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■ 序章

 どこか知らない場所。
 暗くて、静かで、広い部屋。
 床には黒い絨毯が敷き詰められている。暗く高い天井には豪勢なシャンデリアが黒い光を反射しながら輝いていた。小さなスポットライトが一点を照らす。
 そこに土方香はいた。いや、香ではなくメイド喫茶「アリス」の看板娘・カヲルがいた。
 美しい滝のように輝く金髪の少女は白い艶やかなメイド服を身にまとい、重厚な椅子に座っている。
 凍るような青い瞳。そして冷徹な微笑み。
「キスをしなさい」
 小鳥のような愛らしい声で命令をする。
 白くきめ細やかな右手がすっと差し出された。
 暗闇から手が伸びてくる。長い指。きっちりと整えられた真面目そうな爪。柔らかく日に焼けた健康そうな肌。その掌が白く小さな手を乗せる。
 漆黒の髪を持つ少女・近藤真琴が暗闇から現われゆっくりとカヲルの手の甲へとキスをする。
「永遠の愛を誓います」
 見つめ合う少女達の瞳。
 近付く桜色の唇が重なる。絡み合う呼吸。そして生温かい舌が性感帯を探してお互いの口の中を犯す。
 ちゅば……ちゅっ……という音だけが部屋の中に響く。
 香をじっと見つめる真琴がにっこりと笑い、すっと頭を下げる。そして白い豪華なスカートの中へ、真摯な瞳が消えていく。
「……あっ……」
 小鳥が囀るような愛らしい声をあげる香。スタディオファイブの薔薇が描かれた白いショーツ。その上をゆっくりと真琴の舌が這う。優しく。もっと優しく。
 白い純白のシルクが濡れ、可憐なヴァギナをくっきりと浮き出させる。
「もっと……そこ……」
 カヲルの息が乱れていく。
 椅子の上で愛し合う二人。
 その光景を暗闇に溶け込む大きな扉の影から、黒髪三つ編みの少女・土方香はじっと見つめるのだった。

第一章

 ■ 1-1


 土方家・香自室。

「はっ!」
 土方香は汗をぐっしょりとかきながら、ベッドから飛び起きた。時計を見るとまだ夜中の四時だ。カーテンの隙間からネオンのライトが漏れてくる。
 香はカーテンを開け、外を見た。雑居ビルの向こうに真っ白な宝石のように輝く巨塔『バベル』が見える。日本の建築技術の粋を集めたタワー。富の象徴であり首都東京・池袋のシンボルであった。
 何故か香は夢に出てきた黒い部屋があのバベルにあるのではないかと思った。しかしそのような場所へ行った記憶は全くなかった。香の幻想に過ぎない。
 白いメイド服を着て微笑むカヲル。その手にキスをする真琴。
 そして二人は……。
 香は真っ赤になり、ぱふん、っと勢いをつけてベッドに横たわった。ぎしぎしっと軋む白いベッド。蒲団に描かれた大輪の白薔薇。なんの変哲もないベッドだが祖父がくれた特注品だった。

 ――こんな夢のような出来事があるわけがない。真琴が私に愛の告白をするなど幻想だ。

 そう思いながら香は真琴と繋いだ手をじっと見る。あの電車での時間。手が熱くなって、二人の気持ちが通じ合うような感覚。
 馬鹿馬鹿しい。池袋若草学園のアイドルである真琴と恋人同士になる? 夢物語だ。香は溜息を吐いて天井を見上げた。

 つい数日前、香達は池袋界隈で市場を広げていた違法麻薬組織を潰した。元締めは逃がしてしまったが末端の若者はほぼ警察に捕まった。麻薬中毒になってしまった同級生は病院に入院し、違法な麻薬密売人達は一掃された。再び池袋に平和が訪れたのだ。

 ――真琴と一緒に闘ったあの瞬間。胸が熱くなるようなときめき!

 香はぎゅっと腕で自分の体を抱き締める。思い出してほうっと溜息を吐く。
 だが真琴という少女の存在が香にとっては眩しすぎた。日本一の剣道少女。長く美しい黒髪。輝くような強い意志の瞳。剣道道場の跡取り娘。刑事の叔父を持つ、光の中を歩く人。
 一方自分はどうだろうか。香は両手を挙げじっと見た。神鬼(じんぎ)と呼ばれる怪力。ヤクザを家業とする本家筋。香の母・七海はヤクザ家業を嫌い家を出た。しかし香自身は神鬼の力をコントロールするためによく本家の道場へと通っている。親戚の人達、若衆。顔見知りの彼らと縁を切る事が出来るのだろうか。そして先の事件で守れなかった池袋組の若者達……。
 カタギとして生きろという母。兄。そして祖父。
 自分を慕ってくる若衆。
 自分はどっちの世界にいるのだろうかと香は考える。
 カタギなのか。
 ヤクザなのか。
 光の中を歩く真琴に相応しいのはどちらなのか、分りきった答えだ。
 ただの女子高生として生きればいい。
 悪を見逃し、平凡な日常を過ごしながら暮らせばいい。
 死んでいく彼らも、荒れる都市も見ないふりをして……。
 香はぎゅっと目を閉じた。
 そう見なければいいのだ。
 ……見なければ。


 ■ 1-2


 私立池袋若草学園。普通科一年百合組。

「おはよー!」
 香は元気よく真琴に挨拶をした。
「おはよう、香」
 女子生徒に囲まれた近藤真琴がにこっと笑う。女子達の黄色い声と、香に向けられる嫉妬に燃えた視線。
「ちょっと失礼する」
 真琴が香を引っ張って教室を出た。
「あ~、疲れた。やっと香が来てくれたか。まったくどうして女子というのは、あのような高い悲鳴をあげるのだ」
「それだけ真琴が好きってコトでしょ」
 香は、は~あ、となげやりに溜息を吐いて壁に寄りかかる。
 真琴が少しむっとして、香を見た。
「香は……軟派な女子に私が好かれていて、嬉しいのか?」
 少し俯いた真琴の睫毛が震える。
「え?」
「その……や、やきもち……とか」
 真琴がうっすらと頬を染め、香を見た。
「? やきもち? 真琴がモテモテなのはいつものコトじゃん?」
「そうではない」
 真琴がバンッと壁に手を置いて、香に顔を近付けた。
 香が驚き、目をぱちくりさせた。
「香は私のことを……」
 二人の顔が、さらに近付く。
 若い少女達の……まだ初々しい唇も、さらにさらに距離を縮めた。
 そこまで真琴が言うと、廊下にチャイムが鳴り響く。
「……教室に入ろう。今日は転校生が来るとそうだ」
「う、うん」
 真琴はむっとしながら教室に入っていった。
 一体真琴は何をむくれているのだろうかと香は思い、首をかしげるのだった。

この本の内容は以上です。


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