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「うーん…。」

 正友が詩音の為に買ってきた玩具(おもちゃ)は、男の子向けで、袋の中身を全て出したが、お人形の一つもないのに、本当にぶっきらぼうだなと思わず唸(うな)ってしまったはるか。

 遠慮(えんりょ)しているのか何も手をつけない詩音に、一緒にゲームをして、心を落ちつかせてあげようとしたりしている内に、いつの間にやら夕飯の時刻となってしまっていた。

 功一や洋一達が仕事から帰ってきてゲームに没頭(ぼっとう)するはるかと詩音を目撃し、気を利かせて夕飯を買って来た。皆で話しをしながら食べ終えると、遅番の勤務を終えた正友が帰って来た。

「ただいまー。メシは?」

「あっ!…」 はるかが絶句(ぜつく)した。

「ん!?どうしたんだ?」

 正友を迎えた全員が気まずいなという雰囲気(ふんいき)になってしまった。正友の分の食事を用意していなかったからである。それを知った正友は、仕方なく冷蔵庫のあり合わせの材料でチャーハンを作り出した。

「ごめんね。正友のコト忘れてて…。」

「もういいよ。」

 やけにあっさりと、はるかの謝罪(しゃざい)を受け入れる正友。それには理由があった。

「それよりもな。秀さんが園(その)瀬川(せがわ)にホタルが飛んでるからおいでってよ。」

 五月の中旬にもなると、はるか達の住む寮の近くの川では、ホタルが毎晩鮮(あざ)やかな光を放つ。秀樹はホタルが大好きで、はるかも小さな頃、よく一緒に見に連れて行ってもらったのを思い出した。

 今ではその座に美優がいて、秀樹は美優と二人で行く事が多くなっていたが。詩音の事を考え、秀樹は誘いの連絡を正友にしていたのであった。その為に、正友は急いで準備をしていたので、いちいち目くじらを立てていられなかったのである。


 正友が食事を終え、詩音を連れて園(その)瀬川(せがわ)に皆で出向くと、秀樹は既(すで)に中州(なかす)に立ってホタルを愛でていて、その周りを美優がはしゃぎ回っていた。

「エラく水嵩(みずかさ)が減ってんな。」

 中州付近にいる秀樹を目撃し、昨日の大雨が嘘(うそ)のようだと正友は言いたげであったが―

「お兄ちゃんが水はけを良くしたんでしょ!」

 と、はるかに指摘(してき)され納得(なっとく)した。

「お兄ちゃーん!」

「あっ!はるかお姉ちゃんだ。こっちおいでー!」

 はるかの声に元気よく反応したのは美優であった。足元に気を付けながら、秀樹と美優の元へはるか達が向かうと、川辺の草が生い茂(しげ)る中に空いた小さな空間は、人影(ひとかげ)で手狭(てぜま)になってしまっていた。

「ちょっと狭(せま)くね?この草とか切っちゃおうかな。」

「無粋(ぶすい)な事をするなよ。」

 正友の行動をそう言って秀樹が引き留めた。それからまた黙(だま)って秀樹はホタルを見続けだした。水面近くを飛ぶホタルの光。それに焦点(しょうてん)を合わせ、微動(びどう)だにしない。

 詩音を見かけた美優が近くにいるホタルを捕(とら)え、詩音の手をそっと取り、そこへ捕えたホタルを差し出した。握(にぎ)りしめた手の平から詩音の手の平へホタルが渡ると、初めての感触(かんしょく)に怖がりながらもホタルを見た瞬間―

「キレイ…。」と、詩音は言った。

「そっか。ならお兄ちゃんがいっぱい捕ってきてやろうか?」

「無粋(ぶすい)な真似はやめなさいって言われたでしょ!」

今 度は、はるかに正友はたしなめられた。子供達は別として、静かにホタルを見つめている秀樹の邪魔(じゃま)を正友にさせたくなかったのである。


「お兄ちゃんは何で黙(だま)ってるのかな。」

「ホタルが好きなんだろ?」

 はるかの問いかけに、そう答える正友。確かに宵闇(よいやみ)に浮かぶホタルの光は幻想的(げんそうてき)なリズムと色合いで浮かんでは消え、何とも言えない自然美を醸(かも)し出してはいるが。

 秀樹の瞳(ひとみ)は、その“美しさ”という物を愛(め)でる感情以外の物を心の内に秘(ひ)め、そこに佇(たたず)んでいるような気がし、それが何であるのか、はたまた自分の思い過ごしなのか知りたかったのである。二人の話しを聞いた功一が、秀樹の思いを知っていて、代弁(だいべん)しだした。

「秀さんから前に聞いたんですけど、ホタルの光はこの世の物とは思えない色彩(しきさい)で、幽玄(ゆうげん)の世界にいるようだって言ってましたね。」

「幽玄(ゆうげん)の世界?」

 聞き慣(な)れぬ言葉に首をかしげるはるか。

「自分も知らなかったんで辞書で調べたんスけど、幽玄の世界ってのは、この世とは一線を画(かく)した深遠(しんえん)なる美の世界みたいな感じなんですよ。」

「そうなの。なんか分かる気がする。」

「何が分かるんだよ?」

 正友が意地悪(いじわる)っぽく、はるかにそう質問をした。

「お兄ちゃんは多分、気忙しい日常から離れて、この幽玄の世界で心を休めてるのよ。」

 からかうような正友の言い草を気にも留めず、はるかは静かにそう言った。

「秀さんは何かと大変っスからね~。」

 功一は、はるかの言葉にしみじみとそう言いながら頷(うなづ)いていた。


 まだ30代にも到達していない秀樹だが自分よりももっと若い者達を率いて、これまでの激戦を戦い抜き、誰かに頼られる事はあっても、自分自身は誰の世話も受けずに生活をしている日々はさぞかし大変な心労(しんろう)があるであろうことは、居合わせた全員が思っている事で、秀樹の静かさは疲労の裏返しにも見てとれた。

「でもね。それだけじゃないんです。」

 秀樹を気遣(きづか)いながら話していたはるか達に、広介が何か言いたげに入ってきた。

「他に何か意味があるの?」

 はるかの問いに、広介は川面(かわも)のホタルに目を向けはるか達もそちらを見るように促(うなが)し、自分の話しは耳にだけ入れるようにと注意したうえで、話しをしだした。

「鮎吉師匠から自分は聞いたんですけど。幽玄の光を灯(とも)すかのようなホタルも、実際には物質である川の水の中から生まれててですね。この世の物とは思えない美しい光を生み出した川というのは、物質の世界と、スピリチュアルな世界の両面を併(あわ)せ持ってると言えると言われたんですよ。だから精霊流(しょうろうなが)しっていうお盆の供養(くよう)なんかでは、ロウソクに思いを込めて水に流したりするんですね。水は世の中と目では見えない魂(たましい)の世界をも結ぶ接点だという訳です。で、秀さんはどういう思いで川にいるのかというとですね。“想い”と物質が交差するかのような川に、自分の“想い”を重ねてると言うんです。人間には、魂とか心があって、物質である体の根幹(こんかん)にはそれがある。水はその物質である体に取り込まれてゆくものであるだけでなく、“想い”さえも届けてゆく物であるとするなら、それは物質を構成する為の栄養だけでなく、心までも培(つちか)ってくれる栄養素もあると考えられる訳で。自分の“想い”を込めれば、誰かの心を感化させる心の薬にも水はなるのではと思いながら、ホタルを見つめてるんじゃないかと言われてました。」

「誰かってまゆみお姉さんのコトを考えてるのかな…。」

 はるかは秀樹の見つめる先に視点を合わせ、そう呟いた。


「さぁそこまでは…」

「想いを届ける…か。」

 さっきまで水際の草むらに潜(ひそ)んでいたホタルが、フッと何処かへ飛び立った。その姿は、正しく精霊流(しょうろうなが)しのような風景で、それを静かに眺(なが)める秀樹の背中は寂(さび)しそうであった。

 ホタルを見つめる人は、世の中に沢山いるだろうが、こんなに切なくも深い心で見つめている者が果たして他にいるであろうか。美しい光に願いを込める後ろ姿は、思いを告げられぬ相手に対しての会えない辛さや解り合えない孤独(こどく)にあっても、メゲずにその人をなおも想い続ける温かさを内包(ないほう)している。

 それは儚(はかな)くも美しい天上人のようにさえ、秀樹の姿を見させているようであった。せめて気持ちだけでも送ってあげたいという姿は、犠牲的(ぎせいてき)・献身的愛情(けんしんてきあいじょう)の現れであって、その心が秀樹の体を通し醸(かも)し出す空気が情感となり、そういう風に秀樹の姿をはるかに見せていた。

 どれ位の時間が経ったであろうか。短いようで長いような静寂(せいじゃく)。秀樹の姿は、はるか達までをも不思議な世界の住人にいつしか引き込んでいた。そんな事を本人は露(つゆ)ほども知らず、祈るかのように一心に川辺に佇(たたず)んでいる。いつから居たのだろうか。はるか達が知らない間に鮎吉が来ていて、はるかに話しかけた。

「どうじゃな?はるか。」

「えっ!?どうって…?」

「今日お主を呼んだのは、単に詩音ちゃんがいるだけじゃからではない。秀樹はお前さんに伝えたい事があったのじゃよ。秀樹の姿を見て。先輩達の話しを聞いて。思う所があったじゃろ?」

「…うん。お兄ちゃんはあんまり話してくれないけど、色々あったけど、まゆみお姉さんの事を今でも大事に想い続けてるんだよね…。」



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