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第十四章 箱根仙石原

第十四章 箱根仙石原

 八百子が財団事務所に諒輔を訪ねてきたのは、月瞑に会った翌々日のことであった。諒輔は八王子から離れるにあたり、世話になった栗原運輸の社長と八百子に、お礼の葉書を出した。その中に、財団の所在地と電話番号も書いて置いたのである。 

 八百子は都心で同窓会が行われると聞いて最初は参加を見送ろうと考えたが、友人に説得されて出席することにした。これまでの同窓会は八王子の市内で開かれるのが常であったが、“偶には都心の洒落た所で会いましょう”という多数の意見により、赤坂のANAインターコンチネンタルで開催されることになったのだ。

 都内に出ることが滅多にない八百子は、開催される日の数日前からインターネットで、ホテルまでのアクセスなど色々調べたのだが、ある事に気付いた。そのホテルは諒輔が勤務する財団と、つい目と鼻の先の距離であったのだ。同窓会は夕方の六時集合になっている。少し早めに行けば諒輔に会えるかも知れない。相談したいこともあった。そう思って、葉書に書かれていた電話番号に連絡して、今日午後四時に訪ねて来たのだ。

 桜坂の財団事務所は、八百子の想像通りと言えば、その通りの古ぼけたビルの三階にあった。年代物のエレベーターで三階に着くと、事務所の奥にいた葛城が席を立ってやって来て挨拶した。

「八百子さんお久しぶりです。ここは直ぐ分かりましたか」

「えぇ、教えられた通り来ましたから、直ぐに……あの、その節は過分なご配慮をしていただき、有難うございました」

「いえ、いえそんな、こちらこそご迷惑を掛け申し訳ありませんでした。諒輔様は二階の会長室でお待ちしています。ご案内しましょう」

『諒輔様? 会長室?』と八百子は訝しんだが、葛城に案内されてエレベーターに再び乗り込んだ。

 二階の会長室の前に来ると、葛城はノックしてドアを開け「八百子さんがみえられました」と声を掛け、八百子を室内に招じ入れた。

「やぁ、八百子さん、良く来てくれました。今日はANAホテルで同窓会ですって?」

 昔と変わらぬ明るい諒輔の様子に、八百子は緊張が解れる思いがした。

「お久しぶりね、諒輔さん、どう元気にしてた?」

「うん、色々あったけど元気だよ。八百子さん今日はドレスアップして、一段と綺麗だね」

 今日の八百子は、ジャッケットにスカートそれにブーツと秋らしい装いであつたが、別れた夫と結婚した当時買い求めたもので、流行遅れではないかと実は気にしていたのだ。しかし諒輔が皮肉を言うような男でない事を知っている八百子は、大人の女らしく切り返した。

「どうしたの、都心に勤めるようになって口が上手くなったわね」

「都心と言ってもこんな古ぼけたビルだからね、八王子と変わりはしないよ。」

 葛城が座るように勧めたので、諒輔と八百子は向かいあって応接セットに腰を掛けた。葛城は飲み物を用意させると言って部屋を出て行った。八百子は室内を見回し「ここは会長室でしょ。なんで諒さんがここにいるのよ」と不思議そうな顔をした。

「うん、実は色々複雑な事情があってね。会長に就任する羽目になってしまったんだ」

「ふーん、良く判らないけど、それって凄い出世じゃない?」

「そうかなぁ……ところで何か相談したいことがあるって言ってたけど」

「えぇ実はね……」

 八百子の相談と言うのは、概略、以下のようなものであった。

 

 この2か月程前に同業者から運送の仕事を紹介された。小型コンテナーを箱根から横浜まで月に数回運ぶ仕事で、条件も良かったので引き受けた。コンテナー内の品物は産業廃棄物と言うことだったが、異臭が漏れ出すことがしばしばで、何か危険な品物のように思えるのだった。気味が悪くなって、紹介してくれた同業者を通じて断りを入れようとしたがその業者に、“もう少し続けて欲しい“と頼み込まれ、気のいい社長はそれ以上言えず、仕方なしに今もその仕事をしている。

 八百子も時々、運転手や助手としてその仕事をすることがあるが、怪しい仕事に思えてならない。仕事を紹介した同業者は、背後に暴力団がいるとの噂が絶えない会社で、違法な運送を過去にして起訴されたこともある。八百子の見るところ、その会社は運送料金をピンハネしているようだ。父親はあのような人だから、良いように言い包められてしまう。どうしたものか思い悩んでいる――――

 

「その同業者は如何にも胡散臭いけど、運送の依頼主はまともな会社なのかな」

「シュラ・コスメティックと言う会社だけど……」

「えっ、何!  シュラ・コスメティック」

「あら、諒輔さんこの会社知ってるの?」

「あ、いや、シュラ・コンサルタンツと言う会社なら知ってるけど」

「そう、その会社が、シュラ・コスメティックの親会社のようよ。私もインターネットで調べたけど、人材ビジネス業界では名の知れた会社みたいね」

「うん、まあね。それにしても驚いたな、栗原運輸がシュラ・コンサルタンツの仕事を請け負うなんて」

「諒輔さんの財団もシュラ・コンサルタントと取引があるの?」

「いやそう言う訳じゃないけど……」

 会話が途切れたところで、諒輔は話題を変えて質問した。

「するとシュラ・コスメティックの工場は箱根にある訳だね」

「えぇ、箱根の仙石原にね。香料・アロマの製造工場らしいわよ」

 諒輔は研修見学した時に案内してくれた者が、自社開発・製造のアロマとか何とか言っていたのを思い出した。子会社がアロマなどの香料を製造しているのは筋は通っている。

「その工場の近くに、シュラ・コンサルタンツの研修センターがあるはずだが」

「えぇ、あるわ。工場の隣にシュラ・コンサルタンツの大きな研修施設が……ねえ、どうしたの、そんな怖い顔して、この会社何か悪い事しているの?」

 諒輔の何時に無い真剣な表情を見て、八百子は不安になる。

「うん、そうなんだ。とんでもない事をしているのかも知れない」

 諒輔は黙り込み考えた。八百子に協力して貰えば、教団の施設に潜入出来るかもしれない。でも八百子に潜入の手引きを手伝って貰えば、八百子に危害が及びかねない。

 ジレンマに苦しんだが、この機会を逃したら、二度とこのようなチャンスは訪れないかもしれない。諒輔は正直に事情を話して、判断は八百子に委ねることにした。 

 

 諒輔はシュラ・コンサルツの裏面を説明し、その箱根の施設でサリンなどの毒ガスが製造されている可能性があることを話して聞かせた。サリンと聞いて八百子は驚き、息を飲んだ。諒輔は、そんな八百子を申し訳無く思いながら眺めていたが、八百子が落ち着くのを待って切り出した。

「そこで、八百子さんに頼みがあるんだ。警察でもその情報は察知していて、過去に何度か捜査員を潜入させようとしたんだけど、悉く失敗しているんだ。どうだろう、僕をその研修センターに連れて行ってくれないか。僕が内部を探ってみようと思うんだ」

「諒さんが? 何故?」

「詳しい事は言えないけど、この件は警察庁と協力して捜査することにしているんだ。もし、八百子さんが望むなら、警察庁の担当者に引き合わせることも出来るけど、会ってみるかい」

 八百子は頭(かぶり)を振った。

「警察は嫌いよ。それより、諒輔さん大丈夫なの? そんな相手、私怖いわ」

「うん、僕は大丈夫だけど八百子さんに危害が及ぶ可能性も否定できないからね。心配なら断っても良いんだよ」

 八百子はじっと考え込んでいたが、意を決したようにキッパリと告げた。

「いいわ、諒輔さんの頼みなら、それにこの仕事、白黒はっきりさせないと、父さん何時まで経っても断れないから」

「八百子さん、ありがとう」

 諒輔は感激の面持ちで八百子の手を両手で握った。

 

 それから数日後、諒輔は栗原運輸のマークの入ったジャンパーを着て、八百子が運転するトラックの助手席で揺られていた。『慣れた道だから』と八百子が運転を申し出たので、諒輔は先程から海原のように広がる芒の原を眺めている。晩秋の箱根仙石原は芒で埋めつくされ、風に吹かれて揺れる様は、銀色の波のようであった。

 シュラ・コンサルタンツの研修センターは、大手企業の保養所や研修所が集まる姥子地区ではなく台ケ岳の麓、奥の湯に近い山間にあった。想像以上に広大で、白一色で統一されたその外観は、白亜の殿堂と呼ぶにふさわしい威容である。

 研修センターの脇道に入り、ぐるりと回り込むと、研修センターの建物に隠れるようにして建つ、工場らしき建造物が目に入った。高いコンクリートの塀に囲まれた工場の入り口の前で八百子はトラックを停めた。塀には《シュラ・コスメティック 香料・アロマ製造工場》という青銅製の看板が埋め込まれている。

「先ず、このゲートを通り抜けるけど、身分証の提示を求められるから、栗原運輸の社員証を警備員に見せてね」

 八百子はトラックから飛び降りると、諒輔にも付いて来るよう促した。八百子は胸の丈ほどある鉄柵から中を覗き込み、工場の敷地の中の警備員詰所に向かって手を振った。それを認めた警備員が、いそいそとした足取りでゲートにやってくる。馴染みの警備員らしい。

今日の八百子は、ばっちり化粧しており、嫣然と警備員に微笑みかけた。

「栗原運輸です。毎度お世話様です」

 警備員はそんな八百子を見て相好を崩したが、後ろの諒輔を見ると一転、気難しい顔になった。諒輔が不機嫌そうな表情で警備員を睨んでいたからだ。

「あまり見かけない顔だな、新入りか」

『そら、来たぞ』

 八百子は内心呟いて気を引き締めた。新人の場合は、根掘り葉掘り、色々な事を詮索されるのが何時ものことである。

「えぇ、そうです。先月入ったばかりで……ほら挨拶しなさい」

「ぅおっす、よろしく!」

諒輔は睨みを効かせ凄んで見せた。

「態度悪い奴だな,どれ身分証を見せてみろ」

 警備員は身分証に貼られた写真と諒輔の顔を見比べている。

「御免なさいね、礼儀知らずで。ちょっといいかしら」

 八百子は警備員の傍らに身を寄せると、その耳元で何か囁く。警備員はにやけた顔をして、しきりに頷いている。

「そうか、まぁいいだろう」

 警備員がゲートの内側のボタンを押したのだろう、鉄柵が左右にがらがらと音を立てて開いた。

「ありがとう、今度お土産持って来るわね」

 八百子は調子良くそう言うと、諒輔を急き立て、トラックに乗り込んだ。

「上手く行ったね」

諒輔は運転席に座った八百子に笑いかけた。

「諒輔さんに言われた通り、とんでもなくクレージーで危ない奴だって聞かせたわ。まさかこんなに上手く行くとは思わなかったけど……それにしても諒輔さんの凄み方が可笑しくて、笑いを堪えるのに苦労したわ」

 実を言えば、警備員に耳打ちした八百子の行為が功を奏したのだとは分かっていたが黙って聞き流した。

 トラックは裏手に回り工場とは別棟の倉庫の前で停車した。倉庫のシャッターは開いていて、中に小型コンテナーと、大型フォークリフトが置いてある。このフォークリフトを使ってコンテナーをトラックに積み込むらしい。

「八百子さん、一人でコンテナー積み込めるかい」

「えぇ、何度も一人でやったから大丈夫だけど」

「じゃ悪いけど、僕はその間に、工場の中を調べてくるよ。コンテナー積み込むのにどれ位時間がかかる?」

「何時も大体二十分位かしら、それ以上係ると怪しまれるかもね」

「分かった、その間に戻って来る。それじゃ……」

 あまり時間に余裕が無いので、諒輔はトラックから急いで降りようとした。

「あ、待って、工場の出入り口は、警備員詰所の横にあるからね。警備員が見張っているから気づかれないようにしてよ」

 諒輔は『分かった』と言うように手を上げると、トラックを飛び降りた。駆け足で警備員詰所が見える工場建物の角まで来ると、警備員の様子を窺った。警備員は居眠りすることもなく真面目に仕事に就いている。

 諒輔は急いで印を結び、呪を唱えた。犬麻呂と牛麻呂が現れる。諒輔の意を素早く悟った二人の式神は、警備員詰所に擦り足で近づく。犬麻呂は腰の扇子を引き抜くと、半分開き、紙飛行機を投げるようにして、空に放った。扇子は空を飛んで警備員の方に向かったが、途中で鳩位の大きさの鳥に変身した。極楽鳥のような美しい尾羽を持つその鳥は、警備員の足元から一メートル位の地面に着地すると、バタバタと羽ばたき、地面をぐるぐると回った。それを見た警備員は何事かと驚いたようだが、美しい鳥と知ると、近寄り、手で捕まえようとした。しかし、今一歩という所で鳥は、警備員の手を逃れ、また一メートル位遠のき、バタバタと羽ばたく。その間に牛麻呂は、ふわりと跳躍すると、入口の上部に取り付けられている監視カメラの向きあらぬ方に変えてしまった。警備員はまだ鳥を追い回している。その隙に諒輔は工場の内部に入り込んだ。

 

 入って直ぐの両側には更衣ロッカー室があった。左が男性、右が女性用の表示がある。そしてロッカー室の奥に、防護服ルームという表示の部屋があり、中を覗き込むと、放射能防護服のように頭から足元までをすっぽり覆う服がずらりとぶら下げられていた。特大、大、中、小とサイズ順になっているようだ。

 更に進むと除染ルームという表示の部屋があって、固定シャワーと足元を洗うためと思われる手持ち用のシャワーの設備が幾つもあった。仕事を終えると、ここで除染し、次に防護服を脱ぎ、更衣ロッカーで着替えるという仕組みになっているに違いない。いつの間にか犬麻呂も戻っており、牛麻呂と共に諒輔の後ろに控えている。諒輔は二人に「ご苦労であつた」と労い、呪を唱え式神を下がらせた。

 腕時計を見ると、既に十五分経過している。急いで携帯のカメラであちらこちらを撮影していると、通路の突き当たりにある扉の向こうから話声が聞こえて来た。諒輔はどうするか一瞬思案したが、防護服ルームに入り、特大サイズの陰に隠れた。その一行は除染ルームに入るとシャワーを浴びていたようだが、時間をあまりかけずに出てくると、諒輔が隠れている防護服ルームにがやがや話しながら入って来た。

「あー、防護服は息苦しくて、かなわないな」

「ほんと、俺なんか発狂しそうだよ」

「お前、すでに狂ってんじゃねーのか」

「何言ってやがる。それより腹減ったな、今日は何食うかな」

「そうだな、研修センターの食堂に早く行こうぜ、あそこの飯は旨いからな」

 それぞれが防護服を脱いで吊り下げると外に出て、男性用ロッカー室に入って行く。全員十二名、すべて男性のようだ。ロッカー室を出て来た男達は、誰もがジーパンに上着を引っ掛けている。諒輔と大差無い服装だ。諒輔はふと思いついて、男達の最後尾にそっと走り寄った。男達は、早く食事がしたいのだろう。後ろを振り返ることもなく、話しながら工場の外に出た。諒輔も素知らぬ顔をして、その後に続く。警備員が敬礼をして男達を見送る隙を突いて、諒輔は警備員詰所の裏側に回りしゃがみ込んだ。

 

 八百子はジリジリとして諒輔が帰ってくるのを待っていた。すでに三十分近くなろうとしている。その時、八百子は諒輔の声を聞いた気がして辺りを見回した。

『八百子さん聞こえるかい。諒輔だよ』

「え、えっ、何処? 何処にいるの」

『シー、静かに、いいかい僕の言う事を落ち着いて聞いて欲しい』

「分かったわ」

 混乱して落ち着くどころではなかったが、兎も角そう返事して、また周囲を見回した。

『トラックで警備ボックスの脇まで来てくれないか。そして、あの警備員の気を引いてくれないかな。その隙に助手席に乗り込むから』

「いいわ、やってみる」

 八百子はエンジンをかけると、そろそろと、警備員詰所に近付いて行き、トラックを止めて、降り立った。

「あぁ、今日は何だか積み込むのに、長引いちゃって、それに途中で気分が悪くなって、熱があるのかしら」

 八百子が自分の額に左手をやって「ねえ、ちょっと私の手、熱くない?」と右手を警備員に差し伸べた。警備員は信じられない幸運に出逢ったような、うっとりした表情で手に触る。

『うー、気持ち悪! 熱があるのはあんたの方だわ』

面には出さずに内心叫ぶ。

 その隙に諒輔はトラックの助手席に滑り込んだ。それを横目で見た八百子は「お陰さまで、熱が引いたみたい。ありがとう、それじゃ」と警備員の手を振り払って、運転席に乗り込んだ。

「うん、それじゃ、次にまた会うのを楽しみにしてるから」

 警備員は未練がましくそう言うと、詰所に戻り鉄柵の開閉ボタンを押した。エンジンを空吹きさせ待ち構えていた八百子は、鉄柵が開くとアクセルを踏み込みタイヤの軋み音を立てて、ゲートを飛び出した。