閉じる


稲屋妻落城

試し読みできます

1

       【稲屋妻落城】
 夜が明けるまでの間、ずっとそんな城攻めが続いた。攻め手の五、六人が、崖を登ってきては突き落とされる。三丈余り(十メートル)の崖の下には、一丈(三メートル)の空堀があったはずだ。空堀も突き落とした木石や死体で、もう埋まってしまったかもしれない。落とす木石が少なくなったので、矢をお見舞いすることが多くなった。体に何本も矢がつき刺さり、敵兵が落ちて行く。
 だが、おかしい。城攻めでは敵味方合意のうえで、しばしば休戦するのが普通だった。休戦しなければ、城壁の下で苦しんでいる負傷者を手当てすることはできない。味方の死体も、収容しなければならない。倒れた味方をほったらかしにして攻め続けるなど、情のかけらも見られない。
 やがて夜が白みはじめ、風向きも変わってきた。霧ももうすぐ晴れてくるだろう。風向きのせいで、笛の音がはっきり聞こえてくる。
「あれはなんだ。笛なんかじゃねえぞ」
 誰かが言いだしたので、みな耳をすませた。
「あんたぁ。死なないでぇ」
 そう聞こえる。女の叫びだった。
 霧が晴れてくると、全てがわかった。向かいの丘の上に数珠つなぎに縛られた女たちがいる。その女たちが叫んでいたのだ。そしてふもとには男たちが五人ずつ、列になって並んでいた。この男たちが順に崖を登っていたに違いない。男たちの背には、名を書いた紙が貼られている。
(せい六)(ごん介)
 など自分の名を書いた紙を背負って、城攻めにかかっている。城兵たちには見覚えのある顔が多い。狛野荘や近隣の荘郷の男たちばかりだった。登ってくる男たちには、城から木石や矢が浴びせられる。男たちは、木石や矢を減らすために使われたのだ。そして死体となって、空堀を埋めることも役割だったのだろう。
 向かいの丘から、兵の動きはよくみえる。名を書いた紙を背負って攻めて行く兵に卑怯なことがあれば、女房や母親を殺すつもりなのだ。攻め手の兵にとって、逃げ隠れのできない仕組みだった。女たちも自分の亭主や息子に呼びかけているのだ。無事に生還することのない男にむかって。 
 見下ろすと空堀はほとんど埋まっている。死傷者と木石で一杯になっていた。手元には転げ落とすべき大木や石が、数少なくなっている。考えてみれば、敵は矢を全く放ってこなかった。矢いくさというのは、お互いに矢を放つことで成立する。矢に限りがあるため、敵が放ってきた矢を修理してまた使うのだ。敵が矢を送ってこないため、城内の矢の在庫は、もう無くなってきていた。
「オヤジさん」
「殿さま」
 将兵がかけよってきた。
 進藤昌家は、じっと目をつぶっていた。
「落ち着け。まだいくさはこれからぞ」
「落とす石や木は、もうありません。矢も底をつきかけております」
 兵が、泣き言を言う。
「ふむ、ではできるだけ引きつけて槍を使え。あわてる事はない」
 もう昼近くになる。城攻めが始まってから四刻(八時間)以上になるだろう。相変わらず、絶え間のない攻撃が続いていた。
 東の城壁を守る弥七が下を見下ろすと、性懲りもなく敵が登ってくる。槍を突きだそうとして、弥七ははっとした。見覚えのある男だったのだ。
「おぬしは、カギ垣外の平内ではねえか?」
 すると、よじ登ってきた男も顔を上げた。
「おお、チサエの弥七か。たのむ、助けてくれ」
「ばか野郎。なぜ城攻めなんぞに手を貸すんだ」
「女房を質にとられて、どうしようもねえんだ。ここを登れなかったら、あの丘で縛られている女房が殺されちまう。助けてくれ」
 弥七は、槍の代わりに手を差しのべた。柵の上に、平内を引き上げてやる。
「さあ、もう大丈夫だ。しっかりしろ」
 弥七は平内をしっかり抱きとめた。しかし、平内は腰に差していた脇差しで、弥七の喉を突いた。
「弥七、勘弁してくれ」
 弥七は信じられないという顔をして、柵から下へ落ちていった。
「カギ垣外の平内、一番乗りじゃあ!」
 向かいの丘にある大和勢の本陣にむかって、平内は大声をあげた。だが異変を知った守備兵の槍を両側から浴びて、やはり柵の下に落ちてしまった。


試し読みできます

2

「山城守、おぬしの兵もよくやっておるではないか。播磨律師(古市澄胤)さまも、喜ばれるであろう」
 大和勢の本陣で、井上九郎が話しかけてきた。狛山城守は今朝から元気がない。青くなって下をむいていた。まさかこんな城攻めに荘民たちを使われるとは、思っていなかった。古市澄胤が南山城の土民をいかに憎んでいるか、思い知ったのだ。狛野荘や近隣の荘民が次々に死んでゆく。それも稲屋妻城の武器を減らすためであり、堀を埋めるためにだ。あいかわらず、井上九郎は悠然としている。
「荘民たちも幸せではないか。律師さまの指図で死ぬのであれば、極楽往生間違いなしじゃ。そうであろう山城守」
 井上九郎はようやく腰をあげた。
「さて、そろそろ城攻めにかかるか。もういいだろう」
 井上九郎が軍配をあげると、大和の軍勢が動きはじめた。
 大和の軍勢が動きだしたことは、稲屋妻城でもすぐわかった。すでに城兵は、夜半からのいくさで疲労困憊している。気力だけで戦っているような状況だった。
 大和勢はたくさんの梯子を持ち出し、死体で埋まった堀に立てかける。びっしりと並んだ軍勢に、浴びせる石も矢も残ってはいなかった。大和勢は蟻のように城壁に群がり、越えてきた。
 大和勢にたちはだかったのは、キンヤの又だけだった。又は六尺の樫の棒を、両手に持って振り回す。
「さあさあ、今日の荷物は大和衆の死体か。地獄までの駄賃は安くしておくぞ。どんどんこい」
 数人がキンヤの又の棒で吹き飛ばされると、大和勢の腰はすっかり引けてしまった。だが、大和勢が弓矢を持ち出すと形勢は逆転した。キンヤの又の巨体は、鎧兜では覆いつくせない。隙間に矢が刺さりはじめると、又の体は血で真っ赤になった。
 又の働きも限界に近づいていた。次第に、籠城勢は追いつめられてゆく。
 これはいかん。動きだしたのは作左衛門だった。作左衛門は城門を開いて笠を振った。今でいう白旗だ。笠を振ることで、和議に持ち込もうとしたのだ。大和勢も立ち止まり、作左衛門を迎えた。
「和議を、和議を結びたい。総大将はいずれにおられる?」
 大和勢の真ん中を歩いていた作左衛門を、数本の槍が突き刺す。
「ばかめ、いまさら和議などできるか」
 作左衛門は、虚空をつかんだまま倒れた。
(千勢!)
 作左衛門は声をあげたつもりだったが、すでに言葉にならなかった。
 作左衛門が討死したことも、キンヤの又がついに倒れたことも、進藤昌家に報告がはいった。残された将兵の奮戦も、長くは続かないだろう。息子の景家が血まみれになって、近寄ってきた。
「父上、もはやこれ迄でございます。お支度を」
 進藤昌家はうなずくと、大道寺源六を呼んだ。
「源六どの、どうも分が悪いようじゃ。おぬし、伊勢新九郎さまのところに使いに行ってくれ」
 進藤昌家の言葉は、いつもと変わらず穏やかだった。
(ぶ、分が悪い?)
 分が悪いどころではない。あちこちで城兵は、なぶり殺しになっている。一緒に立て籠もっていた女子供の、泣き叫ぶ声も聞こえてくる。全滅は目前にせまっていた。
「オレはいやだ。オヤジさんと最後まで一緒だ」
 傷だらけの源六は、真っ赤になって怒鳴った。進藤昌家は諭すように言う。
「源六どの、人は誰でも役割をもって生まれてくる。わしの役割は、この城で死ぬことじゃ。たくさんの荘民が迷わずあの世に行けるよう、連れていってやらねばならん」
 聞いている源六の目から涙があふれだした。鼻水も垂れ流している。
「だが源六どの、おぬしの役割は違うはずじゃ。聡明なおぬしであれば、分かるであろう」
「オヤヂさん、オレば・・」
 うまく話せないことで、自分が涙や鼻水を垂れ流していることに気がついた源六だった。袖で顔を拭うと、進藤昌家を見あげた。昌家はいつもと同じように、にこやかな顔をしている。
「さあ、源六どの、あとのことはよろしく頼みましたぞ」
 進藤昌家に背中をさすられて、源六は思わずうなずいてしまった。
 あとはどうなったのか、源六にはまったく覚えがない。われに返って振り返ると、稲屋妻城が燃えている。断末魔の炎が、山を包んでいた。

 

 稲屋妻城が陥ちたこと、進藤父子やキンヤの又の首をあげたことを、古市澄胤は大和の鬼薗山城で聞いた。荘郷に残った土民たちも、餓死したり疫病で倒れる者があいついでいるらしい。稲屋妻や狛野の周辺は、地獄絵図そのものだ。見渡すかぎりに、人や牛馬の屍が累々と横たわっているという。
「けっこうな事じゃ。まことにこれこそ御仏の威力、諸衆の丹精をこめた祈りのたまものである。わしも祈祷していた甲斐があったわ。世を乱す悪人どもは、まとめて地獄に行くがよい」
 そう言うと古市澄胤は日々の勤行のため、うつくしい笑みを浮かべながら仏間にはいっていった。