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開会!

十月の巻

32. 開会!


 天気予報に関しては、「初姉の気まぐれ某」という訳にはいかないので、とにかく早起きして、天気図や気象情報サイトを見比べながら、荒川流域のお天気を占う初音。「概ね晴れ。微風。クリーンアップOK!」 ケータイメールで短信を打つ。中継役の弥生はこれをもとに、「漂着モノログ」の掲示板(テキスト枠)にアクセスし、ショートメールを流し込み、「予定通り開催」の旨、付け加える。千歳流のプロセス短縮で、弥生に掲示板係を兼ねてもらったため、正に速報が載るに至った。だが、誰が見ても明らかな晴天下にあって、わざわざこのように載せるのもどうかと思う。むしろ雨女さんの動向次第なので、「舞恵さんと雨雲の相関予報とかの方が意味あんじゃん?」と一人毒づいたりしている。一応、higata@にも一筆入れつつ、「九時半には間に合わないかも...」とおことわりを付す。午前八時、姉がせかせかやっている間、弟はようやく起き出して来る。すでにある程度準備はできているので余裕なのだが、ある人を干潟に連れて行くミッションが控えている。遅れそうな理由はその人物と関係ありそうだ。


 巡視船ツアーの日、文花と南実がカフェめし店で話し込んでいたのは、この三連休の過ごし方についても含まれていた。文花宅に泊まり込んでいた南実は、今回は電動車ではなく自動車で現場に急行することになる。文花の運転で、九時前にセンターに到着。予め用意しておいた機材やら資料を女性二人でバタバタと運び出している。電池式のアンプスピーカー(ワイヤレスマイク付き)、折り畳みイス、簡単な掲示ができるスタンド等々、重さがある物は全てセンターの備品。今回のクリーンアップの隠れ主催者としてセンターも名を貸すことにして、とにかく使えるものは使おうというチーフならではの一計である。あとは櫻が揃えておいた受付台紙、ゴミ袋、救急箱、電卓、文具類、参加者用筆記具(というか景品)等のほか、タイムテーブルと注意書きを拡大コピーした大判巻紙と受付の案内表示紙(タテ長拡大)も。何とこの拡大系、あのお騒がせの冬木からの差し入れなんだとか。お詫びのつもりもあったのかも知れないが、この手の代物は会社で造作なくできてしまうようで、櫻からの原稿ファイルから起こして、さらっと送ってよこしたものである。文花宅からは、南実の荷物のほか、農作業グッズやら大きめのブルーシートが持ち込まれてあって、軽自動車の車中は何となく満室に。

 「文花さん、許可証って持ちました?」

 「クルマの中にあるはずだけど、念のため予備も持ってこか」

 石島課長と話をつけ、この日のためにちゃっかり河川敷通行許可証なるものを入手していたチーフである。予備はそれをコピーしたもの。なかなか入念で結構なのだが、自分にとって必要なあるものを忘れていた。まずは自身に対して世話を焼く、というのも大事だったりする。

さ「お早う、いや、お遅うなりまして。すみません」

ふ「まぁ、千住姉妹。大丈夫よ。だいたい積み終えたから」

あ「あ、小松さん...」

み「皆さんにはお世話になってるんで、ね」

 南実が最後にデータカードを挟んだクリップボードの袋を持って降りてきたところで、姉妹が現われたという図である。

 「蒼葉が画材とか用意するのに手間取っちゃって」

 「画材? あら画板まで」

 「いい天気なんで、お絵描き日和だなぁって」

 画板はクルマで運んでもらうことにして、クルマ組と自転車組はここで一旦別々に。スタッフ集合時間の九時半まであと十五分ある。


 同じ頃、発起人はすでに堤防上にいた。出動は早かったが、いつもの如くノロノロ自転車を走らせる。案内板を出す位置を探りながらなので、尚のこと遅い。片手には百均で仕入れたというミニ黒板を抱え、もう片方の肩にはパンパンのマイバッグ。エディターズバッグなるものが流行っているらしいが、ライターの彼のはライターズバッグという訳ではなく、単なる無地の肩掛け袋である。何でもかんでもすぐに取り出せるのがウリらしい。いったい今日は何を詰め込んでいるのやら?

 一方、れっきとしたエディターズバッグをお持ちなのは、曲者edyさんである。エドでedyかと思ったら、今は情報誌の一編集者ゆえ、editorからエディと名乗っているようだ。本日の干潟一番乗りは、このedyさん率いる「チーム榎戸(えど)」ご一行。受付係、ロジ係、撮影係、そして榎戸ご本人の四人様である。陸上ゴミを見ながら議論をしているのはよしとして、四人中半分が喫煙者。今もタバコを咥(くわ)えているのが二人いる。ゴミを目の前にポイ捨て、なんてことはないとは思うけど...


 九時二十分、橋の途中で景色を楽しむ姉妹を横目に軽自動車が抜き去った。文花のケータイが珍しく音を立てたのはこの直後。

 「南実ちゃん、出てぇ!」

 「ハイハイ」

 電話の主は、八広(やつひろ)君であった。

 「あれ、矢ノ倉さん?」

 「もしもし? あ、小松です。文花さん、運転中なんで」

 「はぁ、そりゃ失礼しました。今、大丈夫スか?」

 スタッフとして予定していた八広と舞恵だが、いわゆるドタキャン発生。その連絡だった。何でも十月の異動で別の業務に廻ることになった舞恵姉さんが「やってらんねぇ!」とか言って土曜日は荒れ気味だったんだとか。ワイン呑み放題のイタめし風居酒屋に行っちゃったのがまた良くなかったようで、ヨロヨロになってしまった彼女を本人宅に何とか運んでそのまま介抱する羽目に。彼氏業も大変である。

 「て訳で、ルフロンの面倒見てるんで、今日は欠席します。皆さんにヨロシクです」

 「お大事に... はい、じゃ」

 通話を終えた時はすでに堤防道路のゲート前。橋下の駐車場へはそのゲートの脇のスロープを下りてUターンするような感じで進入できるが、堤防下の河川敷道路をクルマで進むには、Uターン地点の先に設けてある別のゲートをクリアしなければいけない。スロープを徐行し、一時停止。文花はクルマを降り、橋下駐車場の係員に掛け合いに行く。通行許可証はまずここで効力を発する。


 ハザードを点灯させつつ、軽自動車はノロノロ進む。いつしかその先を姉妹の自転車がスイスイ走っている。ゲートで止まっている間に、堤防上を通過していた、ということらしい。グランド詰所の脇で左折するところで、ミニ黒板が目に止まった。左向き矢印とともに、「干潟クリーンアップ会場(10:00~受付開始)」とチョークで書かれてある。「ハハ、立てかけ黒板か。ないよりはいいかしらね」「でも、地面に置きっ放しだと、ゴミと間違えられるんじゃ?」 黒板を設置した本人はすでに干潟に着くところ。そこに姉妹が追いつこうとしている。間もなく九時半になる。


 リュックにちょっとした機材を詰めてきたせいで、ペダルが重くなっていた業平が来た頃には、チーム榎戸とhigata@メンバーの顔合わせは済んでいた。両チームを取り持つ意味ではキーパーソンの業平だが、置いてきぼりを喰った格好である。

 「あなたがGo Heyさん?」

 「実際にお目にかかるの初めてなんですよね。おふみさん、あ、いやチーフ!」

 higata@メンバー内で最後に残っていた顔合わせがここでようやく実現した。日数がかかった分、感激もひとしお、かどうかはいざ知らず、この二人、前々からお互い気になっていたフシはある。ちなみに、業平は年上女性も案外好み、文花は長身男性がタイプ、ということは...

 チームの別はさておき、女性が五人に男性五人が揃った。男女バランスがとれた形になるも、現場慣れした人数比ということで言えば、女性優位というのはいつも通り変わらない。チーム榎戸の撮影係はまたタバコを取り出すが、ただでさえ優位なhigata@女性陣から一斉に「あー!」とやられてはもうタジタジである。未点火の一本を落としかけるも、何とかキャッチ。だが、足元には先の吸殻が燻(くすぶ)っている。迂闊な行動で尻尾を出してしまった一員に対し、冬木は淡々とポケット灰皿を差し出す。ポイ捨てしたのを知っていたか否かはさておき、吸殻が接地してしまう前に出してこそ発生抑制(狭義)につながる。いや、そもそも吸わないに超したことはない。ついつい一服てのは、広告代理店チックというか、業界関係者ならではなんだろうか。

 段取りは概ね打合せ済みだったが、受付の配置や参加者の誘導動線といった立体的なイメージはあまり練っていなかったことに気付く一同。ここは正に現場力が問われるところである。文花のクルマを囲むような空間展開を考え、モノログ見た組の受付はクルマのトランクスペース、情報誌見た組は、その隣でクリップボードを使って書き込んでもらう方式、ということにした。クルマの一空間を使って受付というのも変な話だが、バックドアをオープンにして、折り畳みイスを配置、あとは蒼葉が持って来た画板を借用して台にすれば「即席」の一丁あがり、ということである。何人来るか不明だが、受付と言っても、不慮の事故に大して保険適用するのに必要な最低限の情報を書いてもらうだけなので、それほど大がかりにすることもなかろう、とのこと。これは、矢ノ倉女史がご学友に尋ねて得た話。情報通というのは本人が全て知っているということを指すばかりではなく、誰に聞けばいいかを弁えている、というのも大アリなのである。


 そのご学友は、弥生と六月とともに、路線バスに揺られていた。

 「ホラ、先生あそこ、見える?」

 「えぇ、何となく人だかりが...」

 夏休みの自由研究があまりに上出来だったものだから、クリーンアップイベントに興味津々だった永代先生である。六月から誘われたのと前後して、旧友からも行事保険の件なんかで問合せがあったりで、お導きを得たような感じになった。夏休み最初の日曜日、無料送迎バスの車窓から文花と六月の一行を見かけて不思議に思っていたが、接点が重なったことでその謎は解けた。今日はさらに、少年をひと夏で逞しくした謎、つまりその「現場」とやらに何があるのかを見てみよう、そんな飽くなき探究心が彼女を動かしている。旧友との再会も楽しみだが、きっかけはあくまで我が児童、六月にあった。

 かつての児童だった小梅は、姉と一緒に現場に向かっていた。大人の皆さんは、着々と準備を進め、ブルーシートを広げたり、拡大コピー紙をクルマの側面に貼り付けたり、ワイヤレスマイクのテストをしたりしている。ちょっと気が引ける十代姉妹だったが、higata@のお姉さん方の歓待を受け、すぐに溶け込む。

 「ルフロンさんと八宝さん、どうしたんスか?」

 初音はまだちょっと浮かない顔で、誰に聞くでもなく問うてみる。

 「え、まぁ、その...」

 櫻は答えにくそうにしていたが、直々に連絡を受けた南実がストレートに返す。

 「彼女はワインの飲み過ぎで二日酔い。彼氏はそれにつきっきり、ですって」

 「あちゃあ。やってもうた、って感じスね」

 敬愛するルフロンさんだが、ドジっぽいところは前回織り込み済み。またしても魅力的な一面を知った気がして、初音は驚くも何も、ただ小気味良いのであった。

 「それにしてもドタキャンになっちゃうとはねぇ。分担どうしよ」 と今日は千歳が憂い顔になるも、

 「こういうのって、市民活動にはつきものでしょ。あとは現場力次第...」 とチーフはケロっとしている。

 「その『場力(ばぢから)』を唱えてた人物がこれじゃ... 面目ないというか」 八広の身元保証人のような千歳としては不本意さが拭えないようである。


 九時五十分近く。徒歩組三人がようやく辿り着く。弥生はもともとスタッフ要員だが、ドタキャン二人をカバーして余りある助っ人が加わることになる。一人は先生、一人は児童、「待ってました!」である。

 「矢ノ倉、久しぶり!」

 「おひささんこそ、お久しぶり... ヘヘ」

 「何それ? アンタいつからダジャレ言うようになったの?」

 「さぁ。ここにいる若手、いや特にアラサーの男女の影響かな?」

 「何か転職して変わったわねぇ」

 文花を苗字で呼び捨てできる人物というだけでも十分インパクトはあったが、その文花の旧友、かつ六月の担任、さらには小梅の元担任と来れば、重量級役者である。ジャケットシャツにピンタックスカートと、装いは極めてシンプルだが、役者は役者。たちどころに皆の注目を集める。

 「ほ、堀之内先生、ようこそ」

 「石島さん、ホント大きくなったわね」

 「先生もすごく元気そう」

 「フフ、まあね。二年前は大変だったけど...」

 恩師と卒業生の間で、初音は深々とお辞儀したりしている。過去に何かあったようだが、そういう話はまた後ほど。ひとまず一同揃ったところで、チーム榎戸の受付係のお姉さんが何かを配り始めた。白色だと一時盛り上がった某バンドになるが、これは藍色。太めのリストバンドである。

 「あ、皆さん、それスタッフ証代わりってことで。ちょっと目立たないかも知れないけど、どうぞ」 舞恵と八広が不在なため、小梅と六月にもそれは手渡された。ゲストの永代にも予備の一本が渡る。こういう小道具に関してはさすが広告代理店、と言っておこう。

 「じゃ、誘導係は弥生ちゃん、お願いします。監視係は本多さん、陸上ゴミは、堀之内先生と若いお二人さん、でいいかしら」

 分担の組み替えはこれで何とかまとまった。あとは臨機応変に適宜入れ替わり立ち代わり、である。案内に載せた開始時刻は十時。あと五分で始まる。スタッフ証を付けた人数、総勢十五人。タイムテーブルを見つつ、開始前に簡単なミーティングを行い、参加者を待つ。一般的には開始時刻が記されていれば、その前に何人かは来るのが相場だが、場所が奥まっているせいか、はたまた黒板に受付開始が十時と書かれていたせいか、今のところ一般参加者はここには来ていない。ただ、詰所付近には何となく人垣がチラホラできているので、

 「あたし、行って案内してきます。開始時刻ってどうします?」 誘導係は、千歳からチョークを受け取り、業平のRSBに跨(またが)るところ。

 「そっかぁ、受付開始とクリーンアップ開始って特に分けなかったのよね。とにかく受付はOKですよね。十時十五分開会、かな」

 「ま、何かあったら... 文花さんのケータイ鳴らします」

 「聞こえるかどうかわからないけど、アナウンスも入れっかな」

 とこんな感じでhigata@メンバー主導で会場は運営されていくのであった。

 秋の虫の音、涼やかな微風に揺れるヨシ、ススキ、セイタカアワダチソウ... 受付時間中は一転して、爽秋のひとときが流れる。いや、少々落ち着かない女性が一人いらした。

 「ハ、ハクション! うぅ」

 言わずもがな、クシャミの主は文花である。ケータイ越しで一喝された冬木は、櫻以上に文花に恐れをなしていたが、弱点見たりと思ったか、いそいそと近づいて来る。

 「矢ノ倉さん、この度はいろいろとお騒がせしまして」

 「いえ、こっちも助けてもらいましたから。ハ、ハ...」

 「矢ノ倉ぁ、大丈夫? マスクとかないのぉ」

 「いやぁ、ちゃんと用意しといたんだけどさ。下駄箱の上に置き放しで来ちゃったのよねぇ。まだ若いのに不覚だワ。クション!」

 冬木はしたり顔で様子を見ていたが、クシャミに気付いてリーダーが飛んで来た。救急箱を開けると、そこには未開封のマスク。

 「文花さん、だから言ったのにぃ」

 「へへ、出る直前でうっかり、ね。そういうことあるでしょ?」

 「ハイハイ。今日はこれ付けておとなしくしてらっしゃい」

 「ホーイ」

 永代にもこのコンビの妙味がわかったらしく、吹き出しかけている。冬木は「やっぱ、千住さん手強い?」と考えを改めることにした。


 十時を過ぎ、チラホラと受付に人が集まり出した。モノログ受付は蒼葉が担当。社会人とご年配が一人ずつ、学生グループ三人といったところ。モデルさんが立っていると目を引くので、皆、彼女の方に流れそうだったが、そこはチーム榎戸。センター備品の簡易掲示板に「情報誌見た!受付」の紙を貼り出し、読者をしっかり専用受付に導いている。こっちは流域媒体としての強みあってか、情報誌のターゲット層である三十代・四十代中心で、小学生二人を含め計十人を集めた。業平は気を利かせて、道具類に不備がありそうな人を見つけると、予備の袋や軍手を配って回っている。陸上ゴミ担当になった三人は、その塊を前にして作戦会議をしている模様。八広の代わりにプチ干潟の監視係に回ることにした初音は千歳と通路の確認に出向く。南実はブルーシートに腰掛けて、解説用のフリップの順番をチェック中。そのお隣には、マスクさんがおとなしく荷物番をしている。

 「ハイ、あ、弥生さん。どしたの? クシュン」

 「通りがかりだけど参加していいかって?」

 「あ、ちょっと待って、ハ...」

 ちょうど業平が傍に来たので、そのままケータイを渡す。

 「クション! あ、あとお願い」

 「?」


 「なぁーんだ、本多さん? エ、まだあるから大丈夫って?」

 袋と軍手を高々と掲げている。詰所までやや距離はあるが上背のある業平ゆえ、すぐに確認できた。弥生は手にしていた黒板を置くと、飛び入り参加の若夫婦を引き連れ、会場へ。そろそろ十時十五分になろうとしている。

 櫻は、マイクテストを兼ねつつも、その都度気付いたことをアナウンスしていたが、開始時刻になると、一段とトーンアップし、切れが出てきた。

 「皆さん、こんにちはっ! 今日はようこそお越しくださいました。情報誌見た!の方、ハイ! あとはブログ見た、の方々でしょうか。あっ、飛び入り参加も、どうもありがとうございます」 参加者に挙手を促しつつ、巧みに場を盛り上げている。

 「申し遅れました。私、千住櫻と言います。進行役を務めさせていただきます。私を含め、このバンドをしているのが今回のクリーンアップのスタッフです。どうぞよろしくお願いします」

 スタッフが頭を下げ、参加者から拍手が起こったその時、もう一人の先生が颯爽とバイクに乗って滑り込んできた。

 「はい、演出通り、おじさんライダーがやって来ました。荒川のご意見番、いや守護神、掃部清澄先生です。拍手ーっ!」

 ヘルメットを外したら、周りからやたらパチパチと音がするので、面食らっていた先生だったが、櫻からマイクを渡されると、テレながらもいきなり全開。

 「掃部でございます。呼ばれなくても、名前がカモンなもんで、こうして来てしまうんですわ。どうぞお手柔らかに」

 会場には三十余名がいるので、ちょっとした笑いでもどよめきになる。隠しマイクを手にしていた櫻は、どよめき止まぬうちにすかさず、

 「先生、来て早々何ですが、開会挨拶なんていかがです?」と振る。

 「いやぁ、ここにお集まりの皆さんは心がけのいい方ばかりだろうから、別にこれと言って。ただしとつ、ゴミを捨てるのが人間なら、し、ひ、拾うのも人間。他の生き物はゴミは出しません。ここのし潟も私達が片付けない限りは元通りにはならない。ひ、干潟、ヨシ原、そして川、生き物たち、皆つながって、元気になっていくことで私達も元気に、ってことです。今日もしろって、しっかり調べましょう!」

 「ありがとうございました。先生のご名誉のために付け加えさせていただくなら、し潟は干潟、しろうは拾う、でございます。生粋の江戸っ子、荒川っ子でいらっしゃるので、その辺はひとつ大目に...」 先生は「いやぁ、まいったな」と頭を掻く。

 お次は先生の弟子の出番である。業平にフリップを預けると、南実がマイクを握る。

 「先生の前でやりにくいんですけど、他の生き物が困っている様子をここで少々お話させていただきます」

 研究員らしい粛々としたトークとともに、淡々とフリップが繰られていく。レジ袋を誤食して窒息してしまったウミガメ、釣り糸に絡まって息絶えたペリカン、漁網が首に絡み付いて流血しているオットセイ、海面に漂流するプラスチック製品をついばむ海鳥、その海鳥の砂嚢(さのう)の拡大写真には、レジンペレットなどの砕片が... さらに、プラスチック系の袋ゴミなどが詰まったイルカの消化器の解剖写真がそれに続く。大人が見ても刺激的な画(え)は子どもにとってはよりショッキングだろう。文花と櫻を除いては、higata@メンバーも初めて見る動物被害実態の数々。参加者の中には、目をそらす者もいたが、しかと心には刻まれたようだ。こうした話は性格的にストレートな面がないと難しい。直球派の南実だからこそ、できるのである。

 「これはプラスチック製のリングが嵌(はま)って取れなくなってしまったアザラシです。好奇心旺盛なんでこれで遊んでいたんでしょう。ところがこの通り。自分ではどうすることもできない。ヒトにとってはただのゴミでも、動物には凶器なんです。と、このバンドも...」

 チーム榎戸の面々はヒヤリとなる。業平も繰っては見入り、その都度目を見開いていたが、この一言でやはりギョッとなっている。スタッフ全員、その凶器を付けているので、話を転じるしかないところだが、

 「これはスタッフ証でもありますが、我々人間への戒め、と考えることもできます。スタッフの皆さん、くれぐれも落とさないように気を付けてくださいネ」 とさりげなくまとめてみせた。この辺り、南実も十分キレ者である。

 「小松さん、本多さん、どうもでした。という訳で、悪さをするとこのバンド、どうかなっちゃうんでしょうか、ね? 榎戸さん」

 「ハハ、勘弁してください」

 文花は櫻のトークを愉しみつつ、学びつつ、そして冬木への戒めに喜々としていた。ここからは引き続き櫻ショーである。今日の櫻のいいもの其の一、指示棒を取り出すと、掲出済みの注意書きをビシビシやり始める。higata@での議論の賜物ではあるが、たたき台は櫻の手による。書いた本人ならではの説得力を以って、皆々に伝えられていく。

 (1)お子さんだけの干潟入りは避けてもらうこと、(2)船舶が通った後は大人も注意を要すること、(3)ぬかるみ、崖地、深々した草むら... 足元が覚束ないところは無理して踏み込まないこと、(4)鋭利なゴミは素手では絶対に拾わないこと、(5)悪臭ゴミ、爆発危険ゴミ、その他の危険物や薬品等は拾わないこと(見つけたら干潟スタッフに申告)、(6)細長いもの(花火の燃えカス、針金等)は折ってから袋に入れること、等々。クリーンアップの成果も大事だが、こうした安全面が守られさえすれば、行事としては成功同然と言って過言ではない。「無事此れ名馬」の道理である。

 「あとですね、放っておけば自然に還るもの、天然素材・自然由来... そういうのは拾わなくていいです。ただ、木でできた家具とか、カマボコの板とか、そういうのは一応回収します」

 お手洗いや水分補給は適宜、気分が悪くなったらスタッフに、最後に、

 「喫煙される方には申し訳ありませんが、ここは原則禁煙、でお願いします。どうしても吸いたくなったら詰所脇の喫煙コーナーで」 と釘を刺す。

 千歳はデジカメで要所要所を撮っていたが、チーム榎戸の撮影係は開会からずっと動画モードで記録中。三脚なしで微動だにせず収録するあたり、さすがはプロと千歳は思っていたのだが、この原則禁煙の話が出たところで、手許が狂ったようだ。「ありゃりゃ」とかやっている。これも櫻ならではの機転、いや訓戒が利いたということか。

 ここで掃部先生が一声。

 「櫻嬢、マムシの話はいいのかな?」

 「エ? マムシですか?」

 これを聞いてギクとなっているのは女性教諭である。魚がダメな人の友人だけあって、何となく共通点がある。永代はヘビなど爬虫類が大の苦手。教室で悪ガキに泣かされたのもトカゲが原因だった。過去を知る小梅は恩師を気遣っているが、旧友は素っ気ない。

 「皆さん、草叢(くさむら)にはあんまり近づかないことをお勧めします。自然が還って来たと言やぁ喜ばしいことなんだが、この時期、こればっかりはどうしようもなくてさ」

 蒼葉は耳を傾けながらも受付を続けている。情報誌見た組の方も含め、この十数分間の間に、チラホラ参加者がやって来ていて、いつしか全体で四十人近くになっていた。三連休の中日にしては、よく集まったものである。

 クリーンアップ参加経験などを聞きながら、所要時間の見当を付けてみる。進行役は、タイムテーブルを示してはいるが、何時に何々とは言わず、大まかな段取りだけを説明する。

 「おかげ様で多くの方に来ていただいたので、拾う作業はすぐに済むと思います。調べるのに時間がかかる訳ですが、それはまた集めてから考えましょう。あとはブログ組、情報誌組、各会場での指示に従ってください。飛び入り参加の方はひとまず陸上をお願いします。皆さん、くれぐれもケガのないよう、ご無理なさらぬよう、安全第一で。では!」

 ここまでの櫻の進行、いやマイクパフォーマンスと言うべきか、とにかく一級品であったことは間違いない。どことなく拍手が起こり、千歳も惜しみなく手を叩く。目が合った櫻は俯きながらも一瞬片目をつぶり、彼に合図する。そう、ここからは別々の会場で、それぞれの本分を発揮することになる。彼女なりに緊張感を維持した上での合図、だったのである。


 かくして実質的なクリーンアップは十時半スタートとなった。タイムテーブルでは十時二十分見込みだったので、すでにオーバー気味だが、この大人数である。台風後増量を見越して、回収作業は十一時を区切りにしてあったので、それはキープできそうだ。三十分もあれば大方片付くだろう、との読みである。だが、潮時担当のお嬢さんに云わせると「いやぁ、水嵩に追われながらのクリーンアップって、結構シビアかも」とのこと。つまり、時間的に余裕はあっても、水位との勝負は避けられず、いかに短時間で片付けるかがやはりカギとなる。時間との戦いは変わらない。手製で防流堤(干潟面ゴミキャッチャー)は作れても、上げ潮を抑える防潮堤のようなものは不可能。現場力はこうして試され、高められていく。

 いつもの干潟に展開するブログ(モノログ)チームは、防流堤を完全埋没させる勢いで覆う枯れヨシの大群に刮目(かつもく)していた。その茎の絨毯(じゅうたん)には所々奇妙な形の流木も混ざっていて、回収作業を躊躇させる。櫻は前回に倣(なら)い、障害物を除けることを提案。監視係の業平を筆頭に、学生諸君が加わり、せっせと運び始めた。千歳からデジカメを借りて撮影係(兼 相談係)をしていた南実は、その絨毯の量から慮って、「調べるクリーンアップ」が過重な作業になる可能性を悟る。

 「ねぇリーダー。今回は表に出てるゴミをまず拾って、数えるのはその範囲にとどめといた方がいいと思うけど、どうかな?」

 「ははぁ、小松予測ではこの束除(ど)けるととんでもないことになるって、そういうこと?」

 「だってすでにペットボトルやら、包装類やら、袋片やら、これだけで十分調べ甲斐あるでしょ...」

 そんな二人のスニーカーの周りには、骨組みだけになった安物のウチワ、何故かビニール手袋、波に洗われてクタクタになっているDVDの空ケースなんかが転がっている。

 「いきなりスクープっぽいのが出てくるし...」

 「そっか、現場押さえなきゃ」

 という訳で、大物障害物撤去→めぼしいゴミの撮影→表層ゴミをとにかく袋に入れて搬出→潮の加減を見ながら枯れヨシ絨毯を除去→防流堤の改修、といった作業工程が示し合わされた。潮位に煽られるというのは本意ではないものの、学生諸君なんかにはゲーム感覚で取り組めると映ったようで頗(すこぶ)る好評。よりスピーディーな作業の組み立て、というのがこの時の南実のサゼスチョンによって導き出されることになろうとは。策士とは斯くあるもの、である。

 蒼葉は斜面通路に待機して、干潟表層ゴミでいっぱいになったレジ袋なんかを各人から引き取る作業に励んでいる。軽快に捌いているが、干潟に展開する人数が、多いと十人くらいになるので、分が悪い。草を刈った平面にゴミをばら撒いて、空いた袋を持って戻ると、また次の袋、その繰り返し、である。一段落した業平が見かねて、斜面で足を止め、南実からやや重めの袋を受け取った時、小型巡視船らしき船舶がそれなりのスピードで下流方面に向かって行った。

 「やばい! 引き波、来ますよ。Go Heyさん!」

 「そっか。発令しなきゃ。皆さーん、波に注意してくださいっ!!」

 学生諸君は手を止め、川面に注意を向けてくれたまではよかったが、「マジ?」「キャッホー!」とかはしゃいでいるから始末が悪い。アラウンド20だろうから、自己責任云々と言えなくもないが、監視係の面目ってものがある。「おいおい!」

 「やっぱ、緊急波浪警報!とかやらないとね」 櫻がなだめるも、

 「アイツら、現場をナメおって、フー」 業平は息荒く立ち尽くしたまま。

 「いや、彼等が悪いばっかりでもないのよ。巡視船のクセに波立てるから...」

 かつて波にやられた南実にこう言われては監視係も落ち着くしかない。

 「さっき小松さん、引き波って言ったけど、それって?」

 「船が引いて起こすからそう言うみたいだけど、よくわかんない。ただ、自然保護地区だかは、波立てないように航行すべしって指定されてるんですって。それが引き波禁止」

 「潮が上がって来ているところに、それと逆方向、しかもあのスピードでしょ。まぁ、確かにさっきのはヤバかったわね。大波小波に小松南実...」

 「何か言いました?」

 「波のことなら南実さん、かなって。フフ」

 櫻は誰でも相方にしてしまうようである。

 監視のお役目は辛うじて果たせたものの、袋の引き取り役は果たせずじまい。そんなGo Hey氏を含むアラサー三人の脇で、蒼葉は黙々と往復していた。波の一件で中断はあったが、そんなこんなで表層ゴミは粗方(あらかた)取り除かれた。

 蒼葉様様である。

 

【参考情報】 行事用保険 / ゴミが動物を襲う


ショーの続きと終わり

33. ショーの続きと終わり


 さて、プチ干潟担当の情報誌チームの方は中途参加組を含め、二十余名の一大グループになっていて、現場力が否応なく問われようとしていた。千歳流プロセスマネジメントは機能するのか、本人にとっては期待半分・不安半分といったところである。掃部先生に随行してもらっているので心強いが、元気がいい小学生が数人いるのが一寸(ちょっと)悩ましい。

 下流側の干潟を知る先生は向かう途中で何かを思い出したようにバイクに戻ると、見覚えのある機材を片手に早足でやって来た。一行の行く手にはキンエノコロやチガヤが生い茂り、水際に通じる細径(みち)を阻んでいる。そのまま行けなくもないのだが、草に足を取られて転ぶ可能性もあるので、刈れるところは刈ってしまおうということらしい。細径の脇には生気の褪せたヨシが群れて斜めになっているので、そっちを重点的に刈りながら進路を拓いていく。子どもたちは親御さんに制されながらも物珍しそうに草刈り機の動きを目で追っている。関心を誘うものがこのようにあれば、キャーキャーやることもない。出来立ての草分け道を行儀よくそろそろと歩いていくばかり。

 刈った直後の草の匂いは何とも言えぬ味わいがあり、深呼吸すると不思議と平穏な気分になる。このまま穏やかな感じでクリーンアップが済めばいいのだが...


 全員が降り立つには干潟は狭い。だが、狭いながらにゴミはそれなりに散在しているので、高密度状態になっている。緩やかな崖地では横倒しヨシがギシギシと音を立て、袋に限らず、ヒモやらハギレやらが絡まっていたりする。どう手分けするか... 最初の問いに直面する千歳である。

 「お子さんはお父さんお母さんと一緒に、あちら(上流側)の平たい干潟をお願いします。グループ単位でいらっしゃってる他の皆さんは下流側の細長い干潟の方、個人参加の方々はヨシの根元や枝に付いているのを無理のない範囲で、ということで...」

 初音はいち早く干潟に下り、子どもたちを無難に誘導するも、そこから先の行動までは留意しきれなかった。川に浮かぶような状態で露出していた目先の積石にカルガモが羽を休めているのを少年の一人が目に付ける。声をかける間もなく少年は駆け出す。だが、思いがけない干潟のぬかるみに足を掬われ、呆気なく転んでしまったではないか。カルガモはその場を離れる。少年は泣き出しこそはしなかったが、その場にうずくまる。あっという間の出来事に他の家族連れもしばし呆然。

 少年の母親は、叱るでも案じるでもなく、ハンドタオルを取り出して黙って膝の泥などを払っている。

 「大丈夫、ですか?」

 初音が丁重に声をかけると、「いつものことなんで。いい薬になったでしょ」と、母親は軽く受け流してくれた。親の出方次第ではひと悶着も有り得なくはなかったが、まずは一件落着。千歳が遅れ馳せながら顔を出す。おなじみのバケツに水を汲んで持って来ていたのが、ここで役立った。注意事項の中にはさすがに「干潟で走ってはいけません」というのはなかったので想定外ではあったが、この常備品で何とかカバー。これで擦過傷(スリキズ)でも負っていたら、冬木のケータイで文花を呼び出すところだが、それには及ばなかったので何はともあれ、である。

 少年のこの転倒は実は大きな意味があった。転んだ際に手をついた目先には、何と注射器が。キャップが付いた状態だったのでまだ良かったが、これで針が露わで、手がそこに伸びていたら... 考えただけでゾッとする。奇しくもケガの功名、いや、転んでも只では済まぬ何とやら、となった次第だが、これには母親も驚きを隠せなかった。それでも、「これは確かにクリーンアップしないといけないですね」と努めて冷静に一言。当人はすっかり恐縮しながら手を拭いている。

 「よく見つけてくれました。どうかこれに懲りず、引き続きよろしくお願いします」

 萎縮されてしまっては元も子もない。転倒の功をさりげなく伝え、少年を元気づけてみるのであった。

 こういう時、漂着ゴミというのは有用である。空のペットボトルならいくらでも転がっている。ラベルが剥がれたボトルを手にすると、千歳はその物騒な一本を格納してフタをする。危険ゴミサンプルの出来上がりである。

 これが教訓となり、千歳は他に危なっかしいゴミがないかチェックしながらプチ干潟の巡回を始める。チーム榎戸はと言うと、受付係の女性とロジ係の男性が下流側で参加者に交じっているのが救いといった感じで、撮影係は今ひとつ動きが緩慢、チームリーダーの冬木に至っては、デジタルオーディオプレーヤーの録音機能を使って、特に家族参加者に対してインタビューを試みたりしている。もともと自前でクリーンアップをするつもりだったくらいなので、何らかの企画というのがあったのだろう。情報誌においてイベントレポートを掲載するのは至極当然。媒体こそ違えども、その辺の心得は千歳にもあるので、まぁ大目に見ることにした。当エリアはあくまで情報誌読者が中心でもあるし。

 いや待てよ。読者とともに創る行事というと聞こえはいいが、どうなんだろう。生の声を聞いて悪いことはない。だがそれは、活動に支障をきたさない範囲で、という条件つきであることは心したい。冬木はどこまでわかっているのやら... それが心配になる千歳であった。

 動画はいいから、とにかくスクープ系のゴミを撮影するよう、緩慢カメラマンに指示を出しながら、参加者に声をかけて回る千歳リーダー。冬木の取材のおかげでクリーンアップに身が入らないご家族参加者の傍らで、比較的おとなしくゴミ拾いに勤しむ子どもたち。初音はバッチリ目を光らせつつ、大波小波にも注意を向けている。空を睨(にら)む時と同じような表情なので、冬木はインタビューしたくてもできない様子。さっきから何となく遠巻きにしている。するとブログチーム会場を騒がせたと同じ巡視船が走り抜けて行った。

 「あっ、波が来ますよぉ!」

 業平が叫んだ時はイマイチ効き目がなかったが、初音のこの喚起はバッチリ。一斉に崖側に退避して、波を見送っている。水位の変化は、少年が転んだ跡を含め、皆々の足跡を波が消してしまったことからも明らか。波が収まってからは、俄然拾うスピードが速くなる。これは、取材が中断したから、ばかりではない。干潟面積が徐々に狭くなっていることを実体験したから、である。百見は一実感に如かず、体験は人を変える、というのがよくわかる件(くだり)である。

 インタビュアー殿もこれでクリーンアップに合流か、と思いきや、今度は先生に話を伺うことを思いつく。ところが、

 「ま、話聞いてるシマがあったら、クリーンアップなさいよ。ホラ、あのお嬢さんだって、さっきから一人で力仕事してんだし」 とあしらわれてしまった。

 顎で示した先では、弥生嬢が蒼葉と同じような役回りを実践していた。斜面がなだらかな分、負担は少ないが、ゴミ袋を集積するのに都合のよい平地まで距離があるので、結構な運動量になっている。袋を空け、空になった袋を持って来ると、また新たな満載袋を手にバサバサ。冬木は「何事も体験」という業平の言葉を思い出し、渋々ながら袋の搬出を手伝うことにした。これでいいレポートが上がれば言うことないが。

 掃部先生は草刈り機でもって、横倒しヨシを刈り、吹き溜まりゴミを集めやすくしている最中である。足場が傾いているものの、ここはご自慢の蟹股が奏功し、抜群の安定感を見せる。その斜面には、先の波で何となく避難してきたグループが群を成している。下流側の細長干潟は、引き波でその表面を大きく洗われたものの、高低差と斜面があったので、辛うじて助かった感じ。ヒヤヒヤ続きの千歳だったが、ここで一旦小休止し、避難者に対し、警報の解除を知らせるとともに、次の手順説明に入る。

 「おかげ様でだいたい片付いてきたと思います。水位も上がって来たことですし、あとは先生に草刈りしてもらった辺りを重点的にやって引き揚げるとしましょう」


 同じ頃、上流側はと言うと、勢いに乗じてヨシの絨毯を撤去する段に入っていた。だが、思ったよりも水位上昇が緩やかと見切った撮影係は、「これぞ、ヨシの原っぱよね。ヨシヨシ」てな感じで悠長に構えている。先刻まで人を焚き付けておいて何だかなぁ、である。千と櫻の両想いを焚き付けたりと、点火系な役回りの南実ではあるが、ここで実際に火を放ったりしてはシャレにならない。だが、万一この原っぱに火が走るようなことがあったら... いつになく漂着ライターが多かった今回、これは決して冗談ではないのである。南実はそんな物騒な一品をまた見つけると、「川も例外ならず、いやこっちが発生源...」と溜息交じりにポツリ。海岸に漂着するライターは、川からだったり、他国からだったり、そんなことを思い返してみるのだった。

 焼き払う訳にはいかないので、兎にも角にも次はヨシ原っぱの撤収である。前回・前々回に業平と八広のお手盛り工事で作った防流堤は、その効果が過剰覿面(てきめん)だったのかどうか、完全に原っぱの下敷きになっていて、姿形が見えない。この手の除去作業は男手中心ということで、業平は防流堤辺りの束をせっせとどかしている。手を休め、ふと左右の崖ヨシに目を向けると驚く勿(なか)れ、大方のヨシが横倒しになっていて、真っ直ぐに伸びている方が少なくなっている。さらにその横ヨシには袋ゴミが随所に引っかかってたりするから余計に哀れ。表立ったゴミという意味では、この袋類もカウント対象だろう。長身を活かし、時折ジャンプしながらそれらを取り除く業平。着地すると弾力を感じる。防流堤は板材なんかで強化してあるから、そこそこ厚みはある筈だが、その存在を感じさせない程、ヨシ束は厚く堆積していた。こうなると絨毯というよりもマットである。

 南実は、撮影係 兼 監視係をしている。ヨシ束の中継役もやっていたが、業平が大小の袋を手に上がって来たので些か拍子抜け。彼はそのまま分別コーナーへ。

 「蒼葉さん、これも」

 「あれ? 絨毯の下の分は数えないんじゃ...」

 「ヨシに引っかかってたんだな、これが」

 「ハハ、何かヨシってフィルターみたいね」

 干潟が水のフィルターだとすると、ヨシはゴミのフィルター? 捕獲装置と言ってもいいかも知れない。

 櫻は、運搬途中でこぼれ落ちるゴミを集めながら、除去後に出てきた深層ゴミにも着手し始めていた。ボロボロの袋類、個別包装の小袋、吸殻、そしてプラスチックの粒々など。これらをカウントに加えると、南実の言う通り収拾がつかなくなりそうなので、ぐっと抑えて別枠扱い。収集と収拾の両立を図るのもリーダーの大事なお役目である。

 業平が防流堤の内側に滞留していたペットボトル類を拾い上げると、いつしか干潟表面はほぼきれいサッパリに。学生諸君は内輪で盛り上がっている。すると、そんなはしゃぎ声など何食わぬ顔で珍客が飛来。薄汚れた感じのドバトである。何を捕食するつもりか定かでないが、久々に露わになった干潟を嘴で突っつきながらチョロチョロしている。間違えてレジンペレットなどを摘(ついば)まなければいいが、と案じる向きもあるが、この余興鳩に一同が和んだのは言うに及ばず。


 所変わればゴミ事情も変わるようだ。プチ干潟では注射器の他、家庭用電球、複数のレンガが繋がったような瓦礫、大きめの観賞用植物、物流用の木製パレットなど、初物がチラホラ見つかった。だが、こんなものでは済まない筈。人数が多かった分、総じて回収も早かったため、スクープ系を撮りこぼしてしまった可能性は大。弥生がバサバサやってくれた中にどれだけ珍品が混ざっているか、妙な期待が高まることになる。

 

 約二十名がぞろぞろと上陸し、初音、千歳の順で干潟を後にしようとした時、櫻のいいもの其の二、ホイッスルが吹かれ、その合図音はマイクを通じて鳴り渡った。

 「十一時? 早っ!」

 膝上までのチュニックをひらつかせ、初音は駆け出す。一瞬ギクとなる千歳だが、ちゃんとレギンスなるものを穿いているので、心配はご無用。これぞ初音流のクリーンアップスタイルなのである。そんなヒラヒラと秋風が重なる。詳しい名前は後で先生に聞くとして、複数種類のトンボと蝶がその風の中を泳ぐように飛んでいる。プロセスをあまり意識せずとも、場の流れの中で一定のマネジメントはできた。それよりも何よりも大過なくクリーンアップを終えられたことが何より。安堵感に包まれる千歳にとって、秋風はただただ快かった。


 だが、そうも言ってられないのが現場である。三つめのエリア担当、陸上ゴミチームが大いに苦戦していたのである。若い二人はスタッフ任命されて張り切っていたのだが、例の塊はまだしも、大物ゴミに手が出せず、あえなく頓挫。一大ネックとなったのはベニヤ板であった。大きいのが何枚か見つかり、その下にいろいろありそうだったのだが、結局手付かず。ここのチームに加わった飛び入り組は何をしていたかと言えば、崖上の堆積ゴミからカウントできそうなゴミを掘り出すのが関の山だった。飛び入り参加者は少人数だったので、各人の判断で動いてもらえばいいと思っていたのだが、それでは不可(いけ)ない。相応のコーディネートは常に必要なのである。急遽、監督者となった永代だったが、マムシに腰が引けたか、そうしたお役は十分に果たせなかった。近くにいた文花もクシャミが収まるまでに時間がかかり、あまり加勢できない有様。会場全体のコーディネートが不足していた観は否めない。


 櫻と千歳は申し訳なさそうに、陸上チーム各員に頭を垂れつつ、若い二人にも労(ねぎら)いの言葉をかける。これはタイムテーブル立て直しか、と雲行きが怪しくなった時、詰所方面から少年野球チームがこちらに向かって行進してくるのが見えた。さらにその後方からはRSBタイプの真新しい自転車に乗って、長身の男性が走ってくる。少年野球ご一行を抜き去ったところで、その人物は判別された。

 「須崎さん、やっと来たワ」

 文花の嘆声に、櫻と先生がまず反応。今日ここにいるhigata@メンバーも(冬木を除き)一度は顔を合わせているので、「あぁ」とか「おぉ」とか声が出る。リリーフ役と映ったか、タイミング的には絶妙だったようだ。

 永代は初顔合わせかと思いきや、

 「須崎、って辰巳さんのこと?」

 「あら、何でまた?」

 「ダンナの学友なンだワ」

 こうしてまた新たな再会の場が供されることになる。情報通の文花と云えども、そこまでは存じてなかったので、自分で招いておきながらもサプライズを食う。

 「辰巳さん、お久しぶりね」

 「エッ、何で堀之内さんがここに?」

 どうもこの二人、過去に何かあったような印象を受ける。文花はちょっと穏やかではない。


 一般参加者がいる手前、このまま暫し休憩時間という訳にもいくまい。何しろ「単なるゴミ拾いではない」ことを実証するため、とにかくブログチームと情報誌チームの分だけでもカウント作業に入りたいところである。そんな中、初音は接近して来る父君を避けるように、

 「じゃ、お店で待機してますんで。今日は何人いらっしゃいますか?」

 今のところハッキリしているのは、女性三人、男性二人か。他はそれぞれ予定がありそうなことをのたまう。そうこうしているうちに、野球チームの監督さんが到着。開口一番、

 「おぅ初音、これ持ってきてやったゾ」

 「いけね、つうか、サンキュね」

 河川事務所特製シールである。これがなければどうなっていたことか。姉に代わり、妹が受け取り、「へへ、これが目に入らぬか、って」 六月と小芝居を演っている。

 櫻はマイクをとると、

 「援軍が駆けつけてくださいました。えっと、チーム名は...」 小梅は芝居を止め、恥ずかしそうに小声で伝える。

 「ヘ、トーチャンズ? ハハ、石島監督含め十三人、『トーチャンズ13』の皆さんです。拍手ー!」 どっかの映画か何かで聞いたような名称である。会場が何となく沸く中、進行役の櫻はタイムテーブルを見ながら、

 「ちょっと押せ押せになってますが、今から二十分程度で分類とカウントを... 一応、これを配りますので、品目を確認しながら数えてみてください」

 学生諸君やご家族参加者など、上流側・下流側でそれぞれ二セットずつ、データカード&クリップボードが渡される。

 「で、トーチャンズの皆さんは陸上ゴミの続き、で大丈夫?」

 六月が手を挙げ、早々と一群を率いて、大物ゴミのある先へ向かった。六年生の貫禄に加え、現場を知る者ならではの威厳すら感じさせる。取り残された監督は隙があったらしく、気が付くと清と南実に挟まれてバツが悪そうな状態。試合は午後からだが、トーチャンのいいとこ見せたろう、ってことで早めにやって来た。助っ人なんだからもっと厚遇されても良さそうだが、何故か肩身が狭い。

 この間、文花は後部座席からバスケットを持ち出して来る。

 「初音嬢、この野菜、今日でも使って。私はセンターに戻るからお店行けないけど、皆さんに召し上がってもらえれば...」

 「ありがとうございます! じゃ、代わりにこれ預かっててもらえますか?」

 「あら、いいわね」

 デジタル温度計である。只今の気温、二十五度。平年並みだとか。よく晴れていて、お天気お姉さんの表情も実に晴れやか。そんな初姉を拍手で送り出したかった櫻だったが、時すでに遅し。忽然と去って行ってしまった。仕方なく、ここでひと区切り。

 「では、十一時半になったらまた合図します。よろしくお願いしまーす」

 カウント作業の指揮は、上流側は蒼葉、下流側は弥生が執ることになった。データカード上でメモ書きしてもらって、「なぜ、こんなゴミが」とか「どうすればこうならずに済むか」とか話し合いながらケータイ画面に打ち込んでいく。実践型社会科学と言えなくもないこの作業。二人の学部生は今そこにある社会問題と向き合いつつ、解決策を模索しているように見える。ケータイによるデータ入力画面はその一助、参加者とのコミュニケーションはそのヒント、といったところか。


 少年チーム13人は面白いように大物を運び出してくる。少年野球と言えば、チームワーク。それが機能しているのに加え、六月のコーディネートが冴えている証拠だろう。一人では困難だったベニヤ板も複数男子の手にかかればお手のもの。試合前にクリーンアップでひと汗、というのもアリなのである。

 陸上の堆積ゴミについては今のところ分類どまり。そこへ大物の下敷きになっていた各種容器&包装類、スプレー缶、ボトル缶、食品トレイ、プラスチック破片等々がそれぞれ選り分けられ、嵩を増していく。フタもいつの間にやら相当量になっていた。この調子だとカウント作業は間に合いそうにない。担任教諭の前で自由研究テーマの再現を図りたかった六月だったが、文花曰く「今日はさ、この後も時間とれるから、後でゆっくり数えよっ」... これで気が楽になった。目に付くフタを手にして、永代先生に解説し出している。

 「そうそう、フタを集めてるとこ、見つかったわよ。ちゃんと再生してくれるみたい」

 「フタのビフォー・アフターだね」

 「そ、アフターケアが大事ってこと」


 監督の次女、小梅は正に紅一点。腰を痛めたり、ケガをしたりしないよう、少年達に適宜声を掛けて回っている。多感な小学生諸君は、年長のお姉さんに羨望の眼差しを向けつつも作業に精を出す。小梅は早くもトーチャンズのマドンナ的存在となった。ピッチが上がる訳である。

 「昔はあの子、泣き虫だったのに。今はすっかりお姉さんね。見違えちゃったぁ」

 「永代も前はよく泣き言云ってたじゃない。最近はどうなのよ」

 「今はイジメもなくなったし、教室もキレイになったかな」

 この話の続きは閉会後に持ち越される。


 リリーフ役の辰巳は、師匠の指導のもと、ヨシの束を処理することになった。束を立てて、夾雑物(きょうざつぶつ)を振り落としてから、先生ご推奨の小道具、小型結束機で締めていく。今回は量が量なので、この場に放置しておくには忍びない。自然物ではあるが、河川事務所関係者がいる手前、一応搬出しやすい形態にしておこうということである。振り落とされた微細ゴミが気になる南実だったが、分類鑑定に付き合っているので、今のところは諦めている。データカード恨めしや、か?


 スクープ系を追う千歳は、木製椅子の座面、円筒形容器に入った綿棒セット、某ファストフード店の紙コップ、ジョウロなんかをご愛用のデジカメで撮っている。

 「千歳さん、いつもながら入念ねぇ」

 「他に何か気になるゴミありませんでした?」

 「あぁ、こんなん見つけましたよ」

 櫻が透明プラスチックの小箱を開けると、ミミズやらタガメやらを模した、いわゆる疑似餌が正体を現わした。

 「櫻さん、よくもまぁ。気味悪くない?」

 「最初はビックリしたけど、別に動いてる訳じゃないし」

 「こっちは、これかな」

 ペットボトルを手にして振って見せる。

 「えっ? 注射器、それに錠剤...」

 両者引き分け、といったところだろうか。そんなお二人の傍では、性懲りもなく冬木がインタビューを敢行中。撮影係は動画モードでその模様を記録している。当地でのクリーンアップの一つの特徴である、分類&カウントにしっかりスポットを当ててもらえているのなら、良しとしなければなるまい。

 業平は、ちゃっかり別行動に移っている。自前ノートPCを起動させると、スキャナをピカピカやり出す。現場で実機検証をしようという魂胆である。数え終わった容器包装系ゴミのバーコードにスキャナを当てると、とりあえず番号部分はPCにうまく記録されていく。蒼葉が不思議そうに覗き込む。

 「本多さん、番号だけで何か意味あんのぉ?」と尋ねるのも無理はない。

 「これでもちゃんと認識させるのに苦労したんだな。ひとまずデータを蓄積しといてまた考えるよ」

 何処で売られたものかがわかったりすると発生源対策につながりそうだが、このバーコードはトレーサビリティ用じゃないので残念ながらそこまでは行かない。

 別行動と言えば、この人も同じ。トーチャンズ監督である。お目付け役の師弟男女に挟まれていたところ、まんまと逃れて、かつてない美観を取り戻した干潟を気分よく散策している。だが、どうにも怪しい。脆弱な崖部分とか横倒しヨシとかを眺めながら、「やっぱ、引き波禁止エリアにするよりは、いっそのこと粗朶でも並べて干潟保全した方がいいんじゃ...」 良さそうなことを言っているが、果たしてどうなのか。higata@メンバーが揃っている今日のような時ほど、協働協議に打ってつけなことはあるまい。課長の器量が問われる場面だが、億劫さの方が先に出る。と、プレジャーボートが猛スピードで上流に向け走って行った。ボートから発したうねりは波を作り、大きく小刻みに干潟を襲ってくる。石島課長への洗礼ともとれるが、実は逆効果だった。これが引き金となり、工事への意を強くさせてしまうことになろうとは...。

 「この一件は、内々で、と」 ドバトの耳には入っているが、伝書鳩、いや伝聞鳩って訳じゃないから、広報されようがない。


 一般参加者各位は、さすがに疲労の色も出てきたが、南実の鑑定や櫻のアドバイスが良かったようで、漂流漂着ゴミへの関心を程々に高めてもらえたことが、交わされる会話からもわかった。機に乗じて業平はスキャンしながら[プラ]識別表示の講釈なんかをやっている。

 「この表示が付いている以上、何らかの再資源化を考えてほしいもんですよね。でも、『可燃でいいや』って自治体が増えてるんだそうで...」 なかなかいい調子だったが、「あれ、バッテリ低下?」 USBスキャナというのは思ったよりもPC本体の電源を喰うようである。やむなくスキャナを停止し、手入力に切り替える業平であった。本人はトホホだが、この程よい哀愁は二十代の女性にはウケてたりする。データ入力&送信を終えた蒼葉と弥生は、嬉々としながら業平に視線を送る。その視線はスキャナほどではないかも知れないが、結構鋭く彼を捉えていた。社会科学的考察の一環、と今はしておこう。


 再資源化系と危険物の他、電球、電池、ライターも別袋を用意。まだ使えそうな品々も何となく除(ど)かしたところで、再びホイッスルが吹かれる。十一時半を回った。本日の櫻のいいもの其の三、成果発表&クイズの時間である。

 「皆さん、お待たせしました。集計結果がまとまりました。まず情報誌チーム...」 ケータイ画面でデータ確認モードに戻せばチェックできなくもないのだが、ここは敬意を表してデータカードの出番。ケータイではなくクリップボードを手に弥生が発表する。ワースト5:食品の個別包装(小型袋)/十五、ワースト4:発泡スチロール破片/十八、ワースト2(同数):フタ・キャップ&プラスチックの袋・破片/各二十八、ワースト1:ペットボトル/三十二、となった。小型袋は、食品の包装・容器に加味していいのだが、あえて分けてカウント。カップめんの容器も五つあったが、それも別にした。雑貨や紙類も具体的品目で分けたりしたため、ワースト6以下は、十個前後の品目がいくつも並ぶことになる。分散化傾向、つまり多種多数という実態がこれで浮き彫りになった。

 「では、モノログチーム、行きますよ。カウントダウン!」 妹に振ったつもりだったが、逃げられてしまったので、姉がそのままカウントダウン紹介する。

 対照的にいつもの干潟では、ワースト5:発泡スチロール破片/三十九、ワースト4:食品の包装・容器/四十、ワースト3:プラスチックの袋・破片/四十六、ワースト2:フタ・キャップ/五十、ワースト1:ペットボトル/五十二、といった具合で、常連ゴミが大勢を占め、偏重傾向が現われた。次点の小型袋は二十三、その次の飲料缶が二十と続く程度で、そこから先は十前後に落ちるのである。表層のみの集計なので、ヨシマットに紛れていた分を加算すると破片類が増えるなど、また違った結果になるのかも知れないが、基調が把握できればひとまずOKだろう。

 「素人考えですが、同じ干潟でも向きとか形が違うので、川の流れ方や潮の上げ下げも変わってきて... 流れ着くゴミも違ってくるのかなぁと、どうでしょうね?」

 「でも、ワースト5は似たり寄ったりだったでしょ? 総合的には実情をよく反映してると思いますよ」 専門家の見地から南実がフォローする。粒々を数えていないのが痛いところだが、レジンペレットはこれまでも別枠だった。今日拾ったサンプルを示して、

 「レジンペレットについては、数よりもまず、こうして漂流・漂着するという実態をわかってもらえれば、と思います。でも、数えるのが好きな方はあとで私と」

 南実はモテ系(櫻談)というだけのことあって、これで男子学生数人を助手に付けることに成功。閉会後のオプショナルイベントは今日も盛り沢山になりそうである。

 「という訳で、その粒々は対象外なんですけど、こっちの干潟でこれまで拾って調べてきた数をまとめてみました。今日の結果がヒントです。わかる人!」

 クイズのフリップを蒼葉の画板に挟むとややはみ出す感じ。ようやく人前に出る機会を得た千歳だったが、はみ出たフリップ係ってのもちと冴えない。まぁ、ここは進行役に委ねるとしよう。

 最初のうちはフリー回答。何番目は何?なんて野暮なことは訊かない。こういうのは子どもたちが得意なので、ドシドシ答えてもらって紙で隠してある品目を明らかにしてもらう。(これを「千と櫻の紙隠しクイズ」というかどうかは不明)


 順番はバラバラだが、「ワースト6:袋類/九十六、5:発泡スチロール破片/百四十七、4:飲料用プラボトル/百七十、3:ふた・キャップ/二百二十七、2:プラスチックシートや袋の破片/三百四十一」は子ども(&ファミリー)から答えが出た。残るは七位、一位である。

 「ワースト1は四百八個、今日は一位じゃなかったからわからないかな? じゃ...」

 いつの間にやら受付名簿を持って来て、指名し始める。会場は騒然となるも、これも櫻の計算のうち。指されれば何か話したくなるのが人のサガである。

 「はぁ、缶でございますか。昔は多かったと聞きますが、最近はねぇ... ちなみにワースト九位です。あ、そこのお兄さん!」

 こんな調子で、フリップを隠していた紙が外されていく。

 「という訳で、七位のタバコの吸殻から、一位の食品の包装・容器まで、よくぞ当ててくださいました。こうして見るとどうですかね。素材で言うとやっぱりプラスチックが多い感じでしょうか。ふだんの生活の中で、これはプラスチックじゃないといけないのか、ってちょっと考えてみるだけでこうした状況も変わっていくような気がします。あ、そうそう、周りにプラスチック依存症の人がいたらひと声かけてあげてくださいネ」

 回答した・しないに関わらず、ここで記念品(参加賞)としてボールペンが配られる。

 「今は大して珍しくないかも知れませんが、軸はいわゆる再生プラスチックでできてます。食品トレイが原料でしたっけね」 マスクの女性は何か言いたげだったが、小さくコクリ。


 十一時五十分近く。十二時を終了予定にしていたので、まだ多少の余裕はある。こうしたボランタリーな行事のペース配分は基本的にスローでいいのだが、適正規模・適正人数だったこともあり、いい感じで進んでいる。すでにタイムテーブル上もアドリブOKの時間帯である。進行役はペースを維持しつつ、アドリブ開始。

 「それでは閉会に先立って、情報誌チームを代表して、エドさん、どーぞ」

 気負っていた割には、こういうのには気が回っていなかったらしく、明らかに不意を衝かれた様子。だが、女性スタッフがアンケート用紙を差し出すと、我に返ったように話し始める。

 「...情報誌を生き生きとさせるのと同時に、地域ももっと生き生きと、そのために何が必要か、というのがわかった気がします。今日はインタビューさせてもらったりもしましたが、さらに皆さんの声を聞かせてもらえればと...」

 欲張りな気もするが、こうした観点はさすがである。冬木を除くhigata@の面々は一本とられたとばかり慨嘆の息を漏らす。この際なので情報誌チームに限らず、参加者全員(家族連れは代表に一枚)に書いてもらって、その場で回収、またはFAXということにしてもらった。思いがけない形で冬木はアドバンテージを得るも、これでやっとお騒がせの失点を回復できたというのが正直なところだろう。イベント慣れこそしているが、彼にとって今回のクリーンアップはいろいろな意味で鍛錬・研鑽の場となったようである。


 進行役の櫻は、忘れちゃいけない、小悪魔さんである。愛しの誰かさんを驚かせるのが愉しくて仕方ない。「では、今回のクリーンアップの締めに入りたいと思います。そもそも何でここに皆さんがこうして集まることになったか、それはこの人のせいなんです。ね、隅田さん!」

 こういう場面では、そのクールさが前面に出る。驚くどころか至って冷静。千歳はマイクを受け取るとスラスラとトークを始めた。

 「漂着モノログをご覧の皆さんはどこかで隅田千歳という名前を見た覚えがあろうかと思います。ここにいるのが本人でございます。悪友からは千ちゃんと呼ばれりするもんですから、ここでクリーンアップしてると『千と千歳のゴミ探し』とか、からかわれることもありますが、一人二役はムリな話です。皆さんあっての取り組みでして...」

 こうも飄々とやられては櫻としては面白くない訳だが、乗じない手はない。もう一本のマイクで軽くツッコミを入れてみる。

 「『千と皆でゴミ調べ』ですね」

 「へへ、その通り。でもね皆さん、映画の方の主人公は女性でしたけど、ここにいる千は男性だったりします。今日、女性の千歳さんに会いにいらした方には申し訳ありませんでした」

 子どもたちの一部はチョロチョロ動いてたりするが、会場は概ね千歳ワールドになりつつあった。自身のワールドを繰り広げる点では一枚上手の掃部先生も半ば脱帽。朗笑するばかり。呆気にとられているのは女性陣である。間合いを推し量りつつ続ける。

 「千歳さんがダメでも、この干潟に集う女性は美しい方々ばかりですから、よかったでしょ。そんな干潟シスターズを、ここでご紹介します」

 櫻に言われなくても、わかりきっていたように切り出す千歳。以心伝心、またはそれ以上?

 「現場研究員かつアスリート、小松南実さん、データ入力システムの開発者、桑川弥生さん、今日は弟の六月君も一緒です。あ、シスターズ+1てことで。へへ。彼は銘柄研究家という顔も持ってます。で、そんな彼の自由研究仲間、石島小梅さん、今やトーチャンズの姉御ですね」 拍手がその都度起きるも、間はとらず、次々と振っていく。こういう時はいつものスローでいいような気もするが。

 「ご紹介して、よろしいでしょうか、ね?」 とここへ来て一息。視線の先は堀之内先生である。櫻が気を利かせて、マイクを持って歩み寄る。

 「あ、今日は大してお役に立てなくて... 六月君の現担任、小梅さんの元担任、堀之内です。二人の成長ぶりがここに来てよくわかりました。どうも...」

 ご自身でここまで喋ってもらえれば御の字である。そのお隣には、マスクを着けたままのシスターズ一女さん。櫻はニコニコしながら一女にマイクを向けるも、マスク越しでは喋りたくても喋れない。ここぞとばかりに櫻はいつもの冷やかしを入れる。

 「ありがとうございました。初登場ながら助っ人を引き受けていただいて。大助かりでした。もう一度拍手を。で、隣にいらっしゃるのが、堀之内先生の古くからのご友人、そして今回の影の主催者でもあります、矢ノ倉文花さん。人呼んで『おふみさん』です。拍手ー!」

 笑顔のようなのだが、どことなく引きつっているような... マスクというのも良し悪しか。

 「そして、正真正銘のシスターズを紹介します。画家であり、モデ、もとい、モテ系の千住蒼葉さんと、看板娘、我らがリーダー、千住櫻さんです! 大きな拍手を」

 一大拍手が起こる中、リーダーがポツリ。

 「ふだんは黙々と拾って&調べてをやってる千さんですけど、今日はどうしちゃったんでしょうねぇ。川の神様のせいかしら?」

 心なしか、目が潤んでいるようだが、気のせいか。

 「十月は神無月ですからねぇ。神様お留守ですよ」

 「はいはい。もうツッコミませんから。閉会の辞、行っちゃってください」

 櫻と目を合わせ、ひと呼吸。ここからはいつものスローな千歳に戻る。

 「毎月のように拾って参りましたが、おそらく今日ほど片付いたのは初めてのことだと思います。台風通過後は凄まじいことになってましたが、その傷も癒えました。干潟もヨシもまた元気になったことでしょう。自然の元気は人の元気につながります。今日お集まりの皆さんはもともと元気な方ばかりだと思いますが、どうですかね、益々元気になられたんじゃないでしょうかね? 僕もその一人。どうかしちゃった、というよりも元気になっただけですよ。ハハ」

 言葉を選びながら真顔で、時に笑顔で話す千歳。櫻はボーッとなってきた。

 「御礼というのも何ですが、ボールペンの他にも何か記念に、という方は、そこに『もったいないゴミ』とか、人によってはお宝ゴミなんかもありますから、どうぞお持ち帰りください。大丈夫ですよね。石島さん?」

 河川事務所課長殿は、拾得物やら遺失物やらの定義を思い出そうとしていたが、よくわからんといった感じで結局「お任せします」とだけ答える。実際のところはどうなんだろう?

 「じゃ、櫻さん、振ったついでで、男性陣の紹介、お願いします」

 「へ? あ、そっか。石島さん、掃部先生、それに先生のかつての弟子、須崎さんです」

 拍手が疎(まば)らになったところで、蒼葉と弥生は、待ちぼうけを食ったような顔した、ある三十男を指差す。何だかんだ言いながらも、今日これだけの人数が集まったのはこのつなぎ役がいたからこそ。

 「最後になりましたが、重要人物を紹介します。モノログと情報誌の橋渡し役といっていいでしょう。発明家の本多業平さん、Mr. Go Hey!です」

 いつものノリならマイクを受け取って何らかのパフォーマンスをしそうなところだが、今日はパス。思いがけない紹介、そして少なからぬ拍手に感無量だったようである。

 ダブル司会者は、間合いをとりながら、小声で示し合わせる。

 「じゃ、せーので」

 「あ、ハイ」

 正午ちょうど、千歳と櫻は声をそろえ、

 「今日はありがとうございました!」

 四月一日から約半年。舞台はこうしてオープンになり、プライベートビーチだ何だとは言えなくなってしまったが、干潟や川に対する二人いや一同の想いがより多くの人に伝わるなら、この上ないことである。遊びに来るもよし、個人的に拾いに来るもよし、ここは今や地域の財産。少なくとも、今回の参加者に当地をぞんざいに利用する人はいないだろう。盛大な拍手がそれを裏付けていると言っていい。

 

【参考情報】 注射器も漂着? / ライターを集めてみると... / 小型結束機 & バーコードスキャナ / 2007.10.7の漂着ゴミ


そして正午を過ぎ

34. そして正午を過ぎ


 仕分けされた大小様々なゴミを前に並べて、ここで記念撮影。撮影拒否される方も特になく、撮影は快調と思いきや、おふみとおひさのご両人が何やら身だしなみを整えたりするもんだから、少々ペースが崩れる。それでも、チーム榎戸の撮影係はここぞとばかりに張り切って、ひたすら連写モードで撮る撮る。

 「ちょっと待ったぁ」 冴えてる千歳はここで自身のデジカメを手渡しつつ、ひと仕切り。「では皆さん、Go Hey!ってやりますから、可能な方はHeyのところで拳を挙げてくださいね」

 傑作が撮れたところで本日の予定行事は終了。ここからはオプションである。

 「そうそう、ちょっと水位が上がってますが、干潟でもぜひ記念写真撮っていってくださいね。スタッフがお撮りしますので」 櫻の掛け声に呼応するように参加者の何人か、干潟シスターズ、干潟ブラザーズ(?)が向かう。いや、六月は途中でトーチャンズの少年らと漂着硬球の品定めをし始めてしまったので、シスターズ+2(おまけ)である。

 何故か人気者の業平が撮影係を務めている間、南実は干潟を見て一言。

 「これでリセット完了ね」

 「エ? リセットって?」 聞き慣れない用語に櫻が素早く反応。

 「調査型クリーンアップの場合、決められたエリアを重点的に片付けて、一定期間を空けては調べ、というのを繰り返す手法があるんです。それがリセットクリーンアップ。今日はその記念日、かな」

 ここで永代が口を挟む。

 「こうやってリセットされると、ここにゴミを捨てようって、普通なら思わないでしょね... あ、漂着して来るゴミが溜まる場所かぁ、ここは」

 「いえいえ、ここだってわかりませんから。捨てさせないためには片付ける、って、大いにアリでしょう」

 「調査してきてどうよ、櫻姉?」

 「そうねぇ、今日見つけたハクサイとかソーセージとかはここか、この近くかもね」

 「すでに散らかってると連鎖反応でつい捨てちゃう、か。でも食べ物をそんな風に捨てるのって、アンビリバボーかも」 弥生はちょっと義憤に駆られている。だが、かつての学校はもっとunbelievableだった。堀之内先生は経験談をもとに静かに話し始める。

 「荒川も学校も同じ。本来の状態にできるだけ早く戻すことで荒れを防ぐってことよ。割れた窓ガラスを放っておくとドンドン荒れちゃうから、とにかくすぐ直す。ゴミも早く回収できれば生き物の被害も防げる、そういうことよね」

 現役教諭ならではの発言に、シスターズはフムフムと頷く。いわゆる割れ窓理論は、干潟をはじめ、地域や流域にも大いに当てはまるのである。ただ、ここでの予防論、つまり発生抑制策は比較的狭義に当たる。より上流、即ち消費→購入→販売と遡及していく中でゴミ要因を抑えていくこと、それがより広義の予防と言えるだろう。(割れた窓をどうこうではなく、そもそも窓を割らせないようにする、という道理) ゴミではなく資源という意識付けと同時に、ゴミにならない素材利用が促されないことには、クリーンアップはいつまで経っても後手の対策でしかないのである。

 撮影係を終えた業平は、「干潟端会議」を聞いていた千歳の肩を叩くと、

 「千ちゃん、今日はグッジョブだったねぇ。モテる男は違うなぁって思ったよ」

 「何を仰いますやら。Go Hey人気の方が上だよ。ホラ、シスターズが手振ってるよ」

 どうやら干潟をバックに写真を撮れ、ということらしい。

 「なぁーんだ、女性だけでってか」

 だが、そうでもなかったらしく、次の写真は男子も交えて、と相成った。

 「じゃ、アタシは新米だから。撮影係しますワ」

 永代が撮った一枚は、中央に千歳と業平、それぞれの隣には櫻と蒼葉と並び、両翼には文花と南実、小梅と弥生が固める構図。撮影者はシャッターボタンを押すところで、すでに感極まっていた。「何か、Beautifulぅ」

 その後はケータイをとっかえひっかえで、思い思いに写真を撮っているご一同。六月が加われば、ヨシ束の一部をバイクに載せ終えたもう一人の先生もやって来たりで、ワイワイが続く。この間、チームを散開させた冬木は、辰巳と名刺交換しながら談笑中。トーチャンズの野手は、使えそうな硬球を洗い終え、乾かしがてら学生諸君とキャッチボールなどしている。


 「あ、彼等待たせてたんだった」 南実は小走りで外野へ。掃部先生は、外野の周りで駆け回っている子どもたちを見ながら、妙なことを仰る。

 「いやぁ、やっぱバッタは地場のに限るね。活きがいいんだよな」

 「あら、センセ。バッタに地場とか外様(とざま)とかあるんですか?」

 「なーに、どっかの区がさ、子どもたちにバッタ捕りさせるんだとか云って、何すんだと思ったらよぉ...」

 話によると、わざわざエリアを区切った上に、どっかからバッタを持って来て放して捕まえさせたんだとか。バッタとしてはいい迷惑である。

 「野放しにすると、放流ならぬ放虫問題になっちまうから、区としても配慮したつもりなんだろけど、まぁ不自然だわな。バッタも慣れない土地だから、どう跳んでいいかわかんなかったんじゃねぇの。ドッタバッタってヤツさ」

 相変わらず絶好調の清先生である。何食わぬ顔しているが、細めた目の先には、バッタを捕まえたばかりの例のやんちゃ少年の姿が。先生は一同を引き連れ、少年の元へ。

 「トザマ、じゃねぇ、トノサマバッタか。観察したら放しておやり」

 ここで千歳は思い出したように先生にトンボやチョウの種類を尋ねる。「アキアカネとかツマグロヒョウモンとか...」 飛び交う傍から名前を明かしていく。乗じて小梅も途中で見かけた可憐な黄色の小花について質問。「コマツヨイグサ? まだ咲いてるってのもなぁ...」 気温は高めではあるが、花は九月までなんだそうで。これも温暖化と関係があるんだろうか。いい意味で温暖な青空のもと、小教室が開かれるのであった。

 コマツが出たところで、南実嬢はと言うと、微細ゴミのことはそっちのけで、何故かピッチャーマウンドにいる。勧誘したと思しき男子学生がキャッチャーに回り、ウォーミングアップを始めたところである。アスリートだけあって、疲れ知らず。楽々肩慣らししている。

 投手は打席に六月を立たせ、漂着硬球の感触を確かめると、ゆっくりと投げ込んだ。スローボールだったが、六月はあえなく空振り。一球目、ストライク。始球式、もとい「試球式」の図である。

 小技志向の六月はバントヒットを狙うも、南実の軽快なフィールディングであっさりアウト。投手はすかさず二番打者を指名する。「あ、ちょうどよかった。隅田さん、どう?」

 トークは冴え渡っていた千歳だったが、バッティングについてはどうだろう。本人も全く予測がつかない。打席に意識を集中する間もなく、ズバっと直球が走って行った。

 「ちょっと小松さん、一番バッターの時と全然違うじゃんさぁ」

 「手加減しませんから。打てるもんなら打ってみ?」

 いつもの焚き付けが始まった。こういうのは心理戦でもある。挑発に乗せられた方の負け。南実は昔のことを思い出しながら、その想いを球に込める。打席に立っている人物は在りし日の... 重なって見えてくる分、想いはひとしお。

 「やったぁ、三振! バッターアウト!」

 二球目は辛うじてファウルしたものの、三球目は空を切った。つまりストレートの三振である。「あーぁ、千さんお気の毒。ま、相手が悪かったわね」 蒼葉に慰められる始末である。櫻は一見したところ笑みを浮かべているが、内心はあまり愉快でない。「小松さんたらぁ」 これは彼を思ってのことか、それとも南実の何らかの策謀に気付いてのことか、波が起こりそうなことだけは確かである。

 「よっしゃ、ここは業平君に任せなさい」

 三番は志願バッターの登場である。南実は余裕でストライクを取りに行き、業平も余裕で見送る。簡単に2ストライクになるも、これは様子見しただけのこと。選球する必要がないことを悟ったバッターは、次もストレートと読んでこれがズバリ的中する。三球目も球は走っていたが、「Go Hey!!」で振り抜いた瞬間、大飛球が舞い上がった。彼の中で何かがフッ切れた瞬間でもある。

 「ひぇー、やられたぁ」

 悔しがる南実を横目に、まったりとベースを回るGo Hey君である。ブラザーズでハイタッチとかやっているが、シスターズの方は至って冷淡。

 「本多さん、どうすんの? また漂流ボールになっちゃうじゃん」

 「あ、いけね...」

 弥生のツッコミにまたしてもタジタジ。打のヒーローは一転して、返り討ちに遭う。「干潟何周してもらおっか」「まずは拾いに行ってもらわなきゃね」 千住姉妹からもこの調子。人気者とはこういうものである。

 打たれてスカっとしたか、ピッチャー南実は学生連中を従え、にこやかに現場に戻る。だが、微細ゴミにはまだ手が回らない。集合写真を撮ったその場には、分別されたゴミ袋の他に、ベニヤ板、大物プラスチック製品、敷き布団、観葉植物、物流系パレット、ビールケース、塗料缶、タイヤなどの粗大な品々がまだ残っている。一般参加者は大方帰ったので、今は小梅と南実が中心になってステッカー貼りなどをする傍ら、学生諸君が搬出可能な分について詰所脇に持ち運ぶことになる。流木とヨシ束は石島課長のご指示により、ひとまず放任となった。

 もったいないゴミも何となく片付いたようだ。その代表格である疑似餌セットは先生の手に。いつものように釣具も持って来ているので、チョイと太公望と行きたかったが、今日のところはお預け。

 「じゃ、センセ。これお願いします」

 「続きは土曜日でいいのかな?」

 「ハイ」

 文花が手渡したのは、理事選考用(トライアル)のレポートのコピー。匿名で六人分、お題は「巡視船紀行」(流域考察)である。これは先生にとっても好材料。目が笑っているのがその証し。

 そこへ「文花さん、この重たいヤツ、クルマで運んでもらいたいんだけど...」 南実が頼ってきた。

 「はぁ、そういう使い道もあったとは」

 「ブルーシートの上だったら平気ですよね」

 と、トランクを開けた際、農作業道具を出し忘れていたことに気付く研究員コンビ。粒々を拾うのにスコップが、粒と破片類を分けるのにはザルが、それぞれ役に立ちそうだ。

 「さすが、先輩」

 「もしかして埋没物調査とかやるのに使えるかなって思っただけ...」

 蒼葉に画材を引き渡したら、あとはとにかく積み込むばかり。資器材も積載しているが、文花の軽自動車は今やゴミ運搬車である。うっかりしていたが、十三時からは野球の試合が始まってしまうので、早めに移動しておいたに越したことはない。タイムテーブル設定外の時間帯ゆえ、こうしたドタバタはむしろ当たり前。臨機応変に対応できるかどうか、これも現場力のうちなのである。

 文花はハンドルを握るとそれなりにサマになるものの、今はマスクをしているので何とも言えない。ノロノロとトーチャンズが練習するグランドの横を掠めて行った。練習の模様を眺めていた冬木と辰巳だったが、文花のマスク姿に触発されたか、この時ばかりはしっかりリリーフに向かった。

 業平はチーム南実に紛れてカウント作業を手伝っている。弥生、六月、小梅、永代は、問題の陸上ゴミの調査中。清はいつもの巡回散策に出ている。本日大役を務めたお二人はようやくひと息... いや息を抜き過ぎたか。

 「千歳さーん」

 櫻はもたれかかろうとしたつもりが、倒れそうになり、彼氏に抱きかかえられる。

 「大丈夫? 櫻姫」

 「ハハ、ちょっと飛ばしちゃったかな」

 甘え上手な姫である。

 「頑張ったもんね、櫻さん。楽勝に見えたけど、そうでもなかった?」

 ちょっと間を置いて、

 「だって、私の笑顔、好きなんでしょ?」

 情報筋は小梅である。櫻にはちゃっかり教えていたようだ。でも、そのために無理して?

 「小梅嬢、僕には教えてくれなかったのになぁ」

 「フフ、誕生日に教えてあげる」

 笑顔が似合う小悪魔さんであった。千歳は一寸だけ安心する。


 球音が聞こえなくなったと思ったら、トーチャンズはすでにランチタイムに入っている。十二時四十五分。集積所への積み出しを終えたところで、冬木は一服しかけるもぐっと思いとどまり、こんな提案を口にする。

 「矢ノ倉さん、皆さんで打上げとかはやられないんですか?」

 「打上げ? そういうのってアリなんだ」

 「例の商業施設の中に打ってつけのスペースがあるんですよ。カラオケでもやりながら、どうですかね?」

 「弥生嬢に聞いてみるワ」


 陸上ゴミのデータを入力している最中にケータイが入る。重低音着信はいつも通り。だが、その着信音が響いたか、入力画面がクリアされてしまった。「え? そんなぁ... ったく誰じゃ」 データ入力システムに思わぬ欠陥あり。それが見つかったのは良しとしたい。

 「あ、弥生さん?」

 「なぁーんだ、おふみさんか。着信したらおじゃんですよぉ。せっかく入力してたのに」

 「ごめんごめん。カラオケでもどうだ?って、edyさんが言うからね。皆、どうかなぁと思って」

 「カラオケ? あ、行く行く!」

 お若いだけあって、こういうのは結構お得意だったりする。かくして、ノリノリの弥生の声かけにより、打上げ企画が成立。だが、初音を待たせていることもあるし、今からすぐにカラオケってのも気が引ける。

 お互いに姿は見えているのだが、再度ケータイで連絡を取り合う。

 「あ、ハイ。三時半にそこの受付に行けばいいんですね」

 繁盛しているらしく、すぐには入店できないことが判明。かえって都合がいいというもんだ。


 六月と永代は、陸上ゴミの入った袋を持って、文花のクルマへ。センターを経由した後、三人でお昼を共にするんだとか。蒼葉と小梅は、干潟の見える場所でピクニックランチ。女流画家は、「皆さんの想い、その想いできれいになった干潟... 息づかいというか呼吸感というか、とにかく描き留めてみます」と熱い。画家見習いの小梅にとっては、またとない機会だったが、食べ終わったら塾、というから世智辛い。

 師弟ディスカッションが尽きない清と辰巳だったが、さすがに空腹になったか、程なく会場を後にした。冬木は撮影係から呼び出しを受け、商業施設のフードコートへ行くそうな。あそこならいくらでも時間は潰せる。打上げ企画の言いだしっぺである手前、早めに会場入りしておいて悪いことはない。

 スタッフ証を付けた面々での閉会式の如きものはあったようななかったような感じではあったが、打上げもあることだし、彼等にはメーリングリストという頼みの綱がある。流れ解散が可能なのは、相応の結束があるからこそ。本日のイベントを以って、その結束が少なからず強まった観はある。次回は十一月四日というのもすでに打合せ済み。リセットクリーンアップ一巡目、というのがまた昂揚感を高めてくれる。


 「あ、初音さん? ウン、今から行く。え? 遅いから全メニュー品切れ? アハハ」

 午後一時、一人徒歩の弥生は店に連絡を入れる。櫻、千歳、業平は、再資源化関係をひと袋ずつ自転車に乗せ、押して歩く。カラスが時折喧しいのを除いては、実に穏やかな秋の午后早々。四人の足取りは軽やかだが、スローである。


 当店初登場の弥生を筆頭に、常連さんがやって来た。

さ「じゃあ今日は飲み物だけかな?」

は「いえいえ、ちゃんとありますよ。いただいたお野菜もアレンジしてもらいました。でも四人じゃ多いですかね?」

 大皿には秋野菜がたっぷり、そこに流域地産のコマツナがちりばめられている。

ご「あとで、豪腕ピッチャーも来るはずだから、ちょうどいいと思う」

は「豪腕? 誰スか、それ?」

さ「あぁ、コマツナ南実さんよ、ね、空振りバッターさん?」

ち「あんな本気で投げられたら、敵わんですよ」

は「見たかったなぁ」


 粒々入りの袋やら、文花から借りた道具やらを持って、早足で堤防上を歩く南実嬢。

 「ハ、ハ... うぅ、ススキ花粉症、うつっちゃったかしら?」 出そうで出ないクシャミほど愉快でないものはない。


 噂のアスリートが入ってきた時には、議論もたけなわ。

さ「ちょっとねぇ、三会場全部を見渡せる人が必要だったかなぁ、ってのはある」

や「品目の確認、特に初めての人は戸惑ってたみたい」

ご「重たいかそうでないかてのは見ただけじゃわからないから、まずは複数でチェックしてからの方がいいかもね」

 などとポンポン出てくる。「あ、小松さん...」 重量ゴミをいとわない豪腕女性がタイミングよく四人の前に現われた。

み「クリーンアップする前に筋トレすりゃいいのよ」

ち「ハハ、それは思いつかなかった。クリーンアップが即ちエクササイズかなって思ってたくらいだから」

や「今日はバッティング、いや素振りまでして、よく動いたことだし」

さ「筋肉痛にならなきゃいいけど、ね?」

 「櫻と弥生」の思わぬ口撃に今度は千歳がタジタジ。先刻(さっき)までイベントのふりかえりをしていたはずが、脱線モード。ピッチャーとホームランバッターは、投打のふりかえりをしている。


 「そうそう、小松さん、トースト来る前に文花農園のサラダ、どう?」

 櫻は何気なく勧めたのだったが、南実は蒼然となる。

 「この緑のってもしかして...」

 「コマツナ、美味しいわよ」

 「ム、ムリかも...」

 人は見かけによらないというか、思いもよらない弱点があるものである。「ホウレンソウはいいんだけど、これはねぇ。コマッちゃうんだなぁ」

 千歳の飴嫌いと接点がありそうな話である。好き嫌いどうこうというよりは、名前がもとでトラウマ食品になってしまった、そんなとこらしい。

 「喜ぶと思ってとっといたんだけど、ね。じゃ四人で先にいただくから、他のお野菜どーぞ」

 してやったりの櫻。憮然とする南実。二人の間に小波が立ったが、今はすぐに収まった。そんなこんなで、食べ物の話題になり、漂着食品または投棄食品の話で盛り上がる。初音が全粒粉トーストを持って来ても注文主はあまり気付いていない。

 「小松さん、それって粒入り?」

 「あ、いつの間に? 初音さんが勧めるから今日はこれにしたんだけど、確かにそうね。ツブツブ...」 オススメの甲斐あって、やっぱり嬉しそうである。

 本日の反省なり成果なりは、higata@に各自一筆入れるということにして、ふりかえりは収束方向に。

 「でも、櫻さんも隅田さんも達者ね。当意即妙っていうか... 何かやってたんですか?」

 南実の解説ショーも鮮やかだったが、アドリブ性という点では二人が上手だったのは間違いない。

 「昔ね、ステージでその...」

 「何かね、マイクの前に立ったり、マイク持ったりすると、不思議と... へへ」

 打って変わって今は滑舌さが消え、ただ言いよどむご両人。業平は千歳のステージ慣れについては了知するも、櫻のステージというのが引っかかる。千歳も詳しいところは聞いていない。

 「へぇ、ピアノ弾きながら、歌?」

 「学生の頃だから、結構前の話だけど... 私はいいのよ、現役って意味じゃ弥生ちゃんよ」

 「そう来ますか。あたしのは下手の横好き。チョッパーできないし」

 重低音好きな理由がこれで少しわかった。彼女はベーシスト志向があったのである。

 「楽器屋でね、時間がある時に手ほどき受けてたりしたんだけど、最近はPCでリアルなのが作れちゃうから、あんまし...」

 こうなると、何かやってくれそうな南実に注目が集まる。

 「実は形見の楽器があって... 河原で練習したりもしたけど、吹いてるとどうしても切なくなっちゃうから。干潟に顔出すようになってからは全然ですね」

 新事実が明らかになるも、形見というのがネックになり、膠着気味。インタビュアー千の出番ではあるが、こういう時は本人に委ねるのがベターだろう。

 「あ、いや、そんなシリアスな話でもないですから。文花さんにでもそのうち聞いてやってください」

 そう言いつつも、南実らしからぬ愁いを秘めた気色が浮かぶ。千歳と櫻はそれを見逃さなかった。


 初音がお代わりサービスにやって来た頃にはすっかり音楽談議に花が咲いていた。

や「この後、カラオケですから。そこでまた趣向がわかりますかね」

ご「でも歌はなぁ...」

さ「そうそう初音さん、今日お店何時まで?」

は「ティータイムは外せなくなっちゃったから、五時まではいます。皆さん、カラオケですか。いいなぁ...」

 十月からは「初姉のパンケーキ」が始まっている。初日の昨日はそこそこ好評だったので、今日はさらにブラッシュアップして定着させたいところ。晴天時の初音はいつもなら朗らかだが、今はやや緊張した面持ち。そろそろ厨房にこもらないといけない。

 「春までおいそがしいかな? ま、どっかで打上げしましょうね」

 頭を下げて店員は席を離れる。すでに十四時を回った。パンケーキの注文がチラホラ入り始める。

 アイスカフェオレを一気に吸い込んで、小さく溜息。いつものピピとはちょっと違う。

さ「どったの? 弥生ちゃん」

や「あ、別に。八(ハチ)さんとルフロンさん、どうしてるかなって?」

ち「そっか、忘れてた」

や「酔いが醒めたら出て来れるんじゃないかなって、ふと」

 千歳は二人がリズムセクションだったことを思い出す。カラオケに集ってもらえば、リズム感なり、音楽の志向なりもわかるだろう。業平も思うところがあったようで、

 「八宝クンにかけてみっか」

 外に出て行った。

 「三時半てことは、駅を通る例のバス、三時五分くらいでしたっけ? 千歳さん」

 「三時前に皆で出ればいいんじゃないでしょか」

 「じゃ、あたし、蒼葉ちゃんに確認してきます」

 業平と入れ替わりで弥生が店外へ。

 「いやぁ、電話越しにルフロン嬢が出て来てさ、大はしゃぎだったよ」

 「まだ酔いが抜けてない、とか?」

 冷やかし気味に千歳が問うと、業平は真面目顔でサラリ。

 「皆に会いたいんだって」


 漂着モノログ、さくらブログには今日の出来事がどう載るんだとか話しているうちに、

 「ナヌ、掃部先生のブログ、ですって?」

 弟子としては誠に耳寄りな情報が飛び込む。南実は早速URLを控えるが、「まぁ、当面は千歳さんと先生がセンターで落ち合う時が更新タイミング、かしらね」と櫻に実情を聞かされトーンダウン。それでも内心は「しめしめ」。しっかりコメント投稿すれば、いずれ先生も認めてくださるだろうし、次の著作で採り上げてくれることだって出てくるだろう。したたかさを内に秘める南実研究員である。


 三時のおやつが用意されつつあった。初音は五人を引き止める代わりに、文花から預かったバスケットに包み込んだパンケーキを収め、弥生に渡す。

 「お客様に出す時は、二枚重ねのパンケーキを二組。二×二なんで、初姉の『ニコニコ パンケーキ』ってことにしました。今、五人分で十枚、取り急ぎご用意したんですが、よろしければお土産に、ってことで」

 「ニコニコねぇ。お一人様二枚だと『ニコパンケーキ』?」

 「そっかぁ、選べるようにすればいいんだ」

 櫻の小洒落は、ちょっとしたヒントを与えたようである。初姉はニコリ。

 「あ、そうだ。文花さんから預かってたんだ。これ初音さんにって」

 お泊りだったため、バッグは大きめ。南実はそこからあるものを取り出した。

 「何度まで行きました? 今日」

 「二十六度だったかな」

 できたてのパンケーキからは程よく湯気が立ち上り、デジタル温度計をあわてさせる。

 「あらら、三十度超えちゃった」


 「ありがとね、初姉!」

 今回はテイクアウト品のモニターをお願いしたので、またしてもサービスである。五人衆は素直にニコニコしながら店を後にする。ネーミングの妙味ここにあり、か。

 

【参考情報】 リセットクリーンアップ / 埋没物調査


課題曲 & 自由曲

十月の巻(打上げ編)

35. 課題曲 & 自由曲


 三時ちょうど、停留所まで来た五人はここから二手に分かれる。自転車組三人と送迎バス組二人。

さ「弥生ちゃんと小松さんて、組合せとしては異色ネ」

ご「研究熱心って点では共通するよ」

ち「意外と音楽の趣味とかも似てたりして」

 アラサーの三人はお気楽なことを言い合ってるが、当の異色コンビはと言うと、

 「はぁ、八十年代、ニューミュージック?」

 「弥生さんが生まれた年? それ以降かな。とにかくその頃に流行った曲とか...」

 「でも、小松さんだって、小学校低学年くらいでしょ?」

 「兄貴がよく聴いてたんだ」

 「お兄さん?」

 「あ、とりあえず内緒ね」

 バス車中の限られた時間ではあったが、聞き捨てならぬ会話を交わしていたのであった。


 「榎戸さん、一人?」

 「えぇ、情報誌チームを代表して...」

 開場十分前、南実と弥生がまず打上げ会場に到着。この時、駐輪場では、

ま「ヤッホー! 櫻さん、と、二枚目コンビさん」

ご「何だ、全然元気じゃん。本当に二日酔いだったの?」

八「へへ、見ての通り。こっちはグッタリっスけど」

 櫻は舞恵の頭をなでながら微笑みかける。「つらかったら櫻姉が相手してあげるから。お酒に頼っちゃダメよ」 十数秒前は元気そのものだった舞恵だが、今は半泣きになっている。カウンター係ならぬ、カウンセラー櫻の思いつき療法、大したものである。彼女の如才なさを再認識しつつも、舞恵をちょっと羨ましく思う千歳であった。


 そして三時半、文花と蒼葉を除く、higata@メンバーが集結する。珍しく男女バランスがとれているが、紅白歌合戦なんて陳腐な設定は無用。とにかく歌いたい人がお好きなように、でいいのである。

 ところがここでの進行役、冬木は面白い提案を持ち出した。

 「この部屋、ドリンクバーが付いてるんで、各自ご自由にどうぞ。アルコールは個別にご注文ください。で、飲み物を揃えてる間に、この機械か本で選曲してもらって、ここのボードに番号のご記入を。あとは僕が順不同で入れてくんで...」

 「あ、それならも一つ提案!」

 カラオケ大好きの弥生ならではの妙案が飛び出す。

 「課題曲と自由曲の二部構成って、いかが?」

 「へぇ、課題曲ねぇ。例えば?」

 ツッコミどころではあったが、業平は優しく聞き返す。

 「千住姉妹に敬意を表して『さくら』または『あお』に関係する曲を課題曲。それが一巡りしたら、あとはご自由に、そんなとこです」

 すると、うまい具合に「あおば」さんが入ってきた。

あ「あれ、まだ誰も? よかったぁ」

や「遅いじゃん、蒼葉ちゃん」

あ「画板持って自転車こぐの大変だったんだからぁ」

さ「そうだ、描けた? 見せて」

 姉がさりげなく促す。

 「駄作ですけど...」

 一同は一様に「おぉ」となる。鉛筆で強く描かれた全景描写の上に、淡い青が走る。今回も川の水で彩色しようとしたが、水面に無数の草屑が浮いて来て、筆を溶く気にならなかったんだそうな。

 「ひとまず、青だけなぞってみたんだけど、皆の想いを表現できてるかって言えば、まーだまだ。また明日にでも続き描きます」


 これで「青」や「蒼」がすっかり印象付いてしまったようで、課題曲は「あお」関係がメインに。何がどう出て来るかはこの後のお楽しみである。番号入力を始めた冬木に弥生が尋ねる。

 「ここって、持ち込みOKですか?」

 「飲み物はダメだけど、食べる方はいいんじゃないかな」

 さすがに湯気は引っ込んでしまったが、仄(ほの)かに暖かさ残るパンケーキが顔を覗かせる。

 「そんじゃこれ、あ、どうやって食べよ...」

 「ハハァ、初姉ったらテイクアウトグッズ、入れ忘れちゃったんだ。まぁお手拭きあるし、一人一枚だから、つまんで食べましょ」

 折るとバターとハチミツが混ざって出てくる小型パックなんかはちゃんと入っていたので、もうちょい、といったところ。それでもニコニコな一品であることは変わらない。

 入室してから十分以上経っている。二曲分もったいなかったかな、と思われるが、人が歌っている間に選曲する煩わしさや失礼もないし、曲と曲の間が間延びすることもない。自由曲を入れる際は、またひと休みすればいいだけの話なので、この段取り結構イイかも、である。(千歳マネージャー的にも高評価?)


 ハモンドオルガンと乾いたドラムで始まる曲がかかる。このイントロ、ドラム部分だけ聴くと八広君のケータイ着信音そのものである。宝木君と奥宮さんが会話するきっかけを与えた名曲、「A Whiter Shade Of Pale」(邦題:青い影)である。早巻きで歌わないとつい字余りになってしまう曲だが、歌う時もいつものせかせか調が出るので結果オーライ。サビが少々苦しげだが、まぁまぁだろう。

 ディスコチューンで何か一曲とやれば、英語曲つながりで流れもよかったかも知れないが、苦し紛れの業平が選んだのは何と「青葉城恋唄」。

 「あら、『蒼葉嬢恋唄』だって、蒼葉ちゃん、さすがモテモテ」

 イントロが悠長な分、弥生のツッコミを許してしまった。これで調子が狂った業平君は、キーがずれたまま、されど朗々と唄うハメになる。当の蒼葉嬢はどこか楽しげ。

 次も「あお」系統かと思いきや、蒼の当人がリクエストしたのは、「桜色舞うころ」。姉に気を遣ってのことかどうかは不明だが、桜と来てこの曲を選択するセンス、なかなかである。


 曲は再び七十年代へ。「ブルースカイブルー」を歌うのは打上げ担当の冬木。場を盛り上げるつもりなら、「ヤングマン」とか演(や)ってもいいはずだが、課題曲という制約上、ちょっと意味深なこの曲になった。歌の世界とは裏腹に本人の薬指にはすでにリングが光っていたりするからなお悩ましい。

 アルコール類については酔いから醒めたばかりの女性への配慮からか、特に注文はしてなかったものの、冬木が気を回してピッチャー入りの生ビール(&カラオケ店にありがちな惣菜盛り合わせ類)を頼んであった。ちょうど曲と曲の間で店員が持ってくる。「あ、これ僕におごらせてください」

 「ピッチャー↑ ピッチャー↓、どっちだっけ?」 抑揚がよくわかっていない弥生がそんなことを口走っていたら、ピッチャーさんの番になった。奇遇? それとも予定調和?

 「文花さんも好きなのよ、松田聖子。さすが後輩」 と櫻は言うが、自身もこの曲はお気に入り。何となく声を合わせている。南実の選曲は「チェリーブラッサム」だった。「貴方へと続いてるー♪」と歌いつつ、視線を誰かに送っているが、どうも気付いてもらえていない。

 お互いに感想を言い合っている隙(ヒマ)がないのが、このシステムのネックだろうか。

 「今のって、弥生ちゃんが生まれる前に出た曲なのよねぇ...」

 ここにいる女性陣の中では最年長の櫻。年長らしい(?)一言がしみじみと語られる程度である。

 今度は八十年代つながりで、千歳が得意とするニューミュージックが流れてきた。

 「よっ、千ちゃん、待ってました!」

 原曲キーで大瀧詠一を詠うとはいい度胸である。曲は「ペパーミント・ブルー」。八広の制止も聞かず、生ビールに手を伸ばしていた舞恵だったが、千歳の何とも清涼感ある歌声に思わず自制。歌詞も爽やかだから、自然とそう聴こえるんだろうけど、そればかりではないようだ。

 南実は思い出すものがあったらしく、いつしか目元が潤んでいた。ルームはやや暗めだが、視力のいい蒼葉はそれをしかと目に留める。

 「千さん、何よ。愛しの櫻さんに捧げるんだったら、やっぱり桜関係でしょ?」

 システム発案者としては不満だったらしく、歌の良し悪しとは違うツッコミを入れてくれたりする。エンディングが長いことによる不覚。

 「一応、ラブソングだったんだけど」

 「じゃあちゃんと櫻姉の顔見て歌わなきゃ」

 そもそも桜関係と言っても、ここ数年の間に流行っているさくらシリーズ曲はどれも「散る」「舞い落ちる」がつきものなので、歌いにくいのが正直なところ。彼女の心証をわざわざ悪くすることもあるまい。だが、こうした弁解をしようにも余地が、ない。


 「あ、あたしだ」

 まだまだツッコミが続きそうだったので助かった。弥生嬢はBONNIE PINKさんの「You Are Blue, So Am I」と来た。ピンクにブルー?と変なところに引っかかっているオーバー30の男性諸氏だが、弥生のチャーミングな歌声にだんだん惹き込まれていって、しまいには「ブラボー!」てなことに。九十年代ガールポップ、おそるべしである。

 そんな盛り上がりを一気に静めるバラードが流れる。短いイントロに続き、櫻が囁くように歌い始める。「君の隣で、笑っていたい...」 目が合った千歳はこのワンフレーズでダウン寸前。選曲の妙もあるが、何よりその美声にすっかり酔ってしまった。蒼葉と弥生は承知済みだが、初めて聴く他の六人にとってこれは事件だった。


 ルフロンが入れた曲の番号がどうもエラーだったようで、次に行かない。余韻に浸っていたかったところ、好都合だったと言ったら失礼か。

 「ハハ、さくら系で無難なのって、この『桜の木の下で』なんですヨ」

 歌姫は恥ずかしげにコメントするも、聴衆は意に介していない様子。ただパチパチと喝采を送るばかり。「何か歌いにくくなっちゃったんスけど...」 舞恵は平素の無愛想モードになりかけていたが、そこは八広がカバーする。機械から直接番号転送してリスタートである。

 「え? こんな曲まで入ってるの? オドロキ」 夏女(?)南実にとって、リゾート系かつダンサブルなニューミュージック、しかも八十年代と来ればこれしかない。杏里、曲は「青」系統で「Dancin’ Blue」である。

 「千ちゃん、これ角松の曲じゃん」

 「やっぱ、路線的に近いものを感じるねぇ」

 シンガー&ソングエンジニアの二人はヒソヒソ話。

 「自由曲はその辺りで行ってみますか」

 「自分で歌う用じゃなくて、歌える人を探す用に番号入れてみるってのもアリ?」

 業平は妙なことを思いつく。この間、同じようなことを弥生は考えていて「まつだ... あ、あったあった」 課題曲の続きを勝手に入力し出していた。

 踊りながら歌っていたルフロンがマイクを高々と上げると、その曲はいきなりブレイク。本来ならここで正にブレイクとなる筈が、軽やかなリズムギターとコーラス、そして重厚なベル音、どこか懐かしいイントロが流れてきた。

 「えっ『ブルージュの鐘』って...」

 「弥生ちゃん、ブルージュってベルギーの町のことよ」

 「まぁ、いいじゃないですか。誰か歌って♪」

 とんだブルー違いだが、弥生はイントロの重低音に早速聞き惚れている。自分が生まれる前のアイドル歌謡曲(今で言うガールポップに通じる?)、特に一世を風靡した歌手の曲にすっかり関心を持ったようで、取り急ぎブルーで行き当たったのがこの一曲。「当たり」だったことは間違いない。

 文花がいれば、問題なかったんだろうけど、ここは代わりに後輩がフォロー。マウンドでバシバシ硬球を投げ込んでいた時とは打って変わって、しとやかに歌っている。櫻がモテ系と評したのはこうした要素を含めてのことだったか... 今は千歳が南実を見遣っている。


 すっかりご満悦の弥生嬢は、「青い珊瑚礁」「蒼いフォトグラフ」等のリクエストを入れることはなかった。時すでに四時半を回る。

 「では皆さん、ここでひと休み。自由曲、考えといてくださいね」

 喫煙者エドさんは、そう言い残すととっとと退室。一服しに行ったか。舞恵はタバコの代わりにビールを飲み干す。

 「あーぁ、ルフロンたら」

 「皆がいるから大丈夫、うぃ」

 今は「やってらんねぇ」酒ではなく、歓喜の一杯。その上機嫌ぶりには櫻も止めようがなく、二人して改めて「乾杯!」とかやっている。何故こうも仲が良いのかは実は本人達もよくわかっていない。

 何はともあれ、舞恵に遠慮する必要はなくなった(?)。俄かにアルコール解禁ムードになる。弥生はペパーミントブルー系のカクテル、蒼葉はやっぱりワイン。ルフロンとの酒づきあいが浅薄、即ち下戸な八広君はウーロンサワーがいいところ。自転車で来ている都合上、飲酒運転レベルならないようにしたい業平、千歳、櫻の三人は、正体不明、無添加健康サワーで一致する。戻って来た冬木は引き続きビールを注ぐ。南実は意外にもアルコールNGということで、

 「せっかくドリンクバーあるんですから、ここはアイスコーヒーで」

 これにて晴れて全員で「カンパーイ!」 やっと打上げらしくなってきた。

 今は正気のルフロンは、「今日は舞恵のせいで、八クンともどもドタキャンになっちゃって、申し訳なかったです。お詫びに、デザートか何か一品ずつ、ご馳走しますワ」

 気前のいい舞恵さんなのであった。


 冬木は皆の分を入れながら、ちゃっかり自分の十八番も挟み込んでいる。業平と千歳も戦略的にお試し曲の番号を書いておいた。はてさて何がどう出るか、ハラハラドキドキのフリープログラム(第二部)である。

 いわゆるシブヤ系だが、フランスモードの楽曲が多いので贔屓にしている。ワイン片手に蒼葉が歌うは、ピチカート・ファイヴ「キャットウォーク」。姉と比べてはいけないが、妹も十分、佳い声艶をしている。詞の世界同様、何とも艶麗。冬木は蒼葉とは今日が初対面だったが、通販大好き人間だけあって、カタログに出てくるモデルさんについてもある程度頭に入っていたりするもんだから、見覚えがあった(ことに気付いた)。他の男子は歌声に聴き入って(または容姿に見入って?)たりするが、冬木はちょっと違うことを考えている。話すきっかけは掴(つか)んでいる。あとはいつ話しかけるか...。姉の櫻の手前、何となく自重しているだけ。どうにも油断がならない。

 お次は、南実嬢による、今井美樹「retour(ルトゥール)」。タイトルからして、これもフランスモードではあるが、いわゆるJ-POPである。弥生が生まれて以降の曲ではあるが、彼女にとっては接点がなかったらしく、重厚なドラム&ベースに調子を合わせながらじっと耳を傾けている。

 「小松さん、さっきは『チェリーブラッサム』で、今は『ルトゥール』って、何か曲のテーマが再生とか再出発なんだけど、意図あり?」 長めのエンディング中に櫻が問いかける。

 「え、まぁ、今日のクリーンアップでリセットできたから。干潟に想いを込めて、かな」

 歌とその殊勝なお言葉に対して大きな拍手が送られる。自らに対しても少なからずそういう想いはある筈だが、どうなんだろう。

 小気味良いパーカッションにドラムが重なる。あまり聞き覚えのないイントロが流れ出すと、八広と舞恵が立ち上がった。

ご「何? デュエット曲?」

や「へぇー」

 何だかんだ言って、さすがは恋仲のお二人さん。その曲は、DOUBLE & HIRO「Let’s Get Together」(Groove That Soul Mix)である。時折顔を合わせながら「We can be lover...」とか歌っているが、この二人に関してはすでにそういう仲なので、何を今更?と冷やかしも入る。いやいや未だ恋愛状況が明確でないアラサーカップルに対する応援歌のつもり、なのかも知れない。ともかくこのノリのいい一曲は、リズムセクションとしての二人の器量を量る上でも絶品だった。業平と千歳はこと盛大に手を叩く。


 行儀よく一礼する八広と舞恵を吃驚(ビックリ)させたのは他でもない。その曲はブラスとドラムの一大音響で始まる。短いイントロの間に、今度は千歳が立ち位置へ。

 「あ、この曲...」 櫻はどこで聴いたのやら。だが、聴いたことのある曲とわかれば歌う方も気楽なものだし、同時に気合いも入る。

 千歳にとっては十八番(おはこ)の部類なので、気分良く歌唱していたのだが、間奏になるや否や、 「まだ打ち明けてなかったのぉ? キャハハ」との声。ルフロンに突っ込まれては立つ瀬なし、である。この「YOKOHAMA TWILIGHT TIME」は、サックスがまた泣かせる。弥生にどうこう云われないように、櫻に捧げるつもりで選曲したのだが、どうも違う女性の琴線に響いてしまったらしい。その潤んだ目線に今度ばかりは気付かない訳に行かない千歳だった。

 サックスに続くリードギターのフレーズに冬木は陶酔する。八広はドラム、弥生はベースにそれぞれ肩を揺らす。歌が二の次というのがシャクではあるが、千住姉妹はちゃんと清聴してくれているようなので、それで十分。

 「いつ打ち明けてくれるんだろうね?」

 「私から切り出さないとダメかもね」

 姉妹は歌声よりも歌詞に関心を寄せていただけだったか。いやはや。

 バラード風のイントロが聴こえてきた。メドレーではないが、角松敏生つながりである。

 「誰? 『花瓶』て?」

 「入れ間違いかしら。でも、ここは私が」

 お試し曲の一である。櫻がこの系統の曲をご存じかどうか、あわよくばそれをどう歌うか、が知りたかったようだ。千歳の自作曲二編については、特に難色を示した訳ではなかったので、音楽的な素地に大きな開きがないことはわかっていた。だが、曲をお渡ししたのは、ピアノでのアレンジとちょっとした詞、というのを期待したまでのこと。ピアノに歌、という櫻の新たな一面がわかったことで、その期待は違う形で膨らんでいった。この『花瓶』はピアノ弾き語りに向きそうな佳品... そう、この線で処遇しない手はないのである。業平と千歳のソングエンジニアコンビは僭越ながら審査用(課題曲)の心算(つもり)でこの曲をリクエスト。「これは佳い」とか唸りながら、何かを確信する男性二氏であった。

 「ありがとうございました」 歌姫はお辞儀して一言。いやいやそれは男性二氏側の台詞だろう。


 弥生のケータイが鳴ったのかと思いきや、オケの方だった。エコーが利いている分、より重低音が響く。

 「この曲、だったんだぁ」

 櫻と千歳は何度か耳にしているので、リアクションも速かった。その曲とは、ROUND TABLE(Feat.NINO)「パズル」(extre hot mix)。弥生のガーリッシュな声がよく通る。キーが変わるところも上手く歌いつないで、満面の笑み。男性陣は再び騒然。ルフロンは八クンをどついている。

 まとめて入力したせいかどうか定かではないが、オケの方が勝手に小休止していて、次に移るのに少々間が空く。

や「ひきこもり青春アニメの主題歌です」

さ・ち「え? ひきこもり?」

 得意作業の性質上、放っておくとひきこもり状態になってしまうのはわかるが、まさか当人がかつては実際にそういうことになっていた、というのを知る者はここにはいない。毒もチャームポイントのうちだが、好きで舌鋒が鋭くなった訳でもなさそうである。そのアニメ、どういう心境で観ていたんだろうか。

 櫻の自選曲がやっとかかった。審査員二氏はまたしてもヒソヒソ話。

 「カラオケで古内東子って、初めて遭遇したかも」

 「アレンジャーとか、近そうだね」

 その曲は「あいたくなったら」。詞を真に受けるとドキリとなるところだが、当の彼氏はどう思っているのやら。「私の気持ちがあなたのよりも1グラム多いだけで不安...」 二人の想いのバランスを保つのも時には必要。だが、それに気を遣うのが恋愛なのかどうなのか。少なくとも直情型の櫻にそれを求めてはいけない気がする。それでも自分ではいつしかそんな器用さを身に付けつつあって、余計に詞の世界がしっくり来ているようだ。問題はそんな彼女の気持ち(歌に乗せた想い)が届いていないであろうこと。スローなのはいいが、その鈍さ加減の方が櫻にとっては不安要素かも知れない。千歳はただ、「ミディアムテンポの曲もバッチリ...」とあくまで歌唱の方に感服している最中である。


 巧みに紛れ込ませていたはずが、順番的には結局ラスト。冬木の番になり、今度はSING LIKE TALKINGで来た。この後は、ルフロンのクリスタル・ケイ、業平の和製ディスコ系などなど。系譜としてはダンサブルな感じなので、聴衆はBGM感覚でそこそこノッている。

 当初二時間の予定だったが、そんなこんなですでに時間延長の域に入っていた。一巡以上したところで、ようやくブレイクになる。

 「あれ、送迎バスの最終便って何時でしたっけ?」

 「確か六時だから... あら、そろそろ出ないと」

 櫻は時計を気にするも、弥生嬢はギリギリまで粘る作戦に出る。

 「じゃこの曲歌ったら」

 この手の機械に強い弥生は、サラっと検索すると、そのまま転送。ディストーションのかかったエレキギターが鳴り出す。My Little Lover「YES」である。詞は少なめだが、重い。実体験と重ね合わせるような思わせぶりな歌い方がまたいい。

 「えっと、おいくらでしょか?」

 「歌も良かったし、二部構成の発案もgoodだったし、無料無料!」

 業界人(?)冬木はさすが大盤振る舞いである。


 再び男女バランスがとれ、年齢層も固まってきたところで、もうひと盛り上がりと行きたかったが、あの人が歌うと次は嗚咽してしまうかも、と悟った南実が席を立つ。

 「え、小松さん、お帰り?」

 冬木としては予想外の展開だったようだ。

 「では、女性二千円、男性二千五百円、あとは奥宮さんと僕で...」

 三時間で何となく飲み放題付き、このお値段ならリーズナブルか。higata@の皆さんは案外ちゃっかりしている。

 「ありがとうございまーす」 で軽く済ませてしまった。

 打上げ担当が集金している間、弥生流に機械操作で検索&転送を試みる男女六人。そうこうしているうちに六時をとうに回り、終演が近づいてきた。お試し曲の二はあいにくお預け。


 蒼葉のラストは、南実に聴かせるつもりもあったのか、竹内まりや「プラスティック・ラブ」である。(注…ここでのプラスティックはあくまで造形的な恋模様をたとえたもので、プラスチック賛歌ではない。) そのまま達郎つながりで「硝子の少年」へ。これは千歳と業平の「欣喜(KinKi)キッズ?」が唄う。振付がつかないのが三十代男性の泣き所か。

 中山美穂を歌ったついでで、櫻が思いついたのは「Mellow」。前半はしっとりめが続いたが先の古内の曲でテンポが少し上がったため、ラストはまたちょっと軽快に...ということらしい。サビのところでは軽く振付もあったりして、男衆にとっては正にメロウ。

 「動画サイト見てたら、本人映像とか出てきたんですよ。それでちょっと覚えたの。YOKOHAMA~とかもそれで」「へぇ...」 歌い終えて、櫻は千歳に耳打ちするも、メロウを超えてメロメロになっているので、話にならない。「また行き過ぎちゃった、かな?」

 こういう場でのトリはやっぱりGo Hey君に限る。ラストはズバリ、「WAになっておどろう」! 「イレアイエー」とか「ランラァランラァラー」とか見事合唱モードに。皆さんよくご存じで。


 こうして盛況裡に打上げは終わるも、真面目な面々はここでもふりかえりに余念がない。EdyさんとLe frontさんが会計している間、五人はロビーで語り合っている。

八「それにしても、ここ最近の曲って出なかったスね」

ご「女性チームも、流行の歌姫系とか一切なかったし」

さ「そうねぇ。姫ってのもどうかと思うけど、とにかく歌い上げるのとか、チャラチャラしたのって苦手なのよね」

あ「歌ってて肩凝っちゃう感じのって、聴く方にしてもおんなじでしょ。歌い流せて、でも奥行きがあって、ってそんな曲がいいなぁ」

ち「それは言える。流す...ね。でも、時代に流されちゃう音楽ってのは考え物。近年のチャート事情見てると、とんでもないなぁって。思わない?」

ご「よくわからんけど、初登場一位の曲が翌週には十位とか圏外とか、って聞くね、確かに」

八「要するに音楽も使い捨て、ってことスか」

さ「もともと流行(はや)り廃(すた)りとは言うけど、最近は特に消耗品みたいになってるのかも、ね」

あ「漂流・漂着して、そのままになってる音楽もあるってこと?」

 そういう面は無きにしも非ず。音楽をゴミ化してしまっていい道理はない。では、消耗されない音楽とは? 自分で聴きたい曲を自分で創って大事にする、そういうこととも関わってきそうだ。


 「今日は本当にゴメンナサイ。でも舞恵が行かなかったおかげで、天気だったんだから好かったっしょ?」

 「初音嬢とか六月君とか淋しそうにしてたワよぉ。大変だったんだからぁ」

 櫻がからかい気味に応じるもんだから、ヘコんでしまったナイーブ舞恵さんである。ここは蒼葉が優しくフォロー。

 「まぁまぁ。どんな状況だったかは追々。higata@で意見交換することになってるし、おなじみモノログに、姉さんのラブラブブログにも詳報が出ることでしょうし、あ、あと情報誌も。ですよね、ムシュエディさん?」

 蒼葉に話しかけようと思いつつ、つい失念していた冬木だったが、先にこう振られてしまっては、自嘲するしかない。

 「あ、えぇ。今度はフライングしないように気を付けますので、皆さん予定稿のチェック頼みます。ハハ、ハ...」


 この打上げまでがオプショナルイベントだったとすると、ほんと盛り沢山な一日である。散会の挨拶等を交わして外を見ると、とうに暗くなっている。だが、帰宅するにはまだ早いと見る向きもある。

 「明日休みだし。もうちょっと八クンにつきあってもらう」

 リズムセクションの二人は商業施設内でショッピングetc.と相成った。業平と冬木はアルコール抜き、されど一服ができる場所ということで某カフェへ行く。つきあいとはいえ、これでまた禁煙中断か。試練の喫煙席は店の外。

 「ところで、隅田さんと千住さん、てカップルですか?」 この質問、前にも聞いたような...

 「はぁ、今はそうですね」 何とか吸わずに済んでいる業平が短く返す。

 「僕はてっきり小松さんがお相手なのかと思ったら、途中で帰っちゃったから、あれれ?って」

 「ハハ、彼女はガード堅そうですから。それでいて直球派ってのがまたスゴイとこ」

 冬木は一回吸ったきりで話に夢中。点火された一本は灰皿でただ短小になっていくばかり。

 「実は...ってことないですか? 少なくとも彼女は隅田さんに気があると思う」

 そう見られるんだとしたら、南実もちょっとした演技派ということになる。だが、実際のところは本人に聞いてみないことには何とも、というのが業平の本音。昨日のことのように思えるが、その南実嬢からホームランを打ったのは本日午後。清々したばかりだけに、そういう話はちとツライ。渋面になるのも無理はない。

 「そう見えるだけじゃないかなぁ。千歳君と櫻さんはhigata@内では公認ですからね。もしそうだとするなら、何か別の理由があるんだと思いますよ。だいたい榎戸さんが気にすることでもないでしょが」

 冬木の読み、決して違っていた訳ではない。業平の推察もいい線行っている。その理由とは... それはいずれ、然るべき情報筋から聞き知ることになるだろう。

 業平から冬木へのアフィリエイトの支払い、情報誌サイトへのリンク、そして、

 「ところでソーシャルビジネスの件ですけどね...」 前置きが長くなっていたが、ここからが本題。流域ベンチャーと提携する上での話ならコミュニティビジネスと行きそうだが、あえてソーシャルと切り出す冬木。何をどうするおつもりか、相変わらず曲者臭を漂わす社会的起業担当者殿なのであった。


 ちょうど三ヶ月前と同様、スーパーで買い物を済ませた二人。前回と違うのは妹君が随行していること。三人とも空腹ではないので、どこかでわざわざ食事するでもない。小腹が空いた時に備えて軽く買い込んだ程度である。

 七時を過ぎているが、蒼葉は得意のピチカート・ファイヴで、「東京は夜の七時...♪」とか口ずさんでいる。歌のテンポに反して、三台の自転車は、基本的にはスローモードで進む。が、画板が時に煽られてヒヤリとする場面があるため、そのモードはさらに低速になる。見かねた千歳は、

 「橋を超える時とか危ないでしょ。僕、預かるよ」

 「じゃあ千さん、明日引き取りに伺いますわ」

 「いやぁそれは... 橋のところでお渡ししますよ。朝十時でいいですか?」

 危うく蒼葉の大胆行動にしてやられるところだったが、櫻の無言の圧力もあって回避。そう、拙宅にお招きするのはまず姉君から、である。

 「枕元に飾っておくと、きっといい夢見れますよ」

 櫻は至ってにこやか。

 「そうそう、それでまたキャッシュカードが見つかったら、新たなストーリー再び... 何ちゃって」

 「蒼葉ったら、フフ」

 送迎バスが通る大通り。舞恵の勤務先である銀行付近で姉妹とはお別れとなる。

 「モノログが先か、メーリングリストが先か...」 そんな思案をしつつ、蒼葉の下絵をPCの前に立てかけてみる。風や波の音をなぞるように青が配されている。絵からその微音が聴こえてくるようだ。千歳の一日はまだまだ続く。

 

【参考情報】 打上げ=カラオケ? / カラオケの楽しみ方(課題曲編) / カラオケの楽しみ方(自由曲編)


千秋一日

十月の巻(おまけ)

36. 千秋一日


 待ちに待ったデート休暇当日。櫻は半袖のエレガント系ワンピース(千鳥格子)に大きめのリボンベルトを当て、白のジャケットを着用。

 「いいねぇ、櫻姉。ま、しっかりやんなよ」

 「プレッシャーかけないでよぉ。今日の主役はあくまで千歳さん。私は彼に合わせるだけ」

 とは言うものの、本日のデートコースは櫻の全面コーディネートである。いったい何を合わせるおつもりなんだろか。

 こちらは、パーカ風のシャツの上に洗いざらし系のジャケット、スラックスも洗いざらし風という出で立ち。今日で櫻さんとは同い年ではなくなる訳だが、格好からしてあんまりそういう緊張感は感じさせない。いつも通りの千さんである。お約束の十一時よりもかなり前に原宿駅に到着。今は神宮橋の上から山手線やら湘南新宿ラインを見送りながら佇んでいる。同じく少々前にやって来た櫻嬢は、そんな彼氏を首尾よく見つけて、背後から声をかける。

 

 「お客さん、何か落し物ですかぁ?」

 「あ、実はキャッシュカードを...」

 「もう、千歳さんまでぇ」

 よく晴れた金曜日。気温も程々。ジャケットを着るには及ばなかったかも知れないが、三十路の秋の装いとは斯くあるもの。表参道を闊歩するにも丁度いい。

 神宮前交差点までは下り坂なので楽なのだが、そこから先は緩やかな上り。

 「自転車タクシーに乗れば楽なんでしょうけど...」

 「この辺じゃ最近見かけないねぇ。六本木ヒルズ周辺にシフトしちゃったとか」

 「まぁ、徒歩が何よりもエコよ、ね?」

 とか言いながら、彼氏の腕につかまっちゃう彼女である。ただでさえスローな千歳は、これでさらに歩速が鈍くなる。だが櫻はちゃんと歩調を合わせている。合わせるってのはこのことだったか?

 「初姉のお店に似てるんだけど、主菜、副菜が充実してるって言うか、その場で見て選べるとこがあるの。ご案内します」

 表参道ヒルズに寄るでもない。アニヴェルセルにも御用はなく、その手前で右折。寄り道と言えば、クレヨンハウスの地階で旬の野菜をチェックするくらい。櫻のこの精神的にスローな感じが千歳には心地良かった。

 ブランチをいただくお店が開くまでのちょっとした時間調整のつもりだったが、

 「ハハ、また迷っちゃった。失礼」

 目的地に着いたのは、十一時半をとっくに過ぎてから。だが、それほど行列はできていない。この待機時間中に品定めするのが通なんだとか。一人三種類選べるので、二人だと最大六種類の小皿が並ぶことになる。どれが主でどれが副だかが結果的にわからなくなってしまったが、二つのプレートには、五目あんかけ豆腐、ポークとキノコの何とか、ペンネ&マリネ、オニオン&根菜、ジャーマンポテト、磯辺揚げといった品々で満たされる。これにおかわり可能なごはん、スープ、ドリンクが付く。さすがは青山、ランチ店の層が厚い。

 「そっか、千歳さんお箸持ってないんだ」

 「そういう意識はあるんだけど、いざとなるとね。面目ない」

 「いいのよ。私だって別にマイ箸の方がありがたく食事ができそうな気がするから持ってるだけ。環境保護どうこうって云うつもりないし」

 会計時にこういう会話が交わされるのは、最近では珍しくもないか。彼女の方は割り箸を辞退しつつ、財布を取り出す。

 「千住さん家は富裕層じゃございませんので、千円ランチで恐縮ですが、お誕生日祝いネ」

 「ご馳走様です。ありがとう」

 誕生日席という訳ではないのだが、えらく深々したソファ席でいただく。食べる時は逆に前屈みになってしまう。

 「二人で違うのを取ると、ちょっとした品数になるでしょ? それもポイント」

 「櫻さん、いい店ご存じで。青山よく来るんですか?」

 「センターの資料配置とか考える時に、文花さんとここの近くの施設に見学に来たんです。その時、連れて来てもらったのが最初。その後も蒼葉と来てみたり、ですね。別に青山にしょっちゅう、ってことはないけど、来たら寄る、そんなとこ」

 話しながら、箸を伸ばしてくる。「千歳さんもどうぞ。好き嫌い、ないでしょ?」 前屈姿勢なので、お互いの品をシェアしやすいのは事実。箸とソファは使い様である。

 同じ種類であれば何杯でもおかわりできるってのは、毎度おなじみカフェめし店と共通する。だが、ここでドリンク片手に延々と話し込んでいるよりは、あちこち動き回りたいというのが探訪好きな二人のお望み。お出かけ日和でもある。一時間ほどで店を出て、青山通りへ。

 「さて、これから六本木へ向かう訳ですが、骨董通り経由だと遠回り。されど、墓地を通って、てのもねぇ...」

 「ま、時差券持ってますから。一駅分だけど、メトロで」

 「賛成! 駅の中のお店、見てみたかったし」

 てな訳で、乃木坂に着いたのは一時過ぎ。車両後方の階段を上がると、国立新美術館直結の真新しい出口に通じる。

 「はい、これは妹からプレゼント」

 「え、蒼葉さんが?」

 「あの娘(コ)、一応その筋の関係者だから、こういうの手に入れやすいみたい」

 櫻が取り出したのは、「フェルメール『牛乳を注ぐ女』~」展の招待券二枚。本日のプランは概ね聞かされていたので、自己負担範囲も想定はしていた。古楽器の展示もあるというので、千歳としても観覧したかった同展である。当日券でもよかったところ、ご招待扱いとは、嬉しい想定外。姉妹のご厚情に感謝感激、なのである。

 

 風俗画、工芸品と観てきたところ、弦楽器などが置かれた一室が出てきた。

 「あれってチェンバロ?」

 「えぇと、ヴァージナル、ですって」

 「へぇ...」

 鍵盤と来ればやはり櫻。中世の器楽曲、そのヴァージナルの打鍵音、想像を働かせているのが何となくわかる。芸術の秋、音楽の秋、である。そして次のコーナー、版画と素描へ。

 「フフ、『パンケーキを焼く女』ですって。初音さん、どうしてるかしら?」

 「明日に備えてるんじゃ... あ、授業中か」

 明日に備えないといけないのは何を隠そう、千歳君の方である。センターご出勤初日を控えている割には、実に悠長。彼にとっては音楽の~というよりは、お気楽の秋、だろう。

 櫻が図録を繰っている間、千歳はポストカードを何枚か買い求める。カードとは言え青は青。購入後もその色に魅入っていたので、十月の空の青がありふれて見えてしまうのであった。

 美術館後の行き先については選択肢があるが、コーディネーターさんはハッキリしていた。

 「ヒルズはヤダ。ミッドタウン!」

 直方体の建物を前方右手に見ながら星条旗通りを歩くこと数分。その直方体が二人を迎える。

 「千歳さん、私、眼鏡買い替えようと思ってるんですよぉ。どんなのがいいか、選んでほしいの」

 「ミッドタウンで眼鏡? 櫻さん実はセレブなんじゃ...」

 「あ、いえ、デザインだけ。買う時はそれを参考に、巷で流行の五千円前後のに...」

 当地にはハイセンス眼鏡店が複数ある。どっちから行こうか、と思案していたが、櫻はもっと大事なことを思い出す。

 「と、その前に確認事項がありました。どうしよ... とりあえず公園」

 ガレリアをそのまま直進し、檜町(ひのきちょう)公園へ。まだ三時にはなっていないので、おやつタイムには早い。テイクアウト類なしで、とりあえずベンチに腰掛ける二人。ちょっと間を置いてから櫻が訊ねる。

 「正直なところ、眼鏡の櫻さんてどうですか?」

 「美人だと思いますが」

 「いや、そうじゃなくて...」

 千歳は十分わかっていたが、ちょっとはぐらかしてみたかっただけ。決して鈍いという訳ではない。櫻は俯き加減。

 「眼鏡をしててもしてなくても、櫻さんは櫻さん。大好きな女性(ひと)であることに変わりはありません」

 急に顔を上げて聞き返す。

 「え? 今なんて?」

 「言わなくてもわかってる、って、それじゃダメなんだよね」

 こういう時、その感情を目に見える形で示すというよりは、その言葉一つが何より大事だったりする。だが、その言葉を早く伝えたかったのはむしろ彼女の方だった。

 「そうそう、私も教えて差し上げないと... 千歳さんのそういう素直なところかな。一番好きなの」

 千歳はもう一度きちんと声に出そうと思ったが、こう来られたら言葉を呑み込むしかない。彼氏は的外れなことを聞く。動揺ありあり。

 「って小梅嬢に言ったの?」

 「つい調子に乗っていろいろ喋っちゃったからなぁ。どれがその一その二ってわかんなくなっちゃった」

 彼に合わせる、それはつまり親愛の情を言葉にするタイミング、を主に指していたようだ。合わせなきゃ、という意識先行でここまでセーブ気味だった櫻だが、もう合わせるのはおしまい。肩に寄りかかってみる。「千歳、さん...」 言葉に出すと、その情感はとめどなく展(ひろ)がっていくものである。秋の空は澄んでいて、どこまでも高い。言葉は風に乗って青空に溶けて行く。


 どこからか三時を告げる鐘が鳴る。

 「櫻さんの素顔をお見せする時が来たようです。千歳さん、今の心境は?」

 「いやぁもう... ドキドキです」

 「そうですかぁ。櫻さんもドキドキして来たようですよ」

 「ここは東京、ミッドキタウン、ですもんねぇ」

 「何だかなぁ」

 名物三人娘も定評あるが、「千と櫻」のコンビもなかなか笑わせてくれる。七日のマイクパフォーマンスでその片鱗は見せていたが、この調子ならいつでもOK? ステージさえ設ければ何かやってくれそうである。

 高級店に入ればただでさえ緊張するところ、異なる緊張感がさらに輪をかけてくる。

 「細めレンズが流行ってるみたいだけど、櫻さんはやっぱり丸眼鏡の方がチャーミングかな」

 「じゃ、は、外しますよ」

 「おぉ、櫻、姫...」

 「エへへ」

 六月に横川駅で撮ってもらったツーショット写真は手帳に忍ばせてあって、時々眼鏡なしの櫻さんを眺めては唸っていた千歳君だったが、間近で見るのは今日、この時が初めて。ドキドキを通り越して、名状し難い心理状態になっている。

 「どう?」

 「あ、そっか。いいんじゃないスか。フレームレスは?」

 店員が近づいて来ない間が勝負である。ここで何色が似合う?とかやり出すと、収拾つかなくなりそうなので、そそくさと引き揚げる。さっきからドキドキし通しである。

 「ハハハ、ドキドキしてたらノド渇いちゃった」

 「それじゃ今度は僕が」

 カフェ&スイーツ店が目白押しなのはいいが、客の入りも押し気味。オープンな感じのベーカリー店を通りがかったら、折りよく空席ができた。談話するには丁度いい、適度なソファ席。


 「櫻さん、眼鏡に関してはいろいろとエピソードがありそうだけど、よかったら教えてもらえませんか?」

 「はぁ、何からお話ししたらいいものか...」

 久々に櫻へのインタビューを試みる千歳である。振り返ってみると、素顔を見せてもらえるまでの筋立てが実に凝っていたというか、外そうとすれば蒼葉が止めてみたりといった演出もあったし、まるでウズウズさせるように仕向けられていたかの如く、である。

 「ステージの話はこの間しましたよね。その頃はまだ近視じゃなかったんで、眼鏡もかけてませんでした。ま、自分で言うのも何ですが、ピアノ弾きながら歌って、歌姫さんだった訳ですよ」

 今は彼女に合わせている彼。黙って話を聞いている。

 「当時おつきあいしてた人もちょっとしたボーカリストで、デュエットしたり、一緒に曲作ったり、いい感じだったんです。でもホラ、私、つい夢中になっちゃうから...」

 話がまだよく見えない。千歳はカフェオレをゆっくり口に含み、ただ待つ。

 「千歳さんのお誕生日だってのに、私ったら何喋ってんだろ。ごめんなさい」

 「いやいや。話した方が気が晴れることもあるから。お続けください」

 櫻のカフェモカに乗っていたクリームが何となく縮んできているが、話を聞いてもらうのが優先。

 「その人の曲をピアノで採譜したり練習したり。暗い中でやってたのがいけなかったんでしょうね。視力落ちてきちゃって。それで眼鏡をかけた。そしたらね」

 櫻の愁い顔を見るのは何日ぶりだろうか。千歳はマズイと思ったが、ここで止めては不可ない。櫻のカップからはクリームが見えなくなってしまった。何かを呑み込むように彼女は話を継ぐ。

 「眼鏡は嫌だ、ですって。私の歌とか演奏とか、いや、そもそも人となり? そういうの全然関心外だった、それがわかったんです。顔貌(かおかたち)でしか見てなかったのねって... 大ショック」

 蒼葉が以前強い口調で話していた姉の失恋事件、その真相がおぼろげながら見えてきた。

 「男性不信になっちゃった、とか?」

 「そりゃあもう。こうなったら眼鏡で通してやる、って思いましたよ」

 「でも、あるがままの櫻さんを見てくれる人もいたでしょ?」

 「いた、かも知れません。でも二千年以降は恋愛らしい恋愛はしてませんでした」

 「そう、だったんだ...」

 本来ならまろやかな筈のカフェオレが苦く感じてしまうのは気のせいだろうか。セットのプチタルトにもまだ手が伸びない。櫻は深呼吸してから、その想いを口にした。

 「でも、四月一日に私の中で何かが変わりました。エイプリルフールじゃないですよ。この人ならもしかして、って...」

 「櫻さん、あの日そんな風に?」

 蒼葉の言ってた通りなのだが、あえて問い直してみる千歳。

 「そう。でもね、年のせいだか何だかよくわからないんだけど、自然と抑えが効くもんだから、昔みたいにダーって感じにならなかった。ブログの存在も大きいかな。書き綴ることで気持ちを静める、みたいな。ブレーキかけながら千歳さんと接してた気がします。変な言い方だけど...」

 「僕は僕で櫻さんに合わせてた、というかむしろ引っ張ってもらってた気がするなぁ」

 「そっか、ちょうどよかったんだ。それは何となく気付いてたかも。バランスとってたってことかしら、ネ?」

 1グラム多いか少ないかってのは大げさだろうけど、お互いのペースを尊重して(いやペースに委ねて)きた結果、絶妙なバランスで両想いが成り立っていた... 決して過言ではないだろう。

 「それはそれで心地良かったんだけど、素顔を見せられないのっては苦しいものです。旧七夕デートの時にね、解禁したかったんです。本当は。でも、あるがままの私でいいってのをその、もっと確証が持てるようになってからでもいいかなって」

 「そんな葛藤が...」

 「いや、葛藤ってほどでもないんだけど、蒼葉が言うんです。その日が来るまでとっとけって。で、今日の佳き日が来た。もうね、私から言っちゃおって思ってたの。それで千歳さんも返してくれればもうそれでいいや、素顔をお見せしよう。だから、大好きな女性って言ってくれてすごく、嬉しくて、うぅ...」

 今日からはもう彼の前で眼鏡を外せる。彼女にはそれがまた嬉しい。素顔だが、すっかり泣き顔になっていて、自分でもどうしていいかわからない。

 「あ、いけない、笑顔笑顔...」

 「櫻さん、ずっと我慢してたんでしょ。いいんだよ、泣いたって」

 「そんなこと言ったら、もっと泣けちゃうじゃん。意地悪ぅ、うう...」

 うれし泣き、それとも泣き笑い? 千歳は櫻が愛おしくて仕方なくなってきた。


 「あーぁ、せっかくのクリームが... 溶けちゃったぁ」

 涙を拭くでもない。そのまま乾くのを楽しんでいる感じ。それでもって、この呑気なこと。どうやらその溶け加減が彼女の今の心理状態を表しているようで、これ快哉(かいさい)、としている。素顔かつ笑顔。千歳の方も目が潤んできた。

 そんな彼の目を、彼女は目を細めて見つめる。そして問う。

 「そう言えば、千歳さんて視力いいの?」

 「コンタクトレンズです」

 「そうだったんだ。私もそうしよっかな」

 「そしたら世の男性諸氏が... あ、いや櫻さんの魅力は、その...」

 千歳のこのドキマギ調が櫻にとってはまたたまらない。ついからかいたくもなる。

 「心配? なら、傍についててもらわないと、ねぇ」

 午後の陽射しが弱まってきた。二人が話し込んでいたテーブルの上には、空のプレート、底が白くなったカップが二つ残され、鈍く光を放つ。


 タウン内のツアーに参加するのも良かったが、時間も時間だし、思い思いに歩き回ることにした。ライフスタイル提案型ショップや「グッドデザイン展」などで時間を割く二人。気付いたら、西日がすっかり傾いている。

 「そうそう、プレゼントをね、いろいろ考えてたんだけど、何かご希望があれば先にお伺いした方がいいかなって、どう?」

 「素顔の櫻さん、それが何よりのプレゼント」

 「また姫を泣かせるつもり? その素顔にしていただいた御礼がしたいんです。あ、そっか!」

 只今ガレリアの三階を歩行中。いいタイミングでいいものに出くわす。

 「筆記具とかマイバッグとか、いいの扱ってる店さっき見つけたけど、やっぱりこれよこれ」

 各地の銘木などを使い、職人の手によって創り出された箸の数々。各種麺類や豆腐の専用箸もある。

 「簡易包装でいいわよね。こっちが千歳さん、私はこれ。いつも携帯するように。フフ」

 ペアの竹箸、その一膳が誕生日プレゼントとなった。

 「大事に使わせていただきます。ありがと」

 「何々箸って言いますし、ね」

 「飯田橋に水道橋?」

 この後、彼女にバシっとやられたかどうかは定かではない。


 「ミッドタウン周辺て、老舗ナチュラルレストラン、いやナチュラル居酒屋かな、ま、そういうのがいくつかあるんだけど、今晩は我が家へぜひ! いいでしょ?」

 「いいんですか?」

 「貴方、彼氏でしょ?」

 「櫻姫の大ファンでもあります」

 暮れかかる空、紅く染まる...

 「外苑東通りー♪ ハハ字余り?」

 二人の「乃木坂TWILIGHT TIME」だそうな。もう誰かさんに、打ち明けてないのぉ?とか冷やかされることもないだろう。寄り添う影が舗道に伸びて行く。ワンピースが千鳥格子だから、という訳ではないだろうけど、その影は時に止まってみたり時には斜めに動いたりとどうも安定しない。「今日のこと、ブログに載せちゃおっかな... 咲くLOVE×2、だもんね。おっとっと」

 眼鏡を外しているとどうにも危なっかしい。そんな櫻の手を引き、通りを北上する千歳。左折してしばらく歩くと、赤坂図書館近くにあるバス停に逢着した。ここからは新宿行きの都バスに乗る。


 「絵を観て、デザイン鑑賞して、正に芸術の秋でございました」

 「私は恋愛の秋かな...」

 千歳の肩は寄りかかりやすいようだ。車窓左は神宮外苑、右には赤坂御用地。街路樹は秋色。その色を映していた陽が落ちると、機を合わせるように、櫻は遅い午睡に入る。


 「櫻さん家が先になっちゃいましたねぇ」

 「千歳さんのお住まいはずいぶん前に教えてもらったのにね。さ、着きましたよ」

 センターからは徒歩でも楽な距離だが、駅からとなると少々労を要する。妹君もお待ちかねということで、早足で歩かざるを得なかった分、ちと堪(こた)えた。年はとりたくないってか?

 「ただいまぁ」

 「あれ、千さんは?」

 スローな彼が扉の影から顔を出す。「どうも、おじゃまします」

 「櫻姉、やるじゃん」

 「千歳さんがどーしても来たい、って言うから」

 「櫻さんたら。ま、いっか」


 今日は蒼葉が食事当番。早くに自宅に戻り、三人分を用意してくれていた。バースデイディナーという程のことはないかも知れないが、前菜の盛り合わせあり、文花農園の秋野菜サラダあり、オランダ風俗画で観てきたニシン、それにシソをまぶした一品も。(これは蒼葉の気まぐれ惣菜。弥生と入った渋谷のパスタ店で注文した一皿に似ている?)

あ「あいにく主菜ってのがございませんで、このお惣菜関係と、あとはバケットで」

 軽く年令以上の品数を今日は口に運ぶことになる。そのありがたさもさることながら、姉妹にこうしてもてなしてもらえるのが何よりもありがたい。加えて、グラスワインなんぞで、

さ「ではでは、千歳さん、お誕生日おめでとうございまーす! 乾杯♪」

 なんてやられたら、そりゃあもう、である。

 「櫻さん、蒼葉さん、ありがとう...」

 年甲斐なく涙目になってきた。センチな千さんは、言葉少な。


 姉妹はオランダ風俗画の議論を交わし始める。

 「ねぇ、千歳さん、展覧会で観た中で、これ!ってのありました?」

 「修道院の少女、とか... あ、そうだ」

 その少女のポストカードはないものの、展覧会の主題画、本展外のフェルメール作品、人物描写が小さめな風俗画など複数のカードがテーブルに並べられる。

 「あら、いつの間に」

 「蒼葉さんの画風とは違うかも知れないけど、お気に召すのがあればどうぞ。招待券の御礼です」

 「そりゃどうも。じゃあこれを」

 彼女が手にしたのは、「真珠の耳飾りの少女」。瞳(め)が似てるなぁ、と思ってつい買ったものだが、本人も自覚しているのか、同じような角度でポーズをとって魅せている。気付いたら、千歳のグラスは空っぽ。

 「あ、お注ぎしなきゃ」

 きちんと席を立って、デキャンタから白ワインを注ぐ蒼葉。その様は正に「ワインを注ぐ女」である。カードと見比べる千歳だが、さすがにその洒落は口にしなかった。

 「なーに見とれてんの、千さん。姉さん妬くとコワイんだから」

 「何か言った? ワインを注ぐ女さん」

 彼の言いたいことはしっかり彼女に伝わっている。千歳はあわてて、

 「この絵のポイントは、遠近法とラピスラズリの青とパンの粒々描写と...」

 覚えたての解説を復唱して誤魔化してみる。

 「粒々、かぁ。小松さんは粒々を調べる女かな。ホホ」

 「弥生ちゃんはケータイを操る女」

 「蒼葉は干潟をうろつく女、ね」

 「そういう櫻姉は何よ?」

 「ただの恋する女」

 こうなると、千歳も手に負えない。櫻は眼鏡を少し外して「グラスを落としそうになる男」に熱い視線を送る。金曜の夜、宴もたけなわである。


 パンケーキを焼く女の話が出たところでひと休み。千歳は干潟で絵を描く女さんに話を振る。

 「蒼葉さん、その後、絵の方は?」

 「おかげ様で月曜中に描き終えました。今、持って来ますね」

 画板に付いたままの一枚、そこには流れるようなグラデーションで表現した川の青を基調に、空と風の青、ヨシの薄緑、干潟の白が写実的な中にも幻想的に描かれている。次はこれをもとに油絵を描くんだとか。「実は早くも漂着がチラホラあったんですけど、リセット直後の気分を思い出しながら描きました。皆さんの想いは青で表現したつもり」

 「これはね、私も感動した。で、higata@の皆様にもお見せしたらって言ったんだけど」

 「ま、考えときますワ。自分としてはまだ何かしっくり来ないとこがあって、その...」

 よくよく観察すると、青の間にグレーが紛れていて、どこか不穏なものを感じさせる。社会批評的な側面を投影させようとすると、どうしても翳が伴う。それが本来の川の姿であるなら、なおのことそれは忠実に表現したいところ。だが、環境を感じて興じてというのを優先させるなら、ネガティブな面はできれば出したくない。皆の笑顔を想うと、グレーな部分は打ち出しにくいのである。青の眩さとは裏腹に、そんな葛藤(コンフリクト)がこの水彩画には込められていた。


 食事もほぼ済んだ。次はバースデイケーキ、となりそうなところだが、

 「とりあえず、キャンドルだけ。申し訳ない」

 「まぁ、よっぽど舞い上がってたのね、櫻姉」

 「本当はミッドタウンのどこかで買って帰ろうと思ってたんだけど、ね、千歳さん?」

 ロングインタビューとか、泣き笑いハプニングとか、いろいろあったので致し方ないところではある。

 「そんな、今日だけでいったいいくつお祝いしてもらったかわからないくらいなんだから。もう十分でございます」

 と、恐縮する彼の眼前には、見覚えのあるキャンドルが。

 「この日のためにとっておいたのよ。フフ」

 夏至の夜に引き取り忘れて、櫻が預かっていた蜜蝋キャンドルである。益々恐縮する千歳だったが、何とか吹き消せた。


 にこやかなお二人を見て、蒼葉は思う。

 「姉さん、どこまで仕掛けたんだろ。宅に連れて来たくらいだから、きっと...」

 眼鏡の一件は秘密にしておこうというのは二人の暗黙の了解。だが、勘のいい蒼葉は何となくわかっている。「んじゃ、どうもおじゃましました。私は引っ込んでますんで、ごゆっくり」 毎度のことながら、よくできた愛妹である。


 お祝いはまだまだ続く。別棟ではお約束の発表会が執り行われるところ。

 「まずは、この間カラオケで流れた曲のレビューです」

 櫻はピアノに向かい、千歳は画家が使う丸椅子に腰掛ける。一曲目は、「キャットウォーク」の櫻流バラードバージョンである。原曲はリズミカルだが、櫻のは正しく弾き語り調。ピアノが切なく響く部分を巧みに強調し、清艶な一曲に仕立てている。時に囁くように歌う櫻だが、歌いながらキャットウォークを歩く、そんなシーンを思い描いているかのように背筋はしゃんとなっている。キャットと聞くと猫背になりそうだが、千歳も真にいい姿勢で聴き入る。

 二曲目、「花瓶」。カラオケで聞くのとはまた違う趣でしっとりと歌い、奏でる。間奏ではピアノが強めに入るところがあるが、そこはより情熱的に、しかもアドリブで長めに伸ばして弾きこなす。櫻が只者ではないことがこれでよくわかった。姿勢を保ちつつも前後にスイングしてみる千歳である。

 「千歳さん、いいわねぇ。歌姫の生演奏聴けて」

 「こういうのを贅沢かつ至福の時間て言うんでしょうね」

 「フフ、聴いてくれる人がいるから成り立つのよ、ね。じゃ、新曲行きますよ。『届けたい・・・』です」


 千歳自作の曲が櫻のピアノで再現される。よりメロディアス、よりメリハリが利いた感じ。「降り注ぐ 陽光(ひかり)集め 目覚めてく 動いてく 街...♪」 櫻らしい想いあふれる歌い出し。早くも傑作の予感。だが、歌詞は未完成だったようで、途中からはカンタービレ状態。歌を乗せられる曲であることがハッキリしただけでも成果は大である。

 「お粗末様でした」

 「いや、素晴らしい!の一言です。歌詞はまぁ、ゆっくり考えましょう。ン?」

 「千歳、さん...」

 櫻はゆっくり眼鏡に手をかける。...眼鏡を外すと何かが起こる、これは本日の一大教訓である。いいムードなのは多分にわかっているが、今日これ以上の進展はさすがにちょっと、と彼は左ペダル状態。プロセス管理というのは大げさとしても、この抑え加減が千歳らしいところ。それでも半年前に比べれば随分と進歩したものである。

 「さ、櫻さん、せっかくだからも一回、サビのとこ行ってみよう!」

 「何? ピアノレッスンですかぁ?」


 自室で何となく聞き耳を立てていた蒼葉は、

 「あれ? 鳴り止んじゃった。まぁ、あんまり遅くまで弾けないもんね...」

 と、トボけたことを云う。だが、心の中ではハラハラドキドキ。別棟(はなれ)が気になって仕方ない。程なく新曲のフレーズが鳴り出し、妙に安心したりしている。


 「もう、ほんとにクールなんだからぁ」

 愉しそうに弾いているが、内心は穏やかでない。夜遅い時分、少しは左のペダルを踏んだ方がいいのだが、抑えを外したい心理が勝り、むしろ右を踏んでしまう櫻である。千歳には彼女のそんな想いが十分過ぎるほど伝わっているので、とにかく鍵盤に向かわせようとムキになっている。せっかくの「届けたい・・・」がこれじゃ空回り、か。


 恋愛の秋とはよく言ったものだが、その形は多種多様。こんな過ごし方があってもいいだろう。二人が待ち合わせした時刻から、十時間超が経っている。千歳の秋の長い一日、略して「千秋(せんしゅう)一日(いちじつ)」、これにてひとまず完(これぞ千秋楽?)。

 

【参考情報】 自転車タクシー / 港区北青山三丁目の2つの店 / 国立新美術館から東京ミッドタウンへ / ミッドタウンとその周辺 / 乃木坂 TWILIGHT TIME



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