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1 序章

 

 不幸を治す薬は、ただもう希望より他にない。                             

       (ウィリアム・シェイクスピア)

 

 

 薄暗い石壁に囲まれたこの部屋は、ひんやりとして澄んだ空気で満たされている。
 僕は、この部屋が好きだ。
 春夏秋冬、常に快適なこの部屋は、僕の唯一の居場所だし、いつだってケイオスが側にいてくれる。
 ケイオスは僕の友達だ。
 歌ったり、凄く面白いお話を聞かせてくれたり、ゲームの相手をしてくれる。
 でも、ちょっと言葉遣いが堅苦しいかな。もっと気軽に話してくれると満点なのに。
 食事もお風呂も洗濯も、いつも誰かが用意してくれる。
 僕はいつもいつでもここにいて、何もしないで生きてきた。
 もう覚えていないほど昔からそうだったから、その事になんの疑問もなかったんだ。
 

 勇者が、ここに来るまでは――


1 第一章

 人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。

            (フョードル・ドフトエフスキー)

 

 その日、僕のお城は慌しかった。

 いつもは静寂に包まれている僕の部屋にも、何かが爆発しているような轟音や、金属のぶつかり合うような音、そして怒鳴り声が、遠くから聞えてくる。
 なんだろうと思いバルコニーから眼下を眺めてみると、僕が見た事も無いような大勢の人間が、お城に雪崩れ込んでくるところだった。

 人間は皆、鎧兜を身に纏い、手に手に剣や槍を持ち、雄叫びを上げて突進している。
 あ! あの馬に跨っているのは『騎士』っていうんだったなぁ。
 ケイオスに教えてもらったから、間違いない。
 彼らは特に、強くて誇り高いんだ。僕が密かに憧れている存在だ。
 そんな彼らを、僕の仲間たちが押し返そうとしているようだ。

 僕の隣で同じようにその様子を見下ろしていたケイオスが、「むぅ」と唸って踵を返す。
 僕はケイオスに問いかけた。

「なんで彼らを素直に通さないの、ケイオス?」

「これはそういうゲームなのです」
 ケイオスは振り返りもせずそう言うと、そのまま部屋の大扉から出て行った。

「なんだか楽しそうだなぁ。みんな、僕に会いに来てくれたんだぁ」
 つい口をついて出た独り言に、頬が緩んだ。
 僕は、ワクワクしながら自分の椅子へと勢い良く座った。
「そうだ。この部屋って、彼らから見たらどうなんだろう?」
 僕は部屋を見回した。
 ほぼ正方形のこの部屋は、僕が全力で走っても、端から端まで二十秒はかかる。
 積み上げられて壁を構成する黒っぽい石は、一つ一つ、全てが人の顔のような表情を持っていて、一日中見ていても飽きないくらいだ。
 天井は僕が十人くらい肩車しても届かないだろうし、そこから何枚も引き降ろされている真っ赤な分厚い布は、端に金色のひらひらがくっついていて、凄く豪華だ。
 ここは僕にとっては自慢のお部屋だ。
 だけど、ここについての感想って、ケイオス以外に聞いたことが無いからなぁ。
 と、この部屋唯一の出入り口である大きな両開きの扉が開いて、そのケイオスが顔を出した。
 ケイオスは一礼するとつかつかと僕の前まで歩み寄る。
 ケイオスの、無駄無く流れるような所作に、僕はいつも見惚れてしまう。
「魔王様。ただ今、我が城に、勇者が潜入致しました」
 ケイオスは僕の座る大っきな椅子の前で傅くと、いつもよりも更に堅い声色でそう言った。

「そっかぁ。楽しみだなぁ。ね、ケイオス。ゆうしゃって、僕の友達になってくれるよねぇ?」
 僕の問いかけに、ケイオスの肩がピクリと小さく波打った。
 ケイオスは頭の両側から伸びる、長くて渦巻いた黄色い二本の角を揺らして顔を上げた。
 白い顔と、清水のような青い髪。いつもは美しい彫刻のように崩れない表情が、悲しげに歪んでいた。
 僕はそんなケイオスの瞳を見て、なぜだか急に不安を覚えた。
 これ以上は無いと思える黒さの、足まで隠れる法衣を翻して立ち上がると、ケイオスは僕にこう告げた。
「魔王様。残念ながら、あなた様と勇者は、友達にはなれません」  
 それは“否定”の言葉だった。  
 僕は、僕の期待を裏切る言葉を、あまり聞いたことがない。
 耳がおかしくなったのかな?
 そう思い、僕は再度問いかける。
「ごめん、ケイオス。僕、今の、良く聞えなかったみたいだ。いい? もう一回だけ訊くよ? 僕、勇者と友達に……」
「なれません」
 今度は、言い終える前に否定をされた。
 それは氷のように冷たく、僕の胸に突き刺さる。
 びっくりして見たケイオスの様子も、いつもの無表情には戻っているものの、なんだか全く隙が無い。

 こんなに失礼な態度をとるケイオスは、今までの僕の記憶には無い。
 勇者と出会える日を、僕はずぅっと心待ちにしていた。ケイオスだって、そんなの知っているはずなのに。
 僕は毎日毎日、この部屋にある魔水晶で、勇者たちの行動を見ていたんだ。
 何を話しているのかまでは分からなかったけど、楽しそうに語り合ったり、激しく言い争いをしていたり、皆で歌を歌ったりしている彼らを、僕は羨ましく思っていた。
 僕の話し相手って、ケイオスだけだったから。
 一生懸命に僕の世話を焼いてくれるケイオスに不満は無いけれど、ああやって沢山の友達とも、僕は喋ってみたかった。
 毎日毎日、危険な戦いや冒険に明け暮れる彼らを、僕は毎日毎日、ハラハラしたり、ドキドキしたりしながら応援していた。
 実際、「もうダメだ!」って叫んじゃった事だって、何度もある。
 でも、いつも彼らはそんな時、仲間と奇跡を起こしては切り抜けてきていたんだ。

 彼ら勇者の一行は、そんな危険を冒してまで、僕に会いに来ようとしてくれていた。
 命の危険を顧みず、時には仲間の犠牲すらをも乗り越えて。
 僕はそんな彼らに、いつも心震わされ、泣いたり笑ったりしてきた。
 もう、僕も勇者の仲間なんじゃないかって、そう思えてしまうくらいに。
 だから、いつも応援していた。
 

 ――なのに、友達には、なれない?
 

 勇者や勇者の仲間って、僕に会いたいんじゃないの?
 友達になる為じゃなかったら……。
 じゃあ、彼らは一体、何の為にここに来るの?
 幾多の苦難を、屍を踏み越えてまで――

 

 

 

 

 


 いつの間にか自分の尖った靴を瞬きもせずに見ていた事に気付いた僕は、ケイオスに訊ねようと顔を上げた。

 けど、

「あ、う……?」

 ケイオスは、先ほどと全く同じ態度を保ち、毅然として立っていた。

 怖い。

 話しかけちゃいけない雰囲気だ。いつものケイオスじゃ、無いみたい。 でも、訊かなくっちゃ。 そんなの、全然分からない。全く納得出来ないよ。

「な、なんで友達になれないの、ケイオス? 勇者たちって、僕に会いたいんじゃないの? 仲良くなりたいんじゃなかったら、彼らは一体、何の為に、僕に会いに来るんだよぅ?」

 初めて出した大声は、この部屋の石壁に跳ね返り、何度も鼓膜を揺らしてくる。 自分で自分の声に驚く。 僕の声は、低くて、重い。 僕はこの声が好きじゃない。

「……それは、魔王様が聞く必要の無いことです」

 まただ。信じられない。 ケイオスが、僕に……僕の希望に、背くなんて!

「ただ今の報告は、魔王様のお覚悟が為。質問を受け付ける為ではありません」

「覚悟? 覚悟って、なに?」

 法衣から差し出した、長い爪の生えた右手を胸に当てると、ケイオスは頭を下げた。

「私はこれより、勇者パーティーの迎撃に向かいます。ここに勇者たちが来ることはありますまい」

 げいげき? なにそれ?  そんな言葉……。

 人間同士の、戦争でしか聞かないよ!

「彼らは、死にます。従って、ここには来られません。魔王様には、さぞ悲しいことだろうとは存じますが、ご容赦下さいますように」

「なっ……」

 僕が抗議しかけるのを、ケイオスは片手を挙げて遮った。

「私がここに、もう一度戻れたのであれば、いかような処分も受けましょう。殺していただいても構いません。ただ、勇者は私が殺します。この命に代えても、です。決して魔王様には近付けない」

 ケイオスは言いながら漆黒の法衣を翻し、僕に背を向け歩き出す。 広がる法衣はほどなく後ろに靡き、この部屋の出口に向けて、僕から徐々に遠ざかる。

「……お覚悟を」

 それは、自分に向けてでもあったのかも知れない。 苦しげに響く言葉を残し、ケイオスは僕の視界から消えていった。

 僕はその後姿の残像に、底知れない不安を覚えた。

 ねぇ、ケイオス。“戻れたならば”って、どういう意味?

「そうだ。魔水晶で……」

 真っ赤な布で覆われた、髑髏やら蝙蝠の羽やらで飾られた椅子から降りた僕は、部屋の片隅の、大理石で出来た小さな丸テーブルに置かれている、魔水晶へと駆け寄った。 僕は一点の曇りも無い、真球のそれへと手を翳す。「ケイオス!」

 青白い光を発して魔水晶が映し出したものは、勇者とケイオスが、この城内の廊下で戦っている所だった。 こんなに荒々しいケイオスを、僕は知らない。

 ケイオスから発する目も眩む稲光が、勇者たちに襲い掛かる。 勇者はそれを、美しい輝きを放つ丸い盾で弾いていた。 勇者の後ろから、仲間の一人が火炎を飛ばす。それを受けたケイオスが後退る。 その隙に、勇者が剣を振り下ろす。ケイオスはそれを、間一髪でかわしてゆく。

 ケイオスが放つ沢山の雷が、勇者の仲間の一人を撃った。それを白い法衣に包まれた仲間が助け起こす。白い法衣の男は、傷ついた仲間に魔法をかけた。すぐに倒れていた仲間が元気に立ち上がる。

 勇者の仲間は四人いる。対するケイオスは一人。五対一だ。

 なんで戦うの? どうしたの、ケイオス?  そんな必死な顔、見たこと無いよ!

 


「ひどいよ! 皆で寄って集ってケイオス一人を! ケイオス! ケイオスッ!」

 みるみるボロボロになってゆくケイオスに、僕はあらん限りの声を出し、叫び続けた。 

 あんなにされたら死んでしまう。僕にだって、それぐらいは分かる。 死んじゃったら、もう会えない。もう、二度と話せない。 いやだ! ケイオスがいなくなるなんて!  僕、ケイオスに「ありがとう」って、言って無い!  今まで一度も、言って無い!

「待ってて、ケイオス! 今、僕が助けに行くからね!」

 僕は部屋の出口に向かい、硬い石床を蹴った。 わずか二十歩ほどで辿り着けるはずの出口が、やけに遠く感じる。

 もどかしい。もどかしいよ! くそぅっ!  それでも出口はもうすぐだ。巨大で重厚な扉だけど、僕にだって開けられるはずだ。

 僕はライオンの頭を象ったドアノブに手をかけた。

「あつっ!」

 突然、ドアノブを握った手に、猛烈な痛みが走った。 僕は反射的に手を放す。

 とてもじゃないけど、握ったままではいられない!

「な、なんで?」

 分からない。僕はこの部屋を出ようと思った事が無い。 だから、このドアノブだって、握ったことなど無かった。 僕は魔水晶へと視線を投げる。 そこに映っているケイオスは、もう今にも力尽き、倒れそうに見えた。

「ケイオス……! なんでこんなに痛いのか分からないけど、これを、このドアノブを回さなくっちゃ、この部屋から出られない! ケイオスを助ける為には、痛いのなんて我慢しなくっちゃ!」

 僕は自分にそう言い聞かせ、意を決してドアノブへと手をかけた。

「うあっ!」

 再び襲い掛かる激痛。

 でも、この手は離さない! 絶対に、離さないっ!

「あっ! 手、手がっ!」

 手からは白い煙が立ち上り、尚且つ勝手に離れてゆく。 手が、勝手に開いてゆく。自分の意思に、関係なく。

「なんで! どうしてなんだよぉ! くそっ! いう事をきいてくれ! 僕の手よ!」

 痛くても、もう使えなくなっても構わないんだ!  お願いだ! 僕の手よ、頑張って!  会うんだ、ケイオスに!  もう一度会って、「ありがとう」って……「ありがとう」って、伝えるんだ!

「がん、ば、れぇぇっ!」

 叫ぶと同時に、部屋が真っ赤な光で満たされた。 光は魔水晶からだ。魔水晶が、光の洪水を引き起こしている。

「ううっ」

 右手に左手を添え、ドアノブへと押し付けつつ光を見る。目を開けていられないほどの光に、網膜が焼け付く。

 しかし、それはすぐに収まった。

  魔水晶が光を鎮め、その後の廊下の光景を映していた。 僕はそれを見て絶句した。 声も出ない。力が抜け、ドアノブに弾かれた僕は、部屋の床に尻餅をついた。

「ケイオス……」

 ケイオスは、勇者の剣に胸を貫かれていた。

 剣は壁にまで達し、ケイオスを磔にしている。 ケイオスの目は、閉じていた。 その白い顔は、まるで眠っているようだ。

 その前では、勇者が膝を付き、肩を激しく上下させていた。 勇者の仲間は、皆倒れ、ピクリともしていない。 頭を、胸を掻き毟り、大きく開いた勇者の口は、何かを叫んでいるようだ。 苦しげな彼の姿を見て、僕は突然理解した。

 これが、“死”というものなんだ、と。

 勇者の仲間四人を、ケイオスが道連れにしたのだと。勇者が泣いている。僕も泣いていた。魔水晶に、すがるようにして泣いていた。僕たちは、今、同じ気持ちでいるんだろう。大事な友達を失った勇者の気持ちは、きっと僕と同じはずだ。この気持ちを何と呼ぶのか、僕は知らない。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてなのだから。


 どれくらいの間、そこにいたのか。

 勇者はフラフラと立ち上がると、ケイオスを磔にしていた大剣を無造作に引き抜いた。支えを失ったケイオスが、糸の切れた操り人形のように、床に崩れ落ちてゆく。勇者はそれを一顧だにせず、廊下を先へと進みだした。溢れていた涙は、もうなかった。彼の頬に、その形跡だけを残している。

 彼の瞳には、強い光が宿っていた。

 僕はその様子を、涙で曇った視界で見続ける。

 勇者は、ここに来るのだろうか?  彼は今、何を考えているのだろうか?

 僕はまだ、彼と友達になりたいのだろうか――

 

「うわぁっ!」

 突然、部屋の扉が砕け散った。破片が散乱し、その一部が僕を叩く。

「……やっと、辿り着いたぜ……」

 もうもうと舞う塵埃の向こうには、その表情に鬼気を宿した勇者が立っていた。

「勇者だぁ……」

 いつも魔水晶ごしに見ていた彼が、目の前にいる。不思議な感覚に、浮き上がるような気分になった。でも、すぐにケイオスが脳裏を過ぎり、その気持ちを打ち消した。

「お前が『魔王ディアボロ』だな!」

 それは乱暴な呼びかけだった。僕はこんな風に自分の名前を呼ばれた事が無い。

 ちょっと怖いけど、返事をしなくちゃ。

「うん。キミは、『勇者ウィル』だね?」

 僕は立ち上がって答えた。

 ちょっと小さめな声だけど、この部屋は音が響くし、大丈夫だよね?「ん? ああ、そうだ。知っててもらえて何よりだ」

 勇者の口端が大きく吊り上がり、それにつれて目つきも鋭くなった。目に眩しい銀の甲冑に包まれ、紅蓮のマントを翻し、金色の大剣を担いだその姿は、僕がいつも憧れていた勇者そのものだった。

 天に逆立つ真っ赤な髪と、炎のような真紅の瞳。細めなシルエットなのにしなやかな強さを感じさせる、均整のとれた体形。

「ふん。“勇者”ってのは自分で言い出したわけじゃないから頷けねぇが、ウィルってのは間違いねぇ。俺は、ウィル。ウィル・ハーバーライト、だ」

 強い口調。芯のある、低い声。凄く強い気持ちを、僕は感じた。

 ウィルに会ったら話したかった事が沢山ある。訊きたいことだって、いっぱいあった。けど、いざ目の前にしてみると、どれも口から出てこない。頭の中でいろんな事が混ざり合って、言葉に出来ない。

 そんな思いに固まっている僕に、ウィルの言葉が衝撃を与えた。

「初めましてなのに、いきなりで悪いがな。早速、お前にゃ死んでもらうぜ」

 ウィルはそう言って、剣の切っ先を僕に向けた。

 死んでもらう?  それって、僕を殺す、ってこと?  いつもケイオスが言っていた、冗談ってやつかな?  でも、ウィルの顔、ちっとも笑ってない。顔が、怖い。

「な、なんで? なんで、僕が……?」

 あまりのことに眩暈がした。

「なんで、だと? 『僕』だって? 俺が思っていた『魔王』と、えらくイメージが違うな。お前、本当にディアボロか?」

 コクコクと頷く僕に、ウィルは更に驚くような言葉を口にした。

「まぁ、姿形はイメージ通り。ごつくてでかくて醜悪で、まさしく『魔王』としか言いようが無い恐ろしさ、だけどな」

「えっ……? 僕が、醜悪……? 僕が、怖い……?」

 僕は慌てて顔を手でなぞった。

 僕が大きいのは、ウィルを凄く見下さないといけないくらいだから分かるけど。魔王としか言いようが無い?  それって一体、どういう事?

「なにをそんなに驚いていやがる。すっとぼけやがって。俺の戦意を削ぐのが狙いか? 魔族ってのは狡賢いもんな。その王様ともなると、やっぱり演技力も並外れてやがるぜ」

 ウィルはそう言いながら床に唾を吐いた。

 なんだろう、この違和感。全然意思が伝わらない。言葉は同じはずなのに、全く“心”が、通じない!

 



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