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屋根裏の皇女/圓眞美

 敗戦の傷跡は深く至る場所をえぐっている。一番街は僕の住む場所だ。かつては人も店も溢れて華やかだった。今はどこもみな陰気で薄暗い。皇族はすべて捕らえられ、一番街からほど近い広場で見せしめに公開処刑された。広場の敷石は真っ赤に染まり、今もなお当時と同じ鮮やかな赤色のまま落ちない。三人きょうだいでいちばん下だけ女の子だった。歳が近かったので親近感があったからか、彼女が国事で国民の前に姿を現すとき僕はいつも彼女ばかりを眺めていた。彼女は笑顔がどこかぎこちなくて、それは自分の立場に戸惑っているように僕には思えた。話したことなんてもちろんありはしなかったけど、僕は彼女が好きだった。彼女が皇族でなければ僕は彼女と話すことが出来たかもしれないし、彼女が処刑されることもなかったのかもしれない。

 配給された食糧の僅かな包みを抱え、僕は一番街へ向かって広場を歩く。名前も知らない大きな樹木が赤く染まった敷石に薄い影を落としていた。僕はそれを踏まないように歩いてゆく。すぐ傍に青い屋根の寂れた家があった。屋根裏の小さな窓にも同じ色のカーテンがかかっている。壁にはいくつもの弾痕が残っていて、なかに人の気配はない。よく知った場所のはずなのに僕は誰がそこに住んでいたのだったか思いだせないでいる。

 ふいに屋根裏のカーテンがゆらゆら揺れたかと思うと、奇麗な女の子が顔を覗かせる。こちらに向かってぎこちなく笑い、瞬きをするあいだに居なくなる。目を凝らして見つめてももう見えない。幻? そうかもしれない。願望? そうかもしれない。カーテンがゆらゆら揺れている。僕は彼女が好きだった。


 


赤髪/立花腑楽

 婆ちゃも母ちゃもちぃ姉も、十三歳になる晩には、オカシラ様の社に泊まったそうだ。

「村の娘はな、その晩だけは、オカシラ様の花嫁になるだ」

 私は、松川に住む健兄のお嫁さんになると決めていたから、その因習がとても酷なものだと感じた。

 十三になった朝、綺麗なべべを着せられて、ご馳走の前に座らされた瞬間、何だか酷く厭わしい気持ちになって、「いやだいやだ」とわんわんと泣いた。父ちゃが叱っても、母ちゃがなだめても治まらず、しまいには爺ちゃまでが出てきて、私は何べんも叩かれた。叩かれるのも厭だったが、普段は優しい爺ちゃが、この時だけは人が変わったような顔になって私を打つのが、何よりも恐ろしかった。結局、私は幾人もの大人に抱え込まれるようにして、無理矢理、社に連れて行かれた。

 狭い社内に押し込まれ、入り口に錠を掛けられた瞬間、もう家には戻れない、見捨てられたのだと思い込み、止めようにも止まらない絶望感が、嗚咽となって喉から溢れ続けた。

 そんな私の前に、閉ざされた格子戸を隔てて、母ちゃが語りかけた。

「なぁに、何も怖がるこたぁ無ぇ。ちぃと気味は悪いがな。一晩、な、一晩だけさ。その間だけ、オカシラ様を抱いて眠っとりゃええ」

 それから幾刻か――。

 ほうほうと梟が鳴く。月が動いたらしく、社の窓から蒼い光が差し込んだ。私はそれを合図として、兼ねてから教えられていた手順に従い、オカシラ様との祝言を始める。散々泣いて泣いて、石のように乾いた諦観と、それでもなお拭いきれない不安感が、私の心の中で葛藤しているのを感じた。

 まずは社の真ん中に床を敷く。家ではこんな上等な寝具など使ったことはない。蕩けるような絹の感触に、指が沈んだ。

 それから私は、祭壇に祀られた小さな箱に近づいた。心臓がどっくどっくと重く拍動している。

 箱の中身は既に知らされている。そこには、神の生首が入っているはずだ。私は今宵、オカシラ様と呼ばれる生首と、一晩同衾する。それが、婆ちゃや母ちゃの言う「オカシラ様の花嫁になる」儀式であった。

 箱の蓋を開ける。幾重にも被さっている薄葉を除けて、顔面を上にして収まっているオカシラ様と対面した。漁師みたいに赤茶けた髪。皺々の顔の中心には、まるで天狗みたいな鼻が突き出ている。

 異相ではあるが、生首というからにはよほど生々しいものを想像していただけに、何だか拍子抜けした。これでは干した猿の頭も一緒だなと思った瞬間、皺に埋もれたその目がかっと開いた。

 その瞳は、まるで秋の空を思わせるような色だった。その秋穂の香りがするような目で、オカシラ様は私の心をきゅぅと射抜いた。私はオカシラ様を箱から引き上げるなり、堪らない気持ちでその腕に抱きしめていた。

 その晩、私は寝具の中で、どれだけ沢山のことをオカシラ様から聞いただろう。海の向こうの、唐国よりも遠くの国の話。オカシラ様がまだ胴体と繋がっていた時に、異教の徒から懸命に領地を守った話――。オカシラ様は、私の首筋に擦り寄るようにして、寝物語をたくさん聞かせてくれた。時折、オカシラ様の吐息や唇や牙が、私の首筋に触れる。その度にじわりと私は甘い陶酔を覚え、それが何度も繰り返されるうちに、私はいつしか深い眠りに落ちていった。

 翌朝、目が醒めてみると、オカシラ様が蒲団の中に居ない。きっと祭壇の箱に戻ったのだろうと思った。

 首筋がむず痒い。ぬらりとした感触。触れた指は、真っ赤に濡れていて、私は半月前の厠でのことを思い出した。腰巻にべったり着いた血。驚いて母を呼ぶと、お前も立派な女子衆の一員だと言われた日――。

 社を出ると、燦々と照りつける朝のお日様が妙に鬱陶しく感じた。私は、首筋の血の跡を弄びながら、オカシラ様のあの空色の瞳のことばかり考えていた。

祈り/五十嵐彪太

 生命の清きも穢れも抱く恒河に、一人の少女が身を浸している。

 恒河は、少女のホトから初めて垂れ落ちた血を、自身の一部として取り込む。

 下流では、とうの昔に齢を数えるのを止めた老婆が、祈りの言葉を唱えながら沐浴する。

 老婆の周囲ではしきりとあぶくが立っている。生命に成り損ねたものたちの叫び。老婆はそれを掌で掬いあげ、天に向けて放ち続ける。


金魚/立花腑楽

 男と女が川べりに佇んでいた。

 女は胸に抱いた赤子を厭わしそうに見つめている。

「今回もあんまり良くないね。泣き声が気に入らないのよ」

 そう言って、赤子を川の水に浸した。赤子は寝ているのか、冷たい水にぴくりとも反応しない。

「また取り替えるの?」

 男がうんざり声でそう問うと、女もまたうんざり声で

「また取り替えるのよ」

と答え、赤子の首筋をナイフで一閃した。

 ぱぁっと切り口から金魚が溢れだす。何十匹も何百匹も。溶けず散らず、水面を真っ赤に染め上げていく。

 金魚をすっかり吐き出した赤子は、ぺらぺらとした皮だけになった。女はそれをじゃぶじゃぶと濯ぎ、ぎゅうっと絞って手提げ袋に放り込む。

 女の足許では、夥しい数の金魚の群が何だか名残惜しそうに蟠っていたが、男が川面に石を放り込むなり、たちまち霧散していった。


無題/五十嵐彪太

「血の海に糸が垂れて、ギロチンがたくさん」

「おねむり薬百錠飲んだら綺麗に死ねる?」

「凍死ってどうかな」

と、屈託のない笑顔で少女が問う。



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