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「俺は馬鹿げているとは思わない。確かにホストと聞いただけで、真っ当な人間だと見て貰えないのは事実だが、俺はさっきの言葉を聞いてから、考えを改めたよ。ここに来る客は皆、事情は違うけれど、誰もが心に闇を抱えてる。俺たちはその闇を少しでも取り除いてやるのが仕事だ。客がここに来て、俺たちとほんのわずかな時間を共にすることで、また元気になって、それぞれの日常に帰っていければ良いと思ってる」

 「語りたければ、そこでいつまでも理想論を語ってろ」

 悠理はだるそうに言い、寝転んだままの姿勢で眼を閉じた。

 「とにかく、あの藤堂実沙という客にはあまり深入りするな。あれはただの遊びの目つきじゃない。下手にその気にさせたら、あの女だけでなく、お前まで大けがすることになりかねないぞ」

 この店にはなかったが、他の似たようなホストクラブでは、以前、本気になりすぎた客が家も何もかも棄ててホストの許に押しかけたことがある。

 しかし、ホストがすげなく突き放したため、一旦は帰った女性は再び今度は刃物を持って店に現れた。大騒ぎの中、女性はホストを刺し殺し、自分もその場で胸を貫き、後を追った。事件当時は週刊誌などに〝中年女性の純愛、ホスト狂いの真相!〟などと題して、面白おかしく書き立てられ話題になったものだ。

 「別に向こうが勝手に燃え上がってるだけだ。やっぱ、アフタに行ったのがまずかったかな」

 悠理は眠そうに眼をこすった。

 「これ以上、くだらない話を続けるつもりなら、出てってくれないか。俺は疲れてるんだ」

 「これ以上、犠牲者を増やすつもりか?」

「犠牲者? 人聞きの悪いことは止してくれ。俺はお前流の言葉で言うなら、藤堂実沙に夢を与えてやってるんだ」  

  と、柊路がつかつかと歩いてきて、悠理の胸倉を掴み上げた。

 「貴様、一体、あの子に何をした?」

 「あの子? あの子もこの子も色々いるから、さっぱり見当がつかねえな」

 冗談を言ったつもりで、一人へらへらと笑った。しかし、柊路はにこりともしなかった。  陽に焼けた男らしい顔が怒りに燃えていた。

 「名前を言わなければ、判らないのか? それなら教えてやる。入倉実里だ」

 「入倉―実里」

 悠理はぼんやりと呟いた。

 「彼女に何をした、言え!」

 柊路は鬼気迫る形相で迫った。

  そこで悠理は開き直った。  そうさ、俺は別に悪いことをしたわけじゃない。当然のことをしたんだ。俺の早妃と赤ん坊を殺した憎い女に制裁を加えてやったんだ。なのに、誰が俺を責める権利があるっていうんだ?

  悠理は悪びれもせずに言い放った。

 「レイプしてやった。良い身体してたぜ、あいつ。バージンだったみたいだけど、俺、最初は気づかなくてさ。前戯もなしにいきなり突っ込んでやったら、痛かったらしくて酷く泣かれた。けど、そのときの泣き顔もまたそそられる。俺は余計に熱くなっちまって、やりまくってやったんだ」

 柊路は両脇に垂らした拳をわかかなせていた。


「お前は自分のしたことの意味を判ってるのか?」

 「ああ、判ってるさ。俺は早妃を轢き殺した憎い女に正義の鉄槌を下した。ただ、それだけのことだ」  

 悠理は平然と言葉を放った。

 「良い子じゃないか。何で、そんなことをしたんだ」

 柊路が振り絞るように言った。

 悠理が呆れて鼻を鳴らした。

 「柊路、まさか、お前、あの女に惚れたのか?」  

ククと耳触りな笑声を上げた。

 「こいつは良い。レイプされた女とホストの純愛か。お似合いすぎて、涙が出るな。週刊誌にネタ売ったら、さぞかし歓んで飛びつくだろうよ」

  ひとしきり笑ってから、悠理は柊路にグイと顔を近づけた。

 「おい、俺が今、何を考えてるか教えてやろうか」

 「お前の心の中なんて知りたくもない」

 柊路が顔を背けるのに、悠理は邪悪な美しい笑みを端正な面に浮かべる。

 「あれから俺は一度も、入倉実里に手を出しちゃいない。だが、頭の中でなら、一日に何度、あの女をレイプしているか知れたものじゃない。あいつの身体はグラビアアイドル並か、それ以上だ。一度抱けば、お前だって、その味が忘れられなくるだろう。いっそのこと、あの女を服従させて、一生、俺の側に縛りつけておいてやっても良いんだ。いつでも俺が望んだときに身体を投げ出す性の奴隷にしてやれば、完璧な復讐になる」

 「―止めろ」  

 柊路が呟く。しかし、悠理はなおも滔々と続けようとした。

 「お前は綺麗事を言っているが、あいつとヤリまくってみれば、考えも変わるさ」

 「止めろと言ったら、止めろ。そのお喋りな口をすぐに閉じないと、後悔することになるぞ」

 柊路の拳がついに悠理の頬に飛んだ。

 「貴様の―貴様が彼女にした酷い仕打ちのせいで、彼女が今、どんな状態になってるのかをお前は知っているのか!?」

 「俺の知ったこっちゃないね」

  悠理は殴られた頬をさすりつつ、あらぬ方を向いた。

 「事故を起こしたことで、折角、抜擢された新しいプロジェクトのメンバーからも外されたんだぞ」

 「それが、どうしたっていうんだ。早妃と赤ん坊は死んじまったんだ。生命を失うのに比べたら、その程度のことは痛くもかゆくもないだろ」

 「お前ってヤツは」  

二度目の拳が来た。今度は悠理も大人しくはしていなかった。やられっ放しではなく、柊路の頬を殴り返した。

 「恥知らずな貴様の友達でいることが恥ずかしいよ」

 「それは、こちらの科白だ。お前はあの女が俺の女房と子どもを轢き殺した張本人だと知った上で、のぼせ上がったんだろうが」

 「俺は彼女の人柄や生き方に惚れたんだ。それをお前にとやかく言われる筋合いはない」

  上になり下になりと揉み合いながら、二人の男はどちらも負けない大声で怒鳴り合った。  上になった柊路の振り上げようとした拳がふと力なく降りた。


 やりきれない声が洩れた。

 「悠理、―彼女、妊娠してるぞ」  

 その言葉に、悠理はハンマーで脳天を一撃されたように思えた。

 「あの女が―妊娠?」  悪い夢を見ているようだ。

 悠理は無理に笑おうとした。

 「どうせ、どこかの男と愉しんだんだろうよ。一度ヤラレちまえば、後は何回やろうが、同じことだからな。まさか、相手はお前じゃないだろうな」

 柊路が悠理を烈しい眼で睨んだ。

 「お前、もう一発、殴られたいのか?」

  悠理は愕然としていた。

 そう、そんなはずはない。あの女は俺にヤラレるまではバージンだったのだ。二十七にもなって処女だった女が容易く誰とでも寝たりはしないだろう。  

 それとも、レイプされて自棄になって、誰彼構わず?  いや、それもないだろう。悠理は実里の瞳を思い出した。くっきりとした黒い瞳は理知の光を湛え、明るい知性と温かな優しさがあった。

  あの女が卑怯な人間であれば、早妃を轢いたときに、そのまま逃げたはずだ。だが、あの女はすぐに救急車を呼び、搬送の間もずっと付き添い、病院にも詰めていた。

 あのことだけでも、あいつが恥知らずな人間ではないことは判る。

  いいや、俺は端から判っていたんだ。本当に悪いのはあの女じゃない。早妃の方が先に路上に飛び出し、あの女は咄嗟にブレーキをかけた。だけど、間に合わなかった。  あれは不幸な事故だ。あの女はたまたま、その現場に居合わせただけだ。

 俺はそれを重々判っていたながら、敢えて判らないふりをした。そうしなければ、心が耐えられなかったから。俺の早妃と赤ん坊が突然、取り上げられてしまったという理不尽な宿命に心が折れそうだったから。

 だから、俺はあの女をひたすら憎むことで、怒りの矛先をあいつに向けることで、辛うじて自分自身を保ったんだ。  恥知らずなのは、俺の方だ。俺は心が弱すぎて、誰かを憎むことでしか哀しみを乗り越えられなかった。

 悠理が黙り込んだのを見て、柊路は悠理から離れた。

 「信じられないというのなら、お前自身の眼で確かめてみると良い。彼女、妊娠したせいで会社にも居づらくなって、辞めさせられたんだ。多分、お前の顔を見るのも恐らく、これが最後になるだろう」

 「柊路?」

 「俺は店を辞める。これからは風俗から脚を洗って、堅気として生きてみる。まずはそこから始めなきゃ、実里ちゃんにふさわしい男にはならないからな」

 悠理がガバと顔を上げた。

 「店を辞めて、それから、どうするんだ?」

 「実里ちゃんに改めてプロポーズするつもりだ。生まれてくる子どものこともあるし、できるだけ早く結婚するつもりだよ。もっとも、運良くOKして貰えればの話だが」

 柊路は最後に一瞬、精悍な顔をほころばせ、悠理がよく知る親友の顔を見せて去っていった。


 実里は精一杯、背伸びしてみた。それでも、まだ最上段の棚には届かない。こんなときには、小柄な自分が恨めしくなる。

 実里の勤務するスーパーでは、パートは三交代制だ。朝八時半から一時まで、更に午後一時から五時半まで、最後が五時半から閉店の十時までの勤務となる。

  小さなスーパーだが、夜遅くまで開いていることから、勤め帰りの人が立ち寄ることが多く、それなりに繁盛していた。

 そろそろ妊娠も九ヶ月が近くなってきた。ここのところ、自分でも判るくらいお腹は急激に大きくなっている。今は、赤ん坊は一六〇〇グラムくらいだと医師から教えられた。

 結局、実里はあのまま町の小さな病院に通っていた。自宅から近いのと中年の医師が気さくで信頼できる人だったのが大きな要因である。でも、やはりお産はできないので、臨月に入ってから紹介先の総合病院に移ることになっていた。

 ―もう出てきても、十分大きくなれるところまで成長していますよ。

 この間も、医師がそう言って笑っていた。

 女の子であるということも判っていた。  私の赤ちゃん、元気で大きくなって生まれてきてね。

 実里は大きくせり出した腹部を愛おしげに撫でた。合図するかのように、胎児が腹壁を元気よく蹴るのが判った。成長めざましい時期なのか、胎動もとみに活発だ。時には蹴られすぎてお腹が痛いほど暴れることもある。

 スーパーには制服はない。実里は防寒も兼ねて厚着をしていた。淡いブルーのハイネックセーターにチャコールグレーのコーデュロイのマタニティスカート。その上に厚手のざっくりとしたカーディガンを羽織っている。 もちろん、スカートの下は厚手のタイツを穿いている。ここまで完全防備でならば、風邪を引く心配もないだろう。  

 制服がない代わりに、各自で持参したエプロンをつけている。お腹が大きくなるにつれて、腰の痛みは更に頻発するようになった。以前はそれほどでもなかったのに、少し立っているだけで腰がだるくなり痛み出す。

 実里は拳でトントンと腰を叩き、また背伸びした。箱に詰めている液体洗剤の詰め替え用を棚のいちばん上に順序よく並べていく。たったこれだけの作業が、今の実里にとっては、かなりの難作業となってしまっている。普通では考えられないような手間と時間がかかるのだ。

 仕方ないと、脇にあった小さな台を引き寄せ、その上に上がった。

 「これでよし。何とか届くみたい」

 独りごち、台に乗って商品を棚に置いた。刹那、身体が重心を崩して揺らいだ。

 「あっ」

  悲鳴を上げたのと誰かの逞しい腕に抱き止められたのはほぼ同時のことだ。

 「こんなでかい腹をして、高いところになんか上るんじゃない」

 どこかで聞いたような声に、実里はハッと顔を上げた。

 「―!」

  実里の可愛らしい顔が見る間に蒼白になってゆく。

 あの日の記憶がフィルムを巻き戻すように、一挙に押し寄せてくる。

  衣服を荒々しく引き裂いた男の手。  素肌を這い回った男の熱い唇。  

 そうだ、眼前のこの怖ろしい男が実里を滅茶苦茶にし、嬲り抜いたのだ。

 「あ―」

 実里は顔を引きつらせ、嫌々をするようにかぶりを振った。  

 今更、どうして、溝口悠理が自分の前に現れたのだろう。まさか、まだ復讐が足りないと実里をどうにかするつもりで?  実里は烈しい驚愕と怯えを滲ませ、ぶるぶると震えた。  

こんな卑劣な男の前では毅然としていたいのに、情けなくも声まで震えてしまう。

 「わ、私をどうするつもり?」

 「少し話がしたい」  

 悠理の態度は少なくとも外見上は穏やかだ。しかし、それが単なる見せかけだけでないとは、どうして言えるだろう?

「私には話すことは何もありません」  

 辛うじて体勢を立て直し、実里は真正面から悠理を見据えた。


「あんたになくても、俺にはあるんだ。仕事ももう終わりだろ、どこかで話さないか?」

 「嫌です、行きません」

 「少しで良い。時間は取らせない」

  実里は悠理をキッと睨んだ。

 「あれだけ私をいたぶっておいて、まだ足りないんですか? また私を好きなだけ弄んで、それで満足するんですか?」  

 気丈に言いながらも、実里は相変わらず小刻みに身体を震わせている。

  悠理は曖昧な表情でかすかに首を振った。

 「そんなに怯えてなくても良い。嫌がる妊婦を押し倒すほど、俺は獣じゃない」

 「とにかく私には、あなたと話す必要はないんです。早く私の前からいなくなってください」

 実里は強い口調で言った。

  悠理が小さな吐息をついた。

 「俺があんたにしたことを考えたら、そう言われても仕方がないことは承知だ。だが、これだけは聞かせてくれ。あんたの腹の赤ん坊は、誰の子だ?」

 ヒッと実里の口から悲鳴とも何ともつかない声が洩れ出た。その反応は、たとえ彼女が応えずとも、悠理に確信を抱かせるに十分すぎた。

 「そんなこと、あなたには関係ないでしょう」

 「その赤ん坊の父親が俺だったとしてもか?」

 実里が息を呑んだ。今や、彼女の顔色はすっかり白くなっている。今にも倒れるのではと心配になるくらい血の気を失っていた。

 「なあ、頼むから教えてくれ。その赤ん坊は俺の子なのか?」

 悠理が迫ってくる。実里は恐怖に眼を見開き、後ずさった。

 「一緒になろうとは言わない。だが、せめて、子どもの父親だとは認めてくれ。その子を俺の子どもとして認知したい。あんたにも子どもにもできる限りのことをしたいんだ」

 悠理が実里の細い手首を掴む。  彼が実里の手をしげしげと眺めた。

 「あんた、随分と痩せたな。俺があんたを抱いたときには、もっと肉がついて―」

 「止めて!」

  実里は掴まれた手をまるで彼の手が汚物でもあるかのように勢いよく引き抜いた。

 「あなた、今頃になってよくそんなことが言えるわね。この子は、赤ちゃんは私だけの子です。この子に父親なんて、初めからいないんです。たとえ頼まれって、あなたの世話になんかならないし、力を借りようとも思いません」

 あなたに縋るくらいなら、お腹の子と一緒に死ぬわ。

 悠理の表情が固まった。口許が引きつり、眼には歪んだ笑みが浮かんでいる。この笑み、自己嫌悪まのまなざしに何かが感じられ、実里は口にしたばかりの言葉をひったくって取り戻したくなった。

  だが、一度発した言葉は二度と取り返せない。  同じように、自分とこの男の関係も未来永劫、変わりはしないのだ。  過失とはいえ、妻を轢き殺した女と。  復讐で女を辱め、身籠もらせた男と。  そんな二人の人生が交わるはずがない。

 いや、早妃の死という不幸な出来事がきっかけで違う世界で生きていた二人が出逢ったことこそが、大きな悲劇の始まりだったのだ。



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