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 ウィルと僕の間には、まるで見えない壁があるみたいだ。目の前にいるのに、物凄く遠くに感じる。

「勇者様!」

「ここでしたか、ウィル殿!」

「おお、こ、これが魔王! なんと禍々しい怪物だ!」

 僕が絶句していると、破れた扉の向こうから、次々と人間たちが入って来た。入ってきては僕を見上げる二十人ほどの人々。皆、ボロボロだ。壊れた甲冑に折れた剣。あちこちから血が出てる。荒い息遣いと共に放たれるのは、僕に対する呪いの言葉。彼らから僕に届くものは、“憎悪”と“悪意”しか無い。

 苦しい。苦しいよ……っ。

「へっ。とうとうアーク公国の正騎士様たちまでが辿り着いてきやがった。覚悟するんだな、魔王ディアボロ!」

 ウィルは左手で鼻を擦ると、右手の剣を僕に向けた。

 ここで、ようやく僕は気が付いた。

 自分が、嫌われていることに。

 皆、僕に会いたかったわけでも、友達になりたかったわけでもなかった。彼らは、僕を倒すため、ここに来たんだ!  でも、理由が分からない。  僕が一体、何をしたっていうんだろう?  そうだ。ケイオスが言っていた。「分からない時は、訊くことです」と。

「ま、待って! 皆、ここに何しに来たの? なんで、僕は憎まれているの?」

「はぁ? ふざけるなぁっ!」

「うっ」

 部屋中に轟いたウィルの怒声が、僕の肩を竦めさせた。

「この国に蔓延る魔物どもを操っているのは、お前だろうがっ!」

 えっ? 『魔物』?

 聞き覚えの無い単語に戸惑っていると、ウィルに大声で怒鳴りつけられた。

「あの魔物どものせいで、どれだけの人間が死んだと思っていやがる!  女子供はおろか、大の男だって、うかうか外も出歩けねぇ!  畑を耕すにも、商いをするにも、いつもビクビク怯えながらだ! 昼も夜も、やつらは容赦なく俺たち人間を襲う!  妻を、家族を、恋人を……大事な人を失う辛さが、お前に分かるかっ!」

 凄い声だ。お腹にビリビリ響いてくる。でも。

「そ、それが僕と、何の関係があるんだよぉ!」

 僕は力いっぱいに叫んだ。

 その後の皆の反応に、僕はただただ驚いた。皆、僕を見つめて動かない。ウィルも剣を下げ、表情を無くしていた。

 静かだ。この反応は、何?

「……ウィル殿。最早、話すことなどありますまい。相手は、『魔王』。人を誑かすなど、容易いこと」

「そうだな。もしかしたら、魔軍参謀ケイオスを討たれたことで怖気づき、戦いを回避しようとしている、という事も考えられるよな」

 白く長い髭を伸ばした初老の騎士に同意すると、ウィルは剣を握りなおした。

「ち。俺だって、ここまで来るのに仲間を何人も失ってんだ。今更、『何かの間違いでした』なんて、ごめんだぜ」

 誰も、僕の言う事を信じていない?

 言葉の意味は完全に理解出来ないけど、態度や行動からそう感じた。

「お喋りはここまでだ! いくぜ、みんな!」

「おおおおおっ!」

 ウィルの掛け声で、人間たちが剣を一斉に振り上げた。

 その切っ先はどこに振り下ろすの?  僕? 僕、なの?  苦しい。また、視界が滲んでくる。この気持ちは、何?  誰か。誰か、教えてよぉ! 「うわあぁぁぁっ!」

 沢山の剣が僕の体に突き刺さる。

「止めて! 止めてぇっ!」

 痛くて痛くて叫んでも、僕への攻撃の手は全く緩まない。槍も矢も、何度も何度も飛んでくる。

誰が止めるか!」

「おおっ! 平和の為、死んでもこの剣を止めはせぬ!」

「飛び散る魔王の血に気をつけよ! 触れると溶けるぞ!」

 僕の血が、床に、壁に、ついには天井にまで飛散した。初めて目にする僕の血は、付着した所で白煙を上げた。僕は体を丸めて床に蹲り、皆が止めてくれることを祈っていた。

 いた、い……。いたい、よぉ……。

「なぜ無防備に攻撃を受け続けるのだ、この怪物?」

「それより、どれだけ斬れば死ぬんだ、コイツはっ」

「考えるな! 無心に我武者羅に切り刻め! 魔王だって斬れば血も出る、弱りもする! 不死の生物などいないんだ!」

 ウィル。ひどい、よ。それが分かってて、まだ僕に斬りつけるの?  僕は、キミが大好きだったのに。

 

 僕は、そんなキミに殺されるんだね――

 

 僕の意識が悲しみに沈んでゆこうとした瞬間、思いがけない事が起こった。

「うおっ!」

「なんだ、この光はっ!」

「眩しい! 皆、気をつけろ!」

 突如、真っ白な光が部屋に満ちた。

「これは? 魔水晶?」

 薄目を開けて必死で見ると、光は魔水晶から溢れていた。透明な球体に過ぎなかった水晶は、光に溶けるようにその姿を変えてゆく。

「その気持ちは、『悲しい』、そして、『悔しい』というのだ。魔王」

「えっ? ま、魔水晶、なの?」

 光が収まった後には、いつか絵本で見た、天使に似たものが立っていた。

「なんだ、あの女は?」

 勇者ウィルが、大きく目を見開いた。


1 第二章

 人生とは面白いものです。何かひとつを手放したら、それよりずっといいものがやってくるものです。

             (ウィリアム・サマセット・モーム)

 

 

「全く、愚かな人間共め。そして、無知すぎる魔王め。ああ、イライラする。イライラして仕方が無いぞ」
 透き通るような肌が覆う細い体を、真っ白でふわふわとした布が、胸と腰の辺りだけを隠している。小さな顔にかかる、絹糸のようにキラキラとした長い髪を払いのけ、ガラスのような瞳が僕を見つめている。その背中からは、純白の翼が広がっていた。
「ば、馬鹿な……。正気か、貴様?」
「え? あ! ケ、ケイオス!」
 聞き慣れた重い声の主は、死んだと思っていたケイオスだった。ケイオスは、破壊された扉の所で、壁に背を預けて立っている。お腹を押さえている手からは、ポタポタと青い血が滴っていた。
「やはり。まだ生きていたか、ケイオス」
 天使はそう言って鼻で笑うと、
「ふん、正気か、だと? 正気であれば、私が姿など現すものか。おかしくなったからここにいる。そんな事も分からんのか? 貴様がそんな有様だから、人間などに遅れを取るのだ」
 ケイオスの生存を喜ぶ隙も与えられず、翼を持つモノが冷たい言葉を紡いでいった。
 見た目は美しいのに酷そうなヒトだ、と思う。

「なんだと? あれだけやって、まだ生きてんのかよ!」
「落ち着きなされ、ウィル殿! ケイオスなど、あの負傷では、最早戦う力などありますまい。生きているだけでありましょう。それより、あの白い女が気になります。人間では、よもあるまいが……魔族にも見えぬ」
 すぐにでもケイオスに斬りかかろうとするウィルを、白髭騎士が押し留めた。何が起こっているのか分からず、人間たちは僕とケイオス、そして白い翼を持つモノを何度も見遣り、混乱している。
 それは、僕も同じだった。
「だ、誰? 魔水晶、なの?」
 僕は素直に訊ねた。
「ん? ああ、そうだ。私は、クリス」
 そう答えると、翼を大きくはためかせ、
「私は『第一世界』の天使長、クリス・クロスという者だ」
 両手を腰に、胸を張った。
「なんだ、『第一世界』って? 天使長、だと? ここは魔王の居城だぜ。天使ってのは、神様の使いじゃねぇのかよ?」
 明らかに異質な空気を放つクリスに対しても、ウィルにはまるで臆する様子が無い。僕はそんな彼を、いつも凄いと思う。どんなに巨大な敵が現れても、彼はいつも変わらないんだ。

「勇者ウィル・ハーバーライトか。は。何が『勇者』だ。笑わせる」
 宙に浮かび、ウィルを見下ろす視線には、明らかに怒りがある。僕を叱る時のケイオスよりも、遥かに怖いと思った。
「んだと? なんなんだ、てめぇ。魔王討伐の邪魔をするってんなら、てめぇも一緒にブチ殺すぜ」
 ウィルから殺気が立ち昇る。構えた剣が煌いた。
「身の程知らずとは幸せなことだな。好きにするがいい、ウィルよ。私の姿を見た以上、貴様らに助かる道は無い。必死で抵抗することだ」
「な! ま、待て、クリス!」
 ケイオスが一歩足を踏み出した。
「待つ理由は無い」
 冷たい壁を思わせる言葉を発すると、クリスの背にある純白の翼から、無数の光り輝く羽が四散した。
「うおっ!」
「ぐあっ!」
「ぎゃあっ!」
 それらはクリスを取り囲むようにしていた人間たちを、悉く貫いていった。鉄の鎧もまるで役には立っていない。ばたばたと倒れ行く人間たちの中で、最後まで立っていたのはウィルだった。

「ほう。さすがは『カイロスの盾』だな。私の羽を受け、傷一つ無いとは」
 ウィルは左腕に嵌っている小さな丸い盾で、クリスの攻撃を防いでいた。
 でも。
「が、その盾の弱点は、小さすぎる所だ。今のような広範囲、そして同時に迫る脅威は、完全に防ぐ事が出来ない」
「うぐ……」
 ウィルは両膝を折ると、床に這い蹲った。盾に守られていた頭や胸には大きな怪我が無いけれど、それ以外の足や肩から、沢山の血が流れ出ている。
 凄い。あんなに強いウィルを、一瞬で。このヒト、何者なんだろう?
「苦しかろう? だがな、この馬鹿が感じた痛みは、その程度ではない。体の痛みだけでは無い。心の痛みにしても、だ」
 クリスはそう言いながら僕に視線を送った。
 馬鹿って、僕のことなの?
「な、なん、なん、だ? お前は、一体……?」
「知る必要は無い」
 苦しげに床から顔を上げるウィルに向け、また翼が煽られようとしている。
 またあの羽を飛ばす気だ!
「むっ。なんの真似だ、馬鹿者め」
 気付けば、僕はウィルの上に覆いかぶさっていた。
「や、やめてあげてよ……」
 僕は恐怖に耐えながら、言葉を搾り出した。

 

 


「なんだと?」

 クリスの高く美しい声が、僕の鼓膜を揺らした。その声は、きれいなのに怖かった。

「ウ、ウィルは、ここまで、凄く頑張って辿り着いたんだ。友達もたくさん亡くしたし、いっぱい泣いたりしてた。キミは、それを知ってるの?」

「無論だ」

 無感情な声だ。やっぱり、怖い。

「勿論、理由だって知っている。貴様こそ、ソイツが何をしに来たか、本当に分かっているのか?」

 僕は無言で頷いた。

「ならば、なぜ庇う? 貴様はソイツに殺されてもいいというのか?」

 僕はぷるぷると首を振った。

「では、そこをどけ。大体、貴様が本気で戦えば、そんな人間など一ひねりなのだ。が、そうする気がなさそうなので私が出た。私は、貴様を助けてやろうとしているのだ。それくらいは分かるだろう?」

 僕はぶるんぶるんと縦と横に首を振り、ウィルをきつく抱き締めた。ウィルの荒い息遣いが耳元で聞える。

「どっちだ、その反応は?」

「ど、どくのはイヤ。キミが僕を助けてくれているのは、分かるよ」

 クリスはしばらく僕を無言で見つめ、

「はぁ」

 と大きなため息をついた。

「ま、魔王……?」

 横顔に、ウィルの視線を感じる。

「では、好きにするがいい。その傷では、どうせもう長くはない。ケイオス」

 クリスに呼びつけられ、ケイオスが足を引き摺りながら近付いて来た。

「私はここから、この馬鹿を連れ出す」

「本気か? 何をしようとしているのか、分かっているのだろうな、クリス?」

 ケイオスの頬に汗が伝う。その血走った目に、僕は言い知れない不安を覚えた。

「はっはっは! 当然だ! 私はな、もうあのクソジジイ……と、言っても通じんか。あの“神”には従えん。このやり方は、間違っている。もー、我慢できんのだ! 貴様とて、そう思っているのだろう? ケイオス」

「クリス……」

 ケイオスの赤い瞳が潤んでいる。

 なんの話をしているんだろう? 僕を、連れ出す? この城から?

「ふ。ははは。よし。お前に任せよう。どうせ私も直に死ぬ。魔王様に仕えて二百年。お前が魔王様を解き放ってくれるのであれば、もう、思い残すこともない。すっきりとした気分で旅立てるというものだ。ははははは」

 ケイオスは口から溢れる血を拭おうともせず、愉快そうに笑う。そして、 「魔王様。不肖ケイオス、勝手ながら先立たせて頂きます。長い間、お世話になりました」

 と、ウィルを抱えたままの僕に、笑顔を向けた。

 初めて目にするケイオスの笑顔。

 それは、凄く優しいものだった。

「ケ、ケイオス」

 僕はケイオスへと手を伸ばした。

「勇者よ」

 ケイオスは、なんと言っていいか分からずに伸ばした僕の手をしっかりと握ると、ウィルへと声をかけた。

「魔軍参謀、ケイオス……が、そんな、優しい、声を、出せる、なんて、な。てめぇの操る魔王軍にゃ、散々な目に遭わされてきたって、いう、のに、よ」

 強がっているのか、にやりと笑みを浮かべるウィルの声は、途切れ途切れだ。

「ここまで辿り着いたのは、お前が初めてであり……私を倒したのも、そうだ。お前は、良くやった。胸を張って逝くがいい」

「ち。あの世で自慢したって仕方ねぇ、ぜ。俺には……」

「あ! し、知ってるよ、ウィル! 妹でしょう? 妹に、凱旋した姿を見せたかったんでしょう?」

 この辺りのウィルの気持ちについては、以前ケイオスに説明してもらっている。

 ウィルにはたった一人の肉親である妹がいる。その子は、アーク公国の辺境『アルクデスタ』で、ウィルの帰りを待っているはずだ。ウィルは驚いた表情を浮かべ、僕を睨み付けた。

「なんで、てめぇは、俺の事を、そんなに知って、いやがる? なんで、俺、を、庇う?」

「えっ? あ、ぼ、僕は……」

「その馬鹿は、貴様と友達になりたかったのだ。貴様の事が、大好きなのだ」

 しどろもどろになる僕の代わりに、クリスが答えてくれた。

「なんだって?」

「笑わせるだろう? 自分を殺そうとしている貴様を、その馬鹿は心待ちにしていたのだ。水晶珠であった私を通じ、いつも貴様らの行動を観ていたのだ。貴様らの事で、毎日毎日、一喜一憂してな。それを間近で見ていた私は、その都度呆れていたのだが」


 ウィルはクリスの話を聞き終え、「そうか。だから、抵抗しなかったのか」と、呆然として呟いた。 

 そして、
「俺は、ひどい事をしたんだな……」
 そう言って、項垂れた。
「知らなかったんだから、仕方ないよ」
「え?」
 僕は俯いたウィルを覗き込むようにして言葉をかけた。ウィルの見開いた目が、僕を映す。巨大な角と、大きな口から飛び出す牙を持つ僕が、そこにいた。散々斬られて出来た傷も、いつの間にか、すっかりきれいに治っている。
 これが、僕?
「はぁ。それがその愚かな人間を庇う理由か」
 クリスは僕の思いを理解してくれているようだ。でも。
「ふん。姿が禍々しいからと、一方的に『悪』とするのが、貴様らだ。例え事前に教えられたとて、容易には信じまい。それが“人間”なのだからな」
 衝撃に脳が痺れて、クリスの言葉もよく聞き取れない。
 ナニコレ? こんな姿じゃ、怖がられて当然だよ!
 僕は、怪物だったんだ!
 自分の姿を映せる鏡という物の存在は、魔水晶で見て知っていた。興味を持った僕は、今まで何度と無くケイオスにおねだりしていたんだ。でも、ケイオスはそれを絶対にくれなかった。
 ケイオスは、自分の姿を見た僕がショックを受けるって、分かっていたんだ!

「この馬鹿をこんな姿にしたのも貴様らだ。そんな事も知らず、『魔王を倒せば平和になる』、か?  馬鹿がっ! どいつもこいつも馬鹿ばかりだ! もう、こんな『第二世界』など、どうなっても知るものか!  私はこの馬鹿を連れ出す! この馬鹿を、“幸せ”にせねば気が済まぬ!」
 クリスは動揺する僕に気付いた様子も無く、ただただ気持ちを吐き出している。僕の為に怒ってくれているのは、なんとなく分かった。でも、僕がこんな姿になったのは「人間のせい」って、どういう事?
「がはっ!」
「あっ! ウィル!」
 疑問が渦巻き始める僕の頭を、ウィルの吐血が遮った。
「大丈夫、ウィル! しっかりして! 妹が待っているんでしょう? 死んじゃあダメだっ!」
 僕はウィルの背中をさすった。他にするべき事を知らないんだ。

 でも、鎧が邪魔だ。外さなくちゃ!
「ああ。どうやったら外せるの、これ? まずい、まずいよ!」
 慌てる手がただ彷徨う。僕はケイオスに助けを求めた。
「助けて、ケイオス。ウィルを、助けて」

「無理でございます、魔王様……。申し訳ございませんが、その者の怪我を治せるならば、まず自分の治療をしております」
 そうか。僕は馬鹿だっ。
 あ。じゃあ、クリスは?
 もしクリスに治療する力があれば、二人とも助かる!
「クリス?」
「誰が名で呼ぶ事を許した? 私に助けを求めても無駄だ」
 冷たい視線に絶対的な“拒否”を悟った。
「ううっ。どうしたらいいんだ。どうしたらっ……」
 僕は自分の無力を痛感し、絶望に身を捩った。
「はっ。はは……。まさか、倒しに来た魔王に介抱されるたぁな。いいんだ、魔王。もう、いいのさ」
 ウィルは僕の腕を握ると、血に汚れた口を歪め、笑おうとしているようだ。
「何がいいんだよ! 死んだら終わりでしょ?」
「まぁな。でもよ、もう助からないって分かれば、それでも終わり、さ。最後まで生きようとするのも悪くない。が、俺には今より数分、命を延ばすことよりも、大事なことがあるからさ」
 呼吸の音が少し高くなってきた。ヒューヒューと鳴る喉が、僕を切迫した気持ちにさせる。覚悟を宿したウィルの瞳に、僕はもう、何も言えなかった。ウィルは、僕に何かを伝えようとしている。そう感じた僕は、ただゆっくりと頷いた。

「なぁ、魔王。殺しに来といて勝手なのは承知なんだが、頼みたい事がある」
「何? いいよ。なんでも言って、ウィル」
「安請け合いを」と言いたそうなクリスの苦い顔が、視界の端に入った。
「妹を、シャルルを、頼む」
「……へ?」
 僕はたじろいだ。確かに「なんでも言って」とは言ったけど。
 それは頼まれても、どうしたらいいのか分からないよ!
「任せておけ。魔王様なら、きっとなんとかしてくださる」
「え?」
 力強く言い放つのは、ケイオスだった。
「そうだな。この馬鹿ならば、きっとどうにかするだろう。とりあえずは、この城から出るところまで、私が間違いなく見届ける。安心して死ぬがいい」
 追い討ちするかのような言葉は、クリスだった。
 なに? そのサディスティックな笑み。
 顔に「ざまあみろ」って書いてあるよ!

 


「ち。てめぇに言われても素直に安心できねぇが……。仲間も全員逝っちまったしな。託せるのが魔王だけとは、笑える、ぜ。うぐっ」
「ウィル!」
 ウィルの口から、大量の血が吐き出された。目も虚ろだし、体が冷たくなってきたみたいだ。
 どうしよう、どうしよう! 僕に今、出来ることは?

「しっかり、ウィル! うん。うん! 妹は、僕に任せて! シャルル、だよね? きっと、きっと僕が、なんとかするから! 伝えることがあれば言って!」
 やっぱりこれしかないよ!
 助けられないなら……。せめて、せめてこれぐらいはしてあげたいよ!
「は、はは。これが、魔王? こんなに優しい魔王なんて、あるのかよ? 俺は、俺は一体、なんのために、ここまで……」
 ウィルは自虐気味に笑うと、腕に嵌っていた丸い盾を外し、僕に渡した。装飾の美しい、銀色に輝く小さな丸い盾だ。
「これ? カイロスの盾、だっけ?」
 僕はこの行動に対するウィルの真意を訊ねた。

「ああ。それは親父から受け継いだモンだ。シャルルにそれを見せれば、きっとお前の言う事を信じてくれるだろ」
 小刻みに震えながら話すウィルを、クリスもケイオスも身じろぎもせず見つめている。
「シャルルに、こう伝えてくれ。『ごめん。先に逝く。お前は、元気で……』、がは、げふ」
「ウィル!」
「……幸せ、に、なって……くれ……」
 そこまで話し、ウィルの瞳が静かに閉じた。
 握っていた手の力が抜けて、僕の手をすり抜ける。
 僕の腕の中でウィルの顔が力なく横を向き、だらりと下がった。

 

「ウィル?」
 僕は呼びかけた。
「ウィル」
 僕はウィルを揺すってみた。
「ウィルーーーーー!」
 僕は大声でその名を叫んだ。
 ずしり、と腕に重みがかかった。
 瞬間、僕は理解した。
 この重さが、“死”なのだ、と。

 

 ぼとぼととウィルの顔に落ちているのは、僕の涙なのだろう。
 僕はウィルを濡らすのが嫌で、彼を胸に掻き抱いた。
 辛い。
 苦しい。
 これも、“悲しい”?
 こんなに嫌な気持ちがあるなんて。
「立て、魔王。悲しんでいる暇などない」
「えっ?」
 唐突な声に顔を上げると、腕を組んで僕たちを見下ろすクリスがいた。
「悲しんでいる、暇が、無い? そんな。ひ、ひどいよ、クリス。暇だから悲しむわけじゃあ、ないでしょう?」
 クリスの言葉に、余計に涙が溢れた。

「……魔王様。お気持ちお察ししますが、今はクリスに従ってください。こやつとて、こんな事を、言いたくて言っているわけでは、ありません……」
 ケイオスが荒い呼吸を繰り返しながら、僕の側へと膝を付いた。
「ケイオス。でも。だって」
「だってではない。直にクソジジイもここの異変に気付くだろう。そうなれば、貴様はこの城から出られなくなる。シャルルにも会いには行けんぞ。いいのか? ウィルと約束したのだろう?」
 う。そうなんだ。
 でも、なんでだろう?
 なぜ僕は、ここから出られないんだろう?
 扉の取っ手にも拒絶されているようだった。

「ああ。そんなに不思議そうな顔をするな。ここから出たら説明してやる。今は、一刻も早くここから脱出することだ」
 そう言うと、クリスは白くて大きな翼を一振りし、僕の腕を掴んだ。拍子にウィルが僕の腕から零れ落ち、床に転がる。
「ま、待て、クリス。外の世界に行くのに、魔王様がその姿のままでは都合が悪かろう?」
 今にも飛び立たんとしているクリスを、ケイオスが腕を伸ばして引き止めた。
「む? なるほど、そうかも知れん。私としたことが、迂闊だった。しかし、だからどうする?」
「私に任せてくれ。どうせ死ぬ身だ。魔王様が溜めた《穢れ》は、このケイオスが引き受けよう」
「なんだと?」
 ケイオスの発言に相当驚いたのか、クリスの目が大きく見開かれた。
 なんだろう?《穢れ》って?

「では参る。『過去より現在、人世に渦巻きし《穢れ》たち。寄り代離れて我に寄れ。全ての《穢れ》よ、ケイオスに来たれ』!」
「うわぁっ!」
 次の瞬間、ケイオスの手が僕に翳されると、辺りに真っ黒な闇が飛び出した。
 なんだ、これ!
 ぼ、僕の体から、沢山の《闇》が流れ出て行く!
 うわ、わ。引っ張られる。ケイオスに、引っ張られる!
「わあぁぁぁぁぁぁ!」
 自分の体の中身を引きずり出されるような感覚に、僕は思わず声を上げた。



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