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本編

 
 「廃棄」という観点から、二人のアフタヌーン四季賞作家について短くまとめたい。
 アフタヌーン四季賞と言えば、王欣太(受賞はGONTA名義)、五十嵐大介、篠房六郎、土田世紀などを輩出しており、レベルの高い新人賞として定評を得ている。
 博内和代と遠藤浩輝。
 粒揃いの歴々のなか、特に傑出しているわけではないが、この二人のマンガは読んだものに、何か不快な違和感を刻み付ける。


 「棄てられた世界 遠藤浩輝」

 
 遠藤浩輝は1995年『きっとかわいい女の子だから』で四季大賞を受賞した。
 遠藤浩輝は「生きることの痛み」を表すために「体の痛み」を露骨に顕す。見る人によっては眉をひそめるほど、その描写は痛々しい。しかし痛みとは、生への執着の象徴であろう。故に、痛みから逃げた人間は死ぬ。「痛み」を真正面から、まざまざと。主人公を我々の身近な「なりたいもの」に据えては、えげつなく汚し、耐え難い痛みを残し、無残に棄てるのだ。 「遠藤浩輝短編集1」に収められている、「カラスと少女とヤクザ」に顕著である。
 ヤクザと心を通わせた少女は死ぬ。死んだ少女はカラスに啄ばまれ、カラスの羽ばたく音を聞いて、長らく被っていた、ヤクザという殻を破った男。強い殻を失った少年は、あの日羽ばたけなかった小鳥の代わりに飛ぶ。
 彼の言う愛は盲目的で、博愛と言う他無い。しかし神の、そして楽園の欺瞞も知ってしまっている上で、やや厭世的な描き方をする。
 遠藤浩輝の代表作(と、勝手に言わせてもらう)の「EDEN」は、エデン――楽園を棄てるところから物語は始まる。
 爾来、楽園とは禁断の果実を食べてしまったアダムとイブが、追われるものであった。この「EDEN」では、読者のそんな予備知識を褒め称え嘲笑うかのようなエクソダスが用意される。それは正に必然的な逃避であり、世界の廃棄である。(ヘリが来りて脱出せらるる場面など正に空中携挙そのものである)  しかし、棄てられるのは日常ではない。ある日、踏み入れてしまった非日常を破壊し、日常に立ち返らせる為の、いわば循環の為の廃棄。
 遠藤浩輝の描く廃棄とは、過去への回帰を黙示している。
 

 「棄てられた人々 博内和代」

 
 博内和代は1997年『チャックのある風景』で四季大賞を受賞した。
 博内和代は寡作だが素晴らしい作家だ。しかしその知名度は低く、wikipediaにも記載がない(別名義の世棄犬はヒットするが)。
 読者に与えられる情報は僅か。しかし、物語の骨子である。読者は何も分からない、亡羊の様で放り出される。  捨てられたものが流れ着くのは、どこかの海辺。博多和代名義での最新作(遺作とは呼びたくない)『SEA SIDE SOUVENIR』では、捨てられた人々が描かれている。
 人は捨てられて、一体どこへ行くのか。何を思うのか。
 ガラクタの流れ着く浜辺で、偽装家族を演じ、普段の生活をしてみせる彼らは、「廃棄」てられたものはもともと、何かを自分で動じた結末なのだと、なんとなあく悟り出すのだ。
 我々がこの世に産まれ落ちてからというもの、最も意義深く棄てるものとは「貞操」であるが、その観念まで捨ててしまったものは最早ケダモノ――犬畜生だろう。
 両者とも、容易くセックス描写は描くが、その価値を貶める真似は決してしない。
 遠藤浩輝が描く、楽園の、そして極道のセックス&ドラッグとは、日常に付随したなくてはならないもの――骨太なものだった。
 博内和代の描く海辺のおとぎ話のセックスメンタリティとは、ひどく純粋で脆く、現実的でない。しかしそれはキャベツから生まれる神聖性を説いているのではなく、特筆すべきものでもない、人の性には恐らく付き物であろうという、蓋然性の現れである。
 あって当たり前のものをあえて描く必要はない、そんな、俯瞰した視線の冷たいスーブニール。
 棄てる、という行為は神聖で、欲求に囚われない理性的な動機で蠢動する。
 それが生物におけるセックスである。
 人は廃棄るのだ、日常を。偶像を。理想を。過去を。
 何かを得るために。


 蛇足

 おわりに……推薦しておいて、こんなことを言うのはルール違反だとは思うが、じつは現在、博内和代の漫画を読む術は無い。博内和代は、博内和代名義では単行本を出版していないのだ。短編を4つ、同一雑誌に掲載されていながら、である。
 なので当然、私の本棚には博内和代が印字された本は無い。少し前までアフタヌーンの切り抜きを所持していたのだが、それも引越しのドサクサでどこかへ棄てられてしまったらしい。
 ちょっとこれ本当にアフタヌーンって言うか講談社さんどうなってんですか。十分「博内和代短編集」だせる分量でしょうが、今からでもいいから単行本出して下さい本当に(実はこれが一番言いたかったのだ。)
 記憶からも消えてしまえば、永遠に創作物は廃棄されたまま、なのですから。

 

 


遠藤浩輝作品
連載作品

 •EDEN 〜It's an Endless World!〜(月刊アフタヌーン1997年11月号-2008年8月号、講談社)全18巻

 ◦メルトダウン(アフタヌーンシーズン増刊、講談社)2002年 連載中断

 •第一話「EPIGONEN」(アフタヌーン3月号増刊 Spring Vol.10)

 •第二話「NEUTRAL SEX」(前編)(7月号増刊 仲夏号 Vol.12)

 •第三話「NEUTRAL SEX」(後編)(9月号増刊 初秋号 Vol.13)
 •判定試合上等!(メカビ、講談社)2006年Vol.1 - 連載中

 •オールラウンダー廻(イブニング 2008年No.24 - 連載中、講談社)

短編集

 ◦遠藤浩輝短編集1

 •カラスと少女とヤクザ(1996年、月刊アフタヌーン、講談社)

 •きっとかわいい女の子だから(1996年、月刊アフタヌーン、講談社)

 •神様なんて信じていない僕らのために(1997年、月刊アフタヌーン、講談社)
◦遠藤浩輝短編集2
•プラットホーム(1996年、月刊アフタヌーン、講談社)

 •女子高生2000(1999年、アフタヌーンシーズン増刊、講談社)

 •Hang(2000年、アフタヌーンシーズン増刊、講談社)

読み切り(単行本未収録)

 •catch as catch can(2003年、週刊ヤングマガジン2号、講談社)

 •Hang II(2006年、月刊COMICリュウ、徳間書店) ◦前編(11月号 Vol.1) •〜ズレ違い〜 後編(12月号 vol.2) ■初出『日本ふるさと沈没』(2006年、徳間書店)の「Sink←→Float(すれ違い)」に加筆(2006年、徳間書店)

 

 

博内和代作品
博内和代 名義
「月刊アフタヌーン」(講談社)掲載

 •チャックのある風景(1997年)

 •外環視点(1998年)

 •バナナ チ○コ(2000年)

 •SEA SIDE SOUVENIR(2002年)


世棄犬 名義
単行本(すべてR18)

•DOG MAN(1996年、司書房)

•DOGMAN SCRAP(2005年、コアマガジン)上記の再録本

•世棄犬廃品集Ⅰ(2008年、メディアックス)

•世棄犬廃品集Ⅱ(2008年、メディアックス)

 


宮崎駿の中の諸星大二郎と手塚治虫の亡霊


1.風の谷のナウシカと諸星大二郎。

 宮崎駿のまんが作品である『風の谷のナウシカ』は独特なタッチ(線画)で描かれたまんがだ。
 柔らかでどこか懐かしいような絵柄、宮崎駿本人が自分の絵柄自体は東映動画のアニメーターの仕事をしているうちに固まったと語っているが、このまんが版ナウシカはアニメーションの作画とはまた違うタッチで描かれている。
 「何に似ているんだろう」と考えた時に、ふと諸星大二郎の独特で不気味なタッチが頭をよぎる。
 宮崎駿は諸星大二郎のファンで有名だし、実際に「『風の谷のナウシカ』 はほんとうは諸星さんに描いてもらいたかった」という発言までしているので諸星大二郎のタッチが『風の谷のナウシカ』に影響を与えているのはありえそうな話だ。
 それに宮崎駿の諸星大二郎へのオマージュは『風の谷のナウシカ』にとどまらず、他の作品にも見ることができる。例をあげれば『千と千尋と神隠し』にでてくるカオナシ。あれは諸星大二郎の『不安の立像』に出てくる影法師に酷似しているし、『崖の上のポニョ』に出てくるポニョとグランマンマーレは『栞と紙魚子シリーズ』のクトゥルーちゃんとそのお母さんにそっくりだ。『天空の城ラピュタ』に登場するあの有名な「バルス」という言葉も『マッドメン』の中にでてくる言葉が元ネタだと推測されている。
 日本人なら誰でも知っていて国民的な人気を誇る宮崎作品に、実力派や天才と評されながらもまんが好きにしか読まれないカルト作家の諸星大二郎が影響を与えているというのは奇妙な話である。
 何故、宮崎駿は諸星大二郎を自分の作品の中に取り入れるのだろうか。もちろん好きだから、というのもあるだろう。しかし、このテキストはそれだけではなく宮崎駿が諸星大二郎を取り入れる必然性をその宮崎駿の原点である手塚治虫から探ってみたものである。


2.原点にして最大の壁、手塚治虫。

 宮崎駿の原点は手塚治虫である、というのは有名な話だ。
 これについては宮崎駿本人が語っている。

「僕らの世代が、戦後の焼け跡の中で『新宝島』に出会った時の衝撃は、後の世代には想像できないでしょう。まったく違う世界、目の前が開けるような世界だったんです。その衝撃の大きさは、ディズニーのマネだとか、アメリカ漫画の影響とかで片づけられないものだったと思います」

 このコメントは2009年に手塚治虫展が開催された時に読売新聞が行ったインタビューからだ。十代の頃の宮崎駿は手塚治虫に衝撃を受けまんが家を目指したことが今のアニメ映画監督になったきっかけとしている。
 しかし、宮崎駿は手塚を原点としながらも「手塚治虫と格闘してきた」と語る。どうも、ファンとして尊敬するというような単純な存在ではなかったようだ。
 宮崎駿のエッセイやインタビューをまとめた『出発点』という本の中に『手塚治虫に「神の手」をみた時、ぼくは彼と訣別した』という記事が乗っている。

 十八歳を過ぎて自分でまんがを描かなくてはいけないと思ったときに、自分にしみ込んでいる手塚さんの影響をどうやってこそぎ落とすか、ということが大変な重荷になりました。
 ぼくは全然真似した覚えはないし実際似てないんだけど、描いたものが手塚さんに似ていると言われました。それは非常に屈辱感があったんです。模写から入ればいいと言う人もいるけどぼくは、それではいけないと思い込んでいた。それに、手塚さんに似ていると自分でも認めざるをえなかったとき、箪笥の引き出しにいっぱいためてあったらくがきを全部燃やしたりした。

 これはわかりやすく宮崎駿の脱手塚治虫思想が見てとれる記事だ。

 さらに、宮崎駿は手塚治虫をストーリーまんがを作った人としては評価しているが、アニメーションに関しては、手塚治虫が喋ってきたことや主張したことはすべて間違いであると指摘している。
 どうして手塚治虫がそんなことになってしまったのか、宮崎駿はエッセイの中で考察している。

 なぜそういう不幸なことがおこったかと言えば、手塚さんの初期のまんがをみればわかるように、彼の出発がディズニーだったからだと思います。日本には彼の教師となる人はいなかった。初期のものなどほとんど全くの模写なんです。そこに彼は独自のストーリー性を持ち込んだ。持ち込んだけど、世界そのものはディズニーにものすごく影響されたまま作られ続けた。結局、おじいさんを超えることはできないという劣等感が彼の中にずっと残っていたんだと思います。だから「ファンタジア」を超えなきゃいけないとか「ピノキオ」を超えなきゃいけないとか、そういう脅迫観念からずっと逃れられなかったとしか思えない。

 この「おじいさんを超えることはできないという劣等感」という語りそのものが宮崎駿本人が手塚治虫に対して抱えていた劣等感ではないだろうか。
 だからこそ必要以上とも思えるくらいに手塚治虫を批判し、嫌悪し、戦ってきたのではないだろうか。


3.諸星大二郎という手塚治虫へのアンチテーゼ

 この宮崎駿と手塚治虫の関係の中にぴょこんと飛び込んでくるのがこの諸星大二郎だ。とはいえ、直接的に2人の間に係わる人物ではない。
 しいて関係性をあげるのならば諸星大二郎は手塚賞をとったことで有名になり、本格的な作家活動に入ったということで、手塚治虫にはゆかりのある人物である。
 第7回手塚賞受賞作である『生物都市』はきわめて独創性の強いSF作品で当時選考員をしていた筒井康隆もあまりの完成度から類似作品があるはずだと思いながらも、何も思い当たらず、手塚治虫も負けず嫌いで滅多に人を誉めたりしないのだけど「諸星さんの絵だけは描けない」と賞賛したほどだ。
 諸星大二郎は、その後も神話を大胆に取り入れたフェイクフォークロアともいえる作風の『暗黒神話』や『妖怪ハンター』などを発表し、今だに多くの読者に愛されている実力派のまんが作家になっている。

 しかし、実際には手塚治虫が手放しで誉めていた、というわけではなさそうだ。
 1979年に発刊されたまんが専門誌『ぱふ』の特集「諸星大二郎の世界」の中にある『諸星大二郎を語る』という手塚治虫へのインタビュー記事がある。

 これは絶対的にいいとおしたのが僕と筒井康隆さんなんですよ。つまり、僕達はSFズレしてましてね、これは何の影響をうけた作品かとか、これは何と何を読んで生みだした発想かなんて、大抵のSFまんがはわかってしまうわけです。
 それが初めて諸星さんの「生命都市」を読んだ時、これはどういう発想をしたか知らないけど奇妙な感覚をもっているなあ、と思いましたね。だから諸星さんの場合は画とか物語よりも、その奇妙な雰囲気がまず第一印象でした。それはまあ、SFまんがの”新しい波”といった感じで、僕達は認めたわけです。

 といった風に賞賛する一方で

 ところが残念なことにね。まあこれは苦言なんだけれど、諸星さんの画は洗練された画とは言えないわけです。
 もっともあくまでその画風というのは「COM」とか「ガロ」とかの系列であって、つまりマニアの人達に向けて彼はメッセージを送り続けているわけです。

 画について、一時は「真似できない」と誉めながらもここでは「洗練された画とは言えない」と苦言を述べている。

「暗黒神話」みたいなものが本当にまんがとして優れた素晴らしいものかというと、少し奇想天外な、いわゆる”まんが”としての要素もいれてもらいたいという気がしますね。そういう意味ではあの奇妙な動物がいっぱいでてくるのがあるでしょ、「ど次元世界」ね、あれの方が僕は好きだな。つまりね、あれだとわけがわからんながらもともかくおもしろいですよ。

 『暗黒神話』は諸星大二郎の中でも特に高い評価を受けている諸星独自の作風をもった作品だが、手塚治虫はそれをそこまで高く評価していない。むしろ『ど次元世界』という既成のコメディマンガを描いた作品の方が好きだと語っているのである。
 注目すべきは「あれだとわけがわからんながらもともかくおもしろい」という発言だろう。これはまるで「暗黒神話」がわけがわからなくてつまらないとでも言いたいかのようだ。

 この記事でわかることは手塚治虫は最初はニューウェーブとして諸星大二郎を絶賛し、賞を与えたものの、その後、今だにニューウェーブでありつづけ、独自の路線を行く諸星を批判しているようだ。

 諸星大二郎への評として間違ったものだとは思わないが、矛盾をはらんだ評だとは言えるだろう。
 もし、手塚治虫を嫌いで諸星大二郎が好きな宮崎駿がこのインタビューを読んだらどう思うだろうか。
 おそらくこの矛盾に手塚治虫の没落を見るのではないだろうか。
 一度は「真似できない」とまで画風を評価しておきながら、後から洗練されてないと否定することは負け犬の遠吠えのようにも聞こえるし、ニューウェーブであることを誉めながらも、独創的な発展作については「理解できなかった」ともいえる発言をしてしまっている。
「そらみたことか! やはり手塚治虫は終わったのだ!」と宮崎駿が小躍りしそうなインタビューだとは言えないだろうか。

4.手塚治虫の亡霊はいなくならない

 宮崎駿の原点は手塚治虫である。
 しかし、それが故に宮崎駿は手塚治虫から脱却せねばならなかった。
 この感情は自分の原稿を燃やしたことからみてもかなり強いものだったと思われる。
 また手塚治虫がクリエイターとして落ち込んだ理由も「原点から脱却できなかったせい」だと考察している。これは自分の感じていた焦燥の裏返しともとれ、宮崎駿自身がかなりの強迫観念を味わっていたものだと考えられる。
 おそらく「脱手塚治虫」から始まり「打倒手塚治虫」になり「手塚治虫のようにはなるまい」とさえ考えていたのではないのだろうか。

 そんな手塚治虫と戦ってる最中に出会ったのが諸星大二郎だ。
 この作家は手塚賞を受賞し、手塚治虫本人に「この画は真似できない」と言わせたほど独自な画を持っていて、一度はニューウェーブとして認めさせながら、さらにそれを発展させ、手塚治虫を置いてけぼりにするほどの才能をもった漫画家である。
 手塚治虫に認められながらも、手塚治虫の影響下にいない諸星大二郎という作家に、作品の優劣や好み以上の憧れや羨望を持ったとしても不思議な話ではないだろう。

 手塚治虫は時代を越えた作家である。今でもその作品は生き、影響力も強いままだ。宮崎駿もすでに時代を越えた作家になりつつあるが、それでも作品を発表する限りは、これからも手塚治虫という呪縛から全て解放されることはないだろう。
 だからこそ、宮崎駿は自分が自分であるために手塚治虫の影響下にない諸星大二郎をオマージュとして使い続けているのではないだろうか。
 宮崎駿も、諸星大二郎も巨匠として今だ現役の作家である。宮崎駿は自分で手塚治虫を越えた、もしくは別の世界で戦っていることを納得できるのか、そして、諸星大二郎は手塚治虫がいうように、マニアの人達に向けてメッセージを送り続けたまま終わってしまうのか、これからの2人の行く末が楽しみである。


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