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第一回 言霊

 今朝、散歩をしていたら、言霊についての思いが纏まって手の平におちてきた。
 
 私は何よりも強く言葉に興味を持っている。
 故に、言葉の力、言霊を強く信じて疑わない。
 例えば、私は書道を習っているが、うまい人の作品を見てもすごいなあと思うばかりで、そこに嫉妬は生まれない。
 自分の下手さがよく分かるし、人前に出すなどというと全く恥ずかしくてたまらない。
 私は基本的に、文筆以外のことに関しては、全てこういった調子である。
 ルールとして決めているわけではなく、それが私にとってごく自然なことだからだ。
 だから、これらの私のみを知る人は、私のことを何と控えめな欲のない人間なんだろうと思っている。
 自分に心から満足し、誰に嫉妬することもなく、悠々自適に悩みなく毎日を送っていると思っている。
 しかし、もう皆さんが察せられている通りに、私に悩みや苦しみがないわけではない。
 私の痛みは、執筆に集中している。
 想えばこそ、小説に関わった途端、私は業と欲にまみれた人間となる。
 もっといいものが書きたい、もっと広く読まれたい。
 もっと言葉が欲しい。言葉で、世界を、変えたい……。

 そう、私は言葉で人々を、世界を動かしたいと思っている。
 今一度、自然と平和の溢れる、成熟した世界の構築に携わりたいと思っている。
 自然の中にいると、その強さと熱さに胸が震えるが、仮に飢えているとすれば、仮に戦いの最中にあれば、そんな恵みに目をやることはできないのだろうと思う。
 どうすれば貧困がなくなるか。どうすれば諍いがなくなるのか。
 それらの答えを、私は本の中に、執筆の中に探している。

 言霊から話が逸れたが、机に座って仕事をしている作家は安穏としていて、どれだけ危険から遠いのだろうと思っている人は、執筆をしたことがないのだろうと思う。
 言葉の力を強く信じる作家たちは、当然自分が放ったコトバの言霊も強く受け取る。
(ただ最近では、自分が多少なりとも興味、関心のある出来事から作品は生まれてくることが多いので、それに関連する出来事が現実に発生するのは当然のような気もしている)
 しかし、矛盾するようであるが、小説家は文章を操る仕事でありながらも、言霊の影響をダイレクトには受けず、避ける道も残されている。
 何故かといえば、小説家というのは、執筆中もどこかで常に第三者の目を持っていなければならないからだ。
 作中の人物に自己を投影しすぎると、作中の人物が生きず、どころか殺してしまう可能性が高い。
 作中の人物の言葉はその人物の言葉として、「作中で言霊となる」と思えば、作家は何を恐れることがあろう。
 また、裏を返せば、作中で言霊が生きていないのであれば、その作品の中に命が吹き込まれていないということにもなる。
 無論、「書いたことは現実になるのか。だったらこんな恐ろしいことが起こるのは怖いから書かずにいよう」と思うようでは、真の意味で作家ではないように思う。
 何があろうとも書かずには、伝えずにはいられない思いがあり、そして、そのコトバの影響を被る覚悟を持つことが、作家の使命、責任であるように思う。
 だからこそ作家は他の人々と同様、まさしく命がけで働いているのだ。
 また先ほど、小説家は言霊の影響を避ける道も残されている、と書いた。
 しかし私は、詩人は違う、とも思っている。
 詩人は、発する言葉そのものが、その人の心身の破片に違いない。
 そこに第三者は介在しない。
 ワタクシから発せられるコトバは、すなわち世界と大気、宇宙と繋がる。
 発するコトバの振動が、大気を震わせ、世界を動かすのだ。
 そして勿論、詩人も世界に動かされる。
 そう思うと、やはりヘッセは小説家よりも詩人というにふさわしいように思う。

 最後になるが、私は何も、文筆に携わる全ての人間はこんな心意気を持たなければいけない、と言っているわけではない。
 私も書道に対しては語れることなど何もなく、同様に軽い趣味程度の気持ちで文筆にあたる人がいてもそれは良いことに思う。
 ただ、趣味程度の気持ちであればあるほど、安易に乱暴な言葉を遣って、実生活にその言霊の影響を受けてしまっているケースは少なくないように思う。
 インターネットの普及により、昨今は誰でも簡単に発言ができるようになったが、わざと自分で自分を貶める言葉や、他人への不平不満が蔓延していることに、私は少なからぬ恐怖を覚える。
 どんな形であれ文章と共に生きようという思いがないのであれば、良い言葉のみを選んで遣うに越したことはない。
 思うよりも強く、放った言葉はその人の日々、人格を作り、それが積み重なって人生の方向を決める。
 前向きに、などとは言わない。
 それでも私が執筆を通して言い続けたいことは、人間には尊厳があり、それを守り、高める為に、言葉は遣われなくてはいけないということである。

2012年12月5日

この本の内容は以上です。


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