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都から来た姫

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1

       【都から来た姫】
 駿府の城は、明るい雰囲気につつまれていた。武士たちも、地下人も浮かれている。今日、都から美しい姫がやってくることになっていた。その姫は駿河守護である今川氏親に嫁ぎ、今川の御台所となるのだ。都でも評判の高い姫と聞いて、一目でも姿を見ようと誰もが大騒ぎをしていた。
 花婿である今川氏親は三十二才になる。だが正室はいないし、子もいない。妻を娶ったことはある。しかし、どんな姫を迎えても子を成すことはなかった。男女のことに、あまり熱心ではないらしい。そうは言っても男色に熱をあげている風でもない。要するにタンパクなのだ。
 氏親は幼い頃から、母である北川殿と流浪の暮らしをしていた。駿府城を追い出され、小川城や丸子城などを転々としていたのだ。高貴な身分であれば、母と息子は別々に暮らすのが普通だった。息子は養父に預けられ、乳母が育て、同年輩の近習がつくのだ。しかし氏親にはそんな余裕はなかった。命の危険もあったことから、北川殿はひとときも氏親から離れなかった。頼りにする早雲がいつも居てくれれば、北川殿もこれほど氏親に寄り添っていることはなかっただろう。こうして氏親は世の若君とは、まったく違った育ち方をしてしまった。母から離れられない男に、なってしまったのだった。
 よい姫はいないか。氏親が心をときめかすような姫はいないかと、探し求めていた。そこへ、多目殿が耳寄りな話を聞きつけてきた。公家である中御門家に妙齢の娘がいて、たいそう評判がいいらしい。多目殿を頼って、荒廃した都から下向してきた者たちも、口を揃えて言う。縁談がまとまるのに、時間はかからなかった。
 姫の行列は、華やかな輿を中心にしてやって来た。厳重な警備の中をしずしずと進む。そして駿府の大手門をくぐっていった。見物の野次馬からは、輿の中の姫を見ることはできない。だが輿を見ただけで、皆満足していた。これで、お世継ぎも生まれるに違いない。お世継ぎがいなければ、また内乱が起きるかもしれないのだ。祈るような気持ちで、群衆は姫が消えていった大手門を見つめていた。
 婚儀は滞りなく終わったらしい。これから会所で家臣たちが、お祝いの言葉を述べるしきたりだ。雛壇のように新婚夫婦が並んだ横に、北川殿が控えていた。今川一族に続いて、早雲に挨拶する番がまわってきた。早雲は嫁取りに功があった多目殿と、清水幸政をともなって前に進みでた。
「このたびは、おめでとうございます」
 三人揃って深々と頭を下げる。はじめて花嫁の顔をみた早雲は、ちょっとガッカリした。おせじにも美形とはいえない。顎が張りすぎているし、口も大きい。氏親を見ると、憮然としているのが分かる。不満なのだ。北川殿は心配そうな顔をして、早雲に訴えかけていた。
 祝宴の間も花嫁は、不調法にあたりをきょろきょろと見渡していた。
(これでまた、お世継ぎがうまれる望みはなくなった)
 家臣たちも、喜び半分といった面もちだった。
 その夜、早雲たち三人は飲み直していた。
「紅の差し過ぎでございますよ。それでなくともお口が大きいのに、あんなに紅を差したら、大きいのが目立つだけですわ」
 化粧や、衣裳にうるさい清水幸政が、しきりに批判している。
「どうにか、ならんか。」
 早雲も頭を抱えていた。多目殿だけは、落ち着いていた。
「人はみてくれでは分からんと、殿はいつも言われているではありませんか」
「むむ、それはそうだが、花嫁の場合はなあ・・」
「いずれにしても、少し様子をみましょう。まだ嫁いできたばかりにございますよ」


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2

 ひととおりの式典が終わったある日、駿府城の台所にひとりの女があらわれた。ねずみ色の小袖に襷がけで、庖丁でも振るういでたちだ。
「あっ、御台さま。かようなところへ、来られてはなりませぬ」
 台所頭が、あわてて駆け寄る。調理をしていた者どもは一斉に平伏した。
「あらあら、地べたに手をついたら、手が汚れるじゃありませんか。いいんですよ、わたくしのことは構わないで。『御台所』と呼ばれるわたくしが、台所のことを知らなくては困りますわ。ちょっと見せてもらうだけ。許しておくれ」
 中御門の花嫁は、土間におりてきて調理の様子をうかがった。台所頭が恐縮して言う。
「駿河は田舎でございますゆえ、都のような立派な膳は揃えられませぬ。ご容赦ください」
「あら見たところ、都よりもよほど新鮮な材料ばかりですわ。都など、山奥の辺鄙なところに過ぎません。信濃や甲斐の山奥と、ちっとも変わらなくてよ」
 信濃や甲斐の山奥と同じと聞いて、下働きの者たちがクスクスと笑った。調理場の奥までやってきた花嫁は声をあげた。
「まあ、なんて立派なお魚かしら。これはなんというお魚?」
「これはマグロでございます。これでも若魚でございますよ。成魚はとても、手におえませぬ。」
「このマグロは、オラの兄ちゃんが漁ってきたんだ」
 小女のひとりが言うと、台所頭がたしなめた。
「こら、直答してはいかん。おそれおおくも御台所さまじゃぞ」
「よいのです。それにしても大きな魚。焼くのも大変でしょうに」
 台所頭は得意げになった。
「これはナマで食べるのでございます。刺身と申し、美味でございますよ」
「ええ、ナマで!信じられないわ」
 その場の者たちは、都から来た高貴な姫君が感心しているのを聞いて、得意になった。駿河の国が、たいそう立派な国に思えてきた。庖丁人のところに来た御台所は、次に二寸ほどに切り揃えられたキュウリに眼をつけた。
「香の物かしら。これから切るのね」
 そう言うと、みずから庖丁を握った。
「あっ御台さま、危のうございます。お止めください」
 だが御台所は構わず、キュウリのまん中に庖丁を差し入れて、抜いた。そのあとキュウリを横向きにして斜めに切り込みをいれる。それをもう一度繰り返すと、キュウリはふたつになった。互い違いになった山がふたつ現れる。
「おお、魔術のようじゃ」
 台所頭が、目を見張った。
「これは『切り違い』という切り方です。教えてさしあげましょう」
 御台所は庖丁人のまえで、何度もやってみせた。庖丁人もすっかり見とれている。小女や下男たちも見物しようと集まってきた。
「それから、その『あおなます』には少し甘葛(砂糖が普及する前の甘味料)を加えてみましょう。お屋形さまは甘めのものがお好きなようじゃ」
「しかし、そのような前例はございませんが・・」
 台所頭が困ったように頭をかいた。
「もし、お気に召さなければ、御台所の命でそうしたと言えばよい。ただ、おいしいと言われたならば、わたくしの名は出してはなりませんよ。これだけは守ってください」
 そう言うと、御台所は土間から上がった。
「ご教示ありがとうございます。しかし御台さま、なにゆえこれ程お詳しいのでしょうか」
「ほほ、中御門家はかつて、禁裏のお食事をつかさどる役目を負ったこともあるのです。だから出来る、というのは表向きのこと。大乱からこっち、公家の姫とはいえ遊んでは暮らして行けませんのよ。中御門家も、知識や芸を売って生きているのです。けれど、まことの庖丁(古来の料理人の呼称)といえるのは、あなたたちの方です。これからもよろしく頼みます」
 そう言い残すと、御台所は奥へ去って行った。


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3

 早雲が挨拶に出向いたとき、北川殿から悩みを打ち明けられた。
「早雲どの、御台所をどう思う?」
「どうと申されましても」
 北川殿はため息をついた。
「氏親とも、うまく行っていないようじゃ。もう少し、ナリに気を使えばよいのじゃが。先日も美しい茜色の小袖を着ていたのじゃが、上から藍色の打掛など羽織るものだから台無しじゃ。まったく色目の合わせかたも、分かっておらん」
 北川殿が怒っているので、早雲は思わず笑ってしまった。
「笑い事ではありませんぞ。あの女性は、物覚えは決して悪くない。わたくしが聞香(香を当てる遊び)の手ほどきをいたしましたら、なかなか筋がよい。近頃は御台所と聞香をするのが楽しみじゃ。だが御台所の良いところが、どうも氏親には通じないようじゃ。閨の衣裳に衣香(香を焚きこめること)してみてはと、それとなく言っておるのじゃが」
「むむ、困りましたな」
 早雲も、格好だけは考える風をよそおった。
「まあ早雲どのに相談しても詮方ない。早雲どのは女の扱いが、ヘタじゃからな」
 今度は早雲が憤慨した。しかし北川殿の言う通りだった。戻ったら、清水幸政や多目殿に相談してみるか。思いつくのはその程度だった。


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4

 御台所が嫁いできてから三月以上たったある日、猿楽の一座が駿府にやってきた。城内に舞台をしつらえて、君臣一同観覧することになった。もちろん、今川氏親夫妻が上席に座ることになっている。早雲は事前に北川殿から、ある事を耳打ちされていた。氏親夫婦の仲が心配な北川殿は、この日のために御台所に桜色の打掛を与えたそうだ。桜の花びらの文様がついた美しい打掛で、北川殿苦心の物だという。
「これで、心を動かされぬ男はいないはずじゃ。見ておれ」
 息子を色気づかせるのに「見ておれ」もあるまい。若い頃の北川殿のじゃじゃ馬振りを思いだして、早雲は苦笑いしていた。氏親も席に着き、みな揃っているのに御台所は姿を見せない。気分がすぐれないらしい。心配になった北川殿が、侍女を呼びに行かせようとしたとき、御台所がはいってきた。
 その瞬間、誰もが息をのんだ。今まで見知っている御台所とは違う。桜色の打掛の下には淡い藤色の小袖をまとい、すみれ色の帯を太めに結んだ姿は春風のようだ。早雲のそばを通り過ぎたときに甘い追風がただよった。春の香りという「梅花」に相違ない。髪型も変わっていた。これまで、ひとすじ垂れ髪といって、後でひとつに束ねていただけだったものが、今日は違う。頬の両側に短い髪をたらす「鬢そぎ」という髪型になっているのだ。そのためか御台所の顔が細く見える。張った顎がまったく目立たない。別人のような美しさだった。清水幸政が、ささやいた。
「殿、紅の差し方に気づかれましたか。今日は、紅を口のまん中にだけ小さく差している。口が小さく見える仕掛けじゃ。これは大変な女性にございますよ」
 女に疎い早雲にも分かった。自分をよく見せる方法など、御台所は初めから知っていたのだ。今までそれを隠していたに違いない。だが夫である氏親は、妻の姿にすっかり見とれている。始まった猿楽など、ほとんど見ようともしない。口をあけて、妻の横顔を見つめていた。そんな氏親を見て、北川殿もうれしそうだ。自分が仕立てた打掛が効を奏して、夫婦仲がよくなった。やっと氏親が、新妻の良いところに気づいてくれたのだ。酒肴を用意して控えている、下働きの者たちの表情も明るい。自分たちが贔屓する御台所が、お屋形さまに認められた。お互いに頷きあって「よかった、よかった」とはしゃいでいる。料理が褒められる以上の喜びを感じていたのだ。


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5

 それから十日ほどたって、多目殿が早雲のところへやってきた。
「殿、じつはお屋形さまから呼ばれましてな。相談を受けてまいりました」
「ほう、多目殿にジカにか。わしを通さぬのは珍しい」
「いや、くれぐれも内密にとの仰せでしたが、事が事だけにお耳にいれておこうと思いましてな」
 早雲も身構えた。よほどの重大事にちがいない。何だろう。
「お屋形さまは、御台さまと閨を別にされているらしゅうございます」
「なんだと、以前からそうなのは知っていたが、あの猿楽の日からは仲良くなったと思っていた。違うのか」
 多目殿は頭をぽりぽり掻きながら、ぶつぶつ言っている。
「お屋形さまが寝所に行かれると、御台さまは具合が悪いとか、気分がすぐれぬとか申されて、拒まれるよしにございます」
「なんと、病になられたか。折角仲良くなられたのに、なんたることじゃ」
 深くため息をついて多目殿は、早雲の顔をのぞき込んだ。
「本当に殿は、男女のことに疎いのう。この公家くずれですら、察しがついているのに」
 早雲はムッとした。それが顔に出ている。
「それでは、はじめからご説明しよう。そもそも御台所が、美しさを隠していたのは二つ理由があるとにらんでおります。ひとつは『都からの姫』の前評判が、高すぎたことでござる。前評判が高ければ、期待も大きい。はじめから今のお姿で来られたとしても、高すぎる期待には沿わなかったでありましょう」
「なるほど」
「そもそも男女が一緒にくらす時、『女の美しさ』など、さほどの問題ではない」
 早雲はあきれてしまった。風采のあがらない多目殿の口から、美しさなどどうでもいいなどという言葉が出るとは思わなかったのだ。
「傾国の美女と呼ばれた楊貴妃も虞美人も、それぞれ容姿に一つずつ欠点があったと聞いています。絶世の美女ですら欠点があるのなら、世に欠点のないオナゴなどおりません。三月もすれば、欠点が目につきだすのでござる。ひるがえって、いかに不器量なオナゴでも愛嬌のひとつぐらいはある。三月一緒にくらせば、愛嬌がいとおしくなるものでございます。要は、その三月が過ぎてからどうするか、それが肝心なのでござる。それを御台さまは知っておられた。これが第一でござる」
「もうひとつは?」
「北川殿と御付の者どもでござる。これまで嫁をお取りになっても、うまく行かなかったのは、北川殿と御付の者どものいずれかに原因がある。御台さまは、そう睨んだのでございましょう。だから、北川殿と御付の者どもを先に味方につけた。その方々が、夫婦仲を取り持つように仕向けたのです。猿楽の宴で、すべてうまく運んだ。お屋形さま、北川殿、御付の者、すべての心をつかんだのでございます」
「ではなぜ、お屋形さまと仲良くせぬのだ」
 多目殿はニヤリと笑って、ふところから短冊をとりだした。
「これは御台さまが、お屋形さまに贈った歌でござる。夜お会いにならない代わりに、その歌をさしあげたらしい」

 

 春のみを 待つらむ人に 山里の
   雪間の花の 春を見せばや

 

「これは?」
「歌人で名高い、藤原家隆卿の歌にござる。お屋形さまは、その歌を受け取られてお困りになった。歌などもらって、どう返事したらよいのか。返歌をおくるとしたら、どうしたら気にいってもらえるのか。それを、それがしに相談されたのでござる」
「なるほど」
 年老いた元公家とはいえ、多目殿の博識は比類がない。お屋形さまが内密に多目殿に相談したのは、そういうことだったのだ。
「まあ、返歌のことは適当にお答えしておきました。簡単に言えば御台さまは、お屋形さまをジラしておいでなのでしょう。人情は難きを重んじて、易きを軽んずると言います。会うのが難しければ、ますます会いたくなる。お屋形さまは、生まれてはじめて恋をされているのでござる。恋して恋こがれて結ばれてこそ、キズナは深まる。まあ、そんなところでしょうな」
 自分の鈍感なことは、死ぬまで直らないだろう。早雲はそう感じていた。御台所の深謀遠慮にも、舌を巻く思いだ。自分が氏親でも、手玉にとられていたに違いなかった。
 結局、今川氏親と中御門の方の間には、男子三人をはじめ多くの子が生まれた。今川家の跡継ぎ問題は、解消したのだった。