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原色または素顔

40. 原色または素顔


 「ヨシは減り、ゴミの露出は増え... 拾えども拾えども我らが干潟は何とやら、じっと...」 遠くを見つめる櫻であった。

 今日は近くも遠くもなく、全方位がよく見えるので、脱力感も大きい。気が緩むのは当然の理(ことわり)。

 大型ペットボトルが川の中央を漂流しているのがわかる。そして、それを避けようとした水上スキーヤーがジャンプに失敗したのもしかと見届けた。その瞬間である。風圧でも来たのか、デビュー初日のコンタクトレンズ(本日の「いいもの」)が片方落ちてしまった。

 「へ? な、なんで?」

 櫻の異変に周囲は気付くも、こういう事態だと下手に動けなかったりする。

 「櫻さん、動かないで。そのまま」

 片目では探しにくい。本人もできれば動かない方が無難である。たまたま近くにいた南実は、的確なアドバイスを送りつつ、レンズの捜索態勢に入る。

 幸い大方の片付けが済んでいた上、水位の上昇も緩やか。大騒ぎするには及ばないのだが、水際で落としてしまったのがいけなかった。波が襲って来たら、と思うと気が気ではない櫻である。露出面積が広いのはいいが、普段は水没している辺りは軟弱で、足が沈む感じ。慎重に足を運びながら、研究員は目を利かす。


 その場でおとなしくしていないといけないのが、いたたまれない。見つかるまで五分足らずだったのだが、随分と長く感じられた。

 「はい、見つかりましたよ」

 「助かりましたぁ」

 この時、ギャラリーは千歳、八広、舞恵、石島姉妹の五人。動作はストップモーション気味。暫時、黙視していたが、今はパチパチと手を叩いている。絵になるワンシーンである。

 「レンズって飛ぶんですね。よくぞ見つけてくださいました」

 「仕事柄、探し当てるの得意なんですよ。凸レンズ状のペレットもありますし」

 遅ればせながら、そろそろと彼氏が近寄ってきた。

 「大丈夫、ですか?」

 「あ、そうだ。バケツ貸して」

 「それが忘れて来ちゃったみたいで」

 「うぅ」

 ここで再び南実が名乗りを上げる。

 「今日まだ使ってないから。私の使って」

 今回は自前のバケツ持参だった。いやバケツではなくステンレス製のペールと呼ぶのが正しい。レンズを漱(すす)ぐには丁度良さそう。櫻は一人洗い場へ急ぐ。

 「ホレ、そこの彼氏、これがないとダメっしょ」

 親切なルフロンさんは、手のひら大の鏡を取り出すと、千歳に手渡した。

 「さすが女神さん。ありがとう!」

 舞恵は笑顔、南実はちょっと無愛想になる。


 櫻と千歳が中座している間は、蒼葉が進行役代理を務める。分類が済んだゴミのカウントに着手する旨、号令がかかる。櫻はいつものカウンタを持って来ていたが、ルフロンが居れば何のその。得意の目計算でバシバシ数え上げていく。

 手持ち無沙汰の南実は、二人が気になることもあったが、一旦洗い場に向かうことにした。途中、目をキラキラさせた櫻、一歩遅れて千歳とすれ違う。

 「あ、水汲んどきましたよ」

 「ども」

 文花が云うところの三角形の三人。外野の一隅で無言の時間が流れ出す。ペールに満たされた水が鏡のように静止している。三人は一様に唇をかんだままである。数十秒程度だったが、彼等には分単位の重み。南実は口を開きかけたが、会釈して先に現場に戻って行った。


 十一時半近く、目計算の結果がまとまる。ワースト1(5):発泡スチロール破片/七十一、ワースト2(3):プラスチックの袋・破片/五十七、ワースト3(1):ペットボトル/五十三、ワースト4(2):フタ・キャップ/三十七、ワースト5(4):食品の包装・容器類/二十九(*カッコ内は、十月の回、当干潟での順位)。次点は、タバコの吸殻等と小型袋が各二十八。雑貨も各種そろっているが、弁当やカップめんの容器、その他のプラスチック系容器類がとにかく目に付く。目的別で分類するなら、「容器&包装」がトップに立つのは間違いないだろう。気になるレジンペレットなどの粒々関係は、南実研究員が別働で調査しているが、「ダメだ。発泡スチレンにしてやられた」

 集めた砕片をペールに浮かべると、その水面は、すぐに白い球粒で覆われてしまう。いつも以上の収量があったので、サンプリングで済ませようとしたが、これじゃ埒(ラチ)が明かない。「二十対一くらいかな?」 南実もパチパチと目で数えようとするも、この通りアバウト状態。精彩を欠いているのはやはりあの人のせいだろうか。


 石島夫妻は目の前で繰り広げられている集計作業を黙って見ている。いや、感じるところは数多(あまた)あるものの、それを声に出していないだけ、という風である。

 「衣料品とか履物とか、相変わらず多いのねぇ... サンダルとかまだ履けそう」とか、

 「布団は察しがつくが、ゴムボートってのは見当つかんな。この調子で大物が大量に出てくるとなると、うちの負担もバカにならんぞ」とか。

 感想と言うよりは単なる見立てといったところか。


 両親とは対照的に娘二人はよく動いている。再資源化可能と思しき品々をまとめると、率先して洗いに行ってしまった。蒼葉はケータイ画面で計数入力中。その傍らで、千歳は例の如くスクープ系を撮り始める。レジ袋に入った雑多ゴミはこれまで何度となく見てきたが、このパターンは初お目見え。クイックメニュー業態店のテイクアウト容器の詰め合わせ袋である。それとセットという訳ではないだろうけど、ウエットティッシュの箱本体、水筒、歯間ブラシと続く。ストーリーとしては、手を拭いて、弁当をたいらげ、水筒に入ったお茶か何かを飲み、最後は歯のブラッシング。そこで使ったものは全てポイ、でこうなったとか。しりとりも頭を使うが、遺留品から物語を組み立てるのも悪くない。

 「千歳さん、どしたの? 思い出し笑い?」

 「へ? いやいや、ゴミにもドラマがあるんだなぁって」

 「このDVDのこと?」

 櫻が指差した先には、何かいかがわしそうなタイトルのAV系ディスクが転がっている。

 「ハハ、これもスクープ系?」

 「やぁね、そんなの記録しなくていいわよ」

 ディスクには真昼に近づく日射が当たって煌いている。

ま「それにしても、今日もよく晴れたこと。またしてもハレ女さんの完勝ね」

さ「皆の心がけがいいからよ。お天道様が味方してくれてるだけ」

あ「ところで初音さん、気温は?」

 ケータイは忘れても、デジタル温度計は常時携帯している。さすがはお天気姉さん。

 「二十℃スね。でも体感温度はもっと行ってるかも」

 十一月でこの気温。数字を聞いたら余計に暑くなってくるから不思議だ。R25のカップル二組は、せっせと可燃・不燃の別で袋に入れ始める。[プラ]の識別表示付きの品々と、舞恵が集めたボトル&缶関係は、その二十℃の熱で微かに蒸気を立ち上らせている。

 「よーし、リセット、いや再リセット完了! 皆さん、おつかれ様でした」

 一同礼、そして軽く拍手。石島夫妻も気が付くと手を合わせていた。南実も少し離れたところから頭を下げている。

 広々とした干潟はいつ見ても気持ちのいいものである。動機はどうあれ、新たに拓かれたルートからの眺めはなかなかの絶景。一羽のダイサギが優雅に現われ、情景を盛り立てる。だが、着地はせず、そのまま上流方向へ飛び去って行ってしまった。

八「こりゃ縁起のいいことで」

ち「どうせなら寄り道してけばいいのにねぇ」

ま「人が十人もいたら、ムリっしょ」

あ「馴れてもらえばいいのよ。また戻って来るまで私、残るから」


 正午を過ぎた。石島ファミリーが動き出す。

 「今日は皆さんおそろいで、どうもありがとうございました。お父様にはまた別途ご連絡を...」

 「ハハ、そうでした」

 「この後はどちらへ?」

 千歳の問いに、京(みやこ)が答える。

 「皆さんおなじみのショッピングセンターへ」

 湊と初音は以前よりはいがみあうこともなくなった。今日は家族そろってのお出かけデー。初姉の受験応援食事会なんだとか。

 「それでご両親もここへ」

 「現地集合でもよかったんですけどね。主人が寄ってこうって」

 「本当? ママが引っ張ってきたんじゃないのぉ、心配だわぁって」

 「ステキなお姉さんとお兄さんと一緒なんだから、別に心配なんかしないわよ」

 そんな素適な一人、見目麗しい画家さんが、おもむろに画布を出してきた。三脚に取り付けると、描きかけ作ながら印象派チックな川景色が拡がる。小梅は真っ先に駆け寄っていく。その後を家族三人も追う。

 「まぁ、絵描きさんだったなんて」

 油絵がセレブ感覚にマッチするのか、京は色めき立っている。

 「ここの本来の姿ってどんななんだろって、描きながら考えてるんです。少なくともゴミとか余分な人工物がない状態でしょうから、今のうちと思って」

 蒼葉としては他意なく、正直に話をしたまでだが、湊にはグサと来るものがあった。

 「本来の姿...か」

 小梅と京はそのまま覗き込んでいる。湊は我に返ったように、傍にいた千歳にステッカーを渡す。

 「これだけあればしばらく足りますかね」

 「あ、ありがとうございます。でもこれは姉妹のご担当じゃ?」

 「小梅はまたお世話になるでしょうけど、初音はしばらくお休みって、あ、まだ聞いてませんでしたか?」

 「はぁ...」


 その初音は舞恵につかまっている。

 「何? 初音嬢、日曜休業?」

 「えぇ、今日の食事会は景気付けです。以後、日曜日は勉強に専念します。お店は土曜日のパンケーキタイムだけ。受験が終わるまで、ここにもしばらく来れないかも」

 「そっかぁ、じゃ土曜日に顔出すようにするワ」

 「ルフロンさん、ちっとも来てくれないんだもん」

 「すまんすまん、十月は干物みたいになっててさ。こないだの台風の日にセンターに行ってやっと復活した感じよ。ま、お詫びっつぅのも何だけど、わからないことあったら教えたげるし。英語とか」

 「じゃあ、午後五時前後に。売れ残ったパンケーキでおもてなししますんで」

 「売れ残りぃ?」


 課長の粋な計らいで、大物ゴミは陸揚げした地点に置いておけばOKということになった。下手に貸しを作られるのは御免だが、少なからず改心する部分もあったようで、イイ顔で手を振っている。表情は嘘をつかない。これは初音が言っていたことでもある。


 可燃と不燃が計四袋、再資源化関係は二袋。これを六人で運び出せば今回は終了。だが、文化の日の翌日と来れば、「芸術の秋」を堪能しない手はない。昼食は二の次である。

 蒼葉はピクニックランチのことも忘れて、ひたすら原色を追究している。

 「川はグレーが基調? でも空の青を映して、大きく呼吸してる感じ。それって何色?」

 元々の姿を描くなら、限りなく透明感のある色になるだろう。絵筆は画家の思惟を乗せ、理想と現実の間を彷徨(さまよ)っている。

 自称アーティストの舞恵嬢は、前回から置き去りになっていた変形流木を発見する。

 「こういうことなら、工作キット持って来りゃよかった」

 その流木の枝に、缶やペットボトルを括りつければ、ちょっとした打楽器になると踏んでいるのである。仮にこれら飲料容器をリサイクルする場合、材質はそのままだが、形状の変化を伴うため、何らかのエネルギーが発生する。缶にしろペットボトルにしろ、その原形をとどめたまま使ってもらえるなら、それは即ち、リユース(再使用)。エネルギー使用が抑えられることから、リサイクル(再利用)よりも環境配慮に適うとされる。舞恵は特段そうした意識を持っている訳ではないが、「リユースアーティスト」になれる素地はある。

 「今日のところは良品を頂戴して、と。流木も持って帰ろ」

 かくして、いつもならリサイクル扱いの飲料容器は、余生を授かることとなり、純粋なリサイクル系は、隣市へ持って行く容器包装プラ関係のみとなった。


 文芸の秋、という人達もいる。櫻と八広は干潟端会議で、歌詞について話し合っている。

 「その千歳さん作の二曲目ってのがね、メロディーラインは何とか弾けても、何を歌にすればいいのかが思いつかなくて...」

 「詞がつけば、情景が浮かんで来て、もっとイイ感じで弾けるんじゃないスか?」

 「そうなの、だから詞が先でもいいんじゃないかって、言ってるんだけど」

 「櫻さんが鍵盤で入れたテイクができると、本多さんのところで加工されて、カラオケ仕様になるんですよね。それを聴いてから考えましょっか」

 「今、ここで聴いてもらえたら話早いのにね」

 チャラチャラが減ったルフロンだが、所持品は多彩である。今は耳がスッポリ収まるヘッドホンをして、首からはメモリオーディオをぶら下げている。モンキチョウとモンシロチョウの演舞に合わせて、軽やかにステップを踏む。舞恵さんだけに、舞いもお得意のようだ。

 「おーい! ルフローン!」

 八広が手招きすると、彼女はバッタを散らしながらもミディアムスローな調子でやって来る。

 「それって、メモリ差し替え式だよね」

 「そっだよ。今日はボサノヴァセレクションさ」

 「てことは、楽曲データをこれに入れればすぐに聴けるってこと?」

 「ファイル形式が合ってればネ」

 二曲目、そのダンサブルなナンバーも、遅かれ早かれ二人の耳に入ることになりそうだ。


 芸術モードではない二人が残っている。こっちは至ってシリアスである。南実は試料をジッパー袋に詰め終わり、研究用具の片付けをしていたが、いいタイミングで千歳がステッカーを貼り終えてウロチョロし出したので、すかさず呼び止める。

 「隅田さん、ちょっと」

 「あ、ハイ」

 四人は陸地にいるので、干潟に下りると目が届きにくくなる。引き揚げたゴムボートの横を通って、二人は今、湾奥に居る。

 「兄のこと、文花さんから、ですよね」

 「えぇ、お悔やみ、いや、何と申し上げたらいいのやら、ですが」

 「消息がわからないのが逆に救いではあるんですが、事故は事故ですから。ただ、これもお聞きになったかも知れませんが、隅田さん見てると、何だか兄が戻って来たみたいな、そんな気がして...」

 言葉が途切れてくる南実。快活なアスリートという一面は全く見られない。その嫋(たお)やかで愁いを含んだ眉目に、千歳は息を呑み、そして溜息。

 「自分でもよくわかんないんです。きっと隅田さんのことが好き、でも何でそう思うのか... 兄への慕情が転じて、だとは思うんですけどね」

 「小松さん...」

 「ごめんなさい。隅田さんには櫻さんがいるから、こういう話はするまいって思ってたんです。でも、ダメでした。打席に立ってもらったり、歌声聴いてたら、益々重なってきちゃって」


 「あれ、そういや千歳さんどこ行っちゃったんだろ?」

 「こまっつぁんもいないよ」

 「何かイヤな予感...」

 「この辺にいないとなると、干潟スかね」


 南実は泣き出したいのをこらえて、話を続ける。

 「川に一と書いて、せんいちと言います。だから『せんちゃん』なんて聞くと、泣けてきて」

 当の千ちゃんはひと呼吸おいてから、輪をかけるように泣けることを云う。

 「その川一さんの代わりはできないけど、何か力になれるんなら」

 「あ、いえ、別に今まで通りで。ここでお会いした時に、ちょっとだけ甘えたいかな、ってのはありますけど。片想いっていうのも変だけど、何となく慕わせて、ください」

 そう言い残すと、さっさと斜面を駆け上がって行ってしまった。


 「あ、小松さん、千歳さんは?」

 「あぁ、潮の上がり具合を眺めてて。まだいますよ。私はこれで。ルフロンさんも、またね」

 去り方がちと怪しかったが、普段通りのハキハキした感じだったので、詮索するも何もない。櫻はむしろ御礼を言わないといけないくらい。「あーぁ、何かスッキリしないし」 南実も同じようなことを思う。「櫻さんには誤解がないようにしておきたいなぁ。何かまだつっかえてる感じ...」

 独り南実が帰り、次は二人、ルフロンと八クンが帰途に。

 「じゃあお二人さん、今度は二十四日ね」

 センターとしては、法人会計を固めていく必要上、専門家として舞恵に来ていただくことになっている。八広は彼女の付き人のようなところがあるが、NGO/NPOの事情通である以上、それはそれで心強い。二人とも無償で構わないと云うが、舞恵は櫻のカウンセリングが受けられるのが特典。八広は千歳と情報交換するのに好都合。無償に足る理由がある訳だ。

 「奥宮さん、今度は雨とか連れてこないでね」

 「さぁね、そればっかりは。天気のことは初姉に聞かないと... あ、そうだ!」

 初音は受験勉強に専念するため、干潟にはしばらく来られないとの件、舞恵が申し伝える。

 「で、皆さんによろしく、と」

 「てことは、クリーンアップ後のカフェめしランチもしばらくお預け?」

 「初姉がいなくても別にいいじゃない」

 「だって、ニコニコパンケーキもお休みなんでしょ」

 「ウーン」

 悩める女性二人にとって、これがお導きとなればご喝采である。八広が提案する。

 「今からルフロンとお店探してきますよ。ちょうど自転車だから、あちこちと」

 職場の近所はよくご存じなのだが、「平日はランチやってても、日曜となるとね」と舞恵も同調。そして、付け加える。「あ、そうそう、さっき言ってた楽曲ファイル、お早めにね。待ってるから」


 今、干潟を見下ろす場所には、腰掛ける女流画家と、その脇に立つ男女が居る。蒼葉はいつの間にか一人ランチを済ませていて、ひたすら画業に集中。だが、段々と気が散ってきた。

 「あのさ、見ててもいいんだけどさ、お昼がどうこうとかここで相談すんの、止めてくんない?」

 「あ、ごめんごめん。少しはサンドイッチとか残ってるかと思ったら、全部食べちゃってんだもん」

 「早く二人仲良く行ってらっしゃいよ...と思ったけど、そうだそうだ」

 素顔の姉を見て、いいことを思いつく妹。

 「千さま、カメラ貸して」

 「あ、はいはい」

 二人をリセット後干潟に並ばせて構える。

 「今日は櫻姉の素顔復活記念日。はい、撮るわよー。あぁ、咲き始めのお二人さん、ホラもっとくっついて!」

 「何? 咲き始めって?」

 「さぁ」

 一枚目は顔を見合わせるような感じになってしまったので、その後、何枚か追加で撮影。続いては、

 「じゃ、姉妹の写真も」

 川も風も空も、そして姉妹の瞳も、皆キラキラ光って見える。千歳はその光にクラクラしながらも何とかシャッターを押す。


 「サギに会ったら、よろしくね」

 「D’accord, Bonne journée!」

 「A ce soir…」

 この姉妹、フランス語で会話したりすると、より美しく見える。


 「千歳さん? Comment ça va?」

 「え? Oui, merci…」

 「あぁ、そういう時は、Ça va bien, merci.かな」

 「サバですか」

 「そう、サバイバル会話です。どう?ってのを聞く時は、Ça va?でOK!」

 ゴミ袋四つを所定の場所に置きつつ、フランス語ワンポイントレッスンに興じている。やってる作業はお世辞にも洗練されたものとは言い難いが、会話の方はエレガントである。

 この後はいつもならカフェめし店、ただし今日に限っては千歳宅である。前カゴに容器包装プラの専用袋を載せ、櫻は自転車を押して歩く。至って身軽なのだが、とにかくノロノロ。横を徒歩(かちある)く千歳よりも遅いくらいだから相当なものである。

 「ねぇ、千歳さん、小松さんのことだけど」

 櫻は思い切って尋ねてみることにした。千歳は前のめりになって足を止める。

 「弥生ちゃんからちょっと聞いたんだ。彼女、お兄さんがいるんですって?」

 干潟での一件を訊かれると思い、ヒヤリとしたが、この質問も十分冷や汗ものである。

 「僕も文花さんから聞きました。で、さっき本人からも」

 「なーんかありそうね。推理してもいいんだけど、差し支えなければ教えてくれませんか?」

 櫻は南実、その兄、そして千歳の三者の間に何かある、というところまでは察しはついていたが、問い詰めたところで、千歳が喜ぶでもないだろうし、むしろ気を悪くすると承知していたので、質問形式に転じることにした。そして、それが幸いした。

 「え、そんなことって...」

 「当人はシリアスでもないって言ってたけど、どうしてどうして、なんですよ」

 「彼女、ズバッと来る時と、慎ましい時とあって、陰陽って言うのかな、そういうとこ感じてたんだけど、そのせいだったの、かしら」

 「何て云うか、本当は切ないのに、それを隠すように振る舞ってる、そんな風に思うと、こっちもちょっとね。今まで通り、顔を合わせて、話をして、それでいい、って、そんな言い方してたけど...」

 「私、ちょっとヤキモキしてたんだ。恋愛感情じゃないなとは思ってたけど、千歳さんとられちゃうんじゃないかって、一時はマジで気がかりでした。だから今日もビシって、ね。でも、そういうことならなぁ。ちと度が過ぎちゃった。あーぁ」

 櫻は親展封書のことはもう聞かなかった。その代わり、

 「てことはぁ、小松さんと千歳さんて、顔似てるってことじゃん」

 「そ、そうなの、かな?」

 推理という程でもないかも知れないが、これは当の二人ですら思いも寄らなかったことである。さすが、と言うしかないが、櫻は何食わぬ顔。

 「モテ系だもんね、いいんじゃない?」

 急に自分の顔が気になる千歳なのであった。


 駅前のベーカリーで、午後一の焼き立てから少々時間が経った惣菜パンなんかを買い込んで、彼の宅へ。珈琲片手にゆっくり、と行きたいところだが、ソングライターさんはハイペースである。

 「じゃ櫻さん、今日は例の二曲目。あとで一丁お願いしますね」

 「あの曲やっぱり難しいんですけど...」

 「業平氏とやりとりして、何パターンか用意してみましたので。Ça va?」

 「う、Oui, monsieur.」(苦笑)

 これが二人にとっての芸術の、音楽の秋。夕方には櫻versionが業平のもとに届くことになる。めでたしめでたし?

 「いいんだ、来週はちゃーんと甘えさせてもらうから」

 「そうそう櫻さん、この廃プラ、そっちで出してもらえるとありがたいんだけど。これでも減量努力したつもり」

 「まぁ、彼女よりも先に甘えちゃってぇ。そんなにちゃんと出したいなら、時にはウチに来なさいよ」

 素顔の櫻は、どこまでも強気である。次に二人が会うのは十日の土曜日。どうなりますやら...

 

【参考情報】 2007.11.4の漂着ゴミ / フランス語 小会話


11.11

十一月の巻(おまけ)

41. "11.11"


 矢ノ倉事務局長の采配で、法人役員の選考プロセスは着々と進んでいて、十月第四週には公募開始、その二週間後が締切、第二土曜日は掃部(かもん)先生の定期顔合せ日になったので、十日に一次選考と相成った。論文審査には、先生を筆頭に、文花、千歳、もう一人のレポート合格者の四人。残念ながら合格とならなかった、これまでの役員(世話人)の何人かは、合格者のレポートや、先生書き下ろしの模範論文などを見て気が引けたか、公募に応じることはなかった。地域振興の系譜で世話好きの方々に集まってもらっていた世話人会だったが、これで事実上の解散となる。年内いっぱいはまだお世話になるが、十二月からは法人シフトも並行する。意思決定等、徐々に理事会に移行していこう、という目算である。

 十七日は、業平が来る。その際、役員就任に必要な書類等を再度確認する予定。これは翌週の二次選考が済んだら、すぐにでも所定の手続きに入った方がいいだろう、という文花なりの読みに基づく段取り。その二次選考日は、祝日の翌日に当たる。一次合格者はプレゼン等の最終準備など念入りにできる訳で、こうした配慮も文花流。なかなかの日程配分で結構ではあるのだが、櫻の言う通り、しばらくいそがしくなりそう、な十一月である。石島課長の話を聞く会開催はいつになるやら。言うだけ言ってみた感じの櫻に対し、むしろ乗り気な文花だった。

 「あら、ちょうどいいわよ。新しい理事さん達にも入ってもらえれば、プレゼンとかで頭使った延長でいい意見も出てきそうだし。十二月一日でどう? で、翌日はクリーンアップ&現場視察。現場志向イベントのトライアル、ってね」


 「ということで、一日だったら、千歳さんも出勤日だからちょうどいいでしょ? 先生も大丈夫だって言ってたし」

 「開催案内って、明後日には出すんですよね」

 「当の石島トーチャンは先週中に調整とれましたしね。開催案内と要請文書が同時になりそうだけど、ま、大丈夫かと」

 十一月十一日、十一時発の送迎バスの車中で合流した二人は、デートだってのに、この通り仕事の話中。気が付くと、もう商業施設に着いている。

 「あ、一並びの瞬間、見損なっちゃった」

 「まぁ、2001年じゃないんだし、それほどのことは」

 「01.11.11 11:11 11秒... 1が十一って。ハハ」

 「今日はちなみに、細長いものの日。棒状のスナック、もやし、煙突...」

 「ま、1が四つ並べばそう見えなくはないけど、煙突四本ってのもね。あぁ、例のお化け煙突か。でも、煙突の日って何するの?」

 スーパー店内はその○○の日にちなんで、逞しくやっているだろうけど、そういうのは後回し。今日はまずシネマコンプレックスである。ネットで事前予約すれば話は早いのだが、招待券を持っているばかりに、席の予約は劇場で当日、となる。

 「帰りのバスに何とか間に合う。十五時半の回で、と。席はここね」

 「先月に続き、今回もご招待扱いで。毎度ありがとうございます」

 「へへ、これね、共通券だから他にもいろいろ観れたんだけど。とっといてよかった」

 大衆娯楽系とか、お涙頂戴系とかも鑑賞できる券だったが、櫻が選んだのは昭和三十四年を舞台にしたあの名作映画である。本日のメインイベント、映画鑑賞会は後ほど。


 混雑する前にランチにしよう、ということで、二人が入ったのは屋内イベント広場に面するシーフードレストラン。「あ、この店...」 花の日に、当日お誕生日のあの女性と来た曰(いわ)く付きの店である。まごつく千歳だったが、悟られてはいけない。

 「どったの? 千歳さん」

 「今日って、鮭の日にチーズの日? それで、サーモン増量のクリームソースパスタにチーズたっぷりで召し上がれって?」

 「ホリデーランチセットで1,100円? ハハハ」

 11.11限定メニューのおかげで、ボロが出なくて済んだ。ところで、チーズの日は歴史的由来がありそうだからいいのだが、鮭ってのはまた何で?

 「ホラ、土って十と一でできてるでしょ。それが二つ重なってるから、11.11。圭の字を当て込んだだけだと思う」

 「そしたら、桂の日、蛙の日も良さそだね」

 「あーら、崖だって畦だって、あとは何たって街でしょ」

 「へへぇ、おそりいりました」

 「ご褒美にちょっと頂戴」

 櫻は鮭の限定メニューをクルクルやっていたが、千歳の皿をちゃっかり隣に置くと、そっちをクルクルやり始めた。八月の時とは若干内容が変わっている。その桜エビの和風パスタに載っているのは、もやし、大葉、メカブ等々。今日はもやしの日だが、あいにく増量にはなっていない。その分、セットで900円とお手頃。

 「しかしまた、健康的というか、お手軽メニューなことで。あとでお腹空いても知らないから」

 「桜エビ、好きなんですよ」

 「フーン、桜エビねぇ。本当はさくらがつく誰かさんを食べちゃいたいんじゃないの?」

 「う...」

 メカブのネバネバが発声を遮っているのは確かだが、正直なところ二の句が出ない彼氏である。眼鏡をかけなくなった櫻は、小悪魔ぶりにさらに磨きがかかったような気がする。

 窓側の席なので、広場のデコレーションが目に入る。食事を終えてやっとこさ、恋仲風の会話になってくる。

 「ありゃりゃ、もうクリスマスの飾りが付いてる」

 「てことは、夜は夜でイルミネーション?」

 「十一月からこれが始まるようになって、一年が早くなった気がする。それとも単に年のせいかしら?」

 「何を仰いますやら。お若いのに」

 「冗談ヌキでね、今年は特にそう思うの。多分目の前にいる人のせいね」

 「へ? 僕そんなに櫻さんの時間とっちゃいました?」

 「そうねぇ、鍵盤に向かわせっ放しとかね。フフ」

 彼氏をからかうのは愉快である。だが、それじゃいつもと同じ。7.7 9.9に続く展開をここらで軽く入れておかないと。

 「あ、それだけ充実してたってことですよ。感謝してます。千歳さま」

 頬が桜エビみたいな色になっているのは気のせいか。「それは僕も同じ。Merci beaucoup. 櫻姫」

 ここで姫様は予定通り、甘えちゃう作戦に入る。

 「ところで千歳さん、十二月二十四日は、誰と過ごされるんですか?」

 「今、目の前にいらっしゃる美しい方と、過ごせたらいいなぁって」

 「そう... どうしよっかなぁ。まだ先だしな」

 ついついからかいたくなってしまうのは何故なんだろう。おかげで彼氏はもやしみたいになってしまった。ヤレヤレ。

 「二人とももともと休みだしね。振替休日ってのが面白くないけど、まぁ、ありきたりじゃないとこ行きましょ♪」

 セットのドリンクはバイキングスタイルなので、その気になれば上映時間前までいられる訳だが、一時過ぎには店を出る。じっとしていられないのはお二人の共通点。

 「では今日も調査しますか? 隅田クン」

 「ハイ、先輩...って、僕はアシスタントですかっ」

 「相棒かしら、ね... あ、いいもん見っけ!」

 スーパーでは、チーズと細長いスナック菓子に関してはコーナーが特設されていたが、七五三が近いとあらば、これに力を入れるのが本道だろう。

 「千歳飴だ、キャハハ」

 「櫻さん、あのねぇ」

 「貴君が飴嫌いな理由ってこれでしょ? さんざからかわれたってヤツ」

 「齧(かじ)ってたら歯がとれちゃったってのもあります」

 この場にいると、千と櫻の何とかショーになりそうだったので、エスカレーターで三階へ急ぐことにした。「て、千歳飴も細長いじゃん。今日記念日だぁ。ハハハ、ハ、笑えるぅ」

 お茶目な姫様の相手は大変である。


 「はいはい、櫻姫、着きましたよ」

 「ここどこ?」

 「先週撮った写真、今からお出ししますから」

 「あ、見せて見せて」

 蒼葉に撮ってもらったツーショット写真、千歳が撮った姉妹の写真、どっちもよく撮れている。

 「よかったわねぇ、千歳さん。手帳に入れる写真増えて」

 七月一日の四姉妹の写真、七夕に撮った「ヨシと織姫」、九月九日、六月君に撮ってもらった一枚、十月の回の集合写真、千歳のセンター出勤初日の記念写真... 手帳の脇にはすでに五枚のフォトプリントが挟んであるが、とっておきの一枚が今回加わり、新たに見開きを飾ることになる。

 「これはこれで貴重だけど、櫻さんのポートレートに勝るものなし、かな」

 「なぁーんだ、千歳さんも結局、私の顔に惚れちゃったってか。要するに見た目主義?」

 「櫻さんはね、心がまず美しいから、それがお顔に表れて益々...」

 今日も素直な彼氏は、ちゃっかりとボーナスポイントを稼ぐことになる。いいものが待っている十万点まではあと十日だったが、縮まる可能性がこれで出てきた。


 まだ時間はあるので、打上げ時にお世話になったカラオケ店に行くという選択肢もあったが、文系、いやカルチャー系の二人は、本、CD/DVD、楽器の各店舗を巡っていれば事足りる。かれこれ三時近く。彼氏はここでふと、あることに気付く。

 「櫻さん、洋服とか小物とか、そういうのは?」

 「はぁ、千住さん家(ち)はファッションコーディネーターがちゃんとついてまして、ご存じの通り、お上がりなんかもいただけるもんですから、こういうとこでは別に。それとも、おねだりすると買ってもらえるとか? 悪いなぁ」

 迂闊な質問をしてしまったものである。だが、

 「私ね、衣食住よりは、住食衣って感じだから、どうぞご心配なく。こんな服がいいとか、もしお好みがあればそれだけ教えてくだされば。蒼葉を通じて入手しますんで」

 衣料品売場では、通販カタログと同じものを扱っているため、カタログに載っているものから指定する、という手もある。

 「あの子、出てたっけかな?」

 「あ、これ!」

 「ハハ、テーラードジャケット、タックフレアスカート、で編み上げのショートブーツかぁ、やるなぁ」

 「これって、そのまま櫻さんにも当てはまるんじゃ?」

 「ま、姉妹ですからね」

 店頭で同じものを見つけるも、櫻曰く、

 「ここで試着しちゃ、つまんないもんね。いつになるかわかんないけど、どっかでお披露目します。ひとつお楽しみに」

 千歳は、櫻も十分モデルとして通用するのでは?なんて考えてもみたが、モデルであれ何であれ、まずは彼だけの櫻さんであってほしい、という想いが占めている。

 「さ、櫻さん...」

 「ん?」

 「いえ、何でも」

 「あ、そろそろ行きますか」

 何を言おうとしたのか、少々気になる櫻だったが、作戦が上々であることを確信していたので、あえて尋ねなかった。

 「千歳さんもブレーキ解除になってきたかな、フフ」 その通りである。


 空模様が冴えない日は映画に限る。

 「で、千歳さん、前作はどなたと?」

 「一人で観て泣いてました」

 「おぉ、それはそれは。今日も泣いちゃったりする?」

 「さぁ、櫻さんと映画に来れたってだけで、すでに涙モノですが...」

 冗句のようにも聞こえるが、偽らざるところ。今やすっかり口達者になっている。

 続編は続編で見せ場はあった。多少展開が読めてしまうところが引っかかるも、純粋にその世界に浸っている間は、心動かされること大。

 「夕日が目に沁(し)みるって、さ」

 「ハハ、レンズ外れそうになっちゃった。こういう映画は眼鏡じゃないとダメねぇ」

 大笑いしたり大泣きしたり、浮き沈みというより哀楽が激しい本日の櫻である。素顔になった分、ありのままが出るようになった、というのも考えられるが、千歳の前ではそれが尚更。感情を素直に出せるようになっていた、という訳である。


 立冬を過ぎただけあって、暗くなると肌寒い時節である。映画のように夕日が出ていれば劇的だったんだろうけど、すでに日没後。クリスマス向けの屋外イルミネーションもどこか寒々しい。送迎バスを外で待っている間、櫻は手をこすり合わせる。ジャンパースカートにステンカラーコート、ちょっと軽装だったか。

 「パーカーとか着て来ればよかったかなぁ」

 「寒い? 平気?」

 「櫻さんは春女だから、ちと弱いかも。千歳さんは秋男...あっ」

 11.11は千歳が仕掛ける番だったようだ。バス待ち最後尾で、人目に付かないのをいいことに、彼は彼女の手をとる。そして離す。次の瞬間、気が付いたら抱き寄せてしまっていた、というくだり。

 「ありがとう...」

 櫻の眸(ひとみ)には熱いものが溢れんばかりになっていた。だが、ここでこらえないとレンズがまたどうかなってしまいそう。僅か数秒のシーンだったが、眼を閉じていた櫻には、数十秒にも数分にも感じられるのであった。季節外れの遠雷の音が、聴こえる。


 鮭でも街でもない。十一月十一日は、二人にとっては「佳(よろし)」き日、ただそれだけである。

 

【参考情報】 十一月十一日 / 「夕日が目に沁みる」


四者会談

42. 四者会談


 雨に降られる前だったのは良かったのかそうでなかったのか。十一日はそれぞれの停留所で下車し、それぞれの居宅に帰って行った二人。櫻は何が起こったのかよくわからないような感覚にずっと捉われていて、早くもあり遅くもありの十一月第三週を過ごしていた。机には蒼葉に撮ってもらったツーショット写真が立てかけてあって、一見しては小さく息を吐(つ)いてみたり。土曜日も朝からこの調子である。


 「櫻さん、おはよっ」

 彼の声に驚いて立ち上がる彼女。

 「あっ、お、おはようございます」

 「日曜日はありがとうございました」

 「い、いえ、こちらこそ」

 どうも櫻の様子が変なので、案じつつも、からかってみたくなる千歳である。

 「櫻さん、どこか具合でも? そっか、今週寒かったから。春女さんには厳しかった、とか?」

 「今朝も寒かったし...。また誰彼さんに暖めてほしいな」

 あっさり返り討ちに遭ってしまう誰彼さんである。だが、櫻は結構本気。紅潮させながらも、千歳を熟視している。コンタクトレンズ越しではあるが、裸眼で見つめ合っていると互いに惹き込まれてしまいそうになる。珈琲を持って文花が来なければどうなってたことか。

 そんな場の空気に一瞬たじろぐも、そこは事務局長である。

 「はいはい、お二人さん、ここはドラマの舞台じゃございませんから、ほどほどにね。櫻さんはコーヒー飲んで、さっさと目覚めるべし!」

 「なぁんだ、いいとこだったのに」

 「だからそういうのは就業時間後! 隅田さんも何か言ったげて」

 こういう場合、どっちについたらいいんだろう。ここは仕方なく、文花の言うことを聞く。

 「あ、えぇ。時間後にまた、ゆっくり。でも、今日は業平氏が来るからなぁ」

 櫻は一転、険しい顔つきになっている。

 「いいわよいいわよ。私、午後出かけるし。千歳さんは、本多さんでもKanNaちゃんでも、どうぞ好きなようにお相手してれば」


 ご機嫌斜めの櫻は、昼食を済ますと、クリップボードにどこかの白地図を挟んだものを持って、そそくさと出て行った。

 「何時に戻れるかわかりませんけど、本多さんと行き違いになっちゃったら、よろしく伝えといてくださいな」

 午前中は冷え冷えしていたが、午後は陽射しが出てきて、まぁまぁの暖かさ。地元探訪するには好都合である。四姉妹で廻るマップツアーを控え、今日はその下見。不機嫌面で飛び出してきたが、それで良かった。本音を云えば、千歳と一緒に訪ね歩きたい、だがそれでは同行予定の三人娘(蒼葉・初音・小梅)に申し訳ない。櫻は自分なりに訣然たる思いを以ってマップ作りに臨もうとしていたのである。

 十六時近くになると、早くも日が翳ってきて、薄ら寒くなってくる。まだまだ巡回したかった櫻だったが、寒いのは御免。風を切ると凍えそうになるので、ペダルも弱めになる。センターめざしてノロノロ運転。誰彼さんもきっとこんな速さ、か。

 「千歳さん、今帰るから...」 はやる気持ちを抑えるように走る。時に厳しく吹く風が恨めしい。


 同じ頃、センターにはすでに業平が来ていて、法人登記に関するあれこれを文花と話し合っていた。

 「印章もそろそろ作っておいた方が...」

 「はぁ、特定非営利活動法人って入れるパターンかぁ。ただでさえ団体名長くなりそうなのに。全部入りきるかしら?」

 「じゃまず名称ですね。理事会で早く確定した方がいいでしょう」

 こういう話をしている時は、業平もビジネスマンチックである。文花としてはもっとフランクに行きたいところだったが、釣られて何となく硬くなっている。そんな時は、空気を変える人が現われるのが一番。いいタイミングで櫻が帰って来た。

 「あ、本多さんいたんだ。こんちは!」

 「あ、ども。って、どちら様?」

 遠くからだったので、よくわからなかったようだが、程なく気付く。千歳は案の定の展開に苦笑い。

 「さ、櫻さんなの? こりゃてぇへんだぁ!」

 いつもの業平節になって来た。街の空気を吸ってすっかりご機嫌の櫻だったが、このリアクションで一層陽気になる。

 「へへ、眼鏡外すとこの通りですの。これ、千歳さんの仕業」

 「仕業って? 千ちゃん、どういうこと?」

 「はい? 何か人聞き悪いなぁ。話せば長くなるけど...」

 そんなこんなで、円卓には四人が集まり、よもやま話になる。


 「そっかぁ、眼鏡の有無で人を見ないってのがハッキリするまでは、ってことだったか」

 「もう何か合わなくなって来てたし、タイミング的に絶妙だったんですよ。仕業っていうか、やっぱりおかげ、かな。ね、千歳さん」

 「今となっては、眼鏡の櫻さんが懐かしい...」

 「眼鏡ってそういう使い方ができたのね。私は、着けたり外したりだから、今更素顔がどうこうってんでもないし」

 眼鏡着用中の文花は、フレームをちょっとずらして業平に視線を送ってみる。業平はドキとなるも、動揺を隠すように別の話題を振る。

 「で、皆さんお集まりのところで、ちょいと相談なんですが、今、いいですか?」

 業平はホワイトボードに、相談事を三点、書き始める。其の一、流域情報誌の取材ネタ、其の二、ケータイ入力画面の今後の展開、其の三、次回クリーンアップでの実機試験。

 「まず最初の件ですが、十一月号はクリーンアップ実践レポートで万々歳、でも十二月号はどうすんだ、て話です。榎戸さんとしては掃部先生に取材して起業ネタか何かを探りたかったみたいなんだけど、十月の回の時は応じてもらえなかったし、先生のブログを見つけたまではよかったものの、本人と連絡がつかない、ってんで困ってまして...」

 「あぁ、その話。先週、センセも言ってたわ。で、それならここでも紹介してやれって、お仲間の再生工場の連絡先教えてくれたの。榎戸さんにはその日のうちに伝えといたけど、その後、どうなったかは不明」

 「じゃ、とりあえず心配無用ってことですかね」

 「確認とってみたら? 広告代理店の人間が工場行ったってろくな取材できないでしょうから、もしまだだったら、本多さん同行すりゃいいのよ。実機に強い人が付いてた方がいいんじゃない?」

 「はぁ、そりゃそうですね。あとでケータイかけてみます。あ、ケータイ...」

 相談其の一がサラッと終わってしまった勢いそのまま、其の二へ。が、一と二は実はセットだった。

 「いやその、ネタ切れに備えて、じゃ例の入力画面を紹介するのはどう?って話もあったんですよ」

 「まぁ確かによく出来てるし、その後も弥生ちゃん、テンプレート増やしたり、改良に余念なかったから。でもオープンにしちゃっていいのかな?」

 「なもんで、ご相談て訳です。ここは一つ起業的に提案させてもらいますね」

 業平はボードにまた三つほど案を書き込んでいく。1.センターのサイトまたはモノログからリンク。規定を設け、その同意を求める。あとは自由に利用可。(ID+PW(パスワード)、送信先アドレスの設定は必要) / 2.主に情報誌サイトからリンク。会員登録を求め、会員限定で利用可とする。登録は無料だが、入力画面にアフィリエイト設定を加え、そのアクセス等によって収益が得られるようにする。情報誌からの協賛金も付加される。 / 3.業平の会社サイトの一部として運営。定額制とし、分析サービスなども提供。

 「こりゃまた話が大きくなったもんで」 千歳は目を丸くするも、すかさず「PC画面でもちゃんと見れるようにしといた方がいいね」と乗り気なご様子。

 「開発者とか関係者にペイするような仕掛けだったら、私はいいと思う。でもそんなにニーズってあるのかなぁ?」 櫻は少々疑心暗鬼。

 「仮に収入が入るとしても、受け皿ってどうすんの? こういう非営利なネタで分配を考えないといけないのって、難しいかも」 文花も首を捻(ひね)る。

 よもやま話から、いつしかセンターの事業に近い話になっている。あぁだこうだやっているうちに見えてきたのは次のような設定。

 「運営主体は当センター、管理者は隅田さん、メンテはバイト待遇で桑川さん、情報誌サイトとのやりとりは本多さん。試験的に開放して、ひとまず協賛金、ま、手付金かしらね。それはセンターが預かることにして、クリーンアップを業務の一環として行う時に備える。そんなとこかしら?」

 「弥生ちゃんにも聞いとかないと」

 「higata@に流しますか?」 千歳のこの発案に対し、

 「そうね。桑川さんには、higata@上で直々に説明すればいいと思う」 文花が取り次ぎ、

 「じゃ、言いだしっぺであるわたくしめが」 業平が引き取る。

 「情報誌のネタにするかどうかは、メンバーで議論してからね」 このまとめを以って集約。冬木と業平が密談していたソーシャルビジネスの一端が少し見えてきたような... この話は後日、メーリングリスト上で明らかになっていく。


 窓の外は夕闇が拡がっているが、四者会談はまだ続く。会談中は、センター来館者もゼロのまま。

 「で、三つ目のご相談。次回はちょっとした機材を持ち込もうと思ってるんですが、運搬する手段があいにくとないもんで...」

 「自宅兼自社は、せっかくリバーサイドにあんだから、ボートで遡上して来るのが筋じゃない?」

 「千ちゃん、そいつは冗談キツイよ。仮にボートがあっても、漕ぎ着ける自信が、ない」

 眼鏡をずらして、目配せ気味。クルマ所有者が申し出る。

 「しょうがないわね。私が承りましょ。助手も同伴させますから、機材の一つや二つ。どうぞご遠慮なく」

 「へへぇ、さすがチーフ」

 「やぁね、名前で呼んでよ」

 「はい、おふみさん。ところで助手って?」

 「さぁ? そっちこそ機材って何よ」

 「それはその、お楽しみってことで」

 「じゃ、おあいこ」

 外は冷え込んでいるかも知れないが、センター内はこの通り。ほんわかとした感じになっている。業平の相談事、これにてクリア。櫻も今はにこやかである。


 閉館時間を過ぎて早々、文花と業平はとりあえず一緒にセンターを出て行った。館内に残るは二人。時間後になるのを待っていた訳だが、ここはあくまで職場。

 「ねぇ、千歳さん、例の十万点プレゼントなんですけどね、予定繰上げで明日お渡ししたいの。いい?」

 「え、もうそんな。あ、バーベキュー広場に行った日から、そっか、ほぼ三ヶ月ですもんね」

 「ま、ポイント増えたり減ったりしましたけど、一応ね。だから、今日はもうこれで。明日はそうだなぁ、お昼頃って来れますか?」

 最近の千歳は、探訪とかwebいじりとかは控えめ。DTM(desk top music)作業が復活してはいるが、いつでも彼女のお相手ができるように日・月は概ね空けてある。

 「かしこまりました。姫様」

 「フフ、早く明日になーれ。じゃねっ!」

 姫様は何とか我慢して、彼とは逆の方向へ自転車を向けた。寒風の中だったが、とにかく加速。今は速度を上げるごとに暖まる感覚が心地良い。身も心も何とやら、どこ吹く風の櫻である。


Sweeten

43. Sweeten


 「ちゃんと時間決めておくんだったなぁ... じれったい!」

 朝は冷え込んだが、徐々に気温は上がり、二十度近くまで行っている。そうとは知らない櫻は、ドキドキ感とイライラ感が交錯して熱を帯びてるんだろう、てな推考をしながら佇んでいる。ここは橋の袂(たもと)。余程のことがない限り、彼はここを通る筈である。奇襲ならぬ待ち伏せ作戦。以前はセンターのカウンターでドッキリ作戦を試みたこともあった。眼鏡がとれても、茶目っ気は相変わらず、いやversion upしている。


 そんな作戦が張られていることなど関知しようもない彼氏は、いつものスローモードで安閑と橋を渡ってくる。視野が広がり、よく見えるようになった櫻は、その鈍足自転車を橋の真ん中辺りで捉えた。だが、「あれ、千歳さん、止まっちゃった」 心憎い彼は、「空は澄んでるし、空気も凛としてるし、いいねぇ」 小休止して、下流側の景観をのんびり眺めている。作戦を見通すには及ばないながら、どうやらはぐらかす術は心得ているようである。

 「あ、櫻さん、どしたんですか?」

 「不審な自転車の侵入を防ごうと思って。特に廃プラ積載車は要注意。あっやっぱり」

 前カゴにはプラ容器類が入ったレジ袋一つ。「ダメかなぁ?」

 「彼女ん家(ち)来るのに、何よぉ。ったく」

 「あ、こういうのもちゃんと持って来ましたから」

 「フン、ご機嫌とろうったってそうはいきませんからね。私、ずっと待ってたんだから」

 ドキドキとかイライラとか、どうでもよくなっていた櫻だが、千歳の手土産がちょっと気になる。

 「これ買うのに時間かかっちゃって。でも、十一時半でも早いかなって」

 「あ、別に怒ってないから。待ちきれなくて飛び出して来ちゃっただけ。異性に待ち伏せされて悪い気しないでしょ? 行こ行こ♪」


 「こんにちは。あれ、今日は櫻さんだけ?」

 「えぇ、蒼葉は例の油絵出品しに出かけました」

 「完成したんだ。持って行く前に見たかったな」

 「姉貴にも見せないくらいだから。よほどの傑作か、その逆か...」

 実質的な制作日数はひと月ほどか。習作に当たる水彩画は拝見したものの、油絵の方は四日以降、お目にかかっていない。本来の姿、本来の色... ある意味、楽しみではある。


 「じゃ、千歳さん、おかけになってお待ちください」

 「何か手伝いましょか?」

 「いえいえ。お客様にそんな。あ、廃プラ、まとめといてもらえれば」

 「こっちは冷蔵庫に、お願いします」

 「あ、ありがとうございます。何ですの?」

 「いいもの、です」


 予め用意しといただけあって、手際よく配膳されていく。メインは、文花からの差し入れ。季節の野菜をできるだけ素に近い状態でサラダ仕立てにした一鉢である。カボチャ、ニンジン、大根をそれぞれスライスしたものにブロッコリーが転がる。

 「レタスは下敷きになっちゃってるけど、ま、掘り出してください」

 あとはおなじみの櫻風デリをスライスしたバケットに載せていただく。デリはいつもちょっとした惣菜級の出来になっているが、業務用食品店でベースになるパテ状の品々(クリームチーズ、ポテトサラダetc.)やペースト缶(例…サーモン、クラブ、ポーク)を買い込んでおくのがコツなんだとか。コーン、豆類、マッシュルーム、ツナ、アンチョビ、貝柱、ビーフ等、ネタとなる食材は主に缶詰から。開けたら小瓶に移し変えて、いろいろな組合せができるように備えておいてあるそうな。ピクルス、オリーブなどの通常の瓶詰品も含め、その数、十数種類。冷蔵庫内には、それら瓶専用の段があって、姉妹で補充し合ってると言う。

 「夕飯の時はこれだけじゃ何なので、生鮮食品とか日配品も買ってくるんです。当番制って言っても、買い物してお膳立てするくらい。至ってシンプルな姉妹の食卓でございます。今日はサラダがいつもより豪華かな。さ、いただきましょ。Bon Appetit!」

 「いただきまーす! 十万点プレゼント、ありがとうございます」

 「あら、これはほんの前座よ。ちゃんと後で出しますから」

 「土曜のお弁当に、今日の食事に、先月だって、これいただいちゃったり、さらにですか? 何だか悪いなぁ」

 マイ箸を恭(うやうや)しく取り出しながら、恐縮頻りの千歳。櫻はここぞとばかりに、甘い言葉をかけてみる。

 「フフ、いいんですのよ。櫻さんのラブラブブログとか、お写真とか、最近はピアノレッスンまでしていただいてることだし、お安いものだワ」

 「レッスン、てか。ハハ...」(平謝り)

 「おかげで、一曲ちゃんと出来たことだし。あ、あれって、バックで流しながら生演奏をかぶせるとかって、どうなの?」

 「歌は生でOKでしょうけど、演奏となるとねぇ。まぁ、リズム系とベースラインとお飾りだけ流して、キーボードとギターに当たる部分は止めるって感じかな。できなくはないですね」

 「そのうち、弥生ちゃんとこ、行ってみますか?」

 「え? 彼女の家、スタジオでも?」

 「いやいや、バイト先の楽器店にある貸スタジオ」

 何気ない千歳の自作曲が思いがけない展開を迎えつつあった。その一曲とはズバリ「届けたい・・・」である。櫻versionが業平アレンジによりパワーアップし、歌を入れればデモでも何でも、というところまで来ていたのである。自作曲の二曲目の方は、舞恵と八広のリズムセッションの耳にはすでに入っていて、今は詞が上がるのを待っている状態。ドラマーライター氏のお手並みやいかに?である。

 他の曲も業平・千歳ラインで肉付けされつつあったが、一部は弥生のもとにも流れていて、また違うアレンジが試みられていた。業平に任せておくと、ノリ先行で荒削りな感じになるところ、弥生流のプログラミングが加わったことで、よりしなやかな出来になろうとしている。重低音のグルーヴはそのまま、というのがまた素晴らしい。その何曲かについては、鍵盤による弾き直しは特に必要なかったので、櫻には今のところ負担をかけずに済んでいる。

 特にBGMとかをかけている訳ではないのだが、気分的には音楽が二人を包んでいるような情況である。櫻の歌世界、千歳の曲背景、それに街や川や空が重ね合わさって行く。情景を思い描きつつ抒情を語る、そんな会話である。

 「話し込んだら、ノド渇いちゃった。何か飲み物... あ、そうだそうだ」

 「?」

 「千歳さんのお土産は三時にとっといて、と。食後のフルーツ出しますね。飲み物も後で」

 櫻は冷蔵庫から本日のいいものを運んできた。それは、

 「奮発しました。上物です」

 1ダース分の大粒イチゴである。透明皿に瑞々(みずみず)しく盛ってあって美味しそう。食事中は向かい合っていた櫻だが、彼の斜め隣りに腰掛けてみる。千歳は単にお互い食べやすいように席を移ったんだなくらいにしか考えていなかったが、とんだ見当違いだった。櫻は大きめの一粒を手にすると、それを唇に押し当ててから、彼の口へ運ぶ。

 「はい、どーぞ。より甘くしてみました」

 「あ、ハハ。ありがと」

 十万点プレゼントって、もしかして...

 「千歳さんだったら、『本気でオンリーユー』って曲、知ってるでしょ。”Sweeten your coffee with my kiss.”を真似てみたの。どう?」

 極端なことを言えば、イチゴ並みに赤くなっている彼氏であったが、それを通り越して、放心状態である。甘いというより、甘酸っぱく感じる。プレゼントにしては度が過ぎたか。

 「櫻さん、こりゃ百万点級だよ。どうリアクションすればいいんだか... 倒れそう」

 「倒れちゃったら、起こして差し上げるだけよ。はい、も一つどうぞ」

 彼女はさらに長めに口をつけた苺を彼の目の前へ。と、あっさり自分の口に収めてしまった。ずっとポカンとしていた千歳だったが、この時ばかりはその開いた口がどうにも塞がらない。そのままテーブルに伏せてしまった。ある意味、倒してしまったことになる。

 「ハハ、またやり過ぎちゃった。ごめんね、千歳さま」

 いいものを進呈などと言ってしまった手前、何か手の込んだことを一つ、と企図していたものの、先週の不意のラブシーンのせいで、調子が狂ってしまった櫻である。このSweeten Strawberry作戦、実は土壇場での思いつき。見事な機転だったが、確かにこれは利き過ぎ。

 「だって、本気でオンリーユーなんだもの...」

 目で訴える彼女だが、彼氏は今ひとつピンと来ていない模様。苺はまだ残っているが、作戦は中断。


 甘くて赤いプレゼントは二つを残して冷蔵庫に帰って行った。千歳はホッとしたような、もの寂しいような、複雑な心持ちで皿を見送る。

 「ま、蒼葉ちゃんにもおすそ分けしないと、ね」

 「そういや、蒼葉さん、お戻りは何時なの?」

 「なーに、妹に逢いたいって?」

 「いや、おやつの時間に戻って来るんなら、一緒がいいかなぁって」

 櫻はちょっぴり首を傾げて、

 「ははぁ、二人きりだと櫻さんがまた何かしでかすから、予防線張ろうって訳?」

 千歳はあわてて、

 「あ、いや別に。櫻さんのそういう仕掛け、大歓迎だけど...」

 「フフ、次はどうしよっかなぁ。十万点ごとってのもねぇ。まぁ、とにかくよくおつきあいくださいました。ポイントとか言っちゃって、実は私なりの目安でもあったんです。この点数になった時にどこまで進展してるかって、ね」

 「で、それは予想通り?」

 「まぁまぁ... いやいや、上出来です!」

 正直なところ、今回の思いつき作戦の意図を汲んでくれれば、もうちょっと先に行くんじゃないか、と櫻は踏んでいて、内心はかなりドキドキものだった。蒼葉もいないことだし、好機だった筈。だが、一粒二粒で倒れられちゃ「こりゃ、まだ先だぁね」と諦めるしかない。もどかしさも妙味である。シチュエーション的にはやはり十二月二十四日、だろうか。


 文花直伝の有機珈琲を呑みながら、おやつタイムを待つ二人。外は強めの風。冷たそうな音を立てて通り過ぎていく。

 「おそらくまだ帰って来ないでしょうから、先にいただきましょ、ネ?」

 櫻は彼の返事を聞く前にさっさと冷蔵庫へ。

 「ほへぇ、何? この特大サイズ!」

 千歳が買ってきたのは、ジャンボシュークリームと呼ばれる代物である。箱狭しとばかりの三個入り。

 「櫻さん、白クリーム好きでしょ。ギッシリ入れてもらったから」

 「そんな特注できるの?」

 「そりゃ、姫様のためですから」

 「グッとくるなぁ」


 中を割ると、ホイップ状のクリームが溢れ出てきそう。「苺と一緒に食べればよかったかなぁ...」とか云いつつも、目が輝いている。かぶりつくと、「まいったなぁ、美味しいなぁ、食べるのもったいない!」

 悦ぶ櫻を見て、ご満悦の千歳だったが、口の周りにさりげなくクリームを塗っちゃうあたりが役者である。櫻はそんな彼を見て、ある仕掛けを思いつく。

 「千歳さんたら、白いの付けちゃってぇ、美味しそうね♪」

 「ハハ、大入りだから、その」

 と彼が手を当てた時には、彼女の顔はすぐそこ。

 「拭いちゃダメ、もったいないじゃん」

 「!」


 「ただいまぁ! おーい!」

 ドラマなどでありがちな展開は、櫻と千歳にも容赦なく降りかかるのであった。櫻はあまりのタイミングの良さに、「ハ、ハハ。やられたぁ...」 千歳はあわてて白いのを舐めて取り繕う。

 「あ、千さま、いらっしゃいませ」

 「風、大丈夫だった?」

 「これって木枯らしでしょ。今日のスカート、フレアだったから、ちょっとヤバかった」

 「あ、そのご衣装...」

 「ん?」

 蒼葉と千歳のやりとりを黙って聞いていた櫻だったが、衣装の話題になって「そうだ!」と喊声一声(かんせいいっせい)。

 「蒼葉、その新作、貸して」

 「なになに、いつ?」

 「今!」

 「ここで着替えろって?」

 「何言ってんの。そんなことしたら、千歳さんまたおかしくなっちゃうじゃん」

 「私はマズイだろうけど、姉さんはもう平気でしょ?」

 「ホレ、さっさと別室!」

 姉妹で揃って仕掛けられては、ひとたまりもない。向かいの席には食べかけのシュークリーム。白いのがとろけ出している。


 「食べてからでもよかったのに」と他人事のようにクリームを見つめているが、内心、実はかなりトロトロな状態。そこへ、衣装替えして櫻が登場する。

 「おぉ、櫻姫」

 「お色直ししちゃった。どう?」

 フレアスカートの裾をちょいと摘(つま)んで、会釈する櫻。千歳はすっかりとろけているが、頬杖をついて何とか倒れずにいる。

 「さすが、よくお似合いで。秋だけど『萌え』ちゃいそう」

 スカートはチャコールグレー、ジャケットはオフホワイトなので、別に萌え系でも何でもないのだが、彼なりにときめいている心情を表現したかったようだ。

 「蒼葉は後でいいって言ってるから、さっきの続きしましょうか?」

 「え、続きって?」

 「あら、クリームどしたの? 舐めちゃった、かな?」

 櫻はいったい何をするつもりだったのか。わかったようなそうでないような。千さんだけにこういうチャンスは千載一遇ってことも有り得る。何かの機会を逸した、それだけは言えそうだ。

 「ま、いいや。櫻さん的には今日は上の上出来だから。これ以上、彼氏を倒しちゃマズイもんね」

 ほんの手土産のつもりだったシュークリームだったが、随分と盛り上げてくれたものである。今は櫻の口の周りが真っ白。舐めずにいるのが何とも滑稽ではあるが、どこか思わせぶりでもある。二人とも静かにドキドキしていたが、その大きなおやつがなくなると不思議と収まっていた。


 十六時近く。木枯らしは愈々(いよいよ)その強さを増し、窓を叩く勢いになっている。

 「じゃ、暗くなる前に、おいとましますね。この後もっと寒くなりそうだし」

 「え、帰っちゃうの?」

 「僕としても上々の上くらい、素適な時間を過ごさせてもらいましたから。新着の装いも見せていただいたし、今日は十分でございまして」

 「そう、だよね。Sustainableだもんね」

 淋しそうではあったが、一転、いつもの笑顔になると、「蒼葉ぁ、千歳さん帰るって」


 姉と衣装チャンジした妹が別室から出てきた。千歳はどっちがどっちだか判然としなくなっていて、

 「じゃ、櫻、間違えた、蒼葉さん、また。シュークリームは苺と一緒に食べるといいみたい」

 蒼葉はにこやかに手を振るも、櫻はしかめっ面。千歳を引きずり出すように玄関を出る。

 「やぁねぇ、何で間違えるのよぉ」

 「へへ、白クリームのせいでずっとボーッとなってて、つい。スミマ、千さんでした」

 「そんなボーとなってんじゃ心配ねぇ。おまけに、この寒さ...」

 千歳も手をこすり合わせている。好機と見るや、櫻は一週間前の再現を仕掛ける。今回は彼の両手を彼女が包んで放す。そして、

 「少しは暖まるでしょ」

 木枯らしがまた吹き抜けていく。フレアが多少広がろうが、レンズが多少ずれようが、問題ではない。ここは自宅玄関先、人通りもない。ただ暖かい、それだけ。


 西日に向かって、風と共に去る彼であった。残された彼女の台詞はこれしかない。

 「夕日が目に沁(し)、みるぅ...」


 その日の夜、姉妹の食卓では次のような会話が交わされることとなる。

 「私、これでも気ぃ遣って遅めに帰って来たんだけど、早かった?」

 「いいとこ、ではあった」

 「え?」

 「あのタイミングは妹ながら天晴(あっぱれ)。よくぞ邪魔してくれた、って感じ」

 素顔の櫻姉は迫力がある。蒼葉に一閃の眼光を放つと、バケットにクリームチーズを塗りたくる。その動作の凄みと云ったら。

 「アハハ、ビミョーにコワイんですけど」

 「いいってこと。晴れて出品できて、一段落でしょ。今度の祝日、ちゃんとお絵描きの先生してもらうから」

 「はいはい。でも本当に千さんヌキでいいの?」

 「グリーンマップじゃなくて、違う色のマップになっちゃうから。いいの」

 クリームチーズを口の周縁に付けて姉はニヤリ。そのどことなく冷めた笑みに妹はヒヤリ。白い唇というのは何かとお騒がせなものである。

 

【参考情報】 Sweeten your coffee with...


スマイル

44. スマイル


 祝日明け、十一月最後の土曜日は朝からバタバタしていたが、十六時を回り、新たな理事候補と運営委員候補が退場したところで、ようやくいつものスローな雰囲気が戻って来た。会議スペースに残っているのは、文花、清、八広、そしてプロジェクタ等を片付け中の千歳の四人である。

 「チーフ、いや事実上、事務局長、ですね。今日はおつかれ様でした」

 「ハハ、どもども。顔ぶれが揃ったところで、あとは役の振り方。そういう意味じゃ、早めに事務局長を仰せつかった方が話は進めやすいですもんね。何かまだしっくり来ないけど」

 「それにしても、今日の六人はどなたもいいプレゼンだったスね。ハコモノ一つの解釈でも六者六様。強いて言えば、地域のあらゆる資源を連動させてハコにしてしまおうってのと、今ここにあるハコ、つまりセンターを拠点に展開して面にしようってのと、大まかに二つの方向性に分けられる、ってとこスかねぇ」

 「いい読みねぇ。それって、森から木、木から森、の話に通じそう」

 「ま、女性一、男性二が新理事、同じ割合で運営委員が三人。六人全員、何らかの形で関わってくれることになった訳だから、その森と木のバランスもとれるってもんだ。なかなかの人選だったぁな」

 代表候補の清先生は、言葉にはしなかったものの、顔は「ヨシヨシ」とでも言いたげな表情になっている。三十代から五十代まで、流域在住、年数の長短は問わないが何らかのNGO/NPO経験を有する、そんな限られた条件ながら、文花のマメな連絡網(正(まさ)しくネットワーク?)が機能したらしく、公募には十二名が応じた。書類選考でさらに絞り込んだ六名は、女性二人に男性四人。本日十三時半から行われた法人役員候補の二次選考会は、その方々が主役となった。一人十五分の持ち時間で、課題論文テーマ「地域を元気にするハコモノ」についてプレゼンしてもらう。五人はプレゼン用のソフトを使い、PC+プロジェクタで。一人は大判カラーコピーをフリップ形式にして臨んだ。八広の言うように、甲乙付け難いところだったが、このプレゼンタイム、センター主催の講座扱いになっていて、聴講者、これ即ち、投票者が同席していた。聴衆の皆さんには、より秀逸なプレゼンの一位・二位に票を投じてもらったところで、講座は終了。その後、十五時過ぎからは六人の間で相互評価を兼ねた協議が行われ、途中から先行候補四人のうち、清、文花、千歳の三人(一人は欠席、代わりに八広が傍聴)を交え、さらに先の票数を加味した選考を経る。かくして、お互い納得の上で理事候補が選出された、という次第である。ただ、文花としては、六人が決まった段階で、この際全員関わってもらおう、という腹積もりがあったので、今日の二次選考は実質的には役員か委員かの割り振りがメイン。副次的だが、センター行事としてハコモノ論の討究ができる、ということも大きかった。

 内にも外にも意義のある行事をさりげなく設定してしまう、文花の手腕あっての今回の会であった。

 「取り急ぎ、理事就任にあたって必要と思われる書類も渡したし、理事会の日程調整も済んだし、あとは定款考えながら組織体制? 事業計画?」

 「会員制度もですね」

 「あぁ、ファンクラブの話、か」

 「ファン倶楽部だぁ?」

 とまぁ、和やかにやっている。ファンクラブ云々のジョークを発した当人、さくらコースの櫻は、午後は専らカウンター係。今は聞き耳を立てながら、クスクスやっている。会議スペースの様子はカウンターからも見える。なので、プレゼンもひととおりは拝聴済み。カウンター係は、配付資料に書き込みしながら唸っていた。途中、辰巳がやって来たり、舞恵から電話があったりしたが、聴講者以外の来館者は少なく、程よい位置で程よい時間を過ごす。だが、講座終了後は協議に加わるでもないので少々退屈気味。KanNa上の当館イベント情報を書き換えたりしていたが、正直持て余していた。舞恵が予定通り十五時に来てくれれば、カウンセリングでもしながら凌げたのだが、遅くなるってことじゃ仕方ない。間が持ったのは、帰った筈の辰巳が戻って来てくれたおかげである。

 「いやはや、千住さん、最初わからなくってさ。下で頭冷やして、確かめに来たよ」

 地域振興部署時代、櫻と言えば眼鏡、が定着していたので、来た時も出た時も認識できなかった、ということらしい。

 「そっか、課長にも見せてなかったんですね」

 「でも、どうしてまた?」

 「実は彼氏、あ、いや、ある方からコンタクトレンズのアドバイスをいただいて、それで」

 「彼? あぁ、成る程」

 higata@では公認かも知れないが、元上司、現事業委託主、そんな立場の辰巳には易々と彼氏がどうこうてな話は憚られる。だが、櫻のそんな心配りがかえって辰巳にはやるせない。

 「お見通し、でしたか?」

 「先月のクリーンアップで二人の息ピッタリだったから。ちょっとショックではあったけど、ハハ」

 「須崎課長...」

 間を持たせるどころではない。深く重い間が生じることになる。何も言えなくて幾年月(いくとしつき)。ずっと独り身でいたのは、意中の女性がいたから、ということだったのか。

 六人が帰る何分か前、辰巳は一人、センターを後にした。寂しげな高い背中を見送っていたら、ちょっぴりキュンとなってしまった櫻である。四人の談笑が聞こえ、我に返った、そんな感じ。


 会議スペースの片付けが済み、その四人一行はカウンターへ。

 「櫻さん、お待たせ。カウンター番、交代するわよ」

 「あ、はい。って、今日は奥宮さんとはいいんですか?」

 「そう言えば...」

 「あーぁ、ルフロン、可哀想。でもまだ来てなかったんスね」

 「誰だい、そのフロンさんて?」

 「センセ、それじゃオゾン層壊しちゃう」


 階下から、リズミカルな足音が近づいてきた。

 「ヤッホー! 皆さーん」

 今日は雨も風も連れて来なかったが、風雨に遭ったようなクルクル髪で、ル・フロンさんが現われた。かつてのツンデレラが嘘のように晴れやかな参上ぶり。

 「先生、彼女がルフロン、ス」

 「八クン、この方、だぁーれ? 先生って?」

 「掃部清澄先生。お名前はメーリングリスト上なんかでご存じでしょ?」

 higata@のメンバー十人中、清と面識がなかった最後の一人がここで漸く対面を果たす。

 「あぁ、舞恵は行けなかったけど、十月の回の集合写真でお顔は。蟹股だったんで、よく覚えてますワ」

 「マエさんてか、そんじゃ、丁寧に呼ぶとお前さん、だな、ハハ」

 「何か、おじさん、イイ感じ。ヨロシクです」

 名だたる先生をおじさん呼ばわりとはいい度胸である。だが、清としてはそんなくだけた接し方がむしろお好み。ルフロンの登場で、先生、いや、おじさんとの距離感がまたぐっと縮まったのは確か。ネイルアート(ご職柄、週末限定)が気になるが、握手を求める舞恵に清は気安く応じる。イイ感じな二人である。


 ルフロンは、やはりフロントにいると落ち着くようで、カウンターで文花と打合せに入る。が、それも束の間、櫻の席に移動すると、今度は会計ソフトを動かしながら、仕訳の極意を伝授し始めた。

 「やっぱ、最初にきちっと事業に見合った費目を立てるに限りますわね」

 「法人化するとなると、監査もちゃんとやらないといけないしね」

 「NPO法人の会計ってのは多少緩やかなんでしょうけど、逆を言えば、これがきちっとできることがその団体の信用につながるんだって、八クンも言っとりました。ま、とにかく次年度からスね」

 「今日ので理事は固まってきたけど、監事よねぇ。その辺の事情がわかる人だとベターなんだろうけど」

 「今日は決まらなかったんで?」

 「一気に選考しようとも思ってたけど、監事はやっぱ別格かなぁってことになって」

 「そう、だったら...」

 じらすように言葉をためる舞恵。文花はハラハラドキドキ。

 「実は当行にそういうサポートできる人材バンクがござんして」

 「はぁ、さすがはバンクね」

 「でも、今年は退職者が多くて。そのバンク、パンクしやしないかって、人材の皆さんは気が気じゃないみたいで。ホホ」

 そういうことならぜひご協力いただきたいものである。交通費程度の謝金で都度請け負ってもらえるらしい。銀行にもCSRが波及していることを示す話である。


 いつもの円卓では、PCに向かうおじさんと、それを囲むジュニア世代三人。Comeonブログの定期更新日ではないのだが、千歳、櫻、八広が揃い踏みしている以上、今この機会を逃す手はない。あいにく画像はないのだが、伝えたいことは山とある。文章でいかに画(え)を描いて、臨場感を持たせるか、これが掃部流の奥義。三人にとっては、視覚的・立体的な詞世界のあり方を探る上で大いに参考になる。おじさんブロガーの方は、打ち込んでいる記事に対して、その場ですぐに若手の反応が得られるというのが頗る励みになっている。ブログの特性の一つに双方向性がある。が、それはネット上に限らない。同じ場所に居ながらも双方向。距離は近い程いい。


 ルフロンはカウンターを離れ、八クンを呼びに来る。

 「そろそろ行くかい?」

 「いつの間にか外、暗くなっちゃったねぇ」

 「あ、お二人さん、初姉のとこ?」

 櫻はクリアファイルに入れたカラーコピーを持って来て、舞恵に手渡す。

 「あーら、可愛い地図ネ」

 「石島&千住の四姉妹で探訪調査した成果なんだ。シンプル系でも良かったんだけどね、白地図そのままじゃ無粋だから、できるだけデコ入れて、シール貼って、小梅嬢に描き足してもらったの」

 「達者なイラストねぇ。スマイルマークもステキ」

 クルクル髪をいじりながら、そのスマイルを真似てみる舞恵。千歳と八広は、離れたところから、笑い顔の女性二人を見入っている。当然のことながら、男二人もスマイル中。以心伝心ならぬ、以笑伝笑の図である。

 「今日は特にお話お聞きしなかったけど、その笑顔なら大丈夫そうね。お仕事、慣れましたか?」

 「舞恵は前に居て何ぼ、だからなぁ。対面業務じゃないと面白くないかも。でもね、融資の企画業務に回ったからには、それを活かさない手はないって思うようになったさ。そんでもって彼とか文花さんと話してるうちに、これだーって、ネ。いいこと思いついたとこ」

 八広と舞恵は、土曜日のお約束、アフターデザートタイムに合わせて、カフェめし店に向かう。そろそろ十七時である。

 「んじゃ、また。カモンのおじさんも元気でネ」

 「あいよ、フロン嬢もな」

 「だからセンセ、ルを付けないと...」

 この際、定冠詞が付こうが付くまいが関係ない。オゾン層を破壊されちゃマズイが、突破力があることには違いない。そんなフロンさんに手を振るカモンおじさん。新たなコンビ誕生の予感?


 昨日午後のお絵描き探索はいい気分転換になったようで、今日一日ご機嫌だった初音嬢。お約束の客が多少遅れて来ても悠揚としている。

 「あ、いらっしゃいませ」

 すでに私服に着替えてあって、今は一般客と同じなのだが、しっかり接客。奥の予約席から声をかける。テーブル上には店に似つかわしくない容器がデンと置かれ、プレートや食器がそれを囲む。

 「あん? 今日は釜飯かいな? 初姉の気まぐれシリーズてか」

 「当店はカフェめしはお出ししますが、あいにく釜飯はございませんで」

 「だってこれ、あの峠の...」

 八広も不思議がっている。そう、この容器、峠の某である。六月から小梅、小梅から初音と渡ってきて、満を持してこの日、リユースデビューとなった。

 「パンケーキ容れるのに丁度よかったんスよ」

 フタをとると、ほんのりと湯気が上がる。さすが保温性はバッチリ。使える釜である。

 「これって、お客様に?」

 「まさか、お二人専用ですよ」

 「でも、これで出したら結構ウケるんじゃん?」

 「開けてビックリ、パン!ケーキ、とか」

 舞恵が八広を小突いてる隙に、初音は三人分のサービスドリンクを取りに行く。ドリンクが並んだらそれからは、体当たり英会話教室の始まり始まり。

 「あ、その前に。櫻姉からこれ預かってたんだ。Please, make them sure.」

 「How wonderful! ちゃんと二枚ある」

 「じゃ、初姉、その地図の趣旨と、おすすめスポットなんかを英語でどうぞ」

 「ひょえー、いきなりスか?」

 「コレ、ハチ! 何、他人事みたいに笑ってんの。アンタも生徒でしょ」

 「対不起(Dui bu qi)、じゃねぇや、Excuse me.」

 「たく。あ、そっか、せっかくだから生徒さんどうし、Q&A式でやってみっか」

 舞恵は、それなりにお嬢さん育ち。ただ、ダンスミュージック好きが高じて、米国のノリのイイ街ににショートステイしてた時期があったため、些かブロークンになってしまった。英会話をマスターしたのは良かったが、訛り英語のおまけ付き。それでも、基本はしっかり弁えている。

 「要はさ、相手と話がしたい、あれを聞きたい、これを伝えたい、ってのがあればいいんよ。passionありき、てことかな。話す意欲がなきゃ、どんな言語も話せませんワ」

 初音は昨日のことを思い出しながら、ぎこちない英語で話し始める。八広は時々ヘンテコなフレーズで相槌を入れながらquestionを担当。そんなんでも、やりとりしてれば変わるもの。徐々にペースが上がってきた。

 「ま、そもそもそのグリーンマップとやらは、米国発祥な訳だから、オリジナルの資料見りゃ、いろいろ書いてあんだろうけどさ。自分で実際にやってみてどうだった、てのは自分の言葉じゃないと語れないっしょ? そこでこう、情熱っていうかさ、話したい!って気になりゃしめたもんヨ」

 「蒼葉さんにも、即席デッサン教わったんスよ。それがまた良くって。小梅のイラストもそのせいか、大人っぽくなった感じ」

 「へぇ、そうなんだぁ。その気持ち、訳せる?」

 「Sister Aoba taught us how to draw still-objects instantly, I was very moved, and…」

 「hum...あとは、表情よね。顔の筋肉使って多少大げさにやると、言葉が勝手に付いてくる、かな?」

 「ルフロンさん、前は愛想良くなかったじゃないスか。そう言われても説得力が...」

 「顔の筋肉使い過ぎて疲労気味だったから、あんまり表情作らないようにしてただけ」

 「You’re so kidding.」

 「Ha ha, now you know!」

 八広は何のこっちゃ、という顔をしているが、彼氏も本当のところはよくわからない。地がそうなんだ、という程度である。ま、ここは無愛想だった理由を探るよりも、愛想が良くなった理由を考えた方が早そうだ。一つ確実に言えるのは、干潟つながりで知り合った皆のおかげ、ということ。そんな舞恵が愛想良くquestionする。

 「Why did you mark smile one on this area?」

 「あぁ、それは... It’s hard to explain for me. ヘヘ」

 それは千住姉妹宅付近である。櫻がニコニコしながら貼ったのだが、単に自宅だからという訳ではなく、誰彼さんといいことがあった何日か後だった、というのがスマイルの理由なもんだから、どうしようもない。十代の初音に説明を求めるにはムリがある。まして、英語でなんて。

 他にも、鎮守の森、とある民家の砂利道、ゴミ一つない路地裏、子どもが遊べる空き地、夕日がよく見える歩道橋、といった辺にアイコンシールともどもスマイルは付されてあった。

 「フーン、面白いわね」

 「ウチはこのエリアからは外れてるんですけど、今回のとこ遠くないから時々また様子見ようって、思いました」

 「自分ちの近所も、でしょ」

 「小梅は早速ウロウロし出したみたい。でも、だんだん寒くなってきたから、今月までスかね」

 三人は引き続き、アイコンの絵を見ながらそれを英語に置き換えたりしていたが、

 「この涙目は何? Joy or sorrow?」

 「もともとは[悲しい場所]ってことらしいんスけど。あ、ここ風が吹き抜けるんですよ。で、櫻さんたら『目にゴミが入っちゃった、うぅ』とか言いながら、それで」

 「いかにも櫻姉らしい発想ね。本人的にはそりゃsorrowだわ」

 「あんまり貼りたくないって、貼るならうれし涙の方がいいって、そんなことも言ってたような」

 「ま、要するに、いろいろな感情表現ができるマップでもある訳だ」

 「あら、八クン、黙って聞いてたと思ったら、いいこと言うじゃん。レッスン的には、そう、アイコン見ながらそれに合わせた表情作って声に出す、てのも良さそうネ」

 「I agree, teacher.」

 「そういう時はね、I’ll drink to that.て言い方も有効よ」

 「はぁ、ドリンク?」 八広はグラスに目を向ける。

 「あ、いけね、お代わりお持ちしますね」 初音はそのグラスを手に立ち上がる。

 時刻は十八時。センターの長い一日も終わろうとしていた。来週の土曜日は、もっと長い一日が待っている。

 

【参考情報】 「地域を元気にするハコモノ」


[漂着モノログ  第三章  秋] 終わり → [漂着モノログ  第四章  冬] に続く



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