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はじめに


 日本と韓国が領有権を争っている島根県の竹島について、たくさんの本が出ています。2012年には韓国の李明博大統領が、韓国の大統領として初めてこの島に上陸したことから、日韓の対立が深まってしまいました。

 この問題がきっかけとなって私自身、竹島について勉強しようと思い立ったものの、何回本を読んでも、すっきり理解できないですね。それはどの本も、資料も、特定の立場に立ち、相手の言い分を過小に評価しているからでしょう。
 それと、論議があまりにも枝葉末節に入り込んでいることもあるでしょう。

 もちろん、これから私が書く内容も、完全に平等とは言えないかもしれないのですが、できるかぎり私が目にした本や記事の内容を反映させたものにしてあります。

 内容も適宜アップデートしていくつもりです。

 竹島問題がこじれた原因は3つあると考えます。

 最初は日本が竹島を日本の領土に編入した時期と方法です。おりしも日本が朝鮮半島を本格的に植民地支配していこうという時期に当たっており、半ば強制的に編入したとの疑いをもたれているのです。

 2つ目は、日本と関係国の関係修復をうたったサンフランシスコ条約の中での、竹島の扱いです。米国は、当初韓国領として認めながら、後に日本領と変え、しかも講和条約の中で、竹島の帰属を明確にしませんでした。

 最後は、韓国が実力で竹島を実効支配した「李承晩ライン」です。日本は、国際法上認められないとしていますが、韓国は歴史問題をからめ、いわば植民地支配されたことの代償としてこの島を考えています。

 内容は外務省の関連ページの記述を基本に、不明な部分を追加、修正しています。竹島問題は、北方領土、尖閣諸島とならぶ日本の領土に関する問題です。複雑な歴史的経過をたどってきました。

 この問題を考えることは、生きた歴史を考えることでもあります。われわれは、歴史というと暗記だと考えがちです。サンフランシスコ講和条約は何年に結ばれたかという問いには答えられるかもしれませんが、この条約が今の日本にどういう影響を与えているかを説明できる人が何人いるでしょうか。

 韓国から取り返せ、と言う前に、竹島問題を通じて、日本の外交や歴史をいまいちど考え直して欲しいと思います。

 さらに関心のある方は巻末の参考文献を見てください。

 ご意見もお待ちしています。
 
 2012/11/23 五味洋治

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混乱していた名前


 最初にややこしい話をします。

 ここを頭に入れないと竹島問題は理解できないといってもいいでしょう。ゆっくり進みますから、おつきあいください。
 
 現在の竹島と呼ばれる島は、日本ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました。このことが日韓の論争を面倒くさくし、特に混乱させます。

 日本の外務省によれば、竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、日本がが「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認でるとしています。

 経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水(ながくぼせきすい)の「改正日本輿地路程(よちろてい)全図」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。

 1787年、フランスの航海家ラ・ペルーズが鬱陵島に至り、これを「ダジュレー(Dagelet)島」と命名しました。続いて、1789年には、イギリスの探検家コルネットも鬱陵島を発見しました。

 彼はこの島を「アルゴノート(Argonaut)島」と名付けました。しかし、ラ・ペルーズとコルネットが測定した鬱陵島の経緯度にはズレがあったことから、その後にヨーロッパで作成された地図には、鬱陵島があたかも別の2島であるかのように記載されることとなりました。

 1840年、長崎出島の医師シーボルトは「日本図」を作成しました。彼は、隠岐島と朝鮮半島の間には西から「竹島」(現在の鬱陵島)、「松島」(現在の竹島)という2つの島があることを日本の諸文献や地図により知っていました。

 その一方、ヨーロッパの地図には、西から「アルゴノート島」「ダジュレー島」という2つの名称が並んでいることも知っていました。 このため、彼の地図では「アルゴノート島」が「タカシマ」、「ダジュレー島」が「マツシマ」と記載されることになりました。これにより、それまで一貫して「竹島」又は「磯竹島」と呼ばれてきた鬱陵島が、「松島」とも呼ばれる混乱を招くこととなりました。

 1849年(嘉永2年)フランスの捕鯨船リアンクール号によるものです。リアンクール号は船名にちなんで、竹島を「リアンクール列岩」と名づけました。このため、世界ではリアンクール島と呼ばれています。日本・朝鮮でも、明治時代は「りゃんこ島」「ヤンコ島」などと呼ばれていました。


 さらにややこしいことに、約500年続いた朝鮮王朝の文献には「于山島」も出てきます。これが現在の竹島だと韓国は主張していますが、多数の島民が住んでいる、鬱陵島の南側に位置するという記述から、竹島ではないとの見方もあります。

 

 日本政府は、于山島は竹島ではないとの立場です。

 もう一度整理しましょう。江戸時代、竹島は松島、竹島は鬱陵島だった。海外では、現在の竹島はリアンクール島と呼ばれていたのです。

 日本の外務省は、長久保赤水の地図を引用していますが、初版は竹島、松島に色を付けておらず、異国扱いしていた。
 また林子平の手になる三国通覧図説には、竹島は朝鮮領となっている。この論争は、この島が領土として意味があまりなかった時のものであり、実質的にはあまり意味がない。


 



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于山島は今の竹島なのか?

 もう一度、于山島は竹島なのか考えて見ましょう。

 韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引用された『輿地志(よちし)』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(その後名称を変更。現在の竹島)である」と主張しています。

 これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山島と鬱陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もあります。

 その研究は、『東国文献備考』等の記述は安龍福の信憑性の低い供述を無批判に取り入れた別の文献(『彊界考(きょうかいこう)』(『彊界誌』)、1756年)を底本にしていると指摘しています。

 なお、『新増東国輿地勝覧』に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されています。

 もし、韓国側が主張するように「于山島」が竹島を示すのであれば、この島は、鬱陵島の東方に、鬱陵島よりもはるかに小さな島として描かれるはずです。しかし、この地図における「于山島」は、鬱陵島とほぼ同じ大きさで描かれ、さらに
は朝鮮半島と鬱陵島の間(鬱陵島の西側)に位置している等、全く実在しない島であることがわかります。


 これに対して、竹島=独島問題入門の内藤正中氏によれば、資料の読み方が恣意的で、間違いがあるとしています。これだけでは説得力がないとしているが、非常にわかりにくいので原文を読んでいただきたい。

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カイロ宣言と竹島

 日本の領土を考える上で問題になってくるのがカイロ宣言です。
  
 第二次大戦中の1943年、米国大統領ルーズベルト英国首相チャーチル中国総統蒋介石がカイロ会談し、発表した宣言日本の無条件降伏要求と、降伏後の日本領土の決定などを内容としたもので、テヘラン会談・ヤルタ会談を経て、ポツダム宣言の基礎となったものです。

 中国は、このカイロ宣言を元に、日本が実効支配する尖閣諸島について、台湾領だと主張しています。

 釣魚島(尖閣)と付属する島々は、昔から中国固有の領土であ り、中国はこれに対して争うことのできない歴史的、法的根拠 を持っている。1895年、日本は日清戦争末期に、これらの 島を盗み取り、この島やその他の領土を日本に割譲するよう、 中国政府に不平等条約の締結を強制した。第2次大戦終了後、 「カイロ宣言」や「ポツダム宣言」などに基づき、釣魚島など の島は日本が占拠した他の中国領土と一緒に中国に返還されたのである。
         ──楊中国外相の国連演説より
 

 ただカイロ宣言は、あくまで方向性を話し合っただけであり、領土問題の最終決定ではありません。国際関係を最終的に決着させるのは平和条約です。サンフランシスコ平和条約が、最終的に日本の領土問題を決着させたのです。

 そもそもカイロ宣言──時間や日付が記されておらず、3首脳の署名もないので、その有効性に疑問符がつけられているのです。2008年に、時の台湾の陳水扁総統はインタビューで、このことを指摘し、単なるプレスリリースに過ぎないと発言して話題になったことがあります。

 以下は台湾週報よりの転載です。


陳水扁総統:「カイロ宣言」は署名がないニセモノ

 陳水扁総統は3月13日、英国紙「フィナンシャルタイムズ」のインタビューに応じ、その内容が同紙インターネット版に掲載された。

 このなかで陳総統は、4年前に中国の温家宝・総理が「中国が台湾の主権を有していることは『カイロ宣言』できわめて明確に示されている」と発言したことに関して、「多くの人は『カイロ宣言』に、中国が台湾の主権を有することが明確に言明されていると信じている。過去、われわれが学生のときも、国民党政府の教育はわれわれにこう教えてきた。国際社会もそのように認識していた。(カイロ宣言が発表された)1943年からいまに至るまで、60年もの間、1943年に蒋介石、チャーチル、ルーズベルトの3カ国の首脳が中国は台湾の主権を確かに有していると決定したと、多くの人々が信じて疑わなかった」と述べた。

 そのうえで、陳総統は「1943年12月1日の『カイロ宣言』についてはっきりしているのは、時間と日付が記されておらず、蒋介石、チャーチル、ルーズベルトの3首脳のいずれも署名がなく、事後による追認もなく、授権もない。これはそもそもコミュニケではなく、プレスリリース、声明書に過ぎないのだ」と指摘した。

 陳総統は「12年後の1955年2月1日、チャーチル首相は国会質問で、『カイロ宣言』に基づいて中国が台湾に対する主権を有するということには同意できないと答えたように、当時3人にはそもそもコンセンサスなどなく、そのため署名もなかったのだということが見てとれる」と述べ、「こんなに重要な文書が英国の国家ファイルでも原本が見つからない。歴史は歪曲、改竄されることはよくあることで、以前われわれが学んだ歴史の中の『カイロ宣言』の部分は、完全にだまされていたのであり、これはきわめて厳粛な問題である」と訴えた。

 陳総統は「中国はいまも『カイロ宣言』をもとにして、中国は台湾の主権を有していると宣伝しているが、『カイロ宣言』は事実上問題がある」との認識を示し、「歴史を書き改めなければならない。われわれ台湾は主権国家であり、台湾の主権は中国大陸13億の人民には属していない。台湾の国家主権は台湾2,300万国民に属している。これは事実であり、現状でもある」と強調した。

 さらに、陳総統は「ほぼ99.9%の人が『カイロ宣言』にはそもそも中国が台湾の主権を有することが書かれたわけではないというこの事実を知らないのは、過去の教育が杜撰であり、歴史が改竄されていたからだ。だからこそ、中国は自己に有利なためこれを引用し、国民党は台湾を統治する際の法的統一の基礎としたのだ」との認識を示した。

 また、陳総統は「1971年の国連第2785号決議文の全文153字の中にはそもそも『台湾』が触れられていない。国連第2758号決議は『中国』代表権問題のみが解決しただけであり、中華人民共和国が台湾2,300万の人々を代表してよいとは言っていない。パン・ギムン(潘基文)国連事務総長や中国はこれを拡大解釈、誤った解釈をもって、『台湾は中華人民共和国の一省であり、地方政府に過ぎない』とミスリードするのは、完全に事実と合致しない」と強調した。

 陳総統は「中国の誤った解釈は『カイロ宣言』に基づいている。国連第2785号決議の誤った解釈も『カイロ宣言』から来ている」と指摘し、中国は信用できない商品が多いことを挙げたうえで、「『カイロ宣言』もニセモノだ」と糾弾し、駐外代表処や大使館など外交ルートを通じて「カイロ宣言」の歴史の真相を明らかにする考えを示した。

【総統府 2008年3月14日】

 


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竹島密約はあったのか?

 毎日新聞の記者出身で先頃お亡くなりになった三宅久之氏は、自身のブログに、竹島を巡って日韓で密約があったと書いている。


日韓基本条約交渉時に両国が合意していた、竹島(独島)の領有権問題を「事実上棚上げし、互いに領有権の主張を認め合う」という密約は、韓国でも歴代大統領に引き継がれてきたが、1993年大統領になった金泳三氏には引継ぎがなかった。理由は不明である。そこで金大統領は突然、独島の実質的支配体制を確立するため、接岸施設を設け、軍隊を常駐させ、対空兵器なども装備する要塞化を進め、今日に至った。

http://ameblo.jp/hisayuki-miyake/archive1-201208.html

 竹島を巡る交渉記録は、日本側では公開されておらず、真相は不明だが、密約の存在を口にする関係者は少なくない。

当時の事情を知っている元NHK記者も密約を認めている。
http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/entry/2846909/
その一部を掲載する。

 韓国のビジネスマン(政治経済学博士)が日本語で「竹島密約)という本を書き、2008年11月、東京の出版社「草思社」から出版した。韓国が「独島」と称して両国間で領有争いが収まらない「竹島」について「共に領有を主張しない)という密約があったことを喝破する本である。

この事実は韓国でも広く知られているので韓国政府も大衆も共に焦っている動機でもあるらしい。
「竹島密約」とは、1965(昭和40)年6月、日韓基本条約が締結された際、先立って1月11日、日本側河野一郎国務

大臣と韓国の丁一権国務院総理との間に結ばれた秘密の取り決めを指す。公式に明らかにされた事の無
い文字通り「密約」なのだ。

当時、この事実を日本側でオフレコで河野氏から聞かされていた政治記者は4人いたが皆死去し、生き残りは私だけになってしまった。


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