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「お兄ちゃんは何で黙(だま)ってるのかな。」

「ホタルが好きなんだろ?」

 はるかの問いかけに、そう答える正友。確かに宵闇(よいやみ)に浮かぶホタルの光は幻想的(げんそうてき)なリズムと色合いで浮かんでは消え、何とも言えない自然美を醸(かも)し出してはいるが。

 秀樹の瞳(ひとみ)は、その“美しさ”という物を愛(め)でる感情以外の物を心の内に秘(ひ)め、そこに佇(たたず)んでいるような気がし、それが何であるのか、はたまた自分の思い過ごしなのか知りたかったのである。二人の話しを聞いた功一が、秀樹の思いを知っていて、代弁(だいべん)しだした。

「秀さんから前に聞いたんですけど、ホタルの光はこの世の物とは思えない色彩(しきさい)で、幽玄(ゆうげん)の世界にいるようだって言ってましたね。」

「幽玄(ゆうげん)の世界?」

 聞き慣(な)れぬ言葉に首をかしげるはるか。

「自分も知らなかったんで辞書で調べたんスけど、幽玄の世界ってのは、この世とは一線を画(かく)した深遠(しんえん)なる美の世界みたいな感じなんですよ。」

「そうなの。なんか分かる気がする。」

「何が分かるんだよ?」

 正友が意地悪(いじわる)っぽく、はるかにそう質問をした。

「お兄ちゃんは多分、気忙しい日常から離れて、この幽玄の世界で心を休めてるのよ。」

 からかうような正友の言い草を気にも留めず、はるかは静かにそう言った。

「秀さんは何かと大変っスからね~。」

 功一は、はるかの言葉にしみじみとそう言いながら頷(うなづ)いていた。


 まだ30代にも到達していない秀樹だが自分よりももっと若い者達を率いて、これまでの激戦を戦い抜き、誰かに頼られる事はあっても、自分自身は誰の世話も受けずに生活をしている日々はさぞかし大変な心労(しんろう)があるであろうことは、居合わせた全員が思っている事で、秀樹の静かさは疲労の裏返しにも見てとれた。

「でもね。それだけじゃないんです。」

 秀樹を気遣(きづか)いながら話していたはるか達に、広介が何か言いたげに入ってきた。

「他に何か意味があるの?」

 はるかの問いに、広介は川面(かわも)のホタルに目を向けはるか達もそちらを見るように促(うなが)し、自分の話しは耳にだけ入れるようにと注意したうえで、話しをしだした。

「鮎吉師匠から自分は聞いたんですけど。幽玄の光を灯(とも)すかのようなホタルも、実際には物質である川の水の中から生まれててですね。この世の物とは思えない美しい光を生み出した川というのは、物質の世界と、スピリチュアルな世界の両面を併(あわ)せ持ってると言えると言われたんですよ。だから精霊流(しょうろうなが)しっていうお盆の供養(くよう)なんかでは、ロウソクに思いを込めて水に流したりするんですね。水は世の中と目では見えない魂(たましい)の世界をも結ぶ接点だという訳です。で、秀さんはどういう思いで川にいるのかというとですね。“想い”と物質が交差するかのような川に、自分の“想い”を重ねてると言うんです。人間には、魂とか心があって、物質である体の根幹(こんかん)にはそれがある。水はその物質である体に取り込まれてゆくものであるだけでなく、“想い”さえも届けてゆく物であるとするなら、それは物質を構成する為の栄養だけでなく、心までも培(つちか)ってくれる栄養素もあると考えられる訳で。自分の“想い”を込めれば、誰かの心を感化させる心の薬にも水はなるのではと思いながら、ホタルを見つめてるんじゃないかと言われてました。」

「誰かってまゆみお姉さんのコトを考えてるのかな…。」

 はるかは秀樹の見つめる先に視点を合わせ、そう呟いた。


「さぁそこまでは…」

「想いを届ける…か。」

 さっきまで水際の草むらに潜(ひそ)んでいたホタルが、フッと何処かへ飛び立った。その姿は、正しく精霊流(しょうろうなが)しのような風景で、それを静かに眺(なが)める秀樹の背中は寂(さび)しそうであった。

 ホタルを見つめる人は、世の中に沢山いるだろうが、こんなに切なくも深い心で見つめている者が果たして他にいるであろうか。美しい光に願いを込める後ろ姿は、思いを告げられぬ相手に対しての会えない辛さや解り合えない孤独(こどく)にあっても、メゲずにその人をなおも想い続ける温かさを内包(ないほう)している。

 それは儚(はかな)くも美しい天上人のようにさえ、秀樹の姿を見させているようであった。せめて気持ちだけでも送ってあげたいという姿は、犠牲的(ぎせいてき)・献身的愛情(けんしんてきあいじょう)の現れであって、その心が秀樹の体を通し醸(かも)し出す空気が情感となり、そういう風に秀樹の姿をはるかに見せていた。

 どれ位の時間が経ったであろうか。短いようで長いような静寂(せいじゃく)。秀樹の姿は、はるか達までをも不思議な世界の住人にいつしか引き込んでいた。そんな事を本人は露(つゆ)ほども知らず、祈るかのように一心に川辺に佇(たたず)んでいる。いつから居たのだろうか。はるか達が知らない間に鮎吉が来ていて、はるかに話しかけた。

「どうじゃな?はるか。」

「えっ!?どうって…?」

「今日お主を呼んだのは、単に詩音ちゃんがいるだけじゃからではない。秀樹はお前さんに伝えたい事があったのじゃよ。秀樹の姿を見て。先輩達の話しを聞いて。思う所があったじゃろ?」

「…うん。お兄ちゃんはあんまり話してくれないけど、色々あったけど、まゆみお姉さんの事を今でも大事に想い続けてるんだよね…。」


「うむ、そうじゃ。どんな行き違いがあったかは儂(わし)も詳(くわ)しくは知らんのじゃが。あのおっちょこちょいのお転婆娘(てんばむすめ)が、いつもの早とちりで勝手な誤解(ごかい)でもしておるのじゃろ。」

「まゆみお姉さんて、そんな人だったの?」

 はるかからすれば、一回り以上も年上のまゆみは、大人の常識を備(そな)えた清楚(せいそ)で綺麗(きれい)なお姉さんというイメージがあったので、鮎吉のコメントが信じられないといった風な感じであった。

「お主は子供じゃったから知らんだろが、あの子は凄く大人で社交性(しゃこうせい)に長(た)けた面もあるのじゃが、一方で感情的で、その癖(くせ)に早合点(はやがてん)するしのぉ。随分(ずいぶん)と秀樹も付き合っておる時は手こずっておったようじゃったぞ。」

「あのまゆみお姉さんが…」

「俄(にわか)には信じられんじゃろうが、あの子はある意味、儂(わし)らを含(ふく)む世間に対して仮面(かめん)を被(かぶ)っておったのじゃろう。無論(むろん)、誰しも何かにつけて自分を装(よそお)っておる物じゃが。あの子は儂にも言えぬ裏の素顔を持っていたのかも知れん。それを唯一(ゆいいつ)話せる存在が、恋人となった秀樹だったのかも知れんのぉ。秀樹は何の弁解(べんかい)もせんから何とも言えんが、この前のまゆみの態度を見ても、何かあの子が誤解(ごかい)をしていて正友にまで怪我(けが)をさせたという雰囲気(ふんいき)じゃった。それでも秀樹はああしてまゆみの事を一心に想っておる。それがあのような行動を秀樹に取らしておるのじゃ。どんなに裏切られ傷つけられても、何の言い訳もせず、相手を想う。その優しさこそが秀樹の強さの秘密(ひみつ)じゃ。お主らの持つ内力。それは原始の炎(ほのお)に端(はし)を発する血液の力が炎や溶岩(ようがん)に類似しておるゆえ、お主や秀樹達のように特別な力を持つ物に対しては“メキド”という名でも呼ばれておるが、それはこの川のようでもあるというのは分かるかのぉ?」


 「うん、うん。」と頷いていたはるかだが、その意味は分からずにいるようであった。それを見て鮎吉は話を続けた。

「水は何と言うた?」

「物質と無の世界の接点…かな。」

「そうじゃ。それをお主らに例えるなら、水は体に流れておるが血液に含まれる水分もある。じゃから水が燃えておるとも言えるじゃろ?」

「…うん。」

「そして水は心にも影響(えいきょう)するし、心の想いや願いも運ぶ。ところでメキドは何に呼応(こおう)しておるのじゃ?」

「心…?」自信なくそう言うはるか。

「そうじゃ。体の動きは心と連動しておる。そしてそれは水が運ぶ、水が心に反応すると燃えるのじゃ。物事には全て一方通行ではなく、相互作用(そうごさよう)がある訳じゃが、今の場合、メキドに関しては何が主体に働いていると思うかのぉ?」

「心…そうだわ!」

「そうじゃ。心じゃ。そしてその心は秀樹のような“優しさ”を持ってこそ、初めて強くなれる。現実の生活でもそれは一緒じゃろうて。柔和(にゅうわ)で謙遜(けんそん)で囲りの人を大事にする。そんな人間は絶対に社会で失敗したりはせんし、人を蹴落(けおと)したり悪口を言わんから人望もあり出世するし、仮(かり)に何かに巻き込まれたりしても誰かが助けてくれる物じゃ。じゃからそういう者は相互関係(そうごかんけい)の理屈(りくつ)から言っても、バトルボールの戦いをしても強いし一社会人としても強いのじゃ。要約すれば正しい心が最も人を強くするという事なのじゃ。なら、正しい心とは何じゃ?」

「うーん…分からない。」

 鮎吉は簡単な事だと言った。

「それは今の秀樹の姿を真似(まね)る事じゃな。」

「お兄ちゃんの?…」



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