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いまどきの「皇室日記」

いまどきの「皇室日記」
 

野島明

 

ある日の「皇室日記」(日本テレビ)より

 

戦時中、疎開を経験された両陛下、戦争の犠牲となった人々に常に心を寄せられてきました。戦後六十年の節目には激戦地サイパン島へ、戦後七十年には玉砕の島パラオ・ペリリュウ島を訪問、慰霊碑に花を手向けられました。そして、沖縄への強い思い。

 

「沖縄は、先の大戦を含め、実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、わたくしは皇后と共に十一回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が絶え続けた犠牲に心を寄せていくとのわたくしどもの思いは、これからも変わることはありません。」

(字幕)【沖縄は、先の大戦を含め、実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に十一回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が絶え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。】

 

沖縄戦で家族五人をなくした(沖縄県遺族連合会理事)照屋苗子さん、当初はご訪問を素直に受け入れることはできなかったといいます。

 

「ま、今の天皇陛下を責まるわけではないですけれども、戦争の、が、どうして起こって、どうして、あの、止めることは、天皇陛下としては、できなかったのかなあという、まあ、複雑な気持ち、が、ありましたね。」

(字幕)【今の天皇陛下を責めるわけではないですけど、戦争がどうして起こって、どうして止めることができなかったのか、複雑な気持ちがありました。】

 

しかし、出迎えの列などで陛下と何度も言葉を交わすうち、気持ちに変化が起きてきたといいます。

 

「天皇陛下も、あの、戦争を体験なさっておられるし、やっぱり戦争の悲惨さというのは十分ご理解していらっしゃるんだなあというのは理解ができるようになって、私の気持ちも変化をしていったんじゃないかなあと、そういうふうに思っております。」

(字幕)【天皇陛下も戦争を体験され、戦争の悲惨さを十分理解していらっしゃると理解できるようになって、私の気持ちも変化していったと思います。】

 

平成の天皇として歩まれた三十年の歳月、

 

侍従長として陛下を支えた川島裕さん、象徴としての務めについて、こう話しました。

 

「悲しみって、悲劇ってのは、一つ一つの話しで、それが十人とか二十人となると分かるんですけれども 人の苦しみ掛ける一万とかいっても、所詮分かんなくなるわけですね。陛下の場合、やっぱり、大勢の途方もない数の悲劇、悲しみの総和っていうものを正面から受け止められて、慰霊に励まれるっていうこと、なんではないかなあという、それもまさにあの、象徴天皇のひとつの大変大きな役割と感じておられるんではないかなあという気が、あの、しておりますですね。」

(字幕)【悲しみや悲劇は十人二十人だと分かるが、人の苦しみ掛ける一万というと分からなくなる。陛下の場合、途方もない数の悲劇、悲しみの総和を正面から受け止めて、慰霊に励まれている、象徴天皇の大変大きな役割と感じておられるのではないか。】

 

象徴としてのあり方を求め続けられた天皇陛下、その旅路をこう締めくくられました。

 

「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、わたくしを次いで行く人たちが、次の時代、更に次の時代と、象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。」

(字幕)【象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を次いで行く人たちが、次の時代、更に次の時代と、象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。】

 

平成の終わりまであと九日、両陛下は先日、三重県の伊勢神宮を参拝し、退位の報告をされました。両陛下にとって最後の地方ご訪問、来週お伝えします。

 

皇室日記、それではまた。


     


この本の内容は以上です。


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