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― その1 ―  不肖の弟からの手紙

 征夷大将軍・徳川家茂は家光以来二百二十九年ぶりに将軍として上洛し、幕府は文久三年五月十日の攘夷実行を約束した。・・・西洋との戦争が現実味を帯び、横浜にはイギリス戦艦が終結し、薩摩藩が起こした異国人殺傷事件、即ち生麦事件の賠償を強烈に求めてきている。
 ・・・危機が走った。
 人々は恐怖と不安の中で近海を航行する異国船を見詰める、そんな日々が続いている。
 そんな緊迫した状況を改善すべく、幕府老中・小笠原長行は独断で賠償金をイギリスに支払うべく行動した。つまり、攘夷を約束した将軍の立場に反する行動を起こしたのだ。国内世論は小笠原に対して弱腰だとなじったが、戦艦を目の当たりにしている江戸界隈の人々は戦争の回避に安堵したのも事実であった。
 徳川幕府が攘夷戦争による徳川の天下が崩壊することを恐れていたのもまた事実であった。
 そして迎えた攘夷期日の五月十日!
 長州藩は馬関(関門)海峡を封鎖し、海峡を通過する西洋船に対して次々と攻撃を始めた!
 戦争を仕掛ける長州藩に相反するように、異国との戦争を回避しようとする幕府。
 相反する立場であった。
 ・・・果たして攘夷すべきなのか、否か!
 ・・・異国に屈するのか、徹底抗戦か!
 国内は揺れた。
 あくまでも異国との戦争を望まぬ幕府は、攘夷とは港の封鎖交渉であると主張。一方、朝廷は異国船に対して砲撃を加える長州藩を褒め称える。・・・攘夷とは戦争だと主張する朝廷と、港の封鎖交渉こそ攘夷だと主張する幕府。朝廷(京)と幕府(江戸)の方針は一致しておらず、それぞれに追従しようとする諸藩も混乱した。
 そんな情勢の中、日本の危機を感じて若き志士達は藩を飛び出し、浪人となって京に集結していく。口々に攘夷を唱えていた。
 ・・・どうなる・・・、この国はどうなる・・・。
 混迷する日本。
 ここで再び老中・小笠原が立ち上がった。千六百の兵を率いて京に向かったのだ。・・・京を守るのか? 制圧か? 天皇の許に拘束されたままの将軍・家茂を江戸に連れ戻すためなのか?
 国内の混乱は拍車を掛ける。
 そんな日本の状況を他所に、西洋諸国による反撃が始まろうとしていた・・・。
 
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 ― 高知城下・坂本家 ―
 文久三年、梅雨。
 坂本家は平穏な日々を取り戻していた。
 末弟の脱藩という大事件により、閉門、御役目の召し上げという重罰を受け、その汚名を消し去るためには大変な苦労があった。才谷屋からは家老達に多くの献金をばら撒き、親戚筋の高松順蔵やら岡上樹庵も奔走し、次姉・栄が自らの命を絶ったという事実によって大罪に対する追求を終わらせたのだ。
 何とも痛ましい事件であった・・・。
 しかしその張本人の竜馬は未だ行方不明だ。
 藩によれば竜馬の罪は幕府の軍艦奉行・勝様のとり成しによって許された故、もう追手は放っていないと言う。
 月日が経過し、・・・少しずつだが家人の心の傷も癒えてきた。一時は召し上げられた御役目への復帰が許され、閉門が解かれて、その罪状を一身に背負ったような権平にも漸く日の目が当たり始める。
 誰もが待ち望んだそんな恙無い生活。そんな中に弟の過ちを埋没させようとしていたのである。
 ・・・けれど、
 決して忘れようとしているのではない!
 「竜馬よ! お前は我が愛すべき弟ぞ! お前がどんなに大罪人になろうとも、絶対にな!」
 道を誤った末弟への愛情を増幅させていた。
 「嫁いだとは言え乙女だってそうだ、春猪だってそうだ。一日たりともお前の事を思い出さぬ日はないがぞ!」
 それが家族というものである。
 その事を権平はよく分かっている。坂本家の存続を第一に考えながらも、飛び出した末弟の生死を気に懸け、日々祈らずにはいられない。それが坂本権平という人物なのだ、父によく似た優しい家長であった。
 
 そんな物思いに耽りながら庭を眺めていた権平の前に、見慣れた巨体が飛び込んできた。
 「またお前か」
 「またか、は無いろう」
 口を尖らしたのは乙女である。だがどこか嬉しそうにも見える。
 典医・岡上家に嫁いだのは良いが、嫁ぎ先の姑にまだ幼い息子を人質のように取られて家事に追われているから、いつもなら機嫌が悪い。でも、ここ実家・坂本家とは近く、自由に戻ったり出来るのが気晴らし

には好都合なのだろう。
 この日は機嫌が良いようだ。笑みを見せている。
 「見て、見て! 兄上!」
 まるで子供の頃のように興奮気味にそう言いながら、手紙のようなものを見せてくる。
 「何ぞ」
 「手紙、手紙」
 その手に握られているのは、
 「竜馬からか!」
 「うん、うん、そうよ、そうよ!」
 乙女は大きく頷いて、体に似合わぬ可愛げな手を開いた。
 確かに弟・竜馬からの手紙のようだ。それを差し出してきた。
 「相良屋が直接お前のところへ持って行ったのか」
 「そうお願いしてましたから」
 乙女は当然だとばかりにそう豪語する。権平はそんな妹を睨み付けたいのを堪え、
 「・・・それより竜馬は何と言って来ちゅう」
 と尋ねた。
 「御自分でお読み下さい、きっと目が飛び出すきに」
 「ふん、どれ」
 権平は手紙のしわを丁寧に直して開き、不肖の弟・竜馬の自筆に目を走らせた。


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