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 俺はわざとらしく拗ねた声を出した。

「実沙さん、俺がいるのに、貢や聯とアフタに行ったの?」

 俺の気を惹くことができた―と女は思い込んだらしい。忽ち嬉しげに顔を綻ばせた。

「あらぁ、私には悠理クンがいるのに、何で他の子とアフターに行ったりするものですか。私には悠理クンだけ」

 女が更に口を近づけ、生暖かい吐息が直接、耳朶に吹きかけられる。俺は全身、総毛立った。

 「ちょっとだけ、悠理クンに焼きもちを焼かせてみたかったの。フフ、嫉妬する悠理クンも可愛いわ」

 何という救いがたい勘違い女!   俺は心の中で毒づき、それでも極上の笑みは絶やさなかった。

 「お袋の具合が良くないもんで。今日は早く帰らないといけないんです」

 女はマジで心配そうな顔をした。こんな時、俺は人の好いこの中年女を騙している自分がこの世の中で最低最悪の男だと思わずにはいられない。


 この女は確かに恋愛対象にはならないが、それは何も女のせいではない。彼女はただ日頃、満たされない心の隙間を埋めたくて、ここに来ているだけなのに。  この女だって、淋しいに違いないのだ。ここに来る女たちは皆、幸せではない。第一、幸せならば、こんなところには来ないだろう。少なくとも、表面的には満たされた生活をしていながらも、心は飢えて渇いた哀れな女たち。

 「まあ、それは心配ね」  

 女は珍しく少し考え込む素振りを見せた。

 「悠里クンのお母さまはお幾つ?」

 「四十四ですけど?」

 女は露骨に愕いた顔をした。

「まあ、若いのね、私より八つも下なの」

  母親が四十四だというのは本当のことだ。ただ、今も生きていればの話だが。  大体、男を作って幼稚園児の息子を一人、ほっぽり出して家を出ていったような女、今更、母親だなんて思いたくもないし、思ったこともない。親父はあの女のせいで、一生を棒に振った。毎日、日雇いの工事現場で汗水垂らして働いて、挙げ句に過労死で呆気なく死んだ。それが今から数年前のことだ。


 親父が死んでから、俺は今の仕事についた。昔気質の生真面目な親父が生きていれば、ホストになんぞ間違ってもならなかったろう。

  親父と母親は熱烈な恋愛結婚だと聞いている。名家の一人娘だったお嬢さまと家庭教師の恋だなんて、今時、昼メロでも流行らないが、俺の両親はその下手くそなメロドラを地でいった。

 だが、我が儘に育った母親はろくな稼ぎもない父親に直に愛想を尽かした。二人が出逢ったのは母親が高校一年、親父が大学三年のときだ。母親が高校卒業するのを待って、二人は手に手を取って遠くの町に行き入籍したが、妄想的恋愛はそこで終わった。  母親は貧乏を嫌悪し、事あるごとに父を不甲斐ないと責め立てた。そしてついに、俺が五歳のときに突然、男と逃げた。母親がいなくなった日、父は俺を抱きしめて男泣きに号泣した。

 ―ごめんな、父ちゃんが甲斐性ないばかりに、ごめんな。


 悪いのは何も親父じゃない、勝手に男を作って出ていった母親だったのだが、幼い俺はそれを言葉にして伝えるすべはなかった。不器用で、生涯、社会の片隅で細々と生きていたような人だったけれど、俺は少なくとも親父を好きだったし、尊敬もしていた。

  親父の人生は再婚もせずに男手一つで俺を育て、四十三で死ぬまで働きどおしで働いて、何も良いことなんてなかった。親父が死んでから、俺はすぐに高校を止めた。元々、勉強なんて嫌いだったし、学校に行くよりは働きたいと思っていたんだ。  それでも真面目に勉強し学校にも通っていたのは、すべて親父のためだった。親父は俺に教師か公務員になって地道に生きて欲しいと願っていたから、その望みを叶えるためにやっていた。  

 でも、その親父ももう死んだ。母親は十七年前に出ていったきり、どこにいるのか、生きているのかも判らない。俺を辛うじてつなぎ止めていた細い糸がプツリと音を立てて切れたようだった。


 最初はガソリンスタンドでバイトしていたが、もっと収入が良い仕事を探している中にスナックのウエイターの求人が見つかった。夜の仕事に入ったのは、それがきっかけだ。

  俺の母親は貧乏だった親父を棄てた。それなら、もっと一杯稼いで金持ちになってやれれば、どこかで生きているかもしれないあの女を見返してやれる。そう思った。

  毎日、がむしゃらに稼いだな、あの頃は。今から思えば、あの時期はただ目的もなく、母親を見返したいがために、あがいていただけだった。  早妃に出逢ったのは、そんな頃。ある日、近くのキャバクラの女の子数人が連れ立って、俺のいるスナックに来た。その中に早妃がいた。ひとめで可愛い子だなと思ったよ。

 色の白い、透き通るような肌で、眼が大きいんだ。俺はよく知らないけど、最近、韓国のKポップとかが日本でも流行ってる、あの韓流スターのKARAとかいう女の子のグループにでもいそうな感じの娘だった。



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