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「ち。てめぇに言われても素直に安心できねぇが……。仲間も全員逝っちまったしな。託せるのが魔王だけとは、笑える、ぜ。うぐっ」
「ウィル!」
 ウィルの口から、大量の血が吐き出された。目も虚ろだし、体が冷たくなってきたみたいだ。
 どうしよう、どうしよう! 僕に今、出来ることは?

「しっかり、ウィル! うん。うん! 妹は、僕に任せて! シャルル、だよね? きっと、きっと僕が、なんとかするから! 伝えることがあれば言って!」
 やっぱりこれしかないよ!
 助けられないなら……。せめて、せめてこれぐらいはしてあげたいよ!
「は、はは。これが、魔王? こんなに優しい魔王なんて、あるのかよ? 俺は、俺は一体、なんのために、ここまで……」
 ウィルは自虐気味に笑うと、腕に嵌っていた丸い盾を外し、僕に渡した。装飾の美しい、銀色に輝く小さな丸い盾だ。
「これ? カイロスの盾、だっけ?」
 僕はこの行動に対するウィルの真意を訊ねた。

「ああ。それは親父から受け継いだモンだ。シャルルにそれを見せれば、きっとお前の言う事を信じてくれるだろ」
 小刻みに震えながら話すウィルを、クリスもケイオスも身じろぎもせず見つめている。
「シャルルに、こう伝えてくれ。『ごめん。先に逝く。お前は、元気で……』、がは、げふ」
「ウィル!」
「……幸せ、に、なって……くれ……」
 そこまで話し、ウィルの瞳が静かに閉じた。
 握っていた手の力が抜けて、僕の手をすり抜ける。
 僕の腕の中でウィルの顔が力なく横を向き、だらりと下がった。

 

「ウィル?」
 僕は呼びかけた。
「ウィル」
 僕はウィルを揺すってみた。
「ウィルーーーーー!」
 僕は大声でその名を叫んだ。
 ずしり、と腕に重みがかかった。
 瞬間、僕は理解した。
 この重さが、“死”なのだ、と。

 

 ぼとぼととウィルの顔に落ちているのは、僕の涙なのだろう。
 僕はウィルを濡らすのが嫌で、彼を胸に掻き抱いた。
 辛い。
 苦しい。
 これも、“悲しい”?
 こんなに嫌な気持ちがあるなんて。
「立て、魔王。悲しんでいる暇などない」
「えっ?」
 唐突な声に顔を上げると、腕を組んで僕たちを見下ろすクリスがいた。
「悲しんでいる、暇が、無い? そんな。ひ、ひどいよ、クリス。暇だから悲しむわけじゃあ、ないでしょう?」
 クリスの言葉に、余計に涙が溢れた。

「……魔王様。お気持ちお察ししますが、今はクリスに従ってください。こやつとて、こんな事を、言いたくて言っているわけでは、ありません……」
 ケイオスが荒い呼吸を繰り返しながら、僕の側へと膝を付いた。
「ケイオス。でも。だって」
「だってではない。直にクソジジイもここの異変に気付くだろう。そうなれば、貴様はこの城から出られなくなる。シャルルにも会いには行けんぞ。いいのか? ウィルと約束したのだろう?」
 う。そうなんだ。
 でも、なんでだろう?
 なぜ僕は、ここから出られないんだろう?
 扉の取っ手にも拒絶されているようだった。

「ああ。そんなに不思議そうな顔をするな。ここから出たら説明してやる。今は、一刻も早くここから脱出することだ」
 そう言うと、クリスは白くて大きな翼を一振りし、僕の腕を掴んだ。拍子にウィルが僕の腕から零れ落ち、床に転がる。
「ま、待て、クリス。外の世界に行くのに、魔王様がその姿のままでは都合が悪かろう?」
 今にも飛び立たんとしているクリスを、ケイオスが腕を伸ばして引き止めた。
「む? なるほど、そうかも知れん。私としたことが、迂闊だった。しかし、だからどうする?」
「私に任せてくれ。どうせ死ぬ身だ。魔王様が溜めた《穢れ》は、このケイオスが引き受けよう」
「なんだと?」
 ケイオスの発言に相当驚いたのか、クリスの目が大きく見開かれた。
 なんだろう?《穢れ》って?

「では参る。『過去より現在、人世に渦巻きし《穢れ》たち。寄り代離れて我に寄れ。全ての《穢れ》よ、ケイオスに来たれ』!」
「うわぁっ!」
 次の瞬間、ケイオスの手が僕に翳されると、辺りに真っ黒な闇が飛び出した。
 なんだ、これ!
 ぼ、僕の体から、沢山の《闇》が流れ出て行く!
 うわ、わ。引っ張られる。ケイオスに、引っ張られる!
「わあぁぁぁぁぁぁ!」
 自分の体の中身を引きずり出されるような感覚に、僕は思わず声を上げた。


「ケイオスッ! 馬鹿がっ!」
 クリスは白い翼で身を包み、《闇》を弾いているようだ。
 その腕はしっかり僕を掴んでいる。
 でも、足は床を離れて、ケイオスの不思議な力に引かれている。
 倒れていたウィルや騎士たちが宙に浮き、回りながらケイオスに吸い寄せられていく。
「ぐお、あ、うぁ、あぁぁぁぁ!」
「ケイオスーーーーーー!」
 ケイオスはみるみる体を膨らまし、巨大な風船のようになってゆく。
 ケイオスはそのままあっと言う間にこの部屋を満たし、そして、
「がっ」
 短い断末魔の声を上げた後、小さな黒い点となって消滅した。

 

「ケイオスッ……」
 クリスは苦しそうにその名を呟いた。
 ケイオスはどうなったんだろう? 一体、どこに行ってしまったんだろう? クリスは、ケイオスの何なんだろう?
 歪むクリスの表情を、僕はそう考えながら見つめていた。
 それにしても、部屋の雰囲気がかなり変わったように思う。外の光が真っ直ぐに入ってきているのか、今まで薄暗かったこの部屋は、相当明るくなっている。今までここが暗かったのは、僕から飛び出した、あの《闇》のせいだったんだろうか?

「あれ?」
 ふと、体が揺れているような感覚がして、僕は辺りに配っていた視線を床に投げた。耳を澄ませば、低く重い音が小さく聞こえる。
「まずいな。もう気付かれたか」
 クリスにもそれが分かったらしい。さっきより更に怖い顔になっている。
「急ごう。手をよこせ、魔王……っ!」
「ん?」
 クリスの差し伸べられた手が、ピタリと止まった。
 ど、どうしたんだろ、クリス? そんなに大きくなった目で見られたら、僕、どうしたらいいのか分からないよ。
「……ディアッ……!」
「わ? わ、わわっ?」
 戸惑っている間に、僕の体はクリスに抱き締められていた。

 真っ白な翼が僕を包む。
 すべすべとしたクリスの頬が、僕の頬に擦り寄ってきた。
 あれ? 僕はクリスよりかなり大きかったはずだけど……?
 僕、すっぽりとクリスの胸の中に収まっているような気がする。
 おかしいな?
「ディア。ディア。会いたかった。私は、ずっとお前を見ていた。変わりゆくお前を……」
 え? え? どういう意味?
 な、泣いてる、の? クリス?
 こうしている間にも、床に伝わる振動とお腹に響いてくるような音は、刻一刻と大きくなっている。

「いいんだ。私を覚えていなくても、忘れ去られていたとしても。それでも、私はお前を……、お前だけを……」
「ク、クリス? あの、なんだか良く分からないんだけど……。ごめんね。でも、何か、まずそうな雰囲気だよ? いいの、かなぁ?」
 勇気を出してそう言うと、クリスの体が一瞬ビクリと波打った。
 そして、
「そうだ。こうしている場合では無い。……何を動揺しているのだ、私は……。行くぞ、ディア」
「あ、れ? あれれれれぇ?」
 僕はふわりと小脇に抱えられ、クリスと共にバルコニーへと踏み出していた。
 前はいつだったか思い出せないほど久しぶりに感じる爽やかな風が、僕の髪をさらさらと靡かせる。
 なんか、髪が短くなっているような気がする。

「飛ぶぞ。しっかりつかまれ」
 髪のことなどすぐにどうでも良くなった。
 クリスは僕を抱えたまま、真っ黒な石造りのバルコニーの、胸の辺りまである柵に足をかけ、
「わ、わあぁっ」
 真っ白な翼を大きく開くと、そのまま外に飛び出した。
 眼下には不自然にうねった木々の生い茂る城の庭。遠くにはなだらかな山が連なっている。その手前には、人間の街。白い壁と青い屋根が密集しているのが、アーク公国の城下街だ。
 青い屋根の集まりがだんだんと盛り上がる中心には、沢山の青い尖塔が聳える、石灰岩で造られたお城が建っている。
 緑の山々をバックにした白と青のその世界は、僕の憧れだ。羽ばたくクリスの翼越しに見上げると、真っ青な空に白い雲が、ゆっくりと流れている。
 僕は初めて浴びる日の光の眩しさに目を細めた。風の匂いと太陽の匂い、そしてわずかに緑の匂いも混ざっている空気を、僕は胸一杯に吸い込んだ。

 


「ち。ケイオスがあれだけ頑張ったというのに、もうこれか」
「え?」
 クリスは振り向いて舌打ちしていた。
 僕も後ろを振り返る。
「あっ! な、なに、あれ?」
 そして、思わず訊ねていた。
 今飛び出した僕のお城が、真っ黒な《闇》に飲まれていこうとしている。地面から湧き出ているのか、空気から滲み出ているのかも分からないけど、それは大量に、そして急速に増えている。
「スピードを上げるぞ。このままでは、我われまであの《闇》に飲まれてしまう。そうなれば、ケイオスの犠牲が無駄になる!」
 ぐん、と後ろに引っ張られる感じがした。速度が上がったんだ。
 僕は後ろから目が離せないでいた。《闇》が、どんどんこっちに迫っていたからだ。

「あの城の《結界》は、敷地内までだ。城壁の上空さえ抜けられれば!」
 クリスの飛ぶスピードがまた上がる。翼の羽ばたきが激しくなる。《闇》の広がりも速くなった。
 《闇》は、もうすぐ後ろに迫っている。
 怖い。あれに飲まれたら、どうなるの?
 おかしいよ。あのお城は、今までずっと、僕が住んでいた所のはずなのに。
 一番上にある僕のお部屋は、お気に入りの場所だったはずなのに。
 一度光に溢れた外の世界に出てみたら、もう帰りたくなくなっているなんて。
 いやだ。
 もう、《闇》は、いやだ。
 助けて、クリス。
 僕、もう、あそこには帰りたくない。
 帰りたく、ないんだ。

「クリスぅ。後ろ、後ろに」
「分かっている。心配するな」
 クリスの不敵な笑顔に安心した。
 でも、僕の足が。
 今、《闇》に、捕まった!
 僕の足に、《闇》が纏わり付いている。
 クリスの足や翼にも、染み込むように《闇》がある。
 クリスのスピードが落ちた。
 がくん、と僕の足を引く力が強くなった。
 途端に、僕は泣きたいような衝動にかられた。
「クリスッ!」
「心配するな、と、言った、だ、ろお、おぉぉぉぉっ!」
 叫ぶ僕に、クリスも吼えるように応えた。
 クリスから、凄い力を感じる。クリスは、全力を振り絞っているみたいだ。
「抜けた!」
「わっ!」
 急に体が軽くなった。
 激しい風が吹き付けて、僕は思わず目を閉じた。

 

「見ろ、ディア」
 しかしクリスに顔をぱしぱしと叩かれて、後ろを見るよう急かされた。
「う、うわぁ!」
 煤けた蔦がびっしりと外壁に絡んでいるお城が、真っ黒に染まっていた。槍のように尖った屋根を持つ塔が三棟あるけど、どの塔のどの窓からも《闇》が勢い良く噴き出していた。越えた城壁を境に、城を中心として、《闇》が内側で渦を巻いている。
 暗い。そして、黒い。
 あれが今まで僕のいた所。
 《ギルトサバスの城》と呼ばれる、僕の城だ。
「どうだ、ディア。自分の城を、外から眺めるのは初めてだろう?」
「う、うん」
 僕は頷いた。
「信じられないよ……。あんな怖そうなところに、今まで僕がいたなんて……」
 そして、素直な感想を口にしていた。

「だろうな。だが、事実だ」
 クリスは柔らかく微笑むと、僕を小川のほとりにそっと降ろしてくれた。
 足の裏にひんやりと、それでいて優しい感触がある。
 飛んでいるとき靴を落としちゃったんだ、と僕は思った。
 見下ろせば、小さな白い花を咲かせた草が、沢山生えている。それは小川に沿って広がっていた。
 空からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
 腕を開いて顔を上げると、太陽の光がぽかぽかと僕を照らしている。
 気持ちいい。
 これが、外の世界。


「嬉しそうだな、ディア」
 クリスが僕の頭を撫でた。
 最初見た時は凄く冷たい感じがしたのに、今は別人みたいだ。
 それに。
「ねぇ、クリス。なんで僕を『ディア』って呼ぶの?」
「ん? ああ。はは。それがお前の本当の名前なのだ、ディア。そしてその姿は、私の知る、昔のディアだ。 私は、もうお前を『ディアボロ』とは呼べない。その姿に戻ったなら、な」
「僕の、姿?」
「気付いてないのか? お前は、相変わらず、のんびりしているな。ほら、そこの小川で自分の姿を見てみるがいい。鏡ほどではないが、水も自分の姿を映してくれる」
「えっ? そうなんだ!」
 僕の心は浮き上がった。ずっと欲しかった鏡の代わりが、すぐそこにあるんだ。
 でも。
「……やめとくよ、クリス。だって、僕、凄く怖い顔、してるし……」
 もうあんな自分は見たくない。

「なに? あっはっは。心配するなったら」
「あ! や、やめてよ、クリス!」
 クリスは僕をまたしても抱きかかえ、小川の中に足を入れた。
 自分の姿を見るのがいやで、目をぎゅっとつむる。でも、つむる直前、ちらりと白い翼が見えた。
 これは、クリスが映っていたんだね。やっぱり僕も映ってるんだ。
「大丈夫だったら。ほら、見てみろ」
「うー」
 クリスにぺしぺしと頬を打たれ、僕は恐る恐る目を開けた。
「……え?」
 緩やかに流れる小川の水面には、自分で言うのも気が引けるけど、愛くるしい顔をした《人間》が映っていた。

 着ているのは、確かに僕が身に付けていたものだ。
 後頭部から肩、胸まで覆う紫色に染められた革の外套から、ケイオスの着用していたローブに似た漆黒のマントが広がっている。グレーのシャツに光沢あるマフラーもそのままだ。でも、それらは全てだぶだぶで、全然サイズが合ってない。いつの間にか、ズボンなんてなくなってる。細くて白い足が、シャツの裾から伸びている。
 これが、僕? まるっきり《人間》じゃないか。

 揺れる水面をよくよく覗いてみる。
 すると、やっぱり僕は《人間》ではないことがすぐに分かった。
 短めの金髪を掻き分けて、頭から二本の角が生えていた。
 くるりとカーブした、茶色くて短い角だ。
「ふむ。角は消せなかった、か。ケイオスの《許容量》では、そこまでが限界だったようだ」
 耳元で僕と一緒に水面を覗き込むクリスの、残念そうな呟きが聞こえた。
「しかし、それ以外は昔のままだ。……昔のまま、女の子のように……かわいい……」
 次の言葉は嬉しそうに聞こえたけど、耳には妙に熱い吐息がかかった。
 僕はなんとなく、少しだけ体を震わせたのだった。

 


1 第三章

 恐怖はつねに無知から発生する。

   (ラルフ・ワルド・エマーソン)

 

       



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