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二郎は鮨の夢を見る

2013年3月9日鑑賞

***二郎と弟子たちが奏でる「SUSHI」のシンフォニー***

NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」という番組で、ある鮨職人を取り上げていた。その人の名は「小野二郎」
黙々と鮨を握る姿。
僕はハッと思ってあわてて録画した。
その後、何回も何回も観た。
何度観ても新たな発見がある。
仕事とは何か?
職人とは?
極めるとはどういうことか?

これと全く同じことを、僕はあるドキュメンタリー映画で、今も学び続けている。
それは「セカイのオザワ」と呼ばれる、指揮者小澤征爾さんのドキュメンタリー映画「OZAWA」(1985年、デイヴィッド&アルバート・メイズルス監督作品)である。
この作品を創ったのがピーター・ゲルブさん。そして本作「二郎は鮨の夢を見る」を創ったのが、まさにその息子さんのデヴィッド・ゲルブさんなのだ。
「一流というのは二流に飽き足らない人のこと」
昔そんな言葉を聞いたことがある。
二郎さんの鮨は「国宝にすべき」とも言われる。
あの「フレンチの帝王」と呼ばれるジョエル・ロブションも

「日本に来て一番楽しいのは、二郎さんのスシを食べているときですね」と言う。
二郎さんのお店のメニューは「おまかせ」というコースだけだ。「プロフェッショナル・仕事の流儀」や本作で披露される、二郎さんの鮨のコースは、まさに鮨のフル・オーケストラが奏でるシンフォニーのようだ。
さりげない第一楽章から始まり、徐々にふくよかさをます第二楽章。鮮やかな場面転回を見せる第三楽章。それはまるで巧緻な建築物のように組み立てられてゆく。そして最も盛り上がるクライマックス。最終楽章。五感と魂までひとつ上の次元まで持っていかれてしまう。そして豊かな余韻を残すエンディング。
気づくと、”ふぅわり”と現実の世界に戻って来ていることに気づかされる。
本作で使われるモーツァルトのピアノ協奏曲。
「SUSHI」と「モーツァルト」のまさかのコラボレーション。
だが「二郎さんが握る鮨」だからこそモーツァルトと見事に融和するのであろう。
小野二郎さんはその「SUSHIオーケストラ」の指揮者ではない。
彼は鮨を握る「鮨職人」であり、自ら「SUSHIシンフォニー」を奏でる「コンサートマスター」なのである。
小野二郎さんは現在87歳。
厚生労働大臣から現代の名工として表彰された職人さんであり、世界最高齢の現役三ツ星シェフとして、ギネスブックにも認定されている。まさに世界の料理界から注目される日本人だ。
そんな二郎さんにスポットをあてて、ただ賞賛する映像作品を作ることはたやすい。この作品の素晴らしさは、二郎さんだけをフォーカスするのではなく、日本の食文化である「鮨ないしは寿司」とその食文化をどのように後世に伝えてゆくか? ということも描いているところにある。
小野二郎さんが到達した「心」「技」「体」をどうやって弟子達に伝えてゆくのか?
いまや「SUSHI」は世界中で食されるグローバル化された食文化だ。
だが世界中にある「SUSHI・レストラン」の中で、芯のブレない「本当の本物のスシ」を食べさせる店と呼べるのは、ほんの一握りだろう。その頂点にあるのが日本の東京銀座にある「すきやばし次郎」であり「二郎握り」と呼ばれる匠の技、「スシの神様」が愛する「神の手」を持つ小野二郎さんなのである。
小野二郎さんと、僕の大好きな小澤征爾さん、お二人に共通していることがある。
それは「お客様に見てもらう部分は5%だけ」ということだ。残りの95%は影の悪戦苦闘なのだ。
二郎さんも小澤さんもしっかりと下ごしらえ、仕込みをやっているのである。
極上の味、極上の音楽を生み出すためには、客席からは見えない舞台裏での悪戦苦闘があるのだ。そして二郎さんも小澤さんも、その苦労を敢えて表に出そうとしたがらない。見せたがらない。こういう人を本物のプロフェッショナルと呼ぶのだと思う。
ドキュメンタリー映画である本作も「OZAWA」も、敢えてその聖域に踏み込んだ。取材はOKされた。それは監督の熱意と粘りはもちろんのこと「作品を作る意義」を相手が認めてくれたからだ。だからどちらの作品も後世に残せる、貴重な映像記録となったのだ。
二郎さんは、今、その95%の部分を若い弟子達に任せている。若い人達に任せることで「二郎の鮨」を後世に伝えるためである。


玉子焼きを任せてくれるまで、何と十年を要する?!という「すきやばし次郎」での修行。

この作品を観ていて嬉しいのは、何としてでも寿司の最高峰を目指そうと悪戦苦闘している、若い見習い職人さん達が育っていることだ。更に嬉しいのは、若い見習い職人さん達の姿と肉声を、監督が、この作品にとって欠かせない部分として、映像化してくれたことだ。
二郎さんの握りは「手当て」と呼ばれる下ごしらえが施される。これに途方もない労力をかける。修行に10年かかる玉子焼きに始まり、酢で締める鯖、藁で燻すカツオ、アワビの煮込み方、海老の茹で加減、アナゴの焼き加減。それらの工夫、ノウハウの継承。
しかし、これだけのことをやっても、お客さんの前に出せる「ハレの舞台」に上がれるネタは、その一部でしかない。
ドキュメンタリー映画「OZAWA」でもオーケストラのリハーサルで真剣勝負している指揮者、小澤氏と、若者を指導する教師、指導者としての小澤氏の両面の姿が描かれている。
製作者のゲルブ氏一家は、一流のアート感覚をDNAとして引き継いでいるのであろう。本作でも、その映画作りの視点が、日本や日本の食文化、その奥深さを捉えることに成功している。そしてなにより「鮨職人」小野二郎と、ひとりの人間としての小野二郎に惚れ込み、敬愛の念を持つ、監督の気持ちが痛い程伝わってくる。そんな二郎さんは今日も無愛想に黙々と鮨を握る。
西洋の心と日本の心が溶けあい、見事なハーモニーを奏でた本作。
ドキュメンタリー映画の傑作の誕生である。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆☆
配役 ☆☆☆☆☆
演出 ☆☆☆☆
美術 ☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ

監督   デヴィッド・ゲルブ
主演   小野二郎、すきやばし次郎スタッフ、山本益博
製作   2011年 アメリカ合衆国
上映時間 82分
 
予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=Bwy2ubbQ-2s


フライト

2012年3月11日鑑賞
*** これがデンゼル機長の神業さ  ***
久々にデンゼル・ワシントンらしい、人間ドラマに集点を絞った重厚な作品だ。
人間ってのはありきたりなアクション映画のヒーローみたいに単純明快じゃない。
何が善で何が悪か? 
その境界線ってどこだろうか? 
そして善人にも、悪人にもなってしまう、そんな自分って言うヤツはいったい誰なんだ?

その問いを観客へ投げかけるラストシーン。
映画作品として見事な「着陸」を観せてくれている。
デンゼル・ワシントン演じるウィトカー機長。
彼は経験豊かな機長だ。パイロットとしての才能はハンパじゃない。
彼なら旅客機なんぞ、それこそ鼻歌気分で片手運転出来るぐらいだ。

でも機長としての仕事は楽じゃない。
3日で10往復は、かなりのストレスを伴うのだろう。
彼はそのストレスからだろうか、よく酒を飲む。飲まなきゃやってられない。
フライトの朝、親しくなったCAさんとベッドイン、頭は二日酔いでフラッふら。

目覚めにコカインという鼻薬をシュッと一発決めりゃあ、もう、気分はヒーローでスーパーマン。シャキッと「ウィトカー機長殿」の姿に変身だ。このあたりのスピーディーな編集はお見事。
こういう、黒人のエリート層を演じさせたら、本当にデンゼル・ワシントンの独壇場だなぁ〜とつくづく思う。
さて、離陸した旅客機は悪天候の中を飛んでゆく。機体がガタガタ揺れる。まるで遊園地のジェットコースター並みだ。だが、そこは熟練パイロット、ウィトカー機長である。雲の隙間を素早く見つけ、乗客に希望の太陽と青空を見せ付ける。
乗客やんやの大拍手。まさに千両役者ウィトカー機長だ。

まあ、こんなことぐらい朝飯前にやっちゃうのが、ベテランパイロットの経験と勘なのだろう。
だが、それも束の間。機体にトラブル発生。
エマージェンシー!! 
緊急着陸。
下がる、下がる、高度は下がる。
コントロール出来ない。あわや墜落!!
という局面でウィトカー機長はまさかの奇跡を起こす。

旅客機ではあり得ないアクロバット、背面飛行で、機体を立て直し不時着させるのだ。
気がついた時、彼はベッドに寝かされていた。
彼の目の前には弁護士がいる。
「機長、あなたの血液からアルコールが検出されました」という報告が……。
彼はアルコールに溺れていた。辞めようと思ってもどうしても辞められない。
妻と一人息子よりも「酒」と「コカイン」を選んでしまった人間なのだ。彼は誰よりも自分のダメさ加減を分っている。だからよけいストレスが溜まる。そう言う複雑な人物像をデンゼル・ワシントンは実に丁寧に演じている。

ロバート・ゼメキス監督は「フォレスト・ガンプ」のとき、観客に実に理解しやすい主人公を描いた。
自分にも他人にも正直であること、誠実であることは、たとえ知的障害があったとしても「人間として尊い生き方なのだ」ということを、老若男女、誰がどう観ても分るように、優しく、かみくだくように描いた。
娯楽性も申し分なく、観終わった後、すがすがしい余韻が残る、傑作であると思う。

さて、今回の「フライト」はどうであろうか?
この作品は100人の観客がいれば、100通りの、全く異なる印象、全く異なる感想を持つことだろう。
そう言う作品なのだ。
監督は万人ウケはあえて選択しなかったのだ。

この作品は編集面でやや冗長さは感じられるが、決して駄作なんかではない。
正直、デンゼルファンの僕としては、最近の彼が結構、駄作としか言い様がない作品に、度々出ていることが気になっていた。だが、デンゼルの名誉とデンゼルファンのプライドに賭けて、これだけははっきり言っておく。

「本作は駄作なんかじゃあない」
この作品は観る人の「人生の経験値」に比例して、感動も深まってゆく作品なのだ。
ロバート・ゼメキス監督はそう言う作品にあえて創り上げた。だからこの作品を小中学生に見せても、ただの「アル中で薬物中毒のヤバい機長の話し」としか受け止められないだろう。

映画の終盤、ウィトカー機長は事故の公聴会に出席する。彼はそこである決断に迫られる。
それは自分で自分を裁く行為だ。
彼は冷静に、厳格に、自分を裁く。
それが人間として生きる道なのだと彼は決断した。

こんな難しい心理状況、それをデンゼル・ワシントンはまさに人間心理のアクロバット飛行のように演じてくれた。
彼はこの作品を操る、見事なパイロット、操縦士だった。

 もしあなたが飛行機オタクで、派手な飛行機のアクロバットやスペクタクル、パニックの興奮をこの映画に期待するのであれば、毎月のように公開される、ハリウッドのアクション映画を観た方がいい。
コカ・コーラと(これもコカインからきているんだよね)ポップコーンをバリバリ頬張りながら楽しむ事をお勧めする。
本作は残念ながら、そちらの方面へは「フライト」しないのである。

しかし、もしあなたが人間を観察することが好きで、人間はどう生きるべきかを心の隅っこにでも忍ばせている人であり、そして映画からそのきっかけを学びたい、と思っている人であるなら、僕は、そんなあなたに、この作品を強くお勧めしたいと思う。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆☆
配役 ☆☆☆☆☆
演出 ☆☆☆☆
美術 ☆☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ
監督   ロバート•ゼメキス
主演   デンゼル・ワシントン、ドン•チードル
          ケリー•ライリー
製作   2012年 アメリカ合衆国
上映時間 138分
 
予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=jEKF2EfSBQk


愛、アムール

2013年4月4日鑑賞
***君こそ、愛ゆえに***
本当はこの映画レビューは書くべきではないのだろう。
正直あまり感心しなかった。
カンヌのパルムドールに輝いた作品。
カンヌで賞をもらった作品はハリウッドのアカデミーの対極にある様な作品が受賞する事が多い。
映画ファンを自認している人間として、時には難解な映画を見て鑑賞眼を鍛えるということで、ほとんど義務として観た。
本作は、年老いた夫が、体の不自由な妻を介護する話。
妻は美しいピアノ教師であった。立派なピアニストも育てた。
そんな彼女がある日、意識をなくしてボーッとしてしまう。

夫は彼女の異常を発見する。医師に相談すると手術したほうがいいと言う。
成功率は95%だ。
安心していい。
嫌がる妻を説得し手術を受けさせた。
結果。
彼女は残りの5%のカテゴリーに入ってしまったのだ。
体に障害が残る。ほとんど歩けない。そんな妻をみて、夫は献身的な介護を始めるのだ。
僕が昨年見た映画で「最強のふたり」という作品がある。
こちらの作品は、首から下が全く動かない大富豪を、不良黒人青年が介護する話。これは実話だ。社会的地位や、人種、そして障害を乗り越えて、二人の間に友情が芽生えると言う、観終わった後、スカッと爽やかな作品に仕上がっている。エンターテイメント性も申し分なく楽しめる作品だ。
本作「愛、アムール」は正に真逆と言っていい。
難解であり、楽しくもなく、暗いトーンの作品。
観終わった後、つらい感覚が残る。
お金を払ってなぜつらい事を経験せねばならないのか?とさえ思わせる作品である。観客もそれぞれ、生き辛い人生を背負って、それでも映画館に足を運んでいるのである。
僕が疑問に思ったのは、そもそも、この作品を映画で表現する必要があったのだろうか?ということだ。
映画で表現すると言う事は、スクリーンで「動く画」を見せる「必然性」がなければならない。ぼくにはこの作品に関して、何も必然性を感じなかった。
小説で表現した方がいい作品であろうと思われた。
ミヒャエル・ハネケ監督が、あえて絵を見る楽しみに挑戦していないように思えて仕方なかったのである。
例えば、二人の出会いや恋愛シーンを回想で観せる、とか、美しく若かった妻が、流麗にピアノを弾いてみせるシーン等、僕が監督なら是非入れたいと思う。
しかし、本作では、そんな観客を楽しませる、うっとりさせるようなシーンは全くないのだ。せいぜい数年前の回想シーンがあるだけだ。

ここ数年、映画館に通い続けて思うのは、老人を扱った映画が極端に多くなっていると思える事だ。少子高齢化は日本の専売特許の様な感じがするが、邦画で老老介護を真正面から捉えた作品には出会ったことがない。もちろんそんな作品を作ろうとおもってもどの映画制作会社も却下するだろう。興行収入が見込めないからだ。「売れる」と予想出来るネタしか映画化しないというのは、映画界に取って自らの可能性を否定する行為だと僕は思う。
しかし、ドイツ人監督ミヒャエル・ハネケ氏は世界に向けて老老介護問題を本作で発信した。
この作品で特筆すべきなのは、体が不自由になった妻を演じた女優エマニュエル・リヴァのあまりにもリアルな演技である。
体が動かなくなってから、次第に生きる意欲そのものが衰えてゆく様を、迫真の演技で表現してみせた。
また、本作では、二人の部屋に鳩が迷い込むシーンがある。
これはおそらく監督にとって、命の象徴として表現したかったのであろう。夫はこの鳩を窓から逃がしてやる。夫にはそう言う命に対する優しさがある。
ところが、妻の介護を続けてゆくうちに、夫は変貌してゆくのである。夫は美しいピアニストであった妻を、美しいままの姿で閉じ込めておきたかったのだろう。
物語の終盤で夫が取る行動は、観客である我々が、それぞれの立場で受け止めるしかない。ミヒャエル・ハネケ監督はそう言う問題提起を観客に投げかけた。

主人公の夫、彼は芸術を愛する美意識を持ち合わせていた。だが、それ故に、醜いとしか言い様がない現実生活に悲嘆した。また、自分の愛と美へのエゴが、衝動的な行動へ駆り立てたのだろう。エゴとは愛の表現の側面でもあるのだと、僕は思う。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆☆☆
美術 ☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆
総合評価 ☆☆☆
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作品データ
監督   ミヒャエル・ハネケ
主演   ジャン=ルイ・ランティニアン、
     エマニュエル・リヴァ
製作   2012年 フランス/ドイツ/オーストリア
上映時間 127分 
 予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=626RPRSHPn0


ザ・マスター

2013年5月3日鑑賞

*** 彼こそ我が全て、でいいの? ***

フィリップ・シーモア・ホフマンの演技が見たくて映画館に足を運んだ。今回彼が演ずるのは、心理療法家であり、哲学者であり科学者でもあると言う、ちょっと怪しいカルト集団の中心人物。
なお本作の主人公は彼ではない。その心理療法家に心酔してしまう男フレディ(ホアキン・フェニックス)が主人公である。


フレディは第二次大戦に従軍した。そして心にキズを負った。そのキズが癒える事なく復員。やがて彼は写真技師として仕事を始める。高級デパートの一角で来場客相手に
「はい、撮りますよ、笑って〜」
パシャッとシャッターを切る。
愛想笑いも振りまく。そこまではいいのだ。
だがどうにも肌に合わない客がいた。客には何も落ち度がない。ただ彼の方が一方的に、客に敵意を持ったのだ。
フレディは客をいたぶり、いじめた挙げ句、大げんかとなる。デパート内は大混乱。当然、出入り禁止となり職を失う。
他に色んな仕事をやってもみても、うまく他人と関われない。そんな時、たまたま心理療法セミナーを開いていたマスターと呼ばれる男に彼は出会う。
マスターは被験者をソファに寝かせ、いわゆる前世療法を施す。マスターは本も書いている。


これは結構売れていて話題になった。新聞記者も取材にやってくる。
「これは科学的じゃないと思いませんか? カルトじゃないですか?」
との質問に笑顔でサラリ、とはぐらかしてみせるマスター。
彼の取り巻きはそんなに多くない。家族とごく少数の仲間達である。
決して大きな教団等ではない。
この作品は、主人公の眼からマスターを見る視点でつくられている。
マスターはあくまで紳士的だ。
決して強引に組織を大きくしようとはしない。
慈善事業のようにも見え、そのくせ富裕層との付き合いも大切にして、そのポケットから、さりげなく収入を得ているようだ。
このあたりの描き方がケレン味がなく、じつにうまい。
マスターの心の舞台裏、本音の部分を映画は敢えて見せようとはしない。
だからよけいミステリアスだ。
そこにこそ、マスターが人を惹き付ける魅力が隠されている。主人公はやがて「この人となら、どこまででもついて行く」ぐらいの気持ちになってくる。そしてマスターを独占したい様な衝動に駆られてゆく。
男が男に惚れるのは、本当にタチが悪い。
それはかつてオウム真理教の麻原の言葉に、多くの若者が心酔した図式に似ている。
オウムの若者達にとって、教祖麻原から声をかけてもらえた、ホーリーネームをもらった、教団内での位が上がった、なんて事になったら、それこそ羨望と嫉妬の的だ。
まるでオンライン・ネットゲームで、キャラクターの名前に変身し、どんどんレベルを上げてゆく、その感覚。
このゲームだけは他人に負けない、負けたくない、他人から認められたい、他人に自慢したい。
このゲームだけが自分の全てなのだ。
あまりにも世間知らずの、平凡で、いい子で、人を疑う事を知らない、素直な人ほど、こういうカルトにのめり込んでしまうのだろう。
本作は主人公フレディの安らげる、唯一の心の置き所が、マスターの存在そのものだったのだろう。
もちろん僕は思想、信条、宗教の自由は大切だと思う。日本国憲法はそれを認めている。
大切なのは、他人の考え方や、信じる事、価値基準が、それぞれ違う事を認める「懐の広さ」を持つ事だと思う。
違う大義で生きている人達もいるという事だ。
違う大義が衝突すると悲劇が生まれる事を、我々は既に体験している。
そこから何を学ぶのかである。
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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆☆
映像 ☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆
総合評価 ☆☆☆
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作品データ
監督   ポール・トーマス・アンダーソン
主演   ホアキン・フェニックス、
     フィリップ・シーモア・ホフマン
製作   2012年 アメリカ
上映時間 138分 
 予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=HVOWSsgtz4k


大奥〜永遠〜[右衛門佐・綱吉篇]

2013年1月18日鑑賞


***「男女逆転」二匹目のどじょうの行方***


「これっておもしろいかぁ? 」というのが正直な感想でした。
大奥での男女逆転という発想は奇抜で面白い。それは第一作目で既に描いてしまったこと。続編を作る、第二作目を作るというのは、前回以上の目新しさと面白さがありますよ、ということでしょう。
第一作目は、実は僕は観ていない。予告編で観ました。二宮君のちょんまげ姿が絶望的に似合っていなかったので敬遠しました。
さて、本作は主役の将軍綱吉に菅野美穂、相手役が堺雅人にバトンタッチ。このキャスティングは僕のツボにはまった。これは観に行きたいと思いました。
脚本は誠実です。丁寧に描かれています。それは認めます。しかし残念ながら面白くも何ともないのです。この映画を一言で言い切ってしまうと、キャスティングの魅力、役者のネームバリューと演技力に頼ってしまった作品だと思います。
堺 雅人が以前演じた時代劇、「武士の家計簿」をご覧になると良い。これはもう抜群に面白かったですよ。歴史学者である磯田道史氏の優れた原作、及び膨大な資 料と正確な時代考証。これにより、当時、ソロバンで給料をもらっていたお役人としての武士の姿が、輪郭も鮮やかにクッキリと浮かび上がったのです。
堺雅人が演じる小役人。彼は細かいことは実に几帳面。何でも記録しておかないと気が済まない。律儀で真面目でいじらしい。
しかし、世の中の流れを大局的に観ることは苦手なのです。
原作者の磯田氏は言います。
「もう、悲しい程、現代日本人の原型がそこにあるんです」
さて本作に戻ります。
今回の大奥の見所はと言うと、やはり、映画ならではの豪華で、きらびやかな舞台装置であり、室内調度品の数々であり、身に着ける衣装の華麗さでしょう。
まさに「正月映画」興行にふさわしい、「眼の正月」を味あわせてくれます。
それにしても脚本の弱さが気になるのです。
将軍には男の子のを産む必要がありました。しかし、どうしてもダメなら他の徳川の分家筋から、次の将軍を引っ張ってくるという、最後の手段もあるのです。
それを何としてでも阻止したいと言う将軍の父親、桂昌院(西田敏行)と、他の徳川分家との確執をもう少し詳しく描いてほしかった。
そのため、どうしても男の子を産まねばならぬと言う、切迫感が観客に伝わって来ないのです。
また、大奥は日本国中から選りすぐりの美男で固められているはず。そこになぜ、宮藤官九郎が御台所役として入っているのか? 理解に苦しみますね。
もし自分が脚本家なら、と空想してみます。
女将軍である綱吉がもしも、同性愛者であったなら……。
いやがる侍女を夜な夜な寝所に引き寄せ、いたぶり遊ぶ綱吉。(もちろん映画は18禁になりますけどね)側近中の側近である柳沢吉保もオンナであるから、これも「お手付き」にしてしまう。柳沢は毎晩のように寝所の傍らに待機している。そして綱吉の夜の女遊びを黙認する。
その心中、実は吉保は綱吉に恋心を抱いている。身分を超えた恋心。夜な夜な他の侍女に手をつける綱吉に柳沢は嫉妬する。
綱吉はたまに父親である桂昌院から絶世の美男子を世話してもらうが、綱吉はどうしても男を受け入れることが出来ない。
世継ぎを生まねばならないという切迫感と、それでもオトコを受け入れることが出来ない自分のカラダと心、その業、性に、綱吉は葛藤する。その姿を描く、というのはどうでしょうか?
前作の予告編を観る限りでは、大奥内の男性の同性愛、いわゆる男色、衆道についても若干、描かれている様なので、こういう設定もありなのではないかと……
以上私の戯れ言でございました。


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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆
美術 ☆☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆

総合評価 ☆☆

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作品データ

監督   金子文紀
主演   堺雅人、菅野美穂
製作   2012年 
上映時間 124分
 
予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=ueobrzJhBj4




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