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独創力

「桃園埤圳」での手腕を認められた與一は、嘉南平原の調査活動(1918年・大正7年)を精力的に行い嘉南平原灌漑事業計画を推進していくことになります。この頃、日本国内では米が不足し米騒動なども起きており、土地のある台湾での米の増産を考えています。嘉南平原灌漑事業計画は「工業は日本内地 農業は台湾」という国策に立脚する計画だった。

 

烏山頭ダムと濁水渓からの取水量で嘉南平原15万町歩全域を水で潤すには物理的に問題があり嘉南平原灌漑事業計画の推進に支障となった。しかし與一は「水の不足分を3年輪作灌漑法というもので補えば嘉南平原全域に水を送る事ができる。嘉南平原の農民全てが豊かになる事が台湾の将来に必要である。」との信念で嘉南平原灌漑事業計画を推進していくのでした。この理念には総督府の役人も反論できず與一の事業計画は承認されます。

 

嘉南平原全域60万人の全農民を豊かにするにはダムや水路を作るだけではなく土木技術者の権限枠を飛び越える必要があった。貯水量に合わせ給水面積を決める水の運用・3年輪作灌漑法という独創的な考え方、このハードとソフトを結合さす発想力が嘉南平原全域60万人の全農民を豊かにしたのです。

 

ps.「桃園埤圳」 台北近郊の桃園地区に上流から水を引き込み、溜池をつくり、ここより水路を張りめぐらせ22,000haの水田をつくる工事。


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最終更新日 : 2013-01-27 18:41:18

未知への挑戦

嘉南大圳事業の中心をなす「烏山頭ダム」がどれぐらいの規模だったか、「黒部ダム」は発電用、「烏山頭ダム」は灌漑用と目的は違うのですが、あえて比較をしてみます。

ダムの高さ:「烏山頭ダム」56m、「黒部ダム」186m。

堤頂長:「烏山頭ダム」1273m、「黒部ダム」492m。

貯水容量:「烏山頭ダム」1.5億t、「黒部ダム」2億t。

工事期間:「烏山頭ダム」10年、「黒部ダム」7年。

総工費:「烏山頭ダム」5400万円(台湾総督府年予算5000万)、「黒部ダム」513億円。

完成:「烏山頭ダム」1930年(昭和5年)、「黒部ダム」1963年(昭和38年)。

 

八田與一の独創性は、この巨大ダム工事に東洋では例の無い「セミ・ハイドロリック」工法を採用した事です。この工法の先進国アメリカでさえも、このような大規模の工事には採用されておりませんでした。

しかし八田與一は研究を重ね長さ1273m、高さ56m、幅300mの堤防をこの工法で築ずく決断をいたします。「烏山頭ダム」の業績はアメリカ土木学会が「八田ダム」と命名し学会誌上で世界に紹介したほどの偉業だったのです。

 

「セミ・ハイドロリック」工法とは簡単にいえば、自然の堤防が玉石、栗石、砂利、小砂、粘土などで創られているのと同様にコンクリートは中心部の一部分に使うだけ、あとは自然と同様の構造体を造る工法です。この工法の評価は、他のダムが土砂の堆積などで50年で寿命が終わる中、烏頭山ダムは築造80年後の今なお嘉南平野を潤すに充分な働きをしています。


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最終更新日 : 2013-01-27 18:45:51

先見性・決断力

與一は現場作業を前近代的な人海戦術から、機械を導入した近代的な作業に改めます。機械の導入は労働力のあまっている当時としては常識はずれのことです。多くの反対を以下のように説得します。「これだけの工事は人力だけでは20年たってもできない。工事が長引けば15万haの土地は不毛のままで金を生まない。早ければ、それだけ早く金を生む。機械は、その後も別の工事で使える、そして機械を使える人間が育ち日本にも機械を作る会社が生まれる」

 

與一の先見眼の通り、ここで育まれた「人」「物」「金」は、その後のインフラ整備や港湾開発などの台湾開発で大きな威力を発揮いたします。與一がアメリカから買い付けた土木機械は、パワーショベル7台、エアーダンプカー100台、ジャイアントポンプ5台、機関車12台、コンクリートミキサー車4台、等です。この機械導入にダム工事・トンネル工事予算部分の25%に当たる金額使います。これは大変な決断です。

 

80年を越す今も現役で嘉南平原を潤す「烏山頭ダム」を造り、それに留まらず「烏山頭ダム」の限界を考え次の曾文渓ダム計画構想を與一は持っていました。現在の曾文渓には與一が設定したダム築造地点に1973年(昭和48年)曾文渓ダムが完成しております


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最終更新日 : 2013-01-27 18:49:06

人間力

「良い仕事は安心して働ける環境から生まれる」という考えを與一は持っていました。工事関連施設はもとより、家族が一緒に住める宿舎、共同浴場、病院、学校、店舗、娯楽クラブ、テニスコート、弓道場、公園などの地域整備・街づくりをしています。この街で2,000名余の工事関係者・家族が生活をし仕事に励んでおります。與一の子供たちが通った小学校は現在存続しています。

 

更に與一の素晴らしいところは、施設の運用に於いても職員や家族の生活を大事に考え、映画上映、運動会、芝居観劇、盆踊り、祭り、などを催しております。自分自身も倶楽部で毎日のように職員に交じり麻雀・碁・将棋などに興じ、職員からはオヤジと呼ばれ慕われておりました。

 

物を造り、それに命を吹き込み魂を入れる、台湾で活躍した明治大正人の典型といえる人でしょう。大型機械導入、地域整備など、八田與一の独断で出来る事ではありません。與一を使いこなした直属の上司山形土木課長、最高責任者の下村海南民政長官の高い見識があったからこそできた事でしょう。


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最終更新日 : 2013-01-27 18:55:19

人間愛

「嘉南大圳」の大事業には「烏山頭ダム工事」をはじめとする関連工事が沢山あります。毎秒50tの水をダムに送り込む直径5m、長さ3200mのトンネル工事もそうちの一つでダム工事と並行して行なわれております

この烏山頭ダムの大きな器を満たすには別河川からも水を引き込む必要が有り山を越したところの水量豊富な曾文渓(川)から水を引き込む工事が行なわれました。 

工事初期、トンネルを90mほど掘り進んだところでガスが噴き出し、機械からの引火でガス爆発が起こり思わぬ惨事が発生します。人間の命の尊さを第一に考える八田與一には相当この惨事は堪えたようです。與一は犠牲者の家を一軒一軒、訪れ丁寧にお詫びをされております。その際 うちひしがれた與一を見た遺族は逆に與一を励まし工事の続行を懇願したと伝えられております。

この「嘉南大圳」工事の10年間で、134名(台湾人92人、日本人41人)もの人が犠牲になっております。完成後に建てられた殉工碑には、台湾人、日本人の区別なく死亡順に名前が刻まれております。

 

工事期間中、内地で東京大震災が発生します。その影響はこの工事も例外ではなく大幅な予算削減に迫られ作業員の大幅削減をするのですが、なんと與一は優秀だと評価されている職員から辞めさせるのです。「優秀な者は再就職が簡単である。しかし他の者はここを去ると仕事がなく生活ができなくなる。実務には優秀な少数の人間より、平凡な多数の者が必要である」という理屈です。そして、辞めていく人達の就職先を自分が率先し台湾中を駆け回り探したそうです。

更に辞めていった人達を烏山頭に呼び戻すチャンスを待ち、沢山の人を呼び戻しています。銅像からみる鬼瓦の様な顔の内面には自分と関わりの有った人達全員を大事にする優しさが秘められているのです。


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最終更新日 : 2013-01-27 18:59:07


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