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第2章・氷の刃

 

バトルボーラーはるか

第三集

氷の美少女

 

第2章

氷の刃

 

 

 

作・Ψ (Eternity Flame)


「これは!?」

 正友の顔色が変わった。正友の好戦的(こうせんてき)な気の力に刺激(しげき)され、唸(うな)り声をあげた猛獣(もうじゅう)。その正体は巨大な数頭の真っ白な体毛に覆(おお)われた虎(とら)であった。

 虎(とら)の威圧感(いあつかん)も大変なものであったが、それにまたがる大男がいて、その大男達の姿の異様(いよう)さにも正友は面喰(めんく)らっているようであった。

「かかれッ!」

 黒服の男達の号令に、一斉(いっせい)に襲(おそ)いかかった猛獣(もうじゅう)と大男達。そのスピードと力の前に、正友は躱(かわ)すのに手こずっているようであった。

「こりゃ…警察の手に負えるような代物(しろもの)じゃねぇな。」

 躱(かわ)しきった筈(はず)が、正友の腕(うで)と頬(ほほ)が風圧によりカスリ傷を負っていた。

「フフフ。どうだ!」

「おい、このバケモノみたいなヤツらは何なんだ?」

「バケモノだとッ!?我らは氷の一族だ!」

「氷の一族!?その大男達の事か?」

「彼らはビッグフッド。太古の昔、氷河時代にこの地上の覇者(はしゃ)として君臨(くんりん)していた種族の末裔(まつえい)だ!」

「その末裔(まつえい)とやらが、オレ達に何の用だ?」

「お前達のかくまっている少女を渡せ!そうすれば命は助けてやる。」

「何故、あの子にこだわる?」

「死にたくなければ、おとなしく渡せ!」

 あせった様子の正友に勢いづいたのか、男たちは正友の問いかけに耳を貸そうとしない。

「大丈夫っスか?正友さん!」

 異変に気づいた広介達が、正友の作りだした障壁(しょうへき)の中へと入ってきた。


「おぉ功一か。ちょっとアイツら手強いから、手伝ってくんないか。」

 「はいっ」と、元気に答えた功一だが―

「ヤバいっすね…。」

 異形の者達を前に、そう言って冷や汗を流していた。

「洋一と功一は黒服の男達をやっつけろ!オレと広介と大ちゃんさんであの大男と猛獣(もうじゅう)を食い止める。」

 正友はそう言うと、大介と広介と共に虎(とら)にまたがるビッグフッド達に飛びかかって行った。ビッグフッドは背中に弓(ゆみ)と斧(おの)を負(お)っていて、それを取り出すと、片手に弓(ゆみ)を持ち、もう片方の手に斧(おの)を持った。猛烈(もうれつ)なスピードで駆(か)けてくる虎(とら)に注意しながらも、両の手に持った武器をどう使うのか正友達には見当がつかない。

 しかし、それが凄(すさ)まじい物であろう事は、背中に走る悪寒(おかん)が逸早く戦慄(せんりつ)となって伝えていた。駐車場が戦場となっていたので、正友達は車を盾(たて)にするようにフットワークを用いて切り返そうとした。

 しかし、1トンはあろうかという虎(とら)は、軽々(かるがる)とそれらを踏み潰し、その衝撃(しょうげき)たるや凄(すさ)まじい物で、迫撃砲(はくげきほう)の中を掻(か)い潜(くぐ)るかのようであった。正友達三人は必死になってその攻撃を躱(かわ)しながら、黒服の男達と功一達からビッグフッド達を引き離す事に成功していた。

 だが、車は全てスクラップとなっていて、正友達が逃げ回る場所は失くなってしまっていった。

「コイツら戦い慣れてるな。」

 背中合わせに固まった正友達。周囲に気を配りながら、正友が広介と大介に話しかけた。

「正友さん。あの大男斧で襲って来るんですか、あの弓はどうやって使うんですかね?」

「さぁね…」

 広介の問いかけに、正友はあっさりとそう答えたのみだった。百戦錬磨(ひゃくせんれんま)の強者といった感じのビッグフッド達の息の合った連携(れんけい)に対し、今のままで大丈夫なのかと広介は不安になったので、気は重かったが、ある決断を正友に伝えた。


「あの…自分、ゲーハモテーヌの能力が残ってて、使ってみたいと思うんですが、今使ってみていいですかね?ちょっと理性が飛ばないか心配なんですけど…。」

「おぅ、使ってみ。」

 正友の許可がおりたので広介は変身すると、ビッグフッド達よりも幾らか体が大きくなった。一方、大介は頭で考えるよりも、今起こっている事態に対応する為に気を集中しているようであった。

 正友は感性で生きるタイプだし、大介は話すのが大の苦手。そんなチグハグな三人だが追い詰められるに至(いた)り、それぞれが必至(ひっし)になる事でどう猛(もう)なビッグフッド達にも劣(おと)らぬ迫力(はくりょく)を醸(かも)し出していた。

 正友達のエンジンがかかるのを待っていたかのように、ビッグフッド達も、ここからが本当の戦いだと言わんばかりに、大きな雄叫(おたけ)びを上げ襲いかかってきた。

 ビッグフッド達は、なんと弓矢を強じんな顎(あご)を使って引いた。先行する矢のすぐ後ろを虎(とら)が駆(か)け抜け、鋭(するど)い牙(きば)と爪(つめ)で死角を襲う。そこまで躱(かわ)したとしても、今度はビッグフッドの斧(おの)が激しい爆風(ばくふう)を巻き起こしながら向かってきて、反撃の糸口を見出す余裕どころか、このままではいつか仕留められてしまうという危機感さえ募(つの)らせ、その危機感は間もなく現実の物となった。

 正友達三人にそれぞれ放たれていた矢が、突如(とつじょ)、広介に向けられた。

「広介ぇーッ!!」

 正友の叫びも虚(むな)しく、広介めがけ放たれた三本の矢の内の一本が、ぶ厚い胸板に突き立った。

 広介の姿に気を取られた正友。その一瞬の隙(すき)をつき、三体のビッグフッドは、今度は正友に向けて矢を放った。とっさの判断で、正友は足元に広がるスクラップとなった自動車を自分の前側に立てかけて盾(たて)の代わりとし、強襲(きょうしゅう)する矢を防いだ。


「畳返(たたみがえ)しならぬ自動車返し…。」

 などと言ってる間に、矢を外したビッグフッドが肉弾戦をしようと迫ってきていた。

「速っ!?…今度はオレが標的(ひょうてき)か。」

 正友の窮地(きゅうち)を察(さっ)し、大介が横から助けを出した。虎は大きな呻(うめ)き声を上げた。大介は得意の貫手(ぬきて)で虎の硬い筋肉にクサビを打ち込んでいたのである。

 バランスを崩した虎の背にいるビッグフッドの一体もよろめいた。正友はその隙(すき)をつきたかったが、重装騎兵(じゅうそうきへい)など及びもしない巨兵が、狂暴(きょうぼう)な牙を持つ軍馬にまたがり二組も駆け寄ってきていて、とても手が出る状態にない。

 二頭の虎は飛びかかろうとしたが、いきなり空中で躓(つまづ)いたようになり、地面に叩きつけられていた。二頭の虎の跳躍(ちょうやく)を阻(はば)んだのは広介であった。広介は虎の尻尾(しっぽ)を摑(つか)み、意表(いひょう)を突かれた虎は事態に対応できず、着地もままならずに地面に倒れこんだのである。

「しめた!!」

 急に虎が倒れたので、ビッグフッドは背中から放り出されてしまう形となった。正友がその好機(こうき)を見逃す訳もなく、二体のビッグフッドに向け、奥義を放った。

「神楽龍球拳超奥義(かぐらりゅうきゅうけんおうぎ) 応龍連撃破(おうりゅうれんげきは)!!」

 ゲーハモテーヌ戦で使った発勁の原理を利用し、正友が掌手(しょうてい)と蹴(けり)りを二体のビッグフッドに浴びせた。抜群(ばつぐん)の機動性(きどうせい)を誇(ほこ)る虎から引き離された上、バランスを崩(くず)した二体のビッグフッドは、なす術もなく、正友の攻撃の餌食(えじき)となっていた。

 百五十キロはゆうに超えるであろうビッグフッド達の巨体は吹き飛ばされてしまった。這(は)いつくばる二頭の虎には、広介の全身の力を溜(た)めた拳(こぶし)が振われ、立ち上がる猶予(ゆうよ)も与えられぬまま大地を削(けず)るようにして転げていった


 一方、大介の貫手(ぬきて)を喰(く)らい、悶絶(もんぜつ)する虎が、痛みにのたうつせいで、背中にいるビッグフッドはロデオでもしているかのように振り回されていた。

「真空豪蛇掌(しんくうごうじゃしょう)!!」

 体勢の整わないビッグフッドと虎に向かい、正友の寮(りょう)をぶち抜いた真空掌(しんくうけん)を、更(さら)に何十倍も強力にしたような気功波(きこうは)が放(はな)たれ、ひとたまりもなく、ビッグフッドは虎(とら)ごと空高く吹き飛ばされた。45度くらいの斜(なな)めに吹き飛ばされた虎とビッグフッド。とぐろを巻いた蛇(へび)のような軌道(きどう)が空に描かれた。やがて落下をはじめると、その終点で彼らは凄まじい勢いで地面に激突した。

「スゲェ~。」

 正友は大介の大技の威力(いりょく)に驚(おどろ)き、思わずそう漏(も)らしていた。

「そ、そうかなぁ~。」と、照れる大介。

 技に見とれていたのも束(つか)の間(ま)。広介の事が気になり、正友は駆け寄って行った。

「大丈夫か?広介。」

「えぇ…まぁなんとか。」

「矢が刺さった時は、本当にビックリしたよ。でも、あれくらいの刺さり方じゃ、肺までは行ってねぇと思ったんで安心してたけどな。苦しそうなフリして、迫真(はくしん)の演技(えんぎ)だったよな。」

 矢が刺さった時に倒れたのは広介の演技であった。正友はそれを瞬時(しゅんじ)に判断し、広介には何か策(さく)があると見て、その芝居(しばい)に付きあっていたのであった。

「さすが正友さん、アレを見抜いたんですね。」

「“死んだフリ作戦”とでも名付けようかな。うまくハマッたよな。」

 広介が考えた策にすぐさま対応した正友。広介は最初に抱いた不安から自分なりに気を利かせて敵の油断(ゆだん)を誘(さそ)い、倒そうとしたが、それは正友と広介が何も考えてないように見えたためで、三人で共に戦った事がないからであった。が、そんな心配は不要なのだと知った。


 達人には実戦における優れた洞察力(どうさつりょく)を元にして、柔軟(じゅうなん)に対応できる能力があるのが分かったからである。その頼(たの)もしい仲間を得た事に力強さを実感し、笑顔で健闘(けんとう)を讃(たた)えあう正友達であったが―

「うっ…」

 広介が苦しそうな声を急に出した。

「どうした広介!?」

 その急変に驚く正友。

「いや、胸がやけに痛くて…。」

 それを聞いた正友が広介の胸を見ると、矢の刺さった胸板(むないた)の辺りが青黒くなっていて、触(ふ)れるととても冷たかった。

「これは…凍傷(とうしょう)だ!」

 危険な行為だとは分かっていたが、凍傷の原因が矢じりにあると踏んだ正友は、広介の胸から矢を抜き去った。

「おい、大丈夫か?」

「えぇ…矢が抜けたら少し楽になりました。」

「なんだ?この冷たい矢は…。」

 異常な冷たさを発する矢じりは、氷の塊(かたまり)のようであった。だが、普通の氷とは何かが違う。鋼(はがね)のような広介の胸板に突き刺さり、軽度ではあったが凍傷にしてしまえるような氷などが果してあり得るのであろうか。正友には分からずにいた。すると―

「正友さーん!こっちも終わりました。」

 と、功一の声がしたので、正友はそちらに向かった。木刀を持った功一と洋一の足元には、傷つき横たわる黒服の男達がいた。

「この矢じりは何だ?答えろ!!」

 鬼の形相(ぎょうそう)で話さなければ容赦(ようしゃ)しないといった感じで、正友が男達に問い詰めた。


「それは永久(えいきゅう)凍土(とうど)の最深部(さいしんぶ)より取り出した物だ。何万年もの間、溶ける事もなく蓄積(ちくせき)された冷気は、自体だけに止まらず、触れた対象にまでも影響を及ぼす。」

 男の一人がそう答えた。

「…あの化物みたいな虎と毛深い男は、一体何なんだ。」

「その永久凍土に眠っていた太古の生物。我々がそれらを科学技術を使って再生させた。」

「ほう。それで詩音ちゃんを何の目的でさらおうとしてるんだ?」

「…。」 沈黙する男。

「答えろ!!」

 正友は語気を荒げ、男の肋(あばら)を踏みつけた。

「グワッ!!…シオンは我らが探し当てた“女王”だ。」

「“女王”!?どういう意味だ?」

「ビッグフッドとスノータイガー。この二つを組み合わせた最強の兵士には、それらを統(す)べる王の存在があった。その子孫の血を引く者がシオンだ。」

「デタラメを言うな!!詩音ちゃんはそんなコト、何も言ってなかったぞ。お前ぇらだって知らないって言ってんだ。だからこれ以上、つきまとうなッ。」

「それは彼女の血がまだ目覚めていないからだ。」

「血だと?」

「そうだ。シオンとは氷の血族に伝わる王の呼び名。先代の王[シオン]が亡くなられ、その血は絶たれたかに見えた。先代の子は第二次大戦の混乱期(こんらんき)に消息不明となったからだ。だがその子孫は生きていた。先代の王のひ孫に当たるのが、そこの少女だ。」

「そんな…。」 驚く正友。

「その少女を渡せ。そのお方は我らの王だ。」

 男はそう言って正友に迫った。

「そいつは出来ない相談だな。」

「秀さん!」


「話しは大体、聞かせてもらった。だが、本人が嫌がってるのに無理矢理ってのはどうかと思うな。」

 男を悟(さと)すように秀樹がそう言った。男は何も言い返せずにいた。

「どうせロクな理由じゃないんだろうよ。だから詩音ちゃんは逃げてる。違うか?」

 正友が威圧的(いあつてき)にそう尋問(じんもん)すると、口は割らなかったが、男の態度が良からぬ事を企(たくら)んでいるのを隠(かく)しきれずにいた。

「ほら見ろッ…この態度が何よりの証拠(しょうこ)だ。な、秀さん。そうだろ?…よーし、全部吐かしてやる。」

 実力行使(じつりょくこうし)で言わせようとする正友に、秀樹が「待った」をかけた。

「俺は暴力は嫌いだ。でもまぁ、コイツらの企(たくら)んでる事は想像がつく。」

何だと!?」

 男は驚き顔をのけぞらせた。

「そんなに意外な事じゃないだろ?俺達だって、ただ指をくわえているだけじゃない。どんな事態にも対応できるように、できるだけ敵となる者の情報は集めてるさ。断片的(だんぺんてき)ではあるがな。」

 秀樹はそう言って男の顔を見返した。

「どんな情報だ?」

「まぁ大方は俺の想像だが。“シオン”という名を聞いた時からピンと来てたんだが、シオンとは、ヘブライ語でエルサレム東部の聖なる山の名を指す。そこでだ、お前達の兵隊とやらは永久凍土から復活させたって言っただろ?聖書で地獄の最下層に沈めた魔物ってのが、ソイツらだと思ったワケだ。」

「…。」

 男は黙って話を聴いている。表情に乱れがないのを見た秀樹だが、構わず話を続けた。


「“エデン”とか“カナン”など。色々な名で呼ばれているが、聖書の中ではエルサレムも含め、それは当時の権力者達にとって、喉(のど)から手が出るほど欲しい“国土”って点では同じだ。閉じ込められた魔物の兵士に国土。この二つから導(みちび)き出される結論(けつろん)は、お前達の先祖が国を奪(うば)いあって敗れた事を意味する。そして現代に至(いた)っても、伝統を受け継いでる事からも、お前達の目的は明確(めいかく)だ。それは自分達の勢力(せいりょく)の復権(ふっけん)であり、国土の奪還(だっかん)を意味している。公(おおやけ)にはしていなかったが、眠っていた野心が目覚めてしまったせいで、先祖からの悲願(ひがん)を達成しようと行動した結果が、真相(しんそう)を露見(ろけん)させてしまった。違うか?」

 ズバリ秀樹の言った通りのようで、男は動揺(どうよう)している。畳み掛けるように秀樹は言葉を続けた。

「ソロモン王の秘宝。それが徳島にあるのを知り、それを手に入れれば世界支配も夢ではないと思ったお前達の先代の王。ソイツが化物を復活させ、力ずくで秘宝を奪う好機を狙っていた。その過程で、詩音ちゃんを見つけたんだろ?」

「どうしてそれを?…」

「この広い世界で人間、しかも少女一人を見つけるなんて、そう簡単にできる事じゃない。だが、ある程度的(まと)が絞(そぼ)れれば可能なんじゃないか?ソロモンの秘宝が眠る国。そこに子孫はいるんじゃないのかと。さらに付け加えるなら、先代の王の子。つまりは詩音ちゃんの祖父は、第二次大戦のどさくさに紛れ、自ら姿を消した。血筋が続いている事からも、それは否定のしようがない。理由は簡単だ、お前達や王と考えが合わなかった。どうだ?」

 男は何も言わなかったが正友が、

「図星(ずほし)みたいだぜ!」と言った。

 正友は聴勁(ちょうけい)を使って男の脈拍(みゃくはく)を計っていたようで、ポリグラフのように男の心の乱れを察知(さっち)していたのであった。


「木を隠すなら森の中って言うが、詩音ちゃんの親御(おやご)さん達は数代に渡り、お前らの担(かつ)ぎ出す王の捜索(そうさく)から身を隠していた。それには、もう一つ意味がある。秘宝の近くには、必ずそれを守護(しゅご)する俺達のような存在がいる。それがお前等から自分達を護(まも)ってくれるだろうと思ったからだろう。だから、以上の事から詩音ちゃんが嫌がってるのに、無理にお前達に引き渡す訳には行かない。本人が望んでるならまだしもな。」

「くッ…。」

 二の句が出ない男。

「もひとつ付け加えれば、詩音ちゃんが記憶を失くしてるのにお前達を恐れてるってのは、かなりお前達が乱暴な振る舞いをしたからじゃないのか?恐ろしさの余り、気が動転してるのか記憶がホントに失われたのかは分からんが、そう考えるとつじつまが合う。悲願(ひがん)だか何だか知らんが、そんなのは力ずくでやるんじゃなくて、誰にも迷惑(めいわく)かけずに自分達だけで地道(じみち)に築(きず)いてけばいいんじゃないのか?旧態(きゅうたい)依然(いぜん)の思想にしがみついてないで、もっと広い目で世の中を見たらどうだ。」

 理(り)に適(かな)った秀樹の説得にも、がんとして男は耳を傾(かたむ)けてないようであった。それどころか―

「あの子を返さねば、お前達もただでは済まんぞ。」と、逆におどしをかけてきた。

「お前、何言ってんだ?そんな無様(ぶざま)な恰好でイキがったって、説得力がねーんだよ!コイツどうする?秀さん。」

「…しょうがないな。お前達のトップに直接会って話をつけるとするか。」

 正友の問いかけに秀樹がそう答えた。正友は男の胸ぐらを掴(つか)み―

「お前の上役のいるトコまで案内しろ!」

 と、脅(おど)し返すように言った。しかし、男は一向に怯(ひる)まず、逆に秀樹達に忠告(ちゅうこく)しようとした。


「貴様(きさま)らは知らんのだ…氷の騎士団(きしだん)の恐ろしさを、王不在の中、我らを主導(しゅどう)するのは四天王(してんのう)と言われる騎士達。卓越(たくえつ)した戦闘力を持つ我が騎士団の中でも、その強さたるやズバ抜けている。ノコノコ話し合いなどと悠長(ゆうちょう)な気持ちで出向いたら、殺されるぞ!貴様らの強さも仲々(なかなか)の物だが、あのお方達と比べればまだまだ…なんせ四天王は伝説の氷獣フェンリルの子孫と言われてるのだからな。」

「ほ~う。そりゃ面白い。オレがきっちり話をつけてやるから、連れてけ!」

 男の言葉が明らかに自分達を四天王より弱いと決めつけたのが余程気にくわないらしく、どっちが強いか教えてやるよと言わんばかりに、そう言って静かに正友は凄んで見せた。

「まぁそんな今の内から殺気立つな。」

秀樹が闘志を燃やす正友に対し、そう言ってなだめた。

「でもまぁ、どの道こちらから四天王とやらのいる所に出向かねばならないみたいだな。」

 自分を諌(いさ)めながらも、出向くというリスクをおかそうと二律背反(にりつはいはん)する秀樹の言葉に正友が「なんで?」という顔をした。

「その四天王とやらは、聞くかぎりの話しでは相当に強引で腕っぷしが強いみたいだし、こんな人里で物騒(ぶっそう)な真似(まね)を次々と仕掛けられてはたまらないからな。」

「あっ、そういう事か!おい、聞いたか?案内しろッ。」

 結局は自分の思惑(おもわく)どおりになったので、正友は勢(いきお)いよく命令口調で、男にそう言うと―

「コラコラ…そういう乱暴な言葉使いはよせよ。俺達は、悪(あ)くまで“話し合い”に行くんだ。」

 正友は、またもや秀樹にたしなめられ、口をつぐむ羽目(はめ)に陥(おちい)ってしまっていた。


「ま、そういう事だから、アンタの上役のいる所まで連れてってくれないかな?」

 返す刀で秀樹は、優しく男にそう話しを持ちかけた。

「…それは出来ない。」

 男はタイミングを見計らったかのように、沈黙(ちんもく)から一転し、秀樹の持ち掛けた話しにきっぱりと断りを告げた。

「何だと!!」 正友は男の言葉にひどく怒った。

「…どうしてダメなんだ?」

 なるべく穏便(おんびん)に且(か)つ理を説いたつもりが、どうして拒(こば)まれるのか。秀樹にはそれが理解できず、男を問いただすと―

 「こういう事だ!!」と、男が言った。

 それと同時に強い突風(とっぷう)が、秀樹達の頭上から吹いてきて、思わず空を見上げると、頭上に巨大な狼のような四ツ足に翼の生えた獣の姿があった。

「な、なんだ!?あのでっかい獣は!!どうやってオレの結界(けっかい)に入り込んだ…」

 急な爆風(ばくふう)に焦(あせ)る正友。冷静沈着(れいせいちんちゃく)な秀樹でさえも、想定外(そうていがい)のアクシデントに混乱(こんらん)している。巨大な獣は猛烈(もうれつ)な勢いで、秀樹達に襲いかかってきた。

「逃げろッ正友!!」

 珍(めずら)しく秀樹が大声を張(は)りあげた。

 有無(うむ)を言わせぬ強襲(きょうしゅう)に、考えるゆとりがなかったので、とりあえず逃げる事を考えたのだが。そのせいで、黒服の男達への拘束(こうそく)が解けてしまっていた。

 秀樹と正友の安否(あんぴ)に気を取られた洋一や功一達。彼らが一瞬、目を離した隙(すき)に、満身(まんしん)創痍(そうい)のビッグフッド達も力を振り絞って逃げ出し、黒服の男達もその後を追って共に巨大な獣の背に飛び乗ってしまった。

「ハハハハッ…惜(お)しかったな!次はこうは行かんぞ!!」

 黒服の男の一人が去り際(ぎわ)に高笑いをしながらそう言い、闇夜に消えて行った。


「待てッ。」功一がそう言い追いかけようとしたが―

「追うな功一。」

 と、秀樹が後を追おうとする功一を引き止めた。

「どうしてですか?秀さん。」

「追っても今からじゃ間に合わない。あのスピードを見ただろ?アイツらの動きが止まるまで、しばらく様子を見よう。」

「動きが止まるって…どうやってアイツらの居場所を掴(つか)むんですか?」

「あぁ。それはさっきの黒いスーツを着た男達に発信機を付けておいたから心配ない。慌(あわ)てなくても、アイツらの消息はいずれ判明する。高速移動中に捕(つか)まえるってのは難しいだろうから、それなら話し合いをしに行くがてら、アイツらが本拠地(ほんきょち)に戻るまで待てばいいだろ?」

「なるほど…そういう事だったんですね。」

「あぁ。だから皆、明日(あす)以降(いこう)に備えて体を休めておくといい。」

「でも、いつの間に発信機なんて付けたんですか?」

「あぁ…俺が内力で作った“水ホタル”と言ってな。さっきの猛獣(もうじゅう)の奇襲(きしゅう)を躱(かわ)した時に取りつけた。」

「へぇ~さすがですね。」

「ホタルが光で連絡を取り合うように、俺のホタルも特殊(とくしゅ)な交信をしていて、敵にバレないようにしてある。敵が沢山いる可能性を考慮(こうりょ)して、追跡(ついせき)部隊(ぶたい)を幾(いく)つも送ったから、向こうの出方を待つとしよう。」

 今しがたの対戦で敵はかなり疲れているようだったので、2・3日は心配ないと秀樹は睨(にら)んでいた。それを踏まえて、行動を起こすのは翌日でいいと考えたのである。

 一人考え込む秀樹から離れ、正友は詩音が眠る部屋へ向かっていた。騒(さわ)ぎの最中(さいちゅう)も顔を出さなかったはるかが、詩音の警護(けいご)に当っていると思ったので、大丈夫だとは思うが心配だったのである。


「おい、はるか。詩音ちゃん大丈夫か?」

「…うん。そっちはどうだったの?」

「おぅ、広介がちょっと負傷したけど大丈夫だよ。それにしてもかわいー寝顔だな。」

「そう。やっぱり襲って来たのは昼間の…」

「あぁ。それになんかでっかい虎と毛深いおっさんがいてよ。仲々、楽しいケンカだったぜ。ま、オレが軽くひねって追っ払ったけどな。」

「追っ払ってどーすんのよ!また襲って来たらどうするの!?」

「大丈夫だよ。明日にでも殴り込みに行くから。」

「取り逃がしたのに、どうやって殴り込みに行くのよ!ドコにいるのか聞きでもしたの?」

「んにゃ、聞いてはないけど、秀さんが目印を付けた。」

「それを早く言いなさいよ。」

 遅れて顔を出した秀樹。それに気付いたはるかは、会話の噛み合わない正友を置き去りにして秀樹と会話を始めた。

「お兄ちゃん、明日、敵の拠点(きょてん)に乗り込むの?」

「そうだな。この未明(みめい)にも向こうの居場所が分かるだろうから、その晩にでも行くつもりだ。」

「誰々と行くの?」

「うーん。それなんだが…話しあいに行くのにも、どうも相手はかなりの手練(てだ)れが揃(そろ)ってるみたいだし、その上、血の気が多いみたいだから俺と正友だけで大丈夫なのかなぁと思ってるんだ。」

「わたしも行く!」

「詩音ちゃんはどうすんだよ?」

 正友が口を挟んだ。

「アンタは黙(だま)ってて!お兄ちゃん、功一さん達に任せたらダメかしら?」


 はるかの言葉に秀樹は考え込みだした。敵の戦力が分からない以上は対抗策(たいこうさく)も立てられない。夜陰(やいん)に乗じて敵の懐(ふところ)に潜(もぐ)り込むのはいいが、逆にそれは敵の囲みの中に自ら飛び込むという危険を冒(おか)す事にもなり、リスクも高い。

 だからと言って戦力を集中するのにも抵抗があった。それはこちらの所在がバレてる以上、自分達がいない間に、別働隊が詩音を狙う可能性も考えられたからである。

「いっその事、詩音ちゃんも連れてみんなで乗り込めばいいんじゃね?」

 慎重(しんちょう)な秀樹に対し、正友が軽いノリでそう言った。しかし、妙案(みょうあん)のように思われるが、戦闘(せんとう)になった場合、誰かを守りながら戦うというのは無理がある話しであった。

「正友!余計な事言わないでよ。お兄ちゃんが混乱するじゃない。」

「いや、いいんだ。今日はもう遅いからお前達も休め。」

 正友を叱責(しっせき)する、はるかを秀樹はなだめ、明日また考えると言ってその場を去った。

「あんたも寝たら?」

 はるかの言葉が聞こえていない様子の正友。正友は詩音の寝顔をほほえましく眺(なが)めて悦(えつ)に浸っている。

「正友!」 はるかが少し声を大きくすると―

「馬鹿ッ…詩音ちゃんが起きちゃうだろ!」

と言って、はるかに注意した。

 

「やっぱりアンタ、そんな趣味があったの?」

「何言ってんだよ。オレは妹みたいに思って、可愛いなと思ってんだよッ。」

「そうなの?」

「そうだよ…ったく。でも、この子がバケモノの血を引いてるとは、とてもじゃないが思えんな。」

「バケモノ!?どういう事?」

「あれっ…言ってなかったっけ?」


 正友は、はるかにさき程の男が言っていた話しを掻(か)い摘(つま)んで説明した。

「そうなの…。」

 思い詰めた顔をするはるか。

「なんか思いあたる節(ふし)があるのか?」

「この子の体って、体温が異常に低いの…低いというよりは“冷たい”って言った方が的確かな。」

「バカな!?…ホントだ。」

 正友が詩音の顔に手を当てると。そう言って驚いた。はるかは詩音の異常さに不安を抱いていて、フェンリルの血が覚醒(かくせい)すれば、詩音とておぞましい化物となって、牙(きば)を剥(む)くのではないかと。そうは思いたくもないが可能性を考えない訳にも行かず、もしそうなったらどうすればいいのかと正友に話すと―

「そんな事は絶対にさせない。オレが詩音ちゃんを守る。」

 と、強く言い切った。えらく気合いの入った正友の一言に、はるかは何故(なぜ)そんなに力が入っているのが不思議に思いながら、皆が帰ったのでベッドに横になったのだが。

 ウトウトしながら幼ない頃の記憶がふと甦(よみがえ)った事により、はるかは「はっ」とした。はるかが小学生の頃。正友は既(すで)に高校生となっていて、自分の面倒(めんどう)をよく見てくれていた。その時の優(やさ)しい姿を思い出したのである。

その時から、フザけるのが好きで、よくからかわれたりもしたが、今ほどイラ立ちもしなかったのに、しばらく会わない内に、何か違和感(いわかん)を感じ、拒否反応(きょひはんのう)を示すようになったのはどうしてなのか?はるかには分からないでいた。それは、年頃の少女が異性として意識した相手に対する特異(とくい)な反応なのだと悟(さと)れるのは、彼女が大人になってからであるのだろう。

 そんな事までは分からないにしても、はるかは過去を振り返った事により、正友を見る目が少し変わった夜となっていた。


―翌日。

 (…誰だろ?こんな時間に…)

 物音に気づき目覚めたはるか。

 早朝から秀樹が、はるかと詩音が眠る部屋に訪れていたのであった。玄関を開けたはるかは寝惚(ねぼ)け顔で、目の前にいる秀樹を見るや、恥(はずか)しさに思わず手で顔を覆(おお)っていた。

「どうしたの?お兄ちゃん。」

「それがな…昨日のヤツ等を見失っちゃってな…。」

「えっ!?どうして?」

「おそらく誰かの編(あ)み出した異空間に逃げこんだのだろう。水ホタルからの通信が途切れたという事から考えれば、そういう事になる。だから計画は白紙だ。」

「じゃあ、どうすれば…。」

「最初に言ってた通り、お前がいない間は俺達が監視(かんし)しておく。ヤツ等の消息(しょうそく)が判明するまで、待つとしよう。」

「分かったわ。」

「…それにしても、ヤツ等の中にはかなりの使い手がいるみたいだな…。」

「えっ!?…どんな人なんだろ…。」

「まだ分からんな…だが、八大心拳のフェンリル[氷獣]心拳の使い手というコト以外はな…。」

「フェンリル心拳!?」

「あぁ。だがその使い手は昨日、“死んだ”と聞いたんだが…俺らの中で言う所の鮎吉師匠のような存在がいるみたいだな。まぁ考えても仕方がない。とにかく、そういう事だからお前はいつも通り学校に行くといい。」

 そう言い残し、秀樹は去っていった。


「はるかー。どうしたのー?」

 登校したものの、詩音の事が気になって集中力を欠くはるか。沙織が心配そうにはるかに言葉を投げかけたが、聞こえていない様子であった。

「はるかー!」 耳元で声を大きくすると、

「痛ぅ~…。」

 はるかは耳を痛そうにした。

「ちょっと、何するのよ!」 

「だって~。さっきから呼んでるのに、反応しないからさー。大丈夫かなと思ってー、それで呼んだんだよー。」

「だからって耳元で大きな声出さないでよ!体を揺すってみるとか、色々あるじゃないっ!」

「そっか!そういう方法もあるねー。」

「んもぅっ…」

「ところで詩音ちゃんはどうなったのー?」

「うーん…それがねぇ~…何かビミョーな感じでさ…」

 昨日からのいきさつを沙織に話すはるか。

「うーん、やっぱもう帰ろ…」

 全てを話し終えると、はるかはそう言い、帰り支度を始めた。

「え~っ…まだHRだよ!」

 驚く沙織を尻目に、はるかはそそくさと家路に向かってしまった。

「お前、どうしたんだよ?」

 はるかが帰ると、部屋には正友が詩音といて突然(とつぜん)の帰宅に驚いているようだった。

「具合でも悪いのか?」

「ううん。詩音ちゃんの事が気になって…。」

「バッカだなぁ~。オレが見張ってるから心配ねぇよ!近くには秀さんもいるしな。」

「お兄ちゃんは?」

「今、寝てるんじゃね?今日は仕事を休むって言ってたけどな。」


「そう…。ところでアンタ仕事は?」

「今日は遅番だからな。で、その後は秀さんが付くって言ってたな。お前がヘンに気を回すコトねーんだよ!ちゃんと勉強しねーとバカになるぞ!」

「わたしはアンタと違って勉強は得意なのよ!なんせお兄ちゃんに教えてもらってるんだからね!」

「秀さんの家庭教師かぁ…あの人、勉強は出来るからなぁ。オレも秀さんから習ってたら東大くらい行けてただろうなぁ…。」

「教わる人によるんじゃない?」

「そうそう。オレが本気出してりゃ、そりゃあハンパじゃないですよぉ。」

「だからそっちの意味じゃなくて…」

 はるかはからかったつもりなのだが、自信過剰(じしんかじょう)でマイペースな正友の思い込みは、自分の都合のいいように解釈(かいしゃく)し、ツッ込もうとしたが面倒臭(めんどうくさ)くなって話題を打ち切っていた。

「…それよりもご飯は食べたの?」

「あぁ、食ったよ。」

「詩音ちゃんも?」

「おぅ。美味しかったよねー。」

 同意を求めるかのような正友の言葉に、複雑そうな笑みを浮かべながらも頷(うなづ)く詩音。

「何を食べたの?」

 と、はるかが詩音に尋ねると、

「インスタントラーメン」と詩音は答えた。

「え~っ!朝からインスタントラーメン!?」

 寝起きからそれはないだろうというリアクションをはるかはしたが、詩音が複雑そうな顔をしたのは違う所に理由があった。

「分かってねぇなぁ。オレはインスタントラーメンを抜群(ばつぐん)の茹(ゆで)で加減で作れるんだぞ!スゲェ~美味いんだからな!多分、ラーメン茹(ゆ)でさせたら、道場六三郎でもオレには勝てないだろな。」

「…それでそのラーメン茹でるのが上手い人は、お昼は何を作るのかしら?」


 力説する正友に、呆(あき)れた視線でそう問いかけるはるか。

「朝は塩だったから、昼は味噌ラーメンで行こっかな。ね、詩音ちゃーん!」

 そう言って、同意を強要(きょうよう)するかのように詩音に向かって首を傾ける正友のしぐさに、詩音をふびんに思ったはるかが怒り出した。

「何言ってんのよ!そんなラーメンばっかり食べられるワケないじゃない!」

「えっ!?…あぁ。詩音ちゃん。しょう油派なのかなぁ?」

「違うわよっ!?」

「じゃあ、豚骨派か。」

「ラーメンから離れなさいよ!同じ物ばっかり食べられる訳ないじゃない!」

「えっ…オレは大丈夫だけど。」

「アンタが大丈夫とか、そういう問題じゃないでしょ!」

「だってよぉ、詩音ちゃんも好きみたいだしよぉ。」

「詩音ちゃんは気を使ってるのよ!…っもう、そんな事も分からないの?」

「…そうなのか。じゃあ詩音ちゃんは何が食べたいのかなぁ…。」

「…しょうがないわね。わたしが作るから、アンタ材料買って来てよ。」

「おぉ!そうか。何買ってくんだ?」

「ハンバーグにしよっかな。」

「おぉ!お昼から豪盛(ごうせい)だな。」

「アンタはラーメン食べるんでしょ?」

「そんな意地悪言うなよぉ~。」

 勉強だけでなく、料理の方も秀樹から習っているはるかは、買出しから戻ってきた正友から材料を受け取ると、手際(てぎわ)よく調理をした。

「お、美味ぇなぁ~。」と、上機嫌(じょうきげん)の正友。

「詩音ちゃんもおいしーい?」

 優しくはるかがそう話しかけると、詩音はコクリとうなづいた。

「良かった。」

「おー!詩音ちゃん、良かったな。朝のラーメンとどっちが美味い?」

「馬鹿なコト訊(き)かないの!」

「んでもまぁ、なんかこうしてると夫婦みたいだな。」

「ちょっと、何言ってんのよ…。」


 唐突(とうとつ)な正友の発言に気恥しそうにするはるか。正友は何気なく思った事を素直に口にしているだけで、特別な意味はなく、はるかの態度(たいど)の変化にも構(かま)わずにアッサリと次の話題に進んでいた。

「はるかはいいよなぁ~。オレも秀さんみたいな兄貴が家に居てくれたらなぁ~。」

 ちょっとでも恥ずかしがった自分が馬鹿みたいに思ってしまったはるか。

 正友の大きな一人言とも取れる話しには付き合わず流そうとしたが、一つ気になった事が頭に浮かび、箸(はし)を止めて正友に話しかけた。

「そう言えば、アンタ買い物がエラく長くなかった?」

「うん、おぉ…詩音ちゃんにおみやげ買ってたからな。」

「おみやげ?何買ったのよ。」

「へへ~。ちょっと待ってろよ!」

 正友は箸を置き、駐車場へ向かうと、両手に大きな紙袋を抱えて戻って来た。

「じゃーん…どうよ!」

 両手に抱えるほど大きな袋の中には、家庭用ゲーム機やらお菓子などが、ぎっしりと詰め込まれていた。

「どーしたのよコレ…?」

「だから買って来たんだよ。」

「アンタが?」

「そうだよ!オレが居ない間に退屈(たいくつ)しないようにと思ってだなぁ、それで遅くなっちゃたんだよ。」

「まぁ遅くなったのはいいんだけど…アンタ仕事行かなくていいの?」

「あっ!?いけねっ…」

 はるかの指摘(してき)に慌(あわ)てて準備をする正友。それを見て、詩音は気の毒だとは思いながらも、ついつい「クスクス」と笑い出していた。

 詩音の笑い声が聞けたので、はるかも正友もひとまず良かったと思ったのは、二人の共通した気持ちであった。そして、正友のぶっきらぼうではあるが“優しさ”に触(ふ)れ、また少し彼を見直すはるかであった。


「うーん…。」

 正友が詩音の為に買ってきた玩具(おもちゃ)は、男の子向けで、袋の中身を全て出したが、お人形の一つもないのに、本当にぶっきらぼうだなと思わず唸(うな)ってしまったはるか。

 遠慮(えんりょ)しているのか何も手をつけない詩音に、一緒にゲームをして、心を落ちつかせてあげようとしたりしている内に、いつの間にやら夕飯の時刻となってしまっていた。

 功一や洋一達が仕事から帰ってきてゲームに没頭(ぼっとう)するはるかと詩音を目撃し、気を利かせて夕飯を買って来た。皆で話しをしながら食べ終えると、遅番の勤務を終えた正友が帰って来た。

「ただいまー。メシは?」

「あっ!…」 はるかが絶句(ぜつく)した。

「ん!?どうしたんだ?」

 正友を迎えた全員が気まずいなという雰囲気(ふんいき)になってしまった。正友の分の食事を用意していなかったからである。それを知った正友は、仕方なく冷蔵庫のあり合わせの材料でチャーハンを作り出した。

「ごめんね。正友のコト忘れてて…。」

「もういいよ。」

 やけにあっさりと、はるかの謝罪(しゃざい)を受け入れる正友。それには理由があった。

「それよりもな。秀さんが園(その)瀬川(せがわ)にホタルが飛んでるからおいでってよ。」

 五月の中旬にもなると、はるか達の住む寮の近くの川では、ホタルが毎晩鮮(あざ)やかな光を放つ。秀樹はホタルが大好きで、はるかも小さな頃、よく一緒に見に連れて行ってもらったのを思い出した。

 今ではその座に美優がいて、秀樹は美優と二人で行く事が多くなっていたが。詩音の事を考え、秀樹は誘いの連絡を正友にしていたのであった。その為に、正友は急いで準備をしていたので、いちいち目くじらを立てていられなかったのである。


 正友が食事を終え、詩音を連れて園(その)瀬川(せがわ)に皆で出向くと、秀樹は既(すで)に中州(なかす)に立ってホタルを愛でていて、その周りを美優がはしゃぎ回っていた。

「エラく水嵩(みずかさ)が減ってんな。」

 中州付近にいる秀樹を目撃し、昨日の大雨が嘘(うそ)のようだと正友は言いたげであったが―

「お兄ちゃんが水はけを良くしたんでしょ!」

 と、はるかに指摘(してき)され納得(なっとく)した。

「お兄ちゃーん!」

「あっ!はるかお姉ちゃんだ。こっちおいでー!」

 はるかの声に元気よく反応したのは美優であった。足元に気を付けながら、秀樹と美優の元へはるか達が向かうと、川辺の草が生い茂(しげ)る中に空いた小さな空間は、人影(ひとかげ)で手狭(てぜま)になってしまっていた。

「ちょっと狭(せま)くね?この草とか切っちゃおうかな。」

「無粋(ぶすい)な事をするなよ。」

 正友の行動をそう言って秀樹が引き留めた。それからまた黙(だま)って秀樹はホタルを見続けだした。水面近くを飛ぶホタルの光。それに焦点(しょうてん)を合わせ、微動(びどう)だにしない。

 詩音を見かけた美優が近くにいるホタルを捕(とら)え、詩音の手をそっと取り、そこへ捕えたホタルを差し出した。握(にぎ)りしめた手の平から詩音の手の平へホタルが渡ると、初めての感触(かんしょく)に怖がりながらもホタルを見た瞬間―

「キレイ…。」と、詩音は言った。

「そっか。ならお兄ちゃんがいっぱい捕ってきてやろうか?」

「無粋(ぶすい)な真似はやめなさいって言われたでしょ!」

今 度は、はるかに正友はたしなめられた。子供達は別として、静かにホタルを見つめている秀樹の邪魔(じゃま)を正友にさせたくなかったのである。


「お兄ちゃんは何で黙(だま)ってるのかな。」

「ホタルが好きなんだろ?」

 はるかの問いかけに、そう答える正友。確かに宵闇(よいやみ)に浮かぶホタルの光は幻想的(げんそうてき)なリズムと色合いで浮かんでは消え、何とも言えない自然美を醸(かも)し出してはいるが。

 秀樹の瞳(ひとみ)は、その“美しさ”という物を愛(め)でる感情以外の物を心の内に秘(ひ)め、そこに佇(たたず)んでいるような気がし、それが何であるのか、はたまた自分の思い過ごしなのか知りたかったのである。二人の話しを聞いた功一が、秀樹の思いを知っていて、代弁(だいべん)しだした。

「秀さんから前に聞いたんですけど、ホタルの光はこの世の物とは思えない色彩(しきさい)で、幽玄(ゆうげん)の世界にいるようだって言ってましたね。」

「幽玄(ゆうげん)の世界?」

 聞き慣(な)れぬ言葉に首をかしげるはるか。

「自分も知らなかったんで辞書で調べたんスけど、幽玄の世界ってのは、この世とは一線を画(かく)した深遠(しんえん)なる美の世界みたいな感じなんですよ。」

「そうなの。なんか分かる気がする。」

「何が分かるんだよ?」

 正友が意地悪(いじわる)っぽく、はるかにそう質問をした。

「お兄ちゃんは多分、気忙しい日常から離れて、この幽玄の世界で心を休めてるのよ。」

 からかうような正友の言い草を気にも留めず、はるかは静かにそう言った。

「秀さんは何かと大変っスからね~。」

 功一は、はるかの言葉にしみじみとそう言いながら頷(うなづ)いていた。


 まだ30代にも到達していない秀樹だが自分よりももっと若い者達を率いて、これまでの激戦を戦い抜き、誰かに頼られる事はあっても、自分自身は誰の世話も受けずに生活をしている日々はさぞかし大変な心労(しんろう)があるであろうことは、居合わせた全員が思っている事で、秀樹の静かさは疲労の裏返しにも見てとれた。

「でもね。それだけじゃないんです。」

 秀樹を気遣(きづか)いながら話していたはるか達に、広介が何か言いたげに入ってきた。

「他に何か意味があるの?」

 はるかの問いに、広介は川面(かわも)のホタルに目を向けはるか達もそちらを見るように促(うなが)し、自分の話しは耳にだけ入れるようにと注意したうえで、話しをしだした。

「鮎吉師匠から自分は聞いたんですけど。幽玄の光を灯(とも)すかのようなホタルも、実際には物質である川の水の中から生まれててですね。この世の物とは思えない美しい光を生み出した川というのは、物質の世界と、スピリチュアルな世界の両面を併(あわ)せ持ってると言えると言われたんですよ。だから精霊流(しょうろうなが)しっていうお盆の供養(くよう)なんかでは、ロウソクに思いを込めて水に流したりするんですね。水は世の中と目では見えない魂(たましい)の世界をも結ぶ接点だという訳です。で、秀さんはどういう思いで川にいるのかというとですね。“想い”と物質が交差するかのような川に、自分の“想い”を重ねてると言うんです。人間には、魂とか心があって、物質である体の根幹(こんかん)にはそれがある。水はその物質である体に取り込まれてゆくものであるだけでなく、“想い”さえも届けてゆく物であるとするなら、それは物質を構成する為の栄養だけでなく、心までも培(つちか)ってくれる栄養素もあると考えられる訳で。自分の“想い”を込めれば、誰かの心を感化させる心の薬にも水はなるのではと思いながら、ホタルを見つめてるんじゃないかと言われてました。」

「誰かってまゆみお姉さんのコトを考えてるのかな…。」

 はるかは秀樹の見つめる先に視点を合わせ、そう呟いた。


「さぁそこまでは…」

「想いを届ける…か。」

 さっきまで水際の草むらに潜(ひそ)んでいたホタルが、フッと何処かへ飛び立った。その姿は、正しく精霊流(しょうろうなが)しのような風景で、それを静かに眺(なが)める秀樹の背中は寂(さび)しそうであった。

 ホタルを見つめる人は、世の中に沢山いるだろうが、こんなに切なくも深い心で見つめている者が果たして他にいるであろうか。美しい光に願いを込める後ろ姿は、思いを告げられぬ相手に対しての会えない辛さや解り合えない孤独(こどく)にあっても、メゲずにその人をなおも想い続ける温かさを内包(ないほう)している。

 それは儚(はかな)くも美しい天上人のようにさえ、秀樹の姿を見させているようであった。せめて気持ちだけでも送ってあげたいという姿は、犠牲的(ぎせいてき)・献身的愛情(けんしんてきあいじょう)の現れであって、その心が秀樹の体を通し醸(かも)し出す空気が情感となり、そういう風に秀樹の姿をはるかに見せていた。

 どれ位の時間が経ったであろうか。短いようで長いような静寂(せいじゃく)。秀樹の姿は、はるか達までをも不思議な世界の住人にいつしか引き込んでいた。そんな事を本人は露(つゆ)ほども知らず、祈るかのように一心に川辺に佇(たたず)んでいる。いつから居たのだろうか。はるか達が知らない間に鮎吉が来ていて、はるかに話しかけた。

「どうじゃな?はるか。」

「えっ!?どうって…?」

「今日お主を呼んだのは、単に詩音ちゃんがいるだけじゃからではない。秀樹はお前さんに伝えたい事があったのじゃよ。秀樹の姿を見て。先輩達の話しを聞いて。思う所があったじゃろ?」

「…うん。お兄ちゃんはあんまり話してくれないけど、色々あったけど、まゆみお姉さんの事を今でも大事に想い続けてるんだよね…。」


「うむ、そうじゃ。どんな行き違いがあったかは儂(わし)も詳(くわ)しくは知らんのじゃが。あのおっちょこちょいのお転婆娘(てんばむすめ)が、いつもの早とちりで勝手な誤解(ごかい)でもしておるのじゃろ。」

「まゆみお姉さんて、そんな人だったの?」

 はるかからすれば、一回り以上も年上のまゆみは、大人の常識を備(そな)えた清楚(せいそ)で綺麗(きれい)なお姉さんというイメージがあったので、鮎吉のコメントが信じられないといった風な感じであった。

「お主は子供じゃったから知らんだろが、あの子は凄く大人で社交性(しゃこうせい)に長(た)けた面もあるのじゃが、一方で感情的で、その癖(くせ)に早合点(はやがてん)するしのぉ。随分(ずいぶん)と秀樹も付き合っておる時は手こずっておったようじゃったぞ。」

「あのまゆみお姉さんが…」

「俄(にわか)には信じられんじゃろうが、あの子はある意味、儂(わし)らを含(ふく)む世間に対して仮面(かめん)を被(かぶ)っておったのじゃろう。無論(むろん)、誰しも何かにつけて自分を装(よそお)っておる物じゃが。あの子は儂にも言えぬ裏の素顔を持っていたのかも知れん。それを唯一(ゆいいつ)話せる存在が、恋人となった秀樹だったのかも知れんのぉ。秀樹は何の弁解(べんかい)もせんから何とも言えんが、この前のまゆみの態度を見ても、何かあの子が誤解(ごかい)をしていて正友にまで怪我(けが)をさせたという雰囲気(ふんいき)じゃった。それでも秀樹はああしてまゆみの事を一心に想っておる。それがあのような行動を秀樹に取らしておるのじゃ。どんなに裏切られ傷つけられても、何の言い訳もせず、相手を想う。その優しさこそが秀樹の強さの秘密(ひみつ)じゃ。お主らの持つ内力。それは原始の炎(ほのお)に端(はし)を発する血液の力が炎や溶岩(ようがん)に類似しておるゆえ、お主や秀樹達のように特別な力を持つ物に対しては“メキド”という名でも呼ばれておるが、それはこの川のようでもあるというのは分かるかのぉ?」


 「うん、うん。」と頷いていたはるかだが、その意味は分からずにいるようであった。それを見て鮎吉は話を続けた。

「水は何と言うた?」

「物質と無の世界の接点…かな。」

「そうじゃ。それをお主らに例えるなら、水は体に流れておるが血液に含まれる水分もある。じゃから水が燃えておるとも言えるじゃろ?」

「…うん。」

「そして水は心にも影響(えいきょう)するし、心の想いや願いも運ぶ。ところでメキドは何に呼応(こおう)しておるのじゃ?」

「心…?」自信なくそう言うはるか。

「そうじゃ。体の動きは心と連動しておる。そしてそれは水が運ぶ、水が心に反応すると燃えるのじゃ。物事には全て一方通行ではなく、相互作用(そうごさよう)がある訳じゃが、今の場合、メキドに関しては何が主体に働いていると思うかのぉ?」

「心…そうだわ!」

「そうじゃ。心じゃ。そしてその心は秀樹のような“優しさ”を持ってこそ、初めて強くなれる。現実の生活でもそれは一緒じゃろうて。柔和(にゅうわ)で謙遜(けんそん)で囲りの人を大事にする。そんな人間は絶対に社会で失敗したりはせんし、人を蹴落(けおと)したり悪口を言わんから人望もあり出世するし、仮(かり)に何かに巻き込まれたりしても誰かが助けてくれる物じゃ。じゃからそういう者は相互関係(そうごかんけい)の理屈(りくつ)から言っても、バトルボールの戦いをしても強いし一社会人としても強いのじゃ。要約すれば正しい心が最も人を強くするという事なのじゃ。なら、正しい心とは何じゃ?」

「うーん…分からない。」

 鮎吉は簡単な事だと言った。

「それは今の秀樹の姿を真似(まね)る事じゃな。」

「お兄ちゃんの?…」


「そうじゃ。それが“悟(さと)り”とかとも呼ばれるフェニックス心拳の奥義でもある“極(きわ)み”の世界じゃ。」

「極みの世界…?」

「そうじゃ。まだ若いお主には酷(こく)な話しをするかも知れんが、簡単に言えば秀樹のような気持ちになれという事じゃな。」

「それはどんな気持ちなの?」

「それは自分で悟るのじゃ。そう遠くない将来、お主には試(ため)される時が来るじゃろう。今日の秀樹の姿を目に焼きつけておくのじゃ。」

「…うん。分かったわ。」

 鮎吉は心配だという視線ではるかを見つめた。そして、嘆(なげ)くようにこう言葉を漏(も)らした。

「…まゆみが正しい道を行ってくれておればのぉ…。」

「…おじいちゃん。まゆみさんは優秀(ゆうしゅう)な伝承者(でんしょうしゃ)だったの?」

「…うむ。歴代の伝承者と比べても、その力は抜きん出ておった。もっとも儂(わし)が知っておるのはあの子の先代と先々代の伝承者までじゃが…。あの子は頭が良かったからのぉ。フェニックス心拳の究極奥義を開眼(かいがん)したのは、あの子だけじゃった。」

「究極奥義?」

「そうじゃ。スーパーウルトラアルティメットスピリチュアルレインボーフェニックスメテオブレイク[超絶究極不死鳥霊號七色神炎破]。三位神の力を召換(しょうかん)するという大技じゃ。あれだけの大技を繰り出すには、並大低(なみたいてい)の技量では出来ぬ。莫大(ばくだい)な熱と力を操(あやつ)るのじゃからな。あの時のまゆみには、今の秀樹もとてもではないが敵(かな)わんのぉ。」

「そんな…お兄ちゃんでも勝てないなんて…。」

「はるかよ。そうではないぞよ。お前しかおらんのじゃ!」

「えっ!?どういう事?」


「まゆみに勝てる存在はという事じゃよ。八大心拳とは言うが、その発祥(はっしょう)は“炎”にある。じゃから、本来はお主の持っておる力が最も強いのじゃ。それが本来の力を持てば神をも凌(しの)ぐ力を得る事にもなるかも知れん。そんな力があるが故(ゆえ)に、扱う者の品格(ひんかく)や倫理感(りんりかん)が唯一(ゆいいつ)問われる心拳でもあるのじゃ。」

「…本来の力がソロモン王の秘宝なの?」

「儂にはそこまでは分からぬ。知っておるのは、おそらく聖なる力と敵対する“女帝”と秀樹だけじゃ。」

「お兄ちゃんが知ってるのは別として、何故、“女帝”が知っているの?」

「それは闇の力でもって、光に匹敵する知恵(ちえ)を得たからじゃ。かと言って、闇が神にも匹敵する実力を持った訳ではない。理論的に仕組みというか構造を知ったのじゃ。お主を上手く利用してソロモン王の秘宝という莫大(ばくだい)な力を手に入れる方法をな。じゃが、今まで話したように物質や力には二面性がある。女帝は力という外的な面を知ったに過ぎぬが、秀樹はその力の根本を知ったと言っておったな。八大心拳の発端(ほったん)が炎であるのと同じように、原始の炎から分岐(ぶんき)した我々も莫大な力の発端は一つ。どちらがその力を得るかは流動的じゃ。じゃが、一つ考えておかねばならぬ。」

「何なの?」

「お主が外的に幾(いく)ら強くなったとしても、“女帝”は相当に手強いという事じゃ。」

「どういう事なの?」

「秀樹が言うには、もしまゆみが“女帝”であるとしたら、聖なる力を正として闇の力を負とすれば、単純にそのエネルギーの変換(へんかん)に、元の力の倍の作用を自体で働かす事になる。だから、“女帝”がまゆみだとすれば、昔の二倍は強いと言うのじゃ。昔のあの子でさえ、今のお主よりは数段強かった。これは大変な事じゃぞ。」

「そうだね…。」

「じゃが心配するでない。フェニックス心拳の最終究極奥義にはどんな力も及ばぬ。」


「最終究極奥義?」

「そうじゃ。まゆみでさえ到達できなかった“力を超える力”じゃ。」

「それはどんな力なの?」

「それは自分で悟(さと)りなさい。一人よがりになるというのではなくじゃな、秀樹や正友やいろんな先輩を見習いながら自分の心を成長させ、その心でもって試練(しれん)に立ち向かうのじゃ。ユダヤ人がこの四国に渡り、後孫にフェニックス神拳の奥義を伝える為に、日本版にアレンジされた剣技が人中極咲疏心剣法(じんちゅうきょうしょうしょしんけんぽう)じゃが、そこには力を超える力を得る為のコツが記されておると秀樹は言っておったのぉ?」

「三宝衣(さんぽうい)という言葉でそこにはこう書かれてあったのじゃ。」

 刃より鋭(するど)きなる知恵(ちえ)

 鉄より堅(かた)き絆(きずな)

 光より迅(はや)き心

「…。」 はるかは何も言えずにいた。

「今は分からんじゃろうが、その時になれば分かるじゃろうて。」

 鮎吉はそう言って小声で笑ったが、まゆみが陥(おちい)った試練(しれん)に自分が立ち向かって勝てるのか不安であったし、もし精神的な戦いに勝ったとしても、自分よりずっと強いかも知れないであろう敵に対した時は、どうすればいいのかと考えるだけで怖かった。

 どこから話しを聞いていたのか分からないが、秀樹が絶句(ぜっく)しているはるかに優しく言葉をかけた。

「はるか、師匠の言ったとおりだ。不安がる事はない。俺が付いてるから安心しろ。いいな!」

「うん!」 と、少し元気づいたはるか。

「あの優しい言い方。よっ、女殺し!」

 正友だけが、この空気の中で浮いていて、KYな発言をまたもしていた。

「アンタねーッ!!」


 せっかくの感動的なムードを台無しにした正友の発言に、はるかは怒ってしまい、完全に人間臭い俗世間(ぞくせけん)になってしまった夜の川であったが。これはこれで賑(にぎ)やかでほほえましい光景であると、鮎吉は目を細めていた。

 と同時に、秀樹と正友のような存在に守られているはるかは幸せであるが、もう少し早く彼ら二人が生まれていれば…まゆみも道を踏み違えるのではなかったのではと思い、次第に胸が切なくなっていた。

 騒々(そうぞう)しさも一段落した所で、秀樹はその場を締(し)めようとして、はるかにもう一度、心について念を押した。

「はるか、人は心だ。真に強い者は心根の優しい者なんだ。心技体というが、技量や鍛錬(たんれん)の頂点には心という文字が据(す)わっているって意味だ。秘宝を解く鍵(かぎ)、そしてそれを扱うのは、何者にも何事にも揺らぐ事のない普遍(ふへん)なる“聖なる心”を持つ事だ!」

「“聖なる心”…?」

「そうだ。光よりも迅(はや)い物、それが心だ。″極導星雲詩(きょくどうせいうんし)″の一節にもある“本郷(ほんごう)”。それが原始の炎の心の部分に中(あた)る。本郷と静心が和合して熱情が炎上(情)するんだ。この意味が分かるか?」

「…分かんない。」

「本郷には空と静心があると星雲詩に記されているが、それは心にも陰(いん)と陽(よう)の二性がある事を象徴(しょうちょう)している。そこで師匠が言ってた話しが問題になるんだが。力を超える力とは、本郷に達して原始の炎の力を得る事が必要なんだという結論になる訳だが、その本郷を象徴する二つの心とは具体的には何なんだという話しになる。しかし、心の世界を理論的に明かす事は不可能だ。だが、今まで俺や師匠達の言った言葉をつなぎ合わせると、観念的(かんねんてき)なというか大枠(おおわく)では形ができてるんじゃないかと思う。お前がこれからの戦いで肌で感じて行くのが望ましいが、俺の老婆心(ろうばしん)として意識に止めて置いてくれたらいいと思い、結論を言わせてもらうが。心の頂点に達すればいいというのが俺の結論だ。」


「心の頂点…?」

「あぁ。そう言うと難しいかも知れないが、もっと簡単に言えば、本当の意味での優しさや良心とは、どういう物なのかを知れという事だな。人間の感情は複雑だが、二大テーマと言うか、感情をコントロールする上で二つの高い心の舵(かじ)のような物が必要なんだ。それが不変で不偏(ふへん)なる力、即(すなわ)ち炎の力や太極の礎(いしずえ)うんぬんという、星雲詩の明かした俺たちの力に結びついていく。その二つの大きな心のパーツを得るのがお前に課(か)せられた使命であり、これから起こる心の試練(しれん)だというのは、はっきりしてると思う。舵(かじ)とか言うと機械的に聞こえるが、倫理感(りんりかん)とか言ったみたいな物だ。惑(まど)わされたり、苦しめ虐(しいた)げられ追い詰められた時。その時こそ、お前の心の真価(しんか)が問われる。お前が…」

 秀樹は肝心(かんじん)な話しをしているのに、急に止めてしまっていた。そして―

「さっそくお出ましか。」と、言った。

「何が?」ボーッとしているはるかに、

「何がって、昨日のヤツらに決まってんだろ!」

 正友が険(けわ)しい目をして空を見つめながら、そう答えた。

~次章へ続く~


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