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ペニンシュラの修羅外伝

   国境の大会戦

 

     ― 1 ―

 

 霊峰マチネーの山麓さんろくには朝靄あさもやがたちこめていた。

 草香るその中腹で守りにつくのはペニンシュラ王領軍近衛プレ軍団トリアの兵士たちだ。

 彼らの表情はいずれも険しかった。

 国王を死守する精鋭部隊だが、実戦経験がないのだ。訓練は充分に積んでいても、臨機応変が必要とされる異民族との戦いにおいて、どれだけ実力を発揮できるかは未知数であった。

 初陣の恐怖と興奮で全身を硬直させる彼らだが、あまり長く待つ必要はなかった。

 死の予兆を認識させる連絡が後陣から届いたのである。

 イ・と呼ばれる通信技師が、精霊スピリッツの力を借りて受信した想波ウェイブを翻訳し、機械的に読み上げたのだった。

『緊急警報。敵陣に動きあり。魔聴修士兵マジカル・ハルサネイションを覚醒させよ』

 材木と鉄条網でこしらえられた防御陣地が一斉に静まりかえった。

 誰もがよく理解していた。これから行われる聴音儀式が失敗すれば、敗北へ、そして死へと一歩近づいてしまうと。

 せきの音さえ聞こえない陣中で、すっく、と立ちあがった影があった。頭を覆っているフードを外すとスキンヘッドの若い男が現れた。

 この異形の男こそが魔聴マジカル修士兵ハルサネイションだ。

 人生のすべてを聴力の鍛練のみに費やしてきた耳の達人である。その鼓膜こまくは数メタール先の蝶々ちょうちょうの羽音さえも聞き逃さないという。

 髪を剃りあげたその頭部には合成樹脂でできた兜が装着されていた。こうべを保護するためのものではない。騒音を遮断し、内耳ないじを守るための装備だ。

 細い指が側面に触れると、留め金が外れ、バネの作用で兜はまっぷたつに割れた。それは頭の後ろで扇のように展開し、集音器の役目を果たす仕掛けになっている。

 陣地は水を打ったように静まりかえった。聴音行動パッシブ・ヒヤリングの間、物音を立てた者は死罪に処すと警告されているのだ。

 守備兵は全員が息を殺した。せきの音さえ聞こえない。

 魔聴マジカル修士兵ハルサネイションは目を閉じたまま、数秒だけ外音を聞き、再び兜を閉じた。そして小さな声で素早く呟いた。

「騎馬軍団が急速接近中。足音から推定される騎数は3000以上。我が防衛陣地まで、あと一五〇〇メタール」

 報告を聞いた最前線指揮官のターガリオン・モイスは、どんな生意気な兵士でも服従させられる声で、こう命令した。

「総員、アルバレストを用意しろ。第2射法にて火矢を放つのだ」

 意外すぎる命令に部下たちが視線を集中させる。

「先陣軍団長。第1射法ではなく、第2射法ですか!?

 初陣ういじんの少年兵が手持ちの機械弓アルバレストを握りしめたまま問いかけた。だがモイスは毅然とした態度を崩さない。

「そうだ。第2射法だ。弦を手で引いて矢をつがえろ。ぐずぐずするな」

 罵声に近い命令に、兵士たちは行動を起こした。持参した兵器を地面に置くや、筒先に設けられたフックに足をひっかけ、矢をセットする。

 かつて十字弓クロスボウとも呼ばれていた飛び道具には、その尾部に歯車式の巻き上げ機ウィンドラスが用意されていた。兵士はそれでげんを限界まで引っ張り、矢を放つ訓練を重ねてきた。

 それが第1射法である。発射速度は遅くなるが、威力の小さい機械弓アルバレストで突撃してくる軍馬を制止するには最善の手段だった。

 だが、モイスはここで第2射法を命じた。

 巻き上げ機ウィンドラスの力を借りず、腕と指のみで弦を絞る攻撃方法だ。

 モイスは自分の選択に自信を持っていた。威力こそ落ちるが、第1射法よりも矢の発射速度は倍増する。数が多い騎馬隊をほふるには、まずもって妥当な戦術といえよう。

 しかも放つのは動物が嫌う火矢だ。四角いやじりの後ろには、魚油をたっぷりと染みこませた布が巻かれていた。

 これならば馬も逃げよう。よけいな殺生は最低限ですむ。熱心なメルシュ教の信者でもあるモイスは、頭の隅で甘い考えを抱くのだった。

 


ペニンシュラの修羅外伝

     ― 2 ―

 

 直後、りんが塗られた火打ち石がそこかしこで耳障りな音を奏でた。漁り火を思わせる紅蓮の光が陣地に並んだ。

 攻撃準備完了。そう判断したモイスだが、再び大声で怒鳴る。

「まだ射るな! 充分じゅうぶんにひきつけてからだぞ。なお第二次攻撃から火矢攻撃は中止。通常の弓矢に切り替えて連射せよ!」

 実績から判断して魔聴マジカル修士兵ハルサネイションの報告は信頼できる。相手は3000の騎馬軍団に違いない。これが尖兵せんぺいだろう。

 ならば、まず第一波をくじく。破壊鎚はかいづちの役目を担う部隊が壊滅すれば、後続は勢いを失うこと必定である。

 国境を突破してきたザルツランド帝国軍は、過去の実例を見るかぎりだが、数よりも装備に重きを置く傾向があった。そして先鋒にはいつも最強部隊を配備している。それを壊走させたなら、勝利はペニンシュラ王領のものとなるはずだ。

 現在、山肌は紅葉で染められており、季節がら降雪も近い。国境の山岳地帯が純白の絨毯で覆われれば、軍隊の移動は不可能になる。

 そうなれば春まで時間が稼げよう。防衛態勢を構築する余裕が生まれるはずだ。だからこそ敵軍を食い止めねばならない。

 ペニンシュラ王領の興亡はこの一戦に懸かっている。モイスがあらためて阻止行動への決意を新たにした時であった。

 重々しいノイズが聞こえた。

 地面を小気味よく連打する獣の足音に相違ない。

 あれこそが軍馬の響きだ。

 そして――濃いミルクのようなもやをかきわけるようにして敵勢が現れた。

 黒一色で構成された無気味な集団だ。遠方から見れば黒い奔流にも思えるそれは、横一文字の陣形で突っ込んできた。

「今だ! 総員、放てェ!」

 射撃開始を知らせる喇叭ラッパが高らかに鳴り響くと、近衛プレ軍団トリアの兵士たちは任務を遂行した。

 数千の機械弓アルバレストの弦が鈍い不協和音を奏でた。燃えさかる火矢が天空へと射出され、放物線を描く。オレンジ色の物騒な光が、迫り来る敵軍へと降り注いでいく

 だが、しかし――。

 火矢が着弾しようとした直前、騎馬軍団から同じ色の何かが撃ち出された。

 緋色の火の玉だ。

 1つや2つではない。数百、いや数千以上の火弾が射出された。毒々しい小さな太陽は中空で爆裂するや、火矢の大半を瞬時に撃ち落としてしまった。

 モリスは自分の目が信じられなかった。それらの火弾は、寄せる軍馬の口から吐き出されたものだったのだ。

 肉薄する黒き駿馬しゅんめたちはまさしく異形の存在であった。その頭部にはたてがみはなく、かわりにつのが生えていた。耳まで裂けた口の中にはきばが幾重にも生え揃っている。純然たる哺乳類でないのは一目瞭然だった。

 数は少ない。とても3000頭はいなかった。せいぜい半分といったところだろう。その割に足音だけはけたたましい。

 まさか、魔聴マジカル修士兵ハルサネイション聴音行動パッシブ・ヒヤリングに誤りがあったのか?

 いや、違う。

 耳を鍛えることに人生のすべてを賭けてきた魔聴マジカル修士兵ハルサネイションにミスはなかった。相手が想定外の軍馬を揃えてやって来た。ただ、それだけの話であった。

 すぐ側に陣取る少年兵が悲鳴のような声を出した。

「あれは……ドラゴン・スレイプニル!」

 


ペニンシュラの修羅外伝

     ― 3 ―

 

 モリスもまた否定する材料を持たなかった。真一文字に並んで殺到する敵の馬は、8本の足を持つキメラニアンだったのだ。

 魔聴マジカル修士兵ハルサネイションはあくまでも足音から頭数を算出しただけだ。怪物が投入されたという事前情報など皆無だった。これでは間違えたとしても、誰が責められよう。

「ザルツランドの連中め。禁断の技術を使いおったか。総員抜刀だ! 神の領域に土足で踏み込む新教徒を聖なる剣で切り捨てよ! メルシュ教の本流は我らが旧教徒なり!」

 そう怒鳴ったモリスは愛刀のファルシオンを抜いた。極端に幅が広い片刃かたはの曲刀だ。

 相手は呪われた神方術マジカルタオで誕生させられたドラゴン・スレイプニル。竜の頭と馬の胴体を持つキメラニアンの肌は穿山甲センザンコウ以上に硬いと聞く。もはや弓矢で阻止はできまい。

 そう判断した末の行動だった。8本足の妖馬は信じ難い速度で突き進んでくる。ここは肉弾をもって壁となり、本陣を守らなければ。

 悲壮な決意を固めたモリスだったが、暴力の塊は速度を緩めずに防御陣地へとなだれこんできた。

 再び魔物が火焔を吐く。炎は帯状に広がり、木製の障害物をあっさりと焼き払った。

 悲鳴が陣地のあちこちからあがる。熱蒸気オーブンにも匹敵する高温の真火まひを浴びせられた近衛プレ軍団トリアの戦意は、たちまちくじけてしまった。

「うわああッ! もうだめだぁ!」

 隣の少年兵が絶叫するや、逃げだそうとした。モリスは先陣軍団長として役目を果たすべく、こう叫ぶ。

「止まれ! 敵前逃亡は軍律違反だ。戻らぬのであれば味方といえども切り捨てるぞ!」

 幸か不幸か、モリスは非情な命令を下さずにすんだ。敵弾が彼の代役を果たしてくれたのである。

 少年兵の背中へと火弾が叩きつけられた。とたんに彼は、糸が切れた操り人形のように吹き飛ばされ、そのまま斜面に激突して動かなくなった。

「おのれ!」

 部下を殺された現実と、責務を横取りされたという疎外感が、モリスの怒りを倍増させた。振り上げたファルシオンの輝きが空を切り裂く。狙うは敵の軍馬だ。

 神話では天を駆けたとも伝えられるドラゴン・スレイプニルは、さすがに飛翔こそしなかったものの、並みの馬とは比較にならぬ跳躍ぶりを示した。大人の背丈ほどもある防御柵を軽々と飛び越え、モリスの頭上で舞ったのだ。

 しかし裂帛れっぱくの気合いを込めて振るったモリスの剣が一歩勝った。

 充分な手応えを感じた直後、どさり、と肉塊が落ちてきた。それは魔の馬のひづめだ。あおぐろ蹄鉄ていてつが奇妙な角度で地面に突き刺さり、切断面から鮮血が流れ落ちる。

 その代償は高くついた。7本足となったそのドラゴン・スレイプニルは、なおも空中にとどまったまま、果敢に反撃を試みた。

 強烈な蹴りがモリスの頭上から繰り出された。手を伸ばせば届く間合いからの一撃をかわすことはできなかった。

 先陣軍団長は鉄兜サーリットをたたき割られ、気を失った。続いてドラゴン・スレイプニルは胸部へも打撃を加え、モリスの肋骨ろっこつを破壊した。

 指揮官を失った第一線防御陣地は、総崩れの様相を呈し始めたのである……。

 


ペニンシュラの修羅外伝

   隠謀の本陣

 

     ― 1 ―

 

 マチネー山の中腹に設営されたペニンシュラ王領軍本陣に敗報が届いたのは、それから数秒後のことであった。最前線で死の直前まで頑張っていたイ・たちが想波ウェイブを飛ばし、情況を伝えてきたのだ。

 それを受信した後陣軍団長補佐イートン・アンシャルは、ペニンシュラ王領の最高権力者に口頭で報告するのだった。

「国王陛下。第一陣が破られたもようです。どうかお引きください! この本陣は我らが死守いたしましょう」

 ペニンシュラ王領の国家元首という地位にあるトマソン・ラガール2世は、戦場に持ち込ませた玉座に痩せた体を乗せたまま、表情を変えずにこう告げたのだった。

「ここで余が逃げてどうなる。霊峰マチネーを抜かれたならば、首都オリエタスはがらあきになってしまうではないか。あの街を失えば国体は維持できない。敗走してきた王など、臣民は愛すまい」

 知らぬ者が耳にすれば責任感に溢れた台詞に聞こえるかもしれない。しかし、国王の本性を知るイートンは承知していた。

 それが単なるパフォーマンスにすぎないと。

 王自ら侵略軍を迎撃すべく、国境近くまで親征する。それ自体は称賛されてしかるべき行為だが、動機が不純すぎた。

 ラガール2世は冷徹な政治家であり、己の支持率が低いことを熟知していた。八年前、実兄であった前王が急逝し、その後釜に座ったにすぎない男だ。地方都市の総督には、堂々と王の愚鈍さを批判する者さえいた。

 ザルツランド帝国軍侵攻という国難に際し、ラガール2世は決断した。ここで存在感を充分に示し、国内の引き締めを図ろうと。

 王も必死なのだろうが、それは虚勢であった。大して尊敬できない主君の指先が、わずかに震えているのをイートンは見逃さなかった。

 しかし、曲がりなりにも軍勢の陣頭指揮を執る王は、なお為政者としての言葉を続ける。

「もっとも……愛されぬ王であっても生き残らなければならぬ。死を受け入れるのはたやすいことだが、それでは民が野蛮人に蹂躙されようからな。

 軍務のような瑣事さじは部下に一任したいのだが、前線を安心して任せられる将星がいないのが、我がペニンシュラ王領の弱点であった。イートン・アンシャルよ。貴官があと10歳ほど年嵩としかさであったなら、余は全軍の指揮を委ねたであろうにな……」

 王の指摘は事実であった。剣技とマジカルタオに長けているイートンであったが、彼はまだ17歳の青年にすぎなかったのだ。

 身分と世評は申し分ないとしても、部下は過半数が年上である。ペニンシュラ王領が国教としているメルシュ教は、妬みを罪過の一つとしているが、軍にも若さと才能を嫉妬する者は多くいた。前例をみても、二十歳はたち以下の人間に軍団指揮権が委ねられたケースはない。

 そして自分と祖国が置かれた情況を達観しているイートンは、国王がこちらに期待している台詞に思い至った。

 この局面になっても、ラガール2世には虚勢を張る義務があるのだ……。

 部下に督促され、しぶしぶ戦場を去ったという既成事実を欲している王に、イートンはこう進言したのである。

「国王陛下。御言葉はごもっともです。ここはやはり転進を。旗頭がたおれれば、軍が瓦解してしまうこと必定。場合によっては力尽くでも後退していただきます」

「ほう。ペニンシュラ王領の国家元首を脅迫するとは度胸が座っておるな。これが平時であるならば、いま打ち首にされても仕方なかろう。

 しかし、危急の際に有能な部下を斬首しても損のほうが大きい。熱意が空回りしたせいで思わず暴言を口走った。そう解釈しておいてやろうではないか」

 ペニンシュラ王領の慣例上、君主が臣下から進言を受け入れる場合には、何度か固辞してから承諾する決まりになっている。王たる者が示すべき謙虚と熟考の証拠――そう考えられているのだ。

 幕舎に詰める官吏かんりたちの強張った顔には、もう一声という台詞が書いてあった。武官でない彼らは、国王さえ後退すれば行動をともにできる。安全地帯への退避は、イートンの後押しに懸かっていた。

 空気を読んだイートンが、不純な期待に応じようと口を開きかけたした時である。

 幕舎に一陣の風が吹き込んだ。

 幔幕まんまくが持ち上げられ、背の高い将校が姿を見せた。甲冑キュイラッサーの上からでも豊かな胸の脹らみがはっきりとわかる。目立つ緋色の鉄兜サーリットを優雅な手つきで外すと、エクルベージュの長い髪が肩口にこぼれ落ちた。

「国王陛下に申し上げます。撤退なさる必要などございません。出撃許可さえ頂戴できれば、このエマルカが侵攻軍を撃ち破ってご覧にいれましょう」

 



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