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第一章 旧街道

第一章 旧街道

 八王子郊外の丘陵地帯はこの十数年間、大規模な宅地造成がなされてきたが、市街地から遠く離れたこの辺りはさすがに人家が少なく、行き交う車も滅多にない。諒輔は先程から、アルバイト先の運送店の名前が入った軽自動車を慎重に運転し続けている。

 旧街道であるこの山間の道路は、狭いうえに曲がりくねっているので、今日のようによく晴れた昼間でも気が抜けないのだ。ところで、二十八歳にもなって何故昼日中からアルバイトをしているかというと、大学を卒業して入社した会社を数か月前に辞表を叩きつけ退職してしまったからである。不況の最中に失業したわけだが、目下のところはサラリーマンのしがらみから離れて清々した気分であった。   

 折しも新緑の季節であり、山も谷も鮮やかな緑に染まっている。全開にした窓から吹き込む爽やかな風が何とも心地よい。今日は順調に配達が進み、この先の峠にあるドライブインに荷物を届ければ仕事は終りである。最近は指定時間に宅配物を届けに行っても不在の場合があったりして、こんなに順調に仕事が運ぶのは滅多にないことであった。

 

 ドライブインは、峠の茶屋といった方がぴったりくる風情の古ぼけた小さな建物で、その前にわずか数台が駐車できるスペースがある。今日は珍しく車が一台止まっている。いかにも高級そうな車だったので、諒輔は万一ぶつけて傷つけたら大変と少し離れて駐車し、降り立つとその車に近づいた。

 車にあまり興味のない諒輔でも、目の前にある車がマニア間で高額で売買されるクラシックカーの類であることは容易に理解できた。しかし、それ以上のことは分からないまま、繁々と車を眺め回した。型式こそ古めかしいが、流線型をしたその外形の機能美とマホガニーの木目が美しい内装に眼を奪われていたのだ。

 ちょうどその時、一人の男性が両手に紙袋を下げて、店から出てきて諒輔の方に近付いてきた。頭髪が真っ白で顔には深い皺が刻まれていることから、かなりの年配の人と察しがついたが、ピンと伸びた姿勢には老人じみた感じがない。一八五センチの身長がある諒輔ほどではないが上背があり、トラッドな衣服を身に着けたその様子は、白髪の紳士といった形容が如何にも相応しい。

「クラシックカーに興味がお有りかな」

いきなり問いかけられて諒輔は少し慌てた。

「いえ、興味は特にないのですが……」

そう答えたものの、興味津々に車を見ていた自分のことを思うと、何か照れくさい。

「そうか、それじゃな」

 男は下げてきた紙袋を後部座席に投げ込み、革張りのシートに身体を沈めると、サングラスをかけ、車をスタートさせた。小気味良いエンジン音を立てて八王子方面に走り去って行く。

 諒輔は呆けたように、その車が坂道を下って姿が見えなくなるまで見続けていたが、呪縛を解き放つように身震いをすると荷物を肩に担いでドライブインの入口に向かった。

 

 この店は、気の良い話好きの老夫婦が、細々と営業を続けている。諒輔が荷物を渡すと、いつものように茶を勧め、いろいろと話しかけてきた。普段客がいないので、偶に訪れる馴染みの者は夫婦の格好の話し相手にされてしまうのだ。

「諒さん、新しい恋人は出来たかい」「運送店の出戻り娘とはどうなってんの」「こうやって良くみると、韓国の男前スターに良く似ているよね」「いやそれよりも、お笑い芸人のあのイケメンに似てないかい」「昔の恋人とはよりを戻したりしないよね」等々、いつもの通り際限がないので、適当にやり過ごして諒輔は話題をあの白髪の紳士に振り向けた。すると、待っていましたとばかりに、老夫婦はその紳士のことについて話しだした。

 数カ月に一回程度この店に寄って休んで行くこと、その度に違う種類のクラシックカーに乗って来ること、見かけによらずとても気さくな人であること、いつも沢山土産を買ってくれることなど、話が盛り上がっていたその時、入口から客が入ってきてお喋りは中断された。

 入って来たのは二人連れの男で、共に黒の丈の長い上着を着ており、何やら不気味な雰囲気を漂わせていた。話好きの老夫婦もそんな二人連れに威圧されたのだろう「いらっしゃいませ……」と言った切り後の言葉が続かない。

「前に止めてある車はあんたのものか」

  背は低いが肩幅の広いがっしりした体格の男が、諒輔に声をかけてきた。

「えぇ、そうですけど何か」

 警戒感から思わず相手の意図を探る調子になる。

「八王子の方からやってきたのか、それとも反対側から来たのか」

居丈高な物言いに少しむっとして押し黙っていた。

「いやあ、済みません。不躾な質問をしてしまって」

 もう一方の背の高い男が、気味の悪い笑顔を浮かべて割って入ってきた。

「実は、一緒にドライブしていた者とはぐれてしまいまして……その人は古い年代物の車を運転していてとても目立つ筈なのですが、見かけなかったでしょうか」

 男の笑顔が如何にも胡散臭いので、諒輔がなおも黙っていると、男は老夫婦の方に向き直り二人の顔を交互に覗き込んだ。

「あーそれなら……」

「えー、それなら……」

男の眼力と沈黙に耐えられずに老夫婦が話し始めた。

「ここに立ち寄られて、少し休んでおいででしたが」

「つい今しがた、ここを出て行かれました」

「今日はもう東京に帰るって」

「お土産も沢山買ってくれて」

「えぇもうそれはいいお方で……」

 交互にしゃべる続ける老夫婦の話を途中で制し、二人連れの男は、互いに顔を見合せ頷くと礼も言わずに外に飛び出した。車のドアの開閉音に続いて、吠えるようなエンジン音が轟く。諒輔が後を追って外に出ると、タイヤの軋む音を残して黒い大型のワゴン車が八王子方面に走り去って行くところであった。

 諒輔に続いて店から出てきた老夫婦が口々に叫ぶ。

「諒さん、どうしよう。あの二人組は、何か悪いことを企んでいるに違いないぜ」

「そうよ、いかにも悪人て顔してたわ。あの人に何かひどい事しようとしているのよ」

 確たる根拠はないものの諒輔にしてみても思いは同じだった。後先考えずに自分の車に飛び乗ると、軽自動車特有のエンジン音を唸らせて二人組の後を追いかけ始めた。

 

 八王子方面に向かう街道は急な下り勾配である。峠の付近は日光のイロハ坂ほどではないがカーブが連続しており、山肌を開削して作られた道の片側は山側の壁に、もう片方は谷側の崖になっている。しかもカーブなどの要所にしかガードレールが設けられていないので、運転を誤れば崖からたちまち転落である。諒輔は逸る気持ちを抑えて、汗ばむ手でハンドルを握り続けた。

 そうして十分も走っただろうか、突然大きな衝撃音が聞こえた。何か嫌な胸騒ぎがして、思わずアクセルを強く踏み込んでしまい、危うく山際の壁にぶつかりそうになった。これに懲りて速度を落としてヘアピンカーブを慎重に回り込む。すると前方にあの二人組の黒いワゴンが停車しているのが見えた。更に速度を落として近づいて行くと、車の音に気付いたのであろう、どこからかあの二人組が現れて、ワゴンに乗り込むと走り去って行った。

 諒輔はワゴンが停車していた辺りに車を止め降り立つと周囲を見回した。崖側の樹木が薙ぎ倒されたようになっているので、崖下を覗き込むとあのクラシックカーが落下しており、ボンネットから白い煙を上げている。

 諒輔が立つ位置から十メートル程の崖下であったが、運転席にはあの白髪の紳士らしき人物の姿が見える。なおも目を凝らして良く見たが、運転席の人はピクリとも動かない。救急車を呼ばなければと気付き、慌てて携帯電話を取り出して一一九番通報したが繋がらない。画面には圏外の表示。この辺りは電波が届かない地域なのだ。となれば、自分がこの崖を降りて、あの紳士を助けるしか手立てはない。足場の良い道筋が無いか崖に目を凝らすと樹木の隙間の下方に道路のようなものが見える。その時、閃くものがあり、自分の車に駈け戻った。

 車に乗りカーブ状の坂を下り、車1台がやっと通れる狭い脇道に車を乗り入れた。あの車が落ちた真下と見当をつけたところで車を降り、灌木と熊笹を掻き分けて進むと、果たしてそこに、あのクラシックカーがあった。何度か回転して落下したのであろうが、車輪を下にしてうまい具合に着地している。運転席の周囲もあまり損傷が認められない。ボンネットの白煙はどうやら、ラジエーター系統から漏れる水蒸気のようで、火の手が上がっている風ではない。そこまで素早く確認すると、諒輔は運転席に駈けより紳士に声をかけた。

 頭部や顔面を改めたが傷は無いようだ。しかし依然として目を閉じ、動かないままである。口元に耳を近づけて呼吸しているか確認し、更に手首の脈を探った。息をしているし、脈もある。死んではいない。安堵して、一層声を張り上げ、肩を揺すると紳士はうめき声をあげて目を見開いた。

「大丈夫ですか?」

 呼びかける諒輔の顔を紳士は不思議そうに眺めていたが「うむ、死んではおらんようだな」と言って顔を顰めた。どこか怪我をしているようだ。

「今、助け出しますからしばらく我慢して下さい」

 そうは言ったものの、シートベルトや膨らんだエアバックに固定された身体を引き出すのは容易ではなかった。クラシックカーではあるが、最新の安全装備が施されていたようで、それらを取り外すのに悪戦苦闘しなければならなかった。それでも何とか紳士の体を運転席から引き出すのに成功した。

 左の足に大きな怪我を負ったようでかなり出血している。先ずは応急手当として止血しなければと思うものの、どうしたらいいか分からない。もたつく諒輔の様子を見た紳士が止血方法を教える。紳士のネクタイを使って左腿の付け根を縛り、付近に落ちていた木の枝を使ってネクタイを絞りあげた。

「この辺りは携帯電話の電波が届かないので、救急車を呼べません。これから私の車で八王子の病院まで連れて行きます。いいですね」

 諒輔は紳士を助け起こすと軽自動車の助手席に運び入れた。

 

 聞きたいことは山ほどあったが、一刻も早く病院に運び込むのが目下の重大事と思い定め、車を運転することに専念した。

 しばらく走行するうちに、後ろから車が近付いてくるのに気が付いた。バックミラーに映る黒い車体はどうやらあの二人組のワゴンのようである。二人組みは諒輔が紳士を助ける様子を隠れて見ていたのだろう。

「あの二人組が追いかけてきました!」

 諒輔は思わず叫んだ。黒いワゴンは今にも追突するというところまで、車を寄せてきている。追突されたら崖から突き落とされてしまうだろう。恐怖に駆られて、スピードを上げた。

「落ち着け、慌てると崖から落ちるぞ」

 その時衝撃が走り、ハンドルをとられて山側の壁に車体を擦りつけた。ワゴンが追突してきたのだ。車体の右前部が大きく傷ついたものの幸いにしてまだ走行を続けている。しかしまた追突されたら今度は助からないかも知れない。

「いいか案じることはない、慌てずに運転を続けなさい」

『これが慌てずにいられるか』と諒輔は心の中で叫んでハンドルに齧りついた。

「先程は不意打ちを喰ったので、不覚をとったが今度はそうはさせない」

 紳士は白髪を風に靡かせながら、目を閉じ、聞きなれない言葉を唱えると、軽自動車は青白い燐光のようなもので包まれた。そのとき、またもや後ろからワゴンが追突しようとして迫ってきた。しかしあわや追突というところで、青白い光に触れるとワゴンは弾かれたように後方に吹き飛ばされてしまった。ワゴンは崖から転落しそうになったが、踏み止まると体制を立て直すとまた執拗に追跡してきた。何やら後方で大きな音がするので、バックミラーを見ると、ワゴンの助手席の男が窓から手を出して拳銃をこちらに向けているではないか。

「今度は、拳銃を撃ってきました!」

 諒輔は大声で叫んだ。

「心配するな、大丈夫だ。この車に結界を張ったから銃弾も届きはしない」

 後ろから盛んに撃ちかけてくる。しかし銃弾は不思議とどれも当たらない。

「何んですかそのケッカイというのは?」

少し安心して余裕を取り戻した諒輔が訊ねる。紳士は少し考える風であったが「ふむ、まあバリアのようなものかな」と薄く笑った。なるほど、そう言われて良く見れば、車は青白い燐光のようなものを放ちながら走り続けている。

 そのうち後続のワゴンは弾が尽きたのか撃つのを止め、一定の距離を置いて追走してきた。二人組は紳士が大怪我を負ったのを知っていて、その衰弱を待って襲撃しようと機会を窺っているようだ。その後もワゴンに気を取られ、対向車のトラックとあわや衝突という場面などがあり、緊張の連続であったが諒輔は紳士の事が心配で、時折助手席の方を窺い見た。紳士の顔色は蒼白で、一時的に意識が遠のくのか、首ががくんと項垂れてしまうことがあった。しばらくするとまた顔を上げるのだが如何にも苦しそうである。

「大丈夫ですか、気を失ってしまっては困りますよ」

紳士が項垂れると、車の周囲の青白い燐光が萎み、顔を上げるとまた元に復する。紳士が意識を失うとバリアの効果が失われるに違いなかった。

「思ったよりも大量に血が流れたようだな。このままではいずれ意識を失ってしまうことだろう」

「えぇーそんな! 気を確り持って下さい」

 諒輔は悲鳴に近い声をあげた。

「そうだな、ここらでケリをつけるとするか」

 紳士は呟くと、諒輔に命じて車を路肩に停めさせた。後続のワゴンも一定の距離を置いたまま、後方に停車する。

「車の向きを変えて、あ奴らの方が良く見えるようにしてくれんか」

 言われるままに、諒輔は車を少し横向きにして、助手席の紳士が後方のワゴンを良く見えるようにした。

 そのワゴンから、二人組が降り立つ。背の低い方は拳銃を、背の高い方は日本刀の抜き身を手にしている。最悪の状況は、超最悪の状況になりつつある。車から降りて逃げようとしたが、怪我をした紳士を置いては行けないと思い直した。どうしたものかとやきもきしたが、何も良い考えが浮かばない。諒輔が焦りまくっているその最中、紳士は手を奇妙な形に組み、口で呪文のようなものを唱え始めていた。

 ワゴンの山側は切り立った岩盤になっている。その上部からバラバラと小さな岩石が落下してきて、そのいくつかがワゴンに当たり大きな音を立てた。二人組は振り返って岩盤を見上げていたが、驚愕の表情に変わった。その上部が崩れ、もうもうとした土煙があがったかと思うと土石流となって押し寄せてきたからだ。そして土煙の中には、巨大な蠢くものがあったのである。

 土石流はあっという間にワゴンと二人組を飲み込むと谷側の崖になだれ落ちて行った。巨大な蠢くものは、雷のような咆哮を一声発すると崩れた岩盤の裂け目に入り込み姿を消した。

 

 


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