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アイリッシュ・コーヒー

 

 

 

 冬の大学の通り、下り坂、水色の大気、樹々は凍えている。その下を僕らは歩く。石垣の横、左手に絡みつく君。僕は倖せでいることの呆然とした感覚を味わっている。君は最近、一人で喋るようになった。僕はその話と情景を同時に聴いている。

 君と指を絡めて、君の指と指の間を握ることが、どれだけ僕を世界から消し去るのか君は知らない。

 君の香りが、僕の世界になるとき、君の笑顔が記憶よりもさらに深い場所に刻まれていく。その笑顔の中に、この景色の意味全部がある。柔らかな感触。抱き締めても拒まない。キスしても逃げない。お互いが繋がっていくことを望んでいる関係。この世界で、僕にしか見せない君の表情。誰かが視つめている君と、僕が観ている君とは明らかにかけ離れている。どれほど君が美しいか。僕だけが君の美を持っている。

 君は倖せそうだ。そのことが僕を倖せにする。

 もう、言葉は要らなかった。

 僕は君を手に入れた。君はそのことを知らない。分からない。僕の魂がほんの少し、僕から抜け出して、君に触れようとしている。人生の意味と、ときめきを感じている。

 冬の日。

 こうして歩いているだけで倖せだった。

 他には何も要らなかった。僕はただの男になった。他には何もなかった。僕の波がすべて緩やかに停まって視えた。世界もまだ、穏やかだった。君は、僕の傍に確かにいた。君は、肉体を持った女の子だった。

 僕にとって一番重要なことは、次の瞬間に、如何にして、この肉体から抜け出し、君を盗み、君を愛するかだった。

 僕の人生の中で、どんな風にして、僕の印象を消していくか。

 どんな風にして、君の印象になるか。君の感覚になるか。記憶に換わるか。僕を刻印できるか。

 いつこの恋愛というゲームを止めるか。

 それが僕の課題だった。

 僕らはもうそろそろ、未来を探しにいっても良かった。僕はそれが欲しかった。極めて手近な、甘い、ヒントだらけの・・・、見詰め合って探していくささやかなゲームの始まりを、何処に隠したのか・・・。

 どんな願望も彼女は叶えてくれた。

 愛すべき人がいること。

 それが、僕の人生の最大の発見のように思えた冬だった。

 手を繋いだまま、この冬を迎えていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この本の内容は以上です。


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