閉じる


1409

第4章

 

 わたしたちは、家であったことについて作文を書くように言われました。この孤児院に入るときには、そうすることが習慣となっているんだそうです。でも、わたしは、あんな恐ろしいことなど思い出したくありません。わたしは、未だによく夢に見るんです。おじいさんが、ほうきを持って、わたしたちが寝ている部屋へどなりこんで来るんです。わたしたちはびっくりして家中を逃げまわるんですが、おじいさんは、わたしだけを追いかけて来るんです。そして、部屋の隅にまで追いつめられて、恐ろしいめにあった夢も、もう何度か見ました。わたしは、おじいさんの家にいるときも、そんな夢を見て、夜中に何度目覚めたか分かりません。わたしは、ペンをとって、さて何を書こうかと考えたとき、急に気分が悪くなりました。あの日のときのことが思い出されたからです。わたしは、それを思い出して、ゾッとしました。冷汗さえ出て来て、わたしは書く気をすっかり失ってしまったんですが、でも、やがて思い直して、やはり書くことに決心しました。おじいさんは、わたしたちの中で、わたしだけを特によくいじめたんです。わたしは、おじいさんのそばにいるとき、いつもビクビクしていたのですが、それが気にくわなかったようです。でも、わたしだって、おじいさんのそばではビクビクせざるを得なかったんです。もとから、おじいさんは、わたしだけに朝早くからたたき起こして、水くみや朝の料理づくりを命令したんですが、兄さんがおじいさんにたてつくようになってからは、そんなことがますますヒドクなって来ました。おじいさんは、なんかあったらすぐ、わたしの頭を力いっぱいなぐるんです。兄さんが少し手ごわくなったので、兄さんにあたっているときも、かわりにわたしをなぐったり、用もないのに用事をいいつけたりして、わたしをいじめるんです。兄さんとおじいさんが初めて大げんかをした日には、兄さんもだいぶあちこちにヒドイけがをして、大きなあざをつくったり、血を出したりしていましたが、その日以来、今度は、わたしの体のあちこちに、たくさんのあざができるようになりました。そればかりではありません。わたしは、朝早くから、寝まきのままよく水をくみに行かされたのですが、そのために風邪を引いてしまったときにも、おじいさんは決して容赦してくれなかったんです。わたしは、もうほとんど倒れそうな気持ちになりながら、水をくみに行ったり、部屋の掃除をしたりしたことが何度もありました。おじいさんは、恐ろしいギラギラ光る目で、わたしがなまけていないかといつも監視しているんです。兄さんも、初めのうちはおじいさんのことが恐ろしくて、そんなわたしのことを黙って見すごしていたんですが、あの大げんかがあった日以来、ようやくわたしをかばってくれるようになりました。それなのに、兄さんは他のいろんなことでわたしたちを楽にしてくれたんですが、このことだけは、大して役に立たなかったようです。あの恐ろしい日もそうでした。おじいさんは、兄さんの目を盗んでは、わたしをいじめていたんです。その日は、おじいさんが退院してから初めての日曜日で、おじいさんも町へ行くことがなかったのでのんびりしていました。外は、この冬では珍しく晴れていて、とてもすがすがしい日でした。


1410

兄さんは、早くからあしたの出荷のために、荷車に野菜を積んでいましたが、家の中では、わたしはその日もまた風邪を引いて熱があったので、こっそりとおじいさんには内緒でベッドの中に入って寝ていました。でも、もちろん、おじいさんのことが心配でよくは眠れませんでした。リサは、わたしが安心して眠れるように、おじいさんの見張りまでしてくれたんですが、でも、その日は不思議とおじいさんは陽気で、朝寝坊をして、また起きてからも鼻うたなんかを歌ったりしていました。おじいさんの見張りに行っていたリサも、やがて戻って来て、大丈夫、おじいさんは今、洗面所でおヒゲの手入れをしてる。お食事も、あたいが全部用意してあげたから心配ないわ、と言ってくれました。それで、わたしはまだ10分ほどは大丈夫だと思って、ほっとして目を閉じることが出来ました。ところが、そうしてまもないときに、もうさっそく洗面所から、おい、セーラ、セーラはいるか? 今すぐわしの部屋の掃除をしてくれ、というおじいさんの声がして来たんです。わたしとリサは顔を見合わせました。せっかくうまく行くと思っていたのに、これじゃどうしようもありません。リサもすぐ、お姉さん、起きちゃだめよ。かわりにあたいがやったげるから、お姉さんは寝ときなさいよ、と親切に言ってくれましたが、おじいさんが指名したのはこのわたしなんです。わたしが行かなくて、ベッドに寝ているのが見つかりでもしたらそれこそ大変です。リサも何度もわたしを押しとどめようとしたんですが、わたしはやはり行くことにしました。おじいさんは、まだ1分もたっていないのに、またしつこく、何をしてるんだ、と言ってきたんです。わたしは、横になっていたときには割と気分がよかったのに、いざ起き上がってみると、急に頭がガンガン痛くなって来て、体もフラフラしていました。でも、掃除の間ぐらい、なんとかがんばればできないこともありません。わたしは、寝間から出ると、くつをはいて、服を着替えようとしましたが、するとそこへ突然、バタンという大きなドアのあく音と共に、おじいさんが、まだせっけんをひげにくっつけたままの顔で姿を現したんです。そしてすぐ、何をぐずぐずしてるんだ、としんきくさそうに言いました。そして、わたしが服を着替えようとしているのを見ると、おじいさんは急に顔をしかめて、なんだ、まだ起きていなかったのか、とこわそうに言います。それから続いてすぐ、じゃあ、そのままでいい、パジャマのままでいいから、とにかくすぐ掃除をするんだ、と今にもはりたおさんばかりの調子で命令したんです。わたしは、こわくなって、まだはっきりはいていなかった靴を持ってあわてておじいさんの部屋に行きました。部屋の出しなに、どうしてもおじいさんのそばを通らねばなりませんでしたが、そのときにもまた、おじいさんはわたしの頭をつかんで振るんです。それから、おじいさんの部屋に向かってわたしを突いたので、わたしはよろよろとあやういところで床に倒れそうになりました。すると、後ろでおじいさんは、そんなわたしのことをゲラゲラ笑うんです。それから、また鼻唄を歌いながら、洗面所へ戻って行きました。わたしは、くやしくてくやしくて涙が出そうになって来ました。今まで、そんなことが何度あったか分からないんですが、そのたびごとに、わたしはくやしさを押さえることができず、涙を流すことをくり返す他はなかったのです。でも、すぐリサがやって来て慰めてくれたので、そのときは思いとどめることができました。


1411

わたしたちが、おじいさんの部屋に入ると、すぐリサは、お姉さん、大丈夫? と心配してくれて、また、お姉さんはそこのソファーで横になっときなさいよ、あたいが全部してあげるから。なあに、心配ないわ。そこの戸を閉めとけば、おじいさんに見つからないから、とも言ってくれました。そして、リサは本当にドアを閉めてくれたので、わたしはやはり体が疲れていたし、リサの言った通り休ませてもらうことにしました。リサはさっそく、ほうきを持ってはきにかかりましたが、わたしはその間ソファーの上に横になってじっと目を閉じていました。幸い、おじいさんの部屋には暖炉があって、きのうの残り火がまだ燃えていたので、部屋の中は暖かくていい気持ちでした。でも、おじいさんはやがて顔を洗い終えたらしく、わたしたちがいる部屋の隣の居間にやって来て、食事をはじめましたから、そのことが気がかりでおちおちとソファーの上で眠っている気にはなれませんでした。わたしはこわくなって何度も起きて掃除をしようとしたんですが、そのたびにリサは、大丈夫よ。おじいさんは食事をしている間は入って来ないから、お姉さんは寝ときなさい、と言ってわたしを寝かしつけたんです。でも、隣の部屋ではずっと、おじいさんの食器をガチャガチャいわす音が聞こえていたので、わたしはドキドキしながら横になっていました。そのうち、リサはふき掃除のため、わたしをひとり残してバケツに水をくみに出て行きました。ところが、それからまもないときです。突然、おじいさんは言い忘れたことがあったのか、そうだセーラ、それからな、と言ってわたしがソファーの上に横になっている真最中に部屋の中に入って来たのでした。わたしはあまりの突然のことに、心臓がはり裂けんばかりに驚きました。すぐビックリしてソファーから飛び起きたんですが、おじいさんはもうすでにこわい顔をして目の前につっ立ちながらわたしをにらみつけていました。そして、なんだセーラ、掃除をしてなかったんか!と雷のつんざくような声でわたしを怒ったんです。わたしはこわくてとても目があけていられませんでした。わたしが立ったところから、ほんの数歩のところには、おじいさんの二本の足が見えているんです。リサはすぐ、おじいさんの声を聞きつけてビックリして戻って来ましたが、リサではどうしようもありません。お姉さんは病気なの、と泣きそうな声でリサが言っても、おじいさんは、なに病気?また病気か?セーラはいつも病気、病気ばかりじゃないか! と言って本当にしてくれませんでした。それで、わたしはあきらめて目を閉じると、今かとなぐられる覚悟をしました。初めのうちは、こんなときこわくて泣き出してしまったんですが、もう今では少々なぐられることぐらい慣れっこになっていました。ところがどうしたことか、わたしがずっと覚悟をして待っているのにおじいさんはなかなかなぐろうとしないのです。それどころか、やっと口を開いたかと思うと、こんなことを言いました。まあ、きょうはよそう。きょうは怒るわけには行かないからな。だが、今度こんなことを見つけたら承知しないぞ。さあ、さっさとゾウキンを持って。ふたりとも掃除を続けるんだ。そう言って、それでも力こぶしを両手に握り締めながらおじいさんは居間に戻って行きました。わたしはその手を見て、いつもあんなゲンコで殴られていたのかと思うと、胸の悪くなるのを覚えました。でもとにかく、そのときはそうして許してもらえたのでホッとしました。


1412

おじいさんはその日、友だちの来るのを待っていたので、それでそのとき許してくれたのでした。でも、もうドアを閉めることは許してもらえそうもありませんでした。おじいさんは居間のテーブルに腰をおろすと、直接わたしたちのほうを向いて、わたしたちが掃除するのを監視しはじめたんです。それにたとえドアを閉めることを許されても、もうあんな大胆なことはとてもできません。もうそういうことは一回だけでこりごりです。わたしはあいかわらず疲れていましたし、リサも心配そうにしてくれていましたが、リサももうあんなことをすすめる元気もなく、わたしはガンガンする頭の痛みをこらえながらゾウキンがけを続けました。ところで、そうしてリサと掃除をしている最中に、おじいさんはやっとさっき言いかけてすぐ忘れてしまったことを今頃思い出したらしく、あっ、そうそう、セーラ、その部屋の掃除を終えたら、次にこの居間もやってくれ、と言いました。たったそんなことのために、さっきは危うくヒドい目にあわされそうにもなり、冷汗さえかかされたんです。でもわたしは黙っているわけにもいかず、ええ、とだけ返事をしておきました。そのときリサはこっそりと、まだ掃除させる気なの。姉さん、本当に大丈夫? と言ってくれましたが、わたしは、ええ大丈夫よ、と答えたものの、本当は今すぐにでもベッドに行って横になりたい気持ちでいっぱいだったんです。ところが、そんなために、とうとうわたしは大失敗をやらかしてしまったんです。そして、それがあの恐怖の始まりでした。せっかくおじいさんが怒らないといったラッキーデーなのに、なんと皮肉なことなんでしょう。わたしは、掃除をしている間、気がもうろうとしていたんです。そして、早く掃除をすましてベッドに横になろうとそればかり考えていました。窓ガラスを息を切らせながらやっとふき終えた後、わたしは暖炉の上をふきにかかりました。わたしはもう、ぞうきんをしぼって立ち上がるのも頭がクラクラして容易ではありませんでしたが、なんとか立ちあがると、そのまま気力に任せてやっと暖炉に来ることができました。ところが、ぼうっとしていたのがいけなかったんです。わたしの手が暖炉の上に触れたかと思うと、そうではなくて突然、何か小さなものが手に触れて下に落ちました。わたしは、はっとして目を覚ましたように下を見ましたがそれはおじいさんが日頃大切にしている木のパイプでした。しかも、それはただ床の上に落ちただけならよかったんですが、まん悪く一回バウンドしてまだ赤々と火の燃えている暖炉の中に入ってしまったんです。わたしはビックリしてそれをとろうと暖炉の中に手をつっこみましたが、あつくてすぐその手を引っ込めねばなりませんでした。でも、こんな恐ろしいことがあるでしょうか。おじいさんは、ちょっと朝寝ぼうをしただけでもガミガミ言うんです。それなのに、おじいさんのパイプを焦がしてしまったりすれば、それこそただではすまされません。わたしは、泣きたいような、また、神に祈るような気持ちで必死になって火かき棒で暖炉の火をあさりました。リサも、パイプの落ちた音で驚いて駆けて来ました。そして、ふたりで一緒にあれこれと根かぎりの手をつくしたんですが、それなのに、パイプは早くも火に包まれて無情に黒ずんで行ったんです。そのときは、幸いにして、おじいさんは居間にいなくておじいさんには分からずにすんだのですが、やっととり出したパイプを見て、わたしたちはすっかり心配になってしまいました。


1413

おじいさんに今は見つからなくとも、こんなに焦げてしまっていたのじゃすぐ分かってしまうに違いありません。わたしたちは、なんとか元どおりにできないものかとこすったりしましたがますますきたなくなるだけでもはやどうすることもできませんでした。わたしは、すでに今にも倒れそうだったのに、そのうえあまりにも大きな苦しみがふりかかって来たので、死にたい気持にさえなりました。でもリサは、おじいさんがあるいは置いたところを忘れているかも知れないので、わたしたちでそのパイプを持っていて、おじいさんが知らぬ間に紛失したことにすればいい、と言ってくれたんです。そんなことがうまく行くかはだいぶ疑問でしたが、たとえバレたとしても、そのときにはこのまま白状するのとおあいこになるのですから、万が一うまく行くかも知れないことを願って、わたしは冒険することにしました。それで早速リサは、そのパイプを持ってわたしたちの部屋へ駆けて行きました。わたしは、ひとり居間に残されて祈るような気持でした。もし見つかれば、わたしは二発や三発のゲンコだけではもうすまされないんです。わたしはバケツを持って来て、おじいさんが戻る前から早くも居間の掃除を始めました。もう、病気で疲れていることなんか問題ではありません。ただ、わたしの運命が、幸運に向くか、不運に向くか、それだけがわたしの心を占めていたすべてのことでした。やがて、重みのある足音が。わたしはドキドキして来ました。おじいさんが庭で背伸びとあくびをした後戻って来たんです。リサはまだ戻って来ませんでした。わたしは壁を拭きにかかりましたが、おじいさんは、やって来ると、わたしを見て、どれ、部屋はきれいになったかな、と言ってとうとうあの恐ろしい部屋に入って行ったんです。わたしは、もう恐ろしくて、体中がブルブル震えていました。雑巾が、今にもふるえる手からおっこちそうでした。でも、わたしはその間、じっと耳を澄まして聞いていたんです。しばらくは、おじいさんも何事もない様子で部屋の中を見ているようでしたが、やがて、ハテ? という声が耳に入って来ました。いよいよ、恐ろしい運命の賭けが始まったんです。リサも、そのときになってやっと戻って来ました。そして、わたしが、しっ、と合図をすると、リサも恐ろしそうな顔をして耳をすませました。おじいさんの部屋では、しきりに何か捜しているような、おかしい、という声と共に、動きまわっているらしい音が聞こえていました。わたしもリサも、その間、もう死にそうな気持ちでそこに立っていました。ところが、そうして耳をすまして立っているとき、急に、バタンという大きな音が鳴ったかと思うと、おじいさんが姿を現して、セーラ! 暖炉の上に置いてあったパイプをどこへやった!と恐ろしい目でにらむなりそう怒鳴ったんです。同時に、わたしは、気がクラクラッとなって倒れそうになりました。運命は、すっかりわたしたちにそむいたんです。リサの計画もこれですっかりだいなしになってしまったんです。おじいさんは、やはりちゃんとパイプを置いたところを覚えていたんです。わたしは、ようやく正気をとり戻しましたが、もう恐ろしいことが身にふりかかって来ることは避けられませんでした。わたしは、すっかり気をくじいた弱々しい足どりで、恐怖のパイプをとりにリサと部屋へ戻って行きました。どうしたんだ、これを! わたしたちが持ってきたパイプを見るなり、おじいさんは大声でそうどなりました。



読者登録

sylaireさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について