ですね。お任せ下さい。さあ、こころを落ち着けて、この水晶を覗いてください」
 由魅子は嫣然と微笑んだ。水晶の中に光が揺らめく。光はゆらゆらと七色に変化しながら、やがて一点に収束してゆく。
 人の顔のようだなと思った次の瞬間には、それはヒカルの姿になっていた。
「運命のお相手が見えまして?」
 曇りガラスを通したように不鮮明だが、どう見てもヒカルだ。似ている女性が映っているわけでも、不鮮明な映像をヒカルだと思い込みたいわけでもない。どう見てもヒカルだ。ぼんやりと映っている背景は、ヒカルが働いていたキャバクラだろう。赤紫色のソファが見える。思わず手を伸ばそうとするが、それは由魅子に阻まれた。
「どういう仕組みなんですか?」
「これは第七法廷の主、泰山王様縁の由緒正しい神秘の水晶。あなたの最も幸福な瞬間を映し出す魔法の鏡なのです」
 台詞の前半の意味はわからなかったが、後半の台詞を聞きとめて、正也は水晶に映るヒカルを凝視した。
「これが?」
「その通りです。愛する人の姿が映っていますか?」
 黙って水晶を覗き込んでいると、由魅子は首を傾げた。
「……映ってませんか?壊れたりはしないと思うんだけど」
「あ、いえ、映ってはいます」
 由魅子は上から水晶を覗き込んで、正也の側に映し出されている映像を確認した。
「愛する人の姿が映っていますね?」
「ああ、まあ、そうですね」
「これはあなたの心の奥に潜む真実を映す水晶なんですよ。もし、あなたが彼女と離れ離れになっているのなら、それはいけません。あなたの心は彼女を思っているのです。十王の前で亡者が嘘偽りを言えないのと同じ。この水晶はどんなに隠そうとしていても、あなたの幸福を暴いてしまうのです」
「幸福を」
 水晶の中のヒカルは、優しい微笑を浮かべて、どこか遠くを見ているようだった。
「ちょっとお待ちくださいな」
 由魅子はやおら後ろを向くと、スロットマシーンのような物を動かした。ハートのドラムが勢いよく回り、機械が甲高い声で喋り始める。
「マドモアゼル由魅子の占い館へようこそ!あなたを幸運に導く明日のラッキーカラー占いがはじまるよー!ジャジャーン!」
 スロットが左端から順に止まる。橙色、橙色、橙色を通り過ぎて黄色になったと思ったら、また戻って橙色に。オレンジ一色になったスロットの枠が点滅した。ハイテンションな機械がしゃべる。
「あなたの明日のラッキーカラーは、オレンジです!」
 あっけにとられていると、由魅子が机の下から小さな紙片を取り出した。
「はい、お待たせいたしました」
 その紙片には、ヒカルの姿が映っていた。水晶に映っていた映像と全く同じ、どこかを見つめて微笑を浮かべている、少し不鮮明なヒカルの姿だ。
「これは……」
「お守りですわ」
 由魅子は嫣然と微笑んだ。正也は、手のひらに収まる大きさの紙にいるヒカルをじっと眺める。
「マドモアゼル由魅子の占い館、ご堪能いただけまして?」
「はぁ…」
「それではですね、そのぅ」
 由魅子は芝居がかった口調を改めた。
「もう間もなく中央広場で焼き芋パーティーがはじまるんです。立花屋御用達のサツマイモを、三途の川の河原の石で熱して焼き上げるという、これがもう絶品の焼き芋でして。お一人様一本限りなんですけど、今日限りの大盤振る舞いなんです。それで、そのぅ」
「よかったら貰ってきましょうか。俺、焼き芋そんなに好きじゃないんで」
 焼き芋は好きだが、腹が減らないのに食べたいとは思わない。由魅子は慌てた様子で手を振った。イミテーションの宝石が埋め込まれた大きな指輪がキラキラ光る。
「そんな、滅相もない。ただ、多分、余ると思うので、もし余分にもらえたら、一本分けてはいただけないかと」
「いいですよ」
「ああ、ありがとうございます!なんというお優しいお方なんでしょう!あなたの未来にはきっと薔薇色の運命が待っていますわ!」
 そんなものは待っていないと、わざわざ教えてやるほど無粋ではない。正也は曖昧に頷いて占い館を後にした。  

3.中央広場

 広場には既に何人かが集まっていた。どこから集めてきたのか、枯葉の山がこんもりと出現している。
 春奈が何をするでもなく、そこに立っていた。正也に気づいた春奈の視線がこちらを向いたが、言葉はなかった。常にうつむき加減で愛想笑いのひとつもない。正也を見ても表情を変えるでもなく、春奈は、視線を元通り、枯葉の山の麓に固定させた。
 なんとなく彼女の横で立ち止まった正也は、枯葉がいっぱいに詰まった大きなビニール袋を手に立っている男の姿に気がついた。作業着に軍手という出で立ちだが、その顔は忘れられない。妖怪ワルイコダレダーだ。男は正也と目が合うと、「あっ」と声を上げた。次いで周囲を見渡すと、枯葉の詰まったビニール袋が倒れないよう注意を払いながら、正也の元にやってくる。
「先ほどはどうも」
 男は舞台にいるときとは別人のような声でそう言うと、軽く頭を下げてきた。
「あの着ぐるみ、洗濯を繰り返してすっかり擦り減ってしまってたんです」
「はぁ……」
 まばらな観客の中に、毎日同じ顔がいれば、ステージ上の役者だって正也のことを記憶しているだろう。それはいいが、突然、ステージ上の醜態の言い訳を始められても困る。少し明るい髪色の青年は、舞台上で悪役を演じているとは思えない、覇気の乏しい口調でそう言った。
「首のつなぎ目なんかもう透けてたんで、そろそろ千切れると思ってたんですよね。だから」
 青年はそこでようやく正也の反応をうかがうように、ちらりと視線を上げた。こちらは怪訝な顔をしているはずだ。青年は気にした様子もなく続けた。
「首が取れたら、真・ワルイコダレダーに転生する予定だったんです。そのために角も作ってあったんですよ。実は、昨日は仕込んでいたんです。失敗しました」
 どう反応していいのかわからず、絶句していると、青年は、ふと口元を緩めた。
「かっこよく変身するつもりだったのに。いつも見てくださっているのに、すみませんでした」
「いえ……」
「おい、由紀人、さぼってんなよ、火点けるぞ」
 聞き慣れた声がしたと思ったら、駆け寄ってきた若い男が正也を見て「あっ」と声を上げた。ワルイコダレダーの横で急停止すると、正也に向かって勢いよく腰を折った。
「さっきはすいませんでした!」
 初めて目にする顔だが、この声はヒーローのジゾウマンだろう。二人とも焼き芋のスタッフらしく、同じ作業着を着ている。
「俺に謝っても……」
「ほんとすいませんでした。春奈ちゃんもごめん」
 正也は驚いて春奈を見た。春奈は、聞こえるか聞こえないかという音量で何か言ったが、結局かすかに首を振っただけだった。
「とにかくすいませんでした。由紀人、行くぞ」
 由紀人と呼ばれたワルイコダレダーは、走り去るヒーローの後を、慌てた様子もなくついて行く。春奈はぽつりと呟いた。
「謝ることないのに、おかしいですよね、あの人たち」
「知り合いなの?」
 春奈は少し首を巡らせて正也を見上げたが、すぐに視線を足元へ落としてしまった。
「知り合いって言うか、ここに来てから初めて会った人ですけど」
「でも、名前」
「ジゾウマンの方は、立花梓さん。妖怪の方は、松岡由紀人さんです」
 正也は少し驚いた。いつ名前を交換する暇があったのだろうか。
「春奈ちゃんは、いつから遊園地に?」
「五日くらい前から」
 やや考える風な素振りを見せて、春奈は答えた。五日前なら正也と同じだ。
「どうして毎日ヒーローショー見てるの?」
「……他にすることないから」
 春奈はぼそぼそとした声で続ける。
「ジェットコースターとか、一人で乗っても面白くないし」
 正也は頭を殴られたような気分になった。
「一緒に乗る?」
「いいです。そんな、気を使わないで下さい。ヒカルさんを探さなきゃいけないんですよね」
 ヒーローショーの出演者二人が、周囲のまばらな人垣に向かって、焼き芋パーティーの趣旨を説明している。まばらな拍手が起こり、枯れ木の山に、火のついた新聞紙が投入された。少しはなれたところにいる黒い靄も、手を叩くような動作をしていた。
「ジェットコースターに乗るくらいの時間ならあるよ」
「ジェットコースター苦手なんです。ごめんなさい」
 これは振られたのだろうか。思いの外堪えた。
「ジェットコースター以外には、乗りたいものはないの?」
 春奈は少し黙ってしまった。それから、かすれた声で何かを呟いたので、思わず聞き返す。
「え?」
「パンダパラソルとか、おもしろそうだなって思いますけど」
 メルヘンチックな名前には聞き覚えはなく、正也は思わず眉をひそめた。春奈は相変わらず下を向いたままだ。
「でも、津田さんには面白くないと思います」
「そんなことないよ」
「乗ってたら変態です」
 言い切られてから思い出した。パンダパラソルというのは、文字通りパラソルを持った大きなパンダの遊具で、そのパラソルの先からブランコがいくつもぶら下がっていて回転するようになっている。確かに子供用のアトラクションだ。
「じゃあ、乗ってきたらいいよ。俺、見ててやるから」
「いいです、そんな。一人で乗れます」
「でも、一人じゃ楽しくないんだろ?」
「見ててもらってもしょうがないですし」
 返す言葉もなく、続ける言葉に悩む。浮かんだ解決策はコーヒーカップだったが、それも、親しくもない人間と乗ったところでどうしようもなかった。
「他に気になってるのは?」
「ありません」
 春奈の返答は、素っ気無いというよりも、むしろ生気に乏しい。
「そうだ、占い館は?占い館には行った?観覧車の近くにある」
 春奈が首を振ったので、正也はようやく明るい話題を見つけられたと思った。
「なら、一緒に行こうよ。実は俺、その占い館の占い師に、焼き芋を持ってくるように頼まれてるんだ」
 春奈は変な声を出して正也を見た。
「よっぽど焼き芋が食べたかったらしいんだ」
「……何ですか、それ」
「さあ。でも、俺は焼きいも食べたいとは思わないし。春奈ちゃんは焼き芋好きなの?」
「別に。焼き芋が食べたいわけじゃないんですけど、皆さんに誘われたから」
「皆さん?」
「あの二人です」
 顔を上げた先にいるのが、ヒーローショー出演者の二人だとわかる。春奈はまたすぐ顔を伏せた。
「他にすることがないので」
 立ち上る煙が木立の向こうへ消えて行く。枯葉の山がパチパチと音を立てて燃えていた。
 
 煤で顔と軍手を真っ黒にして、ヒーローは笑顔を振りまきながら、悪役は無表情ながらも物腰穏やかに、居並ぶ人々に焼き芋を配っていた。遊園地の中でこれだけの人数が集まっているところをはじめて見た。それでも三十人ほどだったが、遊園地に居る人間の果たして何割が焼き芋をもらいにきたのだろうか。
 黒い靄が、大事そうに焼き芋を抱えて、どこかへ消えて行く。顔のようなところには、目も鼻も口もないので、表情がわかるはずもないのだが、その不思議な黒い物体は、どう見ても嬉しそうだった。
「火傷しないようにね」
 ヒーローに焼き芋を手渡された少年が、嬉しそうに駆け出して行った。
 特に芋が欲しかったわけではない正也と春奈は、自然と列の最後尾に続く形になった。なくなったら由魅子に申し訳ないと思うが、ワルイコダレダーこと松岡由紀人が、列の人数を数えて頷いていたので大丈夫だろう。
「はい、どうぞ」
 ヒーローこと立花梓に焼き芋を手渡されたが、春奈はにこりともせずに簡素な礼を述べた。
「この芋マジ美味いんすよ。俺のじいちゃんの畑の芋なんですけど、親父の店でもこの芋使った、季節限定の饅頭は大人気で」
「そうなんですか」
 正也も、いささか無感動に芋を受け取ってしまった。梓がやけに嬉しそうにしているのに、気後れしたのかもしれなかった。
「実家、和菓子屋さんなんですか?」
「そうなんです。俺が言うのもなんですけど、あんこ嫌いの課長でも、うちの豆大福はいけるっつうくらいの人気商品で。法廷参道沿いにある立花屋ってところなんですけど。もし通る機会があったらぜひ」
 それは一体どこなんだ。
「立花屋さんですか。聞いたことないな」
 あるわけがないと思いつつ呟く。
「お店を手伝ったりはしないんですか?」
「兄貴が店継ぐことになってるんで」
 お前は一体何者なんだ。
 ぐるぐると頭の中を疑問が渦巻いてしまって、気の抜けた返事をするばかりになってしまった。青年が浮かべる笑顔が眩しすぎる。
「ヒーローショーは、アルバイトですか?」
「いいえ。俺たち、ここの営業課の職員なんです。あ、そうだ。よかったら、名刺をどうぞ」
 差し出されるがままに受け取ってしまった名刺には、「法営三途之川公園事業部営業課、立花梓」と書かれていた。
「ヒーローショーの出演者は全員営業課の人間なんですよ」
 役者を雇うようなお金がなくて、と梓は悪びれた様子も無く笑った。
「でも、ヒーローショーは、アンケートの毎月集計、不動の人気トップ3なんですよ。今日は失敗しましたけど」
 意外だと思ったのが顔に出ていたのだろうか、梓はばつの悪そうな顔をして最後の一言を付け加えた。他のアトラクションにろくなものがないので、臨場感のあるショーに人気が集まるのかもしれない。かく言う自分も、特に面白いわけでもないのに、毎日ショーを見ている。もしもアンケートを記入することになったら、ヒーローショーに丸を打つだろう。義理だが。
「いつも楽しみにしてくれる人が居ると思うと、やる気がでます」
 屈託のない笑みを浮かべる梓に、どう反応していいのかわからない。
「営業課の職員ってことは、役者を目指しているわけでもないんですよね」
「いえ、全然」
「舞台の経験とか……」
「ないです。でも、4月に入社してから、ほとんど毎日ヒーローショーやってたんで、それなりに板についてきたんじゃないかなって思ってるんですけど」
「何、その自画自賛。気持ち悪い」
 間髪入れずに振ってきた声に正也は目を剥いた。すわ本音が漏れたかと思ったが、悪役が冷めた目でヒーローを見つめていた。
「何だよ、うるっせえな」
「お前の首も取れればいいのに……」
 由紀人はわざとらしく溜息をついた。他愛のない言い争い始めた二人を、どうしようかと眺めていると、春奈が芋を半分に割ってくれたのに気がついた。黄金色に輝く芋を差し出されて、正也は戸惑う。
「いいよ、春奈ちゃん。ありがとう」
「それ、占い館の人の分なんですよね。私、一本、全部食べられませんから」
「……ありがとう」
 私はおいしいですと、全力で主張しているかのような、その断面を見るまでは、芋に全く興味はなかったはずだが、鼻孔をくすぐる甘い香りにも負けて、春奈の好意に甘えることにする。
「あ、どうです?美味いでしょ?」
 こちらの様子に気づいた梓の台詞には、否定される可能性など露ほども含まれてはいないようだった。
「甘いですね」
「でしょ?」
 美味いといったわけではないのだが、梓は満足そうに頷いた。焼き芋に「甘い」という形容詞は、褒め言葉になるんだなと、取り留めのないことを思う。
「おいしいです」
 春奈が簡潔な感想を述べるのに、梓が嬉しそうに微笑む。毎日ヒーローを演じていると、素もヒーローに近づくのか。それとも、この性格だから、ヒーローが板につくのか。相対するところの悪役には、あまり表情の変化がない。
「もし、よかったら、まだ二本余っているので、持って行きますか?本当は、お一人様一本限りなんですけど、余らせてもしょうがないので」
「園長の分とっておかなくて大丈夫なのか?なんであの人来なかったんだ?楽しみにしてたはずなのに」
「なんで来なかったのか知らないけど、芋がなくなってたら、たぶん怒ると思うから、ちゃんと取ってある。それとは別に、二本残った」
 愛想はないが、棘もない口調だった。こちらは、素でヒーローを演じているような梓とは対照的に、舞台上での動きに通じるところは何もない。どこかのんびりしたような口調から、声色すら違って聞こえた。今日のハプニングがなければ、ワルイコダレダーの中身だとは気づかなかっただろう。つくづく悲劇的な事件だった。
 正也と春奈は顔を見合わせ、二人とも無言のうちに首を振った。
「そんなにもらっても……。二人で食べたらいいじゃないですか」
「俺は家に帰ればたくさん食べれますし、こいつも似たようなもんなんで」
「じゃあ、他のスタッフさんたちに」
 ああ、と何故か暗い声で梓が頷いた。
「そういえば、うるさいのが居た。一人」
 占い館のかと、つい漏らしてしまうと、梓が目を丸くした。事の顛末を話すと、梓と由紀人にそろって頭を下げられる。
「すいません!あいつ、お客様になんてことを」
「食い意地の張った女ってホント……」
「あ、いや、ほんとに、ついでだったんで……」
「気を使わないで下さい。本当にすみませんでした。芋、どうぞ召し上がってください。占い館のことは気にしないで下さい」
「でも……」
 芋を届けに行くついでに春奈と占い館に行くつもりだったのだ。ちらりと春奈を見ると、春奈も、なぜか由紀人と同じ台詞を口にした。
 気にしないで下さい、と。
「私、別に占いに興味ありません」
 正也が絶句している間に、由紀人が正也と春奈の顔を見比べる。
「なんだ、春奈ちゃん、まだ占い館行ってなかったの?行ってきなよ。魔女みたいな怖いお姉さんが居るから、お兄さんと一緒に行くといいよ。大丈夫、結構楽しいから」
「そういうことなら、これ持って行って下さいよ。多分、飲み物は向こうにあると思うから、占い館で焼き芋パーティーしたらいいですよ」
 他の客はどうなるんだ。正也は唖然としてしまったが、梓に、まばゆいばかりの笑顔と共に、二本の焼き芋を差し出されて思わず受け取ってしまう。呆気に取られているうちに、「じゃあ、俺たちここの後始末しますんで」と爽やかに去られてしまった。
 春奈がぽつりと呟いた。
「あの人たち、やっぱり、おかしいですよね」
 いつみても影の指す春奈の表情からは、その真意は読み取れそうになかった。

4.占い館

 芋を抱えて戻ってきた正也と春奈の姿を見て、由魅子は殊更に喜んだ。
 芋を三本、水晶玉の横に大事そうに並べて置き、困惑する春奈を水晶の前に座らせる。
「さあ、心を楽にして、水晶玉を覗き込んで御覧なさい。焼き芋パワーで、このマドモアゼル由魅子の占い的中率は100パーセントを超えるわ!可愛い女の子には、好きな男の子を振り向かせる魔法のおまじないを教えちゃうぞ」
 押し黙っている春奈のことなどお構い無しのテンションだった。春奈はそれに構うことなく、水晶を前にじっと俯いている。
「占ってほしいことは……特にありません。好きな人もいないし」
「それなら、いつか現れる運命の赤い糸の相手を占っちゃうぞ」
 春奈は首を横に振った。
「そんな人いません」
 由魅子は絶句したようだったが、そもそも、ここがあの世とやらなら、未来の運勢を占うことに何の意味もないのだ。
「明日のラッキーカラーがわかるんですよね?」
 占いに興味がないと言っていた春奈をここまで連れてきてしまった手前、正也はそんなことを口にした。由魅子は、少し微笑んだ後、首を横に振った。
「運命の相手がいない女の子なんかいませんわ。今はまだ出会っていないだけなのよ」
「……でも、この先、出会うことなんてないです」
 死んだのだから。
 聞こえないはずの春奈の言葉が聞こえた気がした。
「可愛い女の子が、そんな寂しいこと言っちゃ駄目よ」
「私はブスだから関係ないです」
 予想していなかった方向から飛んできた返答に、正也も由魅子も、思わず間抜けに口を開けてしまった。春奈はますます俯いてしまった。
「すみません」
「何言ってるの、可愛くない女の子なんて存在しないわよ。女の子は皆可愛いの!」
 水を向けられた正也はしし威しのごとく頷いた。春奈が特別可愛いわけではないが、全く、十人並みの容姿であるように思う。ブスだと言える要因があるのだとすれば、常に纏っている陰気な雰囲気くらいのものだろう。笑ってくれるのならば、多分、可愛いと思う。由魅子の言を借りるなら、女の子は皆可愛いのだから。
 ヒカルも、私ブスだし、と何かにつけ言っていたような気がする。そんなに高い化粧品を買う必要があるのかと、バイト代をつぎ込むヒカルに呆れて言うと、返ってくるのは「だって私ブスだし」という言葉だ。「ちょっとでも綺麗に塗らないと、街歩けない」。鏡に向かうヒカルの表情は真剣そのものに見えた。バカじゃねえのかと呟くと、ヒカルが鏡越しに睨んでくる。正也は溜息をついた。顔をキャンバスにして別人のようになる技術は素晴らしいですけれども。
 顔の美醜と全く関係ない場面でも、「でも、ブスだから、ダメ」とヒカルは言う。そんな話をしていただろうかと、正也は首を傾げたくなるのだ。全く十人並みの容姿でも、「ブス」という単語を聞かされ続けていると、本当にブスに見えてくる。
「春奈ちゃんはブスじゃないよ」
 無意識のうちに正也の口からはそんな言葉が出ていて、自分でも驚いた。春奈も驚いたように振り返ってくる。
「あ、いや……」
「その通り!笑顔が可愛くない女の子なんていないのよ。ほらほら、笑って笑って。二人とも、こっちいらっしゃいな。このラブラブメーカーが二人の相性を測定しちゃうぞ」
 また怪しげな単語が飛び出してきたと思ったら、由魅子が斜め後ろにある装置を動かし始めた。機械を縁取るハートがピンク色に点滅し出す。
「はいはい、こっち、並んで、並んで」
「え、ちょ、何ですか?」
 機械の中央に設置された画面の前に立たされる。
「プリクラ?」
 春奈は機会そのものに興味を惹かれたらしく、画面を覗き込んでいる。
「これは、写真を撮ると、二人の相性がわかっちゃうという神秘の機械なのです」
「相性がわかっても……」
「まあ、いいじゃないの。記念に。どうせあなたたち、カメラも持っていないんでしょう?」
 カメラなど持っているはずがない。遊びに来たわけではないのだから。正也と春奈は顔を見合わせたが、「はい、じゃあ、笑って」と、機械が可愛らしい声を出したのにつられて画面をのぞく。
「画面中央に二人の顔が入るように立ってね。行くよー。いち、にの、さん、ピース!」
 間抜け面をした二人をフラッシュが照らした。
 ほどなく吐き出された用紙には、十円サイズのシールになった二人の写真が並んでいた。二人の背景には遊園地の風景画合成されている。酷い出来だ。到底写真に納まって良いような表情をしてはいない。それをハートが縁取り「マドモアゼル☆由魅子の占い館。ハッピーラブラブメーカー」と書かれている。
「二人の相性98点。最高の相性です!」
 仏頂面の二人にはこの上なく似つかわしくないフレームと文章だ。この機械、果たして90点以下を出すことがあるのだろうか。
 由魅子は楽しそうに拍手をしている。
「ハサミがあるけど切り分けますか?」
 正也は全力で否定したかったが、春奈がじっと写真を眺めているので堪えた。
「津田さん、いりますか?」
「いや、俺は良いよ。よかったら、春奈ちゃんもらって」
 いらないと言うと思ったが、以外にも春奈は素直に頷いた。
「ありがとうございます」
 思わず、そんなのもらってどうするんだと尋ねたくなる。
「プリクラ撮ったの初めて」
 春奈の表情は髪に隠れてよく見えなかったが、心なしか微笑んだような気がした。女の子というものは、全く妙なものが好きなものだ。
「でも、これ、いいんでしょうか」
「え?何が?」
「ヒカルさんに悪いです」
 正也は何を言われたのかよくわからなかったが、由魅子が何故か頷いた。
「そういえば、お兄さんには心に決めた人がいるんだったわね」
「は?」
「やっぱり、お返しします。……捨てて下さい」
「え、いや、いいよ。春奈ちゃん持っててよ」
 もらったところでゴミ箱に行くのが関の山だ。春奈が喜んでいるものをわざわざ奪って捨てたいとは思わない。
「ヒカルさんって、やっぱり、津田さんの恋人なんですよね」
「え、あぁ」
「大丈夫よ。お兄さんが、この写真のことで恋人に叱られたら、お姉さんがちゃんとフォローしてあげるから」
 由魅子の言葉に納得したらしい春奈はひとつ頷いた。話の展開が飲み込めないでいると、春奈は、やはりぼそぼそした声で続ける。
「大丈夫です。シール貼るようなところもないから。とっておきます。……プリクラ、撮ってみたかったんです」
「いつか、本当に好きな人が出来たら、またおいでね」 
 由魅子は微笑んでいる。目鼻立ちが整っているというのも、もちろんあるだろうが、由魅子を十人並みからひとつ抜け出した美女に見せているのは、こういう表情のせいかもしれない。
 春奈は、にこりともせずに、ありがとうございますと言った。

5.総合案内所

 占い館から離れて、正也はいつものようにヒカルを探しに行くことにした。
 春奈に別れを告げようとして「また明日、野外ステージで」と付け足すのはおかしいだろうか。如何にもおかしい。思い浮かんだ考えをすぐさま打ち消して、「じゃあ」とだけ告げようとするのを、春奈がいつになく強い口調で呼び止めた。
「あのっ」
 動き出していた足が縫いとめられる。
「案内所には、もう行きましたか?」
「園内マップなら、もらったよ」
 入場ゲートの脇にある小さな案内所は、いつ見ても不気味なジゾウマンの顔と共に、三つ折の園内マップがおいてあるだけの、窓口も何もないところだった。総合案内所と掲げられた札の下には、ペンキの剥げかかった扉がついているが、開いているのを見た事がない。
「あの案内所、いつも、中に園長さんがいるんです。いろいろと相談に乗ってくれるんです。それで、あの、もしよかったら」
 春奈の声はだんだん小さくなって、終いには聞き取れなくなってしまった。心配してくれているのだと思うと純粋に嬉しい。遊園地には胡散臭い感情しか抱いていないので、総合案内所になど足を踏み入れたくなかったが、春奈がそう言ってくれるのならば、断る理由をは見つけられない。
「ありがとう。じゃあ、行ってみる」
 春奈は、表情こそ変えなかったものの、安堵したようだった。軽く頭を下げると、小走りに反対方向へ駆け出して行く。正也は、木立の間に消えてゆく春奈の後姿を見送った。
 
 入場ゲートの外側は、いつも濃い霧に包まれている。
 ここに迷い込んだとき、日が暮れる頃になって外に出ようとしたのだが、どういうわけか回転バーが回らなかった。慌てて出てきた職員に、「入場チケットがないと出られません」と告げられた。
 そんな馬鹿なと抗議したところ、そこでも「案内所へ行ってください」と言われたのだった。
 暗くなってゆく遊園地の中で呆然と立ち尽くしているうちに、遊園地に明かりが灯り始めた。それは決して派手なイルミネーションではなく、むしろ停電寸前なのかと疑いたくなるような地味なものだったが、橙色に灯る明かりはどこか温かく、飛び交う蛍を眺めるように、観覧車やジェットコースターの明かりが回るのを眺めていた。
 遊園地は夜中静かに動き続け、就業の知らせもないまま朝を迎えた。
 こんなに寂れたところを二十四時間営業してどうするのだろうか。

 案内所の白いペンキは剥がれ掛けていて、剥き出しになった木材が雨を吸って腐食しかけている。ジゾウマンの大きな顔と相まって、近寄ってはいけない雰囲気を全体から醸し出していた。
 今日も閉ざされているドアをノックする。
 返事はないが、ドアノブを回してみると、ドアはあっさりと内側に開いた。
 箱のような簡素で小さな空間には、カウンターと椅子がぽつんとあるだけだった。壁の掲示板には、いろいろなお知らせが張り出されている。
 室内であるにもかかわらず、暖かそうな毛糸のマフラーを巻いたまま、誰かがカウンターに突っ伏して寝ている。
 カウンター内で寝ているということは、園のスタッフなのだろう。春奈は園長がいると言っていたが、果たして。
 気持ちよさそうに、規則正しい寝息を立てているのは、年若い青年のようだった。ヒーローショーの出演者と同じくらいの年齢に見える。
 正也は思わずその顔に見入った。
「ん…ん?」
 特に物音を立てたわけでもなかったのだが、視線に気づいたのか、安らかに寝ていたはずの眉間に皺が寄せられ、長い睫がわなないた。
 何事かをぶつぶつ呟きながら、青年が瞼をこする。
「……あぁ、しまった。寝ちゃった。焼き芋パーティー終わったなぁ」
 壁の時計に目を遣って、がっくりとうなだれる。それから、ようやく青年は正也に顔を向けた。起き抜けだというのにも関わらず、青白いほどに透き通るような肌の上に、完璧なバランスで目鼻が備わっている。
「いらっしゃい。迷子かな?ご用件は」
 寝ていたことなどおくびにも出さぬ様子で言われる。どこから切り出したものかと、正也は躊躇う。
「人を探しているんだけど」
「どんな人?」
 青年は、傍らの古いパソコンを起動させた。確か通っていた小学校のパソコンルームに置いてあったと記憶にあるような古い形のものだ。ほとんど立方体に近い。
「星野ヒカルっていう、二十五歳くらいの女。ここに……来なかった?」
「ここには来ていないね。入場券、見せて」
 持っていないと告げると、青年は驚いたように目を見開いた。
「もしかして、数日前からヒーローショーを見ている男って君のこと?」
「え?」
「いつ案内所に来るかと思って待ってたんだよね。よかった、よかった」 
「……何のことだよ」
 まさかそんな風に噂されているとは思っていなかった。不愉快だ。
 青年はうっすらと微笑を浮かべていた。
 雪のような頬を、黒く艶やかな髪が縁取る様は、まるで往年の銀幕映画の中にいるスターのようだ。血の気の薄い唇が動く。
「どうして死んでしまったの?」
 正也は唖然として目の前の男を見た。
「ここは、いったい、どういうところなんだ?」
「君の視点から言えば、あの世のこの世の間ってところかな」
「あんたは何者なんだ?」
「僕はこの遊園地の管理者で、不動喜直という者だ。ちなみにあの世の住人だ」
「……幽霊ってこと?」
「うーん、まあ、そんなところ」
「幽霊って、寝たり焼き芋食ったりするんだ」
 喜直は笑った。
「僕たちは霊界に籍を置いている身だからね。塵界で生きている君たちとそう変わりない生活をしているよ。ただし、今の君の状況は違う。そうだろう?」
「……焼き芋は食ったけどな」
「おいしかった?」
 作り物めいた顔が微笑を浮かべると、ますます作り物めいて見える。喜直は「あの子達、僕の分とっておいてくれたかなぁ」と呟いた。
「ここのスタッフもみんな幽霊なのか」
「うん、まあ、そんなようなもの」
「客は」
「八割くらいはあの世の住民かな」
「他の二割は」
「あの世以外の住民だね」
 禅問答をしているような気分になる。
「生きている人間もいるってことか」
「うん。生身の人間はいないけど、塵界に籍を置いている者も時々迷い込んでくるからね。君もそうだろう。三途の川を渡った覚えがあるかい?」
「三途の川」
 渡ろうとすると、川岸でおばあちゃんが、「お前はまだこっちに来ちゃいけないよ」と言ってくれるのだという。そんな御伽噺をどこで聞いたのだったろうか。
「大きな川で、血のような真っ赤な水が流れている。あの世とこの世を隔てているものだ。この遊園地、三途之川沿いにあるから、サードリバーサイドパークっていうんだよ。正式名称は、法営三途之川公園っていう、これまた捻りのない名前がついているんだけど、カタカナの方がかっこいいかなと思って。でも、微妙に言いにくいって、概ね不評」
 喜直は、ふふ、と笑った。
「どう思う?」
「どうでもいいよ。気がついたらここにいたんだ。三途の川なんて、渡る暇もなく」
「そうだろうね。この遊園地は、三途の川を無事に渡河できそうにない魂を連れてきちゃうんだ。いわば迷子捕獲センターってところ」
 正也の脳裏に閃いたのは、通行人を攫って行く円盤型のUFOだった。
「……なんだよ、それ」
「三途の川は、泳いでは渡れないんだ。三途の川を渡ろうとすると、目の前に橋が現れたり、船が現れたり、岩が浮かんできたり、渡河するための何らかの方法が提示される。普通なら。でも、時々、川岸についているのに、待てど暮らせどそういった方法を得られない者がいる。三途の川の周辺は、長居するには危険だから、そういう可能性のある魂を、こういうところで一時保護しているんだよ」
「意味がわからない」
 喜直は「そうだろうね」と嘯いた。
「君は、このままでは、あの世にも生けず、この世に帰ることも出来ない。でも大丈夫。そういう子たちに、無事に三途の川を渡ってもらうのが僕たちの仕事だから。というわけで死んだときの状況を教えてよ」
 何がどうなっているのか一向にわからない。正也は言い知れぬ疲労感に襲われて、口を開いた。
 死後の世界がこんな風になっているなら、あらかじめ教えておいてほしいものだ。世界の宗教は一体どうなっているのだ。正也は特定の宗教を信仰したことはないが、死後の世界が、こんなにもふざけた物であると教えてくれるものの存在は知らない。
「薬を飲んだんだよ。なんの薬かは知らねえ。致死量だったかどうかも、今思うと、怪しい」
 ふむ、と喜直はひとつ頷いた。
 長い睫の下に隠れる、黒真珠のような瞳が正也を見つめる。
「それ、死にたかったの?死にたくなかったの?」
「さぁ……」
 正也は、肺に残っていた空気を全て押し出すようにして呻いた。
「迷子って、こういうことか」 
 気づいてみれば簡単な話だ。簡単すぎて泣けてくる。
「なあ、自殺って罪になるの?地獄行きになる?」
「それは十王の裁き次第だから、一概にどうとは言えない。しかし変だな。君に死ぬ意志があったのかどうかはさておき、死んだ自覚があるなら、問題なく三途の川を渡れるはずなんだけど」
「じゃあ、渡るから、遊園地から出してくれよ」
 喜直は首を振った。
「ここはサードリバーサイドパークだよ。ここが既に三途の川の河岸なの。渡れるんなら、今、君の目の前に真っ赤な大河が現れているはずだ。それが見えないということは、君の魂はさまよっているということ。君自身の心の問題かもしれないし、外的要因の場合もある。ちょっと調べるから氏名と生年月日を教えて」
「外的要因?」
「それこそ、いろいろあるさ。もし、そうなら、それを取り除くのは僕の仕事だから心配しなくていい。氏名と生年月日」
 重ねて問われたので答える。喜直は、それをパソコンに打ち込んで何かを検索しはじめた。
「一緒に死んだ女がいるはずなんだけど」
「うん?」
 善直はパソコンを見つめたまま、おざなりに相槌を打った。
「どこにいるかわからないか?」
「調べることは出来るけど」
 喜直の目が真っ直ぐこちらを射抜く。その唇が何かを言うよりも前にと、正也は言った。
「じゃあ調べてくれ。星野ヒカルっていうんだ。生年月日は、1987年の9月3日」
 喜直は、何故か驚いたように、ヒカルの生年月日を復唱した。キーボードから手を離して、体ごと正也の方に向き直る。
「星野ヒカルって、随分可愛い名前だけど、本名?」
「……だと思うよ。本人がそう言ってた」
 キャバクラで渡された名刺がそのまま本名だとは、正也とて思わなかったが、本名だよ、かわいいでしょ?と満足げに笑うヒカルの顔を見ていたらどうでもよくなった。
「本名じゃない可能性はある?」
「……戸籍を確認したわけじゃない。でも、本名だと思うけど」
 それを確認できるような公的書類を目にしたことないが、アパートに届く郵便物は全て星野ヒカルだった。彼女のことを、星野ヒカルという名以外で呼ぶ人間を見たこともない。
「それは……」
 喜直は絶句したようだった。本名でなくば調べられないと言われても仕方がない。正也は占い館でもらった「お守り」のことを思い出した。かなり不鮮明な写真だが何かの手がかりにならないだろうか。
 しかし、それを取り出すよりも、喜直の声が耳に入ってきた方が先だった。
「本名、川村春奈だったりしない?」
「は?」
 何を言われたのかよくわからなかった。
「え、いや、知らないけど、なんで?」
「いや……生年月日が全く一緒だから」
 善直の顔は相変わらず完璧に整っている。あまりにも美しすぎて直視に耐えないと言ってもいい。顔についている部品は全く同じはずなのに、何を間違えるとこんな風になるのだろうか。
 善直が何を言いたいのかを考えれば考えるほど、思考は迷宮の奥深くに迷い込んで行く。
「え?誰と?」
 正也がようやく口に出すことが出来た言葉はそれだった。
「星野ヒカルと、川村春奈が。春奈ちゃん、知ってるだろ?君と同じ日に遊園地に迷い込んできた女の子」
「知ってるけど、生年月日が同じはずないだろ。あの子はどう見ても中学生くらいじゃないか。平成生まれだろ」
「うん。でも、あの子、1987年生まれだって言ったんだ。それから、死んだのは、2001年の2月13日だって」
 正也は、思わず、カウンターの上に置かれている卓上カレンダーに目を向けた。
「11年前の話だよな」
「ところが春奈ちゃんが遊園地に現れたのは五日前なんだ。それは間違いない」
 卓上カレンダーには、西暦ではなく、地獄暦という文字が躍っている。正也は本日の日付を確認した。
「現世の暦では、2012年の12月4日だよ。いや、ときどき、あるんだけどさ。三途の川の周辺は、塵界でも霊界でもない、大深界というところで、時間の流れやら位相やらがめっちゃくちゃに繋がっているから、11年前の魂を引っ張ってくることも、ありえないことじゃない」
「え?なんだって」
「つまり春奈ちゃんだけがタイムスリップしてきちゃったという可能性もなくはない。これはまた厄介なケースが来たもんだと思っていたんだが、違う可能性が出てきたねぇ」
「え……いや……全然……」
 どこからどう見ても別人だろう。タイムスリップする可能性と、ヒカルが春奈に変身する可能性とでは、どちらが高いのか。
 正也に知る由もない。
「何か心当たりはないの?ヒカルちゃんと春奈ちゃんが似てるなと思うところとか」
「ない、ない。全くない。バカな話をしてないで、調べてくれよ。星野ヒカルって、本名だから」
「そうだねぇ……」
 喜直は溜息混じりにパソコンを動かした。
「正直なところ、頭を抱えていたんだよね。春奈ちゃんが三途の川を渡れない理由がさっぱりわからなくて。ここのところ徹夜続きだ。さあ、どこまで捜索の範囲を広げようかと思案しているうちに寝てしまった。焼き芋を逃すなんて、僕としたことが」
 疲れているのかもしれないが、突飛な発想に逃げないでいただきたいものだ。
「あんた、この遊園地の管理者だって言ったよな?焼き芋のスタッフたちが、園長の分は取ってあるって言ってたよ」
「それは朗報だ。ありがとう。あの子たち、本当にいい子に育ったもんだ」
「……あんた、同じくらいの年じゃないのか」
 喜直は、「まさか」と笑って、肩から落ちてきたマフラーを、邪魔そうに背中側へと跳ね除けた。
「あの子たちは僕の孫みたいなものだよ。ひ孫くらいかな」
 いろいろな疑問が浮かんでは消えた。張り艶のある肌を持つ美青年が、本当はしわしわの老人だというのなら、ヒカルが中学生になることもある得るのだろうか。この不思議な遊園地では。
「星野ヒカルという名前は、第一法廷の出廷者名簿にはないねぇ」
 善直はゆったりとした口調でそう言った。椅子の背に体を預け、眠たげな目をパソコンに向ける。
「……つまり?」
「まだ三途の川を渡っていない」
「生きてるってことか」
 ほとんど呆然と、正也は呟いていた。目眩がした。座っているのでなければ、床に倒れこんでいたかもしれない。知らず、カウンターに乗せた拳に力を込める。
「そうと決まったわけではないけど。一緒に死んだと言ったよね。死んだのを確認したわけじゃないの?」
 目の前が薄暗くなって、言葉は何も出てこなかった。首を動かした自覚もなかったが、沈黙を肯定と受け取ったのだろう、喜直はひとつ溜息をついた。
「可能性としてはいくつか考えられるだろう。薬を飲んだと言っていたよね。致死量に足りずに生きている。君と同じようにどこかでさまよっている。それから、このパソコン調子が悪くて、いまいち更新されていないから、もう出廷しているけど、名簿の同期が間に合っていないだけかもしれない。死んだの五日前だろう。さすがに上がってると思うんだが……、数日間昏睡状態で、昨日今日息を引き取ったという可能性もあるね。そのほかの可能性もなくはないが……。仮にそうだとしても、彼女に会える可能性は低いよ」
「なんで」
「一緒に死んだからって、仲良く手を繋いで川を渡れるわけじゃないんだよ」
 喜直は溜息をついた。その表情は沈鬱な影を纏っている。
「あの世や、来世ではきっと結ばれようという気持ちはわからなくもないけど、世の中ってのは、生きていようが死んでいようが理不尽に出来ているんだよ。そうそう上手い具合に悲恋が美談になってくれるわけじゃない。大丈夫。生まれ変わったら、今生で交わした約束など全て忘れる。君も、彼女も、幸せになれるだろうさ」
 喜直の台詞はほとんど頭に入ってこなかった。
「来世で結ばれたいなんて思ってもいねえよ。ただ……」
 ただ、なんなのか。続く言葉を、ふいに見失う。宙に浮かんだままの言葉が、目の前でモビールのように揺れていた。
 ねえ、一緒に、死んでくれる?
 ヒカルの瞳は潤んでいた。泣いているのか笑っているのかわからない。
 薬はヒカルが用意していた。これなら苦しまずに死ねるんだってと渡された大量の錠剤に、正也は無感動に頷いただけだった。無機質に光る梱包材は、どうみても慈悲深い色ではない。苦しまずに死ぬ方法なんてあるわけないだろうと、正也は思った。苛立ちに任せて、ヒカルの顔を見ることもなく、錠剤をテーブルの上に押し出してゆく。
 ねえ、正也……。
 錠剤がカラカラと音を立てるのに合わせて、聞こえた。おそらくそれが、最後に聞いたヒカルの声だ。たぶん最後まで、彼女の顔は見なかった。



読者登録

望月明さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について