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「待たせたな」
 お盆に五つのティーカップを載せてウィンザレオが戻ってきたのは、たっぷり三十分以上も経ってからだった。
 その間僕らは目隠しをしたシャルルとテーブルに着いていたわけだけれども。
 ……凄く、気まずかった。
 誰も何も話さないし。僕から話しだす勇気もないし。
 いきなり「ウィル、死んじゃったんだ」なんて言えないよ。僕には。

 コトリと目の前にカップが置かれると、シャルルが口を開いた。
「いい香り。さすがはウィンザレオね。紅茶の淹れ方が上手だわ」
 すぅ、と息を吸い込んだシャルルの口元は上がっていた。
「そうか? お前んとこの茶葉、相変わらずいいもん置いてんなーって思ってな。いくら俺でも、いい加減には淹れられなかったぜ。グファファ」
 ウィンザレオはにやりと笑うと、僕らの前にもカップを次々置いていく。僕はシャルルに習って息を吸い込んだ。けど、何が特別なのか、僕には分からなかった。
「うーん。素晴らしい。色も濃すぎず申し分ない。カップしか持って来なかったのは照れ隠しかな、ウィンザレオ? これだけの香りを出すには、ポットも事前に温めておかなければならないだろう? 短い時間で一気に抽出しなければ、こうはならないはずだ」
「は?」
「なに?」
「グファ?」
 僕とクリスとウィンザレオが、思わぬ紅茶評を突然に始めた者を見つめた。

 それは先の尖った真っ黒な手で取っ手を持ち、カップを顔の前に掲げているハッピーだった。
「失礼していただくとしよう。……うん。やはりおいしい。これは茶葉の新鮮さもさることながら、水自体がおいしいからだ。私は紅茶を飲む度に、ここに住んでいて良かったと思う」
 呆然と見守る僕らに頓着せず、ハッピーは真っ赤な目を細めて紅茶を啜った。
「あら? 詳しい方がみえるのね。口調に気品を感じますし、高貴な方なのかしら?」
 シャルルの声が明るくなった。
「いえいえ。私はどうってことのない、ただの悪魔にすぎない」
「悪魔? うふふふふ。冗談もお上手なのね。ふふふふふ」
 僕とクリスとウィンザレオが目を見合わせた。
 ウィンザレオは苦笑いをしている。
 どうしよう。
 シャルル、思いっきり勘違いしちゃったみたいだ。
 目隠しを取ったら冗談でもなんでもないことが分かると思うけど、ショックを受けたりしないかな?
 また一つ心配事が増えた。

「茶葉は毎日お城から我が家に届けてもらっているの。別に頼んでいるわけじゃないけれど。裏庭に湧き水があるので、おいしいお水にも不自由しないのよ」
「ほう。それは羨ましい。そんな家に住んでいれば、人生の半分は幸せなことだろう」
「それは言えるかもしれないわ。うふふふふふ」
「はははははは」
 その後も産地がどこかとか製法がどうしたとか盛り上がる二人を横目に、僕らは複雑な気持ちでお茶を啜った。
 ところで。
 ハッピー、紅茶飲んでても口が開いたままだけど。
 なんでこぼれないんだろう?
 僕は紅茶を口の中で転がした。
 あ。本当においしいな、これ。

 


 ウィンザレオってなんでも出来るんだなぁ。
 でも、この紅茶。飲みなれた味がするのはなぜだろう?
「本当においしい紅茶だね、ウィンザレオ。こんな事とは無縁そうなのに、どこで淹れ方なんて学んだの?」
 この何気ない質問の答えは、僕にとって衝撃的なものだった。
「ありがとよ。この淹れ方はな。ケイオスに習ったんだ」
「……ケイオス?」
 僕は訊き返した。
 同名の別人、かな?
「魔王なら知ってんだろ? 魔軍参謀のケイオスさ」
「も、もちろん知ってるけど。なんで? なんでウィンザレオが?」
 びっくりしすぎて声を上擦らせる僕を、クリスは冷静に見つめていた。
「毎年一度か二度、俺はあいつと遊んでた。遊びったって、剣を使った真剣勝負だけどな。そん時に、紅茶の淹れ方も教えてもらったのさ。グファファファ」
「ええええっ! そうなの? でも、二人ともちゃんと生きてるじゃない?」
「ケイオスは俺を殺す寸前で、いつも戦いを終わらせてくれたからな。強かったなぁ、あいつ。この俺様が、全然敵わなかったぜ。グファファファ」

 ウィンザレオは懐かしそうにケイオスとの思い出を語ってくれた。
 戦ったあと、二人で紅茶を楽しんだこと。
 酒を勧めるとケイオスが嫌がったこと。
 珍しい果物を持っていくと、無表情だったケイオスが飛び上がって喜んでいたこと。
 ウィンザレオは、僕の知らないケイオスを知っていた。
 たくさん。たくさん。
「……あいつは、いいヤツだった。でも、もう会えないんだろう?」
「えっ? ……うん。多分……」
 ウィンザレオが僕の頬に手を伸ばす。
 その指が僕の目から流れ出たものを拭きとった。
 気付かないうちに泣いていた。
 知らなかったケイオスが頭の中で微笑んでいたからだ。
 クリスは一言も発さずに紅茶をこくりと飲んでいた。
「でも、そっかぁ。ケイオスってやっぱり強かったんだね。そのケイオスに勝っちゃったウィルは、もっと強かったんだなぁ」
 あれ? でも、ウィンザレオはウィルのこと、「弱いくせに」って言ってたな?

「……昔は、な。ケイオスのやつ、年々弱ってやがったから……。ウィルと戦った時にはどうなってたのか……。ある程度、予想はつくけどな」
 ウィンザレオは目を伏せて紅茶を口に運んだ。肘は行儀悪くテーブルについている。
「ケイオスが、弱ってた?」
 記憶を漁ってみる。
 けど、ケイオスのそんな素振りは見つからなかった。
 クリス?
 クリスに訊こうと目を向ける。クリスは腕を組んで眉間に皺を刻み、ティーカップを睨んでいた。

「……ちょっと待って。あなた、今、なんて言ったの?」
「え? 僕?」
 不意にシャルルに話しかけられ、僕の思考は停滞した。
 シャルルの声はまた厳しいものになっている。
 ケイオスのことは気になるけど……後でまた訊こう。
「ディア。大丈夫か? ちゃんと話せるのか?」
 横からクリスが僕の肩に手を置いた。
「うん。大丈夫」
 僕はしっかりと頷いた。
「実は……」
 僕は意を決して話を始めた。
「待って」
「へ?」
 が、すぐに出鼻を挫かれた。
「あなた」
「私か?」
 クリスがシャルルに呼ばれ、自分を指差す。
 て、目隠ししているシャルルには見えないけど。
 何を言い出すんだろう?
 僕は息を詰めて二人を交互に見つめた。
「結局、卵と鶏はどっちが先なの?」
「は?」
 と、クリスが間抜けな声を出した。
 えええっ!? このタイミングでその話しなの!?  僕は椅子から軽くずり落ちた。


 シャルルに向かって「聞いてみれば面白くもない話だぞ」と前置きし、
「鶏だ」
 クリスは力強く断言した。
「ええっ? なぜ?」
 シャルルは高い声で驚きを表わしている。
「鶏にしか、卵が作れないからだ。卵が無くば、鶏は生まれない。卵の始点は鶏だが、鶏の始点は違うところにある。だから、鶏が先なのだ」(注:2010、イギリス:シェフィールド大学、ワーウィック大学の共同研究結果)
 僕らはクリスの話をふんふんと頷いて聞いた。
 僕もうんうんと頷いてはみたけれど。
 どうしよう。
 全然クリスの言っている意味が分からない。
 他のみんなは「なるほど」とか「そうか」とか言っているから分かっているみたいだ。
 もっと詳しく訊きたいけれど……。
 まぁ、いいか。
 こんなこと分からなくっても、別に問題ないもんね。
 僕は大きく頷いた。自分に。

「……さて。では、すっきりとしたところで。ご用件は?」
 シャルルが僕の方へくりっと首を向けた。
「ん?」
 さっき言い出しかけた僕の方向を覚えてるんだ。
「あ、ああ。そうそう。あ、あのね、シャルル」
 まずい。
 出鼻を挫かれた上に、鶏と卵が引っかかってて、なんだか頭がごちゃごちゃしてる。
 焦りが出たのか、声がどもった。
「シャルル? わたし、あなたにそんな風に呼ばれる筋合いないけれど」
「う」
 冷たい。ハッピーとはあんなに打ち解けていたのに、僕には随分よそよそしい。当たり前なんだけど、なんだか悲しい。でも、そう思ったら返って頭がすっきりした。どうせもう嫌われているのなら、僕に失うものは何も無い。思い切って話してみよう。まずは挨拶。名乗らなくっちゃ。
「初めまして。僕は、ディア」
 僕は席を立って手を胸に腰を折った。
 シャルルには見えないだろうけど、こういうのって雰囲気で伝わるものだよね。
「ディア。初めまして。わたしはシャルル。シャルル・ハーバーライト。お兄さまの働きにより、今は士爵をいただいている、一応貴族です」
 すると、シャルルも席を立ち上がり、スカートの裾をつまんで可愛らしく屈んだ。
 僕はその振る舞いに感心した。
 しっかりした子だなぁ。見た目は完全に子どもなのに。
 やっぱり貴族ともなると、礼儀作法が身につくのかな?
「一応? 貴族に一応とかあるの?」
 ちょっと気になった。
「……ものを知らない人なのね。失礼だわ」
「えっ?」
 僕の質問が気に入らなかったらしい。
 シャルルはどかっと椅子に座った。
 僕、どんどん嫌われていくみたいだ。

 その様子を見かねたのか気を遣ってくれたのか考えがないのか、ウィンザレオは一気に核心に迫ることを言い放った。
「グファファ。そう怒るなよ、シャルル。しゃーねーだろ。コイツ、ついこの間まで“魔王”だったんだから」
「ウ、ウィンザレオ!」
 僕はあたふたうろたえた。
「魔王?」
 シャルルはきょとんとして鸚鵡返しに呟いた。
 まだまだ嫌われていきそうだ。
 そんな予感がして、僕の頬に汗が伝った。
「そうだ。ここにいるディアは、魔王としてこの地上、いや『第二世界』に君臨する全てのモノの王なのだ。本来なら貴様のような小娘がそのような無礼な口を利ける相手ではない。そのつもりで話すことだな」
「ク、クリス! なんでそんなに怖い言い方するの!?」
「お前が言わないから私が言っただけのこと。そもそも、お前がもっとしっかりしていれば、こんな小娘になめられることもないのだ。私にこんなことを言わせたくなければ、お前がちゃんと話すんだな」
「うぐぅー」
 と唸ることしか出来ない。
 ぽかんとしているシャルルを睨み、クリスは言いたい放題だ。でも、僕には何も言い返せなかった。クリスはもとより、僕がどんな立場なのかも分からないからだ。僕は改めて自分の存在を不思議に思った。

 


「……意味が分からない。二人ほど、凄く気に障る人がいるわ。ウィンザレオ。悪いけど、この二人を追い出して」
「ええっ!?」
 見れば、シャルルは腕を組んでぷくー、とほっぺを膨らましている。
 気が強い子だなぁ、シャルルって。
「グファファ。知らねーよ、んなこたぁ。俺はこいつらをここに連れて来るって契約をしただけだからな。追い出したきゃ、自分でやりな」
「そんなの自分勝手だわ、ウィンザレオ!」
「そうさ。俺は自分勝手なヤツなのさ。知ってんだろ、そんなこたぁ。グファファファ」
 豪快に笑うウィンザレオに、シャルルは「く」と呻いて唇を噛んだ。
 ウィンザレオ……こんな小さな子にも、容赦ないなぁ。鬼だ。
 なんか話がこじれそう。なんとかしなくちゃ!
「あ、ええっと、ごめんね、シャルル……いや、ハーバーライトさん。違うか。シャルル卿?」
「士爵を持つのはお兄さま。わたしは単なるその家人。卿など付けて呼ばれる人間ではないわ。大体、わたしは女の子なんだし。もう。シャルルで結構」
「そ、そうなんだ。じゃあ、失礼してシャルルって呼ばせてもらうよ」
「ふん。好きにすれば」
 シャルルはぷいっと横を向いて答えた。
 つ、疲れる。この子、凄く疲れるよぅ。

 ちら、とクリスを見ると、イライラと足を揺すっている。
 わぁぁぁ! また何か言い出しそう! こっちも疲れる!
 ウィンザレオは「ぷぷぷ」とか含み笑いしてる。面白がってるな、絶対。
 ハッピーは相変わらずまんまるな赤い目をぱちぱちと瞬かせ、大きく裂けた口を開けたままに紅茶を楽しんでいる。
 ほ。ハッピーだけが、僕の心のオアシスだよ。
 よし。話を続けよう。
 ハッピーに癒された僕は、シャルルに顔を向けた。
「えっと。僕が魔王っていうのは、どうやら本当らしくて。昨日まで、《ギルトサバスの城》で、勇者ウィルが来るのを待ちわびていたんだけど」
 そこまで言うとシャルルは「はぁ?」と首を捻った。
「なんで自分を倒しに来るお兄さまを待ちわびるの? あなた、頭おかしいでしょ?」
 ひどい。とうとう頭を疑われ出しちゃった。
 いや。挫けちゃだめだ。

「う、うん。そうだよね。僕、そんなこと知らなくって。魔水晶って物を使ってずっとウィルたちを見てたんだけど、そんなの全然分からなくって。  昨日、ウィルが僕の部屋に来るまで、ウィルに『お前を殺す』って言われるまで……何も、知らなかったんだ……」
 思い出したら悲しくなった。
 話すことで状況の理解が深まった。
 それが余計に悲しさを加速させた。
「……うそよ」
 シャルルは隣に座るウィンザレオの手をぎゅ、と握った。
 ウィンザレオは無言でその手を握り返した。
 ウィンザレオに、もう笑みはなかった。
 表情の無いウィンザレオを見るのは初めてだ。
 ずき、と胸が痛んだ。
 シャルルはそれがどういうことか、理解しているみたいだ。
 でも、きっと。
 認めたくは、ない、と思う。
 もう、話すのをやめようか?
 ……だめだ。きっと、僕が話さなくっても、誰かが事実を告げに来る。
 その“誰か”は、ただの結果しか知らないはずだ。
 ちゃんと全てを教えてあげたい。
 ウィルがどれだけ頑張ったかを、シャルルに伝えてあげたい。
 これは僕にしか出来ない。
 これは、僕の役割だ!
 肩をぷるぷると震わせ出したシャルルを、僕はしっかりと見つめた。


「それでね。ウィルに、キミのことを、頼むっ、て……『頼む』って言われたんだ。だから、僕らはここに来た。シャルルに会いに。シャルルに……ウィルの、“最期の言葉”を、伝える、ため、に……」
 言い終わるか終わらないかで、テーブルがバン、と激しい音を立てた。
「うそよっ!」
 シャルルがテーブルを叩いて立ち上がっていた。もう片方の手はウィンザレオの手に爪を食い込ませている。そこから少し血が滲んでいる。でも、ウィンザレオは眉一つ動かさず、それに耐えていた。
 その爪は、僕の心にも突き刺さった。
 痛い。こころが、痛い。

「うそだわ! だって、意味が分からないもの!  どうして倒しに行った魔王に、わたしのことを頼んだりするのっ!?  そんなことはあり得ないでしょうっ!?」
「落ち着け、シャルル。あり得ないって言うんなら、その魔王がこんなことをしに来る理由も無いだろう?  こんなうそを吐いて、こいつに何の得がある?」
「ウィンザレオ! でもっ! でもっ……!」
 取り乱したシャルルから、僕は聞くのも辛い言葉を浴びた。
「だって! だって魔王は“悪”なのよ! だからお兄さまは倒しに行った! みんなの為に、命を懸けて!  その魔王がわたしのために? お兄さまの頼みを聞いて? そんないいことをする魔王なんて、魔王じゃないわ!  それじゃあ、お兄さまは何のためにっ……一体、何の、ためにっ……!」
 僕はぎゅっと目を閉じた。食い縛った歯がぎり、と鳴った。
 本当にそうだ。僕は、“悪”でいるべきだったのかも知れない。
 そうだったなら、僕もこんなに……悲しまなくて、済んだのに……。
 僕は取り外しておいた『カイロスの盾』を、ごとりとテーブルに置いた。

「ウィルから預かって来た『カイロスの盾』だよ。目隠ししてるけど、分かる?」
 僕はテーブルを叩き付けたままになっているシャルルの手をそっと取り上げ、カイロスの盾に誘導した。シャルルは震える手で盾を撫でた。その手は何度も盾の上を、端から端まで確認する。縁や中央にある浮き彫りの細工を、シャルルの小さな指がなぞる。
 目隠しの下から、涙が一筋二筋と流れていった。
「お兄さまっ……」
 小さな銀色の盾を胸に抱き締め、シャルルはその場に膝をついた。
「ひっ、ひっ」という苦しげなシャルルの呼吸が僕の耳を責める。

 苦しい。辛い。そして、痛い。
 でも、この姿を見なくっちゃ。
 これが僕の存在した結果だ。この“セカイ”に存在する、僕の“業”なんだ。
 いっそ死んでしまいたい。ここから消えて無くなりたい。
 でも、それは出来ない。
 クリスが、僕を助けてくれたから。
 ケイオスが、僕を生かしてくれたから。
 僕はこの“痛み”を抱え、生きてゆく。
 何が出来るか分からない。
 でも。
 一人でも多くの人を幸せにしたい。
 それが僕の“贖罪”だ。
 僕はこの“セカイ”で生きてゆく。
 いつか、心から笑える日を迎えるために――

 



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