目次
はじめに・・・
序章 ~出会い~
出会い
目を背けてたこと
第一章 ~結婚・渡加・妊娠・帰国~
プロポーズ
不妊治療
結婚を決意するアホ28歳
別居婚
淋しい二十代最後の誕生日
29歳の誕生日プレゼント
お金が目当て?
実母からの国際電話
許されない日本行き
機上の人
一ヶ月半ぶりの日本
切迫流産
妊婦は病気じゃない
切迫早産
父の最期
第二章 ~実父の死・過酷な妊婦生活~
実父の死
お腹の子の生命力
死亡後の手続き
前置胎盤
遠ざかるカナダでの出産
逆子
妊娠9ヶ月
お腹の子の名前
出産直前
Steven誕生!
出産後、つかの間の安堵
出生届
2001年の終り
第三章 ~Stevenの成長 0歳-4歳~
能天気からのEメール
復讐に燃える女の底力
page 3
カナダ人夫来日
家族会議
カナダ人夫再び豹変!
借用書
日本人の配偶者等の在留資格
カナダ人夫カナダへ帰国
裏切り
page 11
page 12
page 13
Steven1歳
働きたい
page 16
page 17
page 18
友の有難さ
仕事GET~!
カナダ人夫臭
円形脱毛症
カナダ人夫兄の嫁(日本人)
カナダ人夫の兄宅(大阪)
page 25
Steven!はじめてのカナダ
暴力女
カナダ人夫の弟夫婦
会話にならへん
page 30
Stevenの誕生日パーティ
Stevenの宝物
離婚届提出
うつ病
Stevenの大怪我
再びカナダ~?
阻まれたカナダ行き
カナダパスポート
page 39
Steven 幼稚園児になる
魔の瞬間へのカウントダウン
第四章 ~逮捕・収容・強制送還~
魔の瞬間へのカウントダウン開始
入国審査
1泊3日の旅の終わり
幼稚園再入園
第五章 ~Steven 4歳半-6歳半
page 1
新しい幼稚園
カナダパスポート取得大作戦
幼稚園での出来事
ダディに会いたい
第六章 ~カナダ入国再挑戦~
カナダ入国に再挑戦
第七章 ~カナダ偽装家族生活~
カナダ偽装家族生活
Stevenを笑顔にする計画
カナダに住むの?
車GET~
page 5
再プロポーズ?
Steven グレード2
Stevenの異変
3人で日本帰国?
日本行き計画
日本滞在
カナダへ戻る
Steven兄の心
2008年年末
2009年始まり
迫られる再婚
旦那がいる子育て 
苦渋の決断
奥付
奥付

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はじめに・・・

 この本は、 2008年突然思い立ち、当時6歳半の息子を連れてカナダにやって来て、バンクーバー郊外のLangley市に住み始めた私(太田智子)の身に起こった過去の出来事と、心の葛藤や憤り、怒り・不安・惨めさなどから、私が心の奥底に抱き続けてきてしまった「傷」を癒すために2009年に始めたブログ「実は私息子とカナダで逮捕収容・強制送還されました」を加筆修正したものです。

 

「誰が一番悪かったのか?」を追求したいんじゃないんです。どこの国のモノでもない「地球人である大切な息子」と一緒に、どうすれば誰も傷つけずにみんなが幸せになれるか?を模索するために書き始めたものです。小さな奇跡は誰にでも毎日起こってます。”過去”が今を創り出し、”今”は必ず未来に活きてくる。諦めずふさぎこまずに、少しずつ前進していきたいのです。

 

 私は自分の人生がうまくいかない事すべてを、親や環境のせいにして、言い訳しながら生きていました。自分の人生はどこに向かって進んでいるのか?どこに向かいたいのか?全くわからず、消化試合のような覇気のない毎日でした。

 誰かのちょっとした発言に対して必要以上に怒りを覚えたり、理不尽なこと、納得いかへんことにいちいち腹を立ててみたり。それは息子を産んで親になっても変わらず続いていました。息子の父親(モラハラカナダ人夫)に対しても「無責任男」と罵り、言葉や態度でたくさん傷つけてしまいました。

 

 2010年1月1日、新年を病院の救急処置室のベッドの上で迎えたことが、私の人生を根本から変えるきっかけになりました。息子が一人で日本へ帰省していた2009年大晦日の深夜。原因不明で意識を失い、正常に言葉を発することができなくなりました。気がついた時、自分に見えてる情景があきらかに正常ではないこと、今まで同時にできていた"脳で考えて言葉にする機能”が全く作動してない、という現実を目の当たりにしました。

 「もしかして私死ぬの?」「もう今までのように息子と話すこともできへんの?」「まだこれからいっぱいいろんな事を伝えたかったのに」「まだまだこれからたくさん人生を楽しみたかったのに・・・」 ずっと2人で支え合って生きてきたまだ幼い8歳(当時)の息子を思い、強烈な悲しみに襲われました。一時は心の底から、神様を恨んだりもしました。神様は一体私に何を学ばせようとしてるのか?なぜこんなにも苦しい試練ばかりを私に与えるのか?私が何したっちゅうねん?私はただ息子と平和に暮らしたいだけやのに!と。

 この一連の出来事は、私に『死』というものを、遠い未来の絵空事ではなく、いつでも誰にでも起こりうる『現実』のものとして認識させてくれました。虚栄心の塊りで、プライドばっかり高くて嫌な女である私に、「生きていられるだけで丸儲け」と思わせてくれるのに、充分な出来事でした。

 

 今日こうして生きてられること、息子を抱きしめて愛してることを伝えられること、一緒にご飯が食べられること、アホなことを言い合って笑えること、すべてが奇跡。今まで当たり前にやってくると思ってた「明日」は、実はたくさんの奇跡が重なってしか存在しえないもの。そして突然「その時(死)」がやってきても、ジタバタすることなく、後悔もしなくてええように、まずは息子に伝えておきたい事をノートに書き綴りました。そして頭に浮かんだ自分の「直感」にはすべて従うことにしました。もしかすると自分の直感は、正しくないかもしれへん!もしかしたら失敗するかもしれへん!仮にうまくいかずに失敗したとしても、やらずに後悔するよりはずっとまし!もうあんな無念な思いはしたくないから・・・(涙) 

 

 その後、『自分の人生のすべては、自分自身が創造していること』『思考は現実になること』をはっきりと思い出し、モラハラDV自己中無責任カナダ人元夫を別人に変え、夫と息子と3人でようやく「家族」を築き始めました。

 

 カナダ人夫との出会いから、国際結婚・妊娠出産・国際別居・国際離婚を経て、カナダ・バンクーバー国際空港で、息子を巻き込んでの逮捕・収容・強制送還の経緯。カナダ再入国、国際再婚・DVシェルター入居・息子と二人での再出発、天国へのフィールドトリップ(臨死体験)・アルコール中毒&ドラッグとの闘い、そして以前の自分からは想像することすら難しかった「家族3人での平和な暮らし」までを書き綴った自伝です。


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出会い

1998年冬 26歳

 私が愛して止まない息子Stevenを、私に授けてくれた息子の父(カナダ人)と出会ったのは1998年12月。確か私が初めてカナダの地を踏んだ2週間後の事でした。

 当時の私は、2年程付き合ってた彼氏と別れた後で、派遣の仕事を日々消化するだけの、相変わらず張りのない毎日を送っていました。海外に行くことは嫌いじゃなかったけど、19歳で単身オーストラリアに出掛けて以降は、もっぱら友達や彼氏と旅行で行くか?日本国内を放浪して満足していたのです。 

 当時、同じ派遣仲間のMちゃんが「派遣の契約が満了したらワーホリ(ワーキングホリデービザ)でオーストラリアに行くんだぁ」と張り切ってたのを横目に、私の派遣契約満了の時期も迫ってたってこともあって、なんとなく「久しぶりに私もどっか一人で行ってリフレッシュしてくるかぁ!」 と思い立ち、3ヶ月ほどの期間手頃な価格で滞在できるところ・・・と思ってた私の目に止まったのが「カナダでのホームステイ」だったのです。

 実は、未練タラタラで忘れられへん元彼がおる街から離れたい=「現状から逃げること」が一番の目的だったので、英語も話せず何の計画もなくカナダに到着。私が申し込んだプログラムの担当の人に連れられて、辿り着いたホームステイ先での生活を、楽しめるわ訳もなく、到着から2週間ほど経った頃ほとんど鬱状態になっていました。やる気も元気も食欲もなく「私カナダまで来て何してんのやろ?」って泣きたくなってました。

 到着時、空港へ迎えに来てくれた担当の人が 「ちょうど今日同じ街に日本から女の子が到着してるから・・・」と連絡先をくれてたのを思い出し、早速その日本人の女の子にすがるような思いで電話。「一瞬でもええからこの環境から脱出したい」(はいっ逃げです。)元彼のいる街から逃げ、日本から逃げ、ホームステイ先から逃げ・・・。 逃げても何も変わらへんってわかっていながら、現実・現状を真正面から受け止めることからいつも逃げていました。 

 そんな経緯で電話した、日本人の女の子がホームステイしてた家が、その後、私の旦那になって私の人生を波瀾万丈にしてくれた「カナダ人」の家。その日本人の女の子を訪ねて彼の家に行った時、私たちは出会ってしまったのでした。

 「あっ・・・この人・・・・」。出会った瞬間、挨拶をしただけで、これといって会話をしたわけでもないけど、なんとなく彼が私に好意的なのは感じました。言葉ではなかなか表現し難いけど、こういう直感はほとんどの場合間違いありません。

 結局私は、その翌週にそれまでのホームステイ先を引き払い、その日本人の女の子と一緒に、彼の家に住むことになりました。それから彼と恋愛関係になるまでにそんな時間はかかりませんでした。

 

「最初っから外人ねらいやったんちゃうん?」

そう聞かれたことも何度もありました(笑)。でもカナダ人男をあさりにカナダに行ったわけじゃない。誰でも良かったわけでもない。実際まだ、元彼を忘れられずに引きずってたってこともあって、誰かをまた好きになるなんて思ってもみなかったのです。そやけど一緒にいると幸せな気分になれました。

 さすが外人!!歯の浮くようなセリフと愛情表現は決して怠らない。今までの男が「黙って俺についてこい!」的な、いわゆる「九州男児」みたいな人が多かったからか。とにかく優しくて(=優柔不断と紙一重)レディーファースト(=彼の場合は、「私に全ての責任を取らせるのファースト」やった)。とにかく元彼とは真逆で新鮮でした。 

 ほんまにその当時の自分に声を大にして言うてやりたいです。「やめるなら今のうちやでぇ~。早まったらあかんでぇ~。よう考えやぁ~」と。でも誰かを好きやって思う気持ちに理由なんてありません。誰が何と言おうと一緒にいたい!反対されればされる程どんどん気持ちが高まってくるし、誰の言葉も耳に入らない。もちろん未来の自分の声さも・・・。

 それから3ヶ月間、恋愛の一番盛り上がる最初の時期を、一つ屋根の下で一緒に生活しながら過ごしました! 実際にはそんなロマンチックなものではなく・・・。なぜって?彼には6歳の息子がいたからです(涙)。今とは違って当時の私は母親じゃない。彼の6歳の息子の気持ちなんて、知ったこっちゃないほど、私自身が子供でした。彼の息子の私への嫉妬心や、敵意むき出しで攻撃してくる事が、何を意味してるのか?なんて考えることもありませんでした。「こんなちっちゃい子供から色んな攻撃を受けてる私がかわいそう」ぐらいに思っていたのです。(自己中極まりない)

 当時、カナダ人の父親ぶりは、私の目には良く見えました。(好きな相手がやってる事は、全部正当化するもんやわ)食事の準備や掃除洗濯等の家事は全てやり、子供の世話もする。「この人やったら私に子供ができても、きっとええお父さんになるやろなぁ」。恋は盲目とはよう言うたもんで、彼が何をしても許してしまうし絶対否定しない思考回路になってしまってました。

 こうして私は「アホの世界遺産」の仲間入りを果たし、彼はその後、私が一生関わっていかざるを得ない男になったのです。めでたくアホの世界遺産となった私は、その後もアホ街道まっしぐら。出会って3ヵ月後、日本に帰国する時には「離れたくない~」の典型的バカップル状態。二人の写真を撮りまくり、お互いの服を交換して、次はいつどこで会うのかを決めて、日本&カナダ間の遠距離恋愛が始まりました。

 その後結婚するまでの2年間、私がカナダに二度行って、彼が日本に三度来て、気持ちを確認し合ったつもりでした。でも気持ちを確認どころか?実際は、お互いについて何もわかってなかったのです(涙)。今思えばその2年間の間に、結婚を考え直すのに十分すぎる程の、彼の不信な行動の数々があったことさえも、私は直視しようとせず、すべてから目を背け続けていました。

「大丈夫!愛があれば!愛し合ってればどんな事も二人で乗り越えていけるから!」

ったく・・・アホにつける薬は、この当時どこにも売ってへんかったらしい・・・(涙)

 

 『恋愛とは二人で愚かになることだ。どんなに愛しているかを話す事ができるのはすこしも愛してないからである』 


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魔の瞬間へのカウントダウン開始

2006年4月10日

 いよいよカナダへ向けて出発の時がきた。母親(私)の独断で幼稚園を辞めさせられた4歳のStevenは、自分がカナダに行くことはわかってるけど少し前から「中耳炎」になって耳が痛い。耳鼻科の先生には、「飛行機に乗ると気圧の変化で痛がると思います」と言われ痛み止めの軽いお薬はもらってきた。飛行機の中で痛みが少ないとええんやけど・・・。そしてカナダへ行くために 気合いを入れて髪の毛もバリカンで刈った。

何もかも準備万端!予定通りである。カナダ人夫には「カナダに着いて落ち着いたら連絡する!」と最終のメールだけ送っておいた。

 前回阻まれたカナダ行きの時と同じ「エアカナダ」やったけど、これと言ったトラブルもなく予定通り日本時間翌11日早朝、カナダ時間10日お昼前にバンクーバー国際空港に到着。飛行機の中でStevenは気圧の変化で耳の痛みを訴えて、ずっと私の膝の上に座ってしがみつきながら泣きっぱなし。おかげで眠るどころか?機内食もろくに食べられず、二人とも疲れきってしまったフライトやった! そして!地上に降りるとStevenの耳の痛みも和らいでなんとか笑顔に戻ってくれた。ホッとしたぁ~。

「入国審査を受けてスーツケースをもらったらステイ先の夫妻が迎えに来てくれてるはずやから、お家に行ってゆっくり休もうなぁ~。あともうちょっとの辛抱やからなぁ~」

そうStevenを励ましながら実は自分自身を奮い立たせてた。何しろ徹夜してモウロウとしてるのにまだあと数時間は眠れる状態じゃない。おまけに一晩中泣き疲れて歩ける状態じゃないStevenを、抱っこしながら歩き機内持込みの荷物 を片手で引っ張ってる。「私が泣きたいわぁ~」。そやけどこれも永遠に続くわけやない!いつか終わりがくることやから、もうちょっとの我慢や!

 そうして飛行機を降りてから延々と歩き続けて、やっと辿り着いた入国審査の列を見た私はぞぉ~っとした!ざっと見ただけでも150人は並んでる。ディズニーランドの人気アトラクションじゃないんやから・・・。いったい何時間かかんね~ん。Stevenを抱っこしたままその列に並び、約1時間待ってようやく私たちの順番がきた。

 2人分のパスポートを入国審査官に差し出すと?

「カナダへ入国の目的は何?」

「観光です」

「どこに滞在する予定?」

「友人宅です」

そういいながら滞在先の住所とフィリピン人夫婦の名前を渡した。

「友人は迎えに来てるの?」

「はい!今もう既に到着ロビーで待ってくれてると思います」

「OK!!」

よっしゃ!審査終了やぁ~と思ってパスポートを受け取ろうとしたその時、その女性審査官が言った。

「あなたの息子の父親はどこ?」

「は?息子の父親ですか?カナダにいます」

 


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