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DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?

2013年2月24日鑑賞

***ブラックホールとしてのAKBシステム***


それはステージの上に透明なテープで無造作に貼付けられていた。
「0番」「センター」と呼ばれる立ち位置である。
ここから見える景色は特別だ。横に仲間は見えない。誰にも助けてもらえない。目の前に見える景色は観客だけである。この位置に立つ者はグループの「顔」と しての役割を与えられる。観客から最も近い距離で声援されるポジションであり、また、最も激しく「バッシング」されるポジションでもある。
そのポジションに七年間立ち続けたのが前田敦子という少女である。
アイドルグループAKB48において「不動のセンター」「絶対的エース」と言われ続けた前田敦子。ファンなら誰でも知っていることだが、彼女は運営側から 命令されてセンターを務めることになった。当初は嫌がっていた彼女だが、何年もセンターを務めることにより、徐々に本人にも自覚が生まれていったのだろう。
彼女はやがて輝きを放ち始める。それはスタッフの想像さえ超える程の輝きだった。そして前田敦子と言うキラキラ光るダイヤモンドの虚像は一人歩きを始めた。それは求心力をもったダイヤモンドだ。

その前田敦子がAKB48からの卒業を発表する。さいたまスーパーアリーナでのコンサート。突然の卒業発表に、会場に居合わせたファンは、まさにこの世の終わりとまで思ったことだろう。会場は阿鼻叫喚の渦となり、さながら地獄絵図を思わせた。
AKB劇場公演最後の夜。彼女は秋葉原というひとつの街を、丸ごとパニックに陥れた。それ程の巨大な虚像であったことを前田敦子は証明した。まさにアイドルバブル状態の頂点に彼女は存在したのだ。
やがて「前田敦子」と言う名の「祭り」は終わり、ファンは次の「祭り」「次のセンター」をAKBに求める。

AKBというシステムは実に残酷なシステムである。アイドル、あるいはアイドルになろうとする少女達を競わせ、格付けし、順位を付ける。


それが多くのファンの興味と関心を湧かせ、巨大な集客マシーン、集票マシーンであることを、敢えてあからさまに見せ付けている。
AKBというシステムは「高校野球のようなもの」とプロデューサーの秋元康氏は言う。
バッターがボテボテの内野ゴロを打ったとしよう。アウトになるのは分り切っている。だが、それでも全力で一塁へ走り、ヘッドスライディングする。更には審判に「アウト!」と言われ、そのあとベンチに帰るときも「全力疾走」する。
これが高校野球に例えられる「AKBスピリッツ」なのである。
プロ野球は観ないが、春と夏の高校野球は楽しみにしているという野球ファンは多いと思う。僕もそのファンの一人である。
秋元康氏は「AKB劇場」という、アイドルのための甲子園を作った。
高校野球に独自の野球ルールがあるように、AKBというシステムにもルールがある。それが「恋愛禁止」という条例である。
2012年のAKBにおいて特筆すべきことは「恋愛スキャンダル」という「津波」に何度も襲われたことだ。
選抜総選挙4位と言う大躍進を遂げた指原 莉乃。会場となった武道館のステージ。彼女はまるで天国にいるかの様な気分になったことだろう。しかし、ある週刊誌は虎視眈々と狙っていた。彼女の恋愛スキャンダルは総選挙が終わった直後にスクープされた。
喜びは束の間。それは指原にとって正に三日天下だった。彼女は文字通り、天国から地獄に真っ逆さまに突き落とされた。
これはAKBにとって2012年最大の「津波」だった。しかし秋元氏と指原は、HKT48への移籍という形で、この難局を粘り腰で乗り切った。
だが、残念ながらこの津波に飲み込まれ、助からなかったメンバーもいる。
中でも、一期生の平嶋夏海の脱退は、運営スタッフ達にとって断腸の思いだったろう。
AKB発足時のメンバーでただひとり、ブレイクしそこなっていた平嶋。秋元氏も「今年こそ頑張れよ」と彼女にユニットメンバーの地位を与え、チャンスを与えていたのである。
しかし、その期待をスキャンダルと言う津波は、無常にも”木っ端微塵に”打ち砕いてしまった。
デビューから彼女を陰で見守って来た劇場支配人、戸賀崎氏は泣いた。泣き崩れた。キャメラは大の男が泣き崩れる背中、そのくやしさを冷徹に捉えた。
ドキュメンタリー作品としての本作は、過去のAKB関連作品の中で最も演出、編集が良いと僕は思っている。
何を見せたいのか? という監督の演出意図が実に的確なのだ。
本作では特にコンサートでのバックステージに絞って、ドキュメンタリーが構成されている。そこにリアルで「ガチ」なAKBの姿がある。

高校野球や、宝塚歌劇は何十年と言う歴史を持っている。AKBというシステムもやがてそうなるのだろうか?
秋元氏が生み出したこの「AKBフォーマット」と呼ばれるシステムは、今や日本の重要な輸出品でもある。
日本国内における経済効果は今や300億は下らないといわれるから、外国政府にとっても巨大企業誘致に匹敵する、魅力的なシステムなのだ。それを思うと、このシステムは、そう簡単には破綻しないだろうと思われる。
AKBというシステムは常に自らの組織を発展的に壊し、再構築し続けている。そこには常にサプライズがある。近頃、最大のサプライズの噂がある。
「秋元康、本日をもってAKBを卒業します」という発表である。
その時、熱狂は終わるのだろうか? それは当の彼女達AKBメンバーが最も関心を持っていることだろう。
さて、AKBは日本文化に何をもたらしたのだろうか?
秋元氏がゲリラ的に始めた秋葉原の小さな劇場。そこで歌い踊る少女達が日本文化の一部を切り取り、世界に向けて発信するまでになった。かつては一部のオタ ク的、隠れ家的な文化が、今や日本全土をカバーする、エンターテイメントの本流にまでなってしまった。ファンは増え続け、熱狂し、CD売り上げはミリオンセ ラーを連発している。もはや、日本国民全てがAKBを「知っている」状態になった。
「サブカルチャー」が「メインストリーム」に成り上がったのだ。
AKB選抜総選挙は、衆議院議員選挙よりも遥かに盛り上がる。
「AKBグループ総監督」といういかめしい肩書きを持つ「高橋みなみ」
高橋みなみは、一声でドーム球場50,000人の観客を黙らせることが出来る。総理大臣でもこれは出来ない。おまけに彼女は身長たったの148cm。まだ21歳という若さだ。まさに離れ業である。ファンにとって小柄な彼女の声はまさに「神の声」なのである。
秋葉原の小さな劇場でスタートしたAKB。初日の一般客はたったの「七人」だけだった。
そのAKBというアイドルグループシステムが、まさかここまで肥大化し、大衆への影響力を持つことになろうとは、誰が想像出来ただろう。
これはあくまで僕の個人的な感覚なのだが、ある種の嘔吐感さえ伴った「気持ち悪さ」を感じずにはいられないのだ。
それはあの悪名高い「ナチス•ドイツ」の集会とあまりにも似ているからだ。
そこには熱狂があった。大衆は安易に求心力を求めた。
いったいこの先、AKBはどれほどの熱狂と集中を生み出し続けるのか?
その気持ち悪さは、大衆と言う名の「頭のないバケモノ達」の意志のエネルギーを吸収し続ける。
そしてあまりにも肥大化したエネルギーは、遂には日本文化そのものを飲み込んでしまう、ブラックホールになる恐れさえある。
そこにはもはや「未来と言う名の光」さえ飲み込まれる、暗黒の世界が待っている。
僕にはそんな風に思えてならない。
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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆☆
演出 ☆☆☆☆
美術 ☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆

総合評価 ☆☆☆☆

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作品データ
監督   高橋栄樹
主演   前田敦子、高橋みなみ、他AKB48グループ
製作   2013年 
上映時間 128分 

予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=ytl3cJJEIf8&feature=share



100万回生きたねこ

2012年3月2日鑑賞

***佐野洋子さんに謝りなさい***

「100万回生きたねこ」がドキュメンタリー映画になる!!
佐野洋子さんのファンにとっては、もう期待で胸が一杯になるはず。僕は「100万回生きたねこ」は一回だけ図書館で読みました。その時の記憶、飛んじゃってるんです。
夢の中にいる様な感じで、自分が何を読んだのか? 何を体験したのか? 読み終わってただ呆然としていたのです。


こんなすごいことが絵本で出来るんだ……。
そう言うことを教えてくれた佐野さん。
僕はその後、佐野洋子さんの「コッコロから」という小説を読みました。
なんて幸せな小説なんだろう。
なんて人を喜ばせる小説なんだろう。
僕は今小説の習作を書いています。
だけどうまく書こうとする程、全然書けない。
佐野洋子さんはプロの小説家ではありません。
その文体はぎこちないし、技術的には正直、そんなにうまいとは思えません。
だけど「コッコロから」という小説は、本職、プロフェッショナル、専門家としての小説家では成し得ないことをやり遂げています。
それは佐野さんの豊かな人間性に裏付けられた、人を見る視点、
人を愛情を持って観察しているところから来ているのです。
その佐野さんが、このドキュメンタリー作品の監督に向けて放った最初の言葉。
「アンタ、何しに来てるんだっけ?」
佐野さんは見抜いていました。
「こいつ監督失格だ」と。
「アンタ何しに来てるんだっけ?」と言われた段階で、監督は気合いを入れ直し、ドキュメンタリーの構成を練り直す必要がありました。佐野さんの作品を観たり、読んだ方は分るはずです。
佐野さんは人間観察の達人なのです。
佐野さんは本作の監督を一目見て
「この程度の覚悟で来てるのか?」と見抜いたのです。
僕は400本程の映画を劇場で鑑賞し、いままで380本あまりの映画レビューを書いてきました。僕の好きなレビュアーさん等は1000本ものレビューを書いている方もいらっしゃる。
たった380本のレビューしか書いてない僕が言うのもおこがましいのですが、380本のレビューを書いて来たから分ることがあるのです。
申し訳ありませんが、本作は全くの駄作です。
僕はあまりにひどさに途中退場しました。
何年かぶりの途中退場でした。
「ダマされた」とまで思いました。悔しかった。
この作品は映画を学ぶ学生の、卒業制作よりひどい駄作です。
ここまでひどい作品を観たのは初めてでした。
だからあえて、「駄作の見本」として映画レビューを書こうと思ったのです。
更に言えば、映画製作を志す人達に申し上げておきたい。
それは「気取るな!絶対に気取るな!!」ということです。
映画に限らず、創作の神様の前では、「創り手」は謙虚になるべきです。
本作で何より気になるのは、監督が、いっぱしの映画作家であるかのような「気取った」姿勢をとっていることです。
幾ら隠そうとしても、その創作態度が作品から滲み出てしまいます。
映像作品の怖さはそこにあるのです。
例えば、全く意味のないキャメラの長回し。
葬儀の後片付けを延々と撮る、その芸のなさ。
佐野さんの故郷へ女優を訪問させる。それはいいとして、何故、ただのがれきの山を、長い時間かけて観客に見せる必要があるのか? 僕ならあそこはせいぜい5秒ぐらいのカットを3、4カットつなげて編集し、そのシーンを終わりにするでしょう。
それを意味もなくダラダラ、ダラダラ、さも意味があるかのように見せかけて女優を歩かせている。そこに監督の「映画作家気取り」があるのです。
観客は佐野さんの創作の秘密を知りたいのです。
観客は佐野さんの生の人柄を知りたいのです。
だからお金を払って観に来ているのです。
監督は観客が何を観たいのか、それを全く無視したとしか思えません。
監督がすべきことはまず、佐野さんのお墓に行って、花を手向けてください。そして謝って下さい。
きっと天国の佐野さんはこういうでしょう。
「アンタ、何しに来たんだっけ?」

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆
配役 ☆
演出 ☆
美術 ☆
音楽 ☆

総合評価 ☆

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作品データ

監督   小谷忠典
主演   佐野洋子、渡辺真起子
製作   2012年 アメリカ
上映時間 91分 
予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=Pn_GVSC_CUs

東京家族

2013年3月14日鑑賞
*** 新しい家族「ニッポン」の家族  ***
故郷の島から父、周吉(橋爪功)と母、とみこ(吉行和子)が東京にやって来た。息子や娘達は皆、東京で暮らしている。久しぶりの親子水入らず。微笑ましい光景。と思っていたらそうでもないのだ。

長男、幸一(西村雅彦)は開業医だ。医学博士号を持っている自慢の息子である。父母を東京見物に連れて行こうとするが、そこへ急患の電話。やむなく東京見物はキャンセル。
「これも息子が立派に仕事をしているからだ」「シカタガナイ」とあきらめる父母の姿。
長女(中嶋朋子)は下町で美容院を経営している。
従業員には「先生」と呼ばせているが、いかにも下町のパーマ屋さん、床屋さん、という雰囲気の店では、かえって「滑稽」だ。
長男も長女も、長旅の末に東京にやってきた父母の相手をする暇もない。
長女などは
「町内会の会合もあるし、やること一杯あるのに、なんでこんな時にわざわざ来るのかしら」とあからさまに愚痴を言い始める始末だ。
だったら、いっそのこと父母をホテルへ押し込んでしまえばいい。自分たちも泊まったことのないような高級ホテルなら、父母も不満はないだろう、と父母をホテルへ泊まらせる。
だが、父母としてはホテルの部屋から見える100万ドルの夜景も、食べ慣れないフランス料理も、ふっかふかのベッドも、慣れないことばかりでどうにも落ち着かない。
疲れは溜まるばかりだ。
 さて、父母が一番気に掛けているのが次男、昌次(妻夫木聡)である。
舞台美術の大工仕事を手伝っているが、安月給で生活は不安定だ。
「それで食べていけるのか?」
父は心配そうに、半ば怒ったように、あきれたように問いかける。
昌次は好きになった物にはまっしぐらな性格。だから、フィアットのチンクチェントなんて言う、イタリアのポンコツ・ミニカーに一目惚れして買ってしまったりする。
三人兄弟の中で最も頼りないと思われている。
だが昌次には恋人がいた。親兄弟にもまだ知らせてないが、結婚するつもりだ。
母親とみこは「どうせ昌次の部屋は散らかってるだろう」と思い、彼の部屋を片付けに来てくれる。ちょうどいいタイミングだ。昌次は母に恋人、紀子(蒼井優)を紹介するのだった。
東京では何とも「居心地悪いなぁ〜」と思っていた父母。
「そろそろ島へ帰ろうか」と思っていた時に現れた、昌次の恋人紀子。母親にとって紀子は希望の光のように見えたことだろう。

家族の最小単位は夫婦である。
目の前に「新しい家族」が今生まれようとしている。
そのきっかけをつくったのは皮肉にもあの「3:11」だった。
山田洋次監督は小津オリジナル版にない設定をここで取り入れた。さりげない日常の風景。幸せそうな恋人達。
そこにある「3:11」と言う「ニッポン」の「現在進行形」の出来事。
2011年3月11日以降の平凡な日常生活。敢えて平凡さを描くことで、日常生活の中に、当たり前に刻み込まれた震災という傷跡。
それは既に意識のキズとしての血は流れていない。
大衆の意識のカサブタも、とうに取れてしまった。
かすかに残った傷跡。それを抱えて生きる市井の人々。
全くヒーローなど登場しない。
全くドラマチックでもなんでもない暮らし。
でも日常生活を送る僕たちの意識の傷跡は消えることがない。
それを敏感に感じ取った山田監督は、その空気感を、そっと作品に忍び込ませた。さりげない演出、脚本はいかにも山田洋次監督作品らしさに溢れている。

************
さて、ここから余談。
本作は言うまでもなく小津安二郎監督の「東京物語」へのオマージュとして制作された。
しかし、小津監督独特のあの畳縁より低い位置からのカメラアングルは使われていない。
あくまで山田洋次監督オリジナルのカメラ目線で撮影されている。
ちなみに、年老いた親が息子達を訪ねていって、つれなくされる、というストーリー。
どこかで読んだぞ、と思っていたら、ふと気がついた。
シェイクスピアの「リア王」
そのストーリーの一部分なのである。
もちろん「リア王」には「遺産を巡っての親兄弟のドラマ」という重要なポイントがある。これは時代を超えた、人間にとって「永遠のテーマ」になりうる問題だ。
だから、シェイクスピアは現代でも読まれているし、演劇、映画などで度々リメイクされている。その人間を描く芸術の命は失われていないのである。
あくまで僕の推測だが、もしかすると小津監督も「リア王」のモチーフを取り入れてみようと思ったのではないか?
きっと黒澤監督は「東京物語」をみたことだろう。
そして自分なら「リア王」をこう撮る、と思い「乱」をつくったのではないか?
「静的なリア王」が「東京物語」であり「動的なリア王」こそ「乱」なのではあるまいか?
それはまさに映画界に流れる巨大な潮流の激突であったのだ、といまになってようやく気づいた。
**************
オリジナル版「東京物語」
小津安二郎監督の傑作と言われている。
2012年イギリスの映画協会で10年に一度選出される「世界ナンバーワンの傑作映画」に選ばれた。
僕は観たことがなかったので、DVDを借りて観た。
30分我慢出来なかった。断念した。
自分でも信じられないことだった。
自分には映画の鑑賞力がないのだろうか?
自分にはこの作品を受け止めるだけの豊かな心がないのだろうか? ちょっとショックだった。
若き日の今村昌平監督はかつて「小津組」のスタッフの一員として働いた。だが、今村氏は「もうこりごりだ」と「小津組」を逃げ出した。そして自分で映画を創り始める。
そのとき、すでに巨匠と呼ばれた「小津監督」から言われたそうだ。
「お前達、なんで”ウジ虫”ばかり撮ってるんだ?」
そう言われた今村昌平監督は一大決意をする。
「よし!! 俺は一生”ウジ虫”を撮ってやる」
やがて今村昌平監督は「楢山節考」でカンヌ映画祭最高賞「パルム・ドール」を受賞。世界的評価を浴びる。
小津監督の作品と、僕達が今見ている映画作品は、明らかに映画文法が違うのである。
それは日本の古典音楽である「雅楽」と「J・POP」ぐらいに違う。
小津監督は畳と障子で作り上げられた和室に代表される、端正な日本的美意識の結晶の様な映画だ。
日本間、和室、床の間、を写真に撮って、スライドショーをやっている様な雰囲気がある。
対照的にチャップリン、エイゼンシュテイン、ジョン・フォード、クロサワ、スピルバーグという流れを汲んでいるのが現在の映画文法である。
そこにはなにより「アクション」がある。
小津映画は「静的」である。今僕らが見ている映画は「動的」な映画だ。
今、若者に雅楽や能などを見せて「これが日本の伝統文化だよ」と紹介しても、僕を含めてポカァ〜ンとしてしまうだろう。
「これどこの国?」
もうぼくたちにとってそれは1000年以上前の「ジパング」でしかない。
そんな「古き良き日本の心」を探りたいと思っているのは、意外にも外国の人達であったりする。
日本の古典文学を世界に紹介したドナルド・キーン氏などはその草分け的存在だ。日本の心や芸術を学びたい、と関心を持つ外国の人は多い。彼らにとって「ニッポン」はエキゾチックでドキドキする不思議の国なのだろう。新しい日本人像の種は、そういった好奇心おう盛な、外国の人の豊かな心の土壌で花開くのかもしれない。
海外の小津安二郎監督人気を見て、ふとそんなことを感じるのである。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆
演出 ☆☆☆☆
美術 ☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆
総合評価 ☆☆☆
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作品データ
監督   山田洋次
主演   橋爪功、吉行和子、妻夫木聡、蒼井優
製作   2012年 日本
上映時間 146分
 予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=VQjiqxx3rNw


図書館戦争

2013年5月13日鑑賞
***発令する、図書館を死守せよ!***
命がけで本を書く人は多くいる。命を削るようにして本を書く。
たとえ売れない、一般受けしない、とおもえても、書くべきだと判断すれば作品を書く。本当の作家とはそういう人たちだ、と僕は思う。
では命がけで本を守る人はいるだろうか?
僕は紙の本が好きだ。
今や電子書籍が当たり前になった。
もちろん僕も電子書籍は利用している。
読むだけではなく、自分で雑文を作り、電子書籍サイトで公開もしている。
「しかしなぁ」と思う。
やっぱり紙の本は特別なのだ。
一冊の本を手に取ってみる。
その表紙の手触り。ズシリとした重みは、まるで作者が込めた想いが伝わってくるようだ。
そして、ページをめくる時のかすかに感じる紙の香り。
正に紙の本は、それ自体が、人間の五感を刺激する、エキサイティングな芸術作品だと思う。
もちろん僕と同じように感じておられる方は多いと思う。

本作はそんな「紙の本」を愛して止まない人達のために、紙の本と図書館を守る人達を描く。
このお話は権力側が検閲を行い、読んではいけない本を決め付け、回収するという、いちおう架空の世界でのお話だ。
(もちろん歴史をひもとけば、日本だって検閲をバンバンやっていた。現在でも教科書検定は検閲ではないか?という議論はある)
検閲に引っかかった本を回収するためには、実力行使も辞さない。ドンパチだってやる。かなり過激な設定だ。
おもしろいのは、同じ国内でありながら、別の組織もあることだ。
図書と図書館を不当な弾圧から守る、図書館と読書の自由の番人。それが「図書隊」だ。
彼らは本を読む自由を守るために命を賭ける。「図書隊」も本を読む権利を守るためには武力行使も辞さない。
ただし条件がある。
「専守防衛」である。
敵が先に討って来ない限り反撃出来ないのだ。
フフフ……
まあ、明らかに自衛隊や、日本国憲法等をモチーフとしているのがわかる。
この作品、残念ながら脚本がイマイチだ。無駄でゆるいシチュエーションもあったりで、はっきり言って脇が甘いなぁ〜。


ヒロインの榮倉奈々が、やたらと上官に反抗したり、命令無視、越権行為をするのも言語道断でしょ?

このお話は有川浩さん原作。
この人はミリタリーオタクだと噂で聞く。ならば、この作品のよりどころとなる、自衛隊の行動規範等を守って、脚本作りをするべきだろう。
民間企業でもそうだが、自衛隊のような軍に準じる組織ならば(実質、自衛隊の規模、装備は明らかに軍隊である)上官の命令は神の声であり、絶対だ。
上官に意見具申したければ許可が必要である。
それを全く無視しているので、防衛組織としてのリアリティに欠け、ストーリーに締まりがないのだ。
仮に、あなたが「図書隊」の隊員だとしよう。
あなたは図書館を守りたい。
今、
まさに戦闘行動中だ。
しかし、上官の命令が気に食わない。そこであなたは自らの判断で、9m
m機関けん銃、通称「エムナイン」を手に、敵に華々しく突撃する。
その結果、無謀な突撃をしたあなたを守ろうと、他の同僚が死傷したらどうなるか?
誰が責任を取るのか?
実は「命令を下す」という行為は、部下の命を左右しかねない、極めて重い責務なのである。
だから命令した者はそれこそ「ハラキリ」覚悟で命令する。
全責任は「発令者」にあるのである。
映画も同じである。
「監督」は映画製作の全責任を負うのだ。その覚悟があるからこそ、自分より年齢も上で、大ベテランのキャメラマンや、照明、録音、美術、音楽等の熟練スタッフに「発令」し、無理難題が言えるのである。
さて、本作の見所は、やはり終盤、特務機関と図書隊との銃撃戦。そして、岡田准一氏のキレ味鋭いアクションシーンである。
ジャニーズ・タレントを舐めてはいけないのだ。実際、彼は数種の武術の免許をもっているそうで、このシーンは見逃せない。
この作品は、紙の本を命を賭けて守りたい。そんな本を愛する人達のために作られている。もちろん原作の有川浩氏も紙の本が大好きなのだろう。
未来ある子供たちに、素晴らしい紙の本を届けたい。そんな想いが一杯詰まったこの作品。その根っこに流れる「こころざし」の高さは、正当に評価されるべきだと僕は思う。

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天見谷行人の独断と偏見による評価(各項目☆5点満点です)
物語 ☆☆☆
配役 ☆☆☆
演出 ☆☆☆
映像 ☆☆☆☆
音楽 ☆☆☆☆
総合評価 ☆☆☆
**********
作品データ
監督   佐藤信介
主演   岡田准一、榮倉奈々、石坂浩二
製作   2013年 
上映時間 128分 
 予告編映像はこちらのアドレスをコピーしてお使い下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=UJpZfBH5M2k



奥付



映画に宛てたラブレター2013


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著者 : 天見谷行人
著者プロフィール:http://p.booklog.jp/users/mussesow/profile


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