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15

「――うん。僕がやらなくっちゃいけないんだ。誰にも出来ない事だもん。そうでしょ、クリス?」
 にっこりと笑う僕の頭に、角は無い。
 クリスと同じような白い布を片方の肩だけから垂れ下がらせて、裾を床に引き摺りながら歩く僕。
 体は全体的に淡い光を放っている。髪は銀色。今の僕は、金色の髪なのに。
 それよりなにより。
 僕の背中にも、翼があった。
 クリスと同じ、輝く白い翼が!

「ディアッ……! 確かに、これはお前で無くば不可能だが……くそっ! 何が『魔王』だ! 何が『第二世界』の平和のためだっ!  クソジジイめっ! なぜ、人間などにあれほど肩入れするのだっ!」
 下から覗き込む僕に向かって、クリスが毒づいた。
 かなり怒っているらしい。
「こら、クリス。そんなことを言うんじゃない」
「ケイオスか。ち。何を偉そうに」
 右手の入口から余裕を感じさせる足取りでこの部屋に入り、クリスに注意をしたのはケイオスだった。

 でも。
 ケイオスは僕と同じような服装で。
 角も無ければ、髪も水色じゃなくって。
 長い爪もないし、背中には翼もある。
 クリスにそっくりだ。
 見下ろす”現在”の僕は、驚きを隠せなかった。
 シャルルは何も言わない。
 気配はあるけど、ただ見ているだけのつもりかな?
「ふん。ケイオスはディアと一緒に『第二世界』に降り立つから、そんな事が言えるのだ。残される私の気持ちも考えてみろ。どれだけ心配になるか、分かるはずだ」
 クリスは唇を突き出し、ケイオスを恨めしそうに睨んでいる。
 え? クリスは、ここに残る予定だったの?
 じゃ、なんで? なんで、“現在”、僕と一緒にいるんだろう?
 いや、なぜ《ギルトサバスの城》にいたんだろう?

「ふふん。それはお気の毒様だな。私はディアについていくよう、『主神』直々に命じられたんだ。  お前は指名されなかった。それは普段の行いの差だ。恨むなら、自分を恨むことだな」
「ちょ、ちょっと、ケイオス」
 クリスに向かって舌を出すケイオスに、僕は後ろから抱き締められた。
「あ! こらぁっ、ケイオス! 私のディアに、気安く触るんじゃないっ!」
「ちょ、クリスッ……むぐぅ!」
 僕はケイオスの懐から剥ぎ取られ、クリスの胸に抱き寄せられた。
 苦しい! 顔が胸に埋まっちゃったよ! 息が出来ない!
 僕はクリスを突き飛ばした。
「……ぷはっ! 苦しいじゃないか、クリス! 僕を殺すつもり!?」
「あう。そ、そんなつもりは! 怒らないでくれ、ディア」
 僕に怒られ、情け無い顔をするクリス。
「はぁっはっはっは! そら見ろ! お前はそんな風だから、指名されなかったんだ! はっはっはっはっは!」
 そんなクリスを指差して、大笑いするケイオス。
「あは。そうかもね。あはははは」
 僕もつられて笑った。
 温かい。ここの空気は、優しくって心地いい。
 これが三人で一緒に笑った最後の日だった。
 僕はこの次の日、ケイオスを伴って、『第二世界』へと降りていった――

 


16

 ――到着した《ギルトサバスの城》は、暗かった。
 天空から舞い降りた僕たちは、城に入って驚愕した。
 中には、夥しい数の“死体”が並んでいたからだ。
 人のような形をしているけど、それらは間違いなく人じゃない。
 ましてや、僕らのような翼もない。
 真っ黒で角が飛び出していて醜くて。
 腐りかけた肉が放つ異臭の立ち込めた城内で、僕らはしばらく、言葉をなくして、ただ立ち尽くしていた。
 ケイオスが掠れた声で話しだした。
「――これが、お前の選んだ道だ。いずれ、我われもこうなるだろう。人間たちの『闇』を吸収し続ける、この《ギルトサバスの城》で――我われは、こうして力尽きるまで、『闇』を取り込み続けるのだ……」
 ぎゅ、とケイオスの拳が握られている。
 やっぱり、納得がいかないんだろう。
 なぜ、僕らがこんな役目を与えられたのか?
 なぜ、人間たちの為に、自分が犠牲にならなければならないのか?
 放置しておけば『セカイ』に満ち、カオスを招く大罪たち。
 人々の、暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢……ありとあらゆる『罪』を飲み込み、僕らは『セカイ』を守るんだ。
 この体が朽ちるまで。この心が腐るまで。
 僕らは。
 主神『アトゥム』に従い、この命を燃やすんだ――

 

 

「――これが……僕が『魔王』になった、理由……?」
 僕はこの空間に溶け込んでいるらしい。意識だけの状態で、自分の過去を見続けた。
「人間の、ため……? 『魔王』は、人間のセカイのために、神に遣わされた者、なの……?」
 シャルルの動揺している声が聞こえた。やっぱり姿は見えない。

 ――過去の僕たちが、すぐにお城の掃除を開始した。
 僕とケイオスはなんだか良く分からない力を使って、みるみる城を片付ける。
 死者を弔い、一息ついたところで、ケイオスが天界から運んできた荷物の中に、不審な物を発見した。
「ん? こんな物を入れた記憶は無いが?」
「どうしたの、ケイオス?」
 城のエントランスホールで、冷たい石床に置かれた、一抱えに出来るような小さな木箱。
 ケイオスはそこから食器や衣類など、次々と取り出していた。
 出てきた分で、もう木箱よりも大きな山になっている。木箱は見た目どおりの内容量じゃない。
 そんな木箱から出てきた水晶球を光にかざし、ケイオスは首を捻っていた。

 でも、それが何か、僕にはすぐに分かった。
「……クリス。まさか、勝手についてきちゃったの?」
「クリス? まさか!」
 ケイオスがぎょっとして水晶珠を覗き込んだ。
 すると水晶は光を発し、
「ばれたか。やるな、ディア」
 と偉そうなことを言いながら、クリスへと姿を変えた。
「ク、クリス! お前、なぜこんな所にいる!?」
 ケイオスの顔面から血の気が引いている。錯覚か、縦線が見えるような気がした。
 僕もかなり硬直している。
 そりゃそうだよ。
 十二神でも話の分かる『軍神マルス』様のような方の旗下ならばともかく。
 クリスは十二神最高の恐怖と言っても過言ではない、あの『戦女神ヴァルキュリア』様の旗下なんだ。
 こんな勝手がばれたら、きっと間違いなく殺されるよ!


17

 そんな僕らの心配など一切気にする風もなく、クリスは涼しげに答えた。
「なぜこんな所にいるか、だと? 天界を抜け出してきたからに決まっている。そんな事も分からないのか、ケイオス」
「お、おま、お前っ……」
 ケイオスががくがくと震えている。
 無理も無いよ。
 ヴァルキュリア様って、物凄く直情傾向の強いお方だから。
 へたしたら、問答無用で僕らごとクリスを抹殺しかねないもん!
「まぁまぁ、落ち着け、ケイオス。私はディアの側にいられれば、それでいいのだ。ここにいる間は、ずっと水晶珠のふりをする。ヴァルキュリア様は探査が苦手だから、これなら絶対にばれないはずだ」
「「えええええええ!」」
 自信満々に言い放つクリスに、僕とケイオスは溢れ出る感情を抑えることが出来ず、ただ叫んだのだった。

 それから、僕らの《ギルトサバスの城》での生活が始まった。
 心配していたヴァルキュリア様からのお咎めもなく、僕らは胸を撫で下ろした。
 僕は城の最上階にある玉座の間に、ずぅっと篭りきり。
 豪華だけど、暗くて重厚で息苦しい、玉座の間に。
 毎日毎日、ただ玉座に座り続ける。恐ろしいデザインが施された玉座に。
 それが僕の、『魔王』としての仕事だ。
 退屈な毎日に、ケイオスとクリスの存在は、本当にありがたかった。

 

 

 そして、百年も過ぎた頃――僕とケイオスの身に、異変が起き始めた。
「ディア……角、が……。翼も、とうとう消えてしまった……」
「うん。でも、仕方がないよ」
 心配そうなケイオスに、僕は出来るだけ明るく答えた。
 突然だった。
 僕とケイオスの姿が、変貌した。
 全体から淡く放っていた光もとうに消えて、僕らはくすんだ色になっていった。
「……『闇』だ。体が『闇』に侵食され始めた。なんてことだっ……なんて……」
 水晶珠としてこの部屋の隅に鎮座しているクリスが、悲しげに呟いた。
「クリス。お前はそのままの姿でいるんだ。体組織を物質的に変化させているその状態なら、我われほど『闇』の干渉は受けないだろうからな」
「ケイオス……」
 ケイオスに優しくそう諭されて、クリスは声を詰まらせた。

 ケイオスはバルコニーに出て、外の世界を見渡した。
 僕は玉座から悲壮感の漂うケイオスの背中を見つめた。
「……この《ギルトサバスの城》で『闇』を取り込むのが間に合わなくなってきたようだ。外界には、『魔物』が発現し出している」
 遠くを見つめるケイオス。その手はバルコニーの手すりを握り締め、震えている。
「予定より早い。人間たちの発する『闇』が、想像以上に膨れ上がっているからだ」
 僕はケイオスの言葉を黙って聞いた。
「前任の『魔王』は、五百年在位した。このペースでは……ディアは、あと二百年も、もたないかも知れないな……」
 ケイオスの悲観的な予測に、僕は悲しくなった。
 ケイオスの予想は良く当たる。だから、余計に悲しいんだ。

「はっ。人間どもめ。近頃、戦争を正当化する詭弁を使い始めたようだからな。『フェーデ』とか言ったか?  なんだかんだと言いがかりをつけ、正当な『決闘』として他領地に攻め込む騎士どもが横行し出したようだ。やられる都市側は身代金を払い、これを回避するのに必死だ。はははっ。全く、人間とは本当に愚かな生き物だ」
「そうなんだ……」
 クリスから聞く話も、僕にとっては凄く悲しいものだった。
 人々の負の感情から生まれる『闇』は、やがてセカイの全てを覆い、なにもかもを無に帰すだろう。
 僕らはそれを阻止したくて、こうして地上に降りてきた。
 前任がそろそろ限界だという話を聞いた時、僕は『魔王』を引き継ごうと決心した。
 僕は、人間が好きだった。


18

 天界からたまに覗くと、地上で生きる人々は、みんな一生懸命で。
 畑を耕し、魚を捕り、ものを作り、諸国を渡り歩いて商いし。
 凄く大変そうなのに、自分の夢や、大切な人のため、みんな必死で頑張っていた。
 僕はといえば、平和でのんびりとした天界で、毎日ケイオスやクリスと一緒に過ごして。
 あの人たちの役に立ちたい。
 少しでも、助けてあげたい。
 だから僕は魔王になろうって思った。
 天使長の中では、僕が一番大きな力を有していたから、なろうと思えば簡単だって分かってた。
 主神アトゥム様に「僕に魔王をやらせてください」って頼んだら、思ったとおり、快諾されて。
 それを知ったケイオスも、従者役を買って出てくれて。
 これで、僕は自分の“存在意義”を得たと思ってた。
 なのに。
 現実は、残酷だった。

 魔物はどんどん数を増やし、頻繁に人間を襲うようになった。
 当然だよ。
 魔物は人間たちの『罪』だから。
 人間を恨んで当然の『生』だから。
 限りない怒りや妬みを秘めたまま、自然に朽ちることもない魔物たち。
 彼らの願いは、一つだけだ。
『消してくれ』
 そう願い、人間たちを襲うんだ――

 

 僕が絶望を深める中、ケイオスは立ち上がった。
「魔王軍を編成する。魔物を討伐する、魔王直属の軍勢を!」
「それはいい考えだね、ケイオス! 僕、賛成するよ!」
 僕はケイオスのプランを実現すべく、出し惜しみせず『力』を使った。
 ケイオスと協力して作り出した『魔王軍』の戦士は、強かった。
 この城の門番には『ヘカトンケイル(百腕巨人)』、外界をうろつく魔物の討伐には『キュクロプス(一つ目巨人)』、そして、ヴァルキュリア様の私兵を参考にした『アマゾーネス(女戦士)』たちを送り出した。
 これらはケイオスの『命』そのものを使い、僕が作り出した軍隊だ。
 でも、人間には区別がつかない。
 どちらも『魔物』としてしか見てくれない。
 だから、魔王軍は人間とも望まない戦いをするはめになった。

 魔王軍の戦士たちは、大切な戦力だ。倒されても、また作り出すほどの魔力は使えない。
 僕らには『魔王』としての義務がある。
 僕の後任が現れるまでは、石に齧りついてでも頑張らなくっちゃならないんだ。
 魔物に敗れて消耗するならともかく、人間に消されるのは悲しすぎる。
 ケイオスは魔王軍を操り、極力犠牲を出さないように努めた。
 やがてケイオスは『魔軍参謀』と、人間に呼ばれるようになった。
 もちろん、僕らは人間たちに「危害を加えるつもりはない」って伝えている。
 でも、人間は信じてくれなかった。
「そんな禍々しい姿で、何を言う」と。

 

 確かに、そうだ。

 ある日、日に日に凶悪な姿になってゆく自分に、僕は……耐え切れなくなった。
「ケイオス。僕を……殺してくれないかな?」
 そんな事を口走ってしまうほどに。
「そんなこと、出来るはずがないだろう」
 ケイオスは僕の願いを一蹴した。
 分かってる。そんなの、分かってるんだ、僕だって。
 だから、僕は。
「じゃあ、僕の記憶を消して」
「なに?」
「僕……人間を、嫌いになりたくないんだ……。僕が生きている意味を……自分で、否定したくないんだ……」
「ディアッ……!」
 僕の背はケイオスを追い越していた。
 長い角が頭から伸び、髪は金に染まり、口からは牙が突き出している。
 ケイオスも、背は相変わらずだったけど、すっかり姿を変えていた。
 ケイオスは僕の胸に顔を埋め、そして。
「分かった。私はこれより、お前をディアボロと呼ぼう。記憶の蘇ることのないように。そして、臣下のごとく振る舞おう。私が、『ディア』を忘れるために」
 静かに。
 僕の頭に手をかざした。


19

「これが、『魔王』の、真実……」
「シャルル?」
 気が付くと、僕はまた白の十字架に磔にされた状態で、シャルルを見下ろしていた。
 シャルルは地面らしきところに座り込み、なにかぶつぶつと呟いている。
 あの灰色の空間と同じく、周りには何も無い。
 でも、色が変わっていた。
 辺りは、一面うす赤く染まっていた。
 僕は、何もかもを思い出していた。
 《ギルトサバス》を出てから、知らないはずの事を理解出来たりしていたのは、ケイオスが僕を侵食していた『闇』を吸収すると同時に、記憶の封印を欠損させたせいだ。
 僕はそう思った。

 シャルルがゆらりと立ち上がり、顔を上げた。
「そう。あなたは、自ら『魔王』となることを望んだくせに、ケイオスに逃げ道を求めたわけね。何も知らない自分になることで、辛い記憶と『使命』から逃げ出した……」
 シャルルはぞっとするような冷笑を湛えて、僕を見つめた。
「ひどい話だわ。あなたはそれで楽になれるでしょう。でも、あなたの為にとついてきたケイオスはどうなるのかしら?  彼と、クリスという天使。二人は、あなたの苦しみまでも引き受けなければならなくなったんじゃないかしら?  あなたに二度と辛い思いをさせないように。極力、外界とあなたとの関係を悟られないようにしなければならなくなった。……自分勝手なあなたを守るために!」
「うっ! ……あ? わあぁぁぁぁぁぁっ!」
 シャルルが僕を指差すと、『対極の槍』はさらに大きくなった。
 それにつれ、貫かれたお腹が引き伸ばされ、酷い激痛が僕を襲った。
「ううっ! ぐうぅっ! あああっ!」
 間断なく続く激痛に、僕は悲鳴を上げ、体を捩る。

「見なさい。『対極の槍』が反応しているわ。あなたの『矛盾』に。あなたの『罪』に!」
 シャルルは天を仰いで両手を掲げた。
「その痛みは、あなたへの『罰』! 受け入れ、気が狂うまで苦しみなさい! 心が粉々に砕けるまで!」
 そうか。そうだね。シャルルの、言う、とおり、だよ。
「その様子だと、『未来』に訪れる、死の瞬間を見せてあげるまでもなさそうね! さぁ、このまま消えなさい! このセカイから、永遠に!」
 これは、僕の『罪』なんだ。だから、『罰』を受けるんだ。
 僕、一生懸命にやってきたつもりだったけど。頑張ってきたつもりだったけど……。
 全然、ダメな魔王だったんだなぁ……。
 でも。  せめて。  一度でもいい。  一度で、良かったんだ。
「ありがとう」
 そう、言って欲しかった。
 誰でもいい。  そう、言って、欲しかった……。
「ごめんね、ケイオス。ごめんね。クリス……」
 最後の力を振り絞り、呟いた。
 きっと届かないだろうけど。
 僕には、もう、これぐらいしか出来ないから――

 

『死』を身近に感じる。

「おやおや。これは素晴らしい力だ」
 その時、僕ら以外、誰もいないはずの空間に、第三者の声が響いた。
「う……?」
 閉じかけていたまぶたを持ち上げ、僕は声の主を探した。
「誰っ!?」
 シャルルが振り向いている。
 その先には。
「このまま死なれては困るな、ディア。私はまだ、キミの望みを聞いていない」
「……ハッ、ピー……?」
 そこには飄々とした雰囲気を纏い、ハッピーが、本当に普通に立っていた。
 黒い体。黒い顔。角とコウモリのような翼が黒く痩せこけたシルエットから突き出している。
 ぱちぱちと瞬くまん丸な赤い瞳と、開けっ放しの裂けた口。
 見間違えようもない。
 これは、間違いなくハッピーだ!



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