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幸せの青い鳥 -cyberbird-

 仕事がない。くたびれた姿の男が、街を進む多くの人間を眺めていた。男の名は永野智。永野は今日も採用面接を受け、そして落ちていた。これで十九社目。

 永野に能力がない訳ではない。不景気な訳でもない。二〇四九年、人脳とコンピュータを融合し造られた電脳が隆盛を誇り、目覚ましく発展してきた超高度情報社会の中で、人手はいくらでも望まれていたし、永野は一流と呼ぶに相応しい大学も出ている。学歴だけに頼らず、仕事を行う能力も持っていた。

 だが、永野を採用する会社はなかった。

 永野が罪を背負っているため。

 永野は電脳の視界パラメータを上げ可視領域を広げた。一瞬にして幾重もの青いラインが世界をかけめぐる。

 電子の鳥。

 人の電脳網と極大集積回路を繋ぎ情報を運ぶ亜光速の鳥たち。通常は人の目に捉えられない領域で、 街を飛び回っていた。

 幸せの青い鳥か。永野は飛び交う鳥たちを見て思う。青い鳥は街を行く彼らが、一般人であることを告げていた。

 永野は意識的に自分の鳥を飛ばす。天気予報のコマンドを電脳に打ち込んだ。赤いラインが、自然管理省に向けて伸びる。 永野の鳥は赤かった。それはつまり、罪を犯し裁かれ服役した経験があるということである。

 現代、再犯罪防止法に規定された項目によって、元犯罪者が所持する電子の鳥は赤色のみと決められていた。 赤い鳥は、情報の取得制限を持ち、場合によって利用できない公共施設もある。  現在、電脳所持率は九十九パーセントを超えている。つまり人は、目の精度を高めるだけで、隣人が元犯罪者かどうかを簡単に知ることができるようになったのだった。

 赤いラインが永野の目の前を通った。発信元を見ると、スーツを着たサラリーマンらしき男が歩いている。

 あの男も前科者、仲間か。そう一瞬、思う永野だが、男の目を見て、考えを改める。出所してから度々頭に浮かび、そして否定してきたその考えはいつでもすぐに否定された。

 目が違う。あれは人殺しの目ではない。罪を犯したことに間違いはないだろう。けれど、あの男の目に影を感じられない。

 そしてそれは、検索をかければ証明される。百億の悪魔と呼ばれる、世界共通固有の検索ソフト。そこにあの男の発した赤い鳥の情報を入れれば、あの男の前科はすぐに表示される。

 永野だけが目にすることのできる擬似ディスプレイには、男の名前とその前科が一瞬にして表示された。窃盗五件。罪に大小はないという人がいるけども、やはりそれは、人殺しという禁忌から比べれば、小さくましなものだった。

 永野は今日受けた採用面接を思い出す。自身の赤い鳥が、面接官の警告に引っかかった。そして検索を走らせたであろう彼の目は、明るかった当初の印象をがらりと変え、今すぐにでも帰って欲しいと言いたげに濁った。

 面接はそこで終了である。あとはいくら説明をしても仕方がない。

 犯してしまった事件は、情状酌量の余地がありと判断され大きく減刑されたこと、一般裁判員たちの印象も良く検察も控訴しなかったこと、服役してからも模範囚で一年も早く出所できたこと。言葉をまくしたて話したが通じることはない。まして、殺された方が悪かったなど言おうものなら、人間失格の烙印を押されさえする。

 たとえそれが本当に事実であり、殺した女が不貞で永野の金を多量に別の男たちへ貢いでいたとしても、またその判断が裁判においても仕方がないというラインにかなり近しいと認められたとしてもだ。

 模範囚という言葉が真面目で実直などという意味を持つことはない。それはただ、刑務所に服役していたという事実を声高に話していることと同じだった。一般の人間にとって、刑期や所内の規範など意味がない。永野自身も自らの立場になるまで気にしたことすらなかった。

 誰もが、自身に災いの元を近づけたくないと思っている。  人殺しになんて関わりたくないと考えているのだ。

 永野は溜息を吐いて、歩く人々から視線を外す。電脳の視角光度もレベルを落とし、視覚野を元に戻す。 辺りを飛び交っていた電子の鳥たちは、はじめから存在していなかったように、いともたやすく姿を消した。

 だからといって永野の罪が消えることも、鳥の色が変わることもないのだけれど。

 永野は、裏路地を歩いていた。未来ある人々を見ることが嫌になり、できるだけ人のいないところを歩きたいと考えていた。 電脳ナビに情報を入れ、戻り値から道を選択する。

 そのとき、突然、視界が揺らいだ。いくらか層が薄くなった青い鳥たちが一瞬チラつき、すぐに消え元に戻った。

 またか……。永野は思う。刑務所内では、電脳の使用を人として最低限の機能のみしか認められていなかったため、外に出てまた使いはじめた高性能な電脳に永野はまだ慣れを取り戻せずにいた。

 出所してから二ヶ月。そろそろ使いこなさなければ、と焦りが滲む。超高度情報社会において、電脳は全てを意味するのだ。

 ふと、目の前にさびれた駄菓子屋を見つけた。昔ながらの数十年まえにほとんど消えてしまったような姿に永野はどこか懐かしさを感じた。

 店の屋根に掛かる看板には十字屋と書かれている。永野は街の名前と店の名前、駄菓子屋のキーワードで検索をかけた。

 結果はゼロ。

 関連した語句に似た結果は返ってきたが、この場所のこの店を表す情報はない。絞り込みに加え、検索結果をさらに検索する多重スクリプトをかけたが、やはり結果は思わしくない。この店の情報はネット上に存在しなかった。

 おかしいな、と永野は思う。

 今の時代、店を開くならば必ず役所に登録し、確実にネット上に載るはずだ。

 誰もが検索をかけて道を歩き、検索をかけて目的地を選ぶ現代社会において、情報がないということは店の存在がないことを意味するのだから。

 永野は木枠のガラス戸を開け、店の中に入る。カランカランと音がなった。

「いらっしゃい」

 古びたレジスタの奥から、老婆がしゃがれた声を出す。あの……。店を軽く見まわした後で、永野が言おうとした。

 けれど老婆はその弱々しい永野の言葉を遮った。

「赤い鳥の人かい?」

 鳥の色を調べたのか。永野は少し落ち込む。駄菓子屋という懐かしい場所にあっても、逃れることはできないのかと。

「当たったみたいだねい。まあ、わたしゃ電脳を積んでないから確かめることはできんけど。別に赤かろうが、青かろうが、うちの店は関係ないよ。うちの店に来る人は、子供と赤の人がほとんどだからねえ」

 永野は意味を良く掴めずにいた。そんな様子を察したのか、それとも説明に慣れているのか、老婆が言葉を続ける。

「ここに来るってことは、電脳を積んでないか、電脳に慣れてないかのどちらかで。なんせどこにも登録しとらんからねえ」

 永野はやっと概要を理解した。この店は、無登録の違法な店であり、客足を電脳に頼っていないということだと。

 それは犯罪といえば犯罪だが、どちらかと言えば自らメリットを捨てており、ただの駄菓子屋としてならば裁かれるたぐいのもではない。

「わたしゃ電脳ちゅうんが嫌いでね、最近は電脳離人症とかも騒がれとるでしょう」

 老婆が新聞を手に取り、電脳離人症と書かれた見出しを見せる。この時代にまだ新聞などあったのかと驚きもしたが、それよりも電脳離人症という耳慣れぬ言葉を聞き、その単語を検索に走らせることを選んだ。  検索結果はすぐに返ってきた。それはここ二、三年、つまり永野が服役中に造られた言葉であるらしく、 数年前から危惧されていたネット引き篭もりに名前を付けたもののようだった。

 ネットの世界に心酔し、外を見ようとしない人間たちを表した言葉、永野自身も思い当たる節があり、そもそもこの時代の人間は誰もがその世界に片足を突っ込んでいるようにも思えた。

「電脳、電脳、そんなものばっかり見てると、現実も虚像も何もわからんようなっちゃうからねえ。偽物の情報があったって、わかりゃせんよ」

 老婆が新聞を振って憤る。その新聞にだってバイアスがかかっているだろうと思いはしたが、永野がそれを口に出すことはなかった。

 この世の情報にバイアスがかかっていないものなど存在しない。

 誰が言おうと何が書かれようと、その作成された物には、いい意味であれ悪い意味であれ、思いがこもっている。そんなものを客観的だなどというのは綺麗に整えられた林を見て自然が溢れているというようなものだし、それを注意することもまた、主観性にあふれた同じ穴の狢だ。

「てきとうに見てってね」

 老婆は新聞を振ることに疲れたのか、はたまた言葉が流されていることに気付いたのか、永野に話すことを止めた。

 新聞を開き、眼鏡をかけて読み始めた老婆から目を離し、永野は駄菓子を漁り始めた。懐かしい。見たこともないようなお菓子もあるが、それすらもどこか懐かしさを感じさせる風体をなしていた。

「ばあちゃん、来たで」

 開けっぱなしだった入口から、少年が元気に入ってきた。少年は老婆にお金を差し出すと、アイスの入ったケースを開けチューブ状のアイスを取り出す。チューブの口をくわえて捩じ切る様は、永野に自身の子供時代を思い起こさせた。

 未来が広がっていて、楽しく元気だったあの頃。その後続けた努力も何も、全てあの事件で泡と消えてしまった。

 ふと気付くと少年が黒い箱のようなものに、顔を突っ込んでいた。箱の側面には、夢映機の文字があまりに元気な色で描かれている。

「これは何ですか?」

 永野が箱を指差し老婆に訪ねた。老婆は新聞から顔を上げると、箱の方をちらっと見て、また顔を落とした。 代わりに少年が、箱から顔を出し答える。

「夢映機だよ。やってみればわかるって。一回、五百円」

 少年が永野の前に手を伸ばす。別にこの少年が店番というわけではないのだろうが常連として手伝っているつもりなのだろう。

 ここで断るもの悪い気がして、永野は少年に五百円玉を渡す。少年がその金を、老婆の座る机に置いた。

「どうするんだ?」

「顔を入れて、横のボタンを押せばいいのさ。俺が押してあげるよ」

 言われてみると、下のあたりにボタンが付いていることがわかった。永野は少年の言葉通りに、箱に顔を入れる。 一人用の映写機みたいなものか。永野は箱の中で、目の前に存在する黒いスクリーンを見て思った。

「いくよ」

 ボタンを押した音が聞こえた。そして耳の少し後ろから音楽が流れ出す。目の前のスクリーンは鮮やかで、気持ちのいい、言葉に表せない何かを感じさせた。

 まるで子供のころに鳥を追いかけて走った草原のような、ケンカして泣いた日々のような、好きな子を思って、だけど何も言えなかったあのときのような、どれも当たっているようで外れている。不思議で、不想理な感覚。

 永野の意識は夢映機にゆっくりと取り込まれて行った。

「商売繁盛で羨ましいですね。これが今月のお代です」

 さっきまでの元気だった少年が少年らしからぬ大人のような言葉遣いで話し、小切手を老婆に渡した。 「前科者なんていくらだっているんだから、ぼろい商売だよ。このおかげで潰れてもおかしくない駄菓子屋を続けられるしね」

 老婆が小切手を確認しながら言う。

「あれま、少し多いよ、この額は何だい? こんなにもらえんねえ」

 眼鏡をしっかりと直し、もう一度小切手を見てから老婆が話す。

「この男の分です。手付金ですよ。この人の臓器もうちに卸してもらえるんでしょう?」

 永野は夢映機に顔を入れたままで置物のように硬直していた。

「勝手に決めないでおくれ。うちと商売してるのはあんたのとこだけじゃないんだよ。まったく、いい歳をした女が男もつくらず毎回違う男の子の体でやってくるし、あんたも電脳離人症にかかっとるよ」

「これは趣味ですよ、趣味。男だってちゃんといますから心配しないでください」

「どうせ、お人形みたいな無表情の男なんだろう、まったく、近頃の若い者どもときたら……」

 老婆がレジ前の席を立ち、夢映機に顔を埋めたままだった永野を引っ張りだす。永野の体が床に転がる。その顔は幸せそうに笑っていた。

「いい顔ですねえ、どんな気持ちなんですか、これ?」

「どんなも糞もありゃしないよ。幸せだったころの思い出に浸るだけ。一生、スタンドアロンの情報としてうちの裏のコンピュータん中で意識だけが生き続けるのさ。体はとっくに細切れになっても、コンピュータが壊れるまでね」

 老婆が永野を引きずる。魂と呼ばれるようなもの、記憶と意識を抜かれた永野の体は無機質で重そうに地面を移動する。

「手伝っとくれ」

「はいはい」

 少年の体に入った女が、奥の座敷に運ぶのを手伝う。

「あ、そうだお釣りをはらわなきゃいかんね、まったくめんどうなことをしてくれるよ」

 永野の体を特大冷蔵庫に放り込み老婆が言う。

「別に良いですよ。これからも仲良くしていきたいですし」

「あんたがよくても、わたしゃ困るんだよ」

 レジの前に戻ってきた老婆は、机の引き出しから、札束を取り出す。

「はいよ、お釣り百万円。またおいで」

「また来るよ、ばあちゃん」

 少年はお金をふんだくるようにして、店の外に走って行った。少年であることを強調するようにしたその動きは、嘘臭く低俗的で、気味が悪いものだった。

 残された老婆が低い声で呟く。

「幸せの青い鳥なんて、どこにもいない……」


千年想

 私はクシィを突き飛ばした。
 暗い部屋。ベッドの上。寝ていた私と覆い被さってきたクシィ。
「好きなんだ」クシィが言う。「ニトラさんのことが。だからいいでしょ」
「してあげてるでしょう」わたしは吐き捨てるように言う。
「手や口なんかじゃない。したいんだよ。やりたいんだよ。愛してるから」
 それは愛などではない。ただの欲情であるとよくわかる。
「あと五年……我慢して」
 クシィの顔がゆがむ。彼だって、どうしていけないことなのかはわかっている。我慢すれば良いということも。
 だから、はじめから破綻していたのだ。
「ニトラさんだって、本当はそうなんでしょ?」
 
 目を覚ますと、目の前のホログラムに広げられた女性器が映されていた。赤子の出産シーンだ。そういえばループの設定にしていた。
 何か見たくない夢を見ていた気がする。ゆっくりとまどろみから引きもどされるにつれて、自身の指が、自らの女性器に入れられたままであることに気付いた。パンツもズボンも履いていない。ティーシャツ一枚で机につっぷして寝てしまったようだ。指を引き抜くと、まだ渇きはじめの愛液が細く糸を引いた。
 昨晩は三度イッたところまでは覚えている。数十年ぶりの新作で、興奮しすぎてしまったか。
 ティッシュで指と下をふき、足下に落ちていた下着とズボンを身につける。今はもうなんの感慨もない。
 ホログラム内の女性は、繰り返される世界で何度目かの出産をしていた。グロテスクな扉から、グロテスクな赤子が出てくる。周りを固める医者らしき人らは真剣で、こんな映像がでまわり、あまつさえ自慰の対象となるなんて考えてもいないだろう。
 赤子は叫ぶような泣き声をあげていて、母親は何かをやりとげたような涙混じりの笑顔で、私はホログラム再生機のスイッチを切った。
 鈴の音色のアラームが鳴る。今日は仕事の日だったか。まあ、別に遅れても良い。私は、目覚ましを三時間後にセットして、トイレに行ってから、ベッドにもぐりこんだ。
 この部屋には、私しかいない。今は。
 
 アラームが響き、私は目を覚ました。服を着替え、髪を少しとかしてからゴムで一つにまとめ、家を出る。自転車を漕ぎながら、職場である遊園地に向かった。
 風を切りながら進み、すれ違う人々を見て、私はあの映像を思い出していた。みんなあんな風に生まれてきたのだと。みんなあんな風に人から造られたのだと。でも、今は、子供を産むことのできる人はほとんどいない。
 あるずっと昔、今から三万年ほど前、人にはある選択が与えられた。
 永遠の命か尽きる命。
 どちらかを選ぶ薬。
 ただその永遠には条件があったのだった。薬の摂取時に、二十歳以上、二十五歳以下であり、童貞または処女であること。そして被服用者は子供を造ることができなくなる。なぜ、そのような条件なのかはわからない。神様の最後の抵抗なのかもしれない。
 だが、その薬の発生が、人類の歴史に不可逆な道を作り出したことは確かだった。
 はじめは多くの人が懐疑的であったし、法律面の問題もあり、なにより永遠の命や子供を作れなくなる体など欲しがらない人が多かったという。
 けれど、一部の人間は選択する。それは一年に、割合でいえば一パーセントにも満たなかったかもしれない。けれど、その少数の人間は死ぬことがなく、年々、永遠を手にした者の数は純増していく。そして、その割合が過半数を超えたとき、価値観の決壊が起きた。
 永遠を手に入れることが普通となり、そうでないものが極端なマイノリティとなったのだ。
 今では、九十九パーセントが永遠の命の保持者であり、残りの人間はどこかの島に引き籠もってコミュニティを形成して暮らしている。
 薬の発現から長い時間が過ぎ、世界はついに安定した。
 単純労働の仕事は、人同様の姿を持つアンドロイドに任せられ、普通の人間には日々暮らす分の金銭が国から支給されている。クリエイティブな人間にしかできない仕事のみが大きな価値を持っており、そういった能力のない人間が働くことは、ちょっと贅沢がしたいときや、労働そのものを味わいたいときに限られていた。
 私も、月に一度しか働いていないし、その仕事も今日で最後だった。
 遊園地に着き、専用の服に着替えて、観覧車の元に向かう。私が遅刻したかわりに働いていたアンドロイドと交代して、お客さんを乗せた後で、ゴンドラの扉をロックする作業を始めた。
 少ない人々が入れ替わり、観覧車に乗り込んでいく。観覧車は止まることなく動き続けている。降りてくる赤いワンピースのお客さんが、あの映像の赤ん坊に重なった。泣いてはいない。笑っている。でも、似ている。
 多くの刻を通過したこの時代、人気のあるポルノは、低年齢の人間の性行為か、出産のシーンがまとめられたものだった。どちらもこちらの国では見ることも味わうこともできないものである。だからこそ数十年の一度の新作でも多くの人間に求められているのである。永遠の命を持っている為、数十年程度のオーダーならば待つことを厭わないという理由もあった。
 カップルが、観覧車の立つこの丘へ階段をゆっくりと上ってくるのが見えた。二人は手をつないでもいないし、腕を組んでもいない。並んでいるというよりも、男性の方がいくらか前を歩いていた。それでも二人が付き合っていることを知っている。
 彼らは、毎月来るお客さんだった。いや、もしかしたら毎週、さらに言えば毎日来ているかもしれない。ただ私が働いている毎月十一日には、三百年間かかさず来ていた。
 二人は、いつも静かだった。数ヶ月に一度ぐらいに、交わす言葉から兄妹などではなくカップルであると確認できた。彼らは観覧車だけに乗って、他の乗り物には乗らずに帰宅する。
 列のできない観覧車の前で私は静かに立っていた。二人が、パスポートを提示し、私はそれを確認して、頷く。やってきたゴンドラのドアを開け、二人を赤いゴンドラの中へと促した。
 先に男性が乗り、続けて、女性が長いスカートを揺らしながら彼の隣に座る。
 この遊園地の中で、多分、二人が一番接近したときだろう。いつもいくらか離れているのに、このときだけは服がふれあう程に近づいている。
 私は、慣れた手つきでドアを閉め、ロックを落とす。そのまま進んで行くゴンドラを見送り、観覧車のモーター音だけが聞こえる丘の上で、二人のことを想像した。
 きっと手を握ることはないだろう。笑顔もなく、愛の言葉もなく、キスもない。ただ二人で同じ景色を見つめている。そうして、二人で違うことを考えている。それで幸せなのだ、と考える。
 私は、あのカップルの男の人が好きだった。この二人が好きだったから、自分も同じようになれたら良いなと思っていた。だから、この二人がいつか別れたら、告白しようと思っていた。けれど、三百年、彼らは変わらない月日を過ごしている。
 十分後、観覧車は一周し、彼らを乗せたゴンドラが戻ってくる。私が、赤い扉を開くと、女性がふわりと降り、それから彼が続いた。子宮から生まれる子供達のように。
 あなたが好きです、と言ってみようかと思った。
 けれどやはりしなかった。二人の関係は完璧であったように思うし、その言葉で亀裂が入るようならば、この二人を好きにはならなかっただろう。
 勝ち目のない勝負なのだ。
 私はいつも通り、二人の無表情で幸せそうな背中を見送った。
 
 夕日が落ちて、営業時間が終了した。観覧車は錆びついた音をはき出しながら、その鈍重な動きを止める。長い長い間、補修を繰り返されて動いてきたこの観覧車も今日で役目が終わる。一週間後から解体作業がはじまり、ここには別のアトラクションが建てられることになっていた。
 だから私の仕事も今日で終わりだった。だからといって、送別会だなんだとイベントはない。この遊園地で働いている人間はアンドロイドを除けば十人にも満たないし、その人達が今日、来ている保証もない。
 いつもどおりシャワーを浴びて、着替えると、私は自転車に乗って遊園地を後にした。髪は結ばず風に自由になびかせて。
 郊外を抜け、街に入り、私は美容院を目指した。今まで利用したことはなく、一ヶ月ぐらい前に届いたダイレクトメールで存在を知った店だ。
 髪を切ろうと思う。
 失恋したなどの理由で。
 なんてこどもっぽい理由だろう、一瞬、なつかしさをおぼえる。
 店の前に、自転車を止めて、中へ入る。アンドロイドが出迎えてくれた。店の主であるらしい青年は本を読んでいたが、こちらの顔を見ると様子を変えて、接客に乗り出した。
「どのようにしますか?」青年が言う。
「ショートにしてください、ばっさりと。失恋したので」私は席について答えた。
 その言葉に青年が表情を曇らせた。
 そのまま無言で、過ぎていく。椅子が動かされ、シャンプーが始まった。やわらかい手つきで、頭と髪が洗われていく。
 私は、十年前を思い出していた。そのころ、少年を拾ったのだ。
 あちらのコミュニティから逃がされたのであろう少年、名前はクシィと言った。まだ十歳程度の少年は、法律を破り、命の危険を乗り越え、量子転送装置を経て、こちらの世界にとばされてきた。
 本来ならば、人体を再生する保証のない転送装置で、子供を送ることなどありえない。だが、あちらの世界からこちらへの転送は、まれに聞く話ではあった。
 向こうの世界では、永遠の命を得ない者の人口を保持するために、年に一度、十歳になったものたちへの儀式が執り行われる。式典というにはおぞましい姦通の乱交騒ぎ。
 年端のいかない子供達が、無理矢理、性行為を行わせられる。同年代の者ならばまだ良いが、儀式という名を借りた年上の人間からの野蛮で強制的な性暴力もあるという。父、あるいは母からなど近親間の拒否権のない暴力。
 なぜ、そこまでしなければならないのかはわからない。プリミティブな寿命という概念にいつまでも囚われているせいなのか、いずれ崩壊するコミュニティの延命に何かの意義を見いだしているのだろうか。
 そのせいか、だからこそか、子供の頃にそういった体験を受けて、疑問に思った親、自分たちの子供をそういった行為に差し出したくない親が、こちらへ子供を送りつけることがある。
 クシィはそのような理由でこちらへやってきた。
 そんなクシィを拾った私は、国に申請を出して、一緒に暮らし始めたのだ。彼が十五歳になったときに離れるまで。
「昔、私がシャンプーしてあげたよね」私が言う。
「そうですね」クシィが私の髪を洗いながら答える。「おぼえてます。ニトラさん、下手だったから、シャンプーハットしてても目に入って」
 別れたころの面影を残してはいたが、彼はもう立派な大人になっていた。薬を摂取し、永遠の命を手に入れて。
 会話は少なく、彼はもくもくと作業を進めていく。私の髪は切り落とされて、布をたどって床にこぼれた。
 クシィと暮らしていたとき、はじめは楽しかった。子供というものを久しく忘れていたし、三万年続いてきた変化の乏しい生活の中でクシィの出現は、大きな特異点となった。
 けれどそんな生活は長くは続かない。
 国の承認を求めた際、委員会のアンドロイドに忠告されたように、クシィが成長し、大人になるにつれて男女という問題から離れることができなくなった。
 こちらの世界では、薬を摂取していない者との性行為は重罪とされていた。人の将来を奪うのである。ずっと昔で言えば殺人罪に等しい行為だった。
 だからクシィが大人になるまではできない。
 それは私もクシィもわかっていた。頭では。
 あのとき、私は彼を大切に思っていたが、それは男女間の愛情ではないともわかっていた。母性と、めずらしくなった子供への性的な好奇心という欲情でしかなかった。クシィからも欲情以上のものは感じなかった。
 そして、どうしようもなく、欲情に負けそうになったとき、
『ニトラさんだって、本当はそうなんでしょ?』
 その言葉を、声を聞き、あのクシィの顔を見たときに、彼を施設に預け、離れることを決めた。
 それから五年。今日、成長した彼の顔を見る。真摯に髪を切っていたクシィが鏡越しに微笑んでくれた。
「終わりました」
「ありがとう」
 料金は国から払われる。だから私は立ち上がり、ただの客として出口の方に向かう。そんな私を追いかけるように、背後から声が聞こえた。
「俺の気持ちは変わってないよ」
「私はよくわからない。あなたの顔を見て……」私は言葉を詰まらせる。「だから次にここへ来るときまで待って」
 クシィがあのときのような顔を見せる。それでも答えてくれた。
「わかった。待ってます」
 彼にとって、この五年は、人生の四分の一にあたる長い期間だった。私にとって、五年とは人生の一パーセントにも満たない、一瞬の時間だった。
 だからわからない。
 クシィにそのような気持ちを持っているのか。クシィが私にいだいている気持ちは本物であるのか。ただ、子供の頃に植え付けられた虚構ではないのか。
 私は、クシィに微笑んで店を出る。私は観覧車の二人のようにクシィを本当に愛したいと思う。
 だから千年後にまたここに来ようと思う。
 クシィはいないかもしれないけど。

ばいばい

「ごみすて、ごみすて、楽しいな」
 一体の機械人形が歌を終えると、月面基地のマスドライバから稲妻のようにコンテナが宇宙の彼方へ射出されました。
「ごみすて、ごみすて、楽しいな」
 彼の歌が射出の合図とでもなっているかのように、コンテナにゴミを詰め終え、歌が終わるとコンテナは宇宙へ飛び立ちました。
 彼の名前がごみすて君である確率は、ヴィトゲンシュタインが「神は死んだ」と言ったのと同程度あると推定されています。
つまり彼の名前はギムでした。そうである確率は、「神は死んだ」と言ったのがニーチェでないというのと同程度のようです。
 どちらにせよ彼の名前を呼ぶような人は存在しないので、ここでは、ごみすて君と呼ぶことにします。
 ごみすて君はいつも一体で、働いています。空気がなく、衝撃がすごいこの場所に、人が生きて足を踏み入れることは難しいのです。
「ごみすて、ごみすて楽しいな」
 轟音とともに打ち出されるコンテナ。ごみすて君は、たまに考えます。何で、人間はこんなにごみを増やしたのだろうと。
 答えはわかりませんでした。ただ仕事なので、続けます。仕事とは考える必要のないものなのです。
「どうだ? 順調か?」見回りの先輩機械人形が声をかけて来ました。
「マニュアル通りにやってます」と、ごみすて君が答えました。
「ならいい、続けてくれ」先輩、機械人形が帰ろうとしました。
「あの質問があるのです」その問いに、先輩は「何だ?」と応答してくれました。「あとどれぐらいありますか?」
「一つのコンテナに百として、今、半分といったところだから、残りはだいたい三千万回だな。その後、百回ほどの残作業があるがな」
「どうして、人間は無駄にゴミを作ったのですか?」ごみすて君は質問を続けました。
「愛だとかLOVEって知ってるか?」ごみすて君は「イエス!」と答えました。ゴミに、I LOVE NYとか、愛院手太淫とか、よくプリントされていたのです。
「それのせいだよ。人間は愛を信じられないから、言葉を繰り返して、それすらも信じられないから、ゴミを作る。できたゴミを眺めて、愛があるんだって確認して安心するんだ。できたときには、もう消えていたりするのにな」
 先輩の言葉は、ごみすて君にはよくわかりませんでした。ただ人間はすぐに壊れてゴミになることがわかってるのに、それでも無駄にゴミを作り続けてきたのだなと思いました。それももう終わっていますけどね。
「残り半分、作業を続けてくれ」先輩が去り際に言いました。
「わっかりましたー」とごみすて君が敬礼し答えます。
 今日もごみすて君は歌っていました。
「ごみすて、ごみすて、楽しいな」
 死んだ人間たちを詰め込んだコンテナが、霹靂のような音と衝撃で打ち出されます。
 あと半分かあ。最後は、さみしいだろうなあ。ごみすて君は思いました。最後の一体は、ごみすて君なのです。
 死体となって地球を汚す人を捨て、最後は作業を終えた機械人形、みんなを捨てるため、ごみすて君は今日も働きます。最後のコンテナに一体乗って、宇宙の彼方へ飛んでいく自分を思って、ごみすて君は呟きました。
「楽しみだなあ」

奥付



ミライカナイ


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著者 : 犬子蓮木
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発行 : もふもふ出版


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今回の作品はすべて2chのBNSK(文才ないけど小説書く系列の)スレへの投下作品を適宜修正したものとなっています。
  幸せの青い鳥 -cyberbird- 
  千年想
  ノンタイトルを改題

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ご興味のあるかたはそちらも見て頂けますとうれしいです。

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