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第五回 歴史的大敗の日に

 2014年FIFAワールドカップ。

 ブラジルが1対7でドイツに歴史的大敗をした日、夫の祖母が亡くなった。

 7日から8日の変わり目に亡くなったので、8日がお通夜、9日が葬儀と埋葬だった。93歳という年齢もあってか、参列者には確かな悲しみと、そして確かな納得とがあったように思う。

 それによって私は歴史的敗戦を観なかったが、敗戦以上に驚いたのは、8日の17時からブラジル戦だったので、斎場が15時までしか埋葬を行わないということだった。

 どういうことかというと、ワールドカップ期間中、ブラジルの試合がある日はブラジルの公的機関は全て休み、もしくは半休となっていた。役所も郵便局も銀行も公立学校も、あらゆるところが休みだった。

 そういった背景での斎場休み。(ちなみに斎場自体は24時間開いていたのでお通夜への出入りは自由だった)

 休むほうも休むほうだが、それがまかり通ってしまうお国柄がすごすぎる。

 

 人がいなくなるのは一瞬のことで、個人のその一瞬は二度と戻らないが、その一瞬が地上から尽きることも決してない。

 明日が確実にやって来るのかは分からない。

 だから今を懸命に生きられればいいのだけれど、今日も私はぼんやりと一日無為に過ごしてしまった。

『気持ちは決まってるの?』

 数週間前、夫は私にそう言った。

 今年中には子供作りたいよ、そう話していた時だったので、一体どんな気持ちなのか分からなくて私は返事ができなかった。

『去年、あなた死にかけたんだよ』

 なんか、文章にすると小説みたいで嫌な感じがするのだが、実際夫はそう言った。私は去年末に流産をして掻爬手術をしたのだけれど、術後に全身にガスが溜まって再入院した。

 検査結果は幸い異常なしだったけれど、なにせ痛みがひどくて夫をえらく心配させた。正直私もこのまま死ぬかなと思ったりした。でも、死ぬかもと思っても死にたくないとは思えなかった。ベッドの上で痛みでうんうん言っていて、これで死ぬんだったらもう仕方ないなと思っていた。だってもう仕方なかった。痛いと言う以外、他に何もできなかった。

 

 結局死ぬほどではなかったわけだけど、流産も三度目、その度大出血、入院をしていれば、夫が『次は助からないかも』と思ってしまったのも仕方ないように思う。また本当に、助からない場合もあると思う。

 それを受けての『気持ちは決まっているか』なんだけれど、それは言い換えれば『死ぬ準備はできているのか』と言うことで、私にそんな準備は当然できていなかった。どころかその瞬間、『あの小説書くまでは死ねない』と私は思ってしまっていた。

『仕事と私とどっちが大事なのよ』って、あれ本当に言う奥さんっているのか。

 ともあれ、仕事か家族かは男にとって究極の選択だろうが、女にとっても似たようなもので、ときには自分の命と出産とを秤にかけなければいけなかったりする。うまくいけば両方助かるだろうが、うまくいかなかったら両方助からないわけで、そのリスクを背負ってでもそうしたいのかと考えると、うーんと袋小路に入ってしまうのである。

 と言っても考え込んでいるわけでなくて、これまたなるようにしかならんのではと思っている。覚悟なんか結局私はできないまま、その時の勢いで色々決めてしまうんだろうと思う。でも私は何も死んでもいいと思っているわけではなくて、寧ろ最後まで生き抜いてやると思っている。ただ、もし向こうからそういう時が来たのなら、それは仕方ないんじゃないかと思っている。

 明日が確実にやって来るのかは分からない。 

 だから今を懸命に生きられればいいのだけれど。

 

2014年7月14日

 

 

 

 

 


第四回 教育と倫理

 第四回を書き出す前に第三回に書こうと思っていて忘れてしまったことを追記しておく。

 第二回の中で、出典不明のまま「戦後に日本人が隷属国にならなかったのは教育の賜物云々」と言うことを書いたが、後にこれは戦後ではなく「黒船来航時」だったのではないかと思った。どちらにしても出典不明なので今後は余りそういう記憶の曖昧なものは書かないようにしようと反省した。

 また、日本から持ってきた聖☆おにいさんを試しに夫に見せてみた。夫はクリスチャンではないが若い頃から信仰心の強い人で、怒りはしなかったものの案の定微妙にいやーな表情をしていた。曰く「これはねー……ブラジル人には見せない方がいいと思うよ」。非常にかるーく禁書を持っている気分である。

 キリスト繋がりで一つ思い出したのだが、テレビでものすごいマジック(水の上を歩いたり突然消えたりする)をしている人がいて、何気なく「そういえばイエスも当時のすごいマジシャンだったって言う人もいるよねー」と言ったら冗談ではなく本当に顔色を変えて不機嫌になってしまった。

「神聖なものとして禁制する」と言うのがタブー本来の意味だとすると、本当に神と言うのは(特定の場所では)軽々しく口に上らせると身の危険に関わるものなのだなと思った。ちなみに、ブラジルでの他人との会話の三大タブーは、宗教、政治、そしてサッカーと俗に言われている(らしい)。喧嘩になっちゃう、と言うかチームのサポーター同士で人が死んでしまう事件も起きているようなので。「ブラジル人の血にはサンバが流れている」とも聞いたけど、ラテンの血って熱く激しやすいのは本当の気がするのよね。

 以上、第三回の追記である。

 

 教育と倫理なんて仰々しい題をつけてしまったが、一般論ではなく自分の経験に基づいて書いてみたいと思う。

 また、ここで言う教育とは学問としての学校教育ではなく、躾に近い道徳教育だと言うことを先立って述べておく。

 私は幼児期、そして思春期を通って成人となるまで、ごく近くで男女のもめごとに深く胸を痛めてきた。それが大きなトラウマとなったことは確かで、実に二十代の終わりまでそれを乗り越える為に生きてきたと言っても過言ではない。

 しかし、今はお蔭様で傷跡も見えないほどになっているが、ここに来るまでには様々な出来事と葛藤、思索とそして導きとがあった。今回の話は、このような中で私が体験した一つの興味深い出来事である。

 ブラジルに来た二〇〇三年当時、私は今いる所から約千五百キロ離れた大農場の中で暮らしていた。夫の親戚のもので、夫は当時そこで働いていたのである。三千ヘクタールの農場には大豆、とうもろこし、綿花が植えられており、遮るものがなければ五キロ先のトラックが見渡せることを私は初めて知った。地平線と同じ高さに浮かぶ雲や、灯りのない真っ暗な中で眺めたミルキーウェイと流れ星は今でもよく覚えている。

 ところでその農場で働いていた料理人の女性と言うのが私の倫理観を綺麗にぶち壊してくれたのだった。

 もう何年も会っていないが私は彼女――Lとしておく――が好きだったし、今でも時折懐かしく思い出す。初めに言っておくと、彼女の倫理観がどうであれ、私が彼女に嫌な印象を持ったことは一度もない。

 Lは多くのブラジル人がそうであるようにイエス・キリストを信仰していた。日本から来たばかりで言葉も分からなかった私を暖かくもてなし、そして事あるごとに神の名前をその口に上らせた。そしてLはまた一部の(と思いたい)人がそうであるように節操がなかった。と言うよりも、節度がないことが悪いと言う認識そのものがなかったのである。

 Lは離婚していた。そんなことは大した話ではなかった。はっきりとは知らないがLは私と会った時三十代半ばから四十代前半だったと思う。十五かそれくらいのJと言う娘さんがいて、彼女は農場ではなく別の町に住んでいたが、時々農場に遊びに来ていた。

 Lには一人部屋が与えられていたが、ベッドは二つ置かれていた。当然娘のJはそこに寝たが、隣のベッドでLは恋人と一緒に眠っていたのである。

 Lは離婚している。つまり恋人がいても何ら問題はないわけで、Jも新しい父として彼を認めていたのかも知れない。そうであるならば一つの部屋に皆が寝るのはなんと美しい家族愛の形であろう。なんて綺麗に話がまとまるわけがない。

 この男性ではないのだが、後にJは農場の男性と付き合うこととなる。この相手と言うのが、実に一時はLの恋人だった男性なのである。そしてJは確か十六だかそこいらで子供を産んだが、(父親がLの恋人だった男性かどうかは知らない)結局全く面倒をみずにLが育てていると噂で聞いた。全く小説のような話だが、私は時にLのパン作りを手伝って、Jの子供もこの手に抱いた。

 日本ででもあればとんだ愛憎劇になりそうなものだが、ブラジルだからか何なのか、LもJもいつもあっけらかんと笑っていた。LもJも日々辛いことも悲しいこともあったろうと思うが、しかし、これらの異性関係に限っては二人はよよと嘆き悲しむどころか、申し訳ないだとか恥ずかしいだとかそういう感情さえ持ち合わせていなかったことと思う。Lは新しい恋人を見つけ、Jは子供の面倒をみなかったがフェスタに繰り出しては踊っていた。

 この一連の出来事で私が感じたことと言えば、倫理にもとる行為に関する嫌悪ではなく、一体私が悩んできたことは何だったのかと言う疑問である。

 Lにとって神とは何だったのか。信仰とは何だったのか。

 果たして浮気や不倫の一つや二つは人生に亀裂を入れるものなのだろうか?

 と言うことさえ私は考えてしまったのである。つくづく物書きとは面倒な人種である。

 無論この出来事に日がな一日かかずらっていたわけではないのだが、最近になって私は一つの答えの可能性を見つけた気がするので記録しておく。

 倫理と言うとまるで「人が人として持っていなければならない共通認識」と思いがちだが、狼少女が存在したように、倫理とは教育によって初めて持ち得るものなのではないだろうか。

 カニバリズムや人身御供は禁忌であると言うのが今の一般的なものの見方であると思う。しかし、最近必要にかられて日本の歴史を読み直しているのだが、弥生時代には卑弥呼の鬼籍入りに際して人を生き埋めにしていたのに対し、次の古墳時代には埴輪を埋めているので、この変わり目に恐らくは大陸からの渡来人が「生き埋めは人道に反する」と言う倫理を持ち込んだのではないかと思う。尚、これはあくまで私の想像と付け焼刃の知識なので参考程度に読んで頂きたい。既に似たことを書いた人もいると思うし、古墳時代にも生き埋めはあったかも知れない。日進月歩、史実は明らかになっていることと思う。

 日本の衆道がキリスト教によって邪道扱いされたように、倫理はグローバリゼーション、シビリゼーションと共に姿を変えてきたように思う。つまり、幼児期に叩き込まれる倫理は時代、国、民族、地域、或いは家庭によって姿を変えるものだと思う。

  話が反れたが、要は私が浮気や不倫は非道と思う環境に育ったと言うことに行き着くのである。そういう環境の中ではとかく当事者たちは傷つけ合うので、当然周りも火の粉を被る。(ところで日本も平安朝には男女共におおらかな恋愛を楽しんでいたようだが、やはり「姦淫せず」を植えつけたのはキリスト教なのだろうか? どうも脱線するなあ)

 だが今、私は傷ついたことよりも寧ろ、そう言った倫理が自分に備わったことに感謝と驚きを感じずにはいられないのである。

 誰彼構わず身を許すのは自分の魂を貶めていることに他ならない。肉体のみで人と関わるのは相手を愛しているのではなく自分の欲望を満たしているだけである。人を裏切るのを恥と思い、人を傷つけては胸を痛める。

 そういう「当たり前」だと思っていた倫理観が当たり前に根付いたものではないのだと思う時、私は自分の中に長い歴史と文化の姿を見るのである。誤解のないように付け加えておくと、勿論ブラジル人全員がLと同じだと言うことではない。日本人全員が私と同じ考えではありえないように。

 倫理と近しい言葉に「良心」と言うものがあるかと思う。こちらの方がより「人間が生まれながらに備えているもの」と言うニュアンスが強いような感じがする。しかし以前「生まれながらにして良心がない人が数パーセント確実に存在する」と言う本の広告を見た。この本はいつか探して読んでみたいと思うが、私はやはり人間の「はじめ」は肉体があってこそのものだと思うので、その良心の欠如も何かのホルモンだかシナプスだかの欠乏欠陥が原因ならば、それを解明して治療することによって「良心」を取り戻すこともできるのではないかと思う。説得や説法で効果があるなら良心は元々あるわけである。ちなみに、良心があるかないかを判明するのには、「あなたは旅行をする為に空港にいる。家のペットに餌をあげてくるのを忘れてしまった。さて、あなたの胸は痛むか痛まないか。痛まなければ、あなたには良心がない」とか、そんなことだったと思う。ペットが嫌いとか、そういうことはともかく。良心がない人間はそれが自分の子供であっても全く苦しまないのに違いない。

 最後に、もう一つだけLのことを書いておく。

 私がこれほどまでにLのことを忘れられないのには理由がある。

 日本の家族と電話をした後、私は父が腰が痛くて寝ていると言う話をLにした。Lは言った。「腎臓が悪いと腰が痛むのよ」

 当の父も母も、家族の誰もが父の腰痛は運動のしすぎからとしか思っていなかった。私は正直に書くと、Lの言葉を全く真剣には受け取っていなかったのである。私の心の中にはLを軽んじている醜い気持ちがあったのだと思う。

 父が亡くなったという報せが来たのはその数日後だった。最終的な死因は腎不全だった。

 私はその時、Lの口を通って神が教えてくれていたのにと思ったのだ。もし信じていたなら。もしかしたら。一言私がもっと早くに病院に行ってと言っていたなら。

 そういう後悔に苦しんだことは事実だ。けれどその後、父の三回忌で日本に帰国した時、友人のお母さんが腰が痛いのに病院に行っても何も見つからない、と言う話を聞いた。私は言った。「腎臓が悪いと腰が痛むよ。外科じゃなくて内科で調べて貰った方がいいよ」この友人は現役の看護士であったので釈迦に説法であることは分かっていた。けれど結果はやはり急性の腎不全であったが、発見が早かった為に大事には至らなかった。友人は言った。「本当に環紀ちゃんに言って貰って良かった。もう少し遅かったら間に合わなかったと思う」

 私は彼女のお母さんを助けたのはL、そして私の言うことに真剣に耳を傾けた友人なのだと思っている。また、神とは日常の中に潜んでいるもので、それに気づくか気づかないかは、私たちの心持ち一つなのだ。

 今回は書きすぎた気がしないでもないが、暫く書くことに対して禁欲的な生活を送らざるを得なかったので暴走してしまった。さて、書き途中のBL小説を書き上げよう。

 と言うことは私の中に同性愛が禁忌と言う倫理は育たなかったのだなあ。自分の性癖に苦しんで自殺してしまう人がいることの方が大きな問題だと思うのだけれど。

  2013年9月9日

 

 

 

 

 

 

 


第三回 帰国後所感

 二月六日未明に羽田に到着した。幸いに雪が降り出す前に埼玉の自宅に着く。

 こうして文章が書けるまでに二週間かかった。

 時差ぼけと体調不良と、そして読みたい紙の本をひたすら毎日読んでいたせいで。

 まとまらないかも知れない。エッセイは本当はとても苦手だ。

 

 日本の青年は無駄に可愛い。

 女性も人形のように可愛らしい子が多い。

 その稚児的な可愛らしさが異様に映ったのも数日のことで、すぐに以前の感覚に戻ってしまった。

 とんねるずの男気じゃんけんを見てほっとする。他の人のことは知らない。私は男のたくましい体が好きだ。

 

 やはりブラジルにまで届いていないだけで東日本大震災のニュースは思ったよりもやっていると思った。

 

 テレビのアナウンサーの『噛みっぷり』に驚く。どの人もこの人も局を問わずにカミカミだ。話すトレーニングをしているのだろうか。何がイラつくと言えばコメディで噛まれると面白いものも全く面白くないのですよ。特に見る趣味はないのだが噺家というのはすごいのだなあと改めて思う。頼むから笑わせる時は笑わせようよ。

 

 私は日本に居続けたら小説は書いていなかったような気がする。

 高校の時に集中的に書いてはいたが、それも刺激の少ない地元生活を送っていたからのように思う。

 都内の専門学校に行っていた時は多少書いてはいたものの、社会人になってからはぱたりと書く習慣がなくなってしまった。

 その間に何をしていたかと言えば、働いてダンスをして本を読んで、そして恋をしていた。連日飲み歩き、休日はコンサートや美術館に足を運び、長期休暇は海外旅行を楽しんだ。何度も終電を逃して何度も泣いて何度も醜態を曝しては後悔した。何で私はこんな話をしているんだろう?

 ああ、そうだ。日本は誘惑が多い。

 その誘惑に私は逆らえなかったし逆らおうともしなかった。

 日本はあらゆるものが深すぎて、私は深みに嵌るばかりでそこから出ることができなかった。

 出たかったのか出る必要があったのかはもう分からない。出てしまったという事実だけがある。

 日本の外にいる間は、日本というひとつの体を外から眺め、その美しさやいびつさを自分の尺度で面白おかしく語ることができる。しかし今の自分は、日本というその口に再び飲み込まれて、ひとつの細胞にはなれず、喉元でぐずぐずと燻っているような感じがする。こういうどこの血肉にもなれない感じはブラジルに来てからずっと長いことを感じていた。もともと自分の芯がしっかりとしていなかったのかも知れない。

 日本にいるとこういうことをよく考える。これも日本の土地の持つ吸引力のようなものなのだろうか。いや、日本のせいにしてはいけないのだ。

 けれど、日本にいると思い出す。

 今よりももっとずっと弱かった自分。

 何かを他者のせいにし続けて、無自覚であるがゆえに残酷だった自分。

 自己憐憫に溢れていて、生きる意味を模索し続けた子供の自分。

 いやだ、いやだ。ああいう自分には戻りたくない。

 戻るわけにはいかない。

 私が崩れたら、他の人はどうする?

 他の体を持つ他者じゃない。私の中に居る、他の人々の為に、私は崩れるわけにはいかない。

 

 多分、私は帰ってきて、安心しているのだ。

 

   *


 という文章を、書いていた、らしい。

 今日は八月六日だ。ここにきてなぜか更新していないのに閲覧数が増えていて、そろそろ更新しないとさすがにまずい、と思って編集しようと思ったらこんな文章が残っていてびっくりした。

 そうか、ふーん、二月の私はこんなことを思っていたのね。

 なので、以下の文章からが、本当に現時点での私の所感ということになる。


   *


 七月が終わってしまった。一年の半分と一ヶ月だ。

 二月から四月まで日本に帰っていた。

 その間に二つのBL小説コンテストで最終選考までいって、つまり結局は落選した。

 人生で初めてのオフ会というものをして、パブーで知り合ったオパーリンさんとGrasshouseさんと天見谷行人さんとお会いした。弦楽器イルカさんにもお会いしたかったのだが、ご都合でお会いできなかった。

 幾つかの美術館--山種美術館、松岡美術館、東京国立近代美術館、国立西洋美術館に行った。

 印象に残っているのは山種の御舟と松岡美術館の「眩日」という作品。そして、東京国立近代美術館の「南風」だ。南風に関してはこれを目当てで行ったのだけれど、オリジナルを見て初めて腰にまいてある布のふとももあたりが破れているのに気づいて動揺した。

 国立西洋美術館は、このラファエロ展にパブーの方たちと行った。皆でフェルメールを「いいよね~」「いいよね~」ときゃいきゃい話せたのが嬉しかった。

 そして私が日本にいる間に、ブラジルの義父が亡くなった。

 突然のことで、正直言うと今も私はあの人がいないということに全く実感が持てない。

 信仰心が深くて、のんびりしていて、ユーモアがあって、あんなにいい人なかなかいなかった。私のことをとても可愛がってくれた。私もとても好きだった。

 私は父が亡くなった時、その時が来たのが思ったより早かったものの、ブラジルに行く限り死に目には会えないだろうことを最初から覚悟していたし、父が死んだということが生々しい現実として理解できた。苦しかったが、その時私には人としての悲しみという感情があった。

 けれど、ブラジルに来て、長くブラジルに住んでいたのに、どうして申し合わせたようにあの人の死に目に会えなかったのだろう。どうして私はあの人の死を悲しめないのだろう。どうして今も実感できないのだろう。

 私の在不在が誰かの死を左右するわけではないということを、私は分かっているつもりなのだけれど。

 どうしても、どんな人でも、いつかは逝ってしまうのだ。ある日突然。


 少し気持ちの話をしようと思う。

 こころなどではなく、文字通り、「持っている気」のことだ。

 私は近頃、人に大きく影響を与えているのは環境だという思いから抜け出せない。

 気候、天候ひとつで人の性格や感情が大きく変化するのを考えると、「ワタクシ」などというものは「ワタクシ」が作ったものでもなんでもなく、やはり作られたものなのだという気がしてならない。

 なので、前回のエッセイで「木を見よう」などと言った自分の傲慢さに改めて気づいたりもするのだ。

 木が周りにない人はどうするのか。

 真っ白な雪で眼前が閉ざされた人々はどうすればいいのだろう。

 私は今も昔も比較的穏やかな気候の場所に住んでいるので、多分、より厳しい環境に身を置く人々の気持ちが、体では分かってあげられないのだと思う。

 ある人からこんな話も聞いた。

 ブラジルが発見されてより、アフリカから大量の奴隷・犯罪者が連れて来られた。当然今もその子孫たちはいるわけだが、中々経済的に安定せず、貧しい生活を送っている人々が沢山いる。

 ところ変わって、ペルーなどにも同様に奴隷は入ったが、彼らは長い年月をかけて民族の基盤を安定させ、発展を見せていった。

 果たしてこの差は何なのか。

 曰く、ペルーなどの山沿いは寒く、人々は自分たちで食糧を得る術を身につけ、生き抜いていかなければならなかった。かたや、ブラジルの赤道に近い北部に連れて来られた人々は、温かく、放っておいても作物のなる気候故に、がつがつと働く必要がなかったらしい。(無論、奴隷制の後は、ということだが)

 人とは、性格も多少はあるだろうが、やはりそれよりも環境や状況に左右されている部分が多いのではなかろうか。

 聞いた話なので、本当なのか眉唾なのか分からない。


 話が途中だが、これから仕事に行かなければならない。

 それでは皆さんごきげんよう。また書きます。

2013年8月6日

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第二回 信仰の形 ~聖☆おにいさん考~

 先日姉が電話で、「聖☆おにいさん」がアニメ映画になると教えてくれた。

 というのも二月に私が一時帰国するからなのだが、残念ながら映画公開の五月にはブラジルに戻っている予定なので、見ることはできない。
 どうしても見たかったかと言われると微妙だが、もし日本にいたらもしかしてもしかすると見ちゃっていたかも知れない。
 一巻~五巻までは日本に置いてある。六、七巻は姉がわざわざ送ってくれた。著者の中村光さんが出産の為休載と聞いた時には、この人は女性だったのかと軽い衝撃を受けたのを覚えている。
 中身を見る前、勝手に中村光さんは中村元さん(インド・仏教哲学界のすごい人)の親類なのかと思ったが、その関係性は今も定かではない。
 さて、本題である。
 私はこの「聖☆おにいさん」ほど「現代日本人」をよく現している本はないように思う。
 聖☆おにいさんを楽しむには、まず以下の要素が必須となる。
 ①仏陀、イエスが何であるか知っていること。
 ②仏陀、イエスがしたことを僅かなりとも知っていること。
 と、この二点さえ押さえていれば大抵の日本人は「笑える」のではないだろうか。(「大抵の」というのは「映画化される程度の」という意味だが。)
 そう、この「笑える」がポイントだ。
 仏陀とイエスをとっ捕まえてその行為に突っ込みを入れ、それを笑い飛ばせる国民なんて日本人以外にはない気がする。
 ちなみに私が聖☆おにいさんで笑えるかというと、そりゃもう思い出し笑いをするくらいに笑い飛ばせる。
 が、はっきり言って怖いもの知らずだと思わなくもない。少なくともクリスチャンに「面白い本があるから読んでみて! え? ギャグなんだからかるーく流そうよ! ははは!」と私は薦めることができない。
 私は生家である母の実家が天台宗であったが、夫の実家が浄土真宗であった為、ブラジルの真宗の寺で結婚式を挙げ、家に仏壇を置き、唱える念仏も真宗のものとなった。余談だが、後に父の実家が同じ浄土真宗東本願寺派であったことを知った時は、奇縁を感じずにはいられなかった。
 誤解なきよう申し上げると、私は在家信者ではない。ごきぶりは瞬殺する。
 阿弥陀仏によってはいるが、イエスに限らず世界のあらゆる信仰の対象は善だと信じている。付け加えるなら、他者や自身に危害を加えることを前提とした信仰は、本来の意味の信仰ですらないと思う。
 だからこそ、どちらの神や仏が正しいかということを元とした争いは、神仏の意思ではなくて人間のエゴだと私は思っている。神という後ろ盾があり、それによって許されているのだと大義名分を得た感情は、時に間違った方向に暴発し、とどまるところを知らない。
 そういうと国規模の宗教戦争をしたことのない日本人は、他人事のように思うかも知れない。しかし、神仏という名の下にマインドコントロールをされていたのは日本人とて例外ではなく、それは世界大戦において顕著である。
 第二次世界大戦終結後、日本から「現人神」はいなくなった。
 廃仏毀釈の末、日本人に神仏の美を訴えたのはアメリカ人のフェノロサだった。
 オウム真理教の一件から、日本の「宗教」に対するイメージは悪化の一途を辿り続けた。
 クリスマス、盆暮れ正月は通例行事となり、あなたの宗教は何ですかと訊かれ、「多分仏教です」とか「多分神道です」と答える日本人が殆どなのではないだろうか。
 何も私は「日本人よ、確固たる宗教を持て」と呼びかけているわけではない。
 しかし今、一体日本人は何を拠り所に明日を生きているのだろうかと思うことが時折ある。
 一概に、日本人は外国にいって自己主張ができないと言われる。控えめだとか遠慮だとかは勿論美点としてよろしいのだが、食うか食われるかの大陸で生きてきた人間の遺伝子はそうそう謙虚にはできていない。
 特に、神という「名」に存在を許されていると信じている人々には、迷いがない。何故自分は生きているのかなどと迷わないし、自分は生きていて許されるのかなどと「問い直す」ことは殆どない。何故なら、「彼らの神」が彼らを必要とし、彼らの存在を愛したのだから。
 愛されている人間は強い。そして、愛を与えてくれるものが不動の存在であればあるほど、その強さは綻びのないものとなってゆく。
 果たして、そういう強さを持っている人間を相手に、「私たち」は主張できる何かを持っているのか、ということだ。
 無論、主張して経済的に世界のトップに躍り出よと言うことではなく、私は日本という国が、日本人という民族が矜持を失い世界の中で淘汰されてゆくことが心配なのである。
 書名を覚えていないので出典として書けないのが申し訳ないが、日本が終戦の折に隷属国にならなかったのは、当時の日本人の高い教育水準と倫理観を見た相手が、それをするのを自ら許さなかった、と読んだことがある。
 私の祖父は健在だが、戦争経験者で実際に戦地にも行ったことがあると聞いた。だいぶ大きくなるまで祖父母の間で寝ていた私は、祖父が何度もうなされているのを見たことがある。私は戦争経験者ではないが、そういった体験から戦争を強く否定するし、今も戦火の下にいる人々を思うと激しく身がつまされる。
 しかし、戦争は否定するものの、戦時中も戦後も日本人には明確に向かう先があったのではないだろうかと思う。日本という国に、日本人という民族に、今よりも誇りを抱いてはいなかっただろうか。
 全体から見れば恐らくは一部であろうが、ブラジルにいる日系人の中には、未だに「日本系」であることに誇りを持っている人々がいる。
 それが他民族排除に繋がっては本末転倒だが、自分の民族に誇りを持つのは決して悪いことではない。
 民族は、風土、文化、言葉諸々の集大成に違いなく、自身が豊かな世界の一片を担っていると実感できるものである。
 長い長い時間をかけて、多民族であったろう土地は単一民族国家と呼ばれるようになり、その文化を熟成させてきた。そして現代、「聖☆おにいさん」を生み出すまでになったのである。
 この本の真髄は、実に仏陀とイエスを同じ皿に載せて味わっているところにあると思う。
 世界の宗教が相反するのはおかしいのではないか。
 宗教に触れて笑顔になるのが一番正しい形ではないか。
 仏陀とイエスを一緒に丼に盛れる日本人ならば、世界に新しい信仰の形を見せることもできるのではないか。
 どこぞの哲学者ではないが、私は今こそ日本人よ「自然に還れ」と声を上げたい。(注:ルソーは未読なので突っ込まないように)
 特定の神仏を拝するのは抵抗があるという人も、たとえば木がなければ人間は一秒も生きていけないということには同意頂けると思う。
 ではその木は誰が作ったのか。
 私たち人間は木の命を奪い、植樹することはできても、「木そのもの」を生み出すことは決してできない。木を育てるのは地球である。私たち人間が人間の母体であるのと同じように、地球は全ての母体であり、それがどこから来たのか私たちに今知ることはできない。
 そういった人知の及ばぬものに対し、礼や感謝や自分の生きる拠り所を見つけられたならば、その時こそ私は正しく強くあれるのではないかと思っている。
 強さとは、他者を征服することではない。
 強さとは、他者に自分の正しさを武力や権力で認めさせることではない。
 強さとは、自分と他者の命の尊さを認めて受け入れ、限られた命を懸命に生きていくことである。
 日本人にそれができるか、という問いに、私は力強く頷きたい。
 いや、自然と共に生きてきた日本人だからこそ、その気質を今こそ生かせるのではないかと思う。
 付け加えるなら、日本人でなくともそれは当然できるのである。しかし、私は今日本語を遣って、それを理解する人々(多くは日本人かと思われる)に伝えたいと思ってこの文章を書いているので、意識して主語を日本人に限定している。他民族のことは他言語で書いてくれる人がいるかと思う。
 私は時に「どうしてそんなに強いんですか」と言われることがあるのだが、(十六歳の少女から見ればそりゃ三十六歳の女は図太いだろう)そう言われる言動の原因を突き詰めてゆくと、私はやはり「生かされている自分」を自覚しているのだなと思い当たる。
 私は自然に生かされている。それは事実であり、何者にも曲げられはしない。
 そして世界のどの人も、自然によって、生かされている。
 あなたの心の拠り所は何か、と私は問いかける。
 それに即座に答えられる人は、この文章から、こんな人間もいるのだと笑って頂ければ幸いに思う。
 けれど、少しでもそこに迷いを感じるならば、窓の外にある、一本の木に目を向けて欲しいと私は強く願う。
 最後に、詳しくは別の機会に譲るが、自分を育んだ土地というのは、やはりその人の人生に大きな影響を持っていると私は思う。
 だからこそ、産まれた土地を流され、汚染された人々のことを思うと、私は日本人として、苦しくてならない。
 
2013年1月21日

第一回 言霊

 今朝、散歩をしていたら、言霊についての思いが纏まって手の平におちてきた。
 
 私は何よりも強く言葉に興味を持っている。
 故に、言葉の力、言霊を強く信じて疑わない。
 例えば、私は書道を習っているが、うまい人の作品を見てもすごいなあと思うばかりで、そこに嫉妬は生まれない。
 自分の下手さがよく分かるし、人前に出すなどというと全く恥ずかしくてたまらない。
 私は基本的に、文筆以外のことに関しては、全てこういった調子である。
 ルールとして決めているわけではなく、それが私にとってごく自然なことだからだ。
 だから、これらの私のみを知る人は、私のことを何と控えめな欲のない人間なんだろうと思っている。
 自分に心から満足し、誰に嫉妬することもなく、悠々自適に悩みなく毎日を送っていると思っている。
 しかし、もう皆さんが察せられている通りに、私に悩みや苦しみがないわけではない。
 私の痛みは、執筆に集中している。
 想えばこそ、小説に関わった途端、私は業と欲にまみれた人間となる。
 もっといいものが書きたい、もっと広く読まれたい。
 もっと言葉が欲しい。言葉で、世界を、変えたい……。

 そう、私は言葉で人々を、世界を動かしたいと思っている。
 今一度、自然と平和の溢れる、成熟した世界の構築に携わりたいと思っている。
 自然の中にいると、その強さと熱さに胸が震えるが、仮に飢えているとすれば、仮に戦いの最中にあれば、そんな恵みに目をやることはできないのだろうと思う。
 どうすれば貧困がなくなるか。どうすれば諍いがなくなるのか。
 それらの答えを、私は本の中に、執筆の中に探している。

 言霊から話が逸れたが、机に座って仕事をしている作家は安穏としていて、どれだけ危険から遠いのだろうと思っている人は、執筆をしたことがないのだろうと思う。
 言葉の力を強く信じる作家たちは、当然自分が放ったコトバの言霊も強く受け取る。
(ただ最近では、自分が多少なりとも興味、関心のある出来事から作品は生まれてくることが多いので、それに関連する出来事が現実に発生するのは当然のような気もしている)
 しかし、矛盾するようであるが、小説家は文章を操る仕事でありながらも、言霊の影響をダイレクトには受けず、避ける道も残されている。
 何故かといえば、小説家というのは、執筆中もどこかで常に第三者の目を持っていなければならないからだ。
 作中の人物に自己を投影しすぎると、作中の人物が生きず、どころか殺してしまう可能性が高い。
 作中の人物の言葉はその人物の言葉として、「作中で言霊となる」と思えば、作家は何を恐れることがあろう。
 また、裏を返せば、作中で言霊が生きていないのであれば、その作品の中に命が吹き込まれていないということにもなる。
 無論、「書いたことは現実になるのか。だったらこんな恐ろしいことが起こるのは怖いから書かずにいよう」と思うようでは、真の意味で作家ではないように思う。
 何があろうとも書かずには、伝えずにはいられない思いがあり、そして、そのコトバの影響を被る覚悟を持つことが、作家の使命、責任であるように思う。
 だからこそ作家は他の人々と同様、まさしく命がけで働いているのだ。
 また先ほど、小説家は言霊の影響を避ける道も残されている、と書いた。
 しかし私は、詩人は違う、とも思っている。
 詩人は、発する言葉そのものが、その人の心身の破片に違いない。
 そこに第三者は介在しない。
 ワタクシから発せられるコトバは、すなわち世界と大気、宇宙と繋がる。
 発するコトバの振動が、大気を震わせ、世界を動かすのだ。
 そして勿論、詩人も世界に動かされる。
 そう思うと、やはりヘッセは小説家よりも詩人というにふさわしいように思う。

 最後になるが、私は何も、文筆に携わる全ての人間はこんな心意気を持たなければいけない、と言っているわけではない。
 私も書道に対しては語れることなど何もなく、同様に軽い趣味程度の気持ちで文筆にあたる人がいてもそれは良いことに思う。
 ただ、趣味程度の気持ちであればあるほど、安易に乱暴な言葉を遣って、実生活にその言霊の影響を受けてしまっているケースは少なくないように思う。
 インターネットの普及により、昨今は誰でも簡単に発言ができるようになったが、わざと自分で自分を貶める言葉や、他人への不平不満が蔓延していることに、私は少なからぬ恐怖を覚える。
 どんな形であれ文章と共に生きようという思いがないのであれば、良い言葉のみを選んで遣うに越したことはない。
 思うよりも強く、放った言葉はその人の日々、人格を作り、それが積み重なって人生の方向を決める。
 前向きに、などとは言わない。
 それでも私が執筆を通して言い続けたいことは、人間には尊厳があり、それを守り、高める為に、言葉は遣われなくてはいけないということである。

2012年12月5日

この本の内容は以上です。


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