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 十二月三一日、私は福島にいました。彼の実家がある福島へ来たのはこれが二度目でした。前回は十月で二ヶ月程しか経っていませんが、その時と大きく変わっているのは私と彼はすでに結婚したということです。まさか前回福島に行った時、二ヶ月後結婚しているとは思ってもしませんでした。その時は彼のご両親が一度私を連れてきなさいということで伺ったのです。彼は私とのことをあまり家族に話していなかったようですが、去年帰省したお正月に結婚しようと思うと言っていたそうです。けれど私の母の一周忌が終わってからということになったようでした。ただ私と彼は歳が離れています。私が歳上です。そのことでご両親は大変驚かれたことでしょう。私は分かっていました。彼と結婚したところで祝福などされないのだろうと。私は母もいないですし、父もいません。彼と付き合った当初、私は結婚など考えていませんでした。でも彼はそうではなかったようです。それに母も私たちの結婚を期待していました。でもそれは現実的ではなかったですし、常識的に考えてもありえないと思っていました。なのに気付けば大晦日におじいさんの家に集まってご飯を食べるという行事に参加することになっていたのです。

 

 親戚で集まるなど私の家ではないことでした。それに私の両親は末っ子と下から二番目。そして私は末っ子です。ですから父方のおじいさんおばあさんは、私が生まれた時にはすでに亡くなっていました。また母方の方は、私が生まれた年に亡くなっていました。私はおじいちゃんおばあちゃんという存在を感じることなく育ちました。

 おじいさんという存在は不思議ですね。まるで村の長老のようなご意見番なのですね。そういえば私がまだ福島に行く前に、彼のところにおじいさんが電話で「交通費を出すから彼女を連れて来なさい。おじいちゃんは結婚に賛成だから」と言って来ていたそうです。私はその言葉に救くわれました。そして会いに行ける日を楽しみにするようになったのです。そのおじいさんは彼の父方です。そちらのおじいさんに初めて会った日。おじいさんの家のこたつに入ると私の名前を訊かれました。「△△あやこです」と私が言うと、「それじゃあ、○○あやこだな」と返ってきました。○○は彼の名字です。いきなりのことでしたが嬉しかったのと少し恥ずかしかったのと、おじいさんの愛嬌のあるやさしさで、私は思わず笑ってしまいました。笑っていたのは私だけではありませんでした。彼のご両親もくすっと笑っていました。それからなのかどうなのかは分かりませんが、同棲しているのなら入籍してしまってもいいのじゃないのかという話の流れになっていました。私の母の一周忌が過ぎたら入籍をしようということに。ただ結婚式は福島で上げて欲しいということでした。私たちは結婚式などするつもりはなかったのですが、ほんの身内のみでということだったのと、結婚を祝福してくれるのであれば、それほど嬉しいことはないと私は思ったので受け入れました。

 彼のお母さまに、母の亡くなった日を聞かれ、それを答えると顔を下にして苦笑いしていました。なにかと思ったら、その日はお母さまの誕生日だったのです。それからしばらくして車で移動している時にお母さまは言っていました。「その日に入籍するのもありかもね」と。私は福島から帰ってずっとその言葉が残っていました。そしてその日しか入籍する日はないのじゃないかと思うほどに。こんなわがまま言っていいのか申し訳ない気がしながら、彼にその日に入籍したいと伝えました。彼はすぐに了解してくれました。なぜそれがわがままなのかというのは、一周忌を迎える前後はとても辛いことだからなのです。一年前なにをしていたか、母の様態はどうだったのか、無意識に考えてしまうものなのです。それが入籍をする日に出来るのなら、いい日になりうるのです。悲しい日は嫌です。

 

 ところで大晦日に集まったのは、お母さまの実家です。おじいさんとおばあさんふたりで住んでいるところに、お母さまの弟さん夫婦が来ていました。家に着くと、こたつと横に付けられた少しだけ高さの違う机の上にお料理がいっぱい並べてありました。唐揚げや焼きそば、ローストビーフにフルーツの盛り合わせ、巻きずしに漬け物。親戚が集まったこたつでこれらのご馳走を食べるというのは、英語に変換すれば明らかに Japanese Party となるでしょう。そして大型テレビからは歌謡曲が流れていました。彼は「ガキ使観たいな」とぼそっと言っていたのに対して、お母さまは「なにこのテレビ。面白いのないの? ガキ使観よう」そう言ってリモコンを探していました。リモコンが手元にあったおじいさんは「九時からボクシング観たいんだ」と軽くボクシングのまねをしていました。噂には聞いていました。これがチャンネル争いというものなのですか。昭和に絶滅したかと思っていましたが。

 親戚が集まるとこんなにもおしゃべりが続くものなのですね。笑いが絶えませんでした。親戚にいるというプロのサッカー選手の本を見せてもらったりしました。そういえば私の従兄弟に有名な政治家がいました。その人とは小さい頃に会ったきりです。家に来ていた時にフランス語を習った記憶があります。まつげが長くてとてもかっこよかったです。幼心に従兄弟のお兄さんとは結婚出来ないはず、なんて考えてしまった程に。従兄弟との繋がりなどは大人になるにつれてなくなって行くものだと思っていました。でもここでは違っていたようです。来れなかった兄弟に電話をして、そのプロのサッカー選手という人ともみんな話をしていました。親戚付き合いのない私など、いくら従兄弟が出馬したという話を聞いてもテレビで見るくらいでした。もしくはゴー宣でマンガになって出ているのに驚いたくらいで。もう私にしてみたら、従兄弟というよりただの政治家です。そもそも政治家は政治家という人種になってしまうようですが。

 おばあさんはおじいさんの横にちょこんと座っていました。目が殆ど見えなくなって来てるおじいさんに分かるようにたまにテレビの字を読んでいました。おじいさんがトイレに立つと、ついでに行っておこうとおばあさんも立ち上がった程に仲がよかったです。でもおばあさんは少し痴呆が始まっているようです。

 食事会がお開きになり玄関を出ると「これ忘れてるよ」とおばあさんがオロナミンCを持って来てくれました。確かに帰る間際に「あっても仕方ないから持って帰りな」と私の横にあったオロナミンCを指して言っていました。それをわざわざ道路を渡って渡しに来てくれたのです。私は車が来ていたので冷やりとして「車が来てるから危ないよ」っとおばあさんに歩み寄り腕を握りました。おばあさんは私のその発言と行動に驚いてしまったようでした。「ごめんね、驚かしちゃったね」数メートル先には彼のご両親の乗っている車がありましたが、私には掴んだ腕の先しか見えていませんでした。おばあさんは静かに頷いて「Nちゃん、これ」と言いました。Nちゃんとはお母さまの名前です。おばあさんはその時目に見えていたのはお母さまだったのかもしれません。でも私はその先を見ていました。なぜならこの日、おばあさんと会話が出来たのはオロナミンCを持って帰りなというやり取りだけだったので、なにか私に対しての繋がりを求めてくれてたのじゃないかと想像していたのです。このオロナミンCのおかげで、おばあさんとほんの少しではあるけれど心を交わせることが出来たように思います。

 

 大晦日の午前中は、結婚式場でドレスの試着をしていました。その少し前、式場に向かう車中で私は泣きそうになっていました。悲しいのではありません。心臓がドキドキする程の怒りがあったのです。私の大嫌いなこと、お葬式自慢が始まったからです。分かっています、とても個人的な想いがそれぞれにあることを。でも無理なんです。なんの話からそうなったのかは覚えていませんが、朝食が終わった食卓で、彼の父方のおばあさんが亡くなった時に沢山の人が来たという話になっていました。おじいさんが習字の先生をしていたから生徒さんも沢山きてくれたのだそうです。私はこの類の話になると血が騒いでしまいます。いつの日だったか、あれは確か父が亡くなってすぐのことでした。私が父のお葬式の話をしたら、あの人が亡くなったおじいさんだったかおばあさんだったかの話をしてきました。こっちのお葬式もすごかったのだと。その時も血が騒ぎ感情が抑えられませんでした。そしてあの人は言いました。「誰でもうちの方がすごいと思いたいよね。ごめん」と。いえ、待って下さい。それは私の記憶違いでした。あの時は口論になり、私が謝らせたのでしたっけ。そうでした。とても許せなかったので。

 私の父は歯科医師でした。技工もしていて、遠くから義歯を造って欲しいと来る方もいました。また、霞ヶ関に行っては勉強会に参加して教えることもあったそうです。その頃、中曽根元首相の歯を治療したことがあったそうです。とても緊張したと父は言っていました。父が亡くなる一年前、病で辛い体でありながらも仕事をしていると「一億稼ぐのは簡単だな」と言ったのを側で衛生士として働いていた姉が聞いていました。それ程まだまだ稼ぐことの出来る若さで父は亡くなったのです。お葬式はとても沢山人が来ました。後から聞いたのですが、式場ではなく家に来てしまった人が歩道橋の方まで列を作っていたそうです。またどなたかが新聞の死亡欄に父のことを載せていたようです。

 分かっているからこそ、父のことを話すことが出来ませんでした。それが故人への敬意だと。しかし今回は胸に納めてよかったと思います。なぜならこの家族、家系というべきなのか、とてもおしゃべりなのです。食事会もそうでしたが、人の話が終わるか終わらないかで、次の人が話し出します。また会話の合間に誰かの質問が誰にも答えられず、言霊のように宙を浮いて行く現象をいくつか見ました。話題は次に移っているのです。おしゃべり種族は、流れでよくもなり悪くも話は転がって行きます。けれどその量が多いので考えるより反射的にする会話なので、ひとつひとつ私は意味深に受け取る必要はなかったのです。もしあの時、父の話をしていたら次元の違う会話を飛び込ませることになっていたでしょう。それが分かったので、次の機会には父のことをさらりと話せるようになっている気がします。自慢話にならずに。

 

 それよりドレスです。結婚式など上げるつもりがなかった私ですが、ウエディングドレスの試着をした瞬間、幸福な気分になりました。私も女だったのですね。試着室の外からカーテン越しに顔を出したお姉さんに思わず「見て、花嫁さん!」そう言っていたのですから。私としてはその日一緒に来てくれた、小さくってかわいいお姉さんにドレスを着てみて欲しいと思っていました。人が着ている姿を見てみたかったのです。なにせドレスを選ぶにも、誰かが着た姿であれば想像しやすいのですから。カラードレスなどどれがいいのか分からなく、もうなん着も試着しました。試着していた時間は二時間以上掛かっていました。けれど疲れることはなかったのです。私は着やすく置かれたドレスの輪をまたいで立てばお人形さんのように着せてもらえるのですから。着せてくれていた係りの方は、「この色も似合うと思いますよ」や「着てみると違いますよね。これ人気ですよ」などの話の他、「ドレスの試着のお手伝いは楽しいです。でも待っているご家族の方が静かだと、時間を取らせてはいけないと急ぐんですけど、こちらのご家族さんは賑やかですよね。楽しそうでよかったです」そんな会話をしました。そうなんです。やはりこの家族はおしゃべりなのです。これで私独自の物差しでこの家族のおしゃべり度を測ったのではないっということが証明されました。ちなみに彼の家族は飽きるどころか、追加で三着もドレスのリクエストをしてくれました。

 こういうドレスの試着というのは、本来なら誰とするものなのでしょう。それは分かりませんが、新郎新婦の名前とそれぞれ両親の名前を記入する用紙を渡された時などには、この世にいない人が現実に見えはしないけれど現れて来るのです。やはりこういう時は、と考えなくはなかったです。でも私が試着したドレス姿を彼が写真に撮ってくれていたのですが、それを見ていたら、これでよかったのだと思いました。彼が撮ってくれた写真はドレス一着に付き、正面から横から後ろからと角度を変えて数枚ありました。そこにはなん枚も彼の家族が写り込んでいたのです。その眼差しはよそ見などしていなく、なにか話している様子だったり腕を組んで考えている姿でした。私はそれらの写真を嬉しく眺めていたのでした。

 

 いつだったか電話があった友人に、式を上げることになったと話すと、結婚式は悲しいだけでしかなかったと言われました。その友人は母親を亡くしていて、お色直しをするのにも親戚のおばさんに連れて行かれてはずっと泣いていたそうです。親を亡くした者の結婚式というのはそれ程までに悲しいものなのでしょうか。私の場合、母だけではありません。父までもいません。例え親が生きていても仲が悪いという人もいるかと思いますが、それでも怒りの方が悲しみよりはましなことが多いはずです。ほとんどの場合、怒りは行動的になるけれど、悲しみはなにも出来なくなってしまいます。

 数ヶ月先の私たちの結婚式は友人のように悲しいだけになってしまうのでしょうか。私はそうは思っていません。親しくなりたいと思う人がいて、私には家族が出来たのです。家族というのはこんなにも明るいものなのですね。結婚式をすることで、話す接点も出来ました。

 初めて彼の母方のおじいさんに会った時に言われたことがあります。私が両親を亡くしていると言うと、それだったらこっちの両親を代わりにして親孝行すればいいと。奇しくもお父さまお母さまの歳が丁度父が亡くなった歳でした。

 もう体験出来ないと思っていた親と一緒にスーパーで買い物するということ。大好きだった母との買い出しをする時のあの暖かい雰囲気が蘇ったのです。私は嬉しくって泣くのをこらえるのに必死でした。それを後で彼に伝えたら、泣いちゃえばよかったのに、そしたら好印象だったかもよ、などと言われてしまいました。初めて会った人の前で泣くなんてと思いましたが、泣いていてもよかったのかもしれません。

 父の命日が元旦、母の命日が結婚記念日になり、帰省する場所が出来ました。結婚も悪くないです。

 それでも後悔することもあります。十も下の彼とのこの先を考えると恐ろしくもなります。彼との付き合いは長く、その間に素敵な人は現れませんでした。それどころか、いまだにこたつで彼が無意識で足の先を私の足にあてているだけで、ネコやフェレットが私の体の上を歩いて行く時のように、幸せな気分になるのです。だから私は覚悟をしたのです。萬田久子のように高橋惠子のように歳を重ねて行くということを。もしくは憧れの美保純のように。

 

 私は体験したことのなかった一歩踏み込んだ個人との関係をいまは楽しんでいるのです。

 

 

 

 


奥付



大晦日のこと


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著者 : アコヤ
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