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絶好のロケーション 時代劇から現代劇まで

 五重塔は、寛永21年(1644年)の建立。総高36.18m。東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の屋根の大きさにあまり差がないので、下に立つと塔が自分に迫ってくるようで圧倒されます。初重西側には、大日如来を示す梵字の額が懸けられています。

 五重塔の奥に九所明神があります。仁和寺の伽藍を守る鎮守社です。社殿は本殿・左殿・右殿の三棟があり、八幡三神を本殿に、東側の左殿には賀茂上下・日吉・武答・稲荷を、西側の右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の計九座の明神を祀っています。 


            


 実はここがロケの一番多い場所。「暴れん坊将軍」「鬼平犯科帳」「大奥」と悪者から逃げてきた娘が社の前で一息ついていると、塀の向こうからならず者が笑いながら現れる。あるときは人目を避けて怪しげな取引が行われる。お庭番や忍者がツナギをとっているのもよく見かける。気に食わぬ者を連れ込んでヤキを入れようとする一団もいるといった具合で、ほどよく褪色した玉垣、憎い配置の織部灯籠、まるで時代劇のためにセットしてくれたかのような場所なのですね。 メイド刑事では、若槻葵役の福田紗紀ちゃんが走り抜けたシーンもありました。

 金堂は、仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂です。慶長年間に徳川家光によって造営された御所・内裏紫宸殿を寛永年間(1624〜43)に移築したもの。

 現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝える建築物として、国宝に指定されています。堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれています。

 御影堂は、鐘楼の西に位置し弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を安置しています。慶長年間造営の内裏 清涼殿の一部が下賜され、寛永年間に再建されたもので、蔀戸の金具なども清涼殿のものを利用しています。


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トイレも修行の一貫だった!

 ところで、大額の妙の字が変なのにお気づきでしょうか ?「玅」の字は元は「妙」でした。禅寺というところから女性を避けて女偏を「玄」に変えて、「玅」という字になったと伝えられています。 

 禅宗のお寺は、三門から法堂、金堂までが一直線になっています。

 三門の四方には屋根を支える補助の柱が備えられています。これは豊臣秀吉が修理を行った際にずれを発見し、付けられた事から、太閤柱と呼ばれているます。

 浴室もまた室町時代のもので、中央板敷を洗い場とする蒸し風呂になっています。京都最古の浴室建築の遺構です。昔はサウナみたいなお風呂だったんですね。 

 禅宗のお寺で東司(とうす)といえば、便所のことです。通称百間便所や百雪隠(せっちん)といいます。室町時代唯一の東司の遺構として貴重なものです。36個の壷が二列に並べられ、大勢の僧が一度に用を足す事ができました。

 トイレも食事も禅宗の僧侶たちにとっては皆修行でした。東司へ行くにも厳しい作法が定められていたと言います。行列をなして用を足したのもそれ故でなんですね。

              

 禅堂は、南北朝時代の建造物で、別称、僧堂、選佛場ともいう座禅専修の道場ですが、中世期より現存する最大最古の禅堂で。鎌倉風の花頭窓と格子窓、弓形の木を並べた波欄間、鏡天井などが見どころです

 本堂は、昭和の木造建築中最大の建物です。内部は禅式床瓦敷とし、正面須弥壇上に本尊釈迦如来立像、脇に摩訶迦葉尊者 阿南尊者、四天王を安置しています。天井の画龍は堂本印象氏の作、龍の大きさは体長54m・胴廻り6.2mに及んでいます。

 かつての仏殿には15mの大仏がありました。左右の観音・弥勒両菩薩像は7.5mで,新大仏寺の名で喧伝され,足利義持・豊臣秀吉・徳川家康らによって保護修理も加えられました。本体が焼けてしまったため、現在は、東福寺の仏殿の東北隅に、約2メートルほどある左手がまつられている他、芬陀院 始め、各塔頭に焼け残った連弁が飾ってあります。

 仏殿の一番右の柱は日蓮柱と言います。日蓮上人は、東福寺建立時 開山聖一國師とは学問の事で語り明かす間柄でした。創建にあたり資材の一部を寄進しました。


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