目次
奥付
奥付
古跡認定 1級
台湾専売局
台湾総督府博物館  現:国立台湾博物館
台湾総督府
台北州庁舎 
台北市役所
「台湾総督官邸」 
「台北地方法院・高等法院」
新竹駅
新竹州庁
「台南駅」
【台南測候所】
古跡認定 2級
台北公会堂
台中駅
「台南地方法院」
下淡水渓鉄橋
「東和禅寺鐘楼」
紫藤廬    旧・海軍職員宿舎  
「撫台街洋楼」
「台北監獄囲牆遺跡」
「旧制台北高等学校」
「台北帝国大学」 行政大楼・文学院・図書館
「台北帝国大学正門守衛室」
「長老教会北投教堂」
「鉄真寺」 
「北投台湾銀行宿舎」
草山衆楽園
「台北帝国大学医学部付属医院」
「台湾総督府医学専門学校」
「台湾広播電台放送亭」 
「台北州立第一高等女学校」
「台北北警察署」
「臨済護国禅寺」 大雄寶殿
「台北州立台北第一中学校」
「台湾総督府交通局逓信部」 
「台北信用組合」
台湾電力(株)社長宿舎
「台湾銀行 本店」
「帝国生命保険会社」
「台湾総督府電話交換局」
「日本基督教団台北幸町教会」 
「総督府台北商業学校」
「建成小学校」
「吟松閣」
「台北職業紹介所」
「台北工業学校紅楼」
「三井物産 台北支店」
「士林公有市場」
草山御賓館
「日軍衛戍醫北投分院」
「佳山旅館」 
「台北偕行館」
「台北圓山別荘」 
「聖公会大正町教会」
「萬華小学校」 
「内湖庄役場会議室」 
「蔡瑞月舞踏研究所」
「高砂麦酒」 
「北投穀倉」
「台湾銀行頭取宿舎」
「西本願寺 鐘楼・樹心会館」
武徳殿 (高雄) 
「新竹州図書館」 
「新竹信用組合」
「湖心亭」 台中公園
「嘉義駅」
「台南公会堂」
「台南合同庁舎」 
「日本勧業銀行台南支店」 
「林百貨店」
「武徳殿」台南 
「台南州庁」 
「台南警察署」
「嘉南大圳組合事務所」 
「台南愛国婦人会館」
台南高等工業学校校舎・日本軍歩兵第二連隊営舎
「紀州庵」 
「台湾軍司令官官邸」
「台湾軍司令部」
「台北酒工廠」
「植物園臘葉館」
「李國鼎故宅」
高等農林学校作業室
古跡認定 3級
「水道水源地」
「台湾教育会館」 
「日本勧業銀行 台北支店」
「台湾総督府交通局鉄道部」 
「台北郵便局」
「アメリカ駐台北領事館」
「八角堂市場」(旧正式名称は新起街市場)
「台北州立台北第三高等女学校」
「北投温泉公共浴場」 
「桃園神社」
カテゴリー別歴史建築
台北州・新竹州・台中州・台南州 各庁舎
警察署
エリート校群
旧制女学校
「測候所」
「公会堂」
「銀行」
松崎萬長男爵が関わった歴史的建築物
鉄道駅舎
今も残る木造駅舎
山佳駅  西部幹線
新竹駅  西部幹線 
大山駅  西部幹線海線
造橋駅 西部幹線山線
西部幹線 台中駅
製糖鉄道 台中後駅
石榴駅 西部幹線
斗南駅 西部幹線
嘉義駅 西部幹線
南靖駅 西部幹線
後壁駅 西部幹線
西部幹線 台南駅
林鳳営駅
捷運圓山駅前の鉄道管理局職員寮
高雄駅
残されている日本時代
熱帯医学研究所士林支所
朝北醫院
「三井物産倉庫」
「金瓜石」太子賓館ほか
青田街・和平東路の木造住宅
「福州街11号日式宿舎」
「斎東街日式宿舎」
「総督府山林課宿舎」
「骨科医院及び住宅」
「錦町日式宿舎」
「牯嶺街高等官舎群」
「南菜園日式宿舎」
「福州街20,22,26号」
士林・雨農路に残る和風住宅
淡水
「大安区仁愛路2段59」
「金華街」
「愛国東路」
「台北監獄塀遺跡」横の官舎跡
「原辰馬商会本町店舗」
台北酒工廠
「彰化銀行 萬華分行」
台中の歴史建築
日本時代の建築
その他
「大阪市中央公会堂」「大阪府立図書館」「日本銀行大阪支店」
「明石元二郎 第7代台湾総督の墓前の鳥居」
「陸軍第16師団司令部庁舎」

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台湾専売局

「台湾専売局」 現:菸酒股份有限公司

【建物】1913年(大正3年)竣工。国定古跡。

【設計】森山松之助。

【場所】MRT中正記念堂駅徒歩5分。台北市南昌路1段1,4号。

1895年(明治28年)台湾統治を開始した台湾総督府は1901年(明治34年)財源確保の為、専売局を設立する。食塩、酒、樟脳、煙草、阿片などを専売とした。

その専売収入は総督府歳入の64%にものぼり植民地経営の重要な役割を果たした。阿片については当時の台湾社会の一つの悪習ですが時を経て撲滅される。時代は遷り現在は民営化された菸酒股份有限公司の本社ビルとして使用されている。ただ民間ビルのはずなのに公安員が常時入口に立っております。

 

 


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最終更新日 : 2014-04-08 12:52:09

台湾総督府博物館  現:国立台湾博物館

「児玉源太郎・後藤新平記念館」「台湾総督府博物館」  現:国立台湾博物館

【建物】1913年着工1915年(大正4年)竣工。国定古跡。

【設計】総督府営繕課長野村一郎。

【場所】MRT台大医院駅。台北市襄陽路2号 228和平公園。

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この台北で一二を争う豪華な建築物は、[児玉総督、後藤民政長官記念館]の名により建築計画された。 第4代台湾総督「児玉源太郎」が1906年(明治39)7月に急死。その民政長官であった「後藤新平」も台湾を離れることになり、同年9月に台北新公園(現・二二八和平公園)において後藤新平離台送別会が行われた。その席上、卓越した植民地経営の偉業を記念し児玉及び後藤記念館を建設することが決定され、故・児玉総督及び後藤民政長官記念営造物建設会が設立された。

台湾統治の初期の総督府には財政の余裕はなく、記念館建設にかかる膨大な費用の捻出は募金という手段を使い最終的に256,101円を集めた。建設地は、商業や金融の中心であった城内の表町が建設地として選択され、庶民信仰の媽祖を祀った「天后宮」や台北病院宿舎や専売局宿舎などの建築物があった台北新公園の北側が選ばれた。現在の博物館の裏手にある日本式池と西洋式池の間に建っていた「天后宮」は1911年の夏季、次々に襲う台風と水災で壊れた。

 

1908年「台湾総督府博物館」の初代館長となった川上瀧弥には壮絶な物語がある。1903年(明治36)新渡戸稲造の紹介で台湾に渡った川上瀧弥は台湾各地や彭佳嶼蘭嶼、澎湖諸島のような離島を周り、数多くの優れた研究を残し、それまで西洋植物学界にとって未知の世界だった台湾のベールを取り除いた。

川上の名前が付いている植物は40数種類に達する。1897年(明治30)に阿寒湖の尻駒別湾で発見された緑藻に「マリモ」の名をつけた人物としても有名だ。

 

1913年4/1着工した記念館は、1915年(大正4年)3/25竣工した。そして同年の5月、「故児玉総督及び後藤民政長官記念営造物建設会」会長は、この記念館を総督府に引き渡し名称も「台湾総督府博物館」と改められた。「台湾総督府博物館」(台湾総督府民政部殖産局付属博物館)は縦貫線鉄道開通の記念事業として1908年(明治41)創立されている。

川上瀧弥はこの1915年の5月から始まった新館への引っ越しに際し、病状をおし博物館内にベッドを持ち込み、引っ越しの準備をしていたということだ。1915年8/20「台湾総督府博物館」新館の開館が行われた翌日、享年44歳の若さで人生の幕をおろした。この余りにも壮絶な死に対し総督府は殉職として台北植物園内の建功神社に追祀した。旧・博物館の位置は現・総統府の裏手にありましたが、空襲で焼け落ちた。

 

博物館の落成時から、2階は歴史室と動植物室、1階は高砂族室と中国・華南地方の南洋地質、鉱物室となっており、このことは1915年(大正4)8/20の開館から今も変わらず引き継がれております。

建築様式は中央に高いドームのある左右対称の豪華絢爛なルネッサンス様式だ。地上2階、地下1階、背面は公園が見えるように全面にベランダが設けられている。入り口を入ると、吹抜けの開放的な玄関ホール、円形のステンドグラス、モザイク床、石をふんだんに使った内装など、装飾の豪華さに目を奪われる。 1階ロビーの両側のアルコープには、左に児玉総督、右に後藤民政長官の立像が置かれていた(新海竹太郎の制作による)。戦後に立像は撤去され、博物館の収蔵品となった。

【児玉源太郎】  第4代台湾総督(1898年2月~1906年4月)。陸軍軍人(1852年生~1906年:明治39年没)。

【後藤新平民政長官】  児玉源太郎総督時代の民生長官。植民地行政官(1857年生~1929年:昭和4年没)。離台後、南満鉄(株)の総裁に赴任した。
日本よる台湾統治開始から第3代総督の時代(樺山資紀、桂太郎、乃木希典)までは強権的な支配で反乱などが多かった。第4代台湾総督児玉源太郎の時代になるとその民政長官、後藤民政長官の進言(恩威並施)により、土地改革、衛生環境の改善、アヘンの根絶対策、学校教育の普及、製糖業・水力発電事業などの産業の育成が行われ、台湾発展の基礎が築かれた。ただし反乱などには徹底した弾圧が加えられた。


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最終更新日 : 2013-04-12 13:53:03

台湾総督府

「台湾総督府」 現・総統府

台北には多くの歴史建築物が残されています。その中でも筆頭は、南国の風を受け青天白日滿地紅旗を、たなびかせている中華民国総統府、かっての台湾総督府だろう。写真では伝わりませんが威風堂々とした威容は日本近代建築物の筆頭にあげられるでしょう。

 

「東門」から延びる「凱達格蘭大道」が突き当たる「重慶南路」に位置し、当時は台北の日本人居住区である城内のほぼ中央に位置し、高さ60mの中央塔(台湾初のエレベーターが設置されている)からは、当時の台北全体を見渡せたそうだ。建物は日本の方向、東向きに建っており、上から見ると、日本の日を型取っています。そして四隅の出っ張り部分は喫煙室だったそうです。この時代に、既に分煙意識が有ったという事ですね。

【建物】1919年(大正8年)竣工。国定古跡。

【設計】長野宇平治 森山松之助。(辰野金吾式建築の代表作)

【場所】MRT台大医院駅徒歩5分。中正区重慶南路1段122号。

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現在、1F部分は一般公開されており、ボランティアの白髪のお爺さんが「戦後の日本人の生き方」「自分達の生きた戦前の日本」を日本への思いを込め一生懸命に語ってくれます。白髪のお爺さんは元日本陸軍特別志願兵「蕭錦文」さん84歳です。私達戦後の日本人が捨去った日本人の心を持った素晴しい日本人(台湾人)です。

現在は月曜日~金曜日の午前9:00~12:00まで1F部分のみ開放されています。(パスポート必要)

 

日本統治初期には台湾総督府として、約25年間使用されていた府政使司が台北公会堂から植物園に移転され保存されています。


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最終更新日 : 2017-09-17 08:18:50

台北州庁舎 

【台北州庁舎】 (現)監察院

【建物】1915年(大正4年)竣工。国定古跡。

【設計者】森山松之助  他に総督府・総督官邸・専売局などの官庁建築が有る。

【場所】MRT台北駅から徒歩5分(7番or8番出口)。台北市忠孝東路1段2号。台北駅から東へ200m、忠孝東路と中山南路の南東交差点。

 

台湾省政府衛生処、教育庁を経て1958年より監察院として使用されている。監察院は各種国家機関や公務員を監督・調査及び財政状況・決算等の会計監査を行う国家機関です。さらに中山南路を200m程度南下すると濟南教会がある。

 

台湾大学法学院正門前にある旧「台北州知事公舎」です。MRT善導寺駅5番出口、延紹興南街を南に10分。現在はカルチャースクールや喫茶食事ができるスペースとして保存利用されています。このような形で利用されている日本時代の建築物は、台北市内だけでも、数か所あります。

 

 


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最終更新日 : 2013-05-04 12:04:53

台北市役所

「台北市役所」 現:行政院

 【建物】1940年(昭和15年)竣工。国定古跡。

【施工】電話交換局と同じ協志商会所(台湾人)が施工する。

【場所】MRT台北駅(7番出口)徒歩5分。台北市忠孝東路1段1号。

昭和にはいってからの建築なので現代的な設計に変わっております。明治大正期の官庁建築から伝わる日本精神の高揚感を建物からは感じられません。台湾総督府、司法院は日本を向いて建てられておりますが、この建物は前者と同様「日」の形をしているものの方向は西向きに建っており日本を向いておりません。

 

建物の「日」の形は日本の一文字を採ったと考えるほうがロマンを感じるのですが、南国の暑さ湿度対策として風通しの為、中庭を中央に配置しております。

 

 

戦後、中華民国政府の台北市役所として利用された建物は現在「当代芸術館」となっている日本時代の「建成小学校」である。

 


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最終更新日 : 2013-04-12 13:54:18


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