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はじめにお読みください

『法律事務所×家事手伝い2 不動正義とニュースの女』には、現在ご覧になっている「パブー版」の他、Kindleストアから購入していただけるマイナビ版がございます。

(どちらも価格はいっしょです)

 

テキストの内容、縦書き仕様、「特別付録」の有無などはまったく変わりませんが、下記の点が若干異なります。

 

①発行元の表示……「マイナビ版」には「株式会社マイナビ」のロゴが追加されています

②文中の数字表記……「パブー版」が算用数字なのに対して「マイナビ版」は漢数字です

③各種画像の表示……「マイナビ版」では「人物相関図」「不動家間取り図」などがファイル内でも表示されており、その他「章」の表示に若干の「修飾」などが施されています

 

以上をご理解の上、お好きなバージョンをお買い求めいただきますよう、お願いします。


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人物相関図


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不動家間取り図


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旧版表紙デザイン by 有限会社ウニコ


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プロローグ

 自分が自分でないような感覚に陥ることが、人生には時々起こる。例えば、テレビやビデオに自分が映っているのを見たときとか、同姓同名の人間をインターネットで見つけたときとか。

 

 だが、その極めつけは「自分自身が警察に逮捕された」という連絡を受けたときだろう。

 

 幸か不幸かその電話をとったのは不動正義《まさよし》自身ではなくて、父親の征四郎《せいしろう》だったのだが、その事実を知らされたショックと、さらに、自宅に戻ってきた自分の顔を見て父親が露骨にホッとしたのを見たショックは、なかなか忘れられるものではない。

 

 不動正義の家は東京・雑司ケ谷にある一軒家である。玄関脇の庭には古い石蔵が残っていて、そこには今2名の制服警官が張り込んでいた。

 

「真夏でなくてよかったなあ」

 正義は2人の警官を尻目にのんびりとそういった。心はまだいささか傷ついてはいるのだが、今はこの非日常的な出来事へのワクワク感の方が勝っている。

 

「自分の家で〝張り込み〟に付き合えるとはねえ」

 真冬だというのに靴下は履かず、素足に直にデッキシューズをつっかけている。普段着のカーゴパンツにTシャツ、さすがに今日はそのうえにドテラを羽織っていた。

 

「別に付き合ってくれとはいってないんだよ」

 2人の警官のうち、年配の長良《ながら》巡査長がそういった。千登世橋交番に勤務して10年以上経つベテランである。小柄で、無趣味な「両津勘吉」といった風貌をしているが、雑司ケ谷界隈ではとても信頼されている。

 

 地域課の警官にはなかなか経験できない大事件を目の前にして、正義ののんびりした感じが気に入らないようだった。

 

「いいじゃないか、長良さん。ここはおれのうちで、しかも大人しくここに座っているだけなんだから……今からそんな固くなってないで、お茶でも飲んだら?」

 正義はそういって、継母のりつ子が準備してくれた魔法瓶のお湯を急須に入れた。

 

「そういえば不動さあん……

 と、正義よりも間延びした声を出したのは、もう1人の若い巡査で簗瀬《やなせ》という。勤務歴はまだ1、2年。190センチ近い正義ほどではないにしても、そこそこ背が高く、イケメンの漫才師みたいな顔をしている。

 

 正義は彼独特の「女ったらしのいやらしい声」が嫌いだったが、これまた地域では──特にりつ子ぐらいの年齢の女性には──評判がいい。もっとも簗瀬自身のことは、趣味が近いこともあって好きだった。彼とは妙に話が合うのだ。

 

 簗瀬巡査は、石蔵の明かりとりの窓の扉を少し動かして外を覗きながらつづけた。

……最近、ハマー乗ってます?」

 

 ハマーというのは石蔵の目の前に停めてある、正義の愛車のことだった。アメリカの軍用車をベースにした、どでかい弁当箱のような車で、特に正義が乗っているのはハマーH1という初期のタイプである。簗瀬と仲良くなったのも、この車がきっかけだった。

 

「乗ってないなあ」

 正義は1人でお茶をすすりながら答えた。

「だったら、おれに貸してくださいよ」

 簗瀬は徹夜マージャンを終えて電車賃をねだるような声を出した。

「いやだね」

「どうせ乗らないんでしょ」

「立て篭もり事件でも起きて、強行突入することになったら貸してやる」

「そんな事件、起こるわけないでしょ」

 あまりにもだらけ切った会話に、長良巡査長が怒りを露わにしながら振り返った。

 

 だが、そこで無線連絡が入ったらしく、2人の警察官に緊張が走った。母屋と表通りに2人ずつ配置されている〈目白警察署刑事課知能犯係〉の捜査員たちとの無線連絡に関しては、正義は当然、蚊帳の外に置かれている。

 

 それでも簗瀬が外から見られないように注意を払いながら家の前の通りをうかがって、「あれじゃないですかねえ」とつぶやくと、正義もいよいよ運命のときが迫ってきたことを知った。

 

 凍てつくアスファルトの上を革靴の音が響いてくる。足に合わないサイズの靴を履いているらしく、片足だけ、妙にパカパカ音を立てていた。

 

「あれ──あいつ、素通りしていくなあ」

 簗瀬は怪訝そうにいった。〈大鳥神社〉の方から1人で歩いてきた若い男が、手に持ったメモを一瞥してから、不動家の敷地内を横目で確認し、それから〈鬼子母神《きしもじん》〉の参道の方に歩きだして、簗瀬の視界から消えてしまった。

 

「あいつに間違いない。付近の様子を探っているんだ」

 長良巡査長が静かにいった。

「なんでわかるんですか?」

「勘だよ、勘──

 年配の警官が右手の指でこめかみを叩いた。

「確かに……スーツが全然似合ってないもんなあ」

 上背のある正義が、長良巡査長の頭の上からそういうと、警官は驚いて振り返り、正義の体を押しやった。

 

「あんなの1人なら、おれだけで捕まえたのに……

 正義が残念そうにいうと、長良巡査長は自分の口に指を当てた。

「頼むから、ここでじっとしててくれ……

 囁くような声で、しかし、きっぱりとそういった。

「ケイサツをグロウするヤカラは、われわれがかならずタイホするから」

 自分自身にも気合を入れるような口調だった。

「長良さん、今の言葉、全部漢字で書けるのか?」

 正義の言葉に意表を衝かれて、室内がシーンとなった。

「何いってるんですか、不動さん」

 簗瀬が笑いをこらえながらいった。

 

「あのな、あいつにいちばんグロウされているのは──このおれなんだぞ」

 正義は小声でそういったが、口だけは大きく開いて自分の言葉がはっきり伝わるようにした。金を受け取りに来た犯人らしい男の姿を見た途端、全身に血が逆流してくるのを感じた。今までのリラックスした状態がウソのように、一気に気分が「戦闘モード」になってきた。

 

 まるで一流のアスリートみたいじゃないか──正義はそう思って、満足感に浸った。

 

〝オレオレ詐欺〟は年々手口が巧妙になっている。ATMからの振り込み上限金額が下がったり、口座からの100万円以上の振り込みに金融機関が注意を払いはじめると、今度は犯人グループが自ら金を取りに来るようになった。

 

 確かに今回もそのパターンだ。だが、騙し方はあまりにも原始的だった。「不動家の息子」、つまりは正義が、痴漢で逮捕されたというのだ。そして、犯人が要求しているのはその「示談金」なのだ。

 

 もうちょっとましな理由づけはなかったのか?──と正義は怒りをぶつけたかった。犯人は正義のことを事前に綿密に調べたわけではなさそうだ。調べていたら、第一に弁護士の自宅に詐欺の電話などかけてはこない。

 

「痴漢事件」をネタにするのが彼らのグループの常套手段なのだろう。だが、だからといって許せる話ではない。正義がこうして現場に待機しているのも、一言、文句をいってやりたかったからだ。

 

 そのとき、簗瀬が耳に入れたイヤホンを押さえた。

「来ました──あいつ戻ってきました」

「だから、そういっただろう!」

 長良が最後にもう一度正義を目で牽制し、簗瀬に合図をして、石蔵の入口の扉の内側まで移動していった。

 

 いよいよ事態は動き出した──

 

     ×

 

 正義の父、不動征四郎はインターフォンの受話器がある廊下に立って待っていた。犯人グループのなかで金を受け取りにくる「受け子」という役割の男が近づいてきたという報告を受けると、さすがに緊張が走った。

 

 目白署の刑事は、玄関の両脇の部屋──征四郎の書斎と、かつて応接間だった部屋──に分かれて待機している。外に飛び出せるようにビニールのシューズカバーをかけた靴のまま家に上がり込んでいた。

 

 やがて、インターフォンが鳴った。征四郎は刑事たちの合図を待ってから軽く咳払いをし、受話器をとった。

 

「先ほどご連絡した〈新宿警察署〉の者ですが……不動さんのお宅ですね?」

 若い男の声がした。征四郎は玄関に迎えに出た。

 

 ドアの向こうにいた男は、見た目もかなり若い男だった。とはいえ20代の後半だろうか。その割にはスーツが似合っていない。サイズはあっているのだが、新入社員のようにまだ体に慣れていない感じだ。

 

 おまけに革靴がぶかぶかでカラコロ変な音がする。脇に抱えたセカンドバッグも不似合いな感じだった。

 

 その瞬間、征四郎はだいぶ気が楽になった。自分のペースで「交渉」を進められそうな自信がでてきた。弁護士になって40年近く経つが、詐欺の現場に自分が立ち会うのはこれが初めてである。実際それと向き合うまで、自分自身がどんな反応を示すのかわからなかった。

 

 同時に彼は妙な気分にも襲われていた。緊張が落ち着くにつれて義憤や個人的な怒りは収まってきた。そして、そのあとに残ったのは、ある種の物悲しさと、かなり強い好奇心だったのだ。

 

 2人の男はしばらく対峙していた。征四郎は自分から切り出すつもりはなかった。どこか余裕のある表情の彼を相手がどう受け取っているかはよくわからない。

 

 征四郎自身もネクタイこそしていなかったが、仕事用のスーツを着ていた。そして、いつものように上着の襟もとにはいぶし銀の弁護士バッヂをつけたままだった。だが、若い男はそれにも気づいていないようだった。

 

「〈新宿警察署〉のナカイと申します」

 そういって相手は警察官の身分を示すバッヂの代わりにポケットから取り出した名刺を見せた。「ピーポくん」のロゴのようなものが見えたが、ほとんど何も読み取れないうちに、あたかもそれが警察官の常識であるかのようにすぐにそれをしまった。

 

 しかし、身分詐称は明らかだ。これで少なくとも任意同行は求められる。

 

……あまり時間がないのでね、早速、示談のお金を確認させていただけますか?」

 あっけにとられている征四郎に対して、そう優しい声で語りかけてきた。

 

「ああ……そうでした」

 征四郎は素直に内ポケットから100万円分の紙幣が入った銀行の紙袋をとりだした。紙幣の100枚は普通の紙より厚みも重みもあることをあらためて実感する。征四郎はそれを両手で大事につかんで男に差し出した。

 

「確認させていただきます」

 若い男の頬骨が少し上がった。彼の手が封筒の反対側をつかんだ。男が金を受け取ったら、征四郎が「確かにお渡ししましたよ」ということになっている。刑事たちはそれを合図に飛び出してくる段取りになっていた。

 

 だが、征四郎の手は銀行の封筒から離れなかった。指先が糊づけされているように離れない。自分の意志とは関係なく、手がその金を離そうとしないのだ。

 

 相手の男がギョッとなった。金の袋から征四郎へと視線を上げる。その顔から血の気が引いていく。

 

……どうかしましたか?」

 やっとそれだけいった。

「この金は持っていかない方がいい」

 気がつくと、征四郎はそういっていた。

「どういうことですか?」

 

 この時点で、相手の警戒心に赤ランプがついたことは間違いなかった。だが、どうやらその若い男の指も、一度つかんだ金の袋から離すことができないようだった。

 

 征四郎と相手の男は、しばらく無言で100万円の袋を引っぱり合った。

 

 根負けしたのは相手の方だった。やっとの思いで自分の手を引き剥がすと、征四郎を睨みつけて、

「畜生──騙したな!」

 と、怒鳴った。

 

「これ以上、罪を重ねるな!」

 征四郎はそう応じたが、次の瞬間、相手の男がどう行動するか読めなくなった。おそらく相手もこういうときの心の準備をしていなかったのだろう。素人丸出しだったが、こういうときの素人ほど怖い存在はない。

 

 そのとき、書斎と旧応接間の扉が相次いで開いた。しびれを切らした刑事たちが出てきて、若い男を外に押し出すように、シューズカバーのまま玄関の三和土《たたき》に下りていった。

 

「はい、そこまでだ」

 刑事の1人が、相手の男の気勢をそぐようにいった。同時に玄関のドアが外側から開いて、見憶えのある制服警官と、その後ろに頭1つ分背の高い、息子の顔が見えたとき、征四郎はようやく肩から力を抜いた。

 

「騙しやがったな、チキショー!」

 男はもう一度征四郎に向かっていった。

 

「騙したのはおまえだろう!」

 そう応えたのは正義だった。父親の分まで怒っているように見えた。

 

 若い男の視線の矛先が正義に向けられると、私服の刑事の1人が、

「それぐらいにしろ。警察署で話を聞かせてもらうからな」

 と、落ち着いた声で説明した。

 

「おい誰が痴漢をやったって?──このおれがいつ痴漢したっていうんだよ! 本人を前にしてもう一度いってみろ」

 警官に囲まれた男の外側から、なおも正義が食ってかかろうとしている。

 

 だが、それは征四郎の耳には入っていなかった。彼は自分の心が命ずるままに、自分を騙そうとした若い男に向かって声をかけた。

 

「警察署で逮捕されたら、すぐに私を呼びなさい。きみを弁護してあげるから」

 

 その言葉に、若い男も含めた全員が動きを止めた。みんな、あまりのことにきょとんとした顔をしている。

 

「幸い私は被害を受けなかった。そして今、この瞬間、きみのいちばん身近にいる弁護士はこの私だ──そのことをよく憶えておきなさい」

 征四郎は右手に銀行の袋を持ち、左手で上着の襟もとの弁護士バッヂを掲げながらそういった。

 

 私服の刑事の1人が心配そうに征四郎の近くまで戻ってきたが、それより早く、正義が父親に近づいてきた。

「先生──おい、先生、大丈夫か?」

「おれは大丈夫だ」

 

 征四郎はまだあの男を目で追いかけていた。不動家の門扉の外に回されてきた、覆面パトカーらしい車両の後部座席に押し込まれようとしている。相手の男の目も、まだしつこく征四郎を探していた。

 

「大丈夫だから──

 正義の手を払って、征四郎は努めて冷静にいったが、うなじのあたりにどっぷりと汗をかいていることに気がついた。



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