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19

 と、いうわけで。
 僕らは今、シャルルの家へと続く道を、再び歩き続けている。山道に入り結構歩いたと思う。そろそろ日が傾き始めている。道は九十九折となり、幅は馬車が入れないほど細くなった。あちこちから木の根が飛び出し、大きな石もごろごろと転がっているので、油断すると蹴躓く。
 疲れてきた。ずっと上りだもんね。
 僕、こんなに歩いたことないや、そういえば。
 クリスとウィンザレオは障害物をひょいひょいと飛び越え、軽やかに足を運んでいる。
 ウィンザレオなんて一番荷物が多いのに。さすがは戦士だなぁ。
 悪魔は?
 振り返ると、影のような悪魔は、黙々と後ろについてきている。
 足が動いてない。この悪魔、少し浮いてる。
 ずるい。これなら、あんまり疲れないよ、きっと。

「ね、ねぇ。キミ、名前はなんていうの?」
 みんなにへばっていることを隠そうと、僕は悪魔に語りかけた。
「名前? いや、私にそういうのは無い」
 悪魔は僕の質問をさも意外そうに受け取ると、当然のようにそう答えた。
「ええっ? 名前が無い? うそでしょ?」
「そんなことで嘘をつく理由はない。私はずっと一人だから、名前など必要ない。呼ぶ者がいないのだから」
「あ」
 なるほど。そうかも。でも。
「それ、寂しい理由だね」
 僕はなんだか切なくなってそう言った。
「そうか? 人は良く“寂しい”と思うことがあるらしいな。だが、私はそれがどういうものか、良く分からない。それを感じるとどうなるんだ?」
「どうって。そうだなぁ。悲しくなって、涙が出るかな。なんにも出来なくなるくらい、気持ちが暗くなっていくんじゃないかな」
 僕はケイオスを思ってそう答えた。クリスに教えてもらった最初の気持ちだ。
「分からない。悲しいというのも知らない。しかし、何も出来なくなるのは困る。そんな気持ちは知りたくないものだ」
 悪魔は真っ赤な目をぱちぱちとしてコウモリのような翼を振った。
 ちょっとした風が起こり、辺りの落ち葉を舞い上がらせた。

「大事な者がいなければ、知ることの無い感情だからな。一人でいるというのも、幸せなことなのかも知れないな」
 話を聞いていたらしく、クリスが口を挟んできた。悪魔を横目で見るクリスには、いつもの高圧的な雰囲気が無い。クリスは悪魔を憐れんだり馬鹿にしたりしているわけじゃないみたいだ。
「グファ。最初っから知らなければそうだろうな。でも、知っちまったらもうどうしようもねぇ。その悪魔にも、あんまり深く関わらないこった」
 先頭のウィンザレオが、前を向いたままそう言った。荒地を歩いているせいで、背中の剣や腰の装備ががちゃがちゃとうるさく鳴っている。僕はウィンザレオの言い方が少し気になった。
「その悪魔に“も”? “も”ってどういうこと、ウィンザレオ?」
「ん? ああ、なんでもねぇ。深い意味はねぇから、気にすんな」
 ひらひらと振られるウィンザレオの大きな手が、「この話はお終いだ」と言っているように見えた。
 強引だなぁ。ま、いいか。
 そこで僕はいいことを思いついた。
「そうだ! 僕がキミに名前を付けてあげる! どう? 欲しいでしょ、名前!」
「私に、名前を?」
 振り返って正面で手を打ち鳴らした僕に、悪魔は赤い瞳をぱちくりとさせている。
 びっくりしてる。やった。

「はー。おいおい、お姫様。俺の話し、聞いてたか? 聞いてても、理解出来てたのか?」
 ウィンザレオが盛大な溜め息をついて振り向いた。
 ちょっと怒ってる? なんで?
「いいではないか、ウィンザレオ。ペットに名前を付けるのと同じだろう」
「そういう例えはやめてよ、クリス!」
 僕もちょっとそう思ってたけど、はっきり言ったら悪魔が気を悪くするじゃないか!
「ふーむ。面白い。では、名前を付けてくれ」
 しかし、悪魔は気にしていなかった。
 心が広いのかな?
「僕が付けていいの?」
「任せよう」
 悪魔はこくりと頷いた。
「そんなの、不便なら『十字路の悪魔』でいいだろ? 世間じゃそう呼ばれてんだから」
「どうしたの、ウィンザレオ? 気に入らないの? 悪魔に名前を付けるのが」
「そうじゃねぇ。……もういい。勝手にしろ」
 ウィンザレオはぷいっと前に向き直った。
「どうしたんだろ、ウィンザレオ?」
「さぁな……」
 クリスは意味ありげに青い目を逸らした。
 銀の髪がさら、と鳴った。

 


20

「よし。じゃあね。キミの名前は……『ハッピー』だ!」
 僕は悪魔に指を突きつけてそう叫んだ。
「かっこわるっ! それ、犬の名前じゃないか! やっぱりペットにする気か、ディア!」
「グファファファ! ネーミングセンス、最悪だな、お姫様は! グファファファ!」
 クリスとウィンザレオが僕のネーミングを全否定した。
「な、何がおかしいの!? いいじゃないか、願いを叶えてくれるんだから! それってハッピーでしょ?」
「はぁっはっはっはっは! そんな禍々しい姿のどこが『ハッピー』なんだ! 見かけも考慮しないか、ディア!」
「違いねぇ! グファファファファファ!」
 僕の抗議で、二人は更に笑い出す。
「ふむ。いい名だな。私は気に入った」
 十字路の悪魔は赤い目を細めて何度も頷いている。
「でしょ? いい名前だよね!」
 僕は悪魔の肯定的な態度に勇気を得て、拳を小さく握り締めた。
 やった! 喜んでくれてる!
「「……マジで?」」
 そんな悪魔を、二人は呆然と見つめていた。

 奇妙な道連れを得た僕らは、ほどなく一軒の小さな家に辿り着いた。
 赤い陶器の板が並べられた屋根と、白い土塀が印象的なその家は、周りに小さなお花がたくさん植えられていて、なんだか可愛らしい。

「着いたぜ。ここが、シャルルの家だ」
 今まで登ってきた小高い山の頂上を少し越えた所が、こじんまりとした平地になっている。僕らは頂上からシャルルの家を見下ろしていた。
 夕日に染まるシャルルの家。
 あと二、三十歩も歩けば、辿り着ける所にある。
 僕はついにここまで来たという感慨に耽り、言葉を無くしていた。
「ほれ、お姫様。その『カイロスの盾』を寄こしな。俺が届けてきてやるよ」
 ウィンザレオは剣タコだらけの無骨な手をにゅ、と僕の眼前に突き出した。
「え? いいよ。自分で渡すから」
 僕は腰に後ろ向きでくくってあるカイロスの盾を外しにかかった。
「……会わねぇ方がいい。シャルルも、それを望んでる」
「なんでそんな事が分かるの?」
 決め付けるようなウィンザレオの物言いに、僕はちょっとむっとした。
「なんだ、ウィンザレオ? 貴様、ここまで来て、実は全然違う家だったのを誤魔化そうとしているのではないだろうな?」
 クリスも不機嫌になったみたいだ。
 ここまで飛んでくるのに、ヘトヘトになってたもんね。
 これで嘘だったなんて分かったら、たまんないよ。

「そうじゃねぇ。ち。俺が信用出来ないってんなら、勝手にすればいい。別に俺は困らないからな」
 ウィンザレオが面倒臭そうに頭の後ろをガリガリと掻いた。
「ウィンザレオは困らないの? じゃあ、僕らが困るってこと?」
「まぁな。シャルルだって困るはずだ」
「……僕らやシャルルの為に? あは。ウィンザレオって、優しいね」
 なんだか嬉しくなってそう言った。
 クリスは「ほぅ」とウィンザレオを興味深そうに眺めている。
「ば! 馬鹿言ってんじゃねぇ! オメーらなんざ、どうなっても知ったことかっ! ああ、もう、どうでもいいか! 行くぞ、オメーら!」
 ウィンザレオは勢い良く踵を返して山を下りだした。
 そこで、ハッピーが声をかけた。
「待て。私はいいのか?」
 ウィンザレオは「ああん?」と仏頂面をして振り向くと、
「来たければ来ればいい」
 そう言い放ってずんずんと歩き出した。

 


21

 ゴンゴン。ゴンゴン。
 ウィンザレオは青く塗られた板張りの玄関ドアに付いている真鍮製のノッカーを乱暴に叩いた。
「うぉーい、シャルル。俺だー! ウィンザレオだー!」
 そして、とても乱暴に呼びかけた。
 シャルルって女の子でしょ?
 勇者ウィルの妹なんだから、へたしたら幼女って呼ばれるくらい小さいかも知れないのに。
 怖すぎるんじゃないかなぁ、それ?
 そんな僕の心配は不要なものだった。
「えっ? ウィンザレオ? 本当にウィンザレオなのっ?」
 ばん、と開け放たれたドアから、弾むような声を発して飛び出して来た女の子。
「ウィンザレオー!」
「おっとと。グファファファ。久しぶりだな、シャルル。グファファファ」
 ウィルそっくりな赤い髪を靡かせた女の子は、一目散にウィンザレオの胸に飛び込むと、そのまま抱き上げられてくるくると振り回されている。
 凄く嬉しそうで、見ているこちらまで幸せな気持ちになる。
 ウィンザレオも満更ではないみたいだ。精悍だった顔が、にやけてる。

「もー! 一ヶ月に一度はあたしに会いに来るって、約束したでしょ! どこに行ってたのよ、ウィンザレオ!」
「はぁ? んな約束したっけな?」
 一転して怒り出した少女に、ウィンザレオはとんでもない返答をしていた。
 うわぁ。覚えてないんだ、ウィンザレオ。ひどいなぁ。
「したわよ、ばかっ! 半年も来ないで、もうっ! 臭いし汚いし貧乏臭いし、とにかく上がってお風呂入りなさいよ!」
「わ、ととと。ちょ、ちょっと待て、シャルル。俺の他にも客がいるんだ」
 シャルルは真っ赤な飾り気のないワンピースを波打たせながらウィンザレオの後ろに回り、背中をぐいぐい押している。
 怒ってるけど、嬉しいんだ。
 どっちも同じくらいなんだなぁ、きっと。
 そう思って見ていた僕だったが、ウィンザレオから「客」がいると聞かされた直後、シャルルの様子が一変した。
「客? お客様? 誰か連れてきたの、ウィンザレオ?」
 それは冷たい声だった。
 拒絶。
 その言葉には他者を拒む気持ちが溢れていた。

 


1 第四章

 賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、

 生きなければならないだけ生きる。

         (ミシェル・ド・モンテーニュ)                            

 

              

 

「帰ってもらって、ウィンザレオ」
「出て来いよ、シャルル。こいつら、お前にどうしても会いたいんだってよ」
 僕らがいる事に気が付いたシャルルは、すぐに家に閉じ篭ってしまっていた。ウィンザレオがノッカーをゴンゴン鳴らして呼びかけているけど、出てきそうな気配は今のところ見られない。

 僕はウィンザレオに問いかけた。
「ねぇ、ウィンザレオ。どうしてシャルルは僕らに会ってくれないの?」
 次いで、クリスも訊ねた。
「うむ。どうやら我われだからというわけではなく、誰とも会いたくないようだが。なぜだ、ウィンザレオ?」
「シャルルに訊けよ。俺からは言いたくねぇ」
 ウィンザレオはぶっきらぼうに答えると、またノッカーを叩いた。


「そのシャルルが出て来ないのだ。これでは『鶏と卵』だろう」
 僕らの少し後ろで静観していたハッピーが、開けたままの真っ赤な口を、少しも動かさずにそう言った。
 どうなってるんだろう、ハッピーの口って?
 それより。
「鶏と卵? ねぇ、ハッピー。どういうこと、それ?」
「鶏と卵。どちらが先にあったのか、という話しだ」
「えっ? 卵でしょ? 鶏は卵から生まれるんだから」
「では、その卵はどこから生まれる?」
「それはもちろん、鶏から……あっ」
「そういうことだ」
 僕が一つの考えに行き当たったのを察してか、ハッピーがゆっくりと頷いた。

「くだらん話しをしている場合か、ディア」
 クリスがそんな僕らを見て溜め息をついた。
 むっ。なに、その態度?
「くだらない? じゃあ、クリスにはどっちが先か分かっているの?」
「もちろんだ。私は天界にいたんだぞ」
 絶対に分からないと思っていた僕の予想に反して、クリスは自信満々に胸を張った。そうすると、クリスの胸の大きさが良く分かる。
 なんでクリスの胸って、こんなに膨らんでいるんだろう? 何か入ってるのかな?
「グファファ! そりゃ本当か? 面白い! どっちだ、天使ちゃん?」
 シャルルに呼びかけていたウィンザレオも手を止めて、クリスをニヤニヤしながら見つめている。

「ちょっと、ウィンザレオ! なんでこっちの話しに入ってくるの? シャルルを呼んでよ!」
「ああ? いいじゃねぇか、ちっとくらい。シャルルはどこにも逃げねぇよ」
「そういう問題じゃないよ! 不真面目に思われるじゃないか!」
「んじゃ、おめーが呼べよ、お姫様。俺はクリスの答えが聞きたいんだ」
「僕だって知りたいもん! あ、そうだ! ハッピーに!」
 頑として言う事を聞いてくれそうにないウィンザレオを諦め、僕はハッピーに目を向けた。
「断る。私も知りたいからだ。第一、そんな願いでいいのか?」
「うっ。……よく、ない……」
 さくっと断るハッピーに、僕はあっさり弾かれた。
 うーん。命懸けでするお願いでもないしなぁ。ちょっと勿体無いよね。

「なんだなんだ。困ったやつらだな。仕方が無い、すぐに結論を教えてやろう。このままでは、本当にシャルルが出てきてくれなくなる」
 揉める僕たちを、クリスは呆れ果てたように手を腰に置いて見回した。
「そうだね。早くお願い、クリス」
「グファ。ちゃちゃっとな」
「押さないでくれ。私は重さがないのだ」
 クリスに向かって身を乗り出す僕とウィンザレオに、ハッピーが押し潰されそうになっている。

 意外な感触。ちゃんと触れるし、なんだか少し温かい。黒猫って感じ。

 僕は初めて触れたハッピーに、そんな感想を抱いていた。

 クリスは一旦息を大きく吸い込むと、その薄い唇を開いた。
「鶏と卵。どちらが先かというと……」
 僕はごくりと唾を飲み込んだ。
 その時、後ろから小さな金属音がした。
「グファ! つーかまーえたっ!」
「きゃあああ! 放しなさいよ、ウィンザレオ!」
「えっ? シャルルの声?」
 突然大声を上げたウィンザレオとシャルルの悲鳴に驚いた僕は、何事かと振り返った。そこには、黒い布で目隠しをされたシャルルが、ウィンザレオに抱き上げられてジタバタしている姿があった。
「グファファ! シャルルもその話が気になるってよ! グファファ!」
「き、気になんかなってない! いいから放して、ウィンザレオ!」
 どうやらシャルルもクリスの答えが気になっていたらしい。聞き耳を立てようと扉を開けたところを、ウィンザレオに捕まったようだ。
 それはいいけど。
「ねぇ、ウィンザレオ。どうしてシャルルは目隠ししてるの? 誰がやったの、それ?」

 



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