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コイノタネ

 最初に矢嶋朋弘に会ったのは、高校の校庭だった。俺はガタイの良さを買われ野球部に在籍していた。どちらかというと考古学研究部に入部したかったのだが、3つ上の兄貴の後輩でもある先輩と、顧問の誘いを断れなかった。

 

  矢嶋は陸上部だった。種目は短距離とハードル。 彼の走る姿がとにかく美しすぎて、心を奪われた。

 体は小さく170cmに満たない身長と、陸上選手特有の華奢な体がトラックを走る。少し長めの色素の薄い髪が汗に濡れ、色白の肌に貼りつく。それを無造作に払い、感情のない顔で走る姿は、群の中にいても輝いていた。

 大会が近くなると、ジャージから競技用のランニングと短パン姿になるのだが、それがまた俺の煩悩を刺激し、集中力をことごとく破壊し、よく怪我をした。先輩や顧問からしょっちゅう怒鳴られ、何を誤解したのか、顧問には面談で「陸上部に興味あるのか?何かやりたいのか?」と真剣に問われた。いつも陸上部を見ているからと。

 陸上に興味はないが、小柄で華奢な矢嶋に女子マネージャーがタオルを渡すのを見て、俺が代わりたいと思った。彼にタオルを渡すためだけに、陸上部のマネージャーをやりたいと言い出したら問題が起こると思い、黙っていたが。

 

 密かに、密かにリサーチをし、矢嶋が進学クラスの中でもエリートコースの特別進学クラスに在籍する同級生で、普通クラスにいる俺にとっては雲上の人だと知った。せめて進学クラスに行きたくて、親も担任もびっくりするくらい猛勉強したが、半年で挫折した。

 恋の力でも及ばないことがある。


ファーストコンタクト

 矢嶋朋弘と最初に言葉を交わしたのは学食だった。

 進学クラス、普通クラスの他、スポーツクラスや商業コースもあるマンモス高校で、食堂で偶然会うなんて運命に近い。少なくとも俺はそう思っている。あの日のあの時は運命だったと。

 

 「ここいいか?」 矢嶋の声は間近で聞いたことがなくて、感動のあまりしばらく惚けてしまった。ぼそっとして、そっけない彼の声でも心には響いた。心の中ではリフレイン。

 「ここいいか?」 彼が再度聞いた。「あ、ああ、もちろん!」 変に力が入った俺の返答に、矢嶋は不信感を抱かなかったかと不安だったが、彼はあまり気にすることなく目の前に座った。彼は一度席を確保すると、食券を買いに離席した。無造作に置かれたカバンと携帯に釘付けだったことは言うまでもない。初めて彼の私物を目にし、ちら見を装いつつ、 携帯の機種や少しカバンからはみ出たノートのブランドを即座にを頭にインプットした。

 彼は定食の親子丼を持ってきた。偶然俺も同じ物を頼んでいたので、勇気を出して親子丼談義をした。そして、自分が万年補欠の野球部員であることを話し、彼の走っている姿をたまに見ると、正直に話した。 驚いたことに、矢嶋は俺のことを認識していた。 「いつも怒鳴られている」 と彼は少し笑って言った。

 その笑顔を写メっておけば良かったと、俺は今でも後悔している。

 

 後に、トモダチ付き合いをする中でわかったことだが、 矢嶋は喜怒哀楽をあまり表さない。その彼が俺との初めての会話で笑ったのだ。その笑顔は時を経て、だいぶ美化されていると自覚はしているが、とにかく可愛かった。それだけは確かだ。


芽生え

  俺、折原陽太は中学2年の時には既に180cm近く身長があった。中学時代はバレーボール部に在籍。バスケットボール部にも誘われたが、連行されるように見に行った練習で、やる気が失せた。

 今では体罰なんて騒がれているが、当時は当たり前だった。目の前で先輩や顧問にしごかれる同級生を見るのが嫌で、入部したら、自分もやられるのかと思ったら、気が滅入った。

 バレーボールも厳しかったが、立っているだけでいいと言われ、仕方なく入った。

 更に身長が伸び、身長は187cmになった。体重は70kg。中学のバレーボール部ではそこそこ活躍したが、高校に入るとスポーツクラスがあったため、レベルが全く違った。

 これで練習の厳しいスポーツではなく、ゆるめの文化部に入部できると思い、少々マニアックな考古学研究部に体験入部をした。しかし、3つ上の兄貴と同じ高校に入ってしまったため、兄貴を知る野球部の先輩と顧問に半ば強制的に入部届を書かされた。

 スポーツクラスの連中が部員のほとんどを占めていた為、普通クラスの俺は万年補欠だったが、走る矢嶋を見ることが出来たので幸せな部活生活だったとも言える。

 

 男に生まれながら、男が好きだと自覚したのは、小学5年生の頃。同級生がアイドル誌やオトナが買うグラビア誌をどこからか持ち込んで、休み時間にみんなで見たが、かわいい顔をした女の子より、メンズ雑誌のメンズモデルや、男の下着のモデルの体を見る方がドキドキした。

 性的嗜好が男性、特に細マッチョの男性にあると自覚してからは、ずいぶん楽になった。自覚するまでは自分が「違う」ということを認めたくなかったし、「普通」と「違う」ことが恥ずかしいという気持ちの方が強かった。

 

 中学生の時に、音楽の先生に恋をした。たぶん初恋。

 もちろん、矢嶋に対する気持ちに比べれば、本当に幼い恋心で、今思えば恋に恋していたというか、男を好きな自分を自覚するために恋をしたような気もするが、細身で華奢で、繊細な先生を見るだけでドキドキを通り越し、興奮した。

 

 とにかく、矢嶋への恋心を自覚してからは、どんな形でもいいから矢嶋に触れたくてしかたがなかった。

 好きな人には触れたい。

 ごく当たり前の感情を、「違う」自分は抑えることしか出来なかった。


触れる

 矢嶋に触れることができたのは、ささいなきっかけだった。

 部活の帰りに、たまたま食堂の自動販売機前に二人で立った。その時に、矢嶋からじゃんけんで負けたらおごれという提案があった。矢嶋にとっては、そこそこ話せるようになった俺とのじゃれあいの延長だったと思う。

 じゃんけんでは彼に触れることができない。矢嶋に触れたい欲求がかなりたまっていた俺は、平静を装い、それこそじゃれあいの延長を醸し出して言った。

 「じゃんけんじゃ普通すぎてつまらない。指相撲やろう。勝負は3回!」

 ほとんど、勢いだったが、矢嶋は笑って了承した。矢嶋はあまり表情を変えないから、俺の提案はやっぱりおかしかったのだろう。

 

 初めて触れた手は温かく、やわらかくはなかったが、予想通りの細くて長い指、全体的にきれいなフォルムの手が俺の手に巻きつくように触れるのを見て、いろいろなところがザワザワした。

 指相撲は手がでかく、指も長い俺の方が圧倒的に有利で、2対1で俺が勝ったが、矢嶋は負けず嫌いなので、その後も挑んできた。

 

 「間合いが好きなんだ。一瞬の緊張感がスタートの時と似ている。」

 圧倒的に不利なのに、なぜ何度も挑むのか不思議に思った俺が矢嶋に聞いた時に、矢嶋が答えた。勝負云々ではなく、俺と指相撲をやるときの緊張感や間合いが好きだと。

 その言葉を聞いて、俺の心の欲望は晴れた。矢嶋も俺との時間を楽しんでくれているのであれば満足だ。肉体的な欲望は仕方がない。これだけは諦めるしかなかった。


この本の内容は以上です。


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