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1 第三章

 恐怖はつねに無知から発生する。

   (ラルフ・ワルド・エマーソン)

 

       


 振り返れば《闇》に包まれた《ギルトサバスの城》が遠くに見える。
 巨大なお城だ。普通の《町》なら、五個や六個は、城壁に囲まれた敷地内にすっぽりと入ってしまうんじゃないだろうか。
 その城の周りだけは、まるで夜のような暗さだ。中にいたときには、ちゃんと朝、昼、晩が区別できたのに。外から見ると、なぜ区別出来ていたのかが分からなくなる。
 あの城は……一体、なんなのだろう?

「ふぅ。やはり外界はいいな。空気がうまい。気分がいい。全く、あの城は最悪だった。そうだ、たまには翼でも干そう。あの《闇》が残っていては、カビが生えてしまうかも知れんしな」
 僕の隣では嬉しそうな顔をしたクリスが、大きく広げた翼をふよふよと扇いでいる。風通しを良くしているんだろうか?
 それにしても、と僕は思う。
 良く見れば、クリスは随分と露出の多い格好をしている。頼りなさそうな薄くて白い布が、胸と腰の辺りにあるだけだ。足には、膝まで蔦のように絡みついた靴らしきものを履いている。靴底だけはなめし皮で出来ているみたいだ。銀色に輝く長い髪と、同じ色の大きな瞳。背中からは、自分の体全てを包めるほどに大きくて、真っ白な翼がある。

 きれいだなぁ。僕はクリスにしばし見惚れた。そして、遠くに目を移した。
 彼方に連なる山々の稜線までは、ずぅっと緑の大地が広がって、いまいる小川も延々と伸びている。ところどころに森や小山があるけれど、さほど視界の妨げにはなっていない。
 そして僕は、この長閑な風景をバックにして、クリスが遊ばせる翼にまた見入っていた。
 でも、落ち着いてくると、様々な疑問が湧いてきた。
 まず気になるのはケイオスだ。
 僕はクリスの正面に立ち、その美しい顔を見上げた。クリスの背が僕より頭一つ分は大きいことに少しだけショックを受けたけど、そんなことはどうでもいい。

「ん? どうした、ディア?」
「ねぇ、クリス。ケイオスは? ケイオスは、どうなったの?」
「ケイオス、か?」
 クリスはちょっとだけ顔を横に向けると、
「ケイオスは、死んだ。いや、『消滅』した、と言うべきか」
 抑揚の無い声で、そう言った。
 僕には意味が分からない。
「それってどういうこと?」
「完全に、この世界から『消えた』ということだ」
 やっぱり意味が分からない。僕は首を捻った。
「分かった。詳しく説明してやろう。今のディアには、とても納得できることではないだろうからな」
 クリスは扇いでいた翼をたたみ、僕に真っ直ぐ視線を投げ掛けた。

「ケイオスは、ディアの引き受けていた《穢れ》を、自分に移した。《穢れ》とは《闇》のエナジーなのだが、あれにはかなりの『質量』があるのだ。『重力』と言い換えてもいいだろう。従って、集め過ぎれば『空間』すらもその重みで潰してしまう。並みの者ではその重力に耐え切れず、ケイオスのように……『空間』ごと、潰されてしまうのだ。そして……潰れた『空間』がどうなり、どこに行くのかは……私にも、分からない」
「じゃあ……ケイオスは……?」
「潰れて、空間ごと潰れて……どこか、こことは別の空間へと、消えてしまったことになる……」
 聞き終わらないうちに、僕の中で何かが弾けた。

 


「そんなバカなっ! じゃあ、もう会えないの? ケイオスには、もう会えないって言うの、クリスッ!」
「う、おおッ! 落ち着け、ディア!」
 僕の体から『何か』が飛び出し、凄まじいまでの暴風を巻き起こした。小川の水が巻き上げられ、一緒に土や花、魚なんかも僕を中心に回りだした。クリスは翼を盾にして、僕の暴風を凌いでいる。翼はばたばたと音を立て、羽が何本も抜けていく。クリスは歯を食い縛り、僕からの『圧力』に耐えている。
 クリスが苦しそうにしている。
 でも。
 でも、どうしたらいいのか分からない。
 悲しみ? 怒り? 寂しさ?
 クリスに名を教えられたばかりの、僕の中のいろんな感情が混ざり合う。
 抑えきれない。抑えきれないよぉ。

「ケイオスーッ!」
 僕は叫んだ。
「うおおおおおおお! なんてヤツだ! あれだけの『力』を失って、なおこれだけのことが出来るのか!」
 クリスも叫んでいる。
 土がめくれ上がる。ごろごろと転がっていた岩が、木の葉のように宙を舞う。
 それは広がり、広がり、どこまでも広がっていった。
 頬を伝って、何かが流れ落ちてゆく。
「あああああああーーーー!」
 喉が、破れる。
 そう感じたところで、僕の意識は途切れた。

 

 

 目が覚めると、小さな小さな光が、沢山たくさん連なって、まるで大河のように、キラキラ、キラキラと揺れていた。
「空……? 夜空……?」
 声に出してみた。すると、凄い違和感があった。

 喉がからからに渇いていて、しゃがれた声が出たからだ。
「気付いたか、ディア?」
「クリス」
 僕を覗き込むクリスの顔の向こうには、いっぱい星が瞬いている。
 頭の後ろが温かい。ぷにゅぷにゅとした柔らかいものが、僕の頭を支えているみたいだ。
 なんだろうと思い手で触ってみると、
「ひゃん」
 という、かわいらしい声がした。
 え? これってクリスの声みたいだけど?

 僕はそれを気にも留めず、さらに柔らかいものを触る。
「ひゃ、ひゃぁん」
 すると、またしてもクリスのものらしい、変な声が聞こえた。僕はやっぱり気にしない。神経が、柔らかいものに集中しているからだ。
 なんだろう、これ? すべすべしてて、気持ちいい。
「ど、どこを触っているのだ、この馬鹿っ!」
「いたっ」
 顔を真っ赤に染めたクリスに、僕は頭をぽかりと叩かれていた。頭をさすりながら首を横に向ける。そこで、僕はクリスに膝枕をしてもらっていたことに気付いた。触っていたのは、クリスの太ももだったみたいだ。そこまで考え、僕は慌てて身を起こした。
「わわわっ! ご、ごめん、クリス!」
 ふわ、という感触が体を掠めた。
 僕の体は、クリスの翼に包まれていたんだ。
「ふ、ふん。いいさ。元気になったなら、それでいい」
 クリスは僕から目を逸らすと、照れ臭そうにそう言った。

 逆に、僕は冷静さを取り戻した。
 そうか。
 僕はあれから、気絶でもしていたんだろう。クリスは、僕が気が付くまで、ずっと膝枕をしてくれていたんだ。きっと、翼で包んでくれていたのは、風邪をひいたりしないようにだ。
 月明かりに照らされた地面は、僕たちを中心にして、すり鉢のように抉れていた。僕らは、その底に当たる位置にいるようだ。随分深い場所にいる。
 土の断面が縞模様になっているのは、いつかケイオスに教わった、「地層」というものだと思う。
 地層からは、所々から水がちょろちょろと流れ出している。

「あ、ありがとう、クリス。ごめんね」
「いいったら。ああなってしまっても仕方がない。私も、もっと話し方に気をつけるべきだったんだ。すまない、ディア」
「や、やめてよ、クリス。そんなに申し訳なさそうにしないで。僕こそ、自分にあんな力があるなんて知らなかったから。大丈夫だった? 怪我とかしてない?」
「ああ、大丈夫だ。《魔王》でなくなったお前の力では、私をどうこうすることなど出来ない。ふふ。ディアは、相変わらず優しいな」
「えっ? そ、そう、かな?」
 クリスに優しく微笑まれ、僕は恥ずかしくなって頭を掻いた。
 優しい、かぁ。でも、「相変わらず」って、どういうことだろう?
 僕は、いつから「変わってない」んだろう?
 ケイオスなら、きっと知っているんだろう。
 でも。
 ケイオスは、訊いたら答えてくれただろうか……?

 


「ケイオス……。うっ」
 思い出したら、また悲しい気持ちになった。
「ディア」
 そんな僕を、クリスが胸に抱き寄せる。
「元気を出せ、ディア。お前がそんな風では、ケイオスも安心できないぞ」
「…………」
 僕には答える気力もなかった。
「いいか、ディア。ケイオスは、自ら望んでああしたんだ。最期、お前の役に立てて、ヤツは嬉しかったに違いない。お前の身代わりに《穢れ》を引き受け、お前を自由にするきっかけが作り出せた。ただそれだけで、アイツは満足しているはずだ。アイツはそういうヤツなのだ」
「なんで? どうして、そんなことがクリスに分かるの?」
 僕の素朴な疑問に対するクリスの答えは、予想外のものだった。
「分かるさ。なぜなら、ケイオスは私の兄。私とケイオスは、兄妹なのだ」

「えっ? ええっ?」
 兄妹? ケイオスとクリスが?
 そういえば、なんとなく、顔とか知性的な雰囲気とか、少し似ているような気もするけれど。
「まぁ、人間でいうところの『兄妹』とは、ちょっと意味合いが違うがな。『分身』と言った方が、しっくりくるのかも知れない」
「分身?」
 まさか、ケイオスとクリスが、そんな関係だったなんて。
 待って。
 じゃあ、僕のためにケイオスが犠牲になったことを、クリスは、本当は怒っているんじゃないだろうか?

「そう、なんだ。僕には、あまり意味が分からないんだけど……。じゃあ、クリスも、ケイオスが消えちゃって、いなくなっちゃって、やっぱり……悲しいんだよね?」
 もしそうなら、僕はクリスに責められなくっちゃならない。それでクリスの悲しみを、少しでも和らげてあげなくっちゃならない。何を言われたって構わない。ケイオスが消えたのは、僕のためだったんだから。
 そう考えて、僕は思い切って訊いてみたんだ。
 なのに。
 クリスの返答は、またしても僕の予想を、ものの見事に裏切ったのだった。

「ん? ふふん。なんだ、私を心配してくれているのか? 未曾有の悲しみの中、そこまで気を遣うとは、お前はどこまで優しいのだ。私ならば心配ない。ケイオスがいなくなった今、私はむしろ、清々しているくらいなのだから」
 クリスは、涼やかな笑顔を浮かべてそう言った。
「えええっ! な、なんで?」
 驚いた。僕は本当に驚いていた。なので、声が上擦っていた。
「ケイオスが、ディアを愛していたからだ。対して、私もディアを愛している。お互いに、ディアを独り占めしたいと思い、《ギルトサバス》にまで付き添って来ていたくらいにな。ケイオスが消えた今、私はディアを独り占めだ。ふはははは」
 うわぁ。口の両端が、大きく吊りあがってる。なんて邪悪な笑顔なの、クリス。
 僕は若干後ずさった。
 これ、本気なのかな? 僕を元気付けるための嘘なのかな? どっちなんだか分からない。クリスは、分からないことだらけだ。
 ところで。
「ねぇ、クリス。『愛してる』って、なに?」
「へ?」
 笑っていたクリスの口が、かぱっと開いたまま固まった。

 あれ? 僕、なにかおかしなことを訊いたのかな?
 そう思い、僕が不安に感じていると、
「ディアっ……!」
「むぐ」
 クリスが苦しそうに僕の名を呼び、唐突に抱き締めてきた。
「ああ、かわいそうなディア。永きに渡り《穢れ》の毒気に晒されてきたせいで、『愛』の意味さえも忘れてしまったというのか……」
「? ? ?」
 クリスの言っている意味が、僕にはまるで理解出来ない。
「いいさ。それも仕方の無いことだ。悪いのは、全て人間だ。いや、あの『クソジジイ』のせいだ。むしろ、ジジイの責任の方が大きい。おのれ、あのクソジジイ……!」
 クソジジイ? 誰のことだろう?
「よしよし、そんな不安そうな顔をするな、ディア。何も心配はいらない。『愛』の意味など、そのうちにちゃんと分かってくる。私といれば、きっと」
 じゅるり、とクリスが舌なめずりをした。僕を見つめる目が熱い。
 なんか怖い。
 僕の笑顔が引き攣った。


「さて。こんなところにいても仕方が無い。夜のうちなら、《アルクデスタ》までひとっ飛びしても、誰に見られることもないだろう。さぁ、行くぞ、ディア」
「え? う、うん」
 そうだ。僕には、ウィルとの約束があるんだ。ケイオスのことは悲しいけれど、いつまでも泣いてばかりはいられない。僕は屹度顔を上げ、クリスの差し伸べられた腕に捕まった。細いのに、力強いクリスの腕。それは僕を誘う灯台の光にも思える。
 ぶわ、と純白の翼が広がった。辺りに砂塵が舞い上がる。月明かりを受けた翼は、仄かな輝きを放ち、僕の目には幻想的に映った。

 ゆっくりと、僕たちは上昇を開始した。目指すところは、《アーク公国》の辺境にある田舎町、《アルクデスタ》。勇者ウィル・ハーバーライトの妹、たった一人の肉親である、シャルル・ハーバーライトの住む町だ。僕はぶかぶかの服を風に揺らし、ウィルから預かった《カイロスの盾》をしっかりと抱え込んだ。
 どんな子なんだろう、シャルルって。
 会ったら、なんて言おう。
 ウィルのことを、どう話せばいいのだろう?
 すり鉢状になった地面の底から、地上へと昇る。僕は、これからの行く手に不安と、それより大きな期待に、胸を膨らませていた。

 

「グファファファファ! 出たぞ! 撃て!」
 突然、大きな声がした。男の人の、野太い声だ。
「なにぃっ!」
 クリスが驚愕の叫びを上げた。 すぐ目の前には、矢があったからだ。四方八方から、僕らを目指して、一直線に向かってくる。
「むんっ!」
 クリスが翼をぶるんと振った。クリスの翼から発せられた突風が、全ての矢を吹き飛ばした。
「うおおっ!」
「なんだこれは!」
「やはり、人ではなかったか!」
 同時に、驚きに彩られた無数の声が上がった。

「不意打ちとは、無能で無礼で汚らわしい、人間らしい行動だな。答えろ! 貴様らは、何者かっ!」
 さらに上昇したクリスは、地上にある複数の人影を見下ろし、凛とした言葉でそう告げた。人影たちは、抉れた地面のその丸い縁を、取り囲むようにして立っている。手には、今、僕たちに向かって飛んできた矢を撃ったのであろう《ボウガン》がある。
 鉄の鎧すら突き破るほどの威力がある矢を撃てる《ボウガン》は、弦を張るのに専用の機械を使うため、次射にはけっこう時間がかかる。彼らのうちの何名かは、その準備に慌てている。僕はぬいぐるみみたいにクリスの両腕に抱えられ、その様子を見ていた。
 なんなんだろう、この人たちは?
 なぜ、僕たちを攻撃してきたんだろう?

 ほどなく、僕らを見上げる一団の人間たちから、一人の大男が進み出た。
「グファファファファ! 俺たちは《アーク公国魔導探査部隊》だ! 通称である《セレクタ(選別者)》と名乗った方が、分かりやすいかもしれねぇな! グファファファ!」
 他の人間が頭をすっぽりと覆うヘルムを被っている中、そう答えた大男だけが、素顔を晒していた。
 銀色の短めな髪が生えた頭をガリガリと掻きながら、もう一方の手は鈍く光る甲冑の胸をどんと叩いている。
 大きな目。大きな口。大きな体。全てが無骨な輪郭で出来ていて、どこからどう見ても粗暴としか言い表せない男の人だ。背負っているのは、地面に引き摺りそうなほどに巨大な剣だ。
 この人も、《騎士》なんだろうか?
 いろいろと特徴のある風貌だけど、僕は特に目が気になった。
 銀色の瞳孔が、縦長になっている。獣じみた瞳に、僕は興味を持った。

 



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