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「ひどいよ! 皆で寄って集ってケイオス一人を! ケイオス! ケイオスッ!」

 みるみるボロボロになってゆくケイオスに、僕はあらん限りの声を出し、叫び続けた。 

 あんなにされたら死んでしまう。僕にだって、それぐらいは分かる。 死んじゃったら、もう会えない。もう、二度と話せない。 いやだ! ケイオスがいなくなるなんて!  僕、ケイオスに「ありがとう」って、言って無い!  今まで一度も、言って無い!

「待ってて、ケイオス! 今、僕が助けに行くからね!」

 僕は部屋の出口に向かい、硬い石床を蹴った。 わずか二十歩ほどで辿り着けるはずの出口が、やけに遠く感じる。

 もどかしい。もどかしいよ! くそぅっ!  それでも出口はもうすぐだ。巨大で重厚な扉だけど、僕にだって開けられるはずだ。

 僕はライオンの頭を象ったドアノブに手をかけた。

「あつっ!」

 突然、ドアノブを握った手に、猛烈な痛みが走った。 僕は反射的に手を放す。

 とてもじゃないけど、握ったままではいられない!

「な、なんで?」

 分からない。僕はこの部屋を出ようと思った事が無い。 だから、このドアノブだって、握ったことなど無かった。 僕は魔水晶へと視線を投げる。 そこに映っているケイオスは、もう今にも力尽き、倒れそうに見えた。

「ケイオス……! なんでこんなに痛いのか分からないけど、これを、このドアノブを回さなくっちゃ、この部屋から出られない! ケイオスを助ける為には、痛いのなんて我慢しなくっちゃ!」

 僕は自分にそう言い聞かせ、意を決してドアノブへと手をかけた。

「うあっ!」

 再び襲い掛かる激痛。

 でも、この手は離さない! 絶対に、離さないっ!

「あっ! 手、手がっ!」

 手からは白い煙が立ち上り、尚且つ勝手に離れてゆく。 手が、勝手に開いてゆく。自分の意思に、関係なく。

「なんで! どうしてなんだよぉ! くそっ! いう事をきいてくれ! 僕の手よ!」

 痛くても、もう使えなくなっても構わないんだ!  お願いだ! 僕の手よ、頑張って!  会うんだ、ケイオスに!  もう一度会って、「ありがとう」って……「ありがとう」って、伝えるんだ!

「がん、ば、れぇぇっ!」

 叫ぶと同時に、部屋が真っ赤な光で満たされた。 光は魔水晶からだ。魔水晶が、光の洪水を引き起こしている。

「ううっ」

 右手に左手を添え、ドアノブへと押し付けつつ光を見る。目を開けていられないほどの光に、網膜が焼け付く。

 しかし、それはすぐに収まった。

  魔水晶が光を鎮め、その後の廊下の光景を映していた。 僕はそれを見て絶句した。 声も出ない。力が抜け、ドアノブに弾かれた僕は、部屋の床に尻餅をついた。

「ケイオス……」

 ケイオスは、勇者の剣に胸を貫かれていた。

 剣は壁にまで達し、ケイオスを磔にしている。 ケイオスの目は、閉じていた。 その白い顔は、まるで眠っているようだ。

 その前では、勇者が膝を付き、肩を激しく上下させていた。 勇者の仲間は、皆倒れ、ピクリともしていない。 頭を、胸を掻き毟り、大きく開いた勇者の口は、何かを叫んでいるようだ。 苦しげな彼の姿を見て、僕は突然理解した。

 これが、“死”というものなんだ、と。

 勇者の仲間四人を、ケイオスが道連れにしたのだと。勇者が泣いている。僕も泣いていた。魔水晶に、すがるようにして泣いていた。僕たちは、今、同じ気持ちでいるんだろう。大事な友達を失った勇者の気持ちは、きっと僕と同じはずだ。この気持ちを何と呼ぶのか、僕は知らない。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてなのだから。


 どれくらいの間、そこにいたのか。

 勇者はフラフラと立ち上がると、ケイオスを磔にしていた大剣を無造作に引き抜いた。支えを失ったケイオスが、糸の切れた操り人形のように、床に崩れ落ちてゆく。勇者はそれを一顧だにせず、廊下を先へと進みだした。溢れていた涙は、もうなかった。彼の頬に、その形跡だけを残している。

 彼の瞳には、強い光が宿っていた。

 僕はその様子を、涙で曇った視界で見続ける。

 勇者は、ここに来るのだろうか?  彼は今、何を考えているのだろうか?

 僕はまだ、彼と友達になりたいのだろうか――

 

「うわぁっ!」

 突然、部屋の扉が砕け散った。破片が散乱し、その一部が僕を叩く。

「……やっと、辿り着いたぜ……」

 もうもうと舞う塵埃の向こうには、その表情に鬼気を宿した勇者が立っていた。

「勇者だぁ……」

 いつも魔水晶ごしに見ていた彼が、目の前にいる。不思議な感覚に、浮き上がるような気分になった。でも、すぐにケイオスが脳裏を過ぎり、その気持ちを打ち消した。

「お前が『魔王ディアボロ』だな!」

 それは乱暴な呼びかけだった。僕はこんな風に自分の名前を呼ばれた事が無い。

 ちょっと怖いけど、返事をしなくちゃ。

「うん。キミは、『勇者ウィル』だね?」

 僕は立ち上がって答えた。

 ちょっと小さめな声だけど、この部屋は音が響くし、大丈夫だよね?「ん? ああ、そうだ。知っててもらえて何よりだ」

 勇者の口端が大きく吊り上がり、それにつれて目つきも鋭くなった。目に眩しい銀の甲冑に包まれ、紅蓮のマントを翻し、金色の大剣を担いだその姿は、僕がいつも憧れていた勇者そのものだった。

 天に逆立つ真っ赤な髪と、炎のような真紅の瞳。細めなシルエットなのにしなやかな強さを感じさせる、均整のとれた体形。

「ふん。“勇者”ってのは自分で言い出したわけじゃないから頷けねぇが、ウィルってのは間違いねぇ。俺は、ウィル。ウィル・ハーバーライト、だ」

 強い口調。芯のある、低い声。凄く強い気持ちを、僕は感じた。

 ウィルに会ったら話したかった事が沢山ある。訊きたいことだって、いっぱいあった。けど、いざ目の前にしてみると、どれも口から出てこない。頭の中でいろんな事が混ざり合って、言葉に出来ない。

 そんな思いに固まっている僕に、ウィルの言葉が衝撃を与えた。

「初めましてなのに、いきなりで悪いがな。早速、お前にゃ死んでもらうぜ」

 ウィルはそう言って、剣の切っ先を僕に向けた。

 死んでもらう?  それって、僕を殺す、ってこと?  いつもケイオスが言っていた、冗談ってやつかな?  でも、ウィルの顔、ちっとも笑ってない。顔が、怖い。

「な、なんで? なんで、僕が……?」

 あまりのことに眩暈がした。

「なんで、だと? 『僕』だって? 俺が思っていた『魔王』と、えらくイメージが違うな。お前、本当にディアボロか?」

 コクコクと頷く僕に、ウィルは更に驚くような言葉を口にした。

「まぁ、姿形はイメージ通り。ごつくてでかくて醜悪で、まさしく『魔王』としか言いようが無い恐ろしさ、だけどな」

「えっ……? 僕が、醜悪……? 僕が、怖い……?」

 僕は慌てて顔を手でなぞった。

 僕が大きいのは、ウィルを凄く見下さないといけないくらいだから分かるけど。魔王としか言いようが無い?  それって一体、どういう事?

「なにをそんなに驚いていやがる。すっとぼけやがって。俺の戦意を削ぐのが狙いか? 魔族ってのは狡賢いもんな。その王様ともなると、やっぱり演技力も並外れてやがるぜ」

 ウィルはそう言いながら床に唾を吐いた。

 なんだろう、この違和感。全然意思が伝わらない。言葉は同じはずなのに、全く“心”が、通じない!

 


 ウィルと僕の間には、まるで見えない壁があるみたいだ。目の前にいるのに、物凄く遠くに感じる。

「勇者様!」

「ここでしたか、ウィル殿!」

「おお、こ、これが魔王! なんと禍々しい怪物だ!」

 僕が絶句していると、破れた扉の向こうから、次々と人間たちが入って来た。入ってきては僕を見上げる二十人ほどの人々。皆、ボロボロだ。壊れた甲冑に折れた剣。あちこちから血が出てる。荒い息遣いと共に放たれるのは、僕に対する呪いの言葉。彼らから僕に届くものは、“憎悪”と“悪意”しか無い。

 苦しい。苦しいよ……っ。

「へっ。とうとうアーク公国の正騎士様たちまでが辿り着いてきやがった。覚悟するんだな、魔王ディアボロ!」

 ウィルは左手で鼻を擦ると、右手の剣を僕に向けた。

 ここで、ようやく僕は気が付いた。

 自分が、嫌われていることに。

 皆、僕に会いたかったわけでも、友達になりたかったわけでもなかった。彼らは、僕を倒すため、ここに来たんだ!  でも、理由が分からない。  僕が一体、何をしたっていうんだろう?  そうだ。ケイオスが言っていた。「分からない時は、訊くことです」と。

「ま、待って! 皆、ここに何しに来たの? なんで、僕は憎まれているの?」

「はぁ? ふざけるなぁっ!」

「うっ」

 部屋中に轟いたウィルの怒声が、僕の肩を竦めさせた。

「この国に蔓延る魔物どもを操っているのは、お前だろうがっ!」

 えっ? 『魔物』?

 聞き覚えの無い単語に戸惑っていると、ウィルに大声で怒鳴りつけられた。

「あの魔物どものせいで、どれだけの人間が死んだと思っていやがる!  女子供はおろか、大の男だって、うかうか外も出歩けねぇ!  畑を耕すにも、商いをするにも、いつもビクビク怯えながらだ! 昼も夜も、やつらは容赦なく俺たち人間を襲う!  妻を、家族を、恋人を……大事な人を失う辛さが、お前に分かるかっ!」

 凄い声だ。お腹にビリビリ響いてくる。でも。

「そ、それが僕と、何の関係があるんだよぉ!」

 僕は力いっぱいに叫んだ。

 その後の皆の反応に、僕はただただ驚いた。皆、僕を見つめて動かない。ウィルも剣を下げ、表情を無くしていた。

 静かだ。この反応は、何?

「……ウィル殿。最早、話すことなどありますまい。相手は、『魔王』。人を誑かすなど、容易いこと」

「そうだな。もしかしたら、魔軍参謀ケイオスを討たれたことで怖気づき、戦いを回避しようとしている、という事も考えられるよな」

 白く長い髭を伸ばした初老の騎士に同意すると、ウィルは剣を握りなおした。

「ち。俺だって、ここまで来るのに仲間を何人も失ってんだ。今更、『何かの間違いでした』なんて、ごめんだぜ」

 誰も、僕の言う事を信じていない?

 言葉の意味は完全に理解出来ないけど、態度や行動からそう感じた。

「お喋りはここまでだ! いくぜ、みんな!」

「おおおおおっ!」

 ウィルの掛け声で、人間たちが剣を一斉に振り上げた。

 その切っ先はどこに振り下ろすの?  僕? 僕、なの?  苦しい。また、視界が滲んでくる。この気持ちは、何?  誰か。誰か、教えてよぉ! 「うわあぁぁぁっ!」

 沢山の剣が僕の体に突き刺さる。

「止めて! 止めてぇっ!」

 痛くて痛くて叫んでも、僕への攻撃の手は全く緩まない。槍も矢も、何度も何度も飛んでくる。

誰が止めるか!」

「おおっ! 平和の為、死んでもこの剣を止めはせぬ!」

「飛び散る魔王の血に気をつけよ! 触れると溶けるぞ!」

 僕の血が、床に、壁に、ついには天井にまで飛散した。初めて目にする僕の血は、付着した所で白煙を上げた。僕は体を丸めて床に蹲り、皆が止めてくれることを祈っていた。

 いた、い……。いたい、よぉ……。

「なぜ無防備に攻撃を受け続けるのだ、この怪物?」

「それより、どれだけ斬れば死ぬんだ、コイツはっ」

「考えるな! 無心に我武者羅に切り刻め! 魔王だって斬れば血も出る、弱りもする! 不死の生物などいないんだ!」

 ウィル。ひどい、よ。それが分かってて、まだ僕に斬りつけるの?  僕は、キミが大好きだったのに。

 

 僕は、そんなキミに殺されるんだね――

 

 僕の意識が悲しみに沈んでゆこうとした瞬間、思いがけない事が起こった。

「うおっ!」

「なんだ、この光はっ!」

「眩しい! 皆、気をつけろ!」

 突如、真っ白な光が部屋に満ちた。

「これは? 魔水晶?」

 薄目を開けて必死で見ると、光は魔水晶から溢れていた。透明な球体に過ぎなかった水晶は、光に溶けるようにその姿を変えてゆく。

「その気持ちは、『悲しい』、そして、『悔しい』というのだ。魔王」

「えっ? ま、魔水晶、なの?」

 光が収まった後には、いつか絵本で見た、天使に似たものが立っていた。

「なんだ、あの女は?」

 勇者ウィルが、大きく目を見開いた。


1 第二章

 人生とは面白いものです。何かひとつを手放したら、それよりずっといいものがやってくるものです。

             (ウィリアム・サマセット・モーム)

 

 

「全く、愚かな人間共め。そして、無知すぎる魔王め。ああ、イライラする。イライラして仕方が無いぞ」
 透き通るような肌が覆う細い体を、真っ白でふわふわとした布が、胸と腰の辺りだけを隠している。小さな顔にかかる、絹糸のようにキラキラとした長い髪を払いのけ、ガラスのような瞳が僕を見つめている。その背中からは、純白の翼が広がっていた。
「ば、馬鹿な……。正気か、貴様?」
「え? あ! ケ、ケイオス!」
 聞き慣れた重い声の主は、死んだと思っていたケイオスだった。ケイオスは、破壊された扉の所で、壁に背を預けて立っている。お腹を押さえている手からは、ポタポタと青い血が滴っていた。
「やはり。まだ生きていたか、ケイオス」
 天使はそう言って鼻で笑うと、
「ふん、正気か、だと? 正気であれば、私が姿など現すものか。おかしくなったからここにいる。そんな事も分からんのか? 貴様がそんな有様だから、人間などに遅れを取るのだ」
 ケイオスの生存を喜ぶ隙も与えられず、翼を持つモノが冷たい言葉を紡いでいった。
 見た目は美しいのに酷そうなヒトだ、と思う。

「なんだと? あれだけやって、まだ生きてんのかよ!」
「落ち着きなされ、ウィル殿! ケイオスなど、あの負傷では、最早戦う力などありますまい。生きているだけでありましょう。それより、あの白い女が気になります。人間では、よもあるまいが……魔族にも見えぬ」
 すぐにでもケイオスに斬りかかろうとするウィルを、白髭騎士が押し留めた。何が起こっているのか分からず、人間たちは僕とケイオス、そして白い翼を持つモノを何度も見遣り、混乱している。
 それは、僕も同じだった。
「だ、誰? 魔水晶、なの?」
 僕は素直に訊ねた。
「ん? ああ、そうだ。私は、クリス」
 そう答えると、翼を大きくはためかせ、
「私は『第一世界』の天使長、クリス・クロスという者だ」
 両手を腰に、胸を張った。
「なんだ、『第一世界』って? 天使長、だと? ここは魔王の居城だぜ。天使ってのは、神様の使いじゃねぇのかよ?」
 明らかに異質な空気を放つクリスに対しても、ウィルにはまるで臆する様子が無い。僕はそんな彼を、いつも凄いと思う。どんなに巨大な敵が現れても、彼はいつも変わらないんだ。

「勇者ウィル・ハーバーライトか。は。何が『勇者』だ。笑わせる」
 宙に浮かび、ウィルを見下ろす視線には、明らかに怒りがある。僕を叱る時のケイオスよりも、遥かに怖いと思った。
「んだと? なんなんだ、てめぇ。魔王討伐の邪魔をするってんなら、てめぇも一緒にブチ殺すぜ」
 ウィルから殺気が立ち昇る。構えた剣が煌いた。
「身の程知らずとは幸せなことだな。好きにするがいい、ウィルよ。私の姿を見た以上、貴様らに助かる道は無い。必死で抵抗することだ」
「な! ま、待て、クリス!」
 ケイオスが一歩足を踏み出した。
「待つ理由は無い」
 冷たい壁を思わせる言葉を発すると、クリスの背にある純白の翼から、無数の光り輝く羽が四散した。
「うおっ!」
「ぐあっ!」
「ぎゃあっ!」
 それらはクリスを取り囲むようにしていた人間たちを、悉く貫いていった。鉄の鎧もまるで役には立っていない。ばたばたと倒れ行く人間たちの中で、最後まで立っていたのはウィルだった。

「ほう。さすがは『カイロスの盾』だな。私の羽を受け、傷一つ無いとは」
 ウィルは左腕に嵌っている小さな丸い盾で、クリスの攻撃を防いでいた。
 でも。
「が、その盾の弱点は、小さすぎる所だ。今のような広範囲、そして同時に迫る脅威は、完全に防ぐ事が出来ない」
「うぐ……」
 ウィルは両膝を折ると、床に這い蹲った。盾に守られていた頭や胸には大きな怪我が無いけれど、それ以外の足や肩から、沢山の血が流れ出ている。
 凄い。あんなに強いウィルを、一瞬で。このヒト、何者なんだろう?
「苦しかろう? だがな、この馬鹿が感じた痛みは、その程度ではない。体の痛みだけでは無い。心の痛みにしても、だ」
 クリスはそう言いながら僕に視線を送った。
 馬鹿って、僕のことなの?
「な、なん、なん、だ? お前は、一体……?」
「知る必要は無い」
 苦しげに床から顔を上げるウィルに向け、また翼が煽られようとしている。
 またあの羽を飛ばす気だ!
「むっ。なんの真似だ、馬鹿者め」
 気付けば、僕はウィルの上に覆いかぶさっていた。
「や、やめてあげてよ……」
 僕は恐怖に耐えながら、言葉を搾り出した。

 

 


「なんだと?」

 クリスの高く美しい声が、僕の鼓膜を揺らした。その声は、きれいなのに怖かった。

「ウ、ウィルは、ここまで、凄く頑張って辿り着いたんだ。友達もたくさん亡くしたし、いっぱい泣いたりしてた。キミは、それを知ってるの?」

「無論だ」

 無感情な声だ。やっぱり、怖い。

「勿論、理由だって知っている。貴様こそ、ソイツが何をしに来たか、本当に分かっているのか?」

 僕は無言で頷いた。

「ならば、なぜ庇う? 貴様はソイツに殺されてもいいというのか?」

 僕はぷるぷると首を振った。

「では、そこをどけ。大体、貴様が本気で戦えば、そんな人間など一ひねりなのだ。が、そうする気がなさそうなので私が出た。私は、貴様を助けてやろうとしているのだ。それくらいは分かるだろう?」

 僕はぶるんぶるんと縦と横に首を振り、ウィルをきつく抱き締めた。ウィルの荒い息遣いが耳元で聞える。

「どっちだ、その反応は?」

「ど、どくのはイヤ。キミが僕を助けてくれているのは、分かるよ」

 クリスはしばらく僕を無言で見つめ、

「はぁ」

 と大きなため息をついた。

「ま、魔王……?」

 横顔に、ウィルの視線を感じる。

「では、好きにするがいい。その傷では、どうせもう長くはない。ケイオス」

 クリスに呼びつけられ、ケイオスが足を引き摺りながら近付いて来た。

「私はここから、この馬鹿を連れ出す」

「本気か? 何をしようとしているのか、分かっているのだろうな、クリス?」

 ケイオスの頬に汗が伝う。その血走った目に、僕は言い知れない不安を覚えた。

「はっはっは! 当然だ! 私はな、もうあのクソジジイ……と、言っても通じんか。あの“神”には従えん。このやり方は、間違っている。もー、我慢できんのだ! 貴様とて、そう思っているのだろう? ケイオス」

「クリス……」

 ケイオスの赤い瞳が潤んでいる。

 なんの話をしているんだろう? 僕を、連れ出す? この城から?

「ふ。ははは。よし。お前に任せよう。どうせ私も直に死ぬ。魔王様に仕えて二百年。お前が魔王様を解き放ってくれるのであれば、もう、思い残すこともない。すっきりとした気分で旅立てるというものだ。ははははは」

 ケイオスは口から溢れる血を拭おうともせず、愉快そうに笑う。そして、 「魔王様。不肖ケイオス、勝手ながら先立たせて頂きます。長い間、お世話になりました」

 と、ウィルを抱えたままの僕に、笑顔を向けた。

 初めて目にするケイオスの笑顔。

 それは、凄く優しいものだった。

「ケ、ケイオス」

 僕はケイオスへと手を伸ばした。

「勇者よ」

 ケイオスは、なんと言っていいか分からずに伸ばした僕の手をしっかりと握ると、ウィルへと声をかけた。

「魔軍参謀、ケイオス……が、そんな、優しい、声を、出せる、なんて、な。てめぇの操る魔王軍にゃ、散々な目に遭わされてきたって、いう、のに、よ」

 強がっているのか、にやりと笑みを浮かべるウィルの声は、途切れ途切れだ。

「ここまで辿り着いたのは、お前が初めてであり……私を倒したのも、そうだ。お前は、良くやった。胸を張って逝くがいい」

「ち。あの世で自慢したって仕方ねぇ、ぜ。俺には……」

「あ! し、知ってるよ、ウィル! 妹でしょう? 妹に、凱旋した姿を見せたかったんでしょう?」

 この辺りのウィルの気持ちについては、以前ケイオスに説明してもらっている。

 ウィルにはたった一人の肉親である妹がいる。その子は、アーク公国の辺境『アルクデスタ』で、ウィルの帰りを待っているはずだ。ウィルは驚いた表情を浮かべ、僕を睨み付けた。

「なんで、てめぇは、俺の事を、そんなに知って、いやがる? なんで、俺、を、庇う?」

「えっ? あ、ぼ、僕は……」

「その馬鹿は、貴様と友達になりたかったのだ。貴様の事が、大好きなのだ」

 しどろもどろになる僕の代わりに、クリスが答えてくれた。

「なんだって?」

「笑わせるだろう? 自分を殺そうとしている貴様を、その馬鹿は心待ちにしていたのだ。水晶珠であった私を通じ、いつも貴様らの行動を観ていたのだ。貴様らの事で、毎日毎日、一喜一憂してな。それを間近で見ていた私は、その都度呆れていたのだが」



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