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九月の巻(おまけ)

先生を囲む夕べ

九月の巻(おまけ)

26. 先生を囲む夕べ


 蝉時雨はまだ続く。幾分しのぎやすくなったとは言え、余熱残る九月の黄昏時である。夏休みが終わり、センターにも日常が戻り、ちょっとアンニュイな午後六時。

 「あ、いらっしゃいましたよ」

 「よーし、今度こそ」

 千歳が来ると接客係が不在、というのがずっと続いている。

 「矢ノ倉さん、桑川さん、こんちは。櫻さんはどうせ... あれ?」

 カウンターを覗き込んでいた彼の背後に、小悪魔さんがやって来た。忍び寄る影...

 「ワッ!」

 「ナヌ?」

 振り向くと、櫻が大笑いしている。

 「櫻さん、あのねぇ。僕が小心者なの知ってるっしょ?」

 「へへ、三度目の正直ナノだ」

 「チーフ、接客担当者がこれでいいんですか?」

 千歳は苦笑いしつつも、責任者に注意を促す。

 「あぁ、千住さんは今日六時上がりだから、別にいいのよ。いいじゃない、モテモテで」

 六時上がりとは言っても、ここからがまたひと仕事。櫻はボランタリーな扱いで構わないと言う。「その方が気兼ねないしね。さ、始めるとしますか」

 カウンターには、文花が座る。今は眼鏡をかけているので、どこかの公共施設の受付係のよう。結構お似合いだったりする。webプログラムの詰めは、いつもの円卓で行われる。ある程度準備しておいた弥生は早速ブラウザを開いて見せる。

 「仮のIDとパスワードで、管理者メニューに入ります。メンテしたい団体は、一覧表から選びます」

 「団体名の一部を入れて検索、とかってのはないんだね」

 「あれって、手間がかかる割にはそれほど使われなかったりするじゃないですかぁ。今回はパスです」

 ピシャリとやられてしまった。櫻はだいたいの構成は頭に入っているので、今は流している。二人のやりとりを見ている方が楽しい。

 「で、基礎情報のメンテ画面がこれ。千さんがビシっと整えてくれてたから、比較的楽でした。一応、公開する・しない、というのを項目ごとに編集できるようになってます」

 「おぉ。感動的...」

 「これって、各団体でその都度更新してもらえるようになると、こっちは楽だけど、なかなかうまくいかないのよね」

 「まぁ、一つの方法としては、団体ごとの画面のURLをメールするか、画面コピーをそのままFAXするかして、定期的にメンテのお願いを配信する、ってのが考えられますね。直すところが特になければ返信無用でいいし、あればこっちが代わりに直せばいい。掲載中断ってところが出てきたら、それもその時まとめて対応すればいい訳で」

 「なーるほど。でも時期的には?」

 「市民団体の場合、異動時期とかあまり関係ないんだろうけど、目安としては、年度が終わった後、つまり四月に案内して、五月いっぱいてのが基本でしょうね。あとは、七月→八月いっぱい、一月→二月いっぱい、とか。でも、これができた時点で一回案内出さないといけませんね」

 基礎情報はこれでいいとして、課題はイベントやトピックスなど、頻度が高い情報をどこがどうメンテするか、である。

 「櫻さんと相談して考えたのが、掲示板機能を応用した仕掛けです。IDとパスワードは特に設けず、誰でも好きなように書き込めるんですが、記入者指定のアドレスに確認メールが届くようにして、そのメール文中にある確認画面のURLを開いてもらうプロセスを付けました。この確認画面でOKを押した時に、初めてwebに反映される、てな具合です」

 「ベリファイ方式っ言ったっけ。ま、そのひと手間を加えることで、ジャンク情報とかを防ごうって訳だ。さすがだねぇ。でも、確認し損なったりして、webに載る手前で宙に浮いちゃう情報って出てくるでしょ。それはどうなるの?」

 「ここがちょっと手間取ったんですけど、サーバ上の時計で120時間以内にOKが出なかった場合は、自動消去するようにしました。イベント情報の場合は、終了年月日を読み込んで、日付が変わるところでやっぱり消去、になります」

 「ま、サーバ容量まだあるから、多少はログを残しといてもいいけど。案外、過去情報を欲しがる団体とかもあると思うから」

 「はぁ、千さんもさすがだわ。櫻さんが惚れ込むのわかるわぁ」

 弥生を小突く櫻。業平と弥生のコンビも笑わしてくれるが、「櫻と弥生」ってのも大いに有り得る。コンビ名は春らしく、おめでたい感じに限る?

 三人で歓談しながら、ひととおりの画面操作を繰り返す。この調子だと十月には堂々オープンできそうだ。と、階下から足音が響いてきた。環境課の課長さんの御成りである。

 「これはこれは須崎さん、ようこそ」

 チーフが招いていたらしい。webプログラムの件を見越して、この時間に来てもらったようだ。いつもながら手回しがいい。

 「あ、千歳さん、初めてですよね。紹介します。かつての上司、須崎課長です」

 円卓に現われたのは長身で細身、眼鏡が似合う紳士然としたお方である。指輪をしてないところを見ると独身だろうか。だが、年齢はそこそこ行ってそうである。

 「三人娘から話は聞いてます。いろいろとお手伝いいただいているそうで。どうも初めまして」

 「僕も櫻さんから地域振興課時代の話、聞きました。何でも恩人だとか」

 名刺交換をするも、千歳がちょっと見上げる感じになる。

 「しかし、三人娘とはまたうまいこと言いますね」

 「いやぁ、何だか名物になって来たみたいで。隠れファンもいたりして、ね」

 「え、櫻さん、本当?」

 「ま、一番人気は千住 櫻さんで、あとの二人はおまけ...」

 今度は弥生が櫻を突付いている。愉快な光景だが、千歳は笑ってもいられない。櫻の一番のファンは今ここにいる、とでも言いたげな素振り。焦りすら見られる。

 「あ、課長、例のプログラム、できてきましたよ。プログラマーさん、お願いします」

 「エ? グラマーさんて? 何ちゃってね」

 弥生は黙っている限りはチャーミング、そして体型的にはグラマーの部類だったりする。課長の言う通りなのだが、この言動、セクハラコードに多少引っかかりそうである。結婚できないのはそのせいか。


 プログラマーだが、弥生は時としてインストラクターでもある。ケータイ画面操作時同様、流暢に説明を進めていた。が、課長殿が途中、

 「これ実際に動かすとなると、サーバの契約関係とかどうすればいいかね」

 と公務員らしい、ごもっともな質問を投げかけてきた。インストラクターとしては想定外。

 「前いた機関では、どんな形態でも見積書と請求書だけとって済ませちゃってましたけど、役所だとそうは行きませんよね?」 チーフがちょっと心配そうに答える。

 「隅田さんの名刺見ると、個人事業みたいだけど、そういうのって出せますか?」

 「えぇ、どんな様式でも」

 「矢ノ倉さん、いわゆる意思決定する会、そう理事会とかって、来月だよね」

 「今、定款案作りながら、何となく人選を考えてるとこですけど」

 「了解。役所はあくまでオブザーバーってことで、原則、会の決定を尊重するから、変なツッコミを受ける前に、様式そろえて通しちゃおう」

 なかなか話のわかる課長である。櫻を救った、いやうまく抜擢しただけのことはある。それはそれでよしとするも、千歳には他にも懸案があった。

 「情報サイトのURLに、何か指定はありますか?」

 「詳しくはよくわかんないけど、商用サイトだって見方さえされなきゃいいと思うよ」

 「.comじゃないから、平気ですね」


 窓の外は、夕闇が拡がり始めていた。そろそろ座談会の時間である。会場をセッティングする必要は特にないのだが、今回はプロジェクタが必須アイテム。千歳が投影チェックをしていると、十九時前、お約束の人物が少女に連れられてやってきた。

 「清先生、ご到着っ」

 「おう、須崎氏。それに、あぁ来てるね。隅田君」

 それぞれ会釈で応える折り、少々遅れて、八広が駆け込んできた。彼にしては定刻キープの方である。

 「あっ、宝木八広って言います。先生、ヨロシクです」

 「や、やつしろ? また言いにくい名前だな、そりゃ」

 「師匠、それじゃ熊本県の八代ですよ」

 「しょうがねぇだろ。いや、今日はしがたねぇ、だな」

 毎度のことだが、掃部節は全開になるのが早い。

 「では、センセ、何から始めます?」

 今夜のテーマは、紙燈籠の検証、水位低下後干潟の考察、干潟水面に漂っていた油膜の実態把握、そして時間があればだが、世代間対話が予定されている。

 「まずは、しがたの話だろな」

 「じゃ、ここに映しますんで、ご覧ください」

 「ホォー」

 千歳は、予め用意しておいた画像をスライドショー形式で送れるようにセットしておいた。「櫻と弥生」には増水翌朝にここで一度見せているが、その漂流ゴミの画像を手始めに、一昨日の干潟の一部始終をつなぎ、ひとまとめにしたもの。選別はしたものの五十枚はある。某研究員ほどではないが、多少はプレゼン慣れしている千歳にとって、画像を送って話すだけ、というのは至って平易。だが、中学生にもわかるように、となると勝手が違うか。小梅は、父と姉から別々に話を聞いて、それなりに衝撃を受けていたが、聞くと見るとでは大違い。プレゼンの難易には関係なく、目を丸くしている。百聞は一見に、いや小梅としては、すでに百見は一実感に如かず、というのを心得ていたので、「やっぱ、何かあったら足運ばないと」と思いを新たにするのであった。

 そんな現場主義と来れば、ズバリこの人、小松南実さんである。彼女の甲高い靴音が聞こえてきたが、それと重なるように、もう一人分の音が交わる。そのまま階段を上がってくるものと思いきや、その音は途中で止まってしまった。プロジェクタからは、増水後の水没干潟と一昨日の復活干潟を上下に並べた編集画像が映された状態。プレゼンは一時保留となる。

 「あれ? 確かこの二階だったはずだけど」

 出入口のドアは半開き、センター内の照明は暗め、行く先を間違えたか、と南実が中段で立ち止まったところで、蒼葉が追いついてきた、というのが足音の経緯(いきさつ)である。

 「あ、どうぞ。座談会にいらしたんですよね」

 「えぇ。あなたはここの方?」

 「いえ、ここの職員の妹です」

 higata@で、名前は見ていたが、まさかこの見目麗しい女性があの...

 「もしかして、千住さんの?」

 「蒼葉と言います」

 このお二人、これまでずっと入れ違いが続いていたが、ここへ来てやっとこさのご対面である。

 南実はあえて名乗らなかったが、中に入るや、それも虚しく、

 「あっ、小松さん、いらっしゃい。あら、蒼葉ちゃんも一緒?」

 弥生が気付いて声をかける。一昨日に続き、またしても場の空気を乱すことになろうとは。だが、本人に全く悪気はない。


 「小松さん? あなたが!」

 姉の恋敵、覚悟!とやりそうな勢いだったが、南実は涼しい顔で、

 「モノログの静物画、見ましたよ。今度またスケッチして見せてくださいな」

 早々と懐柔策を打ち出す。蒼葉は思う。「こりゃ手強そう...」


 「蒼葉さん、もう平気なの?」

 「何が、ですか?」

 「その、夏バ...」

 姉はあわてて遮るも、妹は何の気後れもなく「私、この通り華奢(きゃしゃ)なもんで。この間はちょっと眩暈(めまい)がしましてね、アハハ」と軽口であしらう。眩暈と言えば、誰かさんと同じだが、ちょっと意味合い、重みが違う。姉妹の眩暈、なんて洒落は通じないのである。南実は「あの姉にして、この妹かぁ」と心の中で溜息をついていた。姉想いの妹、というのは最も手を焼きそうな存在である。


 「さ、美人さんがそろったところで、続き続き」

 干潟のビフォーアフターを見ながら、先生が話を継ぐ。

 「いいかい、ここまで水嵩が増して、しかも濁流轟々(ごうごう)と来たら、ただの崖地だったら崩れちまうんだ。このヨシ群生が根を張ってたおかげで、この通りさ。地形を保つ仕組みは山林と一緒な訳よ」

 「でも先生、六月君が引っこ抜いたら崩れちゃったよ」

 弥生は少々恥ずかしげ。「小梅ちゃん、フォローになってないよぉ」 俯いたままである。

 「あれはね、古いヨシだった、てのと、根元が弱ってたせいか、元々土がえぐれてて、崩れるのが目に見えてたんだな。でも、この下の写真見ると、上流から土が運ばれたか、元に戻ってんだろ。再生ってのはこういうのを言うんだろな」

 続いては、漂着ゴミの見本市。これでもかと映し出される。随分と真面目に撮っていたものである。その撮影係がここで質問。

 「そうだ清さん。この生活用品の類って、川に来た人が棄ててったって思えないんですけど、実際どうなんでしょ?」

 「増水で、野宿さん家(ち)がやられて流れ出ちまったってのもあんだろね。幸い犠牲者が出るには至らなんだが、タイミングが悪かったりすると、ご遺体が打ち上がるってことだってあるんだ。おっと、口が滑っちまった」

 時すでに遅し。女性聴講者は全員、男性三氏も固まってしまった。

 「お師匠さん、やっちまいましたね」

 「ま、あそこは大丈夫さ。皆の善意であふれてっから」

 とは言っても、大魚が打ち上がるのは既知の事実。文花シフトで、ハクレンの遺骸写真は外しておいたので、この後「キャー」とかならなくて済んだのがせめてもの救いである。

 「ゴミを出させないのが先決なんでしょうけど、漂流する前に防ぐ手立てってのはどうなんですかね?」

 千歳が何とか通常モードに持ち込む。

 「看板とか設置しても、望み薄だし、某建設省みたいに警告看板を流しちまうこともあっからなぁ。よその川では、お地蔵さんだか、注連縄(しめなわ)付けた丸石だかを置いて、天罰をほのめかすようなことやってるって聞くけど、根本的な解決策とは言いにくい。まぁ、今みたいにコツコツ調べて、ゴミの元が特定できればその会社に話を持ちかけるってのが現実的だろな」

 一昨日不参加だった蒼葉と文花、漂流漂着ゴミの現実を初めて見せ付けられた辰巳、この三人は固唾を呑んで、スクープ系のクローズアップ写真を見つめている。他の六人はおさらい中。

 「パンダのぬいぐるみだ。でもクロクマみたい」 と小梅が反応すれば、

 「あ、奥宮さんが拾った、いや落としたスプレー缶...」 弥生も辛口を発する。

 観衆の生の声を活かすべく、千歳はナレーションなしで、淡々とスライドを送っている。このままゴミの紹介で終わってしまうと淀んだ空気になってしまうところだが、そこは隅田プレゼンター。「で、皆さんのお力で、ここまで復活した訳です。めでたしめでたし」

 美観を取り戻した干潟が大写しに現われ、拍手が起こる。先生もこれには絶賛である。

 「ところで、隅田君さ、川面が変な光り方してたよな。油でも浮いてたか?」

 「さすが先生、実はこの続きがありまして。ただ、ここに映し出すのはちょっとどうかなって...」

 「皆さんもう免疫できてるから大丈夫よ。ね?」

 「じゃ、リーダーのお言葉に甘えて。行きます」

 「あ、あの時の油膜...」 南実が声を上げる。

 「で、これがその時に掬った水です」 千歳はペットボトルをかざして見せる。

 「そうか、近くに動物の亡骸とかなかったかい」

 「着いた時は大きな...」

 「ハクレンが打ち上がってました」 再び南実の声。蒼葉はやや冷めた目で隣人を見る。

 「あとは、あの草の束かもな。どっちにしても天然成分さ。火が点いたらお立会い!」

 「あら、センセ。今、ちゃんと火って」

 「火曜日の奇跡ってヤツさ。シシシ」 奇跡は一度だけ。ヒヒヒとはならない。

 すっかり場がほぐれたところで、まずはその油脂成分のCODを調べてみることにした。五本一セットのパックテストを持ってきた文花がまず手本を示す。

 「この後、燈籠も調べるから、ここでは二本ね」

 ピンを抜き、チューブを折り曲げて空気を抜くと、ミニカップに注ぎ替えておいた油水の中に手際よく突っ込む。野菜を扱う人だけに手先は器用と見た。吸い込み口に油分が詰まりそうだったが、水は何とかチューブに吸い込まれ、化学反応が始まった。

 「ま、五分待てば、わかるでしょう。これと比べてみてね」

 標準色見本とやらが出てきた。これで白衣でも着用していれば、正しく研究員である。櫻はそんなチーフがちょっと眩しかった。

 待ってる間にもう一本、ということになり、小梅助手がトライする。

 「あ、石島さん、逆流させないようにね」

 「ウヒョ、結構力要りますネ」

 座談会のはずが、急遽水質調査大会になってしまった。主任と助手に注目が集まる。似たような関係で師匠と弟子というのがあるが、その清と辰巳については、傍観しながら雑談中。環境課に移ったからにはちゃんと見ておいた方が良さそうだが。

 「あくまで参考値なんだけど、この紫色付近だから、四から五mg/lってとこかしら。そこそこ汚れてるわね」

 「何の油かってのはわかんないんスね?」 ルフロンがいないと調子が上がらないのか、物静かな八広だったが、ようやっと口を開いた。

 「ま、匂いとか、あとは味覚? 何ちゃって」

 「あーぁ、また始まったワ。八さん、チーフの言うこと信じちゃダメよ」

 「櫻さんはいいから。隅田さんと燈籠の準備!」

 「二人ともふだんそんなノリでしたっけ?」

 眼鏡の女性どうしがやり合ってる、てのが八広にはまた可笑しかったらしい。小梅はもっと掛け合いが続くものと思っていたのでちょっと拍子抜け。兎も角、辰巳が「名物三人娘」と称したくなるのがよくわかるくだりである。これに弥生が加わるとどうなるか、その答えは自明?(これ即ち、トリオ漫才?!)


 スチロール箱ともども、紙燈籠が運ばれてきた。発見から一カ月が経ち、程よくくたびれた感じになっている。何とか原型をとどめているのは、日の当たる窓辺に置いといてもらったおかげ。

 「そうそう、これだよこれ。俺、捜してたんだ」

 まるでレアな記念切符をゲットした時の某少年(?)のように色めき立っている。

 「まぁ、調べるまでもないかも知れないけど、一応ね」

 文花は、本体から分離してしまった一片をピンセットで取り出し、大きめの食品トレイに移すと、水道水を足し、攪拌してみせた。さながら理科の実験のようである。先の要領で、今度は弥生と八広が挑戦。だが、

 「ありゃ、吸い込む量、少なかったりして...」

 「こっちは手に付いちゃったスよ」

 「ヤレヤレ、二人とも見かけによらずブキねぇ。もう一本残しといてよかったワ」

 かつての助手が指名され、サラリと扱ってみせる。

 「小松さん、さすがねぇ」

 「粒々を分けるのよりは簡単ですから」

 櫻が南実と普通に会話してるのがどうにも腑に落ちない蒼葉であった。「一昨日、何か違う展開でもあったのかな?」 パックテストのように人の心理もパッと見で調べられる器材があれば、てなことを考えたりしている。

 このように活きたデータも扱ってこそ、環境情報センターである。測定値は案の定、「八、超えちゃったわねぇ」 八広は「八」と聞いて一瞬動揺するが、標準色見本を見て、納得である。「ハハ、確かに」 低濃度用のパックテストでは薄緑を示したら、そこまで。八mg/l以上の値は詳しくは測れない。

 「でも、これっぽちでそんなに汚れるものなんスか?」

 「ホラ、印刷した部分てインクの油が残ってるでしょ。多分それでだと思う」


 八つながりか、時刻はちょうど八時。座談会というよりは、報告会、いや検証会、まぁ一同にとってはいい勉強会になった。先生は気を利かしてか、

 「こいつは俺が預かるよ。専門機関に知り合いがいっから、タダで調べてもらうわ。よろしか?」

 「あら、それはそれは」

 と、ここでお開きとなるはずだったが、断続的に強い雨が降ってきた。

 「あちゃー、また増水したらどーすんだぁ」 帰途の心配よりも川の心配が先に立つ八広である。

 「そしたらせっせと復元するのみ。エクササイズ、好きっしょ?」 千歳は余裕のご発言。雨が一段落するまでは皆さん動きがとれないだろうからと、再びプロジェクタを操作し始める。「ここからは余興です。ご覧になった方も多いでしょうけど、『漂着モノログ』、どうぞご鑑賞ください」

 今となっては懐かしい四月のスクープ系に始まり、五月の回、そして掃部公を見かけた予備調査の様子... ブラウザでブログを出し、それをプロジェクタに投影するだけ。使い勝手がいいものである。

 「おっ、この絵は何だい? 鬼気迫るものを感じるなぁ」 

 「蒼葉画伯の作品です」

 「ハハ、お恥ずかしい」 画家は首をすぼめる。

 「へぇ、正に才色兼備、ってか」

 「あ、そうそう。先生、これ落とされませんでした?」

 蒼葉の手には、一本の上物(じょうもの)筆。持ち主の手に戻る、その瞬間が来た。拾得してから、実に五ヶ月余り。

 「おやおや。確か三月だったな。ここより上流の方、散歩しててさ。何かの弾みで落としちまって、そのままだったんだ。でも、何でまたお嬢さんが?」

 名前というのはちゃんと刻んでおくものである。K.K.は正に「Kiyoshi Kamon」その人の物だった。

 「四月一日に姉からもらったんですけど、エイプリルフール土産だとか言って、ちゃんと教えてくれなくて」 櫻は「へへ、恐縮です」と小声でつなぐ。姉を一瞥、いや目配せし、「問い詰めたら、干潟で拾ったって、白状したんです」と明かす妹。筆をめぐってそんな一幕があったとは...

 蒼葉の言動には強さがある。八月五日の一件で千歳はそれを承知済み。詰問となれば、櫻もタジタジだっただろう。姉の彼氏は、ちょっと複雑な思いであった。

 「でも、この筆、さっきの絵、描くのに使ってしまいまして...」 正直に話すも、さすがに川の水で絵の具を溶いて、ということまでは言えなかった。

 「はは、俺が使うと花粉をくっつけられたり、泥を拭かされたりすっから、筆としては画家に使ってもらうのが本望だと思うよ。大事に使ってやって頂戴」

 「あ、ありがとうございます!」

 こうした展開を呼ぶとなると、モノログの存在意義、大したものである。ここで八広のコメント。「何かドラマチックな話スねぇ。筆の一件だけで短篇モノですよ。これは!」 弥生と小梅は、スクリーンを眺めながらも和やかに談話中。辰巳は豪雨が気になるようで、立ったり座ったり。長身なので目立つ目立つ。


 八月の回の八広ルポが反響を呼んだのは周知の通りだが、昨晩載ったばかりの最新ルポの方はどうだろう。ブラウザ上では字が小さめで読みにくい面があるが、今は拡大表示されているので、著述家の目にもハッキリと読み取れる。

 「こりゃ随分と大仰(おおぎょう)に出たもんだなぁ。ゴミじゃなくて資源てぇのはごもっともだけどさ、社会構造云々てのは、しや、もとい、飛躍し過ぎじゃねぇか」

 「いえ、ゴミってのは負の連鎖の産物だと思うんスよ。その連鎖の元をたどると、団塊の皆さんのイケイケ路線だったり、いわゆる大量生産・大量消費、それに大量リサイクルを是とする精神性だったり、その辺が組織的・構造的に固着しちゃってんじゃないかって。ゴミを片付けてると、社会の歪み? みたいの感じます」

 「宝木君さ、君の義憤はよくわかるよ。でも、このままだと主張が前面に出過ぎててさ、共感が得られねぇんじゃ... 著述てのはよ、書き手と読み手の対話の場を提供することなんさ」

 八広は、激論になるのを覚悟で論破したつもりだったが、何枚も上手の先生には到底敵わない。著述の観点からさらりと受け流されてしまった。確かにその通りと受け止め、口を噤(つぐ)む。

 千歳、辰巳、南実はこの緊迫した場面に居合わせていたが、「管理人としては不用意だったか」「さすがは師匠、そう切り返したか」「これが掃部流の真骨頂?」と各々感想を抱くも、言葉は胸中に収めている。社会科学的考察としても良さそうな題材だったが、弥生は「文系の議論は難しそうだわ」といった調子で遠巻きにしていた。時は静かに流れ、雨の音がこだましてくる。

 文花は、延長戦に備え、ご自慢の珈琲を淹(い)れ始める。櫻はと言えば、小梅がそろそろ退席するというので、前々から暖めていた計画の一端をここで切り出す。

 「小梅さん、これちょっと読んでみてくれる」

 「グリーンマップ? あ、このシール、何かカワイイ」

 差し出されたそのパンフレットには、綴じ込みで「アイコンシール」なるものが付いていた。

 

 「もっと涼しくなったらさ、一緒に街歩きしてみない? マップ描きながら、このシール貼ってくの。シールは自分で作ってもいいんだ。どう?」

 「蒼葉さんは?」

 「いいけど、どうして?」

 「お絵描き、習いたいなって思ったの」

 「じゃ、四姉妹でやろっか」

 こうして櫻の「いいもの」(番外編)が動き出す。小梅は下の図書館で引き続き雨宿り。雨が小康状態になったのを見計らい、程なく須崎課長も退場した。


 八人分の珈琲が運ばれてきた。有意義だが、モノだけに物議も醸すモノログは、九月の回が映し出されたまま。照明が暗めとは言っても、プロジェクタの消費電力は馬鹿にならない。ここは一旦、電気を切り替え、コーヒーブレイクと行きたい。

 「いやぁ、このコーシー、いいねぇ。昔を思い出すよ」

 「え、先生、昔って?」

 櫻は何の気なしに、聞いたつもりだったが、

 「そうさな、家内に淹れてもらってた頃だから、十年以上前、かな」

 「ヤダ、センセ。もらってたって。今もいらっしゃるんじゃ? まさか...」

 「熟年離婚とかじゃねぇぞ。その、な?」

 これ以上お訊きするのは憚られたが、しとり身の先生は実のところ話し相手が欲しくて仕方ないご境遇。自分からポツリポツリ話を始めた。

 「さっきの話じゃないけどよ、昔イケイケだったのは仰せの通り。でも団塊ってヤツはよ、その名の通り、団子になって競争するようなもんだから、否が応でもそうなっちまう。俺なんかも多分に漏れず、その一翼を担ってた。事もあろうにゼネコン、いや中堅だったから小ゼネコンか。まぁとにかく壊しちゃ造っちゃの繰り返しよ」 ようやく座談会、いやこうなると独演会か。円卓を中心にしつつも、いつしか先生を囲むような配置で席が取り巻いていた。

 「清さんにその辺の話をお聞きしようと思ってたんですよ。八広君はあぁ言うけど、団塊世代の方もご苦労があって、何らかの言い分もあるんじゃないかって」 モノログが引き起こした波紋の責を負うべく、管理人が取り次ぐ。

 「いやぁ、好き勝手やって来たってことに関しちゃ、弁解しようがないさ。でも、こんな俺でも分別があったらしくて、バブルの最中にこりゃマズイと思って飛び出した。それまでも疑問には感じてたんだが、家内の具合が悪くなってきてよ。いよいよ潮時だなって」

 このままだとコーシーが冷めてしまいそうだったが、この際、関係ない。話は続く。

 「ありきたりかも知れねぇが、がむしゃらに働いてたら、そのシワ寄せが身内に来ちまったってヤツさ。それを悔いて、そのイケイケとやらを是正できないかって考えた。カッコつけて云やぁコンサルだぁな。手近なとこで荒川とかその支流に関係するところを当たって、工場が閉鎖になったら、その跡地に在来の生態系を戻す、三面張りとか暗渠とかの工事がされかけたら、とにかく自然地形に直させる... さんざ歩き回ってたら、蟹股になっちまった訳さ。バブル後はゼネコンも苦しかったから、この手の公共工事は落とせない。役所は役所で既定路線を変更したがらないのが常軌だろ? 艱難(かんなん)の極みだったがよ、『長い目で見りゃ禍根を残すぞ』って説得して回ったんだ。でもな...」

 掃部公は、目をしばつかせて、ひと呼吸おく。

 「これも結局はイケイケ体質の為せる業だったんだ。かえって家内の面倒が見れなくなっちまって、それで...」

 「先生...」 七人の二十・三十代諸君は、言葉が出なかった。辛うじて南実が口を開く。

 「著作を始められたのは、いつ頃からだったんですか?」

 「あぁ、バブルが明けたくらいかな。長考の末に一本書き上げたんだが、家内にはあんまり芳しくなかった。『怒りじゃ人は動かない。共感が得られるものを書かないと。』てさ。で、言うこと聞いて、恢愎(かいふく)祈願も兼ねて、自然再生論を次に書いたら、『そうそう』って、泪まで流してさ。汚い字の原稿だったけど、一応最後までまとまってたのが救いだったな。発刊を待たずに逝っちゃった...」

 女性陣は目が赤くなっている。詩人の八広はその感受性の高さ故、感極まって声が出そうになっていたが、何とか堪(こら)えた。今夜の雨は、涙雨だったということらしい。

 「おいおい、皆の衆、今日は通夜じゃないよ。実の子ってのもあいにくいねぇ身の上だが、俺には皆がいる。俺ら世代のツケは回させねぇ。これからも一緒に手伝わせてくれよ、な?」

 気付けば笑顔を交し合っている八人がいる。雨は上がり、時は九時。世代間対話、いや先生を囲む夕べは、こうして一幕となった。


 南実は何かが吹っ切れたような面持ちで蒼葉に声をかける。

 「ねぇ、蒼葉さんて、通販カタログに出てる人?」

 これには蒼葉も相好を崩すしかなかった。

 「どうしてわかったんですか?」

 「先月の... 晩夏特集だったかな。その時に出てたのと似た服だったから、ふと」

 今度は櫻が不思議そうに二人を見ている。「あれれ?」


 カウンター付近には、帰ろうとする先生とそれを引き止めるチーフがいた。元気付けて差し上げたいという想いもあってのことのようだが、会話内容がちと怪しげ。

 「センセ、折り入ってご相談したいことがあるんですが、今月中、そう火曜日の夜、いらしていただけません?」

 「こりゃまたゾクっとするねぇ。いいけど、何だい? 魚の調理法ならお易い御用だぜ」

 「紙燈籠の結果とあわせて、でいいです。ま、とにかくその時に」

 文花はこれで結構、掃部キラーだったりする。センターの十月以降の進境にこれで一つ布石が打たれた。

 プロジェクタを片付ける千歳の姿を見つけると、思い出したように清が近寄ってきた。

 「そうだ、隅田君よ。さっきのあれ、何だっけ?」

 「ブログのことですか?」

 まだ何となく放心状態の彼だったが、ちょっと考えてから真顔になる。

 「今、ブログのこと聞きました?」

 「俺にもできるのかい、その付録、いやブログ?」

 「清さん、パソコンはお持ちですか?」

 「今は何とか使えるようにはなった。原稿書くのに、し、ひ、必須だかんな」(必須の度合いがよくわかるセリフ回しである。)

 ノートPCの方はまだOFFにしてなかったので、そのまま要領なんかを概説する千歳。清に息子がいたら、こんな絵図も有り得たかも知れない。弁舌が立つ点で共通する八広と弥生だが、今はしんみりしつつ、そんな二人を見守っている。

 「問題はインターネットがちゃんと俺の言うこと聞いてくれるか、だな」

 いつもの高笑いが戻ったところで、自分では入門したと思っている弟子のお嬢さんがやって来た。

 「掃部先生、今日持って来たんです。さっきの名著」

 「ほほぅ、小松ぁん。それはまた殊勝なことで」

 「サインしてください!」

 「俺のサイン、高いぞ」

 とか言いながらも目尻が下がっている。好々爺というのはまだ早いかも知れないが、かつては闘士だったというのはとても信じ難い、著者、掃部清澄であった。

 「ありがとうございます。後生大事にします」

 「いやいや、ボロボロになるまで読み込んで頂戴よ。その方が家内の供養にも... いけね、また余計なこと、ハハ」

 首を振る南実。彼女はそのまま寄り添うように、先生とセンターを後にした。師弟でもいいが、これまた父と娘のような趣である。


 「先生帰ったら、何か寂しくなっちゃったわね」

 「何を仰いますやら、文花さんらしくない。これから、ですよ!」

 ここからが第二幕。長丁場に臨む六人は、文花、千歳、櫻、蒼葉、八広、弥生の選抜メンバーである。清の話を聞き、皆一様(いちよう)に勇気と力を得た気がしていた。次回のクリーンアップに向け、協議に熱が入る。珈琲が冷めていようが構わない。


 higata@メンバーの集合は九時半、開始時刻は十時。当日の役割分担は、文花が各種器材・備品の搬入(クルマ乗り付け)、千歳はその器材のセットと撮影諸々、櫻がいつものコーディネーター(兼 受付)をやれば、蒼葉は櫻のフォローと参加者お世話係、八広は主に監視役、弥生は自ずと分別・集計の元締、ここにいる六人については概ねそんな役回りということで一致した。

 「荷物番はどうしましょうか?」

 「また魚と遭遇すると皆さんにご迷惑かけるでしょうから、私が」

 「まだダメなんですかぁ?」 弥生のツッコミが入った、ということは...

 「だって、この間はハクレンが上がったんでしょ。聞いただけでもう」

 ホワイトボードの傍らで両手を挙げてみせるチーフ。櫻はペンを取り上げると、ボードにハクレンと書き綴り、

 「じゃ、皆さん大きな声でどうぞ!」

 「キャー」

 「櫻さん、また逆襲されても知りませんよぉ」

 「平気よ。千歳さんがついてるもん♪」

 名物三人娘のショートコントはこんな塩梅である。

 他メンバーの分担、実施手順のまとめ、注意書きの文案、そして参加者の募集の仕方等々、これらは引き続きメーリングリストで議論し、下見を兼ねた打合せ日についても同時に調整することにした。

 「毎月やってるから、改めて下見することもないんでしょうけど、何度やっても損がないのが下見だって言うのよね」

 「あ、自分、ヒマさえあればいつでも行こうって、今日思い改めました」

 「先生も前に『地元の大自然、荒川へ』って仰ってたし、ね」

 櫻のこのまとめを以って、今日は終幕。時計は十時を指している。雨音に代わり、秋の虫の音が静かに、そして深く響いていた。魂を鎮めるが如く...

 

【参考情報】 イベント情報の載せ方いろいろ / いざ、パックテスト!


嗚呼青春、十八切符之旅

27. 嗚呼青春、十八切符之旅


 台風一過、九月九日は、この上ない上天気となった。青春18きっぷというのは、二人以上で使う時は、同一行程で動くのがルールなので、出発駅が異なる場合は、どちらかの駅に合わせないといけないのがネックであり、メリットでもある。「これも千歳さんのトリックかしら」とか言いながらも、櫻は軽やかに自転車を飛ばしていた。待合せの駅へは徒歩で行けなくもないが、これまで数度、彼のマンションのゴミステーションに同行しているため、勝手知ったる何とやら、自転車を内緒で駐めさせてもらうつもりでこうして走っているのである。(弁当を用意するのに手こずって出発が遅れた、というのが元々の理由ではある。) 橋を渡っているとどうしても干潟に目が行ってしまう。「一昨日の台風、それに増水、どうだったんだろ?」 グランドに溜まった水がまだ退けてないこと、枝の束がグランド脇などに積まれていること、など大まかなところはわかるが、眼鏡の具合があまりよろしくないらしく、干潟が再水没して、ゴミがまた大量漂着(いや沈着か)したことまでは、どう凝視してもつかめないのであった。兎にも角にも、今日のところはクリーンアップの件は二の次。三十路であっても青春気分(?)に浸れる十八切符の旅、これが本題である。

 よくよく考えると、朝の待合せは早くても九時台というのがこれまでの二人。今日は新宿を九時六分に出る「ホリデー快速」に間に合うように動いているため、正しく「おはようございます!」の時間に顔を合わせている。六月君から仕入れた情報によると、「人気があるようなので、出発二十分前には着いてないと」となり、余計に早くなっている。

 かくして、その二階建て車両の二階席に無事落ち着き、出発を待つことになる。この列車、山梨方面に行くのがウリなので、小淵沢まで行って、小海線のハイブリッド車両「こうみ」に乗ってみる、という選択肢もあったのだが、「それだと、清里とか野辺山とかに行って戻ってくるだけですもんね」ということで、当初予定通り、荒川の上流とか中流とか、何でもいいからぐるっと廻って戻ってくるルート、で落着した。

 九時十九分に三鷹を出ると、下り列車は高架線を走る。東京西郊はふだんご縁がないので二人して、「ありゃ、いつの間に?」となる。新たに見渡せるようになった南側の風景は、二階席ということもあり、より広がりを感じさせる。この方角は山らしい山もない。「ビューやまなし号」とはよく言ったものである。

 higata@の方は、lefront@さんと、edy@さんが加わって、何となく賑やかになり、下見を兼ねた打合せの件も思いがけない提案から、より盛大なものになりそうだった。

 「私、荒川の船下り、初めてなの。千歳さんは?」

 「隅田川を走る水上バスには乗ったことあるけど、荒川はないねぇ」

 二人の眼下には、台風増水に見舞われた後の浅川が流れている。川を見ていると、どうしても地元の話題になってしまうのだが、降車駅が近づいてきた。

 「なぁーんだ、四十分弱で着いちゃうの。ホリデー快速だから、のんびり走るのかと思ってたのに」

 ツッコミどころではあったが、千歳は「なるほどねぇ」とか言っちゃってのんびりしている。

 「弥生ちゃんのツッコミ、見習ったら?」

 「ビューっていうくらいだから、速いんだよ」

 ワンテンポずれている千歳だったが、下車するのは早かった。これぞビュー状態(?)である。九時四十四分、八王子着。ここから荒川上流方面をめざす訳だが、ローカル線の旅はビューとはいかない。

 「はぁ、乗換、三十分。駅前、散歩しますか?」

 探訪が趣味の千歳、地域のネタ探しがお好きな櫻。趣向が共通していると、こういう時、バタバタしなくて済む。それにしてもよく晴れたものだ。

 「櫻さんて、やっぱりハレ女?」

 「そういう千歳さんは? ハレ男、いや、ハレ王子かな」

 確かにここは八王子だけど... いつもながら、舌好調の彼女である。


 次は十時十五分発、川越行きに乗る。

 「あら? ドア閉まってる」

 「どうぞ、櫻姫」

 千歳はドア横のボタンを押して、乗車を勧める。ドアの開閉はセルフ式。八高線ではこういうエスコートができるのがポイントである。

 箱根ヶ崎~金子~東飯能と北へ向かう車窓の眺めは、森や緑が目立つ。先刻までは雑談中だったが、今は黙々と景色を楽しむ二人。入間川に差し掛かった。悠長にも犬を水浴びさせている一行がいる。

 「ここも増水したんでしょうね。今また水が来たらどうするのかしら?」

 「漂流犬になっちゃうのがオチ...」

 「笑えないんですけどぉ」

 小宮~拝島間では多摩川を渡っていたのだが、うっかり見過ごしてしまった。その分、この入間川に注目が集まった訳だが、犬に話題をさらわれているようではまだまだである。

 さて、時刻表(ケータイではなく、あくまで冊子)で、ある程度の乗換なり接続なりを調べておいた千歳は、高麗川から先へ乗り継ぐまでの空き時間を見越して、

 「じゃ、このまま武蔵高萩へ」

 「あら、ここで乗り換えるんじゃ...」

 「次の高崎行きまで、四十分空くからね。一駅行ってまた戻って、てのはどうかなと」

 「高麗川で曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が見頃って聞いたけど、ここじゃないの?」

 「その巾着田(きんちゃくだ)までは、徒歩で片道四十分なんだって」

 「まぁ、よくお調べで」

 という訳で、列車主体の旅は続くのであった。千歳としては曼珠沙華も悪くはなかったが、「この天気、この気温じゃあね」というのもあった。帽子を被っていない櫻が、このカンカン照りの中、外を出歩くとどうなるか。まして、お顔が日焼けすることにでもなったら。

 「櫻さん、日焼けすると、眼鏡の跡とかってつきませんか?」

 「現場出るときは一応帽子被ってますからね。この間はルフロンのおかげで曇り気味だったから、被らなくて済んだけど」

 眼鏡が気になる千歳である。彼女は彼氏の前ではまだ、眼鏡を外していない。

 かつてはローカル色豊かな小駅だった武蔵高萩。今はちょっと立派な駅舎になっている。

 「北があさひ口、南は『さくら口』!」

 お誂(あつら)え向きの「さくら口」を出ると、小さな駅前通りが伸びていて、両脇には桜らしき並木が青々と葉を揺らしていた。

 「千歳さんたら、ここに連れて来たかった、てこと?」

 「いえいえ、偶然ですよ。むしろ櫻さんに招かれた感じ」

 「正直ねぇ。こういう時は多少見栄張ってもいいのに」

 そうは言っても嬉しそうな櫻は、「ブロマイド写真、お願いします!」と来た。題して「桜の木の下の櫻さん」。これはまた絵になる。

 「拡大プリントして貼ろっかな」

 「じゃ、出演料頂戴っ」

 並木道を往復すると、ちょうどいい時間。十一時三十八分発の川越線で再び高麗川へ。そしてここからが本日のメイン行程となる。ディーゼル列車に揺られての旅、時間にして百分である。

 ディーゼル列車は、対面式の二人席が設けてある。夏休みが終わり、行楽客も少なめのようで、難なくその一席を得た二人。「向きは交代交代で行きますか」 これまたカップル向きの設定である。八高線の評価は上々となる。

 十二時二分、明覚(みょうかく)で席を交代したら、お弁当の時間である。このクロスシートの欠点は、折り畳みテーブルとかがないこと。だが、櫻手製のデリランチにテーブルは要らない。数種類のパテネタをパンに乗っけて頬張るだけ。副菜の豆サラダは別の器に小分けしてある。

 「お昼、すっかりお任せしちゃって、すみません」

 「いやいや。18きっぷ代を考えれば安いものです」

 「じゃ遠慮なく、いただきまーす」

 車窓を流れるのは、より傾斜のある丘陵、より深い森林。時には竹林、あるいは、暑さにうだるヒマワリ畑。二人の会話もゆったりと流れていく。折原に着く頃にはお昼は食べ終え、再び座席交代。この後、通り過ぎる荒川を撮影するには、この進行方向席ならバッチリである。

 十二時二十五分。ここは荒川の中流か上流か。多少徐行しながら列車は橋を渡る。程よい蛇行、白々とした中州、濁りが残っている観はあるが、総じて清らかな流れである。サギがウロウロしているのは川魚が居る証しか。

 「台風の時ってどうだったんでしょ?」

 「九月七日の朝四時とか五時とか、四メートル近くあったんだそうで」

 「じゃ、あの河原とかも水没?」

 「蛇行してるどこじゃないでしょうから、川幅全部使って、ゴーッて、ね」

 話はそのまま地元の増水状況に。

 「河川事務所の情報だと、七日の夜から八日の早朝にかけて、五メートル前後にまで増水してたみたい」

 「エーッ、そんなぁ。じゃ、干潟は?」

 「八日の朝に一応見に行ったんだけど... モノログに載せるのはちょっとどうなかって」

 「皆、ガッカリするからってこと?」

 「干潟の方は水位が下がった後じゃないとわからないけど、とにかくグランドの脇とかにも漂着ゴミが散らばってて、その...」

 寄居を過ぎ、今はのどかな田園風景の中を走るディーゼル車。言葉少なの千歳に対し、櫻はエールを送ってみる。「現地情報は皆で共有しなきゃ、ね?」

 後日、視察しに行って、グランドと干潟と、とにかく増水後のあるがままをモノログに載せる、ということで話はまとまった。会話は通常モード(?)に戻る。

 「それにしても、『用土』って、どうよ?」

 ここは彼女に一本か。いやいや、彼も負けてはいられない。

 「土用が丑なら、用土はウマ?」

 「マイナス1,000点てとこスね。せっかく今日で20,000点だったのに、あーぁ」


 あと二十分弱で終着。県境を流れる川を越える。

 「これって利根川?」

 「神流川(かんながわ)、だそうです」

 「川の神様に出会える場所、かな?」

 短冊に込めた願いを再び思い出す櫻。心の中で「ありがとうございます」と呟く。そんな彼女の想いも乗せて、列車は快走する。そして百分後きっかり、十三時五分、高崎に到着。ローカル線の旅は続いているのだが、急にあわただしくなる。

 「同じホームの四番線て何スか?」

 「とにかく急ぐべし。乗換時間二分です」

 「エッ! ホームの端から端? マジ?」

 何とか信越本線に乗り換える。めざすは横川である。

 「いっそのこと、高麗川から横川まで直通運転にすればいいのに」

 「いや、高崎までは非電化だから」

 「あれ? これって電車?」

 「せっかく電化されてるんだから、電車走らせないと、ね」

 停車本数は少なかったかも知れないが、かつては特急列車も停まった安中や磯部。何となく陰翳漂う佇まいながら、JRの本線駅としての威風のようなものが感じられる。特急が通らなくなって久しいが、駅も線路も健在。今日も堂々と電車は走る。普通列車ベースの路線はいい意味でスローに通ず。横川までは三十分余り。この程々な感じがまたいい。


 十三時四十分、横川に着く。降りる客はまばら。折り返しに乗り込む客もまたまばら。客が少なければ、なおのこと。ましてやここはローカル線。だが、しかし、である。釜めしを大事そうに抱えた見慣れた少年が近づいて来るではないか。

 「やぁ、六さんじゃございませんか!」

 「あれれ、千さんと櫻さんだぁ」

 「どったの、六月君。18きっぷツアーって夏休み中にしなかったの?」

 「へへ、江戸東京博物館の『大鉄道博覧会』を優先することにしたんで。あと、八月って皆考えること同じだから、結構混むんですよ。だからずらしたんだけど...」

 六月としてはお二人さんがここにいることの方がずっと不思議だった。

 「そっか、先週ホリデー快速がどうのって、千さんがおかしなこと聞くから何だろうって思ってたんだ。デートだったんだぁ」

 「千さんがね、どうしても私と八高線乗りたいって言うから」

 千歳も六月もこれにはお手上げ。

 「ハハ、ま、そういうことです。でも、この後はどこ行くの?」

 「特命ですよ、特命。両毛線乗って、さらに烏山線...」

 「じゃ、特命ついで。一枚撮ってくださいな」

 櫻は六月が提げていた釜めしを預かると、代わりに千歳のデジカメを手渡す。そして、

 「あ、千歳さん、こっちこっち」 横川の駅名標を見つけて並んでみる。ただの標示板ではない。峠越えの眼鏡橋を背景に「横川」と書かれた幻想的な一枚。さすが、目の付け所が違う。

 「じゃ撮りますよ」

 少年が構えた時、櫻は突如、眼鏡を外した。

 「え? あれが櫻さん?」

 手がブレそうになったが、何とか撮影(特命)成功。隣の彼氏が異変に気付いた時にはすでにいつもの櫻に戻っていた。鈍さ加減は相変わらずである。

 「六月君も証拠写真撮っておかないとね」 撮影係を申し出た櫻は、峠の釜めし屋の前に少年を立たせる。文花はまた別かも知れないが、蒼葉と舞恵には確実に憧憬感情を持っているこの少年。ここに来てまた新たな対象が現われたことで、どうもぎこちなくなっている。

 「ホラ、肩の力抜いて、そうそう」 釜めしの重量に任せて、手をダラリ。ちょっと冴えないが、自然な感じで撮れたようだ。

 発車時刻が近づいてきた。「じゃ今度は十七日、ね?」

 「は、はい」 硬さがとれていない。いつもの六月と様子が違うので、千歳が正気付けてみる。

 「そうそう、六月先生。高崎線でオススメの駅ってどっかあります?」

 「神保原(じんぼはら)のホームに面白いものありますよ」

 そう告げたところで、ドアが閉まった。「神保原、てか?」

 普通電車は少年を乗せて高崎へ。車内で釜めしを食べる予定だったんだろうけど、青空に映える妙義山なんかを眺めながらボーッとしている。お熱いうちにどうぞ、と言いたいところだが、外も暑いから仕方ないか。この日この時、実に三十度超である。


 横川に来たからには、碓氷峠鉄道文化むらに行かない手はない。展示館、資料館と気の向くままに見ていたら、二時間近く経っていた。十五時五十四分、横川を発つ。嗚呼青春の鉄道旅行は、ここから帰路となる。

 十六時半。千歳と櫻は高崎を出発。六月は同時刻、小山を出たところである。高崎から宇都宮まで直通する列車を選ぶあたりはさすがだが、鉄道文化むらに少々ハマってしまったのが誤算だったようで、もう一つの特命の方がギリギリになってしまっていた。

 「この大金駅での三分間が勝負!」 はてさて小梅嬢は彼に何を頼んだのだろう?


 朝方のビューのようにはいかないが、今二人が乗っているのも一応快速列車。ただ、熊谷までは各駅停車なので、スローな感じである。このまま乗って上京してもいいのだが、六月からまた耳寄りな情報を得たからには、そうはいかない。

 十六時四十五分、目的駅に到着。早速、ホームの物色を始める。

 「あっ!」 程なく二人が見つけたもの、それは七福神だった。大黒天様から毘沙門天様まできれいに並んでいる。神保原の神は、この福の神に通じるということか。

 

 「それじゃ私は、ご縁がありますよーに、で五円玉。千さんは当然、千円札ね」

 「またぁ。七福神さんだから、七円かな」

 額面とかその根拠はさておき、何事もご縁は大事にしたい。ここで遇(あ)ったが何とやら、である。「いい旅でした。感謝感謝...」 櫻がお辞儀をしている後方で、千歳はある赤い花とにらめっこしていた。「上里(かみさと)町の花『サルビア』!?」 夏は過ぎしも、誰かさんの燃える思いはまだ続いているのだろうか。今日の暑さもあってか、さすがに瑞々しさはないものの、その赤はやはり強烈。南実のことが頭をよぎる千歳である。これもご縁のうち、と心したい。

 「そうだ、千歳さん、写真撮らせて」

 「どしたの急に」

 「七福神の皆様と一緒よ。いいでしょ?」

 「はいはい。八番目ね」


 十分後、普通列車が入線してきた。四人掛けのクロスシートに横並びで座る二人。ちょっとした打合せにはもってこいである。デートと言えども、この話題がないとやはりしっくり来ないようだ。櫻は、先週のうちにまとめておいたという実施手順と注意書きのラフ案を取り出す。「千歳さん、赤入れお得意でしょ。よろしく」

 公務員というだけのことはあって、なかなか高度な文書に仕上がっている。「とすると、あとはフローチャートか」 より視覚的に手順がわかるようになっていれば、さらに完成度が上がると踏むマネージャーであった。傍らで櫻は、安心したような穏やかな表情でスヤスヤと眠っている。カーブが少ない高崎線、その適度な揺れ心地が良かったようである。

 熊谷から先もひたひたと各駅に停まって行く。荒川の流速は電車には及ばないだろうけど、各駅くらいのスピードの方が荒川と並行して走っている実感も得られるというものだろう。熊谷辺りから荒川との並走が始まる。川と線路は近接している訳ではないが、感覚的にはそう言い得る。熊谷近辺でも七日の早朝は五メートル超の水位を記録したと言う。平静を取り戻した荒川は今、西日を集めながら、ゆっくりと流れていく。櫻の夢の中でも、同じように川の流れが映っていた。列車は大宮の手前辺り。そろそろ夢から覚める頃合い。


 同じ頃、六月君は烏山線の大金(おおがね)駅で特命を遂行中だった。十七時五十五分、無事同駅に着くも、その三分後には、烏山から来た上り列車に乗り換えなければならない。制限時間は三分、その間に、大金←→宝積寺(ほうしゃくじ)の硬券切符をゲットしようという離れ業である。「ハハハ、間に合ったぁ」 縁起モノを入手するのは大変ではあるが、労苦を伴うからこそありがたみも増し、然るべき報いも出て来るのである。特命を完遂し、こちらもスヤスヤ。だが、この上り列車は残念ながら宇都宮止まり。六月の乗換はまだまだ続くのであった。


 十八時過ぎ、高崎線組は大宮に到着。新宿を出てから、十時間近くが経過。日は落ちて、秋の空気がホームを満たす。

 「私、四十分も寝てたんだ。デート中だってのに、ねぇ...」

 「僕が連れ回して、おつかれモードにしちゃったから、かな?」

 「今ね、おぼろげだけど川の夢、見てたの。何か癒される感じだったなぁ。なんで、別におつかれじゃないですよ」

 二人が出逢って、五ヶ月余り。お昼を一緒に、というのは何度かあっても、夕飯については何と今回が初。記念すべき一大事だと思うのだが、両者ともに素っ気ない。エキナカというのは、その駅の地域性とは無関係かつ無個性だったりするものだが、今日のところはその利便性を享受すべく、カレーで済ますことと相成った。

 彼女曰く、「彼氏とカレー、なのだ」 ツッコミどころをまたしても逸してしまうところだったが、「櫻さんはサフランライスがお好き?」 何とか応酬する彼氏。これじゃ二人ともボケ役である。

 「例の曲、その後どうですか?」

 「えぇ、ボチボチ。明るめの方は、マスターしました。もう一つのダンサブルな方は、つい聴き入っちゃって、まだ途中です。へへ」

 「まず一曲、どこかで鍵盤叩いてもらって、PCに取り込むのやってみたいですね。メロディラインをデータ化するとどうなるのか、楽しみです」

 「タイトルは付けました。サビの歌詞も少々」

 と言っておきながら、それはまたのお楽しみ、とはぐらかす。

 「千歳さん、来月お誕生日でしょ。その時にお披露目ってことでいかが?」

 七夕の時もそうだったが、これが櫻ならではの発想&演出なのである。決して甘口なカレーを食べている訳ではないのだが、気分的にはすっかりマイルドになっている千歳なのであった。


 さて、お二人の利用駅が異なる場合、18きっぷというのは使い勝手が悪くなる。千歳は櫻サイドに従うつもりでいたが、「いえ、私が...」と来られては、返す言葉がない。

 ドキリとするも、あえて理由は聞かなかった。櫻は自転車に乗って帰らないといけない。だが、それは彼の知るところに非ず。

 「櫻さん、夜道を歩いて帰るのって、ちょっと...」

 「え? 送ってくださるの?」

 「いやその...」

 拙宅にお招きする、というのはまだどうもなぁ、と彼氏は大いに躊躇(ためら)う。櫻もその辺は十分察知していたが、自分からは言い出せない。ここは一つ正直に、

 「実は自転車で来てまして。ドキドキさせちゃって、スミマセン。でも...」 ここからがまた実直な気持ち。「いつかご招待くださいネ」

 彼氏はいろんな意味でへなへなになっている。彼女はさらに仕掛けてみる。

 「千歳さん、今日は楽しかったです! また何処か...」

 仕掛けたものの思わず言葉に詰まる。こうなるとあとは勢い。櫻は両手で彼の手を握る。

 「櫻さん...」

 七月七日、九月九日、数字並びの日にドラマが深まる感じである。となると、次は十一月十一日。何かが起こりそう? いや、それがわからないからドラマは成り立つのである。


 十九時四十六分。快速に乗ってきたとは言え、この時間である。少年はやっとの思いで大宮に着く。18きっぷは明日まで。この日、きっぷを無事消化できてホッとした旅行者は他にも大勢いる筈だが、六月君の思いはまた格別だろう。「高崎・信越・両毛・烏山・宇都宮...」 ぐるっと廻って、ミッションをこなし、証拠写真まで撮ってもらった。彼のリュックには、空っぽの釜めし容器が入っている。空でもズシっとしたその感覚は更なる充実感を掻き立てて、止まない。


【参考情報】 青春十八切符之旅(1) / 青春十八切符之旅(2)


巡視船紀行

28. 巡視船紀行


 下見と打合せ、それだけでもちょっとした場になるが、higata@の面々にはさらに前座が用意されていた。その名もズバリ「巡視船で行く荒川下流の旅」、オプショナルツアー企画である。前座がオプションというのも変なら、ツアーの方が本日のメインイベント要素が強いというのもまた妙である。九月十七日は祝日だが月曜日。環境情報センターはもともと月曜定休。千歳も同じく定休日。祝日が月曜の場合、休日が減るのと同じになるので、割を食う訳だが、今回の企画はその変則性が幸いした。予約が可能なのは平日のみ。ただし、臨時貸切となると、月~金で祝日に当たる日なら可とのこと。これには、河川事務所の課長さんが一役買ってくれた。

 「敬老にちなみ、掃部(かもん)先生への祝意、干潟再生に向けた皆さんのご尽力への敬意、そして、娘どもがお世話になってますことへの謝意とを兼ねまして...」 干潟に程近い場所にあるリバーステーションにて、まずは開会の辞を述べられる。当の娘二人は満更でもなさそうだが、特に声援を送る訳でもない。父親は照れながらも苦々しい表情を浮かべる。そこそこ拍手があったのが救いだった。

 ツアーの意図が今述べたようなことだと、公私混同然としてしまうので、表向きは環境情報センターの主催(但し、参加者限定)ということにしてある。チーフは予め、来るべきセンター運営団体の法人化に際し、役員候補(現・世話人)の方々にもお集まりいただいていた。この中には櫻の顔なじみもポツポツいらっしゃるが、今日はせいぜい会釈する程度。人選はまだまだ先だし、代表理事になるべき人物の意向とか、会員制に移行した際にそのまま会員として協力いただく方々の動向によっては、また顔ぶれが変わる可能性がある、というのがその理由。今のところは適度な距離を置かないといけないのである。気疲れしそうな場面ではあるが、「ま、気楽に行きましょ。その辺は千歳さんに倣(なら)って、ね」 視線を送った先の彼は、八広と雑談中。

 「じゃ今日は休日出勤?」

 「期末はいそがしいんだそうで。来週も返上みたいスよ」

 雨女ルフロンさんが来ない、となると... 確かに快晴だし、気温上昇も著しい。初音予報士はデジタル温度計をかざし、「おぉ、早くも三十℃突破?!」 現在時刻、午前十時前である。

 珍しく(いや姉妹そろっての登場は今回が初!)、櫻と一緒に来ていた蒼葉は、その予報士の仕草を眺めつつ、「何かチャキッとした感じ。昔の櫻姉に似てたりして...」 得意の人物評を考えている。傍には蒼葉ファンを自認する少年がニコニコしながら立っている。

 「あれれ、六月君、お姉さんは?」

 「エ? お姉さんてたくさんいるけど、誰のこと?」

 「アハハ、弥生ちゃんが手を焼く訳だ」

 プログラムの目処は立ったし、後期授業も始まったため、センターでのインターン作業はひと区切り。小遣い稼ぎは、またバイトの方に力点を移しているとのこと。

 「そっか、楽器店でね。ちょっとは上達したのかなぁ?」

 案外謎が多い弥生嬢。彼女のブログだかSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)だかに関してもhigata@メンバーは存じ上げていなかったりする。何の楽器の練習中か、ということも知っているのは蒼葉くらいか。

 肝心の先生は、「いやぁ、船は遠慮しとくは。自分で漕ぐならまだしも、な」とのことで、やむなく辞退。だが、明晩はお待ちかね(?)の文花との対談がある。二日続けてご対面、というのを避けたフシはある。業平は次の実機試験に向けた研究に没頭中。冬木は情報誌発行大詰めで出勤中。十月の定例クリーンアップ予告の扱いについて、今日の打合せ結果を待つ必要上、致し方なく、というのも休日ご出社の背景にある。放っておくとフライングしそうな惧(おそ)れもあるが、そこは文花がクギを刺すことになっている。そういう使い方ならケータイとしても本望だろう。

 巡視船には、河川事務所職員も数名乗り込む。石島親子以下、干潟の衆は、Ms.サルビアさんが来るのを待つ。出航時刻をちょっと過ぎた頃、「わぁ、待ってぇ!」 いつもとノリが違うお嬢さんがいつもの自転車を飛ばしてステーションに駆け込んできた。

 「駆け込み乗車はおやめ...」 六月がアナウンスするも、それを遮るように、

 「駆け込み乗船ネ」 櫻が笑う。

 「ごめんなさい、皆さん。道路のコンディションがあまり良くなくて」

 ゴミの回収代行に続き、今日の巡視船貸切と、ここへ来て父権というか、面目を回復しつつあったのだが、南実のこの一言で忽ちトーンダウンである。「親父、ダメじゃん」 長女からダメ出しを食らう石島課長であった。台風増水に伴い、河川敷道路は所々泥が浸かり、電動アシスト車でも苦戦した模様。だが、この件で課長を責めるのは酷というもの。それは娘もわかっていたし、一同も重々承知。言葉遣いは乱暴だが、他意も他愛もない、初音ならではの表現なのである。

 その初音嬢は、初めて見る長身の女性が気になって仕方ない。タンクトップの上にフリルブラウス、そしてクロップドパンツ。「何かモデルさんみたい」 船に乗り込む途中、そのモデルさんがふと立ち止まったところで、後ろにいた初音が接触。「あ、ごめんなさい」 その柔らかな一声に、蒼葉は振り返る。どこかで聞き覚えがあったのである。「いえいえ。こちらこそ」 その聞き覚えの件は、後で姉妹と会話する中でハッキリすることになる。

 六月、八広、櫻、千歳と続き、先輩・後輩コンビ、最後に課長が乗り込んで、いざ出航。時間の都合もあり、めざすは総武線鉄橋辺り、と少々曖昧な設定である。石島シスターズはすっかり有名だが、石島父はまだまだマイナー。「あの娘にして、あの父?」という点で興味津々なのが女性陣。南実は今更ながら「やっぱりねぇ」と文花とコソコソやっている。千住姉妹も初めてお目にかかる。前に立っていると、必然的に注目が集まる訳だが、娘にやられることが多い手前、若い女性に対してはどうも兢々(きょうきょう)となってしまう。モデルさんと目が合おうものなら、尚更である。

 「エー、改めまして。皆さん、本日はようこそお越しくださいました。小職、石島湊と申します」 あがっているせいか、所属と職掌を言い忘れている。掃部先生がいらっしゃらないので、余裕の構えでいたが、いざ話を始めるとこんなものである。チーフの招待客ご一行の席も少々ざわついている。何はともあれ、十七日にちなんでか、ちょうど十七人の客を乗せ、川下りが始まった。

 「時速は約四十キロ出ます。リバーステーションを交通拠点にすれば、下流各所を結ぶ足になると思いますが、これは巡視船なもので...」 課長のトークが続く。仰せの通り、結構な速度がすでに出ている。荒川沿いを走る鉄道等がないことを考えると、水上交通の意義は大きく、相応の速度で結ばれるなら、交通手段として十分成り立つと思われる。荒川・新河岸川・隅田川を結ぶ水上バスは一応あるが、観光要素が強く、週末中心。生活の足としては考え難い。荒川に定期的な水上便が通れば、南実だって自転車ではるばる遡ってくる労を節約できる訳である。

 それにしても、川における四十km/hというのは本当に速い。水門だ、干潟だ、と見つけるもそれも束の間、すぐ後方に流れて行ってしまう。干潟チームの九人は、下流に向かって左側に固まって着席している。その一団先頭の文花は、「あら、都市農業公園だわ。寄り道したいけど、ムリよね」 隣の南実は、「ステーションがあればいいんでしょうけど。あぁ、反対側ですね。残念」 早くも新田(しんでん)を通過するところである。

 巡視船の概要、下流の概況などに続き、ちょっとした観光案内が入る。苦手な先生が不在の分、徐々に調子が上がってきた石島課長である。

 「この辺一帯は、足立桜堤ですね。で、見えてきたあの橋、高速道路の上下線が二階建てになっているのが特徴です。五色(ごしき)桜大橋と言います」

 

 「なんか、桜、桜ってどうなってるの? 名前呼ばれてるみたい」

 「そりゃ、櫻さんあっての荒川ですからねぇ」

 「まぁ、千さんたら」

 何故か課長は乗船名簿をチェックし出して、「今日は櫻さんがいらっしゃいますね」

 「あ、ハイ」

 千歳の隣で手を挙げる女性。本当に名前を呼ばれるとは。「あぁ、貴女(あなた)でしたか。結構なお名前で」

 櫻を知る別の一団の方が何だか騒がしい。そこそこウケているようである。だが、当の課長さんは、千歳に然るべき連れがいることがわかり、ちょっと曇り顔になる。

 そのお二人の前には、六と八の数字コンビが並んでいた。「あっ、日暮里・舎人(とねり)ライナーだ!」 さすがは鉄道少年。まだ開業していない路線も一発で当ててみせる。「八広さん、撮ってよ」 頼りないケータイをさっきから構えてはいたが、どうも覚束(おぼつか)ない。「隅田さんがちゃんと撮っててくれるよ」

 後方では、撮影係がバタバタやっていた。「え? あれ撮るの?」 すでにその新線は後ろに行ってしまった。「へへ。また、後でってことで」

 振り向くと、姉妹と通路を挟んで蒼葉がニコニコしている。「ね、千さんて、スローでしょ?」

 配られた地図を見つつ、解説を聞きながら、写真を撮り、メモを取り、である。決してスローだから、という訳ではない。

 「そういうところがいいんじゃない。ねぇ、千歳さん?」

 「まぁまぁ。船の中でもノロけられちゃ、やってられないわ。船酔いしそう」

 櫻は斜め後ろを向くと、

 「どれどれ。はぁ、確かにお顔が蒼白してるわねぇ。下船した方がいいんじゃない?」

 「私のは美白。姉さんと違って灼けてないもん」

 石島姉妹は千住姉妹のこうしたやりとりを聞き、姉妹のあり方を参考にしているようだったが、可笑(おか)しくて仕方ないらしく、ヒーヒーやっている。父はそんな娘たちを微笑ましく見ている。


 扇大橋を過ぎたところで、再び課長がマイクを取る。波が護岸を浸食するのを防ぐための通航ルールと標識についての話になった。この辺りのヨシ原は「自然保護区域」に重なる。ヨシ自体、ある程度の消波効果を持っているものの、船舶が大波を立てて通ると、さすがに効かず、水際が浸食されてしまうことになる。そのため、減速と「引き波禁止」の指定になっているんだとか。

 「橋みたいな記号に赤で斜めに引いてあるのって、そういう意味だったんだぁ」

 「橋の下は通航禁止とかだと思ってたけど、あれって波だったんだね」

 「石島さん、あれじゃ波だってわからない、って意見が...」

 櫻が課長にツッコミを入れている。「あ、いやぁ、そればっかりは...」

 先生ご不在でもこれじゃ先が思いやられる。

 「あの、いつもの干潟のところも、指定してもらうことってできるんですか?」

 今度は南実が発言する。かつて、大波にしてやられた経験あってこその貴重な声である。

 同行の職員とヒソヒソやってから、「いただいたご意見は一旦お預かりして、また改めて...」 だんだんアウェイな雰囲気になってきた。娘がいる手前、冷や汗もひとしおである。

 早くも小菅(こすげ)を過ぎる。排水機場、水再生センターなどに続いて、京成線の橋梁が見えてきた。六月がまた声を上げる。

 「おぉ、スカイライナーだ。千さん!」

 「今度は大丈夫。グッジョブ?」

 「スカイライナーかぁ。空飛ぶ特急って感じね」

 これには六月も感心する。斜め後ろを振り向くと、櫻と目が合った。いつも通り、眼鏡越しでアイコンタクトをとるも、横川駅で素顔を知ってしまってからは、ついソワソワしてしまう。少年の心はスカイライナーの如く空を舞う... ちょっと大げさか。

 櫻の素顔については、この人も知るところではある。ただ、しっかり拡大プリントでもしない限りはわからない、ということに今はなっている。

 「千歳さん、私のブロマイド写真て、どうしました?」

 「肖像代、払わないといけないからまだプリントしてないです。へへ」

 「六月君に撮ってもらった方は?」

 「眼鏡外した櫻さん見るの、ちょっとおっかなびっくりで」

 「そっかぁ。私ね、本当は素顔をお見せしたくてずっとウズウズしてたんです。でも、ね...」

 何かを察した蒼葉が斜め後ろから声をかける。

 「櫻姉、ホラあれ! ハープ橋だって」

 「あら、本当ね。爪弾(つまび)くと鳴るのかしら?」

 「ちょっと、千さん、何とか言ってやってよ。姉さん、ここんとこおかしいのよ」

 「そういうところがいいんだよ。ね、櫻さん?」

 「もう、二人してぇ」

 十代姉妹は笑い転げている。時刻は十一時過ぎ。そろそろ折り返し地点である。


 「では、ここ平井大橋で引き返します。どっかの学者先生が発音すると、白井大橋... いや失敬。今日先生いらっしゃらないから、つい口が」

 「こらぁ、真面目にやれぇ!」 笑っていた余勢に乗って、長女が野次を飛ばす。憎まれ口ではないことは誰が聞いても明らか。ほのぼのしたワンシーンである。

 「あっ、今度は成田エクスプレスだっ」

 巡視船が総武線鉄橋と並行する位置合いになった時、下りの空港行き特急が音を立てて走り抜けて行った。少年は感無量である。撮影係は、デジカメの電池残量が少々気になってきた。「ムム、鉄道をとるか、漂流ゴミをとるか...」 究極(?)の選択を迫られていたが、こういう時こそ、彼女に頼らないといけない。

 「あ、私、カメラ持って来てたんだ」

 「おぉ、神様、櫻様...」

 「?」

 櫻は六月にカメラを預け、千歳は本来の撮影対象に専念することになる。

 「そういうことは早く言ってくれなきゃ」

 「ハイ、櫻姫」

 平素は的確な指示をよこす職人肌の千歳が、櫻と相対している時はちょっと冴えない一面を見せることが八広には滑稽ならしく、当人の斜め前で「クク」とかやっている。

 隣の少年は車掌の如く、「次は八広(やひろ)ぉ。八広を出ますと、曳舟、押上...」 といい調子。八広はハッとして、船窓の外を見る。上り・下り双方の京成電車が走っていく。

 「そっか、ここが。漂着ゴミとか凄そうだね」

 「自分の名前と同じとこは、やっぱ自分で何とかしないとね」

 「まいったなぁ」

 今は千歳が笑いをこらえている。櫻は一人で「やしろぉ、しきふねぇ」と悪ノリ中。何かと話題のその先生の新弟子さんも同じようなことを思いついている。

 「先生きっと、ヒヌマって発音できないかも」

 課長の話では、八広付近に生息する絶滅危惧種「ヒヌマイトトンボ」に配慮しながら慎重に、京成押上線の架橋(架け替え)工事は行われたんだそうな。

 「そのトンボの話、先生の著書にも出てたわね。南実ちゃん、覚えてる?」

 「発見されると、どんな大がかりな工事も止めざるを得なくなる、とか」


 higata@に加わった冬木からは、情報誌に載せる予定の開催予告(十月七日)の文案と一緒に、他の実施予定会場の情報が流れてきていた。手元の地図を見ながら、その会場の位置をチェックする千歳。だが、会場選定の基準が今ひとつ掴みきれていない様子。こうして船から眺めていると、漂流・漂着ゴミがどのような状態になっていて、どこに溜まりやすいか、といったこともハッキリするのだが、必ずしもそうした視点とは一致しない場所で展開されているようである。

 「おそらく、行きやすい場所かどうかとか、洗い場やお手洗いが近くにあるかとか、足場は安定しているかとか、いろいろあるんだと思う」 手順や諸注意の案をまとめただけのことはあって、櫻はもっともな見解を述べる。参加者の利便性や安全性を優先せざるを得ないのはわかる。だが、クリーンアップに力点を置くとするなら、船で横付けするなどして重点的にゴミを集めるという選択も有り得るのではないか。

 船は北上を続ける。上流に向かって左側の景色が移ろっていく。鐘ヶ淵を過ぎると、

 「あら、隅田水門ですって」

 「水門の両脇、何だか草茫々(ぼうぼう)だねぇ」

 「自分の名前のとこは... フフ」

 「草刈り機、先生から借りるかな」

 水門左岸はオオブタクサ、右岸はアレチウリ。いずれも外来植物で、その繁茂ぶりは目を覆うばかり。ここで課長が問題提起を入れる。

 「まぁ、自然てのはどこまで放っておいていいのか、逆にどこまで手を入れたらいいのか、悩ましい限りです。小職はどちらかと言うと放任主義ですが」

 「だってさ」

 「親父は家のこととなると、本当に放ったらかしだもんね」

 「でも、あの干潟は何か手を入れたいみたいなこと言ってたよ」

 姉妹は何やら聞き捨てならない話をしている。それは何となく千住姉妹の耳にも入っていた。

 文花と南実は何やら金八先生の話で盛り上がっている。

 「『贈る言葉』『人として』どっちも名曲よねぇ」

 「て、先輩おいくつでしたっけ? 私、どっちも知らないけど」

 「やーねぇ、卒業式で覚えたのよ。初代金八先生やってた頃は、まだ未就学児童よ。ホホ」

 

 就学中だが、小学校ご卒業まであと半年の六月君は、トレインビューに夢中。東武伊勢崎線に続き、つくばエクスプレス・JR常磐・東京メトロ千代田の三線連続の鉄道橋に息を呑んでいる。時刻は十一時四十分頃、東武線を下り特急が通れば、常磐線は下り「フレッシュひたち」、つくばエクスプレスも下り快速列車が並走する。櫻のデジカメを懸命に操るも、この際、どうでもいい。

 「あぁ、オイラ幸せー」

 すっかり感極まっている。タイミングを見計らったかのような演出だが、あくまで偶然である。先だっての特命の報奨といったところだろう。


 往路では反対側だったため、よく見えなかった自然再生地付近に差し掛かってきた。水際に根を下ろすヨシが群落を形成し、その前には粗朶(そだ)を組んだ工作物が並んでいる。その隙間から干潟らしきものが見え隠れするがよくわからない。引き波を立てないよう、船はゆっくり川面を辷(すべ)る。

 「石島さん、波を消すものを配置するのが自然再生になるんですか?」

 「ヨシ原を保護しよう、ということです」

 「あの仕掛け自体も環境配慮型なんでしょうか」

 「えぇ、流木や廃材を細かくしたものです」

 湊は千歳の思わぬ質疑に驚くも、何とかボロを出さずに済み、ホッとしている。ところが、河川敷沿道をよく知る南実が黙ってはいなかった。

 「ここ、千住桜木ですよね。自然再生工事だかって看板出てましたけど、あんな重機とか入れて、本当に自然再生になるんですか?」

 「河岸の再生工事だったと思うんだけど」

 「明らかに河川敷の緑地を削るような感じで現場設営してましたよ」

 さすが、お弟子さんだけのことはあって、ツッコミどころが掃部流である。仰る通り、自然保護区域に対して、再生工事というのはわかりにくいし、そんな荒らしのような設営が為されたとあっちゃ...

 「小松さん、この件はまた個別に...」

 「いえ、そのうち先生を交えて」

 タジタジになっている父を見て、小気味いいようなそうでないような、今は些か複雑な感懐を抱く娘二人であった。

 今度は本名がそのまま出てきたので、櫻は目をパチクリやっている。

 「つまり、ギを取ったら、私の名前そのままなんじゃん」

 「千住桜木って、バス停もあったような... バスで訪ねて、この辺のこと調べてみますか?」

 「よかったね、櫻姉」

 「エヘヘ」

 とまぁ暢気にやっていたら、すでに小台(おだい)付近を通過中。

 「あ、いけねっ」

 船窓からは、ペットボトル、レジ袋、カップ容器等々、漂流系のゴミが下流に向かって流れていくのが見える。川の流れ加減によるのか、蛇行の角度によるのか、一時的にゴミの放出が増えただけなのか。ここに来て、急に漂流ゴミが目立つようになった。エリアが局地的なのが何とも不可解である。電池切れ覚悟で何枚も撮影を試みては、その都度、目を凝らす。

 再び日暮里・舎人ライナーの下へやって来た。まだ辛うじて残量があったので、今度はしっかり撮影。漂流ゴミと一緒、というのが千歳流である。

 「六さん、ちゃんと撮れた?」

 「あわてて撮ったら、隣の電器屋さんが真ん中になっちゃった」

 「じゃ、また弥生お姉さんに送っとくよ」

 「やったぁ。そんじゃ、櫻さんのカメラで撮った分も一緒にお願いしまーす」

 江北橋から北へ、船はなお進むも、迎え撃つように漂流ゴミも続く。

 「ねぇ先輩、この船にニューストンネットくっつけて走ったら、やっぱりいろいろ捕れるんでしょうかねぇ?」

 「あれだけ浮いてたらすぐいっぱいになっちゃいそうだけど...」

 もともとはプランクトンや魚卵を採取する用のネットだが、プラスチック系微細ゴミの調査にも使われる。荒川で実践するとどうなるか、興味深いところだが、今左岸(正しくは下流右岸)を漂う品々を見る限り、文花の言う通り、すぐに大漁になってしまうだろう。その後も、水面清掃船がどうのとか研究員らしい会話がしばし交わされる。

 千歳は撮影を休止して、某所干潟を眺める。今日のところは彼等のフィールドを船から眺めることはないが、他所(よそ)であっても川から見る干潟というのは大いに参考になる。寄居近辺では遠くにサギを見たが、下流域にも似たようなサギはいるもので、その干潟でひと休みしている。クリーンアップをしている最中は、人がガヤガヤいるので、サギが近寄れないだけなのか。人がいない時はゴミ箱干潟にも出没しているのだろうか。思いは廻る。ゴミの多寡はともかく、サギが出るということは、干潟が餌場として健全に機能していることを示していると言えそうだ。

 干潟には「ゴミキャッチャー」(フィルター)としての役割もある。下流のあちこちに干潟があることがわかり、千歳は心強く思うものの、干潟があるから安泰と言ってしまっては不可(いけ)ない。自然力による本来の再生という点では、まず干潟が自然に形成されることが第一義。そして、その干潟からいかにゴミを除去するかが、人為による自然再生の優先テーマだろう。ゴミを掬う(または救う)という干潟の機能に頼りつつも、人ができることは進んで行う可し。「捨てるのも人、拾うのも人」である。干潟に漂着したゴミについては、放任主義という訳にはいかない。サギ、カニ、ハゼ... 干潟を生息地とする多種多様な生き物のためにも、ここは人の出番なのである。

 櫻は櫻で、やはり川からの視点というものを心に強く刻んでいた。「まち」や「みち」を歩く中でその地域の良さを見出すのは、足あっての話。足が及ばないところからの視点というのはまた違う良さが見えてくる。干潟にしてもヨシ原にしても、人が踏み入れないところにある故に息づく何かがある。少なくともそこに何があるかをマップに落とし込むだけでも、地域の人達の見方は変わる筈。ゴミが漂着してちょっとした惨状を呈することになっても、そこにゴミがある、という情報を上手く伝えられれば、良くも悪くも地域を見直すきっかけになるだろう。決して悲観することはないのである。

 「漂着ゴミで地域再発見」 櫻は一つのテーマを見出そうとしていた。そして「陸の視点がグリーンマップなら、川の視点はブルーマップ、かな?」と思いつく。地域や流域の「いいもの」を探し、共有する。緑と青のコラボレーションといったところか。

 千歳の「漂着モノログ」には干潟の機能論(ゴミが集まる→人が片付ける→生き物が集まる→)が、櫻の「届けたい...」には、川の視点論が、後日それぞれ掲載されることになる。トークでは不発な面もあった石島課長だが、オプショナルツアーそのものは上々と言っていいだろう。

 櫻は、斜め後ろを振り返り、少女に話しかける。

 「小梅さん、今日見た中でどこが印象的だった?」

 「やっぱ、千住桜木じゃないですか」

 「ハハ、そう来ましたか。じゃ皆で行って、地図作ろっか、ね?」

 当初は四姉妹企画の予定だったが、この話も大きくなってきたようだ。二人で出かけるってのも選択肢だったが... どうなることやら?


 さて、石島姉と千住妹の対面がこの日実現した訳だが、お互いに聞いていた情報を交わすうちにある接点が見つかった。

 「じゃあ、あの橋を渡って、お店に」

 「六月のいつだったか、晴れた日曜、朝早かったことがあるんスよ」

 「自転車で掠(かす)って行ったの、初音ちゃんだったのね。『ごめんなさい』って一言がね、聞き覚えあって」

 「へぇ、お姉ちゃんが。何気に礼儀正しいじゃん」

 「ちっとは見直したか、ん?」

 小梅の初音評は「時にはコワイけど、本当は優しいお姉さん」に、最近はなってきていた。お手本になりそうなお姉さんが増えたことで、気持ちに余裕が出てきた、というのがその初音評のもとになっているようだ。そして、今日は蒼葉と知り合うことができた。天気同様、上機嫌の初音である。


 「名残惜しうございますが、船の旅はここまで、とさせていただきます。またのご乗船、職員一同、心よりお待ち申し上げております。本日はありがとうございました」

 終わりよければ全てよし、か。どこまでが衷心かは不明だが、締めの挨拶はなかなかの出来である。娘を含め、全員から大きな拍手が送られた。正午過ぎ、前座イベントは無事終了。

 

【参考情報】 巡視船紀行(1) / 巡視船紀行(2) / 巡視船紀行(3)


気まぐれ?パンケーキ

29. 気まぐれ?パンケーキ


 湊は、六月と小梅を連れ、荒川の資料館に行くと言う。文花の招待客は「船で帰りたい」などという輩もいたが、三々五々帰って行った。「ま、今日の催しのレポート書いてもらうことになってるから、それでどの程度、環境とか地域のこと考えてるか、わかるってもんだわ」 掃部先生が一目置くだけのことはある。チーフはなかなかのやり手である。

 それはいいのだが、一人だけ徒歩、というのがちと冴えない。「えーっ、私、走るのイヤ」

 そこは先輩思いの後輩。

 「はいはい。これ貸しますから」

 「ラッキー! これ乗ってみたかったんだぁ」

 「先輩、壊しそうだからなぁ」

 「それ、出発っ!」

 やり手かも知れないが、茶目っ気もあったりする。これも櫻の影響だろうか。

 電動アシスト車の文花、RSB(リバーサイドバイク)の初音、酷使の跡が窺える自転車は八広。あとは普通の自転車が三台。アスリートの南実は「そのお店まで、1kmないでしょ? 楽勝、楽勝」と軽快に駆け出す。七人が向かう先はいつものカフェめし店。だが、ちょっと待てよ。

 「干潟の下見、先にしましょう」 櫻リーダーからもっともな提案がなされる。少々遠回りになるも、とにかく下見!なのである。

 各人各所、干潟を巡視した直後だけあって、思いもひとしお。彼等にとってのフィールドである干潟がどれ程のものか、すぐにでも見たいという気持ちが高まる。が、同時に、増水禍を見るのが怖い、という気持ちも。いやいや、来るべき一般参加型クリーンアップに向け、ここは入念にチェックしなければ。

 同じ惧(おそ)れでも、この人の場合はちょっと違う。「ハハ、魚が打ち上がってたら、どうしよう...」 別の心配が先に立っている。今はただ、陸から一望するばかり。水際に近寄らなければいいのである。

 「思ってたよりもマシじゃない?」

 「文花さん、それがそうでもないんですよ。ホラ、あっち」

 「あちゃー」

 干潟面は事も無げだが、その崖上だったり周辺だったり、つまり「上陸ゴミ」が只ならぬ様相を呈しているのである。目立つものでは、大小様々なベニヤ板、灯油容器、給水用のウォーターサーバ、簡易打上げ式花火のセットが入っていたらしき大きな円筒缶、そしてどこかのスーパーの店内用カゴ... 干潟ではこれまでお見かけしなかった珍品のオンパレードである。斜面のヨシ群も上の方から横倒しになっていて、増水時の水位を身を以って示している。そこには拉(ひし)げたビニール傘が挟まっていたり、各種プラ袋が絡まっていたり、よく見ると枯れ枝の束も横たわっていて、さらにはいつもの常連ゴミの姿も。時折、ガサガサと音を立て、存在を誇示してくる。プラスチック系が目立つが、己の軽さに反比例して、その雑音は重く、叫びのようにも聞こえる。一同、沈思黙考の図となるも、それぞれに思いを深めるにはいい機会となった。

 南実はそろそろと干潟へ下りていく。

 「今ちょうど退いてきた時間ね」

 「小松さん、それ何ですか?」

 初音は研究員の所持する手帳が気になる。

 「潮時表っていうの。荒川標準てのはないけど、東京港の干満時刻がわかれば、だいたい察しがつく訳」

 「こういうのも気象要素の一つスよね?」

 「そうなのよね。ふだんはあまり意識しないけど」

 現場では本当に学ぶことが多い。天気と気温は基本だが、川の汚れ具合、水位、そして干満。これらを総合することで、気象の因果、大気と川の関係性、さらには流域環境予報のようなものが導けるような気がしていた。初音の社会勉強は深みを増しつつある。

 思索家の八広、画家の蒼葉、この二人は表現者として何かを思い描いているようである。彷徨しては立ち止まり、というのを繰り返す。


 「こりゃ、人数要るわぁ」

 「一般参加、解禁ですね」

 「榎戸さんの情報誌にも載せてもらいますか」

 文花、櫻、千歳の三十代トリオはすでに協議モードに入っている。続きは皆でカフェめしをいただきながら、と。

 「あ、写真撮らなきゃ」

 「私もバックアップしまーす」

 そんな二人の撮影係を見ながらチーフは呟く。

 「やっぱいいわね、あの二人。週一度なら、職場仲間ってのも許される、かな?」

 策士文花は確実に何かを企んでいる。お節介ともとれそうだが、あくまでセンターのことを慮(おもんばか)っての一計のようだ。と、その時、

 「先輩、これ見て」

 後輩がケータイで撮った何物かをお目にかける。

 「キャー!」

 それは潮が退く途中の干潟水面に出現したコイ(?)の雄姿であった。大きな魚はまだまだ苦手のご様子。

 「それって、先輩イジメじゃないスか」

 「こうやって慣れてもらわないと、本番の時困るでしょ。先輩想いって言ってよね」

 南実としては、下見、即ちリハーサル、ということらしい。


 十三時近く、七人の団体様がカフェめし店にやって来た。いつもは店員を務める初音も今日は非番なのでお客扱い。それでも大事なお客様は自分で接遇しようということで、レジに回る。満席に近い状態だったので、他の店員はバタバタ気味。「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ!」 店員初音はここぞとばかりにお姉さん方にアピールする。晴天も手伝って、その接客態度は実にしなやかで良好。ここでは別人(こっちが素性?)になる、ということを存ぜぬ文花、南実、蒼葉はキョトンである。櫻、千歳、八広は勝手知ったる何ぞやでさっさとお気に入りメニューを頼んで、奥の円テーブル席へ。打合せ場所として事前に予約しておいた訳だが、来店人数は乗船人数から数人引く程度という初音の読みはピッタリ。七人が囲むテーブルとしてはちょうどいい大きさである。


 迷える女性三人は、店員から説明を受けながらようやくメニューを決め、すぐに食べられる状態あり、番号札あり、と各々異なるトレーを持って席に着く。七番目の客は、自分用の気まぐれプレートとともに、大皿のサラダを持って来た。

 「ご予約のお客様向け、サービスです。お召し上がりくださーい」

 夏野菜をはじめ、色とりどりでイイ感じ。六人は歓声を上げつつ「いただきまーす!」といいご発声。

 「初音嬢、ここのお野菜って有機?」

 「えぇ。できるだけ地場に近い農園から買い付けてるって聞いてます」

 「持ち込み野菜ってアリかなぁ。うちのもそれなりに気は遣ってるんだけど」

 「貸切で何かやる時とかなら...」

 文花は、また何かを思いついたらしく、野菜を頬張りながら頷いている。櫻がそこで絡む。

 「文花さん家の野菜って、大雨とか台風とかでどうかなっちゃったんじゃ?」

 「手塩かけてますからね。そう易々とはダメになりませんことよ」

 「手塩って言うか、お節介なだけなんじゃないですかぁ?」

 「お節介くらいでちょうどいいのよ。ねぇ?」

 と周囲を見渡すも、どうも同調する空気が感じられない。

 「いいわよ。持って来ても食べさせてあげないから」

 お時間をいただくメニューが来るまでのつなぎにしてはゴージャスな一皿である。自然と笑みがこぼれるが、文花と櫻の漫談は皆の笑気をさらに高じさせて止まない。サラダに「華」を添える二人である。

 ピザトーストが運ばれてきた。大きなトマトの輪切りが乗ってたりして、ヘルシー感あふれる一品。「ここのメニュー変わってて、つい目移りしちゃったけど、私的にはこれアタリ」 南実の分がそろったところで、ポツポツ打合せに入る。こういう時の進行役は、年長のチーフに委ねる。

ふ「募集をかけるのはいいとして、あんまり人数多くなっちゃってもねぇ」

八「増えた時点で会場を分けるってのはどうスか?」

さ「それなら最初から振り分けた方がいいかもね」

ち「どこでどう分けるか...」

ふ「干潟チームと陸上チーム?」

あ「何かの競技みたい」

み「あぁ、いつもの干潟の下流側にもプチ干潟ありますよ」

ふ「じゃ、そっちを第二会場にして、『情報誌見た』組にしよっか」

 初音も打合せに加わってはいるが、本来のお客様の飲み物のお代わりだなんだで気を回しているため、落ち着かない。

さ「情報誌って、持ち物も載せる形になってましたよね」

八「軍手、レジ袋、濡れてもいい靴、帽子、飲み物... あと、何だっけ?」

あ「筆記用具は?」

ふ「センターの備品、出しましょうか。でも、ケータイで直接打っちゃう、かな?」

さ「一応、データカードとクリップボードはあった方がいいでしょ。ボールペンは記念品として渡してもいい訳だし。備えあれば何とやら」

 情報誌担当者は今頃スタンバイモードの筈なので、とにかくどう載せてもらうか、の議論を先行させる。

ち「読者層から考えて、お子さんばっかりってことはないだろうけど、家族で参加する人もいるだろうから、持ち物の他に注意事項もしっかり載せた方がいいかもね」

ふ「未就学児童ご遠慮とか、お子さんだけの参加はNGとか、ってこと?」

八「一応、監視役しますけど...」

さ「水の事故って有り得ますね。監視はもちろん大事だけど、いかに事故を防ぐか、でしょう」

ふ「今日下見した限りでは、何とか無事そうだったけど、南実ちゃんどうだった?」

み「下りちゃえば平気だけど、途中の斜面ていうか、段差ですよね。下りる時に誰かついてればOKかなって感じ。小学生以上なら...」

 ここで初音がようやく入ってくる。

 「その役、私やります。子どもに近いって意味でも」

 「それはごもっとも。初音さんなら、安心ね。まぁ、蒼葉もまだ子どもみたいなとこあるけど」

 「あら、私はずっと青葉さんですからね。若々しくていいでしょ。誰かさんみたいに散ったりしないもん」

 「言ったなぁ!」

 という訳で、受付は二手に分け、情報誌組は、専ら大人中心。家族連れの場合は、基本的には親御さんに安全上の注意をしてもらうも、八広が監視なりフォローに入る。人数にもよるが、プチ干潟の方も視野に入れ、その第二会場には千歳がリーダー、冬木はサブリーダーと仮に決めておくことにした。いつもの干潟の方は、小学生以上を受け付けるも、初参加の方は干潟面にはあまり誘導せず、主に陸上をやってもらうという案がまとまった。ただ、活ける教材である干潟を紹介しない手はないので、安全の確認がとれたら、降り立ってもらう、というオプションも設定する。何だかんだで十四時。文花はここで席を外し、情報誌担当に連絡を入れに行く。引っ込み思案でも何でもない、堂々たる物腰。「そんじゃ、ビシっと話してくるわね」

 「魚が出てきても、あの調子だったらいいんですけどね」

 そんな文花が食べていたのは、週替りの「サーモンマリネ丼」である。


 「はい。Edyです」

 「あ、榎戸さん。higata@ではお世話様。矢ノ倉です。お話しするの初めて、ですかね」

 さっき話し合ったことをざっと伝えるものの、どうも相手の反応が思わしくない。

 「え? すでに流れちゃった、ですって? フライングじゃないの!」

 「いえ。詳しくはホームページで、ってしてあるので、先ほどのお話はそこで」

 「だって、誌面は誌面でしょ。当日参加OKってことになってるんだったら、尚更ちゃんと書かなきゃ」

 「いやぁ、こっちも切羽詰まってたもんで。あとでまたメーリスに最終形、お流ししますんで」

 「最終形って何よ。ちょっと!」


 この間、初音は厨房へ。残った五人は、店の出入口の方を気にかけるも、距離があるので様子はわからない。「いやぁ、やられたわ」 ヤレヤレ顔で戻って来た文花に千歳が問う。

 「榎戸さん、何ですって?」

 「たく、何がエディよ。どっかの電子マネーじゃあるまいし」

 話が見えないが、何か良からぬことが起こっていることはわかった。誰かがうまく聞き出さないと、文花だけに「噴火」しそうな勢いである。この時、厨房では、

 「ありゃ、パンケーキはじけちゃった。これが本当の『パン』ケーキ、かな?」

 何かを暗示するようなプチアクシデント。だが、決して笑えない。


さ「フライング、ですかぁ」

ふ「やっぱ、広告代理店系ってダメねぇ。自己都合で走っちゃうんだから」

み「まぁ、今回は掲載不可って話じゃないんだし...」

ふ「不可って話になってたら、どうするのよ! これは信用問題。あぁ、頭来ちゃう」

ち「メーリングリストでそこそこ詰めてたから、大丈夫だと踏んだんでしょう。ま、その最終形とやらを拝見して、こりゃあんまり、ってことだったら、今後は願い下げ、ってんでどうです?」

さ「あとはとにかく、そのホームページ情報の方をしっかりフォローするのと、当日受付を強化するのと、ま、こっちでできることを考えましょうよ」

八「そうスね。どんな案内が出るにせよ、物を言うのは『現場力』。それが試されるいい機会だと思えば... 経験者豊富なんだから、大丈夫っしょ」

ふ「現場力かぁ。いいこと言うじゃん」

 年長者ゆえの責任感か、激しい一面を見せた文花だったが、櫻がうまく取り持ち、この八広のまとめにより、一件は収束に向かう。

 「皆さん、お待たせしました。ちょっと早いけど、おやつの時間ですよ」

 男性二人は丼、千住姉妹はデニッシュプレートを食べ終えていたが、文花の丼、南実のトーストはまだ少々残っていた。議論に熱が入ると食事がそっちのけになる、というのは研究機関関係者の特性なんだろうか。ゆっくり食べるというよりも、単なる食べそびれ。おやつが出てきたところで、あわただしくパクパクやっている。これはスローフードとは言えない。

 「それじゃお先に」

 「いただきまーす!」

 櫻と蒼葉が唱和する。この辺の呼吸の良さは姉妹ならでは、か。大皿には七枚のパンケーキ。ハチミツ、ジャム、ホイップクリームが別に添えられ、好きなように試せる。

 「あ、飲み物、お代わりお持ちしますね」

 「まぁまぁ、初音さん。お熱いうちにどーぞ!でしょ?」

 客は一様に美味しそうに食べている。それだけで満足だったが、自分でも同じシチュエーションで食べてみないことには、である。

 「ヤバイ。美味しいかも」

 ここでのヤバイの意味は、アラウンドサーティーまではわかっていたが、年長さんには理解できないようだった。

 「え、どっちなの?」

 「文花さん、それって天然?」

 「天然? パンケーキのこと?」

 「ダメだ。本当に天然ボケだわ」

 和やかな時間が流れていく。パンケーキはその名の通り、場をパン!と盛り上げるのに一役買ったようだ。


 同じ頃、資料館をひと通り見学した若いお二人さんは、ロビーで休憩中。六月は、リュックからある品を取り出す。

 「あのー、これ」

 釜めし店の袋に入っていたのは、釜めしの容器。ご丁寧に購入時同様、ヒモで結わえてある。

 「へへ。これ欲しかったんだ。ありがとう」

 「でも、何に使うの?」

 「お姉ちゃんとこで、釜めし作ってもらおうと思って」

 「釜めし? カフェめしじゃなかったっけ?」

 「あ、もう一つのミッションは?」

 「忘れてもうた」

 周到な六月君に限って、そういうことはない。小梅は首を傾げるも「ま、これ重いのに持って来てくれたんだもんね」と満足そう。川の流水模型を試しながら唸っていた湊だが、同様に満足げな顔で戻って来た。

 十五時、父と次女は家路につく。少年は再び上階へ。流域の大地図を見つつ、今日の巡視ルートを確認している。「千住桜木、オイラも行こっと」 六月にとっての秋はやっぱり行楽のようである。


 さて、残る議題は、天候判断、タイムテーブル、より詳細な役割分担、といったところ。結構ロングラン状態になっているが、まだまだこれから、である。

 「弥生さんにショートメール入れます。八時にモノログ掲示板に載ればセーフ、スよね?」

 「万一、雨天の時は翌週、それとも翌日?」 ハレ女さんが心配する。

 「いろいろ準備したものがすぐシフトできるって意味じゃ、翌日の方がいいんじゃない?センターも休みだし」

 「じゃ、その辺も開催予告に載せときましょう」

 実施手順はhigata@上の議論で練ってあるので、あとはそれを時間軸に落とし込むだけ。だが、

 「ま、あんまりスケジュール固め過ぎちゃっても何だから、あくまで目安ですね」

 当日はコーディネート役だが、タイムキーパーも兼ねる都合上、櫻としては余念がない方が安心なのだが、あえて緩やかに設定した方が身動きがとりやすい、という経験上の判断が働いた。会場設営の案が今日まとまったことを受け、次はタイムテーブルの素案作り。役割分担もそこに盛り込もうというのが櫻の発意である。

 船で配られた流域地図の裏が白紙だったので、そこに線を引き、ワイワイガヤガヤと時間割を埋めていく。参加者数にもよるが、レクチャーをどこまで充実させるか、が論点となる。

 「タイムテーブルと注意事項は、模造紙大にでもして掲げるとわかりやすいでしょうね。その説明は私がするとして、あとは『ゴミと生き物』とか『漂着ゴミの実状と課題』とか、『なぜ』の部分...」

 「僭越ながら、小松南実が担当ってのはどうです? 解説用のフリップもあるんで」

 何だかすっかり頼り甲斐のある好人物になっている南実嬢。千住姉妹が警戒心を解くのも尤(もっと)もである。

 「時間があれば、実地研究?」

 「いえ、手が空いたらゴミの相談係しながら、手伝いますよ」


 higata@メンバーで今のところ出欠不明なのは、業平と舞恵。分担もまだ決まっていない。

 「Go Hey君は実機のテストもあるからきっと来るでしょう。少々頼りないけど、粗大ゴミ専任てとこでしょうかね?」

 「ルフロンにはあとで聞いときます」

 「え、何? フロン?」 文花の天然が始まりそうだったので、ここは蒼葉がフォローする。舞恵からは自己紹介メールが流れてはいたが、あっさりしたもので、当然呼び名についての説明なんてなかったものだから、疑問に思うのも無理はない。

 「『まえ』でle frontねぇ。彼女のメアドの理由がわかったわ。私もそういうカッコいい呼び名考えよっかな」

 「やっぱり『ふみふみ』でしょう」

 「先輩、昔は『おふみさん』て」

 「生きていたとは~、知らぬ仏の『おふみさん』てか」

 「八広氏、何でそんな懐メロ知ってんの?」

 当人は正に知らぬ某で冷めた珈琲を啜(すす)っている。「いいわよ。隅田さんも『おすみさん』にしちゃうから」

 文花は何だかんだで人気者である。笑いを誘っておきながら、すまし顔。そのさりげなさが人気の秘密のようである。


 「そうだ、いいもの持って来てたんだ♪」

 一同の衆目が集まる。ここからは余興である。

 「おすみさん、手伝って」

 「櫻さん、あのねぇ」

 「いいからいいから。こっち半分、隠しといて」

 画用紙を丸めたものを取り出すと、左半分が見えないように、さっき使った白紙で隠すよう指示が出る。

 「では、皆さんに問題です。こっちに書かれたこの数字、実は五月から九月までのクリーンアップで調べたゴミの集計数だったりします。干潟ゴミ ワースト10。わかるかな?」

 ワースト10:五十三、9:七十六、8:八十三、7:八十七、6:九十六、5:百四十七、4:百七十、3:二百二十七、2:三百四十一、ワースト1に至っては何と四百八!

 「データカード対象外品目が二つ入ってます。あと、レジンペレットは別枠です」

 「櫻さん、上位十品目でこんな数字になってるってことは、全体だといったい?」

 「確か二千二百くらいだったかな」

 「チリも積もれば、じゃないけど、要するにその数、数えたってことよね」

 「これも皆さんのご協力のおかげ。その成果を分かち合おうって企画です」

 選択肢がないと難しいところではあるが、下から順に当ててもらうことにし、何とか、紙パック飲料、缶、ホース(被覆)類が出た。カード対象外品目二つがネックだったが、見慣れているせいか、案外すんなり出たので出題者は拍子抜け。だが、難しいのはここからである。

 「あとは目に付くのを言っていけば当たるんでしょうけど、せっかくランキング形式にした訳ですから。では、蒼葉クン、第七位どうぞ」

 「雑貨じゃないの?」

 「残念でした。それは十一位。おふみさん、わかりますか?」

 「当たったら何かもらえるの?」

 「ハズレたら罰ゲーム!」

 「何よそれ」

 こんな調子じゃいつまで経っても終わらない。とにかく、タバコの吸殻、レジ袋系、と出て、残すはワースト五品目。

 「ここからは、すでに名前が挙がったものもあるので、皆さんお手持ちの紙に書いて当ててみてくださいネ。制限時間は二分、かな? ご参考までにデータカードの見本、回しまーす」

 「なぁーんだ。早く出してよ。櫻姉!」

 「頭のトレーニングよ。これがあるとかえって迷うでしょうし」

 十六時近くになり、正解が発表される。

 「ピタリ賞はいませんでしたねぇ。惜しかったのは小松さん?」

 「ペットボトルが四番目だったんですね。発泡スチロール片の方が多いと思ったけど」

 「いや、隠れてる分もちゃんと数えると変わるかも知れないです。ワースト1から3が合ってれば、大したもんだと思いますよ」

 「でも海ゴミとは微妙に違うのね。より生活感があるっていうか」

 概ね好評だったので、十月七日当日は、アトランクションとしてこのクイズもやることになった。選択肢を用意して、ワースト7を当ててもらう、そんなイメージである。

 ふと八広が疑問を投げかける。

 「二回やってみて思ったんスけど、その起源別ってイマイチ伝わりにくい感じしません?」

 「これが世界共通らしいから、とりあえずそのままだったんだけど、言われてみると確かにね」

 「他には、可燃・不燃・資源の別、素材別、品名の五十音順、いろいろアプローチはあるみたいだけど」 情報源さんが応じる。

 「いずれにしても、子どもにとっては難しい面もあるだろうね。形状別→素材別だと、わかりやすいかな?」 これは千歳の発案。

 「データカードも併用するんだったら、そのモノのイラストをちょこっと入れると直感的に把握できるようになるかも。破片が悩ましいけど」

 「とりあえず当日はケータイ画面をメインで使って、カードは予備かな。品目の配列については、またじっくりhigata@で議論...」 と言いかけたところで、櫻は初音に目を向ける。

 「初音さんもメーリングリストに入ってもらえればいいんだけど... 受験生に負担かける訳にいかないもんね」

 「弥生さんと適宜やりとりしてますから、大丈夫ですよ。受験が落ち着いたら、ぜひ!」


 こうして午後の部は終わりを迎えた。文花と南実は居心地がいいからとか言って、二人席に移って珈琲タイムを続けている。当店はカフェなので、カフェオレの他、カフェラテ、カフェモカなどもあるが、お代わり可能なのは、普通のコーヒー(Hot or Ice)とティーのみ。長居を想定して、アイスとホットのコーヒーを頼んでいた二人は、お代わりしながら交互に飲み比べをしている。研究者というのは何事も研究熱心なものである。

 「すっかり長居しちゃって。でも助かりました」 初音に一礼する千歳。

 「いえいえ。今日はパンケーキの試食会も兼ねてましたから。モニターさんにはサービスしないと」

 「じゃ初音さん、あれメニューになるの?」

 「週末のティータイム限定で、枚数も限定。でも、ネーミングが...」

 ネーミングと来れば、この人。

 「『初姉の気まぐれパンケーキ』ってのはどう?」

 八広案の採否は不明だが、十月からは新たなデザートメニューが加わることはほぼ確実(いや、それこそ気まぐれ?)、乞うご期待である。

 日中は暑かったが、この時間になるとさすがに風は秋の涼気を含む。八広は商業施設の送迎バスルートに沿って帰って行った。千歳は姉妹としばらく並走していたが、途中で折れる。「では、櫻姫、蒼葉姫、また!」 妹がいる手前とは言え、秋風のようにクールな彼であった。


 橋に出るまでの坂道を、自転車を押して歩く姉妹がいる。

 「千さん、帰っちゃったけどいいの?」

 「いずれ、お招きいただくことになってるから、今日のところはいいんだな」

 「それはそれは。ところで姉さん、眼鏡だけどさ...」

 「まだ外しちゃダメってか?」

 「今日はハラハラしちゃったわ」

 「千歳さん、どんな顔するかなぁって」

 「そういうお楽しみはとっておかなきゃ」

 眼鏡をかけているのは、近視の他にも何か理由がありそうである。


 もう一方の姉妹は、釜めし容器を前にしてちょっと盛り上がっている。

 「六月クンたら、切符がどうのって自分から言っといて、忘れてもうた、だって」

 初音はぼやく小梅をなだめつつ、ヒモを解く。

 「あれ?」

 「あ、何これ?」

 小梅が取り出したのは、硬券切符二枚。

 「大金ó宝積寺だって。どこだろ?」

 「メモが付いてんじゃん。『お姉さんと分けてください』だって。いい子だねぇ」

 「合格祈願とはちょっと違うけど、縁起良さそうだからいっか」

 なかなか手が込んだことをする小学六年男子なのであった。勿論、自分と実姉の分も忘れてはいない。ちゃっかりしている、といった方がいいか。

 

【参考情報】 台風9号後の漂着ゴミ / クリーンアップイベントでの掲示例


comeon/

30. comeon/


 翌日はいろいろなことが動き出すことになる。「漂着モノログ」には、巡視船ツアーの話題とともに、十月七日の開催予告が晴れて掲載され、higata@には、冬木のお詫びの一文と問題の情報誌掲載稿が流れた。どうやら予告の掲載を断られたとしても、自分で別会場を用意するつもりだったようで、「情報誌読者専用受付にお越しください」との一文が付されていた。何とも無謀というか突飛というか、仕事柄、イベント慣れしている、ということなんだろうか。どっちにしても、受付はしっかり設営した方が良さそうである。

 十八日、十八時。終業時間になったが、櫻はここからがひと作業である。皆で下書きした素案をもとにPC上で、タイムテーブル(兼 分担表)案を打っている。「いつ・どこに・誰が」配置されているかが一目でわかる、というのはこの手の催しでは要目となる。この辺りを会得できたのは、18きっぷツアー中、千歳マネージャーに赤入れを頼んだのが利いた。短時間であっても、プロセスを「見える」ようにする。それは心得の一つである。「櫻さんとの恋の行方とかも考えてるのかしらねぇ...」と彼女はちょっと違うことを考えながらも、軽やかにカタカタとやっている。

 そんな折り、軽やかとはいかないが、溌剌(はつらつ)とした足音が近づいてきた。

 「あら、センセ。お早いお着きで」

 「おぅ、矢ノ倉女史に、千住の櫻さん。今日も華があって結構結構。何か落ち着かなくってさ」

 早速、紙燈籠の分析結果から。

 「エーッ、あの灯篭一つで、CODが十二グラム、BODが六グラムちょっと、ですって」

 「まぁ、何だかそれなりに負荷がかかってるって話だな。実験でドロドロにされちゃったから、今はこのザマ...」

 手にしたのは二重三重にパッキングされた透明袋。ゲル状の怪しげな物体がへばりついている。

 「これじゃあんまり供養にならない、かも知れませんね」

 「て訳でさ、こういうニュースを自分のブロック、もといブログで発信できりゃいいんだけどさ。隅田君にここで見てもらいながらじゃないと、何だぁな」

 「今ちょうど助手がいますから、呼んで来ますよ」

 誰の助手なんだかよくわからないまま、とりあえず眼鏡の女性がやって来た。助手と言われれば、確かにそれっぽいが、はて?

 「センセのブログって、さくらブログと同じ理屈でしょ? レクチャーしていただけると嬉しいんだけど」

 「千歳さんから、何か受け取ってます?」

 「あ、説明書預かってたんだ。失敬」

 「さすが、知らぬ仏のおふみさん!」

 先生がいようがいまいが、毎度この調子。「おふみさん、てか。今度からそう呼ばせてもらうよ」 櫻もお節介になったものである。

 センター備品のデジカメで、ドロドロになった元燈籠(これが本当の紙ドーロー?)を撮り、メモリカードをPCのスロットへ。

 「左側の『新規記事』を選ぶと、入力画面が右に出てきます。タイトルと本文が最低限入っていれば、すぐ掲載できますが、今撮った写真もせっかくなので」

 画像選択ボタンを押して、ファイルを参照させたところで保留。先生には記事本文をその場で打ってもらう。

 「画面下の『保存』を押すと、確認画面が表示されます。ここで切っちゃうと水の泡になっちゃうんでご注意を。最後にもう一回『公開』を押して、完了です」

 「完了って、これでホームページに載るってか?」

 「えぇ、ホラ」

 櫻のブログは末尾が”todoketai/”だが、掃部先生のは、その名もズバリ”comeon/”になっている。俄か助手は苦笑しながらURLを打って、掃部ブログをその場で披露する。

 「いろんな人に見てもらうための工夫とか、記事に対しての反響を集める仕掛けとか、レイアウトも変えられますし、ちょっとしたお遊びみたいなのも載せられます。自由自在なんですよ」

 「いやぁ、こりゃ参ったな。本にしなくても、これがあれば言いたいこと言えるって、か」

 「ブログで書きためといて、あとで本にするのもいいんじゃないかって。ブログの設計者さんは言ってました。先生、次の新作に向けて、いかがです?」

 「あんまり書き過ぎると、ネタばらしになっちゃうよな。でも、早く伝えたい場合はそれもいいか」

 櫻と入れ替わりにカウンターに着いていたチーフが戻って来た。

 「センセ、相乗効果ってのもあるんですって。ブログで小出しにしといて、本で堂々と全容を公開。本が出たら今度はブログでこぼれ話とか追加情報とか。どうです?」

 この日は、Comeon!ブログのリリース日にもなった。だが、今日先生に来てもらったのは他でもない。別に大事なお話が控えている。

 「櫻さん、ありがとね。時間外つけといてもらうか、明日、シフトしてもらうか、お好みで」

 「文花さん、先生とお話あるんでしょ。私、カウンター入ります。でも、仕事っていうか、昨日の続きやってるんで、別に手当とかはいいですよ」

 「わかった。おすみさんとのデート権、てのでどう?」

 「じゃどっかでデート休暇、ください!」

 こんな感じで今のところは勤務形態も緩やかだが、法人化された暁にはそうもいかなくなるかも知れない。そうした点も含め、代表理事の意向というのを固めておきたいところ。今日はその前段となる相談事である。

 「当センターの運営団体を法人化するにあたり、役員を決める必要がありまして。掃部さん、ここは一つ一理事として、いえ、代表理事を前提に役員の就任をお願いしたく」

 「ハハァ、そういうことか。他の役員さんは?」

 「これまで関わっていただいた方がそのまま、という訳にもいかないので、ちょっとした内規を作って、選考過程を経てもらおうかな、と。今、その途中です。他にも役員候補者を募って、代表理事はそこから互選することになりますが、ある程度、この方!というのを想定しておかないと、定款とかも作りにくいんで。その...」

 「おふみさんのお願いとあっちゃな。例のし潟の皆さんと一緒に何かできるんなら、喜んで...」 が、しかし、

 「と、言いたいところだけど、もうちっと考えさせてくれねぇかな。まだ平気だろ?」

 「えぇ。とにかく役所関係と渡り合えるって言うか、市民主導のセンターにしたいんですよ。官製の特定非営利活動法人とか、そういうのにしたくないんです。で、何と言っても、地域への愛着というか愛情を共有できるような、そんな場所に...」

 文花は思いが溢れて、言葉が出なくなるも、先生はウンウンと首を振って得心しているご様子。

 「次の片付けはいつだっけか?」

 「あ、来月七日、十時集合です」

 「じゃ、そん時に返事するよ」

 「どっちにしても、終わった後にお時間くださいネ」


 十九時を回った。櫻はまだカタカタやっていたが、あることに気が付いた。

 「誘導係って決めてなかった、かも」

 文花は、今ひとつスカッとしていないものの、少しは手応えを得て、ホッとしている。

 「あとは他のNPO法人に倣うというか、できれば失敗例とかがわかるといいんだけど」

 かくして、二人は同時に声をかけ合うことになる。が、ここは年長優先。

 「隅田さんて、ジャーナリスティックなとこあるけど、NGO/NPOのことって、詳しいかしら?」

 「情報にはいろいろ接していると思いますけど、フットワークという点では宝木さんの方が上でしょうかね」

 「ここは一つhigata@かな?」

 「じゃ、私も相談メール打とうっと」

 「あ、そっか、何の話だっけ?」

 「今度のクリーンアップ、公開参加型だから、会場誘導の係が要るなぁって思って」

 「昨日の打合せで、ルフロンさんが未定って言ってたけど、彼女は?」

 「舞恵さんだけに、前で張っててもらうって? うまい!」

 「どっちみち、案を流すんでしょ。その時に確認、ね?」

 higata@への発信は、職場からもできるようにしてもらっていた。タイムテーブル(兼 分担表)案は、出来立ての状態で配信される。より早く確定できる、という点でこうした設定は重要。だが、つい気が回って、「注意書きとタイムテーブル、手書きで行くか拡大コピーするか、ムム」など、新たな悩みが生じることにもなる。「も一回、追伸メール、発信!」 メーリングリストというのは便利なものだが、職場で使える、というのは時に考え物かも知れない。いっそ、クリーンアップ活動をセンター主催にしてしまう、という手も... いやいや、ONとOFFの区別がつけにくい、それでいいのである。緩やかな状況にあってこそ、その人の持ち味が活かせる、そう心得たい。

 十九時半を過ぎ、櫻はセンターを出る。「しまった! 蒼葉に連絡してなかった」 妹は食卓で待ちぼうけ。クリーンアップ関係の作業は、帰宅後(OFF扱い)の方がよろしいようで。


【参考情報】 水溶性紙燈籠 続報


名月あっての名案

31. 名月あっての名案


 一週間後は、中秋の名月デーである。

 「櫻さん、また帰らないと妹さんに怒られるんじゃない?」

 「大丈夫です。千歳さんと会うから、って言ってあるんで」

 「だって今日は一応、仕事絡みよ」

 「そう言っておけば、おとなしく認めてくれるんで」

 「よくできた妹さんだこと」

 「姉譲りですワ」

 名月は東の空から徐々に高度を上げつつある。十九時にしてすでに辺りは暗い。いつしかそんな時候になった。

 フットワークの軽い八広がまず現われた。文花がご自慢の珈琲を淹れに行っている間に、千歳が到着。帰宅しているはずの接客係がいたものだから、「ワッ」とかやらなくても、十分不意打ちになっている。

 「あれ、櫻さん」

 「いらっしゃいませ!」

 「早番じゃなかったっけ?」

 「そんな、せっかくお待ち申し上げてたのに。いない方がようござんしたか?」

 「滅相もございません。またドッキリネタかと思い...」

 「何か、いいスね」 八広が短評を入れる。

 「あら、宝木&奥宮ほどではございませんわよ」

 四人分の珈琲を持って、チーフは先に円卓へ。

 「今日は窓際でやりますか」

 男性二人は円卓を移動させ、準備完了。いや、まだ出し物があった。文花は珈琲を置くと、今度は自分の机上から小皿を二つ運んで来た。よく見ると、大きさの揃った球状のものがそれぞれ複数...

 「そっか、お月見スね」

 「じゃ、これ食べたら帰ろっか」

 「千さん、たらぁ」

 「文花よりダンゴって? そうはさせないわよ」

 お彼岸で向島方面に行った際、わざわざ買っていらしたとのこと。

 「草餅か、桜もちか、団子か、悩んだけど、月見ですからね」

 「白とアズキってのは色でわかるけど、この黄色っぽいのは何ですか?」

 「味噌餡ですって。お試しあれ」

 「コーヒーと味噌って不思議... あら、美味しい♪」

 女性二人は何だかんだ言っても、団子好きである。このまま本当にお月見で終わってしまいそうだったが、文花はちゃんと憶えている。

 「それでね、いわゆるNPO法人の役員体制ってのにこう、ひな型みたいなものがあるのかまずお伺いしたくて」

 「活動の実績とか内容によるでしょうね。その活動を支えてくださった方々に対して会員参加のお願いをしつつ、これまで事務方や意思決定をしてきた方からは役員候補を選んでいく。その辺りは共通だと思いますが」

 「役員の選び方や人数なんかはその会の定款で決めればいいことですから、これが型ってのは特にないかも知れないっスねぇ。まぁ、代表、副代表、理事複数、あと監事?」

 「八広君に云わせると、あくまでその団体の実情に応じて、身の丈に合わせて、というか、とにかく多様でいいって」

 「最近は、NGOとNPOとNPO法人の違いも随分曖昧になってきて、NPO法人=会社って思う人も増えてるみたいスね。もっとも、その法人を興す人達が、役所関係だったり、企業関係だったりだと、いくら表向き非営利でも、関わる人の体質上、組織色が強くなりますから、会社と見紛うのも仕方ないでしょうけど。要するに、多様といっても、そういう官製とか会社製とかまで含めていいかどうか、てのはあります」

 文花は思うところと一致するらしく、フンフンと相槌を打っていたが、ここで質問を挟む。

 「NPOはより概念が広くて、市民活動全般てのはわかるけど、それに法人がつくとなると、やっぱり法人としての制約を受けるってことになるの?」

 「法人格を取るかどうかも、選択肢の一つスよね。いろいろな市民団体取材しましたけど、しっかりした体制が組んであれば格なんて要らない、ってとこがあれば、格を取らないと仕事にならないから、なんてとこも。ただ、非営利云々よりも法人という括りが優先されちゃう感じスね。法人格てのは、公的なルールに乗せるための役所の便法みたいな側面があるのも事実です。制約、即ち公的な縛り、と言えるかも知れません」

 千歳も聞き知るところを口にする。

 「法人実務ってのが出てきますから、それをこなせるだけの人員というか、組織の体力が必要になりますね。でも、格を維持するために本来の非営利活動がおろそかになってしまっては意味ないでしょうから、そこが判断の分かれ目というか...」

 「何故、法人格?てのは正直あるわね。最初から既定路線になっていた、というか。でも役所から委託を受けて運営する手前、要ることになってるのよね」

 「何となく官製な感じがしなくもないスけど、矢ノ倉さんにある程度、裁量権があるなら、いい方ですね」

 「いえ、単に今の準備会役員の方々がうるさくないだけで、ちゃんと公募がかかったらどうなることか」

 「選考方法とかは委ねられてないんですか?」

 「そこなのよ。だから今日お二人に来ていただいた次第...」

 「委託主からは特に?」

 「地域振興から環境に担当部署が移ったのと同時にね、担当課長も異動になったの。気心知れてるってのもあるだろうけど、もしかすると委託先を入札方式にする可能性もあるから、お手並み拝見ってことなのかも。あーぁ」

 「まあまあ。人選も裁量のうち、ということなら、チーフのお好みでいいんじゃないですか?」

 「あとでね、説明責任だっけ、選考過程を開示しろなんて話になったら、そういう訳にもいかないでしょ。何となくそれっぽいことは考えてはいるんだけど、ね」

 想定代表理事を立てて、書類選考をその人にお願いしつつ、自らも理事候補に名乗り出てもらうこと、これまでの役員さんには選考を経てもらうこと、関係筋を中心に公募をかけて課題論文などを通して新たに選ぶこと、そんなプランを語る文花。

 「今の役員さん?は自分が代表に、とか言ってこないんですか?」

 「櫻さんと顔なじみの人が多いから、安心感があるのか、あまり関心示さないみたい、ね?」

 「ま、センターにいらっしゃればお話聞いて差し上げてるんで...」

 運営に不満があったり、兎角(とかく)主張好きだったり、単に己の虚栄心を満たしたいだけだったり、出たがる人には相応のタイプがある。そんな方が偶々(たまたま)いらっしゃらなかっただけかも知れないが、櫻の接客術ないしは人となりによって抑えられている可能性は否めない。

 「代表理事候補の方にはすでに打診されてるんですか?」

 「えぇ、まぁね。お返事はまだだけど」

 さっきからすっかりインタビュアー調で千歳の質問が続いていたが、ここでブレイク。八広が体験談を持ち出す。

 「この間の話じゃないスけど、退職後NPOだとか息巻いて、イケイケの方が代表理事に就いたりすると、ね。運営に馬力が要る場合はともかく、市民活動の性格上、ちょっとどうかな、って思う事例は結構...」

 理事が偉そうにスタッフをこき使う例、役職や肩書きがお目当ての輩ばかりで機能停止している例、もっとタチが悪いのは人の上に立ちたい人ばかりが集まって覇権争いが生じている例... どこでどう情報を稼いだのか、その事情通ぶりには目を見張るものがある。イケイケ路線に懐疑的な割には、自身はいい意味でイケイケな八広である。何はともあれ、生来のフットワークと、時代背景から来る忸怩(じくじ)たる想いが彼を駆り立てるのだろう。現場で得た生の声の蓄積、その場数の豊富さ、これは強みでもある。斯く斯く然々を経て、役員体制を考えるにあたっては、候補者をしっかり見極めることが重要、というのが八広の話から導かれる。

 「そうは言っても、所詮は人が関わることなんで、何がどう転ぶかはわかりません。そこで事務局長の役割が大事になってくる、そんな話も聞きます」

 千歳が取り次ぐ。

 「権限が集中するからって、事務局長は理事を兼任できない、てな規定を設けるところもあるみたいですね。でも、仮に他の理事が暴走したりする局面があったら、それを止めるのはやっぱり事務局長なんですよね。その時、同じ理事という立場でないと、ってなる訳です。勿論負担感は大きくなりますし、自制心も求められますけど、懸ける想いが人一倍強い方なら問題ないでしょう。兼任してでも、だと思います」

 黙って聞いていた櫻だが、ここでいいことを言う。

 「ひな型どうこう、というよりも、自分たちがこうしたい、というのに応じて定款とか体制とかを考えていけばいい、ってことでしょ? 私、文花さんには是非、兼任で切り盛りしてほしいです」

 「あら、ありがと。でも、櫻さんがいれば、暴走する人は出ないと思うけど?」

 「いえいえそんな...」

 何かいいシーンである。だが、今は余韻に浸るよりも、話を深めたい櫻である。

 「でもよく考えると、文花さんが理事になるのに、選考過程って要るのかな?」

 「匿名で課題論文を出し合って、候補者相互でポイントを付け合うってのは一つの手スね。でも、選考委員がいるなら、その人に一存かな?」

 「公募でどれだけ候補者が出てくるか、もありますね。多ければ論文選考もいいけど、少なければ会員による投票でもいいかも知れない」

 「会員って、まだ制度化してないわぁ」

 「でも、募集かければ早晩集まるんじゃないですかぁ? マメに情報送ってることだし」

 「そうねぇ。いや、忘れちゃいけない。名物三人娘効果の方が期待できるわよ」

 「じゃ、おふみさんコースとさくらさんコースとか?」

 「ファンクラブじゃあるまいし。だいたいおふみさんて何よぉ」

 女性二人が掛け合いをやっている間、男性二人は、高度と輝度を増す名月を見ながら、団子を賞味する。

 「ミスマッチかと思ったけど...」

 「ミソマッチ、スかね?」

 月も呆れる軽いギャグ。これでも八広は詩人である。

 「味噌餡団子の黄色とお月様の黄色、どっちもいい味出してる...」

 これぞ名句。おそれいりました。


 定款に盛り込む前提で、仮の会員制度を設定してみては、という話に落ち着く。関係者の裾野というか層を厚くしておいて損はない。

 「設立総会時ですかね、その会員の皆さんによって定款と役員が承認されて... それで初めて動き出す部分もあると思いますよ」

 千歳としても、ワークシェアリング事例として、NPO法人関係者に話を聞くことはあるので、イロハ的なことは承知している。文花は今夜のゲスト二人に改めて感心しつつも、ふと疑問が沸く。

 「それにしても、隅田さんも宝木さんも、お詳しいのねぇ。私、まだまだ勉強不足だったワ。何か特別な思い入れでも?」

 「前に先生を囲んでお話ししたことに通じますけど、NGO/NPOって、社会を見つめ直したり、歪みを戻したり、そのためにあるのかなって思うんスよ。行政や企業の補完的な役割がどうとかって言われることもありますけど、むしろ、行政や企業のドライブにブレーキをかける方に意義が見出せる気がします。一度決めたことが固定化して、そのまま行ってしまうこと、自分はそれをドライブって言ってます」

 「あと彼とよく話すのは、競争と消費の原理に疲弊した人、疑問を持つ人等々の居場所として市民社会はあるんじゃないか、ってことですね。補完ではなく、より積極的な意味を持つ訳です。生き方の選択肢を多様化させる、と言ってもいい」

 「隅田さんも自分も、そういう想いを抱かせる境遇にあって、思い入れも強くなって、それで実態を知りたいってなって、それが動機だと思います」

 法人格の有無を問わず、NPOを標榜する以上は「何とかしたい」という想いは欠かせない。その想いの集合体がO=Organizationを形成することになる。はじめに組織体ありきではない。まして、組織の維持が目的化するようなら本末転倒だろう。想いが共有できなくなったら、解散。それもまたNPOだからこそできる特性である。

 「そっか、Oって組織だもんね。するとNPO法人って言い方、何か変ねぇ」 と文花が少々脱線すると、

 「非営利活動をそのまま訳せば、NPA(Non Profit Action)法人ですかね?」 仕方なく櫻がフォローする。

 「本当は市民活動法人で良かったのにねぇ」

 千歳が薀蓄のような不可思議なことを言ったところで、NPO談議は幕引きとなる。「市民」という表現は意図的に除かれ、代わりに「特定非営利」になった経緯があるそうだが、要は「何を為すべきか」であり「どんな名称か」ではない。それを暗に言いたかったようである。


 談議が熱さを増す傍らで、コーヒーの方はホットではなくなっていた。飲みかけのコーヒーを片手にチーフは、「何か違う飲み物、お持ちしましょうか?」

 「麦茶がまだあったから、持ってきますよ」 代わりに櫻が席を立つ。

 「ところでおふみさん、理事会はまぁ見えてきたとして、実行部隊というか、運営委員とか、部会とかってのは何か考えてます?」

 「理事が決まってからかなぁって思ってたけど、遅い? あ、今、おふみさんて言ったわねぇ! おすみさん」

 しばし、歓談モードになるも、

 「代表理事候補の方と事務局長の間である程度、決めておいた方が議論しやすいかも知れないスね」 八広が戻す。そして、

 「せっかくだから、今いる四人でざっくばらんに...」 文花はホワイトボードを引きずってくる。

 「組織志向ではないとは言っても、対外的に説明しやすくする上で、やはり組織図って要るんですよね。NPOいやNPA法人の場合、頂点には会員、その周りにいわゆるステイクホルダー(利害関係者)、会員の下に総会、代表理事、理事会... かなぁ」

 千歳が話をふくらますと、文花はそれをせっせと転記し始める。戻って来た櫻はその様子が可笑しかったらしく、「おふみさん、そんなにあわてて書かなくても。ペンがヒーヒー言ってますよ」とからかってみたが、「センセだったら、シーシーね」 あっさり交わされてしまった。

 そして文花はペンを止め、想いを廻らせる。そのセンセが代表理事に就いてくれれば... この図式も変わってくるかも知れない。

ち「で、部会の位置づけですよね。理事会の下に枝分かれさせると、理事が部会を担当するって形態を示すことができると思います」

ふ「ほぉ。担当理事制ってこと?」

八「と言っても、センターが何をしたいか、がまず先かも知れないスね」

さ「今のところは、情報提供、普及啓発、調査研究が柱だけど...」

ち「その柱に対して理事、置きますか?」

ふ「理事が先で部会が後って、確かに決めにくい気がする。ある程度、想定できる人材を募らないといけない、ってことかぁ」

ち「部会は必須って訳じゃないですから。集まってから全体をデザインしてもいいと思いますよ」

ふ「そうそうこの間、現場力の話、出たじゃない? 調査研究をふくらませて、現場密着型の、つまり現場力を鍛える部会ってのが一つあってもいいと思ったんだけど、どうかな」

さ「現場って、干潟とか?」

ふ「そうねぇ、仮にセンセが承知してくれたら、担当理事に就いてもらって、櫻さんご担当とか?」

さ「クリーンアップを業務に組み込むってことですかぁ?」

ふ「その方が動きやすくない? そっか、発起人次第か...」

ち「リーダー次第でしょう」

 リーダーはしばし考え込む。

 「私、現場担当ってことなら、地域探訪とかもやりたいな」

 「何か見えてきたんじゃないスか? 地域・現場部会ってのはアリかも...」

 干潟作業を業務化するかどうかはさておき、現場を持つことの重要性については、四人そろって認識するところである。ゴミのデータを調べ、発生源なりを研究し、実態を伝える。たとえその発端が地元の企業や商店ではなくても、一定の啓蒙につながる見込みはある。地域限定的であっても、ゴミの発生抑制策を考えてもらうきっかけが提供できるなら、環境情報センターの役割として決して小さくはない。現場かつ具体的数値、これほど説得力を伴う取り組みもないだろう。櫻が考える探訪も、地域を広く現場とした取り組みと考えればその意義は大きい。実際に足を運んで、目で見て、耳で聞き、手で触れ、五感をフルに使ってそこにある「いいもの」を探す、そしてそれをマップに落とし込む。マップは、地域の資源を市民が共有する手がかりになる。地域を見る目が変わる、環境への思いやりも増す、人も元気に... これは櫻が短冊に託した願いに通じる要素でもある。データカードにしろ、グリーンマップにしろ、その手法については調査研究領域になるので、センターの本来機能に適う。そして、その手法が研ぎ澄まされることで、得られた情報もより活用度の高い情報となろう。地域に根ざした確たる情報提供が可能になるのである。調査研究と情報提供を両輪として、そこから自ずと普及啓発が導かれると仮定できるなら、この上ないこと。月が眩しく四人の席を照らし出す。正に光明が射してきた。

 「地域系情報を集めて発信するシステムも出来上がることだし、その上、自分たちで稼いだ情報が動くとなれば言うことないわぁ。そういうのって、ハコモノとは言わないわよね」

 「文花さんは箱入りですが...」

 「ホホホ」

 いつもと違って、食いつきが悪いチーフである。今晩の漫談は不発ということか、いや無意識のうちに振る舞いが事務局長然としてきた、そんなとこらしい。

 文花は、ボードに部会案を書いた後、漸く自分のポジションが記されていないことに気付いた。あれこれ思案を廻らせていれば、櫻の相方をやっているどころではない。不発の理由がこれでわかった。

 「事務局長は、代表理事の隣? 理事と兼任する場合は理事会の中?」

 「意思決定の優先順位がわかるような表現になっていればいいと思いますけど」

 「他の理事が事務局を軽んじることがないように、理事会と事務局がフラットになっているといいスね。代表理事と理事会の間から線を分けて事務局長、その下に事務局とか?」

 「ま、あとはこれを硬直化させないように、定款でうまく規定化、いや見直し規定を設けるとか、そんなとこでしょうか」

 中味の濃い時間が流れる。時刻は二十時半近くになっていた。センターは一応開館中ではあったが、世間は給料日、いや月見日和ということもあり、夜の来館者はなし。センターも現場と捉えた場合、来館者が少ないようだと場としての価値が問われることになるが。

 「話変わるけど、夜のセンターってこんな感じでいいんですかね。お客さん来ないのに開けとくのって、もったいない気がして」

 即席講座などの催しがあればそこそこ人は集まって来るが、毎日という訳にはいかない。平常時にどれだけ賑やかすか。これは接客係としても気になっていたことではある。

 「場の有効活用って意味じゃ確かにね」

 「部会とかって、つい事業系が中心になっちゃうけど、ハコモノ的要素をどう盛り上げてくか、も部会ネタなんスよね。来客サービスとか相談対応とか人的交流とか...」

 「ま、さっきの両輪の話、調査研究と情報提供でしたっけ、その成果を公開報告する場を設ける、ってのが早道でしょうね。あとは部会を夜開いて、オープンにするとか」

 「お二人さんには頭下がるわぁ。こういう場をオープンにしてもいいかもね。『センター運営協議会』! ちと硬いか」

 餡が良かったのかも知れないが、名月の夜に名案あり、である。さらにいい話が続く。

 「法人登記については、本多業平氏が詳しいと思います」

 「会計実務は、ルフロンに相談するといいんじゃないスか」

 千歳と八広それぞれから、サポーター候補の名が挙がる。若手中心だが、布陣としては悪くない。

 「ところで文花さん、お二人に相談料とか、いいんですか?」

 「おすみさんは、櫻嬢とのデート権でいいんでしょ。宝木さんは...」

 「お団子いただいてますんで。あと、自分としても今日はいい勉強になったし」

 「まぁ、お若いのに謙虚だこと。こういう時、謝金とか出せればいいんだけど、NPOはそれがちょっとねぇ。あ、規定作ればいいのか」

 「いえいえ。そういうのがないから、NPOが成り立つというか。持ちつ持たれつ、お互い様の精神でいいんだと思いますよ。何ちって」

 「そうそう、デート権だって、冗談抜きで余りあるくらい。何せ一番人気の櫻さんと、ですから」

 「フフ。おだてたって何も出ないわよ」

 閉館時間が近づいてきた。文花はデジカメでボードの板書を撮る。八広は窓の外を見ながら、頬杖をつき、ポーズを取る。月をテーマに散文詩でも、といった面持ち。

 「そういや、お月見定番のススキがないスね」

 「あぁ、文花さんがね、またクシャミが止まらなくなるといけないから、止めたんです」

 「何よそれ。私、ススキ花粉症じゃないわよ」

 「今度、河原に行けばわかると思いますよ。イネ科と共通かも知れないから」

 「あら、冗談じゃなかったんだ。自分でも調べてみるわ。ありがと」

 先だって干潟を下見した際、ヨシ原界隈にはススキも隠れていたのだが、上陸ゴミのビックリと南実のイタズラドッキリとで、花粉どころではなかったようだ。文花の準備品が増えるのは必至か。だが、それはそれ。クリーンアップイベントに向けての全体的な準備の方は着々と進んでいる。冬木お騒がせの情報誌ホームページが不安要因だったが、higata@内での迅速な意見交換の末、必要十分な文面がまとまり、詳細案内としては真っ当なものが粛々と掲載された。それから一週間が経つ。情報誌本体と合わせ、どの程度の人が関心を示し、実際に足を運ぼうと考えているのだろう... 開催日まで十日を切った今、ハラハラドキドキが高じてくる。が、現場力という点では少なからず自負はある。メーリングリスト上でエールを交換しつつ、あとはとにかく当日の好天を祈るのみ。


 櫻は食器類を片付けている。八広は館内資料を物色する。残る二人は円卓に居る。ふみさんがすみさんに声をかける。いや、今度はちゃんと本名である。

 「隅田さん、唐突だけど情報担当理事っていかが? 非常勤待遇つきで」

 「え、本気ですか?」

 「本気と書いてマジすよ」

 何だか旧いことを仰るが、どうやら本気のようだ。

 「非常勤ですか... 僕の都合でよければ」

 「週に一度でも構いません。櫻さんと曜日が重なってもOK」

 「この話、櫻さんは?」

 「サプライズにしたい、でしょ?」

 課題論文は一応出してもらうことだけ決めて、委細についてはまた追って、ということに。

 「当市民じゃなきゃダメとかってことは?」

 「別に役所からの委託が百パーセント、ってこともないだろうし。地域といっても、より広域に捉えて、広く人材を募る方が理に適ってると思う...」

 居住地についての規定を設けるところもあるが、文花の考えでは隣接市区とか荒川流域であればいい、とのこと。それなりに案を練ってきたことが窺える。

 アラウンドサーティーともなれば、ONとOFFのコントロール、つかず離れずのバランス感覚、そういった点は大丈夫だろう。二人をこれまで見てきた限り、うまくやってくれそう、という確信がチーフにはあった。いつものお節介という見方もあるが、世話を焼くのが好きなんだから仕方ない。

 「文花さん!」 おふみさんとは言わず、こちらも改まっている。

 「どったの? ニコニコして」

 「デート休暇、日にち決めました」

 千歳は八広と資料の配置云々で話し合っている。休暇交渉が成立した櫻は、彼氏を呼ぶ。

 「千歳さん、デート権をお使いいただく日が決まりました」

 「え、日にち指定制だったの?」

 「十月十二日、終日です」

 「ハ、かしこまりました」


 満月は益々空高く、眩(まばゆ)いまでに地上を照らす。四人それぞれの影が離れつつ伸びていく。河原では中秋の風がススキを揺らす。

 「ハァ、クシュン」 因果関係は定かではないが、誰かさんがクシャミをしている。

 「花粉? ちょっと肌寒くなってきたから、よね」

 今夜は、秋の夜長にふさわしい過ごし方ができた。討議にしろ交渉にしろ、実りが多かったことを振り返る文花。決めなければいけないことは多々あるも、気分的には余裕たっぷり。心は満月の如く、である。

 

【参考情報】 向島名物と言えば / NGO、NPO、NPO法人