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 シャルルの嗚咽とむせび泣く声だけがしんと静まり返った部屋に響いている。僕はかける言葉を見つけられず、ただシャルルを見ていた。クリスは厳しい表情でシャルルを睨みつけている。ハッピーは普通だ。どうもシャルルの気持ちが分かっていないみたいだ。
 ウィンザレオがシャルルの頭に手を乗せた。
「しっかりしろよ、シャルル。分かっていたことだろう?」
「……分かっていたって……分かっていたって! 悲しいものは悲しいのっ!」
 シャルルは激しくかぶりを振った。振り落とされた涙が、ぽとぽとと床を叩いた。
 僕はその会話に驚き、席を離れてウィンザレオの腕に手を置いた。
「それ、どういうこと、ウィンザレオ? 分かってた?」

「まぁな。ウィルが死ぬことは知っていた。なんとか出来ねぇかと思って《ギルトサバスの城》の周りをちょろちょろしてたんだが……。結局、アーク公国の正騎士どもに邪魔されてな。チャンスが掴めなかった」
 ウィンザレオはそう言うと自虐的な微笑を浮かべた。
「そうか。貴様は魔王討伐軍に選ばれず、やむなくあそこにいたんだったな。選ばれなかったのは、その飛び抜けた強さゆえ、だな。はっ。全く、人間とはつくづく馬鹿な生き物だ」
 クリスはウィンザレオの立場を即座に理解したみたいだ。
「グファ。俺もそう思うぜ。俺が行きゃあ、手柄を全部取られちまうとでも思ったんだろ。俺はそんなものに興味はなかったんだがな」
 太い銀色の眉を下げたウィンザレオの顔には、“諦め”が滲んでいた。
「素直に正騎士団の言いなりになるとは、キミらしくないように思うが。強引に乗り込めば良かったのではないかな?」
 ハッピーはカップを置くと、ウィンザレオに首を傾げて問いかけた。
 なんだか優雅な動きだ。

「うるせえな、この悪魔は。そんなこた、どうだっていいだろう」
 ウィンザレオはむっとしてハッピーを睨む。
「ははぁ。シャルルか。この小娘が心配で、無茶できなかったんだな。おそらくはウィルを騎士団に取り込む際、二人を《アルクデスタ》で庇護する旨の契約がなされたのだろう? でなければ、領主がこんな小娘一人のご機嫌を取る理由がない」
 そんなウィンザレオの心を見抜いたのか、クリスが語り始めた。
 ご機嫌取り? 毎日紅茶を届けたり、ってことかな?
「正騎士団が貴様を反逆者と見なせば、ウィルも貴様を討たねばならなくなるはずだ。助けるつもりが敵になっては仕方がない。なるほど、いくら力があろうとも、それでは動けまい。馬鹿過ぎる。本当に、人間とは馬鹿過ぎる生き物だ」
「おいっ! てめぇ、それをシャルルの前で言うなぁっ!」
「ウィンザレオ!」
 目にも留まらぬスピードで、クリスの胸倉を片手で掴んで持ち上げるウィンザレオ。僕は一言だけ発するのがやっとだった。
ウィンザレオは本気で怒っているみたいだ。宙吊りにされたクリスは「く」と呻いて自分を掴むウィンザレオの腕に爪を立てている。
 でも、そうか。そんなことを聞かされれば、シャルルは「自分のせいで」って思いつめるかも知れない。これは、クリスが悪い。分かってても、言っちゃダメなことだってあるんだ!  

「ぐ……無礼な“ケダモノ”め。私は第一世界の天使長、クリス・クロスなのだ。今すぐその汚い手を離せ。さもなくば……」
 クリスの背中から、ぶわ、と白い翼が広がった。
 まずい! 白い羽を撃ち出すつもりだ!

 


10

「ダメだよ、クリス! 今のはクリスが悪いよ!」
「ディア?」
 真っ白に輝き出した翼を僕は後ろからぎゅ、とまとめて抱き締めた。
「ウィンザレオ! 手を離して! クリスを許してあげて!」
 そして僕はウィンザレオに向かって叫んだ。
 ダメだ! 二人が本気で戦えば、この家だって吹き飛んじゃう!
「お姫様……に、言われちゃ、しゃーねぇか。大丈夫だ。そんな泣きそうな顔、すんじゃねぇよ。グファファ」
 ぱ、とウィンザレオが手を離す。
 クリスはどすん、と椅子に腰を落とした。
「あう」
 僕はどて、と床に尻餅をついた。
「ありがとう、ウィンザレオ。ごめんね」
 ほ、と胸を撫で下ろし、僕は力ない笑顔を作った。
「げほ。ち。運のいいやつめ。ディアが止めねば、殺してやるものを」
 クリスは喉をさすりながら首を振った。
 クリス、全然自分が悪いとか思ってないなぁ。もう。

「ウィンザレオ……」
「ああ、いる。ここにいるぜ」
 シャルルは立ち上がってよたよたとウィンザレオを捜している。
 目隠しされたままのシャルルを、ウィンザレオが抱き締めた。
 どうしよう。ウィルの最期の言葉も伝えたいけど……。一呼吸、置いた方がいいかな?
 そう考え、僕はシャルルに対する一番の疑問を口にした。
「ねぇ、シャルル。訊いてもいいかな? ウィルが、その、死ぬ、って、どうして分かっていたの?  それは、ウィンザレオが教えてくれないキミのことと、何か関係があるの? その目隠しとも……?」
「…………」
 シャルルはウィンザレオの腰に手を回したまま、しばらく無言で動きを止めた。
 そして、小声で答えた。

「……そうよ。あなたはものを知らないみたいだけど、悪い人ではないみたいね。魔王のくせに、おかしな話ね」
 シャルルはくす、と一瞬笑った。
「教えてあげてもいいけれど……。わたしの質問に、正直に答えて」
 ウィンザレオから体を離したシャルルは僕に向かうと、また冷たい口調になった。
「うん。正直に答えるよ」
 僕は頷いた。
 シャルルがどういう子かを知りたい。
 ウィルに『頼む』って言われたんだ。
 助けたいし、力になりたい。
 でも、何も知らない今のままじゃ、どうしていいかも分からない。
 僕はそう考えた。
 シャルルは僕の答えに満足したように口元を緩める。
 でも、それはすぐに引き締められた。
 直後、訊かれたくはなかった事柄が、シャルルから投げ掛けられた。
「お兄さまを殺したのは、誰? あなたは優しい。魔王なのに、優しいわ。本当に、あなたがお兄さまを殺したの?  もしそうなら、どんな状況でそうなったの? わたしは、それが知りたい。お願い。正直に。真実を。わたしに、教えて……」
 ぴん、とした空気が部屋に張り詰めた。

「そうだよ。僕がウィルを殺したんだ」
 僕は迷うことなくそう答えた。
 クリスががばっと僕に顔を向けたけど、無視する。
 シャルルは全く動かない。傍らに立つウィンザレオの手を握ったままだ。
「ウィルは先頭を切って僕の部屋まで辿り着いた。ウィルは僕を倒すって、剣を振り上げた。  だから、僕はその剣を受けた。強かった。ウィルは、とっても強かったよ……」
 シャルルもウィンザレオもクリスもハッピーも、僕の話を黙って聞いてくれた。
 クリスが何か言いたそうにしたけど、僕はそれを目で制した。
 いいんだ。うそは言っていないから。本当のことだから。

 


11

 クリスがウィルを殺したのは、僕を助けるためだった。
 僕がウィルとちゃんと戦っていれば、もしかしたら死ななくて済んだかも知れない。
 僕があんなに強かったウィルを相手にして、勝てたかどうかは分からないけど。
 僕が抵抗しなかったせいでウィルは死んだ。
 だから、僕が殺したも同然なんだ。
 僕はそう思うようになっていた。

「……そう。お兄さまは、勇敢だったのね?」
 シャルルは俯いている。
「うん。ウィルは仲間の死にも負けなかった。凄く、勇敢だったよ。それで、最期にこう言ったんだ。 『ごめん』って。シャルルに、『先に逝ってしまってごめん』って。そして、『お前は、元気で、幸せになってくれ』って。そう、言ってた……」
 最後まで言い切ると、胸のつかえが取れた気がした。
 少し、楽になれた気がした。
 でも。
 それは、僕の自己満足だった。
 直後、僕はそれを思い知る。

 シャルルが顔を上げ、ウィンザレオから手を離した。
「分かったわ。分かった。お兄さまは、わたしを心配してくれていたのね」
 シャルルは両手を頭の後ろに回した。
「シャルル!」
 ウィンザレオが叫んだ。
「あなたは、そんなお兄さまを、わたしから奪ったのね。わたしの唯一の肉親。最愛のお兄さまを」
 ぱら、と黒い布がほどけ、床に落ちた。
 露になったシャルルの目は閉じられている。
「むっ! なんだ、このでたらめな魔力は!?」
 クリスが椅子から腰を浮かせた。
「許さない。わたしは、あなたを許さない!」
 かっとシャルルの碧眼が見開かれた。
 青い炎を宿したその瞳には、僕が映っている。
「わたしはあなたに宣告する。『死』の時を教えてあげる!」
「やめねぇか、シャルル! そいつは魔王なんだぞ!」
 ウィンザレオの反応が遅れた。目を塞ごうと伸びた手は、間に合わなかった。
「ディアーッ!」
 クリスの翼が部屋一杯に広がった。けど、それも間に合いそうにない。

「いいえ。絶対に止めないわ。時を映せ、我が瞳! 『クロノ・リード』!」
「うわ! うわあぁぁぁぁ!」
 シャルルの瞳から青い光の奔流が湧き起こり、僕を飲み込んでゆく。
 な、なんだ、これ!? 体が動かない! 感覚が曖昧になってゆく! 
 落ちる!
 直後、自分がシャルルと溶け合うように感じて――
 僕は、意識を手放した。


12

「う……」
 目を開けると、灰色の空が広がっていた。
「ここは……?」
 寝転んでいたらしい。僕は立ち上がって辺りを見回した。
 鬱蒼と茂る木々の間から、遠くにある山々の稜線が連なっているのが見えた。僕はかなり見晴らしのいい所にいるようだ。
 でも、本来なら緑に覆われているはずの木々や山々は、全てグレーに塗り潰されている。
 僕は振り返って後ろを見た。
「これは! シャルルの家だ……」
 さっきまで中でみんなと話していたシャルルの家が、僕の背後に建っている。
 でも、素朴でかわいらしいその家も、周りに咲く小さな花々も、全部色が失われていた。

「色の無い、セカイ……?」
 そこに“命”の気配は無かった。
 形は同じはずなのに、色が無いだけでこんなにも寂寥感があるなんて。
 寒々とした灰色の光景に、僕は心細さを感じずにはいられなかった。
 無意識に自分の体を抱き締めた時、天空から声が降りてきた。
「ここは、わたしのセカイ。わたしの、心のセカイ」
「シャルル!? その声は、シャルルだね? どこにいるのっ?」

「すぐに行くわ。……あら? あなた、本当に魔王なの? 間違えて、関係ない女の子を連れて来ちゃったのかしら? 覚えた声を頼りにして魔法を発動させる間際、『え?』とは思ったけど……」
 やはりシャルルの姿はない。声しかしない。
 でも、魔法? これはシャルルの魔法? シャルルは、魔法が使えたのか!
 僕はその事実に驚きながら、シャルルの不安を取り除こうと返事をした。 
「そ、そうだよ。僕が、『魔王』。ディアボロって呼ばれていた、魔王なんだ。本当の名前はディアっていうらしいけど」
「……? 意味が分からないわ。でも、魔王ならそれでいい」
 声が近くなったように感じ、僕は素早く首を巡らせた。
「ここよ」
「シャルル……っ!」
 すぅっと空間から浮き出るように姿を現したシャルルにも色が無い。
 でも、一つだけ色を持つものがあった。
 それはシャルルの頭上に浮いている。僕はそれを見上げた。

「槍?」
 それは槍だった。でも、普通の槍じゃない。
 銀色に輝くその槍は、とにかく長い。太く、大きい。
 《アルクデスタ》の街に城まで伸びていたメインストリートがあったけど、あれぐらいは優にある。
 そして、両端は畳んだ傘のように尖っていて、普通の槍にあるはずの“柄尻”が、“石突”が無かった。
「なに、これ……?」
 シャルルの瞳が静かに細くなり、僕を見据えた。
「この槍は『対極の槍』、というの。これは狙いを定めた対象の“矛盾”を突き刺し、抉り、破壊する。  “対象”ってなんだと思う? 破壊されるとどうなると思う?」
 表情の無いシャルルの説明に合わせるかのように、槍はゆっくりと上空で回転を始めた。
 僕はシャルルを視界に収めたまま、首を左右に振った。

「“対象”は、あなたの“心”。そして、破壊されれば“精神”が“死ぬ”わ」
「“精神”が、“死ぬ”……?」
 僕にはシャルルの言っている意味が分からなかった。
「人はね。“肉体”と“魂”、そして“精神”から成り立っているわ。このうちの、どれか一つが欠けても、もう人としては生きられない」
「えっ……?」
 僕はこの話を聞いた事があった。
 ケイオスから、聞いていた。
『いいですか、ディアボロ様。船に例えるならば、肉体は船体、魂は帆。そして、精神は舵です。船体はそれだけでも水に浮き、帆はそれだけでも風を受けることが出来ます。しかし、舵はそれだけでは役に立たない。舵は二つをコントロールする事でしか、価値を得られないのです』
 じゃあ、精神を壊されるって?
 色の無いシャルルの腕が、ゆっくりと上がってゆく。ぴんと立てられた人差し指が、頭上の巨大な槍を指す。
 ふと背後に気配を感じ振り返る。
 真後ろに、僕の五倍はありそうな、真っ白な十字架が立っていた。


13

「あなたの精神は肉体とも魂とも切り離され、わたしのセカイに囚われたわ。知ってる? 精神は意思であり、それ自体にはなんの力も無いの。ここでは、何も出来ないわ。ただ、わたしに貫かれ……死ぬしかないのよ!」
 シャルルの腕が僕に向けられた。人差し指は真っ直ぐ僕を捉えている。
 刹那、
「うあああああああああッ!」
 僕の体は巨大な槍に貫かれ、背後の十字架に激突した。槍は僕ごと十字架を貫通し、動きを止めた。
「あ、うあ、あぁ……」
 僕は十字架の真ん中で、槍に縫い取られた。
 腹部から伸びる銀の槍は、遥か向こうまで伸びている。切っ先が、鋭い光を放った。
 激痛が全身を駆け巡る。
 痛い。いた、い。
 震える手を、お腹から生えたような槍にぺたりと置く。
 ひんやりとした感触と共に、ずしりとした重厚感を得て、僕ははっきりと理解した。
 これは、僕の力では抜けない、と。
「痛い? 痛いでしょう? それがわたしの心の痛み。お兄さまを失った、わたしの痛み。あなたはそれを味わって、自分が何をしたのかを、ゆっくりと理解すればいいわ」
 どこからか吹き始めた風に赤いはずの髪を揺らし、シャルルが口角を吊り上げた。
 満足そう、だ。
 僕が苦しむ姿を見て、シャルルは欲求を満たしている。
 この感じは、知っている。 ウィルたちが僕を切り刻んだときと……同じ、だ。
 気付けば周りには何も無くなっていた。
 シャルルの家も、花も、山々も。
 一面灰色のセカイの中、僕と、僕を縫い付けた十字架と槍。そして、グレーのシャルルだけが存在している。
 どれぐらいそうしていたのか分からない。痛みは時間を遅く感じさせるから。
 そのうち、ぴくぴくと蠢く僕に、シャルルが声をかけてきた。
「……やっぱり、これぐらいでは壊れないのね。さすがは魔王、と言ったところかしら?」
 シャルルは腰に手を当てて、溜め息混じりにそう言った。

「もうやめて」と言おうとして、僕は口を開き……すぐに閉じた。
 これがシャルルの悲しみだから。
 これは僕が与えた悲しみだから。
 このままだとどうなるのか、僕には分からないけれど。
 このまま。
 シャルルの為に、痛みを受けよう。
 僕はそう思った。
 ただ、涙が流れた。
 これは、シャルルのためのもの?
 それとも、自分のためのもの……?
「何か言いかけたわね? 助けを求めても無駄よ。わたしはもちろん、外にいる人も、誰もあなたを助けはしないわ。物理的な力では、この『セカイ』は壊せない。現実世界で、わたしとあなたの肉体は、力を失くして倒れているわ。外では、きっと必死でわたしたちを目覚めさせようとしているでしょうけど……。無駄よ。それはわたしの意思でしか出来ないわ」
「そう。分かったよ、シャルル」
 そう言おうとしたけど、痛くて声が出せなかった。代わりに、僕は小さく頷いた。

「まだ考える力があるようね? ふふふ。でも、もうそれも出来なくなるわ。ここからがわたしの本当の『力』。『対極の槍』が持つ能力『クロノ・リード』の、真骨頂なんですもの」
 だらりと垂れた自分の頭。
 大きな十字架に磔にされて、見下ろす霞んだ視界に、シャルルが笑っているのを確認出来た。
 直後、お腹から伸びている槍が更に輝きを強めた。
 凄まじい魔力を感じる。ウィルからも魔力を感じたけど……こんなに強くはなかった。
 シャルルは何をするつもりなんだろう?
 こんなに膨大な魔力を、全て僕に向けるんだろうか?
 こんなの、とてもじゃないけど、無事でいられる気がしない。
 怖い――
 僕はシャルルに恐怖した。

 



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