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第十三章 六本木一町目

 諒輔は毎日、神崎の運転する普通の国産車で財団の事務所に通った。神崎はクラシックカーで送迎したいようであったが、それだけは勘弁して貰いたいと頼んだのだ。屋敷は崖の途中にあり、駅まで距離があるので、車での送迎はありがたい。でも、こんな事では運動不足で肥満になりはしないかと少し心配でもある。そこで、暇さえあればスポーツジムに通って筋肉トレーニングに励んでいるのであった。

 午前十時頃、桜坂の財団事務所に着くと、エレベーターで三階に上がり、出されたお茶を飲み、葛城や他の職員と雑談を交わし、その後決裁書類に署名するなどの雑務を処理する。それ等が終わると、二階の会長室に行くと告げて、エレベーターに乗り込み地下の財団本部の会長室に向かう。

 

 その本部会長室では、このところ連日のように阿修羅教団対策の協議がなされていた。

「神崎さん、阿修羅教団の新しい情報は入って来ませんか」

 諒輔も手を尽くして調べているのだが、教団の過去の歴史は分かっても、現在の彼等の所在地は勿論、その組織、リーダーと目される人物など皆目分からない。

「我々の調査だけでは限度があります。ここは国家権力を借りるしかないと思いますが」

 神崎の提案に葛城と遠山が同意した。阿修羅教団は、その発足以来、反国家権力の団体であり、現代においても警察などが監視を続けているのだろう。

「国家権力に頼るのは、気が進まないけど、事は急を要するので、それも仕方ないか」

 諒輔の言葉に応じて葛城が意見を述べる。

「えぇ、我々は既に二回も彼等の襲撃を受けています。最早猶予はなりません、手段を選ばず対処するべきと存じます。つきましては我が裏土御門の一族に連なる者に、警察庁で公安関係を担当している者がおりますので、この者に協力して貰えばどうかと思いますが、如何でしょう」

 諒輔としても異存は無かったので、葛城がその人物と接触し、協力を求めることにした。

 

 その数日後、接触を図っていた人物が、財団の表事務所二階の会長室を訪れた。その人物は歳の頃は四十台後半、職業柄か目付きが鋭い。渡された名刺には《警察庁警備局参事官 日野達明》とある。この日は葛城と神崎が同席している。

「こちらからお伺いするべきなのに、お越しいただき申し訳ありません」

 諒輔は素直に、無礼を謝った。

「いえ、裏土御門陰の長者のご用とあらば、我ら一族の者、馳せ参じない訳には参りません」

 日野はどこまで本気なのか、芝居がかった真面目な態度を崩さない。

「私は陰の長者と申しましても、このような若輩者です。お気遣いなどしないで下さい」

「そうですか、いや実を申しますと、もっと年配の方かと思っていました。それに、安倍の血を引いていないとか」

 日野もどうやら、諒輔が陰の長者になったことに懐疑的なようである。

「えぇ、その通りです。安倍の血は引いていません」

 諒輔はそう言いながら、右手をさり気なく上げた。すると会長室のドアが開き、犬麻呂と牛麻呂が茶碗と菓子を捧げ持って入って来て、それ等を日野の前に置くと、一礼し部屋の隅に下がった。日野はこの様子を驚きつつ眺めていた。日野には式神の姿は見えないので、ドアが自動的に開閉し、茶碗と菓子が空中を浮遊してきたと映ったのだ。

「あぁ、式神を遣ったのですね」

 日野も裏土御門の一族、直ぐそれと察した。

「えぇ、最初は皆さん、中々信じてくれないので、このような手品紛いのことをしてお見せしました」

 諒輔が目配せすると、犬麻呂と牛麻呂は腰に差した扇子を開き、応接のテーブルに置かれている名刺を左右から煽いだ。日野は諒輔、葛城、神崎の名刺をテーブルの上に並べて置いていたのだが、それがふわふわと舞いあがり、三羽の蝶と化すのを見て頭を下げた。

「いやどうも、申し訳ありません。あなたが陰の長者になられたこと、頭では納得していた積りでしたが、こうして実際に会ってみると、つい疑念が生じました」

「早く信じて貰わないと、これからの話が進みませんので、手っ取り早いやり方をしました。子供騙しのようで失礼しました。それでは式神を引き下がらせましょう」

 諒輔は呪を唱えると、蝶はテーブルに降り立ち元の名刺になった。犬麻呂と牛麻呂も霞んで行き消え去った。納得した日野が話した阿修羅教団の情報は、概要以下のようなものであった。

 

 阿修羅教団の本拠はその歴史にあるように今も比叡山の山中にある。しかしそれは名目的なもので実際の本拠は六本木の高層ビルに在る。教団のリーダーは、役行者の生まれ変わりと自称する凌霄院月瞑(りょうしょういんげつめい)という者で、十年程前に教団の長老達を力で排除し、実権を掌握した。

 月瞑は天台・真言の両密教の他に西洋の黒魔術やオカルト教団の呪術などを自在に駆使する異能者で、教団の者全てが彼に絶対忠誠を誓っている。月瞑は教団の弱点が経済力の劣弱さにあるとして、これを克服するために、コンサルタント会社を設立し収益の柱にしようと企てた。

 月瞑はマインドコントロールの法に長けていたので、最初の頃は社員研修を請負う事業を行ってきた。研修を受けた社員の意欲が上がり、その結果、会社の業績が上向いたとの評判が立ち、それからは順調に規模を拡大し、現在では経営コンサルタントと人材ビジネスを事業の2本柱する中堅企業へと変貌を遂げている。その急成長振りは、経済界でも話題になるほどである。その会社の名前はシュラ・コンサルタンツと言い、代表取締役には月瞑が就任し、他の教団首脳も役員に名を連ねている。

 教団の戦闘組織の根拠地は、箱根にあり、表向きはシュラ・コンサルタンツの研修センターと言うことになっている。その中では、少林寺拳法や丈術などの格闘技、銃器、爆弾の取扱いなど、テロリスト養成所と変わらぬ訓練がなされている模様だ。更にはサリン等の毒ガスが製造されている節があり、公安当局の捜査員を過去に何度か潜入させようとしたが悉く失敗している――――

 

「シュラ・コンサルタンツの経営内容は、資料を置いて行きますので、後でゆっくりご覧下さい。それ以外に何か質問はありますか?」

 日野は説明を一先ず終えると、諒輔、葛城、神崎の顔を見回した。

「先日、彼等の襲撃を受けたのですが、その襲撃隊のリーダーは、一見すると、長髪、色白で女のようにも見える男でした。心当たりはありますか」

 諒輔の問いに日野は躊躇なく答える。

「あぁ、それは月瞑の右腕で戦闘部隊を束ねている、横川玲雪(よかわれいせつ)と言う者でしょう。彼も呪術を操ると言われています」

「私からも質問があるのですが良いですか」

 葛城は、日野が頷くのをみて、質問を続ける。

「公安は彼等を、強制捜査する計画はないのですか?」

「我々は注意を持って彼等の監視を続けています。先程もお話したように、最近オカルトの残党が合流し、サリンなどの毒ガスの開発に着手したとの情報を得ています。現在その確認に注力しているのですが、彼等のガードは鉄壁で手を拱いておる処です。その証拠が無い以上、直ぐに強制的な捜査は出来ないのです」

 公安警察と雖も、法治国家の枠組みでは、無茶な事はできないのであろう。しかし、今日の日野の話はとても参考になった。諒輔達は口々に日野に厚く礼を言い、日野が事務所を出るのを葛城と神崎が入口まで見送った。

 日野が帰った後、シュラ・コンサルタンツについてインターネットで検索し調べてみた。

 入居しているビルは、六本木ガーデンヒルズタワーと言う名称で、地上四十五階地下二階建て、屋上には緊急離着陸用のヘリポートが設けられていた。溜池山王の隣駅の六本木一丁目駅に地下で直結しており、メーンのオフィス棟の他に、レストランなどがテナントとして入る商業棟や、高級レジデンス棟が併設されている。それを知った葛城は「灯台下暗しとはこの事ですなぁ」と旧い諺を呟いて驚いている。インターネットの地図を見ると、桜坂を上がりスペイン大使館の前を通れば徒歩で十分もあれば行ける距離である。

 教団の最高指導者でシュラ・コンサルタンツ社長の凌霄院月瞑についても、インターネットで調べてみた。

 十年ほど前の、シュラ・コンサルタンツ創立当事の新聞インタビュー記事と写真があった。修験道を取り入れた研修の厳しさや、研修の成果を絶賛する利用企業の声などが記事として紹介され、研修生の前で講義をする坊主頭、サングラス姿の月瞑の写真を数点見ることが出来た。企業社員研修のカリスマ的な存在になってからは、マスコミの取材を一切拒否することで、月瞑のカリスマ度は更に増幅しているようだった。

 

 日野が財団事務所を訪れた翌日、天気も良かったので諒輔は散歩を兼ねて、六本木ガーデンヒルズタワーまで歩いて行った。このビルは城山と呼ばれる台地の西斜面に建てられており、四階が車寄せ付きの正面玄関になっている。その前に立って総ガラス張り地上四十五階のタワービルをしばらく見上げていると、眼が回るような感覚に囚われた。首筋をほぐすために、首をぐるりと回してからエントランスに向かった。

 警備員が入り口で警備しているが、呼び止められることもなく中に入ることが出来た。エントランスの壁面にテナント企業の名前がずらりと掲示されている。その中にシュラ・コンサルタンツの名前があった。三十五階、三十六階、三十七階の三フロアを使用しているようだ。今日は外見だけ見て帰る積りでやって来たのだが、ついでだから、事務所の様子も見てやろうと思い、シュラ・コンサルタンツの研修用受付がある三十五階に行ってみることにした。

 乗り込んだエレベーターは途中で止まることなく、直ぐに三十五階に到着した。諒輔が受付に近づくと、可愛らしい受付嬢が立ち上がり礼をした。

「シュラ・コンサルタンツにようこそ。研修生の方は受講票をご提示下さい」

「いぇ、研修生ではありません」

 諒輔は何と言えば良いか素早く思案した。妙案は浮かばない。

「それでは、研修の見学でしょうか」

「あ、はい。そうです。見学したいのいですが」

 願ってもない受付嬢の言葉にほっとする。

「それでは、こちらの見学申込書にご記入下さい」

 受付嬢が、にこやかに差し出す申込書を受け取る。会社名、会社所在地、見学する者の氏名と所属部署、役職名、連絡電話番号、見学の目的などを記入しなくてはならない。仕方ないので会社名の欄などは以前勤務していた、日本不動産タイムス社のものを書き込んだ。氏名は、あのろくでもない上司であった島田洋一とし、役職名も彼の肩書である新聞局長としておいた。見学の目的は思いつくまま出鱈目なものを書き入れ、書き終わった申込書を受付嬢に渡す。

「それでは、この入館証を付けて少しお待ち下さい。研修広報担当がご案内いたします」

 自由に研修フロアを見て回れるという思惑は外された。しばらくすると如何にもやり手と言う感じの眼鏡をかけた女性が出て来た。受付嬢から受け取った諒輔が書いた見学申込書に素早く目を通すと、こちらに歩み寄って来る。

「島田様、どうもお待たせしました。私、研修広報担当の鮫島と申します」

 名刺を渡されると、こちらも名刺を渡さなければならないので困る。

「ちょうど名刺を切らしてしまって済みません。日本不動産タイムス社の島田です」

鮫島と名乗った女性は、ちらっと嫌な表情を浮かべたがすぐ打ち消し「ではご案内いたします」と先に立って歩き出した。

「このフロアの研修施設は、過去に弊社の研修を受けたことのある者、つまりリピーター向けのフォローアップ施設です。初めての方は、箱根にある研修センターで合宿形式による研修を受けていただいております」

 通路を進んで行くと、左手に研修生が憩う為のラウンジがあり、良い匂いが漂って来た。

「良い香りでしょう。弊社が独自に開発・製造したアロマです。もしお気に入りましたら、ラウウンジの売店でもお買い求めが出来ます」

諒輔が『いや、結構です』と言うように手を振ると、鮫島はあっさり先に歩き出した。

「ではこちらの部屋にどうぞ……」

 最初に案内された部屋に入ると、大勢の人が喚く声が大音量となって耳を圧した。

「この部屋ではあらん限りの大声を出すことにより、羞恥心などの邪念を払う訓練をしています」

 鮫島もこれ等の人に負けじと大声で説明する。女性を含む研修生と目される五〇人ほどの人達は、作務衣のような研修服を身につけ、ネームプレートを首から下げている。額や首筋の血管を浮き上がらせ、顔を紅潮させて何やら叫び、喚いている。各自がてんでばらばらに喚くものだから、何を言っているのかは分から無い。こんなことをして邪念が払えるか疑問に思ったが、諒輔は感心した風を装い、数度大きく頷いて見せ部屋の外に出た。

「いきなりでびっくりされたでしょう……大声を腹から出す、これが当社研修の基本その一です。この訓練は研修センターの中だけでなく、繁華街や駅前でも行っています」

 繁華街や駅前で訳の分からぬ事を喚かれては、聞かされる方はさぞ迷惑だろう。

「ところで島田様、当社の事はどちらからか紹介などあったのでしょうか」

「えぇ、取材先の企業などからかねがねシュラ・コンサルタンツの評判を聞いていましたので」

「成程、それで、御社の従業員は如何ほどですか?」

 どうやら見学する者をただでは返さない腹積りのようだ。

「うちは零細でして、四十人ほどしかいません」

「いぇいえ、四十人も従業員がいらっしゃれば、ご立派ですわ。弊社の研修の一つの特色ですが、二十人・三十人と言った中小企業が多くご利用しております。尤も弊社の研修を受けて、大きく業績を上げ、現在大手企業に成長したクライアントも数多くございますが」

 さり気なくPRを混ぜるとは、鮫島は思った通りのやり手である。

「どうぞ、こちらの部屋にお入り下さい。今度は静かですから話される時は小声でお願いします」

 案内された部屋は、入った部分が靴脱ぎ場になっており、脱いだ履物を収納する棚が左右に幾段も設けられている。その奥は一段高くなった畳敷きの大広間になっていて、三十人ほどの研修服を着た人達が座禅のような姿勢で静かに座っていた。諒輔と鮫島も靴を脱いで広間に上がると、香の匂いが鼻を打った。鮫島が諒輔の耳元で、ひそひそ声の説明を始める。

「こちらは瞑想の間です。弊社では禅とヨガ、更にはキリスト教の修道士が行う無言の行などを取り入れた独特な方法で瞑想が行われます」

 部屋の奥には、研修講師と思われる丈の長い黒服を着た男が棒を持って立っていて、鮫島を見ると一礼した。

「この研修は私も気に入りました。これなら良いですね」

 諒輔は思ったままを口にしたのだが、鮫島は先ほどの大声を発する訓練が否定されたと感じたのだろう、眉間に皺を寄せた。

「あ、いや、先程の研修はちょっとびっくりしただけで、中々良いんじゃないでしょうか」

 諒輔は卒なくフォローする。

「瞑想、これが当社研修の基本その二です」

 鮫島は諒輔の言葉に機嫌を直したようだ。

「それでは、そろそろ参りましょうか。次にご案内するのが、弊社の研修で最も重要と位置付けられているものです」

 鮫島に催促されて、その部屋を後にすると、廊下の一番奥まった所にある扉の前に着いた。

「少しお待ち下さい」

 鮫島はそう言うと、首から下げていた身分証をセキュリティ端末にかざした。

「本日は社長が講師を務める研修が無かったので、こうして中をお見せすることが出来るのです」

 鮫島は勿体ぶっておもむろに扉を開いた。中は劇場のような造りで、入った右手が舞台になっており、台上には大きな演台が置かれている。左手は劇場の椅子と同様のものが二百席位並んでいた。

「こちらの講堂は、研修の最終日に、社長の凌霄院月瞑が訓話をする場となっています。

この訓話こそが弊社研修システムで最も重要なところでして、訓話を聞いた研修生は誰もが深い感銘を覚えずにはいられないのです」

 諒輔は先程から何やら息苦しさを覚えていた。体調が悪いわけではないのに、この部屋に入った途端、気分が優れなくなったのだ。

「社長の凌霄院月瞑は研修指導のカリスマと世間で言われていますが、それ以上にとても大きなパワーをお持ちの方です。凌霄院月瞑の訓話、これが当社研修の基本その三です。

勿論、欧米流のメソッドやカリキュラムも用意しておりますので、お客様のどのようなご要望にも対応した研修システムのご提案をさせていただきます。ただ、カリキュラムでどうしても外せないのが、凌霄院月瞑の訓話です……」

 鮫島は淀みなく話していたが、そこで一旦言葉を区切り、諒輔の様子を窺うと話を続けた。

「では基本的なことはご理解いただけたと存じますので、別室で詳しく御社のニーズなどお聞きしましょう」

 諒輔は更に息苦しさが増していた。

「折角ですが、何やら先ほどから気分が悪くて仕方ないのです。相談はまた後日と言うことにしていただけませんか」

 鮫島は今度ばかりは露骨に顔を顰めたが、言われてみれば確かに諒輔の顔は青ざめ、気分が悪そうである。

「そうですか、それでは仕方ありませんね。研修のご相談は私が承りますので、いつでも電話して下さい」

 鮫島はなお未練がましい様子であったが、それでも諒輔を研修受付まで送ってきた。

 

 研修受付の前に戻った諒輔はやれやれと言うように、大きく伸びをした。あの部屋を出た途端、気分の悪さは嘘のように何処かへ行ってしまっている。このまま帰ろうと思ってエレベーターホールに来たが、月瞑にどうしても会ってみたいという思いが湧き出した。カリスマにして、偉大なパワーを持つと言う敵の首領に是非にも会って、どのような人物か、この眼で確かめたいという衝動が抑え切れなくなっていた。駄目もとで行ってみよう。諒輔はエレベーターに乗ると三十七階のボタンを押した。

 役員室受付は、三十五階の研修用受付よりずっと重厚な雰囲気で、一段と美しい受付嬢が座っていた。諒輔の姿を認めるとその受付嬢は立ち上がり、キャビンアテンダントのような笑みと姿勢で辞儀をした。

「シュラ・コンサルタンツにようこそ。こちらの受付は役員専用の受付となっております。弊社のどの役員にご用事でございますか?」

「凌霄院社長にお目にかかりたい」

「えーと、失礼ですがどちら様でしょうか」

 受付嬢は手元の来客予定リストを見ながら怪訝な顔をしている。

「私はこう言う者です」

 諒輔は財団会長の名刺を差し出した。

「あのう、すいません。アポイントは取られたのでしょうか?」

「いえ、思い立って突然やって来たのです。アポは取っていません」

 受付嬢は困惑した表情で「お約束のない方とは、どなたであっても社長はお会いになりません。申し訳ありませんが、アポイントをお取りいただいて出直してきていただけないでしょうか」

 至極当然の申出であり、諒輔としてもこれ以上我儘を言って、この美人受付嬢を困らせる積りは無かった。

「それもそうですね。では、こう言う者が挨拶に来たと伝えて置いて下さい」名刺を受付嬢に預けると、踵を返した。

 諒輔がトイレで小用を足し、三十七階のエレベーターホールで下りのエレベーターが来るのを待っていると、ヒールが床を打つ音が近づいてくる。かなりの早足のようだ。

「待って下さい、お客様。社長がお会いになるそうです」

 先ほどの受付嬢が息せき切って走ってきた。

「あぁ、間に会って良かった。下まで行ってしまわれていたらどうしようかと焦りました」

いかにもほっとした表情である。

 

 役員受付の前には社長秘書と名乗る女性が待っていて、役員フロアの最奥の社長室まで案内した。秘書がノックしドアを開けた。

 室内には、二人の男が待っていた。一人はあの玲雪という長髪、色白の男。もう一人は、坊主頭、サングラスの男であった。坊主頭が凌霄院月瞑に違いない。

「驚きましたな。陰の長者自ら、それも一人でお越しになるとは」

 月瞑はサングラスをしたまま、歩み寄って来た。

「ご近所の誼(よしみ)で参上しましたが、ご迷惑でしたか」

「いやいや、大胆なことと感服しておるところです」

「そちらの方は、先日、当方にご挨拶に来ていただいているようですね」

 諒輔は玲雪に目を向けた。玲雪は怒りの眼差しで諒輔を睨みつけている。月瞑の下知一つで、今にも飛びからんばかりである。

「そうでしたな、玲雪とはすでに顔馴染みの間柄とか……申し遅れました。私が凌霄院月瞑です。以後お見知り置きを」

「私は三輪諒輔、忠彬様の後を継いだ者です」

 長い間に亘り抗争を続けてきた組織の首領が、こうして穏やかに相見えるのは過去の歴史にも無いことであろう。

「どうぞお座り下さい。今日の所はコーヒーでも飲みながら世間話でも致しましょう」

月瞑に言われて諒輔は椅子に腰かけた。

「いや、そう長居はする積りはありません。一目、阿修羅教団の頭領の顔を拝見出来ればと参上したまでで……サングラスはいつもされているのですか?」

「このサングラスがお気に障ったようですな。他の者には決して素顔を見せないのですが、他ならぬ陰の長者のご要望のようなので、どれ外しましょう」

 素顔を決して見せない月瞑のその言葉に玲雪は驚いて目を見開いている。

 月瞑がサングラスを外し、その顔の全貌が明らかになった。歳の頃はまだ四十歳前後であろうか、若手歌舞伎役者のホープと世上騒がれている名門御曹司にそっくりな端正な顔立ちである。しかしその御曹司と決定的に違う所があった。その両眼の瞳は血のように真っ赤だったのである。端正な顔立ち故に、瞳の不気味さが何倍にも増幅されている。

「生まれた時はこれ程赤くは無かったそうですが、私の目を見た母は驚き悲しみましてね。長じるに従い、更に私の瞳に赤味が増すと、母は私を気味悪く思うようになったのです。その頃、父の知り合いの修験者が私を見て『この子は、不動明王か、役行者の生まれ変わりに違いない』と言いまして、その修験者が幼い私を引き取ったのです。母にとっては化け物を追い払ったという気持ちでしかなかったのでしょう」

 月瞑は、言葉を区切ると、ゆっくりとした手付きでサングラスを掛け直した。

「それからはその修験者の下で、それは厳しい修業を科せられました……もうご想像が付いたと思いますが、その修験者は阿修羅教団の幹部だったのです」

 玲雪は隣の月瞑の横顔を、潤んだ目でじっと見つめ聞き入っている。諒輔も月瞑が敵だということをしばし忘れ、幼い月瞑の心境を思いやり、つい、しんみりとしてしまった。

「この話は教団の幹部には何度も話しているはず、玲雪までが真剣に聞き入ってどうする」

「いえ、月瞑様。この話、何度聞いても切なくて」

「泣くな、玲雪、陰の長者に笑われるぞ」

月瞑はそう言うと、玲雪の肩に手を回し優しく抱いた。諒輔は見てはならない場面を見てしまったように感じられ、思わず顔を背けた。そんな諒輔の反応を敏感に感じ取ったのであろう、玲雪が突然激高して立ち上がった。

「おのれ、我々を馬鹿にするか。ただではおかんぞ……月瞑様、我ら二人で掛かれば、例え陰の長者であろうと、容易く討ちとることが出来ます」

 玲雪は白皙を紅潮させ、月瞑に攻撃許可を求める。

「まぁ、待て。攻撃する機会は、これから幾らでもある、今日は両首領が相見えた歴史的な日だ。このままお引き取りいただこうではないか」

「私もそろそろ、お暇いただこうかと思っていたところです。これで失礼いたしましょう」

月瞑は、まだ激高が納まらない玲雪を手で制し、インターフォンを押して秘書を呼んだ。


第十四章 箱根仙石原

 八百子が財団事務所に諒輔を訪ねてきたのは、月瞑に会った翌々日のことであった。諒輔は八王子から離れるにあたり、世話になった栗原運輸の社長と八百子に、お礼の葉書を出した。その中に、財団の所在地と電話番号も書いて置いたのである。 

 八百子は都心で同窓会が行われると聞いて最初は参加を見送ろうと考えたが、友人に説得されて出席することにした。これまでの同窓会は八王子の市内で開かれるのが常であったが、“偶には都心の洒落た所で会いましょう”という多数の意見により、赤坂のANAインターコンチネンタルで開催されることになったのだ。

 都内に出ることが滅多にない八百子は、開催される日の数日前からインターネットで、ホテルまでのアクセスなど色々調べたのだが、ある事に気付いた。そのホテルは諒輔が勤務する財団と、つい目と鼻の先の距離であったのだ。同窓会は夕方の六時集合になっている。少し早めに行けば諒輔に会えるかも知れない。相談したいこともあった。そう思って、葉書に書かれていた電話番号に連絡して、今日午後四時に訪ねて来たのだ。

 桜坂の財団事務所は、八百子の想像通りと言えば、その通りの古ぼけたビルの三階にあった。年代物のエレベーターで三階に着くと、事務所の奥にいた葛城が席を立ってやって来て挨拶した。

「八百子さんお久しぶりです。ここは直ぐ分かりましたか」

「えぇ、教えられた通り来ましたから、直ぐに……あの、その節は過分なご配慮をしていただき、有難うございました」

「いえ、いえそんな、こちらこそご迷惑を掛け申し訳ありませんでした。諒輔様は二階の会長室でお待ちしています。ご案内しましょう」

『諒輔様? 会長室?』と八百子は訝しんだが、葛城に案内されてエレベーターに再び乗り込んだ。

 二階の会長室の前に来ると、葛城はノックしてドアを開け「八百子さんがみえられました」と声を掛け、八百子を室内に招じ入れた。

「やぁ、八百子さん、良く来てくれました。今日はANAホテルで同窓会ですって?」

 昔と変わらぬ明るい諒輔の様子に、八百子は緊張が解れる思いがした。

「お久しぶりね、諒輔さん、どう元気にしてた?」

「うん、色々あったけど元気だよ。八百子さん今日はドレスアップして、一段と綺麗だね」

 今日の八百子は、ジャッケットにスカートそれにブーツと秋らしい装いであつたが、別れた夫と結婚した当時買い求めたもので、流行遅れではないかと実は気にしていたのだ。しかし諒輔が皮肉を言うような男でない事を知っている八百子は、大人の女らしく切り返した。

「どうしたの、都心に勤めるようになって口が上手くなったわね」

「都心と言ってもこんな古ぼけたビルだからね、八王子と変わりはしないよ。」

 葛城が座るように勧めたので、諒輔と八百子は向かいあって応接セットに腰を掛けた。葛城は飲み物を用意させると言って部屋を出て行った。八百子は室内を見回し「ここは会長室でしょ。なんで諒さんがここにいるのよ」と不思議そうな顔をした。

「うん、実は色々複雑な事情があってね。会長に就任する羽目になってしまったんだ」

「ふーん、良く判らないけど、それって凄い出世じゃない?」

「そうかなぁ……ところで何か相談したいことがあるって言ってたけど」

「えぇ実はね……」

 八百子の相談と言うのは、概略、以下のようなものであった。

 

 この2か月程前に同業者から運送の仕事を紹介された。小型コンテナーを箱根から横浜まで月に数回運ぶ仕事で、条件も良かったので引き受けた。コンテナー内の品物は産業廃棄物と言うことだったが、異臭が漏れ出すことがしばしばで、何か危険な品物のように思えるのだった。気味が悪くなって、紹介してくれた同業者を通じて断りを入れようとしたがその業者に、“もう少し続けて欲しい“と頼み込まれ、気のいい社長はそれ以上言えず、仕方なしに今もその仕事をしている。

 八百子も時々、運転手や助手としてその仕事をすることがあるが、怪しい仕事に思えてならない。仕事を紹介した同業者は、背後に暴力団がいるとの噂が絶えない会社で、違法な運送を過去にして起訴されたこともある。八百子の見るところ、その会社は運送料金をピンハネしているようだ。父親はあのような人だから、良いように言い包められてしまう。どうしたものか思い悩んでいる――――

 

「その同業者は如何にも胡散臭いけど、運送の依頼主はまともな会社なのかな」

「シュラ・コスメティックと言う会社だけど……」

「えっ、何!  シュラ・コスメティック」

「あら、諒輔さんこの会社知ってるの?」

「あ、いや、シュラ・コンサルタンツと言う会社なら知ってるけど」

「そう、その会社が、シュラ・コスメティックの親会社のようよ。私もインターネットで調べたけど、人材ビジネス業界では名の知れた会社みたいね」

「うん、まあね。それにしても驚いたな、栗原運輸がシュラ・コンサルタンツの仕事を請け負うなんて」

「諒輔さんの財団もシュラ・コンサルタントと取引があるの?」

「いやそう言う訳じゃないけど……」

 会話が途切れたところで、諒輔は話題を変えて質問した。

「するとシュラ・コスメティックの工場は箱根にある訳だね」

「えぇ、箱根の仙石原にね。香料・アロマの製造工場らしいわよ」

 諒輔は研修見学した時に案内してくれた者が、自社開発・製造のアロマとか何とか言っていたのを思い出した。子会社がアロマなどの香料を製造しているのは筋は通っている。

「その工場の近くに、シュラ・コンサルタンツの研修センターがあるはずだが」

「えぇ、あるわ。工場の隣にシュラ・コンサルタンツの大きな研修施設が……ねえ、どうしたの、そんな怖い顔して、この会社何か悪い事しているの?」

 諒輔の何時に無い真剣な表情を見て、八百子は不安になる。

「うん、そうなんだ。とんでもない事をしているのかも知れない」

 諒輔は黙り込み考えた。八百子に協力して貰えば、教団の施設に潜入出来るかもしれない。でも八百子に潜入の手引きを手伝って貰えば、八百子に危害が及びかねない。

 ジレンマに苦しんだが、この機会を逃したら、二度とこのようなチャンスは訪れないかもしれない。諒輔は正直に事情を話して、判断は八百子に委ねることにした。 

 

 諒輔はシュラ・コンサルツの裏面を説明し、その箱根の施設でサリンなどの毒ガスが製造されている可能性があることを話して聞かせた。サリンと聞いて八百子は驚き、息を飲んだ。諒輔は、そんな八百子を申し訳無く思いながら眺めていたが、八百子が落ち着くのを待って切り出した。

「そこで、八百子さんに頼みがあるんだ。警察でもその情報は察知していて、過去に何度か捜査員を潜入させようとしたんだけど、悉く失敗しているんだ。どうだろう、僕をその研修センターに連れて行ってくれないか。僕が内部を探ってみようと思うんだ」

「諒さんが? 何故?」

「詳しい事は言えないけど、この件は警察庁と協力して捜査することにしているんだ。もし、八百子さんが望むなら、警察庁の担当者に引き合わせることも出来るけど、会ってみるかい」

 八百子は頭(かぶり)を振った。

「警察は嫌いよ。それより、諒輔さん大丈夫なの? そんな相手、私怖いわ」

「うん、僕は大丈夫だけど八百子さんに危害が及ぶ可能性も否定できないからね。心配なら断っても良いんだよ」

 八百子はじっと考え込んでいたが、意を決したようにキッパリと告げた。

「いいわ、諒輔さんの頼みなら、それにこの仕事、白黒はっきりさせないと、父さん何時まで経っても断れないから」

「八百子さん、ありがとう」

 諒輔は感激の面持ちで八百子の手を両手で握った。

 

 それから数日後、諒輔は栗原運輸のマークの入ったジャンパーを着て、八百子が運転するトラックの助手席で揺られていた。『慣れた道だから』と八百子が運転を申し出たので、諒輔は先程から海原のように広がる芒の原を眺めている。晩秋の箱根仙石原は芒で埋めつくされ、風に吹かれて揺れる様は、銀色の波のようであった。

 シュラ・コンサルタンツの研修センターは、大手企業の保養所や研修所が集まる姥子地区ではなく台ケ岳の麓、奥の湯に近い山間にあった。想像以上に広大で、白一色で統一されたその外観は、白亜の殿堂と呼ぶにふさわしい威容である。

 研修センターの脇道に入り、ぐるりと回り込むと、研修センターの建物に隠れるようにして建つ、工場らしき建造物が目に入った。高いコンクリートの塀に囲まれた工場の入り口の前で八百子はトラックを停めた。塀には《シュラ・コスメティック 香料・アロマ製造工場》という青銅製の看板が埋め込まれている。

「先ず、このゲートを通り抜けるけど、身分証の提示を求められるから、栗原運輸の社員証を警備員に見せてね」

 八百子はトラックから飛び降りると、諒輔にも付いて来るよう促した。八百子は胸の丈ほどある鉄柵から中を覗き込み、工場の敷地の中の警備員詰所に向かって手を振った。それを認めた警備員が、いそいそとした足取りでゲートにやってくる。馴染みの警備員らしい。

今日の八百子は、ばっちり化粧しており、嫣然と警備員に微笑みかけた。

「栗原運輸です。毎度お世話様です」

 警備員はそんな八百子を見て相好を崩したが、後ろの諒輔を見ると一転、気難しい顔になった。諒輔が不機嫌そうな表情で警備員を睨んでいたからだ。

「あまり見かけない顔だな、新入りか」

『そら、来たぞ』

 八百子は内心呟いて気を引き締めた。新人の場合は、根掘り葉掘り、色々な事を詮索されるのが何時ものことである。

「えぇ、そうです。先月入ったばかりで……ほら挨拶しなさい」

「ぅおっす、よろしく!」

諒輔は睨みを効かせ凄んで見せた。

「態度悪い奴だな,どれ身分証を見せてみろ」

 警備員は身分証に貼られた写真と諒輔の顔を見比べている。

「御免なさいね、礼儀知らずで。ちょっといいかしら」

 八百子は警備員の傍らに身を寄せると、その耳元で何か囁く。警備員はにやけた顔をして、しきりに頷いている。

「そうか、まぁいいだろう」

 警備員がゲートの内側のボタンを押したのだろう、鉄柵が左右にがらがらと音を立てて開いた。

「ありがとう、今度お土産持って来るわね」

 八百子は調子良くそう言うと、諒輔を急き立て、トラックに乗り込んだ。

「上手く行ったね」

諒輔は運転席に座った八百子に笑いかけた。

「諒輔さんに言われた通り、とんでもなくクレージーで危ない奴だって聞かせたわ。まさかこんなに上手く行くとは思わなかったけど……それにしても諒輔さんの凄み方が可笑しくて、笑いを堪えるのに苦労したわ」

 実を言えば、警備員に耳打ちした八百子の行為が功を奏したのだとは分かっていたが黙って聞き流した。

 トラックは裏手に回り工場とは別棟の倉庫の前で停車した。倉庫のシャッターは開いていて、中に小型コンテナーと、大型フォークリフトが置いてある。このフォークリフトを使ってコンテナーをトラックに積み込むらしい。

「八百子さん、一人でコンテナー積み込めるかい」

「えぇ、何度も一人でやったから大丈夫だけど」

「じゃ悪いけど、僕はその間に、工場の中を調べてくるよ。コンテナー積み込むのにどれ位時間がかかる?」

「何時も大体二十分位かしら、それ以上係ると怪しまれるかもね」

「分かった、その間に戻って来る。それじゃ……」

 あまり時間に余裕が無いので、諒輔はトラックから急いで降りようとした。

「あ、待って、工場の出入り口は、警備員詰所の横にあるからね。警備員が見張っているから気づかれないようにしてよ」

 諒輔は『分かった』と言うように手を上げると、トラックを飛び降りた。駆け足で警備員詰所が見える工場建物の角まで来ると、警備員の様子を窺った。警備員は居眠りすることもなく真面目に仕事に就いている。

 諒輔は急いで印を結び、呪を唱えた。犬麻呂と牛麻呂が現れる。諒輔の意を素早く悟った二人の式神は、警備員詰所に擦り足で近づく。犬麻呂は腰の扇子を引き抜くと、半分開き、紙飛行機を投げるようにして、空に放った。扇子は空を飛んで警備員の方に向かったが、途中で鳩位の大きさの鳥に変身した。極楽鳥のような美しい尾羽を持つその鳥は、警備員の足元から一メートル位の地面に着地すると、バタバタと羽ばたき、地面をぐるぐると回った。それを見た警備員は何事かと驚いたようだが、美しい鳥と知ると、近寄り、手で捕まえようとした。しかし、今一歩という所で鳥は、警備員の手を逃れ、また一メートル位遠のき、バタバタと羽ばたく。その間に牛麻呂は、ふわりと跳躍すると、入口の上部に取り付けられている監視カメラの向きあらぬ方に変えてしまった。警備員はまだ鳥を追い回している。その隙に諒輔は工場の内部に入り込んだ。

 

 入って直ぐの両側には更衣ロッカー室があった。左が男性、右が女性用の表示がある。そしてロッカー室の奥に、防護服ルームという表示の部屋があり、中を覗き込むと、放射能防護服のように頭から足元までをすっぽり覆う服がずらりとぶら下げられていた。特大、大、中、小とサイズ順になっているようだ。

 更に進むと除染ルームという表示の部屋があって、固定シャワーと足元を洗うためと思われる手持ち用のシャワーの設備が幾つもあった。仕事を終えると、ここで除染し、次に防護服を脱ぎ、更衣ロッカーで着替えるという仕組みになっているに違いない。いつの間にか犬麻呂も戻っており、牛麻呂と共に諒輔の後ろに控えている。諒輔は二人に「ご苦労であつた」と労い、呪を唱え式神を下がらせた。

 腕時計を見ると、既に十五分経過している。急いで携帯のカメラであちらこちらを撮影していると、通路の突き当たりにある扉の向こうから話声が聞こえて来た。諒輔はどうするか一瞬思案したが、防護服ルームに入り、特大サイズの陰に隠れた。その一行は除染ルームに入るとシャワーを浴びていたようだが、時間をあまりかけずに出てくると、諒輔が隠れている防護服ルームにがやがや話しながら入って来た。

「あー、防護服は息苦しくて、かなわないな」

「ほんと、俺なんか発狂しそうだよ」

「お前、すでに狂ってんじゃねーのか」

「何言ってやがる。それより腹減ったな、今日は何食うかな」

「そうだな、研修センターの食堂に早く行こうぜ、あそこの飯は旨いからな」

 それぞれが防護服を脱いで吊り下げると外に出て、男性用ロッカー室に入って行く。全員十二名、すべて男性のようだ。ロッカー室を出て来た男達は、誰もがジーパンに上着を引っ掛けている。諒輔と大差無い服装だ。諒輔はふと思いついて、男達の最後尾にそっと走り寄った。男達は、早く食事がしたいのだろう。後ろを振り返ることもなく、話しながら工場の外に出た。諒輔も素知らぬ顔をして、その後に続く。警備員が敬礼をして男達を見送る隙を突いて、諒輔は警備員詰所の裏側に回りしゃがみ込んだ。

 

 八百子はジリジリとして諒輔が帰ってくるのを待っていた。すでに三十分近くなろうとしている。その時、八百子は諒輔の声を聞いた気がして辺りを見回した。

『八百子さん聞こえるかい。諒輔だよ』

「え、えっ、何処? 何処にいるの」

『シー、静かに、いいかい僕の言う事を落ち着いて聞いて欲しい』

「分かったわ」

 混乱して落ち着くどころではなかったが、兎も角そう返事して、また周囲を見回した。

『トラックで警備ボックスの脇まで来てくれないか。そして、あの警備員の気を引いてくれないかな。その隙に助手席に乗り込むから』

「いいわ、やってみる」

 八百子はエンジンをかけると、そろそろと、警備員詰所に近付いて行き、トラックを止めて、降り立った。

「あぁ、今日は何だか積み込むのに、長引いちゃって、それに途中で気分が悪くなって、熱があるのかしら」

 八百子が自分の額に左手をやって「ねえ、ちょっと私の手、熱くない?」と右手を警備員に差し伸べた。警備員は信じられない幸運に出逢ったような、うっとりした表情で手に触る。

『うー、気持ち悪! 熱があるのはあんたの方だわ』

面には出さずに内心叫ぶ。

 その隙に諒輔はトラックの助手席に滑り込んだ。それを横目で見た八百子は「お陰さまで、熱が引いたみたい。ありがとう、それじゃ」と警備員の手を振り払って、運転席に乗り込んだ。

「うん、それじゃ、次にまた会うのを楽しみにしてるから」

 警備員は未練がましくそう言うと、詰所に戻り鉄柵の開閉ボタンを押した。エンジンを空吹きさせ待ち構えていた八百子は、鉄柵が開くとアクセルを踏み込みタイヤの軋み音を立てて、ゲートを飛び出した。


第十五章 六本木ガーデンヒルズタワー

 翌日、シュラ・コンサルタンツの箱根の施設に潜入した事を警察庁の日野に告げた。日野は『直ぐそちらに行って、詳しい話を聞きたい』と一時間もしない内に、財団の事務所に駆けつけて来た。

 事務所の二階会長室に通された日野は挨拶もそこそこに、詳しい説明を求めた。諒輔は一部始終を話して聞かせ、携帯電話のカメラで撮った写真のプリントを見せた。日野は熱心に写真プリントを眺めて、何事か検討をしているようだったが、顔を上げて諒輔に向き合った。

「工場内の潜入に成功したのは今回が初めてです。この写真は捜査の大変貴重な資料になります。どうもありがとうございます。でも残念ながらこれだけでは、毒ガス製造の証拠とはならないでしょう」

「そうでしょうね。時間が限られていたので、ほんの入り口部分しか探れなかったのです」

「えぇ、もう少し決定的なものがあれば強制捜査に踏み切れるのですが」

 葛城と神埼が前回と同様に同席していたが、二人とも悔しそうな表情を浮かべた。

「でも、日野さん」

 葛城が抗議するように声を上げた。

「防護服だの除染室だのって怪しいじゃありませんか」

「普通の物造り工場なら葛城さんのおっしゃる通りです。ですが、この工場は一応、香料・アロマの製造なので、防護服や除染室があってもそれほど不思議ではないのです。香料には昔から毒薬なども原料にすると言われています」

 葛城は尚も不満そうな顔をしていたが引き下がった。

「ご提供いただいた情報について、近々、警視庁公安部や検察と協議したいと思います。それから、今回捜査にご協力いただいた栗原八百子さんに、もし危険が迫るようなことがあれば、SPによる身辺警護を致します」

「潜入した事は、多分気付かれないでしょう。ですから八百子さんは、今のところ危険は無いと思います。ですが、もし何かあれば、その時はよろしくお願いします」

 諒輔は八百子に大きな借りを作ってしまったと思いつつ、日野に頭を下げた。

 その後の協議で、今後の協力事項や連絡を更に密にすることなどを相互確認すると、日野はいそいそと財団の事務所を出て行った。

 

 理紗は下町のアパートを引き払い、現在は青山の高層賃貸マンションに住んでいる。セキュリティを第一にして選んだ物件であり、その充実振り言うまでもない。間取りは一LDKだが、LDKが二十畳もあるので、一人住まいには贅沢過ぎる広さであった。二十三階から見る眺望も素晴らしく、理紗は移り住んで早々にこのマンションが気に入った。最寄り駅は青山一丁目駅で東京メトロ銀座線、同半蔵門線と都営大江戸線の三路線が利用できて、交通アクセスもすこぶる便利だ。

 理紗は世田谷の屋敷で敵の攻撃を受けた後、直ぐにこのマンションに引っ越して来たが、その後、危険予知のアラームが鳴るような不穏なことは何も起こらなかった。それでも念のため夜間の一人行動の場合は、財団が警備会社に依頼して身辺警護要員を派遣してきた。また、演奏会、邦楽講師などの外出スケジュールは事前に財団に報告するようにしていた。

 演奏会は定期のものと不定期や臨時のものがあった。理紗は仲間と一緒に、邦楽を少しでも生で聴いて貰う機会を増やそうと、出張ライブとか出前演奏会とか銘打った活動を行っていたので、最近は臨時的な演奏会が増えている。一週間程前にも、三味線独演会の出張演奏の要望が寄せられたのだが、他の演奏者とのスケジュール調整の必要が無いのでどうにか応じることが出来たのであった。それにしても三味線の独演会というのは珍しいことであった。三味線の独奏曲もあるが、基本は伴奏楽器である。そのため普通は三味線、横笛、尺八、太鼓、琴など複数のチーム編成で出掛けるのだが、要請した会社の社長が何処で聞いたのか理沙の三味線が大層気に入り、自社の研修会の慰労会で是非演奏して貰いたいと申し入れてきたのだ。その会社はニシガタ工業と言う大田区の機械部品メーカーで、従業員数五百名強の準大手企業であった。研修会は大森の本社で行われると言う。先方との調整が済み、日時が決まると、理紗は他のスケジュール同様に、財団の神埼に、独演会の場所と日時を報告した。

 独演会の当日、青山のマンションまでニシガタ工業の車が迎えに着た。人事部研修担当と名乗る女が車のドアを開け、理紗を後部座席に座らせると、その女も続いて理紗の隣に乗り込んできた。理紗の危険予知アラームが反応した。

『何? この車に乗ってはいけないの?』

 不安げな理紗の表情や態度にお構い無しに、研修担当と名乗る女が何やら説明している。不安で動顛してしまい、話し声がよく聞き取れない。女はどうやら、研修会の慰労会場が大田区本社から、六本木ガーデンヒルズタワーの三十五階に変更になったと言っているらしい。危険を知らすアラームが一層大きく鳴り響く。

「嫌です! 降ろして下さい」

 理紗が叫ぶと、女は手にしたハンカチを理紗の鼻と口に押し当てた。理紗は意識を失った。その女、シュラ・コンサルタンツの鮫島は、気を失った理紗の髪を撫でほくそ笑んだ。

 

 神崎は理紗と連絡が取れなくなり焦っていた。理紗は外出して自宅マンションに帰ると、必ず神埼に帰宅した事を伝えることにしていた。その日の理紗の予定は、大田区のニシガタ工業で独演会を午後一時から二時まで行い、遅くとも四時には帰宅するスケジュールであつた。しかし四時を過ぎても連絡が無かったので、理紗の携帯に神崎は電話した。電源が切られているか、電波の届かない場所に居るとのアナウンスである。その後も理紗から連絡が無く、また神埼がなんど連絡しても繋がらない。

『理紗様の身に何か起こったに違い無い』

 そう直感した神崎は財団本部の会長室に行き、理紗と連絡が取れなくなったことを報告した。

「とりあえず直ぐ、ニシガタ工業に連絡して下さい」

「分かりました」

 神崎は理紗のスケジュール表に書かれているニシガタ工業の連絡先に電話した。すると電話に出たニシガタ工業の研修担当者は、『今日、午後一時に安倍理紗さんが来るのを待っていましたが、来社されませんでした。事前に連絡も無く、当方としても大変迷惑しましたが、事故にでも会っていなければ良いと思っていた所です』との話であった。

 ニシガタ工業が言うように交通事故の可能性もある。でも一番考えられるのは、阿修羅教団による拉致あるいは……諒輔は歯を噛み締め、不吉な考えを振り払った。

 

 阿修羅教団から、理紗を拉致したとの通告の電話があったのは午後六時過ぎのことであった。その電話の主は、理沙の返還条件として、諒輔一人が深夜二時に、六本木ガーデンヒルズタワーの三十五階に来るよう要求した。また、警察などに連絡した場合は、直ちに理紗を殺害するとの脅しも忘れなかった。

 葛城、神崎、遠山の三人は、敵の罠に嵌るのは目に見えているので、一人で行くのを止めるよう言い、警察庁の日野に連絡して、彼等の力を借りるべきだと主張した。確かに敵の本拠地での戦いは不利である。大勢の敵を相手にしなければならず、どのような罠や計略が張り巡らせているかも分からない。でも、諒輔にとって選択肢は無かった。一人で行く。これしか無い。

 諒輔の決意を知らされた、三人は説得をあきらめ、理紗の奪還作戦を協議することにした。

神崎は大勢と一人で戦うには、多人数向けの武器が必要と言い、監視セキュリティルームの武器庫から、自動小銃、手榴弾、スタングレネード(閃光弾)、催涙弾など沢山の武器を会長室に持ち込んだ。神崎はクラシックカーだけでなく、武器オタクでもあるようだ。

「世田谷のガレージには、もっと強力なやつがあるんですが……」

神崎は残念そう面持ちをしたが、気を取り直して持ち込んだ武器について薀蓄を語り出した。

「いざとなれば式神だって遣えます。そのような武器は必要ありませんよ」

「いや、敵はどのよう策略を用いるか油断できません。印を結び、呪を唱える余裕が無い場合だってあるかもしれません」

 神崎は武器を持参することを強く勧めた。それほどまでに言うのならと、皆で検討した結果、自動小銃は大きすぎて持ち込むのは無理であり、小型のものであってもせいぜい二つ位が限度と言う結論になり、手榴弾とスタングレネードそれぞれ一つを携行する事にした。

 遠山は、理紗を助け出す事が出来たとしても、あのビルから無事脱出する事は、非常に難しいだろうと指摘した。

「あのビルは、二十四時間稼動が売り物の一つです。出入り口は深夜でも閉じられてはいません。ですが、敵は非常用も含め、出入り口の全てについて万全の策を講じているに違いありません。脱出は極めて困難と考えた方がいいでしょう。ではどこから脱出するか……」

 遠山は皆を見回した。

「そうか、分かった。屋上ヘリポートだな」

 葛城が膝を打って叫んだ。

「そうです。諒輔様は三十五階に行かれ、そこで闘うことになるでしょう。あのビルは地上四十五階建てです。三十五階からは、下の出入り口に向かうより、屋上に出た方がずっと近い」

「なるほど! それならヘリの手配は私にお任せ下さい。自衛隊時代の友人が民間の会社でヘリの操縦をしています」

 神崎は力強く言って諒輔に同意を求めた。

「分かりました。ヘリの手配は神崎さんに任せます」 

 作戦の概要が決められると、神崎はヘリを手配すると言って出かけて行った。葛城と遠山は作戦の準備と情報収集に没頭した。六本木ガーデンヒルズタワーの各フロアの平面図、ビルの消防設備、非常用階段、屋上ヘリポートの詳細など、集めなければならない情報は沢山あった。

 諒輔は葛城の勧めにより、闘いに備えて軽い食事を取った。その後、身体と精神を休ませる為、仮眠しようとしたが、理沙の事が気になり眠る事は出来なかった。

 

 深夜二時五分前,諒輔は六本木ガーデンヒルズタワーの正面玄関がある四階からエレベーターに乗り込んだ。印を結び、呪を唱えて、犬麻呂と牛麻呂を呼び出した。犬麻呂に手榴弾、牛麻呂にスタングレネードを手渡すと、二人の式神を従えて三十五階に降り立った。

 研修受付には可愛い受付嬢に代わって、十人ほどの黒服の男たちが待っていた。諒輔は犬麻呂と牛麻呂に武器を床に置いて、その場で待つように指示し、受付に進んだ。黒服の男達は、誰もが興奮し緊張している。その場で固まったように動かず、口も開かない。

「三輪諒輔だ。約束通り一人で来たと月瞑に伝えろ」

諒輔が声を掛けると、この場のリーダーらしい男が「お前、奥に知らせて来い」と男の一人に命じた。

「お前等は、こいつの、ボディチェックをしろ」

 黒服の男たちは、呪縛から解き離れたように動き始め、諒輔の全身を探った。その間に待機していた二人の式神は武器を口で咥えると、四つん這いになり、研修受付の横を通って中に入り込んで行く。受付の周辺には十人近くの男がいるのに、諒輔に気を取られて、誰一人、武器が空中を浮遊しているのに気付かない。

 ボディチェックが済むと男達は諒輔を取り囲んで通路を進んだ。しばら歩いて行くと、左手にラウンジが見えて来た。犬麻呂は手榴弾を牛麻呂に手渡すとラウンジに入り、男達が近付いたのを見計らって、テーブルを勢い良く押し倒した。突然の大音響に男たちは一斉に音がした方を向く。その隙に、牛麻呂が諒輔に近寄り、上着の内側ポケットに手榴弾とスタングレネードを忍び込ませた。内側ポケットは、手縫い,大型、遠山の特製である。

 一行は、通路の突き当たり、月瞑が研修の最終日に訓話する講堂の前に到着した。

「そこで待っていろ」

 リーダーらしき男は言い捨て、扉を開けて、一人中に入って行った。

二人の式神は何故か諒輔に着いて来ようとせず、離れた所に佇んでいる。

『ご主人様、これ以上私達は進む事が出来ません。これから先は、結界が張られている様です』

 式神二人が念力で訴える。

『よし、分かった。お前たちはそこで私達が戻るまで待っておれ』

 諒輔が式神に待機指示を出したその時、扉が開いてリーダーらしき男が戻ってきた。諒輔を指差して「お前だけ一人、扉を開けて中に入れ」と指図し「お前達五人はここを、そっちの五人は研修受付で見張りを続けろ」と命令すると、諒輔の背を強く押した。

「とっとと中に入れ」

 

 諒輔が扉を開け、中に入ると、外にいた男達が扉を直ぐに閉めた。講堂の中は真っ暗で何も見えない。この部屋に入った途端、何やら息苦しくなる。見学したときと同じ感覚だ。

『この部屋には、矢張り何か仕掛けられている』

 諒輔がそう思った時、スポットライトの強烈な明かりが諒輔を捕らえた。眩しくて目を細めた。

「皆さん、盛大な拍手をお願いします。白馬の王子様の登場です」

 マイクを通した女の声が講堂一杯に響き渡る。同時に大勢による拍手が湧き起こった。

「続いて本日のヒロイン、それは美しいお姫様を紹介致します」

 諒輔に向けられていたスポットライトが消え、別のスポットライトが、右手の舞台上の一点を照射した。浮かび上がったのは、椅子に縛り付けられている和服の女性の姿だった。声が出せないように猿轡をされた理紗であった。

「皆様、ヒロインのお姫様にも盛大な拍手をお願いします」

 諒輔の時より、一層大きな拍手と口笛が湧き上がる。

「こんな芝居がかったことは止めて、直ぐに理紗さんを放せ!」

 諒輔は舞台に向かって叫んだ。更に息苦しさが増している。スポットライトが再び諒輔にも当てられる。

「芝居を止める訳には行きません。なにせ観客が大勢居られます。さて、それではプロローグはこれ位にして、本編の開始と行きましょう……音楽スタート!」

 音楽が始まり音量が次第に増してきた。曲はワルツ、仮面舞踏会。舞台全体の照明も音量に合せ次第に明るくなる。舞台上手に理紗、舞台中央の演題にはサングラス姿の月瞑、その横のやや下がった位置に、玲雪が月瞑をガードするように立っている。舞台下手でマイクを握っているのは、何と研修広報担当のあの鮫島であった。観客席はまだ溶暗に包まれている。

「陰の長者、三輪諒輔、一人で来た事。褒めてやろう」

 月瞑が始めて口を開いた。

「そんな所に、ヒーローが何時までも居ては、芝居が始まらないではないか。早く舞台に上がり、ヒロインとラブロマンスを演じてくれ。観客もそれを望んでおる」

月瞑の言葉に呼応して、鮫島が指揮者のように手を振ると「早く上がれ」「舞台に上がれ」「芝居をして見せろ」など様々な声が飛んだ。足をどんどんと踏み鳴らす音も混じる。鮫島が手を振るのを止めると、急にしーん、と静まり返る。

「それ、観客がお待ちかねだ。早くヒロインの側に行ってやれ」

 言われるまでも無く、諒輔は舞台目掛けて走った。舞台上手の階段を上り、理紗に近寄り、猿轡を外した。

「理紗さん、大丈夫? 怪我は無いか」

 諒輔は縄を解きながら聞いた。

「えぇ、大丈夫。でも怖かった」

 解き放された理紗は立ち上がると、諒輔に縋りついた。

「あぁ、感激の一瞬、こうして悲劇の二人は、涙の再会を果たしたのであります」

 鮫島が大仰なセリフ回しで言い、手を振ると又もや観客席から拍手と、口笛。

「よーし、もういいだろう。ここらで芝居は止めて裁判に移ることにしよう」

 月瞑の言葉に応じて鮫島が「音楽ストップ、客席に明かりを!」と声を張り上げた。

 講堂全体の照明が付き、観客席の全体が見渡せるようになった。二百ほどの座席は満員の黒服の男女で埋め尽くされていた。

「阿修羅教団信者の紳士淑女、そして裁判員の皆さん、大変お待たせした。これより裁判員制度による裁判を開廷する」

 月瞑が声高らかに宣した。

「検察官、論告と求刑を申し述べよ」

 月瞑に向かい礼をして、玲雪が前に出る。鮫島がマイクを手渡す。

「裏土御門陰の長者は、我が教団の発足以来、千年に渡る不倶戴天の敵。よって死刑を求刑致します」

 玲雪はマイクを鮫島に渡すと、元の位置に戻った。客席から「死刑だ」「有罪、死刑」などの声が飛び、足を踏み鳴らす音が続いた。

 月瞑はそれ等を手で制し、諒輔にサングラスの目を向けた。

「被告人何か弁明があるか」

「馬鹿馬鹿しい、こんな事に付き合っていられるか」

 諒輔はそう言うと、印を結び、呪を唱えた。しかし、息が益々苦しくばかりで、呪術は何の役にも立たない。

「陰の長者ともあろう者がまだ気付かぬらしい、あの慌てぶり、とんだ喜劇じゃないか」

 客席がどっと笑い声を上げ、口笛を吹く。

「気付かぬようなら、教えて上げよう。後ろの緞帳を上げよ」

 舞台の後ろ側の暗紫色の緞帳がゆるゆると上がって行く。その奥に現れたのは天井に届きそうな背丈のある大きな立像であった。更にその奥の壁には、巨大な曼荼羅が掲げられている。大きな立像は、三面、六本の手を有する阿修羅であった。観客は現れた阿修羅に向かい手を合わせ、拝む仕草を繰り返した。

 

「ここに御座すのは、我が教団本尊にして守護神であらせられる。この講堂に漲るマインドコントロールのパワー、陰陽道の呪力を削ぐ力は、全てここから発せられているのだ。陰の長者よ。この講堂に足を踏み入れたのが運の尽きと諦め、裁判の結果を受け入れ罪を償え」

 客席からは「死刑」「死刑」「死刑」のシュプレヒコールが鳴り止まない。

「さぁ、有罪、死刑は確定した。では諸君、どのような死を与えるかな。八つ裂き、火炙り、鋸引きと色々あるが……」

 今度は「石打ち」「石打ち」の歓声があがり、ばらばらと拳大の石が数個、舞台に放り込まれた。

 理紗が悲鳴を上げ、諒輔の背後に逃げ込む。

「分かった、分かった。多数の民衆が行う処刑は昔から石打ちの刑と相場は決まっておる。石打ちの刑に処すとしようぞ」

 一段と大きな歓声が沸き上がると、客席の皆が立ち上がり舞台の下に押し寄せて来た。手に手に石を握り締めている。間近に迫った彼等は皆憑かれた者の顔をしており、まるでゾンビの集団のようであった。最前列の者が早くも石を投げ出した。

「理紗さん、僕が合図したら、しゃがみ込み、耳を抑えて、いいですね」

 諒輔は理紗に囁くと、左の内ポケットの手榴弾を取り出し、安全ピンを引き抜くと阿修羅像目掛けて投げつけた。

「理紗さん伏せて」

 手榴弾は阿修羅像の胸元辺りで炸裂した。大音響が轟き、石を投げようとしていた者達は頭を抱えて蹲った。爆風と煙に感応してスプリンクラーから、放水が始まり、非常を知らせるベルが鳴り響いた。煙と滝のような水に講堂はパニック状態に陥った。

「皆慌てるな」「逃げるな」「非常ベルを止めろ」「消防に故障と伝えろ」

 様々な怒号が飛び交う。さすがの月瞑も手のつけ様がなく呆然としていたが「おのれ、どこに隠し持っていたか」と怒鳴り諒輔目掛け駆け寄って来た。玲雪も後に続く。諒輔は待機しておいた犬麻呂と牛麻呂を講堂に呼び込んだ。阿修羅像が粉砕されたので、式神を妨げるものはもうない。

『仰せにより、参上仕りました』と犬麻呂『して、御用の趣は』と牛麻呂

「我々を警護して、ここを脱出させよ」

『畏まって候』

 二人の式神は口を揃えてそう言うや否や、向かって来た月瞑と玲雪に体当たりを食らわせた。月瞑と玲雪は共に後方に弾き返される。

「さあ、今の内に講堂を出るぞ」

 諒輔は理紗の手を引いて舞台上手の階段を駆け下りた。近くに群がるゾンビのような男女を合気道の技で撥ね飛ばす。式神二人は諒輔と理紗を守って押し寄せるゾンビの群れを蹴散らしている。

 扉の前に至ると、諒輔は右側の内ポケットからスタングレネードを取り出し、安全ピンを引き抜くと、講堂の奥目掛けて放り投げた。急いで扉から外に出る。講堂の中で、大音響がした。内部の者は、閃光と大音量で、目と耳が一時的に使えない状況になっている筈だ。扉の外と研修受付で警備していた者達は、式神に襲われたのであろう意識を失って倒れていた。 

 諒輔と理紗は屋上ヘリポートに辿り着いた。犬麻呂と牛麻呂も後ろに付いている。四十五階建て高層ビルの屋上は、遮る物が何も無く、東京の夜景が一望出来て、それは美しい光景であった。しかしそこには、肝心のヘリコプターが待機していない。諒輔は携帯を取り出すと、神崎に電話した『もう直ぐしたら東京ヘリポートを飛び立つ』との返事であった。東京ヘリポートは湾岸の若洲にあり、飛び立てば、五分もあれば到着するであろう。

  

 その時ヘリポートに複数の人が上がって来た。月瞑、玲雪、鮫島、顔に大きな傷のある男など、総勢二十名程である。教団最精鋭部隊と見受けられた。一行は諒輔と理沙が居る位置から十メートル位の所で歩みを止めた。

「先程は、見事にやられた。策に溺れて慢心した我々に落ち度があった。どうだ、今度は罠も仕掛けも無し、武器も無しで実力勝負をしようではないか」

 月瞑が一歩進み出て叫んだ。

「分かった。月瞑、お前と一対一の勝負だ! 他の者は一切手出しをしないと言うなら、その勝負受けようじゃないか」

「望むところだ。先程から式神を遣っているらしいが、式神の手出しも無用だぞ」

「おう、承知した」

 諒輔は呪を唱え、式神を下がらせると、理沙に「もう直ぐヘリコプターが助けに来る、もうしばらくの辛抱だから隅で待っていて」と告げ、月瞑に向かい合った。月瞑も玲雪などを後ろに引き下がらせ、ヘリポートの中央で両者は対峙した。

 

 月瞑は呼吸を整え、気の充実を図っていたが、手で印契を組み、大音声で呪文を唱え始めた。

「オン・キリキリ・ハラハラ・フダラン・バッソワカ・オン・バザラ・トシャカーク!」

一方、諒輔は、陰陽道の早九字活法を唱え、空を手刀で切った。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、裂、在、前!」

 

 月瞑の足元から風が巻きあがり、上空に達すると竜巻と化した。空中に現れたのは、阿修羅教団の守護神の三面六手の巨大な阿修羅であった。六本の手にそれぞれ武器を掴んでいる。

 諒輔の足元からは、白い霧が湧き上がり、雲となって上空に達した。それが一気に収斂すると、阿修羅とほぼ同じ大きさの白拍子の姿になって空に浮かんだ。白の水干に立烏帽子、緋の袴の腰に白鞘の刀を差している。手に舞扇を持っているところは、静御前が頼朝の前で静の舞を踊った時の出で立ちとそっくりであった。

 阿修羅の六本の手にしている武器は、刀・剣・錫杖・独鈷・矛・鎖鎌の六種であり、それらを次々に繰り出して、白拍子に襲い掛かる。白拍子は反撃すること無く、ひらりふわりと身をかわす。理紗の目には優雅な舞をしているように見えた。

 しばらく同じような進退が続いたが、白拍子が一回転して上空高く飛び上がると、阿修羅の背後に舞い降り様、閉じた舞扇で発止とばかり阿修羅の顔面を強打した。阿修羅の三面ある内の一つの顔面が崩れる。同時に六本ある内の二本の手が動きを停止した。

 一心不乱に念じていた月瞑がぐらりと揺れた。顔面は蒼白であり苦痛に歪んでいる。玲雪や鮫島等が不安そうに、そんな月瞑を見守る。

 

 阿修羅は、残された二面を怒りで赤く染め、前にも増して激しく、白拍子に打ち掛かった。白拍子は、ひらり、ふわりとその攻撃を避けていたが、身を低めると阿修羅の胸元に躍りこみ、顔面を扇で下から上に払い上げた。残された二面の内、一面が崩れ去り、更に二本の手が動かなくなった。

 

 月瞑は遂に、床に片膝を着いてしまい、肩で息をしている。その様子を見兼ねた玲雪が月瞑に駆け寄り、肩を貸して立ち上がらせた。

 

 阿修羅に残されたのは、一面と二本の手だけとなった。その両手には刀と剣が握られており、あたかも二刀流のようにして、攻撃を仕掛けてきた。白拍子はそれを見ると、舞扇を腰に差し、刀を引き抜いて構えた。 二十四階高層ビルの屋上で、刀剣による熾烈な戦いが開始された。阿修羅は、それまで邪魔だった四本の手が無くなったからか、あるいは玲雪の支えがあってか、見違えるような敏捷な動きで襲い掛かった。

 

 神崎はヘリコプターの助手席から、六本木ガーデンヒルズタワーの上空を凝視していた。ビルの上空には十メートル位の大きさの黒い雲と白い雲の二つが激しくぶつかり合い、時に入り混じって、放電のような閃光を発していた。自衛隊時代の友人であるヘリのパイロットは、ビルの上空は、異常気象で、とても近付けるような状態でないと言う。仕方ないので、こうして先ほどからビルの上空を旋回しながら、気象状況が良くなるのを待っていたのだ。

 

 理紗は両者の戦いをヘリポートの隅から見上げていたが、阿修羅の動きが俊敏になり、白拍子が押される展開となっていた。玲雪が月瞑の元に駆け寄ったのを見て、理紗も諒輔の元に駆け寄った。諒輔は苦戦に額に脂汗を滴らせ相当に苦しいようだ。それまで目を閉じていた諒輔は、理紗の気配を感じて目を開けると、理紗を片手で抱きしめ、もう片方の手で印行を結んだ。

 

 白拍子に活気が戻り、猛然と反撃に出た。剣先鋭く阿修羅に突きを入れる。理紗の得意技だ。阿修羅は避け切れず喉を突かれて、断末魔の叫び声を上げた。阿修羅は次第に霞んで行き、消え去った。残る白拍子は、一指し、優雅に舞うと、姿を朧にして消えて行った。

 

 月瞑が崩れ落ちる。玲雪も支え切れず、月瞑はヘリポートの床に倒れ伏す。

「月瞑様、月瞑様」

 哲雪の呼びかけにも、月瞑は応じず、死んだように身動きしない。

「おのれ、よくも月瞑様を……あ奴等を逃がすな」

 玲雪が叫ぶと、鮫島と黒服の男達が諒輔と理紗目掛けて走り寄った。諒輔は月瞑との闘いに精根使い果たしてその場に立つのが漸くであった。

 その時であった、轟音が急接近してきたかと思うと、バリバリッと言う銃撃音がして、黒服の者達の行く手に銃弾が着弾した。玲雪達は、その場で踏鞴を踏む。轟音と共に風圧が激しくなり、ヘリポートに居る者は皆、吹きと飛ばされないように姿勢を低くした。

 ヘリコプターが降下してきた。助手席には、機銃を手にした、迷彩服姿の神埼が乗っていて、諒輔と理紗に早く乗り込むよう手招いている。轟音で声は聞こえない。諒輔と理紗がヘリに乗り込むと、神崎はパイロットに離陸の合図をし、ヘリは舞い上がった。

 

  その時、死んでいるかに見えた月瞑は上半身を起こすと、サングラスを外した。

  

 ヘリの中では、諒輔と理紗が神崎の指示で、ヘリの座席ベルトを装着しようとしていた。

 

 月瞑は上空高く舞い上がったヘリを、最後の力を振り絞り、念力を込めて睨み付けた。

赤い瞳から血が滴り落ち、赤いレーザー光線のような光が照射された。その光線はヘリ目掛け一直線に飛んだ。ヘリがぐらりと大きく傾き二人が空中に放り出されるのが見えた。月瞑はそれを見届けると、満足げな顔を一瞬して瞳を閉じた。

 

 突然の衝撃であった。ヘリが左に大きく傾いた。まだ座席ベルトを着ける前だった二人は機外に放り出された。

 諒輔はとっさに右手で理紗の手を、左手で座席シートベルトを掴んでいた。機外に放り出された諒輔は左手一本で座席ベルトの先を掴かみ、二人の体重を支えていた。風が激しく吹きつける上に、先程来の闘いで体力が消耗していた。あとわずかな時間しか持ち堪えられないであろう。

 理紗が何か叫んでいる。爆音が激しく、テレパシーを使わなければ、会話は出来ない。

『手を放して。二人はとても支えきれないわ』

 風圧で理紗の着物の袖は膨らみ、裾があられもなく広がっている。

『いや、離さない、何とかなる筈だ、これまでも何とかなってきた。今度だって必ず……』

『だって絶体絶命よ、私はいいから、お願いその手を離して!』

 諒輔は絶体絶命と言う理沙の言葉に閃くものがあった。絶体絶命の危機に陥った時にしか唱えてはならない、裏土御門秘法中の秘法があったのだ。その呪を唱えれば裏土御門の守護神獣である玄武が現れ必ず救ってくれる。忠彬が襲われて危機に陥った時も玄武が現れ救ってくれたではないか。

『理紗、僕を信じてくれ。これから空に飛び出すけど必ず助ける。だから僕の手を絶対に離しちゃ駄目だ』

『分かった。私、諒輔を信じるわ。絶対手を離さない』

『それじゃ行くよ』

 諒輔は左手で掴んでいた座席ベルトの端を離した。

 二人は手を繋いだまま、落下して行く。諒輔は渾身の力を込めて秘法の呪を唱えた。

 

 眼下に東京タワーの航空障害灯が点滅するのが見えたが、見る見る内にその高さまで落下して行った。秘法の効果はまだ現れない。このままでは地面に激突と思われた時、下方にむくむくと土煙が湧き起こった。その中に蠢くものがある。

『理紗、理沙! 目を開けてご覧、大丈夫だ。玄武が現れた』

『あぁ! 諒輔あれが玄武なの』

 二人は土煙の中に突入した。玄武の甲羅にぶつかるかに見えたが、柔らかな布団に包まれるような奇妙な感覚がして、落下のスピードがぐんと落ちる実感があった。

 二人を自らの甲羅で受けた玄武は、雷のような咆哮を一声発すると地中に潜り始めた。

 

 諒輔と理紗は地上に軟着陸した。もうもうたる土煙が収まると、そこは夜明け近い芝公園であった。

「理紗……」

「諒輔……」

 二人は名前を呼び合うと、固く抱き合い、熱い口付けを交わした。

 長い抱擁の後、目を開けると、間近に巨大な影のような東京タワーが聳え立っていた。

折しも差し昇る陽の光を浴びて、タワーは黒いシルエットから本来の明るい彩りを徐々に取り戻して行く。

                                                        第1話 完


奥付


裏土御門 陰の長者


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著者 : 虹岡 思惟造
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