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【本編】介護とは……子供が何を訴えているのか教えてくれるもの。

  僕たちのデイサービスに来ているおばあちゃん。何かあるたびに「お願いします」「すいません」と話します。トイレに行きたい、お腹が空いた、基本的欲求は僕たち介護職に伝えることができます。でも、何がしたいのか具体的に言えずにひたすら「お願いします」「すいません」と繰り返すことがあります。そんなとき介護者である僕たちは何をどうしたらよいのかわからなくなり、途方に暮れそうになります。
  そんな状況になりかけたある日のことでした。一緒の利用日に来ていたおばあちゃんがつぶやきました。 
「このおばあちゃん偉いわねぇ。自分でできなくなってもこうやってて”お願いします”だとか”すいません”って言えるんだもんね」   偉い? 僕は不思議な感覚でした。僕たちのように自分の気持ちや自分の考えを的確に伝えられる人にとっては、このおばあちゃんは自分の要求の半分も伝えられていないと思っていました。あるおばあちゃんの言葉は僕の耳にしっかり残りました。
  僕には今年5歳になる息子がいます。その息子も5歳になった今では何が食べたい、何をして遊びたい、と言えるようになりました。しかし、生まれたばかりのときはどうだったろう……。僕たち親が自分の子供が何を訴えているのか考えていたはずです。赤ん坊だったとき、僕の息子は……僕自身も、何も訴えられなかった。ただ泣くだけだった。親は僕が泣くのを見て、なぜ泣いているのか考えたのです。おむつが濡れて気持ち悪いのか、お腹が空いたのか、喉が渇いたのか、眠れなくてイライラしているのか……。介護の仕事しかしていなかったときの僕は言葉で的確に訴えられないお客様を見て、ただ茫然としていた。何をどうしたらよいのかわからなかった。
  子育てをしていく中で感じたこと。あのときただ泣いていたわが子はミルクを飲ませたら落ち着いた、紙パンツを交換したら泣き止んだ。その経験があるから考えることができた。
 目の前にいるおばあちゃんの「お願いします」は”喉が渇いている”ということだ、この「すいません」は”トイレに行きたい”という訴えだと考えることができたのです。このおばあちゃんとの介護をする中で、あのとき言葉をしゃべれなかった息子が何を訴えていたのか、考えられるようになったのです。同時に目の前のおばあちゃんが何をしてほしいのかより深く考えることができるようになったのです。

【考察】介護とは……子供が何を訴えているのか教えてくれるもの。

 
「老人は子供に戻る」「赤ちゃん帰り」
 何も知らない赤ちゃんから寝返りをして、立ち上がり、言葉を覚え、成長していきます。やがて大人になり、心身ともに成長し、年齢を重ね、今度は衰えていくのです。何もできない赤ちゃんの状態と衰えてできなくなる状態がちょうど似ていることから高齢者介護の現場ではよく聴かれます。赤ちゃんは赤ちゃん、高齢者はあくまでも高齢者でこの表現は間違っている、と話す専門職が中にはいます。でも僕はやっぱりこの言葉は的確だと感じるのです。
 ペコロスの母に会いに行く/岡野雄一の中で”人生の重荷を降ろした笑顔と人生の重荷をまだ知らない笑顔の何ともよく似たものか。”とありました。
 赤ちゃんのとき誰もが何もできない状態です。その状態から成長し、できることが増えていきます。赤ちゃんの状態から後天的にできることが増えるのです。そして、歳を重ねていき、できることが増えます。身体的に考えれば筋肉もつきます。しかし、それは永続的ではありません。筋肉は衰えます。今80歳の人が訓練をして筋力を維持したとしても20歳のときと同じ筋力は保てていないはずです。必ず衰えがくるのです。若いときと比較すれば必ず衰えはあるのです。
 そう考えるならば、脳の状態だって萎縮するのは病気ばかりが原因ではなくて、年齢を重ねれば衰えるのが当たり前、萎縮するのが当たり前、と考えていったほうがいいのではないか? と僕は日々自分に問いかけています。今まで自分でできたことができなくなり、介護現場で言われる徘徊、異食などの「問題行動」は、僕たちが赤ちゃんの状態……ヒト科のヒトとしてみれば、最初はどこに何があるかわかるはずもないし、何が食べることができて、何が食べることができないのか、わかるはずがありません。
 子育てと介護をすることで目の前のおばあちゃんの行動は生まれたばかりのわが子の行動と似ている、と考えることでどのような対応をするのか想像が膨らむことは間違いないと僕は思っています。

【参考文献】


この本の内容は以上です。


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