閉じる


アイリス

 これは現代の寓話である。

 

 とあるアジアの小都市が、レアメタルの産出を期に莫大な富を得た。都市は市民の豊かな生活を保障し、外部からの横領から鉱山を守るため、国として独立した。母体である国家もそれを承服せざるを得なかった。中心人物が鉱山発掘、精錬製鋼の権威だったからである。その人物を失うことは、鉱山の価値を半減以下に変えるに等しかった。

 国として独立した人物は王となった。市民は民主ではなく、絶対的な王を求めた。王には子供がいた。いずれ王位はこの子に譲る時が来る。王はその時の為に自身の持つ知識技術を、六つになる若き王子に教授した。王子は幼いながら王の才覚をよく受け継いでいたのであろう。秘伝の技術はほどなく伝わった。

 折しも王子が十を数える齢となったころ、王が病に倒れた。激務に体と心が耐えなかったらしい。王は仕事を王子へ譲り、自分は療養することにした。そしてある計画を進めた。

 

 この国は独立国となったが、依然世界の中の小国であるには変わりない。鉱山はやがて底を尽きよう。それが十年先か、五十年先か。それはわからない。王はレアメタルで手に入れた莫大な財を、その危機が訪れた時の為に遺しておくことにした。それは容易には取り出すことができない、完璧な管理体制のもとで保管されねばならない。世界各国の専門家を集め、王は巨大なシェルター型の金庫を作り、そこに絶対的な鍵として生体認証を必要とする仕組みを取り入れることにした。生体認証で開けられる唯一人の人物に選ばれたのは、王子である。

 大臣は反対した。

「王よ、生体認証には声紋があるという。王子はまだ十を数えたところ。これから齢を重ねれば自然声変りもしよう」

 大人になる体の変化として声変りは避けられぬ。宰相が声を挟んだ。

「お言葉ですが大臣。ご存知ないようだけれど、それには解決策があります。カストラートをご存じか」

 王は興味深く耳を傾けた。

「カストラート、宮廷楽士の一パートとして聞いたことがあるな」

「男が唄う麗しきソプラノ。彼らは大人になりますが、声変りせず、子供のままの声をその身にとどめる。その奇跡の声を手に入れる方法があります」

「それは何と」

 場の空気は張り詰め、一同が唾を飲み込んだ。

「ひとつの儀式。それは去勢です」

 

 赤い一本の線が天を突かんばかりに迸り、丸い珠が空を駆けた。

「讒言に興じるほど我に時間の余裕はない。何か解決策を提示できるものはいないか」

 一同は押し黙った。冗談でも言葉を発すれば次は我が命が危うい。軽い言動が許されぬ緊迫した空気が流れた。

「もしもこの問題を解決できる方法が提示できれば、その者と郎党に百年の恩賞を与えよう」

 その言葉を聞き、一同はさらに押し黙った。掛けられる懸賞が高ければ高いほど、軽々しい解決策は提示できなくなる。

 そこにひとりの技術者がやってきた。生体認証の仕組み作りを任されている統率者であった。

「私にはその方法が提示できましょう。お任せを」

 王は身を乗り出して技術者を食い入る様に見た。

「して、その方法とは」

「音声変換、変声器でございます」

 一同はどよめいた。

「男の声を女の声に変えることができるように、機械の力を使って大人の声を子供の声に変えることができます。ただし、簡単にはいきません。日本という国にいる専門の技術者の力を借りねば、声紋を合格しうる音を作るのは不可能でしょう。そうでなければ、声真似師により破られうる脆弱な鍵となってしまう。微細な変化を表現する為の音声器も必要でしょう。こちらにも高い技術を要します。また、念のために現在の骨格を放射線映写装置において保管しておき、後で復元できるようにしておけば、万全でしょう」

 王は逡巡したが、やがて「可能か」と問うた。

「可能でございます」

 技術者は凛として答えた。

 

 これにより生体認証による絶対的な金庫の鍵が作られることになった。王子は実験にも似た生体認証の鍵を、半日をかけて採取した。声の認証である声紋。目の認証である虹彩。指の認証である指紋。また、手のひらから静脈の陰を取った。それらはどれも人体固有のものである。

 やがて完成した莫大な金庫は、王子という鍵を必要とする情報と共に、関係国へとお布令が回った。鍵無くして金庫は開かない。王亡き後この国を攻めても、王子無くして金庫が開かないとなれば、王子を擁護せざるをえない。これが外交に対しても防御壁となる。王にはそういう願いもあったのだ。

 

 安心を手に入れた王は、やがて永遠の眠りについた。

“王が亡くなられた! 新王万歳!”

 悲しみと喜びの宴が、十二昼夜続き、国の覇権は王子へと受け継がれた。

 

 かくして平和は続いた。先王の思惑通り新しい王は無難に国を統治し、他国との渉外も圧力を受けることもなく、月日は経った。産出量の衰えないレアメタルによる莫大な富は、金庫に保管されている分以外は国民へ還付された。その為無税に於いて手厚い福利厚生すら賄えると云う夢の国家が生まれた。この国に訪れる旅人には移住を希望する者も多く、やがて世界中にその噂は飛び火する。しかし限定された国土に対し、人口が増えすぎることに危惧した王は、他国からの移住を規制する。ただし旅人は受け入れた。長期滞在する者も多く、観光国としても小国は栄えていった。

 

 限界は訪れる。先王が逝き五十余年の歳月が流れたある日であった。レアメタルが尽きたのだ。無尽蔵に産出されるかに思えたレアメタルだが、先王の危惧の通り、枯れる日を迎えたのである。国の財源の大国柱が折れるという危機に面し、王は悩んだ。このままでは国は崩壊する。過剰な福利厚生は仇となり、財政に牙を剥いた。このままでは一年保つのがやっとの状況。現王子はこの国を継ぐことはできなくなるだろう。

 王は宰相、各々の大臣を集め、会議を開いた。

「国は存続せねばならない。偉大なる先王より国が興り、我が代で途絶えさせることがあってはならない。いまこの憂慮せる時に妙案はないだろうか」

 皆は押し黙った。無税、過剰な福利厚生を維持しながらの国家維持は不可能だった。ある大臣は口を開いた。

「レアメタルの産出、輸出に変わる事業をつくりましょう」

「して、その事業とは」

 大臣は口を噤んだ。

「観光に力をいれましょうぞ」

 宰相の言葉に一同は「おお」と感嘆の言葉を洩らしたが、すぐにそれは軽蔑の嗚咽へと変わった。

「まさか。それだけでは現在の歳入の一割も賄えまい。米国の賭博都市のような施設を作るというのか。国の風紀も乱れよう」

 力なく王は云った。愚かな意見ではあったが、それを勝る意見はないのだ。沈黙は続き、長いような短い時が過ぎていた。

「最早国を立て直すには他国に倣い税収が必要となるでしょう。福利厚生にかける歳出も削減し、とにかく国を維持する方法を案じましょうぞ」

 宰相が言った。大臣たちはざわざわとどよめいた。今の幸福な生活を壊さねばならない、ということに対する反発であった。少しずつ生活の発展へ向かう時間の流れは希望を生むが、逆を好む者はいない。ましてその為の努力となると、やる気は著しく殺がれる。

「ならば、他に妙案はあろうか」

 強く、厳しい声で宰相は云った。大臣達は押し黙るしかなかった。王も黙っていたが、何度か頷き、重い口を開いた。

「やむおえぬな。しからば、国家維持を第一とし、その財政策の試案を各大臣は早急に提示せよ」

 会議は解散となり、大臣達は各々の持ち場に於いて、どのようにやりくりをすれば歳入と歳出が合うかを専門家とともに思案した。一週間後、その案件は宰相の許で纏め上げられ、それは厳かに王へ献上された。

「これが実現可能な国家維持策でございます」

 王はその案件に目を通し、表情を曇らせた。

「これほどまでに落とさねばならぬか。国民にも無理を布くな」

「何分、国家維持を最優先としたことであり」

「して。この案件通りの税収確保の為に、これより法律を含め、あらゆる整備が必要となろう」

「左様で」

「これを最短でやりぬくには最低どれくらいかかる」

 宰相は苦々しい表情をして、声を絞り出した。

「三年はかかるかと」

 場に居合わせた側近どもは、目を伏せ王の姿を見ることができない。

「絶望的だな」

 王の心は折れた。レアメタルが尽きた今、現状を維持できるのは一年がせいぜいと思われた。金は時間と相関する。今はそのどちらも足りなかった。

 そこで王子がやってきて口を開いた。

「何をそう落ち込まれる。王よ。まだ我々には策があるではありませぬか。国家維持の策は目の前にある。策はあるのですぞ」

「王子よ。しかしその時間が無いのだ」

「時が必要ならば、その時まで維持するだけの財があれば足りる。あるではありませぬか。先王の遺してくれた財産が」

 王子のこの言葉が鶴の一声となり、国家三年の計を行うための財源として、先王の遺した財産を開ける作業が始まった。

 五十余年の歳月を経て、再び金庫の鍵は開かれることとなったのだ。

 

 鍵である王と、その側近。そして科学者、技術者達が金庫室の前に集まった。

 まず指紋をとった。機械はなんなく認証した。続いて手のひらにある静脈の陰をとった。これも問題なく認証した。そして当初より危惧されていた声紋をとることとなった。

 まず地声でとって見たが、想像通り駄目であった。十歳と還暦を迎えた人間の声には差異がありすぎた。そこで変声器を提唱した技術者の子孫が呼ばれた。あらかじめ設計されたその機械を使い認証を行った。が、駄目であった。一同にどよめきが走った。

「先王との約束を違えたか」

 威圧的な王の声に、技術者の後継は凛として応えた。

「滅相もございません。もとよりこの程度で破られる認証装置であれば、賊共の野望により疾くに金庫は空になっていたでしょう。父はそれを予期し、放射線映写装置を使い骨格を調べておりました。最新の技術を駆使し、こうして当時の王の喉を精巧に再現した人形を用意しております」

 技術者の合図で、その人形は運び込まれた。目から上、腹より下のない人体模型のような人形は、不気味な現実感をもってその場を威圧した。

「この人形には肺もあります。底にあるふいごにより空気をいれることで、本物の人間と同じ呼吸をする仕掛けとなっております。それを喉元の声帯を電脳にて制御し、言葉を発させる。これにより当時の王の声が完全に再現できます」

 自信に満ちた技術者の声であった。荒唐無稽だが、説得力があった。不思議なことに、見たことの不気味な装置は、どんな不可能も可能にできるような気迫を漂わせていたからである。

「わかった。やってみよ」

 技術者が装置を操作し、人形は声を発した。生体認証は、正常に認識した。その場にいた者たちは拍手を送った。

 

「よくやった。一番の杞憂は去った。これでこの金庫が開けば三年の計が執行できる」

 宰相も声を弾ませ云った。

「では王よ、最後の認証を」

 続いて王は虹彩の認証を行った。結果は駄目であった。場がどよめいた。その後何度か試してみるが、悉く認証は成立しなかった。

「なぜだ。この王の目が誰か他人の目とそっくり交換されていたとでもいうのか」

 技術者に注目が集まったが、技術者は首を振った。

「存外私の専門は声でございます。目に関しては解りかねます」

 王は苛立った。

「誰かこの問題を解決できるものはおらぬか」

 そこで王室専属医が声を震わせながら、申し出た。

「王よ、声の認証が人形を必要としたように、目の問題も王自身では解決は不可能かと思われます」

「なぜだ」

 専属医に注目が集まった。男はさらに慄きながらこたえた。

「この認証には目の中の虹彩を鍵として使っておるわけでしょう。虹彩も人の老化により影響を受けるのです。虹彩が瞳孔の大きさを左右しますが、齢を重ねるごとに、その瞳孔は小さくなってまいります。自然、若き頃の虹彩は大きな円でございました。現在の虹彩は小さな円となっております。まるっきり違うものなれば、認証は残念ながら不可能かと。目の中でも網膜にございます静脈の陰ならば、糖尿病に気をつけさえすれば認証出来た可能性もございましたが」

 その後同じ遺伝子、姿かたちが似ている王子を使い認証を行ったが、うまくいくわけもなかった。そして小国は滅びた。

 

 まもなく小国は、元々属していた国の都市として併呑された。そしてこの都市は、アイリス市と呼ばれるようになった。この教訓を忘れぬよう、“虹彩”という意味を持つ言葉より取った名前である。


                                了


あとがき

原稿用紙にしてわずか 16枚。

久しぶりに童話風に物語を作ってみよう。
そう思いたち、ひとつのプロットを膨らませ完成させた。
10枚くらいでさくっと読めるのがいいだろう。
そう思っていたら、書いている間に物語が膨らみ始め……。
そのまま降ってくるアイディアを詰め込んでいたら40枚の短編にもなっていたかも知れない。

この物語には繰り返し読むことで見えてくる奥行きをもたせている。
一度目で驚き、二度目でニヤリとしてもらえれば。私の仕掛けは成功と云えるかも知れない。


この本の内容は以上です。


読者登録

shiroaさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について