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【本編】介護とは……相手が何を考えるのかを想像するもの。

 
 数年前のことでした。アルツハイマー認知症の進行により一人で立つことができなくなり、一人が両手引き介助をして、もう一人が後ろから支えることでようやく歩くことができるおばあさんがいました。そのおばあさんは僕たちと同じように喋ることはできなくなりました。
「美味しいですか?」
「……お・い・し・いー」
 自分の意思をかろうじて伝えることができる状態です。
そのおばあさんは夫と二人で暮らしていました。おばあさんの主治医から夫は「歩いた方がいい。歩かないともっと認知症が進んでしまうよ」と言われ、ご高齢ながらもその夫は妻の病気が進行するのをなんとか食い止めようと妻を歩かせていました。介護のプロである介護職二人がようやく歩行介助をしていたのに、夫は必死になって妻を歩かせていました。その頑張りが裏目に出て夫は妻を自宅内で転倒させることが多くなったのです。
 僕たちは心配でした。誰が心配かというと、妻ではなく夫でした。このまま妻の病気の進行を食い止めようと頑張っていては夫の方が先に倒れてしまう。そうなってしまっては誰も妻を看る人がいなくなってしまう。
 僕たちスタッフはその妻が利用となった日は必ずといっていいほど夫の心配をしていたのです。
 ミーティングの話題はいつも夫です。そのとき看護師が口を開きました。
 「旦那さんの身体が心配なことや私達介護の専門職の介護負担のことはわかったけど、当事者である本人はどう考えているの?」
 僕はそのとき、その看護師が何を言っているのか意味が分かりませんでした。
 「美味しいですか?」と質問してかろうじて「お・い・し・いー」と答えることができるその方が何を考えているか? そんなことわかるわけないと思いました。そのおばあさんが何を考えているかなんて伝えることができない、ましてや僕たちがわかるはずがないと思いました。その当時の僕は理解ができなかったのです。そのことを理解するだけの実力がなかったのです。
 「認知症が深くなって受け答えがうまくできないこと」はイコール「本人の意思を無視していいということ」ではないのです。
 介護職として一番大切にしたいことを僕は分かっていなかったのです。認知症が深くなり、意思表示がほとんどできなくなっても、僕たち介護職だけは”僕がお客様の立場だったらどう考えるのか?””何が最善なのか?”常に追求していかなければならないのです。僕たちはいつもお客様はどう考えるのかを忘れてはいけないのです。

【考察】介護とは……相手が何を考えるのかを想像するもの。

 
 終戦直後の復興期に松下幸之助は裁判官から聴かれました。
「日本復興には石炭が必要だと思う。しかし、採掘が思うように進んでいないような。これをどう考える?」
 「石炭のことは石炭に聞いてみる。これがいちばん、いいのではないですか?」
 松下幸之助さんは石炭に聴いてみましょうと答えたのです。もちろん、石炭は口を持たないし、生き物ではないので何を考えているのかを聴くことはできません。しかし、僕たち人間は石炭の立場になって考えることはできるはずです。
 さて、介護業界に従事する僕達にはこのエピソードに似たことが日々起きています。今回の僕のケースも同じなのです。脳の萎縮により、言葉が出なくなり、自分の気持ちを伝えられないお客様と接する僕達はついつい介護職目線や介護する家族目線で介護サービスを考えてしまいがちです。
 もちろん、介護の問題は介護されるお客様だけでなく、介護をする家族も関係します。だからといって、家族に重点を置くばかりが介護でしょうか? 介護をされるのは誰でしょうか? それは高齢であるお客様です。
 僕たち介護職は介護をする家族の目線だけでなく、介護をされるお客様の目線、想いを考えましょう。


この本の内容は以上です。


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