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前座【空箱の文学史】

さあ、いよいよ新しい年が開けたねえ。
君は、年末年始をどんな過ごし方をしただろうか。
いろいろな状況があるにしても、僕らの心の中にも、新しく勇気を湧(わ)き上がらせて、希望を持って進もうじゃないかい。

 

風立ちぬ、いざ生きめやも。(ポール・ヴァレリー 堀辰雄訳)

 

この一文は、

 

《堀辰雄(たつお)》さんの小説、

 

『風立ちぬ』の冒頭部分に書かれているものだよ。

 

フランスの文学者バァレリーさんの詩の一節を訳したものだね。口語訳すれば、
《風が吹いてきた、さあ、生きようではないか》となるね。
原文を直訳すると、
《風が吹く、生きることを試さなければならない》
というくらいの意味になるようだ。とすると、堀辰雄さんの訳は、本当に素晴らしいものだと言えるね。

 

素晴らしい翻訳といえば、

 

《森鴎外(おうがい)》さんの翻訳で、

 

『即興詩人(そっきょうしじん)』があるねえ。

 

原作は、デンマークの童話作家アンデルセンが書いたものだよ。
これなどは、名文の翻訳で、原作以上の文学的に優れた作品になっているということで、当時、評判になったよ。
実際に読むと、退屈な作品だけどさあ、名訳であることに間違いはないねえ。
《風立ちぬ、いざ生きめやも。》も原作を超えた名訳だろうね。

 

ところで、君は、《風が吹く》ということと《生きよう》ということとは、どんな関係があると思う?
普通に考えると、《風が吹く》というのは自然現象であり、《生きよう》というのは、人間の人為的なことだから、関連性はないような気がするよね。

 

でも、一見、関係がないように思える、自然と人為とを関連付けることが、ずいぶん効果的な表現になることがあるんだよ。

 

例えば、ミュージカルや映画にもなっている『屋根の上のヴァイオリン弾き』の中で歌われる曲に『Sunrise,Sunset』というのがあるねえ。
『日は昇り、日は沈み』ということだけれど、太陽が昇ったり沈んだりを繰り返すというのは、宇宙の決められた運行であって、人間を感動させるためのものではないよね。

 

だけど、深い悲しみや喜び、憎しみや愛情など、心にあふれるような感情のうねりを感じる日々を過ごしている中で、《太陽は昇り、沈んでいく。けれどまた必ず、いつも変わらず昇ってくる》という情景は、人の心に深い感慨と、確実に経過して行く時の流れをしみじみと感じさせるものだよね。

 

『Sunrise,Sunset』は、まだ、時の経過と関連付けやすいけれど、思いもかけないような、自然と人為の関連付けの作品もあるよ。
それは、松尾芭蕉さんの『奥の細道』の中にある次の句だ。

 

夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

 

芭蕉さんが、奥州平泉の藤原泰衡(やすひら)さんの屋敷跡を訪ねたときの句だねぇ。
その昔、この屋敷は、藤原家一族の人たちが、戦を前にして、勝って手柄(てがら)を挙げ、栄華を手に入れようと夢見た場所であった。ところが逆に一時に滅ぼされて、その思いは《一炊(いっすい)の夢》となってしまった。

 

今、芭蕉さんの目の前には、勢いよく青々と夏草が茂っている。それを眺めていると、多くの武士たちの、はかなく消え去ってしまった無量の無念の思いが感じられ、哀れさに心が打たれる。

 

この句も、植物である夏草と武士の夢とは、全く関係がないと思えるけれど、芭蕉さんの手にかかると、見事に関連付けられて、読む人の心にひしひしと感動が伝わってくるね。
この句を読めば、自然現象と人為との関連が、かけ離れていればいるほど、結びついたときに感動が大きくなるのがよく分かるよね。

 

《風立ちぬ、いざ生きめやも。》
《風も吹いてきたよ。さあ、人生にはさまざまな困難はあるけれど、前を向いて生きて行こうよ》
原作とは少々違うかもしれないけれど、こんなとらえ方ができれば、素晴らしいねえ。

 

君も、受験勉強真っ最中の新年だけれど、
「さあ、新年がやってきた。いよいよ、わたしの年だ。勉強は大変かもしれないけれど、自分に勝って必ず目標を手に入れるんだ」
という気持ちで頑張ってね。
新年と君の人生とを関連付けて、前向きに、何があろうが前向きに頑張って行こうよ。

 

そうそう、何年前だったか、マスコミが現役の大学生におもしろいアンケートを取っていたよ。
その中の質問事項に次のようなものがあったねえ。

 

小説『雪国』について次の問いに答えてください。
①作者を知っていますか。
②書き出し部分を知っていますか。
③主人公の名前を知っていますか。
④全文を実際に読みましたか。

 

およそ、こんなものだったねえ。それで、アンケートの結果はどうだったか。

 

①作者の川端康成さんは、全員、知っていたね。
②書き出し部分《国境の長いトンネルを抜けると雪国であった》を知っていたのは、80%ほどだったね。
③主人公《島村》の名前を知っていたのは、30%ほどだったね。
④実際に全文を読んだことがある人は、なんとゼロだったよ。

 

この結果を僕はずいぶん、興味深く見たよ。
君も分かったと思うけれど、この結果には、受験生の日本文学史に対する学習の仕方が、明瞭に表れているよね。

 

入試に対応するために、作品と作者を暗記し、さらに時々、入試に出てくる冒頭文や主人公の名前も続けて丸暗記をするんだよね。
衝撃的なのは、かなり多人数の学生にアンケートを取ったにもかかわらず、実際に読んだ人は、全くいないということだねえ。

 

いったい、入試や受験勉強というのは、何なんだろうねえ!
いったい、受験生の人生にとって何の役に立つと言うんだろうか?

 

こんな中身のない空箱のような入試問題を作る大学、それに対応する、これまた空箱のような受験勉強。こんなことを押し付けるような入試制度の中では、優れた人物は育たないよね。
次の時代の日本を背負って立ってもらわなければならない若者が、こんな、まやかしの教育制度の中で、どれほど多くつぶれてしまっていることか、教育関係者は厳しく反省する必要があるねえ。

 

今の日本に最も不足し、また、必要なものは、世界に通用する人材だよね。日本の国力が年を追うごとに衰退している1つの原因が、人材を育てることができない教育制度にあることに早く気がつくべきだよね。

 

「そんなことより、現実には、目の前の入試問題ができなければ、大学に行けないんだよ。今のわたしにとっては、そっちの方が大事よ」
こういう君の声が聞こえてきたよ。
そうだ、その通りだねえ。愚痴ったって仕方がないねえ。

 

それじゃあ、文学史を最も効果的に覚えるポイントを話そう。

 

《最大のポイントは、各事項を自分の人生と関連付けて覚えること》

 

これだね。一見すると、丸暗記の方が、よほど簡単そうに思えるけれど、実は、丸暗記が最も効率が悪く、無駄骨になることが多いんだよ。何せ、忘れやすいものね。
人生と関連付けて覚えれば、簡単には忘れないものね。これほど効率的なことはないよ。

 

その良い例が、堀辰雄さんの『風立ちぬ』だ。君は、《風立ちぬ、いざ生きめやも。》で、自分の人生と関連付けたかい?そうできれば、これは、忘れようとしたって忘れられないよ。ひょっとしたら、一生涯、忘れないかもしれない。これこそ、人生にとって有意義な学習の仕方だと言えるよね。

 

人生にとって有意義な入試勉強こそ、もっとも効率的で効果的な学習方法なんだよ。
本稿において、僕が話をする最も重要なポイントは、ここにあることを頭に入れておいてちょうだいね。

 

アインシュタインは、教育について次のように書いていたと記憶しているよ。
「本当の教育とは、学校で習ったことをすべて忘れ去った後に残るものである」
素晴らしい言葉だねぇ。これを文学史に置き換えてみよう。
「本当の文学史の学習とは、覚えたことを全部忘れ去った後にも残っているものである」
こんなところかなぁ。

 

実は、これが僕の自慢の文学史観なんだ。まだ文学史観を持つに至っていない教員は、どんなに一生懸命になって教えたとしても、結局は、丸暗記と知識の切り売りの解説になってしまうんだよね。

 

覚えたことを一時、忘れたとしても、入試問題を見た時に、意識の底に残っていた記憶をよみがえらせて、正解を書くことができる。
目指すはこれだよ。本稿は、この事ができるようになるための入試用学習教材なんだ。

 

だから、君の意識の底に定着させるために、同じことを何回でも繰り返して話したりするよ。
「時間が無駄になるのに、同じことを何回も言わないでよ」
なんて、不機嫌にならないでさぁ、楽しく聞いてよ。

 

ここで、ちょっと君の得になることを言っておくよ。
それは、本稿を楽しく読んでいると、知らず知らずのうちに、現代文の問題の解答力がつくということだよ。現代文で扱われるテーマの多くを、本稿においても、君が気がつかないうちに提示し、解答力が身につくように話をしておくからね。楽しみにしておいてちょうだい。

 

ああ、そうそう、言い忘れていたけれど、僕は心臓が悪いんだ。普通の人の29%の機能しか残っていないんだよ。だから、いつ止まるか分からない。
止まった時には、そこで本稿も終わりとなるよ。もしそうなったら、残りは君が自分の力でやり通してね。

 

でも、なかなか止まらないと思うよ。前作の《オチケン風『日本文学史』シリーズ『古典文学編』》も、不安を抱えながら話していったけれどさあ、結局、8カ月かかって完成できたものねえ。
その間、2週間入院しただけで、体力を保つことができたよ。

 

さあそれじゃ、いよいよ、本題に入っていこう。
君が、最後まで付き合ってくれて、その上、目標通りの進路を手にすることができることを祈っているよ。

 


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最終更新日 : 2014-10-28 09:49:11

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明治(小説・評論)〈1〉【社会体制と文学】

ずいぶん寒いねえ。それでも、冬至(とうじ)は過ぎて、少しずつだけれど、夜が明けるのが早くなり、夕方は5時ごろでも明るくなってきたねえ。間違いなく季節は、春に向かっているよ。

 

《冬は必ず春となる》

 

踏ん張るしかないねえ。

 

さてと、徳川家康さんが、江戸幕府開設(1603年)から265年間続いた封建社会だったけれど、いよいよ、終わりを迎えることになったねえ。
1867年、15代将軍、徳川慶喜(よしのぶ)さんが大政奉還を為して江戸幕府は崩壊し、翌、1868年、明治新政府が発足したねえ。

 

明治維新が遂行(すいこう)された大きな原因のひとつは、やはり、開国だね。
長く守り続けていた鎖国政策もアメリカの黒船、ペリーの来航によって維持できなくなり、結局、日米和親条約・日米修好通商条約を結んだよねえ。その後は、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同じような条約を結ぶことになったねえ。

 

結果的にこの貿易によって、薩摩藩(鹿児島)と長州藩(山口)は多くの武器を蓄えることができたわけだ。この2藩が土佐藩(高知)の坂本竜馬さんの仲介で、薩長同盟が結ばれて倒幕へと進んだんだったねえ。そして、明治維新となった。

 

これにより日本は、古い封建制から新しい近代的体制へと一大変革を為していったわけだね。同時に、外国との交流が本格的に進んでいくことにもなったねえ。

 

それじゃあ、ここで、社会体制の変化は、文学の変化にどのように連動するのか、ということについて、原理原則的なところを話しておくよ。

 

誰でも分かると思うけれど、社会体制が、革命やクーデター、戦争などによって、急に変わったとしても、文学が一夜にしてコロリと変わるなどということはあり得ないよね。

 

ある一時期に、共産主義が資本主義になったり、封建社会が民主主義社会になったりして、社会体制や政治体制は、目に見える制度として明らかに変化するのは当然だけれど、文学などという文化に属する性質を持ったものは、じわじわと後になって変化が現れてくるものなんだよね。

 

例えてみれば、お腹がすいた時にご飯を食べて満腹になるのは、社会体制の変化といえる。それに対して、食べたものが消化され、体の中のさまざまな働きによって食べ物が化学変化し、身体の栄養となって身についていくのは、文学・文化に例えられるだろうね。

 

当然、満腹から栄養の間には、タイムラグ(現象と反応の時間差)があるよね。同じように、社会体制の変革と文学の変革の間にもタイムラグがある。
そのタイムラグは、どのくらいの期間になるのだろうか。
結論的には、近代文学においては、ほぼ、20年間だねぇ。
それではここで、20年間の各期間の特徴を考えてみよう。

 

第1期・・・啓蒙期
第2期・・・発達期
第3期・・・完成期
第4期・・・爛熟(らんじゅく)期

 

こんなものだろうね。これを明治以降の文学に当てはめてみるよ。
明治維新となり、封建社会から近代社会に変わったといっても、すぐに、時代にふさわしい近代文学が出てくるわけはないよね。それで、明治20年(1887)頃までは、啓蒙期と言えるよね。

 

第1期啓蒙期というのは、世の中が、社会体制が、大きく変わったことに対して、いったい、どのように変わったのかということを文学を通じて多くの人々に知らせようという時期だね。いわゆる、

 

《啓蒙主義文学》といわれるものだよ。

 

社会体制が変わり、外国文化も入ってくる中で、20年間を過ぎると、それを借り物のようなメッキではなくして、自分たちのものとして消化して、新たな文学が創造される時期に入るね。それが第2期発達期ということになる。文学主義的には、

 

《擬(ぎ)古典主義》

 

《写実主義》さらに、

 

《浪漫(ろまん)主義》が挙(あ)げられるねえ。

 

これらの文学主義が、明治40年ごろまで活躍することになるよ。そして、社会体制が変革してから40年を超えてくると、文明開化として違和感を持って取り入れられた海外文学も、しっかりと日本文学と融合し、日本独自の完成度の高い文学が出現することになるねえ。それが第3期完成期だ。時期的には明治の終わりから大正時代だね。文学主義としては、

 

《自然主義》

 

《耽美(たんび)派》

 

《白樺(しらかば)派》などがあげられるよ。

 

まあ、この時期は、近代日本文学の素晴らしい花が、いっぱいに咲いた頃だねぇ。

 

やがて、第3期を過ぎて第4期爛熟期に突入するわけだけれど、ちょうどこの時期には、昭和16年(1941)、第二次世界大戦(太平洋戦争)が入ってくるねえ。その影響で、文学の流れとしては爛熟期という時期になるのだけれど、十分な爛熟は果たすことができなかったよ。

文学主義としては、

 

《新感覚派》

 

《プロレタリア文学》

 

《転向文学》などが中心となったね。

 

太平洋戦争敗戦は、言うまでもなく、明治維新と同じような、社会体制の大変革をもたらしたねえ。
文学史の、第1期から第4期の流れも、ここで途切れたといってよい。敗戦は、文学史の流れもリセット(再設定)させることになったんだねえ。

 

それで、近現代文学史を見る場合、太平洋戦争を境に、前期と後期と2つに大きく分けることもできるねえ。
戦後はまた、新たな文学の流れを歩み始めたわけだね。

 

降る雪や 明治は 遠くなりにけり 

         (中村草田男)

 

この句は、俳人の中村草田男(くさたお)さんが、雪の中、母校に佇(たたず)んで詠んだ句だねえ。草田男さんは、
「明治は 遠くなりにけり」と言ったけどさあ、世界最高齢でギネスに認定された人は、現在は日本人で、115歳だよ。京都府在住の木村次郎右衛門(じろうえもん)さんだ。

 

次郎右衛門さんは、明治30年(1897)生まれだ。明治30年といえば、第2期発達期で、

 

《尾崎紅葉(こうよう)》さんの、
『金色夜叉(こんじきやしゃ)』

 

《国木田独歩(くにきだどっぽ)》さんの、
『源叔父(げんおじ)』

 

《島崎藤村(とうそん)》さんの、
『若菜集(わかなしゅう)』

 

などという、明治文学の代表的な作品が発表された年だよ。
次郎右衛門さんにとっては、明治維新といっても、生まれるちょっと前の話だねぇ。

 

君にとっても、今から145年ほど前の明治維新なんて、長生きをした曽祖父母(ひいお爺さん、お婆さん)の時代のことなんだから、別世界の話ではなくして、身近なものだよ。
そんなふうに、我が身のことだと思って、勉強していこうよ。


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最終更新日 : 2014-10-28 09:49:48

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明治(小説・評論)〈2〉【啓蒙主義文学】

明治の始めは、長い鎖国時代を経て、本格的に欧米の文物が大量に輸入されてくる時期だね。当時の人々は、日本と欧米の生活状態を比較して、天地雲泥(うんでい)の差があることに気づかされたねえ。

 

欧米では蒸気機関が発明され、機械産業が急速に発展していた頃だよ。蒸気機関車ができて鉄道が敷かれ、蒸気船ができて遠洋航海ができるようになっていたわけだ。
それに対して日本は、馬に荷車を引かせてのんびり歩き、船には帆を上げて、大勢の人間が櫓(ろ)を漕(こ)いでいたんだ。

 

この違いは、欧米文化に対して、対抗するとか、取捨選択して取り入れる、というレベルのものではなかったね。日本が太刀打ちできるものではなかったわけだから、とにかく、何でもいいから、欧米のものを猿真似をしてでも取り入れて、日本も近代化したと言われるようにしたかったわけだね。
社会全体に、欧米至上主義の風が吹きまくったといえるよ。

 

欧米化は社会の至るところに浸透していったねえ。
このころ建てられた洋風建築は、今でも残っているものもあり、優れた記念碑的な建造物にもなっているよね。
それ以外に、今までの伝統的な日本の生活にはなかったものも多く取り入れられた。

 

明治天皇を迎えて競馬も行われたよ。隅田川ではカッターレースが行われて競艇の始まりにもなった。運動会といわれるものも行われたねえ。そして、明治16年、鹿鳴館が建てられ、欧米化の象徴になったことは、君が日本史で習った通りだね。

 

人々にとっては、われ先にと、ハイカラな欧米文化を取り入れることが、流行の最先端になったわけだ。
家庭にはミシンが入ってきた。これまで1針1針、手で縫っていたのとは大違いだね。だれもかれも、伝統的な竹の骨の傘を捨てて、こうもり傘を使い始めた。上流階級の人は、英語を学び、ローマ字を使い、乗馬をやり、牛の肉を食べ、西洋音楽の演奏会に行ったんだねえ。

 

華族、士族などという特権階級は残ったけれど、士農工商の身分制度が廃止され、一応、四民平等となった。
それは教育機関にも反映されて、明治5年には、寺子屋に代わって、平等に学べる近代小学校が開校されたよ。これによって、近世時代よりもはるかに多くの人たちが、文字を読むことができるようになったわけだ。これは、文学の発展に大きく寄与(きよ)したねえ。

 

近代文学も、こんな風潮の中での出発だった。だから、やはり、欧米文化との関わりの中から新しい作品が出てきたわけだ。

 

さてと、まずは近代文学の最初の作品は、

 

《仮名垣魯文(かながきろぶん)》さんの、


『西洋道中膝栗毛(どうちゅうひざくりげ)』これだ。

 

この『西洋道中膝栗毛』という題名を読んだとき、君は、どこかで似たような作品を見たことがあったと思うだろう。その通りだねえ。近世に、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)さんの『東海道中膝栗毛』という滑稽(こっけい)本があったね。

 

『東海道中膝栗毛』は、間抜けな者同士の、弥次(やじ)さんと喜多(きた)さんが、東海道などを、悪ふざけや失態を繰り返しながらおもしろおかしく旅をするというものだねえ。当時、大変に評判になって、模倣作品もたくさん書かれているよ。

 

『西洋道中膝栗毛』は、題名からも分かるように、『東海道中膝栗毛』の真似をして近代の世相にふさわしいように、書き変えたものだねえ。
主人公は、弥次さん、喜多さんの孫の弥次郎兵衛さんと喜多八さんという設定になっているね。そして、東海道の代わりに今度は、横浜からロンドンに行くまでの道中記になっているよ。封建的なしきたりと文明開化の様子とが、面白く、おかしく対比されて書かれている笑い話だね。

 

内容的にはおもしろいけれど、文体は近世時代のままだから、果たして今、君が読んで楽しいかどうかは、分からないね。
ただ、当時の、長い鎖国時代が続いた中で、外国を物語りの舞台にすることだけでも、実に新鮮味があったわけだ。

 

次に出てきた作品は、作者は同じく、仮名垣魯文さんで、


『安愚楽鍋(あぐらなべ)』これだ。

 

安愚楽鍋というのは牛鍋料理のことだよ。徳川時代には、獣の肉を食うことは、けがらわしいということで、禁止されていたんだ。
ところが、西洋人がおいしそうに牛肉を食べているのを見て、肉を食べないと未開民族だと思われたらいけないと考えて、皆が進んで肉を食べだしたんだねえ。
それで、牛屋(ぎゅうや)という、すき焼きを食べさせるレストランまでできたんだよ。

 

『安愚楽鍋』は、そんな牛屋を舞台にして、そこに出入りする人々の会話や様子を描写することによって、文明開化がどのようなものかを、日常生活の中に表現しているね。安易に欧米文化の物まねをする庶民を滑稽に風刺しているんだ。
まあ、今読めば、会話文が多くて面白くない作品だねえ。

 

『西洋道中膝栗毛』、『安愚楽鍋』のような作品は、題材としては、文明開化に関連したものを扱っているけれど、文体や表現方法は、江戸戯作文学の流れをそのまま受け継いでいるよ。
そういう意味から言えば、これらの作品は、近代文学の出発ではあったけれども、伝統的文学とも言えるわけだねえ。

 

人々は、目まぐるしく近代化していく生活の中で、文学についても近世文学とは根本的に違った新しい形の作品を求めるようになっていったねえ。そこで出てきたのが、

 

《翻訳文学》これだ。

 

欧米の国々には、いったい、どのような文学があるのだろうか。これは当時の人々の大変に関心のあるところだったよ。外国文学といえば、漢文学しか身近にすることができなかった人々にとって、西洋文学は、興味深々の、ぜひとも読みたい文学作品だったわけだ。
明治の初期に出てきた翻訳作品としては、

 

『ロビンソン・クルーソー』を翻訳した、


『魯敏孫(ろびんそん)全伝』

 

『アラビアン・ナイト』を翻訳した、


『暴夜(あらびや)物語』などが出てきたねえ。

 

翻訳文学の流れは、当時の人々の要望とも一致して、徐々に人気が増していったねえ。
そして明治10年代には、多数の翻訳本が出版され、1大ブームになったよ。
その中で特に人気があったのが、

 

『80日間世界1周』(ジュール・ヴェルヌ作)この作品だ。

 

これは、科学冒険小説と言えるようなものだね。
内容は、大金持ちの独身貴族の主人公が、ロンドンで友人たちに、世界を80日間で1周することができると公言したことから始まる。それじゃ、やってみろ、ということになった。成功できるかどうかを賭けようとということにもなって、主人公は財産を掛け金にして、出すことを約束した。

 

ロンドンを出発して、たいへん面白く、奇想天外(きそうてんがい)な旅をする。途中、日本の横浜も通る。
地球を東回りに、80日以内に間に合わせようと必死になって進んで行く。
結果はどうだったのか、それを言うと面白くなくなるので言わないことにするよ。

 

この作品は、大ベストセラーになったねえ。
その後、何度も映画化もされているよ。今でもDVDが発売になっているから、受験勉強に疲れたら見てごらん。面白いよ。
それに、テーマ曲がすばらしかったね。スクリーンミュージックというよりも、曲そのものが名曲として、さまざまなところで使われたねえ。

 

翻訳小説とともに、近代文学らしさを表したものとしては、もう1つあるね。それが、

 

《政治小説》これだ。

 

政治小説は、日本の伝統的な文学の中には、全くなかったジャンルだね。『平家物語』などといった歴史物語は、〝物語〟とはいっても、史実に基づくものであり、人物も実在したものだね。政治小説は、まさに〝小説〟だから、作り物語になっているわけだ。

 

まず、代表作は、

 

《矢野龍渓(りゅうけい)》さんの、


『経国美談(けいこくびだん)』これだ。

 

小説の舞台はギリシャ。民主主義を掲げる正義の政治家が、悪党によって陥(おとしい)れられ、壊滅状態にされてしまう。そこで、志を同じくした憂国の騎士たちと共に立ち上がり、悪党どもを退治して、再び民主的な政治を取り戻して繁栄するという話だ。

 

『経国美談』は、海外の政治状況を書くというスケールの大きさに、未だかつてない新鮮味を感じさせる作品になったねえ。それに、主人公の正義の政治家が、当時の自由民権運動の活動家とも重なりあうところがあり、青年層に広く受け入れられたねえ。

 

次に出てきた作品は、

 

《末広鉄腸(すえひろてっちょう)》さんの、


『雪中梅(せっちゅうばい)』これだ。

 

末広鉄腸さんは、僕と同郷の出身なんだ。僕の卒業した高校のあった愛媛県宇和島市の生まれなんだよ。なにか、親しみを感じるねえ。
『雪中梅』は、苦学しながら実力をつけていった主人公の青年政治家が、さまざまな困難を乗り越えながらも政界に進出し、やがて、総選挙で大勝利をするという話だね。

 

どちらの作品も、板垣退助さんらによって起こされた、国会開設運動の時期とも重なり、大変な人気作品となったねえ。
国民の自由民権意識が社会的な潮流になり、政治を国民の手で理想的なものにしたい、という心情とぴったりと合ったといえるね。

 

この2つの作品は、いたるところに、筆者の政治理念のようなものが書かれているよ。だから、政治のための宣伝に文学が使われたともいえるね。でも、文学的には高くはないけれど、人々の心をしっかりとつかんだ作品になったわけだ。

 

2人の作者、矢野龍渓さん、末広鉄腸さんは、文学者というよりも、むしろ政治家といった方がいいかもしれないね。

 

時代社会が目まぐるしく変わってゆく明治20年頃までは、文学状況においても、手探りのような状態で、それでも近代にふさわしい新しい文学を創造しようと活気に満ちた時代であったと言えるよ。
本格的な近代文学の兆(きざ)しが見えてくるのは、次の段階へ入った時期からになるねえ。

 


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最終更新日 : 2014-10-28 09:50:18

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明治(小説・評論)〈3〉【写実主義文学】①坪内逍遥

昨日、センター試験が終わったねえ。君は、受験をしたのだろうか?
僕の知人に、かなり有名な作家がいるよ。彼の作品は、よく、大学入試の問題文に出てくるんだ。

 

僕は何度か、彼の小説の問題を教材にして、授業をしたことがある。以前、彼に会った時、その事を話題にしたことがあった。僕は、
「微妙な表現の箇所があって、なかなか生徒が正解を出せなかったよ」
と率直に感想を言った。すると彼は、
「そうだろう。自分の書いた文章だけれど、問題になっているところをみると、自分でも解けないよ。こんな問題だったら、特に僕の作品でなくてもよかったと思うね」
と言って、笑ったねえ。

 

確かに、今年の国語の問題を見ても、筆者の本質について考えさせるような問題は少ないね。大部分が、文章上の枝葉末節の問いだ。センター試験用の勉強をすれば、70%くらいは確実にできるようになるね。

 

明治も18年(1885)近くたつと、真に近代文学といえる流れが出てきたねえ。それまでに出てきていた、翻訳小説や政治小説というものは、確かに伝統的古典文学とは違う、たいへん新鮮味のあるものではあったね。だけど、表面的、形式的なところだけを、目新しく変えたというものだった。
文学の本質論は、江戸戯作(げさく)文学と同じものだったわけだ。

 

そこで、
「近代における文学とはそんなものじゃない」と声をあげた人がいたんだ。その人が、

 

《坪内逍遥(つぼうちしょうよう)》さん、この人だ。

 

坪内逍遥さんが偉かったのは、真の近代文学とはのどのようなものかということを、理論構築したことだね。その文学理論書が、

 

『小説神髄(しんずい)』これなんだ。

 

《神髄》というのは、本質というくらいの意味だ。だから、『小説神髄』の題名の意味は、《小説の本質》とでも考えたらいいだろう。
『小説神髄』は、分量的には、1時間ほどで読めるほどのものだけれど、書かれている内容は、実に素晴らしいものだよ。近代文学の本質を明確に述べている。現在、読んでも、十分に説得力のある内容になっているね。

 

全体的には、《真実の小説の書き方》と言えるようなものになっているねえ。もし君が、小説でも書いてやろうか、と思うなら、『小説神髄』を読んでごらん。
「ヨーシ、これならわたしでも、いい小説が書けるよ」
と思わせるくらい、説得力のあるものなんだ。

 

さあそれじゃ、『小説神髄』には、何が書いているのか。ポイントだけ見てみよう。

 

小説の主脳(しゅのう)は人情なり、世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいふや。曰(いわ)く、人情とは人間の情慾にて、いわゆる百八煩悩(ぼんのう)是(こ)れなり。
          (中略)
人情を灼然(しゃくぜん)として見えしむるを我が小説家の務めとはするなり。

 

坪内逍遥さんは、ここで、近代小説の本質とは何かということを、端的に書いているねえ。それは、外面的な姿や行動を書くことではなくて、人間の内面の心理を描くことだと主張しているんだよ。

 

人の心は様々だねえ。良い心と悪い心、清らかな心と醜い心、愛情と憎悪、悲しみと喜び、欲望と理性、等々、百八煩悩どころか、無限の心の働きがあるよね。近代小説は、それらを明らかに描くところにあるというんだねえ。
さらに、坪内逍遥さんは、深く論じて次のように書いているねえ。

 

よしや人情を写せばとて、その皮相(ひそう)のみを写したるものは、いまだ之(こ)れを真の小説とはいふべからず。その骨髄(こつずい)を穿(うが)つに及び、はじめて小説の小説たるを見るなり。

 

ここの部分などは、現代の小説論としても非常に重要な部分であるともいえるねえ。
心理を書いたと言っても、表面的な心の動きを単純に書いたのでは、小説とはいえないというのだねえ。その登場する人物の本質をとらえて表現しなけれはならない、ということだ。

 

小説を読んでいると登場人物が、まるで、現実に生きている人間のように、そして、その人物の本質が手に取るように分かるように書くこと。これが、近代小説の神髄だというわけだね。
言い換えれば、人間の真実の姿を写す、すなわち、《写実》することによって初めて、近代小説の幕開けになると主張したんだね。

 

それではここで、坪内逍遥さんが主張している、近世小説と近代小説の本質的な違いについて押さえておこう。

 

まず、近世小説の本質は何だったのか。
それは、《滑稽本(こっけいぼん)》《洒落本(しゃれぼん)》と言われたように、作者はおもしろ、おかしく、娯楽として書き、また、読者も、そのつもりで読んだわけだね。だから総体的に、小説は、戯作(げさく)と考えられていたんだよ。戯作というのは、面白半分に楽しく作ったもの、という意味だ。

 

表現においても、画一的、類型的、表面的になったわけだね。
例えば、美人の姿を表す言葉として、
《立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合(ゆり)の花》
などと、花の美しさに例えて、美人というものをひとまとめにして、表現したわけだ。いうまでもなく、美人も千差万別で、さまざまな個性があるにもかかわらず、その個別の真の姿を描かずに、平均化して書いたわけだね。

 

また、登場人物の性格も類型化されていたねえ。
例えば、滝沢馬琴(たきざわばきん)さん作の『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』という小説がある。これは、106冊からなる大変な大作だねぇ。


主君に忠実に使える8人の《犬》の文字を姓とする忠臣の活躍する物語だね。構成は雄大で、文章も七五調の和漢混交文で、格調高いものなんだ。

 

『南総里見八犬伝』は近世文学として、非常に完成度の高い傑作であることには違いない。ところが、全編を通じて貫かれている理念は、勧善懲悪(かんぜんちょうあく)と因果応報(いんがおうほう)なんだねぇ。

 

勧善懲悪とは、人々に、良い行いをすることを奨励(しょうれい)して、悪い行いをすることを止めさせよう、とする道徳的なものだ。
因果応報とは、良い事をすれば、それにふさわしい良い結果を得ることができ、悪い事をすれば、それにふさわしい悪い結果を受けてしまう、という倫理的なことだ。

 

いわば、道徳や倫理に根ざした、武士の道を小説化したようなものだね。だから登場する8剣士は、全く迷いも疑いもなく、主君への忠義の一生を送るわけだ。これは、近世の物語としては、よく出来ているわけだねえ。

 

ところが、ふと考えると、生涯、主君に忠誠を誓って、全く、迷うことも疑うことも悩むこともない、というような生き方ができる人間が、果たして現実にいるかどうかということだよね。
坪内逍遥さんはこの点について、

 

斯(し)かれば外面に打いだして、行ふ所はあくまで純正純良なりといえども、その行ひを成すに先きだち幾多劣情の心の中に勃発(ぼっぱつ)することなからずやは。その劣情と道理の力と心のうちにて相闘(あいたたか)ひ、道理劣情に勝つに及びて、はじめて善行をなすを得るなり。

 

と言っているねえ。
人間の心の中には、愛の心もあれは憎しみもある。正義感もあれば邪悪な心もある。それらの葛藤(かっとう)の結果として、ひとつの行動が現れてくるわけだ。これが実際の人間ではないか。
正義感に、一生涯、貫かれて、何のブレる心もない人間なんて、現実の人間世界にはいない、と坪内逍遥さんは言っているわけだ。

 

近代小説というのは、8剣士のような現実には存在しないような類型化された人間を描くのではなくして、現実社会の中で存在し得る人間を描くことにあるわけだね。それが、〝実〟を〝写〟す、

 

《写実主義》というわけだ。

 

話は変わるけどさあ。新聞に載っていたけれど、

 《安岡章太郎(しょうたろう)》さんが亡くなったねえ。安岡章太郎さんは、昭和28年(1953)、

 『悪い仲間』を発表して芥川賞を受賞し、活躍を始めたね。

 

文学主義的には、第1次戦後派、第2次戦後派につづいて、《第三の新人》と言われたよ。文学史の入試問題として取り上げられる作家としては、安岡章太郎さんあたりが、時代的に最後の時期になるだろうねえ。優れた作家が、次々と亡くなっていくよ。寂しいね。

 

話を元に戻すよ。

 

最近の小説の中には、よく、現実生活や人生とは関係性のないような作り物語を書いているものがあるね。それを出版社やマスコミが、新しい時代の小説のように宣伝して、文学賞などを受賞させたりする。


こんな小説は、新時代の小説ではなくして、近代化する前の大昔の江戸戯作文学の物真似なんだよね。文学史の知識が少しでもあれば、すぐに分かることだよ。現代の小説界の、不毛の表れだね。

 

僕は、定年になってからは、時間を見つけては卒業生の家庭訪問をしているんだ。卒業後、しっかりと生きているのか知りたいことと、もし困ったことがあって、僕でも役に立つことがあれば助けてあげようと思ったからだ。


今は、勤め始めて最初に卒業させた生徒の家を回っているよ。卒業生の年齢は51歳だ。その間、1度も同窓会を開いていないから、30数年ぶりに顔を合わせることになるね。

 

45名のクラスだったけれど、現在、30名近くの卒業生に会うことができた。本当に素晴らしく感動的な再会を体験させてもらっているよ。つくづくと、教師人生を歩んでよかったなあ、と思っている。

 

僕は、多くの卒業生の、18歳から51歳という、人生において最も中心的な期間をどのように生きてきたのかという軌跡を見させてもらっている。
そのなかで、ひとつの、驚くべき真実に気がついたねえ。それは、
「まじめにコツコツ努力しても、幸せになるとは限らない」
ということなんだ。

 

僕は多くの卒業生に会っていくにつれ、この真実が、例外的に少ないのではなくして、かなりの割合で当てはまるということを実感したよ。ほとんどの卒業生が、まじめに30数年間、努力して生きてきたけれど、50歳になって、幸せでない生活をしている人が多いのが現実だね。

 

もし、分別(ふんべつ)くさい顔をして、
「まじめにコツコツ努力したら、幸せになれる」
という人がいたら、僕は、
「あなたは、人生の不条理が分かっていない。人生を甘く考えてはいけないよ」
と言ってやるね。人生の真実は、僕が実感したごとく、まさに、不条理なんだ。不条理とは道理に合わないことだよね。

 

これが、近世小説と近代小説の違いだね。分かるかい?
「まじめにコツコツ努力したら、幸せになれる」
このとらえ方は、勧善懲悪、因果応報に通じるものだよ。つまり、近世小説の理念だね。それに対して、
「まじめにコツコツ努力しても、幸せになるとは限らない」
このとらえ方は、坪内逍遥さんが主張した近代小説の基本的な理念だよ。

 

実際、ちょっと考えてみても、人生は、
「まじめにコツコツ努力しても、幸せになるとは限らないけれども、一生懸命に生きている、というのが現実だ」
とすぐに分かるよね。
近代小説は、現実の不条理の中で、もがき苦しみながら生きてゆく人間の真実の姿を描きだそうとしたものだね。

 

それでは、近代小説は読者に、近世小説と、どのような違った影響を与えたのだろうか。
昭和23年(1948)、

 

《太宰治(だざいおさむ)》さんが、


『人間失格』を発表したねえ。

 

衝撃的な内容で、ベストセラーになった。
この後、若者の自殺者が増えた。多くの若者が、『人間失格』を持って、自殺行に出かけた。阿蘇山の火口から飛び降りた若者は、靴を脱いでそろえて、そばに単行本『人間失格』を大事そうに置いていたねえ。

また、

 

《吉川英治(よしかわえいじ)》さんは、昭和10年(1935)より、
『宮本武蔵』の新聞連載を始めたねえ。

 

大変な人気を博(はく)して長期連載になったけれど、
「生きることが苦しくなって、死に場所を求めてさまよっていた時、ふと、そばに捨ててあった新聞の『宮本武蔵』を読んで、もう1度、生きていこうという勇気をもらって死なずにすんだ」
というような人も出てきたりしたねえ。

 

この2つの事例は、近代小説は、人生における、生きる、死ぬ、という根本的な命題にまで影響するということをよく表していると思うねえ。
どうしてこれだけの影響力を持ったのか。言うまでもなく、近代小説が生きた人間の真実を表現できたからだね。〝写実〟することができたからだ。

 

近世小説の本質は〝遊び・娯楽〟だね。今でいえば、TVゲームのようなものだ。TVゲームに影響されて、人生がいやになり自殺した、なんて、聞いたことないものね。

 

さてと、ここまでしつこく、近世小説と近代小説の違いの話をしてくると、君の頭の中には、しっかりと内容が入ったことだろう。
おそらく君は、近世小説と近代小説の違いを一生涯、忘れることはないと思うよ。

 

それじゃ、話を次へ進めよう。
坪内逍遥さんが、さらに偉かったところは、近代小説の文学理念だけを提唱したのではなくして、それを元に、具体的な小説を書いたということなんだ。
理屈だけ言っている人間ではなくして、具体的な行動が伴ったわけだなあ。そこで、書き上げた小説が、

 

『当世書生気質(とうせいしょせいかたぎ)』これだ。

 

『当世書生気質』は、歴史に残る優れた文学理論から出てきた具体的な作品だから、どんなにか素晴らしいと思うだろう。
ところがだ、これがまったくだめなんだ。面白くないねえ。
第一、題名からして、近代的ではないじゃないかい。書生というのは学生のことだ。気質というのは特性というくらいの意味だね。いかにも古めかしい。

 

『当世書生気質』という題名は、まさに、近世文学そのもののようだね。僕は、近代文学に目覚めた坪内逍遥さんが、どうしてこんな前時代的な題名をつけたのか、未だに分からないねえ。

 

題名だけではなくて、文体も、江戸戯作文学の流れをそのまま引き継いでいるんだよね。ただ、確かに内容だけは、当時の学生の自由な新しい生き方を描こうとはしている。けれど、不完全燃焼に終わってしまったねえ。


まあ、なにより、近代小説理論を具体化した作品という意義においては、非常に大きいといえるだろうね。

 

結論的に言えば、坪内逍遥さんは、作家としての才能よりも、文芸評論家としての才能が優れていた、ということだなあ。

 


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最終更新日 : 2014-10-28 09:50:50

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