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第十二章 世田谷安倍屋敷

第十二章 世田谷安倍屋敷

 諒輔は財団会長に正式に就任した。所管官庁の宮内庁に就任届けを提出し、財団定款や商業登記簿に会長として諒輔の氏名が掲載されたので、阿修羅教団側も諒輔が陰の長者になったことを知るであろう。理紗はこれで、彼等からの攻撃対象から外されることになりそうだが、これからは諒輔が彼等の攻撃に注意しなければならない。

 諒輔はこれを機に、八王子のアパートを引き払って、世田谷の安倍家屋敷に引っ越そうと思った。しかし、今ひとつ気が進まないのも事実であった。忠彬の記憶を探ってみても、あまり良い印象があの屋敷には無いのである。しかし何事も実際に自分の目で確かめることが大切である。理紗との約束に従い、二人で世田谷の屋敷を訪れることにした。桜坂の財団事務所を訪れた時は、迎えの車を断ったが、今回は駅から離れている上に分かり難いということなので、最寄り駅の小田急線成城学園前駅からの送迎を神崎に依頼した。

 

 国分寺崖線とは多摩川が十万年以上の歳月をかけて武蔵野台地を削り取って出来た段丘である。その崖の連なりは立川市から国分寺市を経由し、世田谷区にも亘っており、その延長は三十キロメートルにも及んでいる。安倍家の屋敷は世田谷の野川を見下ろすこの涯線段丘の斜面に建てられており、周囲は武蔵野の自然のままの雑木林になっている。屋敷以外の敷地の大部分は崖や斜面であったが面積は広大であった。

 リムジンは崖下のゲートを通り抜け、くねくねと曲がる細い坂道をゆっくりと登って行く。秋も半ばを過ぎ、雑木林の木々は落葉を始めていたが、屋敷近くは杉などの常緑樹の林になっていて、昼というのに薄暗い。

 やっと屋敷門に到着し、神埼がリムジンを降りて門を開く。理紗は車の中から、屋敷の中の様子を薄気味悪そうに眺めていた。

 神崎は再びリムジンに乗り込み車を進め、屋敷の洋風の車寄せで停車した。神崎はリムジンのドアを開け、諒輔と理紗が降り立った。今日の理紗はジーンズにスニーカーというカジュアルな姿で、髪はポニーテール風に後ろに纏めている。

「この屋敷には私が屋敷番として住んでおります。昼間は財団の仕事があるので、私はおりませんが、警備保障会社に警備を依頼しています。それから後でご案内しますが、この敷地内にはクラシックカーを収納する車庫がありまして、その管理も私が担当しています。では先ずは屋敷内をご案内しましょう」

 神崎は玄関を開け、二人を中に入るよう勧めた。玄関付近の建物は洋館造りで、一部が二階建てになっている。忠彬が建築してから五十年程経っている筈だが、手入れが行き届いているのだろう、壁や柱にひび割れや剥がれは見当たらない。中に入ると吹き抜けになっており、大きなシャンデリアが吊り下げられていた。洋館一階部分は応接スペース、二階部分は来客用のベッドルームになっていた。

 屋敷の奥の部分は和風木造建築で、庭に面した大広間があり、その他、書斎、寝室、子供部屋、使用人の部屋、食堂、浴室など大小様々な部屋があった。それらの間取り配置は陰陽道の風水によるものであり、合理的な思考をする理紗にとっては、使い勝手の悪い屋敷に感じられた。

「やはり私、この屋敷には住めないわ」

 理紗は感想を述べ、同意を求めるように諒輔の顔をみた。

「そうかな……」

 諒輔は理紗とは違う印象を抱いていた。諒輔は先程から、この屋敷の佇まいや、屋敷の中の様子に懐かしさを感じていたのだ。この屋敷には先入観としての悪い印象しかなかったのだが、こうして実際訪れてみると、諒輔には、相性の良い建物のように思えたのである。陰の長者になったからそう感じるのか、それとも子供の頃、母と歩いた糾の森の雰囲気にどこか似ているからなのか分からないが、諒輔はこの屋敷に住んでも良いと考え始めていた。

 屋敷の最奥の鬼門にあたるところに、代々の陰の長者を祭祀する部屋があった。この部屋には陰の長者以外はたとえ理紗であっても入れないので、諒輔一人が入ることにして、理紗と神埼は洋館の応接室で待って貰う事にした。

 諒輔は祭祀の間の前に立つと、印を結び、呪を唱えて式神を呼び出した。いつもの犬麻呂と牛麻呂である。二人の式神は祭祀の間の観音開きの扉を左右に引いて開いた。この扉は式神でなければ開けることは出来ない仕組みになっていたのだ。諒輔が室内に入ると式神も後に続き、内側から扉を閉めた。

 中は真っ暗になった。式神の動く気配がしたかと思うと、左右に置かれた燭台に明かりが灯った。犬麻呂、牛麻呂が燭台から離れ、諒輔の後ろに畏まる。燭台の灯りで室内の様子が浮かび上がる。白木の祭壇が四段ありその台上には、霊璽がずらっと並んでいる。歴代の陰の長者のものであろう。四段の祭壇より更に上の壇に一際大きい霊璽がある。始祖、晴明公のものであった。

 床には魔方陣のような大きな円があり、その中に晴明紋である五芒星が描かれていた。

部屋の壁の右に青龍、左に白虎、祭壇裏の壁には裏土御門の守護神獣の玄武が描かれている。朱雀はどこかと探し、振り返ったがそこは扉で何も描かれていない。ふと上を向くと、天井一杯を朱に染めて朱雀が羽を広げていた。

 

 諒輔は祭祀の間を出ると、洋館の応接室に行き、理紗と神崎に、この屋敷に住むと伝えた。それを聞いた神崎は大層喜んだが、理紗は『理解できない』という表情をした。

「理紗さん、この屋敷は理紗さんのものなのだから、そんなに嫌わないで下さいよ。月に一度ぐらい是非、家主として、店子の様子など見に来て下さい。歓迎しますよ」

「えぇ、まぁ気が向いたら……」

 理紗は思う。どうせ会うなら麻布とか代官山とか洒落た街中にして貰いたい。

『こんな辛気臭いところ、勘弁して』

 理紗は内心呟いた。

「それでは、クラシックカーのコレクションをご覧に入れたいと思いますので、一旦外に出ていただけますか」

 玄関を出て、車庫の前に来ると神崎が説明を始めた。想像以上に大掛かりな構造物であった。

「ご覧のように非常に大きな車庫です。二十台は楽に入る設計になっていますが、現在全部で十二台のクラシックカーが保管されています。今、シャッターを開けます」

 神崎が電動スイッチを入れ、三つあるシャッターの内、一番左側を開けた。現れたのは五台のクラシックカーであった。

「この五台は、ヴィンテージカー呼ばれるもので、1930年以前に生産された自動車です。これは1920年製のベントレーで、あれは、1926製のオースチンです。えーと、それからこちらは――――」

 神崎は、嬉しそうに色々と説明してくれたが、諒輔はともかく理紗は興味が無いらしく、小さな欠伸などしている。

「神崎さんありがとうございます。ところでこれ等のクラシックカーは、公道を走ることが出来るのですか」

「えぇ勿論です。どの車もちゃんと車検を取っています。ですが安全面という面では大きな問題があります。シートベルトやエァバックが装備されていないなど、事故に遭った場合は大変危険です」

「でも先代が乗っていたクラシックカーにはちゃんと安全装置が装備さえていましたが」

 諒輔は忠彬が崖から落ちたあの事故の事を思い出して尋ねた。

「忠彬様は、遠出なさるときは安全を考えて、セーフティ装置の付いた特別仕様のクラシックカーに乗車されたのです。都内など近場の場合は、何も手を加えないクラシックカーの運転を楽しんでおられました」

 神埼も相当なクラシックカーマニアのようで、なおも説明を続けたそうな表情をしていたが、ここらでひとまず退散することにした。

「さぁ、それではそろそろ帰りましょうか。理紗さん成城にうまい中華レストランがあるんですが寄って行きませんか」

 諒輔は、上機嫌で理紗に話しかけたが、理紗は何か浮かぬ顔である。

「何か先ほどから胸騒ぎがしてならないの。心配だわ、私達に危険が迫っている……」

理紗は以前にも『私には危険を察知する能力が有る』と言っていた。諒輔は大して気に留めなかったが念のために神崎にこの屋敷のセキュリティをチェックするよう指示した。神崎は携帯電話を取り出し何やら操作していたが、「この屋敷の監視装置が作動していません。何者かがシステムを遮断した疑いがあります」と急いで車庫のシャッターを閉めた。

「ここは危険です。屋敷の中に入りましょう」

 神崎の言葉に従い、急ぎ足で玄関に向かった。

 玄関に向け急ぐ諒輔たちの前に物陰から黒服の男が五、六名走り出てきた。身の丈程の棒を脇に抱えている。後ろにも気配を感じて振り向くと、同じ格好をした者がやはり五、六名走り寄ってきて、脇に抱えた棒を両手に持ち身構えた。諒輔達は取り囲まれてしまった。

「三輪諒輔だな」

 待ち伏せていた中の一人、それは偲ぶ会に現れた、長髪、色白の女に見紛うあの優男であった。隣にいるのは顔に大きな傷のある男だった。

「あぁ私が三輪諒輔だ」

 諒輔と神埼は理紗をかばう様にして、油断なく身構える。

「ふん、若造だな。お前本当に陰の長者か?」

「はは、どうかな」

「安倍の血筋を引かぬ者が陰の長者になれる訳がない。お前は偽者であろう。それとも陰の長者である証拠を見せるか、それ!」

 優男の合図に呼応して、前後の敵が一斉に攻撃してきた。諒輔は身体が自然に動いて合気道の技を繰り出していた。大学時代の同好会で合気道をしてきた土台の上に、忠彬の武術の記憶が反応して自分でも驚くほどの技の切れがあった。諒輔はたちまち二人の敵を投げ飛ばした。神崎はさすがプロの腕前で、棒の攻撃をものともせず空手で反撃している。

「敵の棒を奪って私に下さい」

 理紗は高校時代に女子剣道でインターハイに出場したことがあり、武器があれば戦える自信があった。

「私、小さい時から剣道していたんです」

 諒輔は打ち込んできた棒をかわすと、敵の懐に飛び込み、腕の関節を決めて棒を奪い取った。

 その棒を受け取ると理紗は敵と対峙した。棒の先を細かく上げ下げしていたが、打ちかけてきた敵の棒を払い除けると、敵の脛を強かに打った。脛の急所を打たれた敵はその場にへたり込む。理紗まで手強い反撃をするとは思っていなかったのだろう、敵は怯んだ。

「合気道に空手、剣道か、中々手強いな」

優男は手負いの男達を自分の後ろに退けた。

「三輪諒輔、体術比べはこの位にして、今度は呪術比べと行くか」

優男はそう言うと、空に九字を切り、密教の真言を唱えた。風が巻き上がり小さな竜巻が生じた。と見る間にそれは人の倍ほどもある鬼神の姿に変貌した。火炎を全身から放っているからこれは不動明王か。

「どうだ、三輪諒輔、お前も呪術で応戦せんか、そーれ!」

 優男が手を上げると、鬼神は口からゴーッと音を立て、炎を吐き出し威嚇した。理紗は驚いて諒輔の背後に隠れる。

「仕方ないな、それでは相手するか」

 諒輔は印を結び、呪を唱えた。ぼぉーと白い靄のようなものが湧き上がった。それは一旦拡散したが急速に凝縮して、クリスタルのように光り輝く天女の姿が現れた。辺りの空気がいっぺんに冷え込み、見守る者達の肌に鳥肌を立たせた。

「待たせたな、それでは行くぞ」

 諒輔が指先で、空に小さな円を描くと、天女が片手を口元に添えて、鬼神目掛けて、ふぅーと息を吹きかけた。盛んに炎を上げていた鬼神は、天女に息を浴びせられると、たちまちの内に炎はチロチロと燃える炭火程度になり、天女が袖を払うと影が薄れ消滅してしまった。呪術の技量の差は歴然である。とても適わぬと悟ったのか、優男はそれ以上反撃しようとはしなかった。

「確かにお前が裏土御門陰の長者であること見届けた。今日の目的は達したので引き上げるとしよう。今回はほんの小手調べだ。次に合間見える時は、これ位では済まぬこと良く覚えておけ」

優男が手を振ると、比較的元気な者が手負いの者を担いだり、支えたりして屋敷から出て行った。諒輔は敵が逃げ去るのを見届けると、呪を唱え天女を消した。

「諒輔様、あの天女は理紗様にそっくりでしたね」

神崎は諒輔が新しい陰の長者として頼もしい働きをしたので、安心し、感動していたので、つい気軽に思った事を口にした。

「そうかな、偶然だと思うよ」

 諒輔は照れていると理紗は思った。

『私にだって、読心能力が有るのよ』

 理紗そう言いたい衝動をぐっと堪えた。