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12

「う……」
 目を開けると、灰色の空が広がっていた。
「ここは……?」
 寝転んでいたらしい。僕は立ち上がって辺りを見回した。
 鬱蒼と茂る木々の間から、遠くにある山々の稜線が連なっているのが見えた。僕はかなり見晴らしのいい所にいるようだ。
 でも、本来なら緑に覆われているはずの木々や山々は、全てグレーに塗り潰されている。
 僕は振り返って後ろを見た。
「これは! シャルルの家だ……」
 さっきまで中でみんなと話していたシャルルの家が、僕の背後に建っている。
 でも、素朴でかわいらしいその家も、周りに咲く小さな花々も、全部色が失われていた。

「色の無い、セカイ……?」
 そこに“命”の気配は無かった。
 形は同じはずなのに、色が無いだけでこんなにも寂寥感があるなんて。
 寒々とした灰色の光景に、僕は心細さを感じずにはいられなかった。
 無意識に自分の体を抱き締めた時、天空から声が降りてきた。
「ここは、わたしのセカイ。わたしの、心のセカイ」
「シャルル!? その声は、シャルルだね? どこにいるのっ?」

「すぐに行くわ。……あら? あなた、本当に魔王なの? 間違えて、関係ない女の子を連れて来ちゃったのかしら? 覚えた声を頼りにして魔法を発動させる間際、『え?』とは思ったけど……」
 やはりシャルルの姿はない。声しかしない。
 でも、魔法? これはシャルルの魔法? シャルルは、魔法が使えたのか!
 僕はその事実に驚きながら、シャルルの不安を取り除こうと返事をした。 
「そ、そうだよ。僕が、『魔王』。ディアボロって呼ばれていた、魔王なんだ。本当の名前はディアっていうらしいけど」
「……? 意味が分からないわ。でも、魔王ならそれでいい」
 声が近くなったように感じ、僕は素早く首を巡らせた。
「ここよ」
「シャルル……っ!」
 すぅっと空間から浮き出るように姿を現したシャルルにも色が無い。
 でも、一つだけ色を持つものがあった。
 それはシャルルの頭上に浮いている。僕はそれを見上げた。

「槍?」
 それは槍だった。でも、普通の槍じゃない。
 銀色に輝くその槍は、とにかく長い。太く、大きい。
 《アルクデスタ》の街に城まで伸びていたメインストリートがあったけど、あれぐらいは優にある。
 そして、両端は畳んだ傘のように尖っていて、普通の槍にあるはずの“柄尻”が、“石突”が無かった。
「なに、これ……?」
 シャルルの瞳が静かに細くなり、僕を見据えた。
「この槍は『対極の槍』、というの。これは狙いを定めた対象の“矛盾”を突き刺し、抉り、破壊する。  “対象”ってなんだと思う? 破壊されるとどうなると思う?」
 表情の無いシャルルの説明に合わせるかのように、槍はゆっくりと上空で回転を始めた。
 僕はシャルルを視界に収めたまま、首を左右に振った。

「“対象”は、あなたの“心”。そして、破壊されれば“精神”が“死ぬ”わ」
「“精神”が、“死ぬ”……?」
 僕にはシャルルの言っている意味が分からなかった。
「人はね。“肉体”と“魂”、そして“精神”から成り立っているわ。このうちの、どれか一つが欠けても、もう人としては生きられない」
「えっ……?」
 僕はこの話を聞いた事があった。
 ケイオスから、聞いていた。
『いいですか、ディアボロ様。船に例えるならば、肉体は船体、魂は帆。そして、精神は舵です。船体はそれだけでも水に浮き、帆はそれだけでも風を受けることが出来ます。しかし、舵はそれだけでは役に立たない。舵は二つをコントロールする事でしか、価値を得られないのです』
 じゃあ、精神を壊されるって?
 色の無いシャルルの腕が、ゆっくりと上がってゆく。ぴんと立てられた人差し指が、頭上の巨大な槍を指す。
 ふと背後に気配を感じ振り返る。
 真後ろに、僕の五倍はありそうな、真っ白な十字架が立っていた。


13

「あなたの精神は肉体とも魂とも切り離され、わたしのセカイに囚われたわ。知ってる? 精神は意思であり、それ自体にはなんの力も無いの。ここでは、何も出来ないわ。ただ、わたしに貫かれ……死ぬしかないのよ!」
 シャルルの腕が僕に向けられた。人差し指は真っ直ぐ僕を捉えている。
 刹那、
「うあああああああああッ!」
 僕の体は巨大な槍に貫かれ、背後の十字架に激突した。槍は僕ごと十字架を貫通し、動きを止めた。
「あ、うあ、あぁ……」
 僕は十字架の真ん中で、槍に縫い取られた。
 腹部から伸びる銀の槍は、遥か向こうまで伸びている。切っ先が、鋭い光を放った。
 激痛が全身を駆け巡る。
 痛い。いた、い。
 震える手を、お腹から生えたような槍にぺたりと置く。
 ひんやりとした感触と共に、ずしりとした重厚感を得て、僕ははっきりと理解した。
 これは、僕の力では抜けない、と。
「痛い? 痛いでしょう? それがわたしの心の痛み。お兄さまを失った、わたしの痛み。あなたはそれを味わって、自分が何をしたのかを、ゆっくりと理解すればいいわ」
 どこからか吹き始めた風に赤いはずの髪を揺らし、シャルルが口角を吊り上げた。
 満足そう、だ。
 僕が苦しむ姿を見て、シャルルは欲求を満たしている。
 この感じは、知っている。 ウィルたちが僕を切り刻んだときと……同じ、だ。
 気付けば周りには何も無くなっていた。
 シャルルの家も、花も、山々も。
 一面灰色のセカイの中、僕と、僕を縫い付けた十字架と槍。そして、グレーのシャルルだけが存在している。
 どれぐらいそうしていたのか分からない。痛みは時間を遅く感じさせるから。
 そのうち、ぴくぴくと蠢く僕に、シャルルが声をかけてきた。
「……やっぱり、これぐらいでは壊れないのね。さすがは魔王、と言ったところかしら?」
 シャルルは腰に手を当てて、溜め息混じりにそう言った。

「もうやめて」と言おうとして、僕は口を開き……すぐに閉じた。
 これがシャルルの悲しみだから。
 これは僕が与えた悲しみだから。
 このままだとどうなるのか、僕には分からないけれど。
 このまま。
 シャルルの為に、痛みを受けよう。
 僕はそう思った。
 ただ、涙が流れた。
 これは、シャルルのためのもの?
 それとも、自分のためのもの……?
「何か言いかけたわね? 助けを求めても無駄よ。わたしはもちろん、外にいる人も、誰もあなたを助けはしないわ。物理的な力では、この『セカイ』は壊せない。現実世界で、わたしとあなたの肉体は、力を失くして倒れているわ。外では、きっと必死でわたしたちを目覚めさせようとしているでしょうけど……。無駄よ。それはわたしの意思でしか出来ないわ」
「そう。分かったよ、シャルル」
 そう言おうとしたけど、痛くて声が出せなかった。代わりに、僕は小さく頷いた。

「まだ考える力があるようね? ふふふ。でも、もうそれも出来なくなるわ。ここからがわたしの本当の『力』。『対極の槍』が持つ能力『クロノ・リード』の、真骨頂なんですもの」
 だらりと垂れた自分の頭。
 大きな十字架に磔にされて、見下ろす霞んだ視界に、シャルルが笑っているのを確認出来た。
 直後、お腹から伸びている槍が更に輝きを強めた。
 凄まじい魔力を感じる。ウィルからも魔力を感じたけど……こんなに強くはなかった。
 シャルルは何をするつもりなんだろう?
 こんなに膨大な魔力を、全て僕に向けるんだろうか?
 こんなの、とてもじゃないけど、無事でいられる気がしない。
 怖い――
 僕はシャルルに恐怖した。

 


14

「行くわよ」
 シャルルが槍に手をかざした。
「う、あぁぁぁぁっ!」
 槍は一気に膨らんで、僕を内部から――お腹から、引き裂いた。
「ぎゃあぁぁぁぁっ!」
 自分がばらばらになる痛みに、気が遠くなる。
 ――でも、それはすぐに収まり、
「あ。あれ?」
 僕は、真っ白な石壁に囲まれた空間にちょこんとへたり込んでいた。
 手を見る。足を見る。ちゃんと体に繋がっている。
 でも、何かがおかしい。
 僕は僕の座り込んでいる姿を、上から見ていた。
 自分がいる。
 僕は自分を見下ろしていた。

「――あれは、あなた。過去のあなたよ」
「シャ、シャルル!? どこ? どこにいるの?」
 見回すけど、姿はなかった。それどころか、自分の存在さえ曖昧だ。
 また? どうなってるの、これ?
「これから、あなたは自分が何をしてきたのか、そして、これからどうなるのかを見ることになるわ」
 シャルルの声は、抑揚無くそう告げた。
「誰もが、過去に罪を持っている。そして、未来には死の運命が待っている。わたしは精神のみで時間を自在に行き来して、それを対象に見せられる。それが『クロノ・リード』の力なの」

「クロノ・リードの、『力』……」
「そうよ。今までは制御出来ずに、いろんな人の過去と未来を、無意識に覗いてしまったわ。  その度、わたしは深い悲しみに襲われた。この『セカイ』の残酷さを知ったから。  でも、今日は違う。あなたへの“怒り”が、この恐ろしい力を、わたしに制御させているんだわ」
 僕は自我の境界も認識できないまま、シャルルの言葉を理解しようとした。
 でも、どう考えても分からない。
 これが、何だっていうんだろう?
 ただ、ウィンザレオがシャルルの事を教えてくれなかったり、目隠しをした理由は、きっとこれなんだと思った。
「人は何かを守るため、誰かを守るために、何かを壊し、誰かを殺して生きているわ。個人的には正義でも、全体的には悪を為してしか生きられない。それでも人は生を願い、幸せを求めるの。それがいかに残酷で間違っているか。はっきりと目の当たりにし、精神を保っていられる者はいないのよ」
「シャルル……」
 僕は考える。
 これが、こんな小さな女の子の言う事だろうか?
 シャルルは、今までに何をその目で見て来たんだろうか?

『なんつーか。シャルルには、何も無い。何も無い者には、何も必要ないだろう?』
 いつかウィンザレオの言っていたことが脳裏に蘇った。
 瞬間、僕は理解出来た気がした。
 シャルルは、絶望しているんじゃないだろうか?
 このセカイに。
 このセカイの人々に。
 そして、自分を置いて死ぬ事を知ってしまった、ウィルに――
「見なさい。自分の姿を。見なさい。自分の罪を。そして知るのよ。その果てに、どんな死が待っているかを」
「僕の、罪? 僕の……死……?」
 眼下で、“僕”が動き出した。

 

 

 僕は白い石組みで形作られた、神殿のような建物の一室にいる。
「うっ!」
 瞬間、脳内が真っ白にフラッシュバックした。
 突然、今まで思い出せなかった記憶が蘇った。
 僕はここを知っている。
 ここは、僕の生まれ育ったところ。
 ここは。“天界”だ!
 アーチ型の出入り口が四方にある。正面の入口から、カツン、コツンという足音が近付いてきた。
 昔の“僕”が、そちらを見やる。
「――本当に行くのか、ディア?」
 やがて顔を出したのは、クリスだった。
 《ギルトサバスの城》で初めて現れた時と同じ、ゆったりとした優雅な白い布が、胸と腰だけを隠している。
 背中には真っ白な翼が、神秘的な光を放っていた。
 表情は暗い。何かを心配しているみたい。
 その時の僕が、クリスに答えた。


15

「――うん。僕がやらなくっちゃいけないんだ。誰にも出来ない事だもん。そうでしょ、クリス?」
 にっこりと笑う僕の頭に、角は無い。
 クリスと同じような白い布を片方の肩だけから垂れ下がらせて、裾を床に引き摺りながら歩く僕。
 体は全体的に淡い光を放っている。髪は銀色。今の僕は、金色の髪なのに。
 それよりなにより。
 僕の背中にも、翼があった。
 クリスと同じ、輝く白い翼が!

「ディアッ……! 確かに、これはお前で無くば不可能だが……くそっ! 何が『魔王』だ! 何が『第二世界』の平和のためだっ!  クソジジイめっ! なぜ、人間などにあれほど肩入れするのだっ!」
 下から覗き込む僕に向かって、クリスが毒づいた。
 かなり怒っているらしい。
「こら、クリス。そんなことを言うんじゃない」
「ケイオスか。ち。何を偉そうに」
 右手の入口から余裕を感じさせる足取りでこの部屋に入り、クリスに注意をしたのはケイオスだった。

 でも。
 ケイオスは僕と同じような服装で。
 角も無ければ、髪も水色じゃなくって。
 長い爪もないし、背中には翼もある。
 クリスにそっくりだ。
 見下ろす”現在”の僕は、驚きを隠せなかった。
 シャルルは何も言わない。
 気配はあるけど、ただ見ているだけのつもりかな?
「ふん。ケイオスはディアと一緒に『第二世界』に降り立つから、そんな事が言えるのだ。残される私の気持ちも考えてみろ。どれだけ心配になるか、分かるはずだ」
 クリスは唇を突き出し、ケイオスを恨めしそうに睨んでいる。
 え? クリスは、ここに残る予定だったの?
 じゃ、なんで? なんで、“現在”、僕と一緒にいるんだろう?
 いや、なぜ《ギルトサバスの城》にいたんだろう?

「ふふん。それはお気の毒様だな。私はディアについていくよう、『主神』直々に命じられたんだ。  お前は指名されなかった。それは普段の行いの差だ。恨むなら、自分を恨むことだな」
「ちょ、ちょっと、ケイオス」
 クリスに向かって舌を出すケイオスに、僕は後ろから抱き締められた。
「あ! こらぁっ、ケイオス! 私のディアに、気安く触るんじゃないっ!」
「ちょ、クリスッ……むぐぅ!」
 僕はケイオスの懐から剥ぎ取られ、クリスの胸に抱き寄せられた。
 苦しい! 顔が胸に埋まっちゃったよ! 息が出来ない!
 僕はクリスを突き飛ばした。
「……ぷはっ! 苦しいじゃないか、クリス! 僕を殺すつもり!?」
「あう。そ、そんなつもりは! 怒らないでくれ、ディア」
 僕に怒られ、情け無い顔をするクリス。
「はぁっはっはっは! そら見ろ! お前はそんな風だから、指名されなかったんだ! はっはっはっはっは!」
 そんなクリスを指差して、大笑いするケイオス。
「あは。そうかもね。あはははは」
 僕もつられて笑った。
 温かい。ここの空気は、優しくって心地いい。
 これが三人で一緒に笑った最後の日だった。
 僕はこの次の日、ケイオスを伴って、『第二世界』へと降りていった――

 


16

 ――到着した《ギルトサバスの城》は、暗かった。
 天空から舞い降りた僕たちは、城に入って驚愕した。
 中には、夥しい数の“死体”が並んでいたからだ。
 人のような形をしているけど、それらは間違いなく人じゃない。
 ましてや、僕らのような翼もない。
 真っ黒で角が飛び出していて醜くて。
 腐りかけた肉が放つ異臭の立ち込めた城内で、僕らはしばらく、言葉をなくして、ただ立ち尽くしていた。
 ケイオスが掠れた声で話しだした。
「――これが、お前の選んだ道だ。いずれ、我われもこうなるだろう。人間たちの『闇』を吸収し続ける、この《ギルトサバスの城》で――我われは、こうして力尽きるまで、『闇』を取り込み続けるのだ……」
 ぎゅ、とケイオスの拳が握られている。
 やっぱり、納得がいかないんだろう。
 なぜ、僕らがこんな役目を与えられたのか?
 なぜ、人間たちの為に、自分が犠牲にならなければならないのか?
 放置しておけば『セカイ』に満ち、カオスを招く大罪たち。
 人々の、暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢……ありとあらゆる『罪』を飲み込み、僕らは『セカイ』を守るんだ。
 この体が朽ちるまで。この心が腐るまで。
 僕らは。
 主神『アトゥム』に従い、この命を燃やすんだ――

 

 

「――これが……僕が『魔王』になった、理由……?」
 僕はこの空間に溶け込んでいるらしい。意識だけの状態で、自分の過去を見続けた。
「人間の、ため……? 『魔王』は、人間のセカイのために、神に遣わされた者、なの……?」
 シャルルの動揺している声が聞こえた。やっぱり姿は見えない。

 ――過去の僕たちが、すぐにお城の掃除を開始した。
 僕とケイオスはなんだか良く分からない力を使って、みるみる城を片付ける。
 死者を弔い、一息ついたところで、ケイオスが天界から運んできた荷物の中に、不審な物を発見した。
「ん? こんな物を入れた記憶は無いが?」
「どうしたの、ケイオス?」
 城のエントランスホールで、冷たい石床に置かれた、一抱えに出来るような小さな木箱。
 ケイオスはそこから食器や衣類など、次々と取り出していた。
 出てきた分で、もう木箱よりも大きな山になっている。木箱は見た目どおりの内容量じゃない。
 そんな木箱から出てきた水晶球を光にかざし、ケイオスは首を捻っていた。

 でも、それが何か、僕にはすぐに分かった。
「……クリス。まさか、勝手についてきちゃったの?」
「クリス? まさか!」
 ケイオスがぎょっとして水晶珠を覗き込んだ。
 すると水晶は光を発し、
「ばれたか。やるな、ディア」
 と偉そうなことを言いながら、クリスへと姿を変えた。
「ク、クリス! お前、なぜこんな所にいる!?」
 ケイオスの顔面から血の気が引いている。錯覚か、縦線が見えるような気がした。
 僕もかなり硬直している。
 そりゃそうだよ。
 十二神でも話の分かる『軍神マルス』様のような方の旗下ならばともかく。
 クリスは十二神最高の恐怖と言っても過言ではない、あの『戦女神ヴァルキュリア』様の旗下なんだ。
 こんな勝手がばれたら、きっと間違いなく殺されるよ!



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